全3件 (3件中 1-3件目)
1
フランスの映画音楽の作曲家ミシェル・ルグランさんがお亡くなりになったニュースを新聞で読みました。1月26日にパリの自宅で死去、86歳。死因は明らかにされていないとのことです。 記事には「シェルブールの雨傘」(63)が代表作として取り上げられていますが、私の年代の作品ではなく、私の場合ではやはり「華麗なる賭け」(68)と「おもいでの夏」(70)が忘れられない記憶になっています。 大富豪が趣味で?犯罪をおかして、当局の追及をかわし、まんまと逃亡に成功する「華麗なる賭け」。スティーブ・マックイーンとフェイ・ダナウェイさんが共演したおしゃれな犯罪映画の秀作です。それと「おもいでの夏」は多感な高校生が年上の美しい人妻にあこがれるノスタルジックな青春映画。「華麗なる賭け」の主題歌「風のささやき」はノエル・ハリソンが歌って、挿入歌として、またはインストルメンタル曲として、作中で流れてメロディが心に残ります。「おもいでの夏」の流麗な主題曲は哀調があり、それがノスタルジックでもあり、とても素敵な曲で、この映画を見た当時、サウンドトラック盤レコードを何度も聴いたものです。 かつては、映画音楽は映画と切り離して聴いても名曲がいくつもありました。 このような話題になるといつも同じことを云ってしまいますが、現代の映画にはこのような、心に永く残る映画音楽がないのはなぜだろう? ミシェル・ルグランさんの曲では「栄光のル・マン」(71)もそうですね。これもスティーブ・マックイーン主演のカーレース映画の傑作。北国シネラマ会館での鑑賞。サウンドトラックのLPレコードを持っていました。このレコード盤には映画の効果音も入っていてお気に入りでした。
2019年01月27日
コメント(0)
「テレビ映画」とは云わず、「テレビドラマ」と云うようになったのはいつ頃からだろうか? 現在は「テレビドラマ」というのが一般的で、海外ドラマなどと云いますね。「テレビドラマ」とは「テレビで見せるための劇」のこと。テレビジョン+ドラマの和製英語。辞書には「テレビ映画」の項目は載っていません。 しかし、昭和30年代から40年代にかけてには「テレビ映画」という言い方はごくふつうに使われていました。劇場用映画に対してテレビ映画と。 日本でテレビ放送が開始されて、まだ10年ばかりしか経っていない時代です。テレビ局が独自で番組を制作するよりも、アメリカやイギリスから番組を買って放送するほうがより安上がりだった。しかも質的にもすぐれている。 私がその頃にテレビで見ていたのは、日本の作品では「隠密剣士」「忍者部隊月光」「まぼろし探偵」「てなもんや三度笠」「七人の刑事」「事件記者」など。昭和38年に国産アニメが始まって「鉄腕アトム」「鉄人28号」「エイトマン」「スーパージェッター」「宇宙少年ソラン」などですが、しかしやはり外国の「テレビ映画」が圧倒的に好きで、おしゃれで格好いいと思いました。この時期には現在のような「海外ドラマ」などとは云わず、「外国のテレビ映画」と云いました。現在、「時代劇専門チャンネル」で放送されている「隠密剣士」のオープニングタイトルには「連続テレビ映画 隠密剣士」と表示されています。 西部劇の「ララミー牧場」「ライフルマン」「ローハイド」。「ブロンコ」と「シャイアン」は隔週で交互に放送。「弁護士ペリー・メイスン」「サンセット77」「サーフサイド6」。「コンバット!」に「奥さまは魔女」「かわいい魔女ジニー」。「サンセット77」と「FBIアメリカ連邦警察」のエフレム・ジンバリスト・Jrの黒沢良さんなど懐かしいですね。「逃亡者」「宇宙家族ロビンソン」「タイムトンネル」「0011ナポレオン・ソロ」「宇宙大作戦」「インベーダー」「特攻ギャリソン・ゴリラ」「鬼警部アイアンサイド」「秘密指令S」「プロスパイ」「スパイ大作戦」などなど。夜の7時台、8時台、9時台、10時台はアメリカやイギリスのテレビ映画ばかりでした。 当時「テレビジョンエイジ」という外国ドラマの専門雑誌があって、その表紙にも「外国テレビ映画の専門誌」と記されていました。 昭和50年代になると、そういった外国のテレビ映画の数は激減してしまうのですが、その時期の「刑事コロンボ」や「警部マクロード」「ジェシカおばさんの事件簿」などは放送がNHKだったからで、民放局ではほとんど外国のテレビ映画はなくなっていた。「刑事コジャック」と「女刑事ペパー」ぐらいか? で、いつ頃から「テレビ映画」という言い方がされなくなって、「テレビドラマ」になったのか?を考えてみると。 1970年代というか、昭和50年前後の頃にNHK総合でアメリカやイギリスの75分から90分くらいの長さの、テレビ放送用に作られた単発作品が放送されるようになり、これらが「TVムービー」と称されました。「刑事コロンボ」や「警部マクロード」などもこの「TVムービー」に含まれるのですが、「イスタンブール特急」(68)「遺産相続人」(70)「大空の恐怖」(71)「空中大脱走」(71)「爆発!ジェットヘリ500」(72)などがあり、スティーブン・スピルバーグ監督が24歳から25歳くらいのときに撮った「刑事コロンボ 構想の死角」(71)と「激突!」(71)がよく知られています。「激突!」はテレビ用に撮った作品ですが、日本では劇場公開されました。「刑事コロンボ 死者の身代金」(71)はヨーロッパでは劇場公開されたらしく、「空中大脱走」と「爆発!ジェットヘリ500」も日本で劇場公開。 この「TVムービー」という単語が登場したことで、「テレビ映画」というそれまでの言い方では意味が同じになってしまい、変更せざるをえなくなったのではないか?、と。
2019年01月19日
コメント(0)
このお正月に古本屋で見かけて、買った本「仮面の忍者 赤影」。 秋田文庫の横山光輝さんの忍者マンガで、全2巻の第1巻です。240円の20%OFFなので192円で買えました。2巻もほしいのだが、なかったので1巻だけです。「仮面の忍者 赤影」が「飛騨の赤影」のタイトルで「週刊少年サンデー」に連載開始されたのはいつだったでしょうか?「伊賀の影丸」が終わったのが1966年の39号だから、そのあと間もなくだと思われます。赤影が木下藤吉郎の軍師 竹中半兵衛から密命を受ける場面をなんとなく記憶しているだけですが、当時リアルタイムで連載を読みました。 その後、テレビで「仮面の忍者 赤影」(1967年4月~)として始まったのを見たわけで、それは、中学生の私には内容が幼稚で子供だまし的に思え、小学生の時から「伊賀の影丸」を愛読し、テレビの「隠密剣士」や「忍者部隊月光」ですっかり忍者のイメージができあがっていたので、まったく見るにたえないものだった。子役の青影が鼻に手をあてて「だいじょう~ぶ」などと、見ている者をバカにしていると感じたものです。 そして、原作マンガの「飛騨の赤影」が「仮面の忍者 赤影」に改題され、その安直なタイトルにがっかりし、その時点でマンガも読むのをやめてしまいました。 そんな「仮面の忍者 赤影」の秋田文庫版の第1巻「金目教の巻」を約半世紀ぶりに読むわけです。 元亀2年。織田信長が浅井朝倉と対立している頃。木下藤吉郎の軍師竹中半兵衛が、江南の農民のあいだに「金目教」という宗教が広がって信者を増やしているとの情報を得、藤吉郎に報告する。奇跡をおこす宗教としてまたたくまに信者を増やし、その背後に六角義治の存在が疑われるとのこと。 信長をこころよく思っていない六角義治が農民を扇動して、なにか良からぬことをたくらんでいるのではないかと、その真偽をたしかめるべく、飛騨の忍者赤影と青影の2人を江南に派遣する。 はたして赤影と青影の前に霞谷七人衆なる忍者集団があらわれる。 幻妖斎という甲賀?者が農民を集団催眠であやつり、彼の配下に霞谷七人衆がいる。鬼念坊、朧一貫、ガマ法師、黒童子、土蜘蛛、夢堂典膳、傀儡甚内など7人の忍者と赤影、青影の忍法合戦が展開する話です。 赤影は伊賀の影丸、青影は村雨源太郎のキャラクターをそのままといった感じです。 とくに赤影は仮面で顔をかくす必要性がないだろうし、忍者たちが使う忍法も、これまでの「伊賀の影丸」を読んできた身としては、真新しい感じがしない。 この連載は1年くらいで終了したようだけれども、それも納得できるようです。この昭和40年代も中頃になると忍者マンガの存在意義がなくなっていたのかもしれません。
2019年01月07日
コメント(0)
全3件 (3件中 1-3件目)
1