真理探究と歴史探訪

真理探究と歴史探訪

2024年08月06日
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列島各地に存在する”磐座群”の要たる『金山巨石群』を経て次に向かったのは、能登半島の付け根にあって縄文時代の多くの遺物が発見された「桜町遺跡」(富山県小矢部市桜町)であった。(冒頭地図の下方中央部)



この「桜町遺跡」を訪れたのは今回で二度目となる。初回が2000年だったので、およそ四半世紀ぶりの再訪となるが、その初回訪問の際に仮設展示場で見た主要文化財や、それらの解説を聞いた時の感動が忘れられず、再び訪れることにした次第。

そして訪れたのは、富山県小谷部市内の「桜町遺跡」の近くで「小谷部ふるさと歴史館」の館内にある”桜町遺跡出土品展示室”であった。そこで上の画像は、展示室の冒頭に掲げてあった当遺跡の解説文である。









そこで上の画像の数々は、当遺跡で出土した縄文土器の数々を撮影したものである。その土器類一つ一つの洗練された素敵な意匠に心身は躍動し、また癒された一時でもあった。



上の画像に映る解説にあるように、当遺跡の出土品のなかで特徴的なのは、大量に出土した木製品の中でも”建築部材”である。そこで以下に掲載した二枚の画像は、当遺跡で出土した”建築部材”の数例だ。





実は、自身が初回の訪問時に最も驚いたのが、「桜町遺跡」で出土した多量の建築部材の中に、今から約4000年前となる縄文時代の「高床建物」の”建築部材”が数多く発見されたことである。

それによって、弥生時代のものを最古としていた定説よりも約2,000 年も古い縄文時代に、すでに「高床建物」があったことが証明されたということだ。



上の画像は、上記の多量に出土した「高床建物」の建築部材を参考にした見取り図(二例)を撮影したものだ。

そこで下のリンク記事に掲載の冒頭画像は、「桜町遺跡」から出土した木柱等を参考に復元した今から約4000年前の縄文時代(縄文中期末頃)の「高床建物(通柱式)」を撮影(2000年6月/小谷部市)したものである。

※関連記事・・・​ 縄文の高床式建物

「高床建物」が縄文時代に建造されていたなんて…まさに”常識がくつがえる”とは、このことを言うのであろう。



さて、当遺跡への再訪で強く興味を引かれたのは、大量に出土した木製品のなかでも『Y字材』と呼ばれる用途不明とされた大型加工材であった。そこで上の画像は、その『Y字材』の解説を撮影したものだ。





そして上に並べた二枚の画像は、出土した二本の『Y字材』を別々に撮影したものだ。また上の解説にあるように、その二本の『Y字材』が出土した状況を当時の発掘現場で撮影したものが下の画像である。



実はこの『Y字材』の現物を、当館の展示室で初めて間近に見た私は・・・「これは〈木股神〉の”木股”につながるはずだ・・・という直感があった。つまり〈木股神〉の神名である”木股”が、私には『Y字材』の形状である”木の股”( 二股の木) に観えたのである。

・・・ということで、ここからは用途不明とされた縄文中期の木製品である『Y字材』と、日本古来の〈木股神〉にまつわる風習等を関連づけるかたちで、この『Y字材』の用途の解明に迫ってみたい。

ここで上記の〈木股神(きのまたのかみ)〉とは、下にリンクした関連記事の下段に記した「御井神社」の由緒に《八上姫は出産のために掘った井戸の水を産湯に使い、産まれた御子を”木の俣”に預けて帰郷した》とあるように、その御子は当社の主祭神として〈木股神〉と名付けられたということであった。

また”二股の木”を〔神の依り代〕となる「神木」と解し、八上姫が産んだ御子を”木の股”に挟んだことを、「神の降臨」を迎える実際の儀礼に基づいた行為と捉える説がある。

加えて、”幹が分かれて二股になった樹木” を豊穣や多産・生育の神木として神聖視する風習が、日本の「子安信仰」に見いだされることも指摘されており、 木俣神 をそうした”豊穣の樹木神”と捉える説もある。


※関連記事・・・​ 山陰地方の「白兎」伝説と現地探訪(下)


ところで『古事記』では、〈 木俣神 〉・ 御井神〉という二つの神名は、”異名同神”とされている。

そこで〈 木俣神 という”樹木の神”が、なぜ〈 御井神〉という ”井泉の神”としての別名を持つのかについては、太古より湧 泉が多く山の端の森林の中にあったことや、 樹木が地下水を吸い上げて成長することの関連性に由来する等の説があるとのことだ



上に掲げた画像は、上のリンク記事にも掲載した出雲市に鎮座する「御井神社」の近くにある「三つの井戸」の内の一つを撮影したものだ。

日本古来の風習であった 木俣神 〉の依り代たる ”聖なる樹木”と〈 御井神〉の依り代たる ”聖なる井泉”の、その見事に和合した佇まいを、この画像に垣間見る思いである。



・・・と、ここまで記述してきて、おそらく「御井神社」に現存する”三つの井戸”に触発されたのか、自身の脳裏に浮かんできたのは豊前国一之宮「宇佐神宮」の境内に存在する「御霊水」であった。

その「御霊水」の湧く神域を撮影したものが上の画像では左側、そして右側の画像は鳥居の内側で撮影した蓋付きの”三つの井戸”である。

さらに下の画像は、もう十回は足を運んでいる「宇佐神宮」の神体山である「御許山」の九合目に、おそらく太古より存在する「御霊水」の佇まいを撮影したものだ。そこで下の画像の左側は山頂部の「御霊水」の湧く神域、そして右側の画像は三つの鉢状の窪みから湧く霊水(三鉢の香水)の風情を撮影したものだ。




そして、この上下の画像や上掲の「御井神社」の井戸を撮影した画像を見ていると、不思議なことに用途不明とされてきた”二本の『Y字材』”の用途が分かった気がしてきたのであった。

それを、この上下に掲載した画像から私なりに洞察すると、おそらく井戸(御井)の出入口に建てられた”鳥居”や”門戸”の役割を担うものだったということになる。つまり『Y字材』の二本を”鳥居”のように立て、二股に開いた上部に残る二つの抉られた窪みは、二本の『Y字材』を繋ぐ屋根のような木製品を支えるものだったのではあるまいか・・・。

そこで思い出したのは、当館内の展示室で説明員から聞いた話であった。それは、『Y字材』と共に多くの建築部材が出土した場所の近くには、今でも”良質の井泉”がこんこんと湧いており、地元の人も重宝しているとのことである。(つづく)






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最終更新日  2024年08月07日 14時01分02秒


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