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八幡宮(東通村尻屋字寺山)
祭神は誉田別命。旧村社。宝暦年中(1751~1764年)の「御領分社堂」に若宮八幡宮、俗別当 善九郎とみえ「私先祖三代程前善九郎勧請仕候」とある。宝永5年(1708年)再興の伝承あり(『新撰陸奥国誌』)。
字村中に「尻屋八幡宮」の標柱(石碑)がある。
八幡宮(尻屋)
勧請年月日:宝永5子年再建(1708年)
御祭神:誉田別命(応神天皇)
御神体:弓矢を携え束帯をした木像
神職々氏名:小笠原壽美宮司氏子総代名:石谷忠二
例祭日:7月15日
由緒
・文久2壬戌年(1862年)再建
・明治31戊戌年(1898年)再建
・昭和51丙辰年(1976年)大改修
八幡宮の最初の遷座は尻屋崎であったと伝えられている。そして 神社名を三面権現と呼び祠を建立していた が、明治6年(1873年)に、尻屋崎に灯台を設置するために現在の蒼前神社(小学校グラウンド附近)のところへ遷宮し、その後多分明治31年に現在地へ遷宮したのではないかと思われると、氏子総代が語っている。
東通村誌(笹澤魯羊著)に、三面権現のことについて記されている。
三面権現
尻屋崎に三面権現の祠があった。明治6年燈台建設の際熊野神社へ合祀したが、祭日は陰暦の7月朔日であった。諸国の廻船はこの崎に差懸ると、帆桁を三寸程引卸して遥拝して通るを例とした。この権現に御使番の老孤があった。鉄砲家の先祖が御使番と知らずに、3度老孤を狙うたけれども3度とも嘲弄するかのように逃げられた。
一の鳥居から急な石段を50数段登ると八幡宮の社殿がある。現在の社殿は、明治31年に再建(遷宮?)し、昭和51年に日鉄鉱業株式会社の援助により大改修して現在に至っている。本殿の造りは、切妻造妻入で幣殿へと続いているが、 内陣には更に権現造りの祠が置かれている。また、 右側に淡島神を祀る祠と左側に弁天様の祠があって合祀している。
拝殿の造りの形式は、入母屋造妻入で向拝を唐破風で組んでいる。また、拝殿の突の随所に彫刻の文様が見られ、柱間の柱上は斗栱で組んでいる。向拝正面の空間には、透かし彫りの彫刻をはめ込み、手挟の龍彫りは見ごたえのあるものである。拝殿の正面には、登高欄を設け三面には組高欄の回縁をみぐらし脇障子を置いている。拝殿の内部には、奉納額が11額掲げられているのが村内随一である。
一の鳥居から三の鳥居まで両部鳥居が奉納され、狛犬 ・石灯籠がそれぞれ一対ずつ奉納されている。昭和51年に奉納された水盤舎がある。
社殿に向かって左側には、稲荷堂と石祠が建立されている。参道の中間の左側には、龍神様を祀る堂宇がある。一の鳥居の両側に、戦没者を祀る碑が建立されている。




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