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そのころ、源氏の大臣の舅君でいらっしゃる太政大臣が薨去しました。
世の重鎮でいらした方ですので、帝におかれましてもお嘆きあそばします。
朱雀帝の御世に、一時左大臣を辞任して隠居なさいましたが、
この時も天下の騒ぎとなりました。
ましてお亡くなりになった今では悲しく思う人が多いのです。
源氏の大臣もひどく残念にお思いです。
今までは、全ての政務を太政大臣にお譲り申し上げたので暇もあったのですが、
これからはそうはいかず、心細くも多忙にもお思いになって
ため息をついていらっしゃいます。
冷泉の帝は、御年十四歳に比してはこの上もなく大人らしくご成人なされましたので、
天下の政についても気掛かりにお思い申し上げることはないのですが、
太政大臣亡き後はご自分の他に帝の御後見を務める方もありませんので、
『誰かに帝の御後見を譲って、静かに仏道修行をしたいものだ』と、
残念にお思いになります。
追善供養などでも、太政大臣の子息や孫たち以上にこまやかに
弔問しお世話なさるのでした。
その年は疫病のはやりや天変地異で世の中が騒がしく、
朝廷では神仏のお告げがしきりに起こります。
天空でも日食、月食、彗星あるいは異様な雲が出現するという凶兆が見られて、
世の人が不吉に思う事が多く、
天文博士や陰陽寮の頭が朝廷に奏上する勘文(かもん)の中にも、
怪しく異常な事などが混じっていました。
しかし源氏の大臣だけはこの凶兆について、
御心の内で思い当たることがおありなのです。
さて、藤壺の入道の宮は正月からご病床にあって、
三月にはひどく重くおなりでしたので、お見舞いに帝の行幸があります。
帝が父・桐壺院に死別申し上げあそばしたころはたいそう幼くて、
物事を深くお感じになれなかったのですが、この度はひどくご心痛のご様子ですので、
母・入道の宮もたいそう悲しくお思いになります。
「厄年の今年は、きっと死を逃れられないと存じておりましたが、
さして気分の悪いこともございませんでしたので、
命に限りがあると悟りきった様子をいたしますのも、
世間の人には『嫌味で仰々しい』と思われましょうから遠慮して、
死後のための供養なども格別にはいたしませんでした。
そのうち参内いたしまして、帝と心のどかに昔のお話しも申し上げたいと存じながら、
気分の好い折が少うございますので、鬱々としたまま月日が過ぎてしまいました」
と、たいそう弱々しく帝にお話し申し上げます。