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小泊山 春洞寺
曹洞宗 石神山勝岳院末寺
開山:春洞和尚
本尊:釈迦三尊
北郡小泊村の東側、通称花丘町にあるのが曹洞宗の小泊山 春洞寺。開山は、今から360年前の元和2年(1616年)春洞和尚と伝えられているだけ。無住職という空白もあったといわれており、長い間「春洞庵」と称した。山号・寺号を公称、春洞寺になったのは明治に入ってからのこととか。
もともとは小泊港に近い丸山の寺屋敷に立地していたが、明暦年間(1655~1658年)の火災以降、やっとの思いで再興されたのにもかかわらず、大正8年、昭和29年と二度の大火に見舞われた。宝暦年間(1751~1764年)からの過去帳の一部は現存しているが、それ以前のものは大正の大火で無くしてしまった。本尊の釈迦牟尼仏は、坂本芳英現住職がその際背負いながら山へ避難して火を免れた。しかし、十六羅漢像と極微細画の地獄極楽図は失ってしまったという。昭和の大火は、派立一帯120戸を総なめにしたもので、このとき移転を決意し現在地に構えた。
先代の芳宗和尚は、弘前市から養子として入山、28歳で寺院後継者になった人。26歳で遷化。現住職は昭和21年から8年がかりで本堂を築き上げた。「ところが完成翌月の大火で跡形もなく焼け落ちてしまった。この年は干ばつで川に水がなく海から取水して消火に当たったが、火勢は強く、なすすべもなかった」と話す坂本住職。現在の本堂、庫裏は、大火翌年の30年から増・改築を重ね、46年に装いを新たにした。
かつては、漁獲高県内2番目という実績を誇ったこともある小泊村だが、昔から春洞寺を中心に大漁祈願が行われてきた。ニシン場だったこともあって「西沢」「斎藤」ら10人の網元が漁港・小泊のカナメだったという。村内にある尾崎神社の由来は、約700年前の大同年間にさかのぼるという古い村でもある。室町時代には、ヒバの宝庫だったこともあって越後地方から大勢の切り出し人夫が入村、仏閣などの建築材切り出しに従事した。ここで亡くなった人も多かったといわれ「越後谷」「敦賀屋」の姓はその流れをくむものと伝えられている。
ここに安置されている「聖観音」は昭和48年の夏、小泊村突端の国道開削に当たっている自衛隊員が、冬部付近の海岸から拾い上げたもので、開削工事の守護にと春洞寺に寄進した。南方系の仏像とみられており、どのぐらいの間、海にあったものなのだろうか。身の丈一尺余の木像だが、そうした経緯から植信徒らにも丁重に扱われている。
春洞寺の檀信徒は市浦村など広範囲に及んでおり、弘前市勝岳院の末寺。寺宝の秋葉大権現は桃山時代のものといわれ、木彫り身丈約一尺。





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