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明石の姫君はあどけなく源氏の大臣の御指貫の裾にまつわりついて後を追い、
簾の外にも出てしまわれそうですので立ち止り、たいそう愛おしくお思いになります。
姫君を宥めて「明日、帰りこん」と、催馬楽を口ずさみながらお発ち出でになります。
紫の女君が渡殿の戸口に中将の君をお遣りになって、
「舟とむる をちかた人のなくはこそ 明日かへり来む せなと待ち見め
(舟を引き留めるような、遠くのあの方がいらっしゃらないなら、
背の君も『明日、帰り来ん』でしょうけれど。さて、どうなのでございましょう)」
とお歌を詠みかけました。
それがひどく物馴れた感じでしたので、源氏の大臣はにっこりなさって、
「行きてみて あすもさね来む中なかに をちかた人は 心おくとも
(大井に行ってみて、明日にも本当にあなたさまのもとへ帰って参りましょう。
あちらの方が気を悪くしたとしても、ですよ)」
姫君はこのような事など知る由もなく無邪気にはしゃぎまわっていらっしゃいますので、
紫の上は姫可愛さに、あちらの女君への不愉快なお気持ちも
すっかり消えてしまうのでした。
『あちらではきっと姫を心配していることでしょうね。
もし私だったなら、ひどく恋しく思うでしょうに』
と、姫君を見つめながら懐に入れて、
可愛らしい御乳を口に含ませて戯れていらっしゃるご様子は、いじらしいのです。
御前にお仕えする女房たちは、
「どうして上には御子がお生まれにならないのかしら」
「同じ御子なら、こちらの御子として生まれたらよろしいのに」
「ああ、思い通りにはならない世の中ですわね」
と、互いに話し合うのでした。
大井の邸ではたいそうのどかに、不如意もなく、奥ゆかしい様子で暮らしています。
家の有様も都とは違っていて珍しく、明石の女君の容姿や物腰などは、
逢うたびに高貴な女人に見劣りしないことが実感され、
理想的な女君へと成熟していきます。
『この人が何の取柄もない並の情人なら、私のような高貴な身分の男との関係も、
世の中にはなくもないと軽く思われもしよう。
世にも珍しい偏屈者の父・入道の評判こそ困りものだが、
この女君の人柄は、これはこれで十分というものだ』
とお思いになります。