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さて、太宰での五年の任期が終わり都に上ろうとするのですが、
都は遠く格別な財力もありませんのでぐずぐずしていますうちに
少貮は重い病に伏して、死を覚悟するほどになりました。
姫君は十歳におなりでしたが、
そのご容姿が忌々しいほど可愛らしくていらっしゃいますので、
「母君ばかりか私までお見捨て申したならば、どんなに落ちぶれなさるであろう。
むさ苦しい筑紫でお育ちになったことを勿体なく思い申し上げていたが、
いつかは都にお連れ申して父君に知らせたてまつり、
『宿縁によるご出世を見たいもの』と思っていた。
都は広いから田舎育ちであることも知られまいと上洛を思い立ったのだが、
それも叶わずこのまま死んでしまうことが残念でならぬ」
と、不安がります。この少貮には三人の子息がいましたが、
「ただこの姫君を都へお連れすることだけを考えなさい。死後の供養など考えるな」
とだけ遺言しました。
今まで少貮は、姫君が誰の御子であるかを家族にも知らせず、
ただ『孫ではあるが、大切に養育するべき仔細のある子』とだけ言いなしていましたので、
人にも見せず大切にお世話していたのです。
ところが少貮が急死しましたので、乳母たちはしみじみ哀しく心細くなり、
上洛の準備をしたのですが、
故・少貮と仲の悪かった筑紫の国の人が大勢あったために、
あれやこれやと妨害しましたので思いがけず年を過ごしてしまいました。
その間に姫君は成長なさり、母君・夕顔に勝ってうつくしくおなりで、
父・内大臣の気品さえ加わったからでしょうか、上品で可愛らしいのでした。
性質もおっとりとして申し分なくおありなさるのです。