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2026年04月19日
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小川原湖北岸から谷地温泉までを結ぶ国道394号。南部から津軽へと抜ける主要道の1つです。道沿いには七戸の町が広がっており、今でも城下町の風情を良く残しております。七戸町の西方には和田・高屋敷などの集落がありますが、ここまで来るともう山間の集落といった落ち着いた雰囲気が漂っています。
今回紹介する薬師堂も、その付近に広がる山屋という集落の中に位置しており、当地方に於いても古い仏閣なんです。ここの本尊は県内でも最古級の木像であり、造像は藤原時代に遡れると言われています。修験の堂として始まったという説もあり、林に囲まれた仏堂はある種の野趣を放っておりました。

2024.9.7
山屋薬師堂


集落西側に林が広がり、そこに山屋薬師堂がポツンと建っていました。仏堂ではあるものの、明治の廃仏毀釈の影響か、境内入り口には立派な両部式鳥居が置かれているのです。



鳥居の側には子安地蔵尊堂が置かれています。



内部には新しめの子安観音が収められています。
子安地蔵堂は個人の管理となっているようで、山屋薬師堂と直接関係があるものではないです。



それでは山屋薬師堂を見ていきましょう。
参道入り口には、今や判別不能の古石碑が置かれています。







ご由緒です。
山屋薬師堂

本尊:薬師如来

 山屋薬師堂の創建は不詳ですが本尊の薬師如来像が平安時代末期作なので、それ前後とも思われます。古くから神仏習合し修験僧の修験の場として利用され薬王院と称してきましたが、明治時代初頭に発令された神仏分離令と修験廃止令により神式が廃され仏教色の強い薬師堂に改称しています。
 山屋薬師堂の建物は木造平屋建て、宝形造、鉄板葺き、桁行3間、張間3間、正面1間向拝付き、外壁は真壁造り板張り。境内には万延2年(1861年)に運送船頭 宝永丸與八郎が寄進した狛犬があるなど運送業者からも信仰が篤かったと思われます。
 現在は無住になった為、七戸城の城主南部直時の菩提寺である 瑞龍寺 ​が管理しています。本尊の薬師如来像は貴重な事から七戸町指定有形文化財に指定されています。

岩木山神社 ​、常陸の八溝嶺神社、下野の​ 日光二荒山神社 ​、甲斐の 金櫻神社 ​、などなど枚挙にいとまがありません。疫病の蔓延鎮撫や領国の運営安定を願い、各地の山々に祀られたのです。

本地垂迹説に従えば、大国主神は不動明王や十一面観音をも本地とする例が多いように感じますが、少名彦神に関しては殆どが薬師如来を本地としているんではないでしょうか。この傾向が如実に表れている例としては、常陸の名神大社である​ 大洗磯前神社 ​・ 酒列磯前神社 ​が挙げられます。10世紀成立の「延喜式」に於いても、神名帳の中でこれら2社は共に”大洗礒前薬師菩薩明神社”・”酒烈礒前薬師菩薩明神社”と言うように薬師菩薩と称されています。八幡神社の祭神として名高い八幡神(十五代応神天皇)同様、早くから仏教と混ざり合っていた神格たちなんだと思われます。それ故修験たちにも親しまれた神格なんではないでしょうか。

山屋集落は、青森県を代表する名山 八甲田連峰の登り口にほど近く、修験たちにしてみても行場として理想的な場所だったかも知れません。
八甲田の峰々に関しては、どんな神格が祀られていたのか不明な点が多いんですが、南方に熊野系修験(本山派修験)の一代霊場 十和田湖があった事からも、本山派修験たちが入峯していてもおかしくは無いんではないでしょうか。当霊場も天台宗と関係の深い薬師如来が本尊となっており、関連があるような気がしているんですが・・・どうですか?

本尊の薬師如来像と脇侍の十二神将像は、共に コチラ ​からご覧になれます。
この薬師如来像は地方仏(その土地で作られた仏像)としては県内最古のものだそうで、作仏は平安時代後期と数百年の歴史を持ちます。像の摩耗は激しいものの、この豪雪地帯にあってまだ形を保っているというのは、単に長年に渡って篤く保護されてきたという事の証明と言えるのではないでしょうか。
脇侍に関しても、今では1体しか残っていませんが、かつては十二神将像勢ぞろいで収められていたと思われます。中央の様式がしっかりと繁栄されており、当地にもそうした中央の文化が流れ込んできていたことを示しているんではないでしょうか。

最後に本尊の薬師如来に伝わる面白い伝承を載せたいと思います。
山屋薬師堂

 山屋の薬師様は、もとは七戸町の西野地区にあったが、その地の神仏と折り合いが悪く、 そこを去る途中、草の上でうたた寝していたら野火に気づき、逃げようとして「ところ」のツルに足を取られて倒れ、「ウド」で目をついてけがをしました。そのため目の治療に願を掛ける人は今でも「ところ」・「ウド」を禁食するといわれます。

 本尊の薬師如来像は、桂の木の一木造りのナタ彫りで平安時代末期の地方作として優れたものであるといわれています。霊験あらたかとされ、4月8日の縁日には多くの参拝者でにぎわいを見せました。
境内説明書き より引用

悟りの境地に有る如来に対して、この様な人間臭いエピソードが附されているのは本当に面白く、何故こんな話が出来たのかが知りたくなります。ただただ本尊が如何に人々に身近な仏像だったかが、よく伝わってきますね

斜めから。
相当な古刹であるものの、由緒など不明な点が多いのがもどかしい仏閣です。山屋薬師堂の前身は西野薬師堂という仏閣だったそうで、こちらも七戸にあったそうです。
七戸は南部初代光行公の子である南部朝清によって開拓されたと伝わる古い町です。北奥羽の雄 南部氏は、その系統に不明な点が多く、庶流どうしの関係も複雑です。
個人的には北奥羽は南部氏の領地となっているものの、甲斐源氏の庶流が流れ着く土地であったのではないかと思っています。蠣崎氏などに見える武田姓や、南部氏庶流に時たまみられる小笠原姓など、南部氏以外の甲斐源氏の姓を持つ人物が見られるからです。甲斐本国で所領を持てなかった庶流たちが陸奥国の領地を与えられて、当地の元締めである南部氏のもとで務めていたとしたら・・・。その際に自らの菩提寺や信仰する神社を遷していたとしたら・・・。もう・・・妄想のし過ぎで眠れなくなっちゃいますよね





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最終更新日  2026年04月19日 11時41分04秒
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