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「何と浅はかな嘆きでございましょう。
のんきに構えることができました間は、自然と足の遠のく折もございましたでしょうが、
亡くなられた後は、何を頼みとして御無沙汰などできましょうや。
今にきっとお分かりいただけましょう」
と、お立ち出でになりますのを、左大臣はお見送りなさいます。
主のいなくなった部屋にお入りになりますと、調度品などは元のままなのですが、
蝉の抜け殻のようで空しい心地におなりなのです。
御几帳の前に御硯などを散らしたままで、お書き捨てになった手習いを手に取り、
涙で曇る目で何とか見ようとなさいますのを、
若い女房たちの中には哀しい気持ちの中でも可笑しがる者もいるようなのです。
しみじみとした情趣ある古い詩歌、漢詩や和歌などが書き散らしてあって、
草書やら楷書やらいろいろな書体で目新しいように書きまぜていらっしゃるのでした。
「みごとな御筆跡よ」
と、空を仰いでぼんやりしていらっしゃいます。
そのようにご立派な御方が他人となってしまうことを、残念に思うのでしょう。
『旧き枕 故き衾、たれとともにか』とあるところに、
「なき玉ぞ いとどかなしき寝し床の あくがれがたき 心ならひに
(亡き人と共に寝んだ床、それを思うとひどく悲しい。
私の心はいつもその寝床から離れがたく思っていたのだから)」
と書いてあります。また「霜の花しろし」とあるところには、
「君なくて 塵つもりぬるとこなつの 露うち払ひ いく夜寝ぬらむ
(愛おしいあなたがいなくなり、今では塵の積もる寝床になっています。
私は涙の露を払いながら、幾夜独り寝をしたことでしょう)」
傍にはあの日大宮への御文に添えられたのでしょうか、枯れた花が混じっていました。