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「マジソンスクウェアーガーデンの大会は😵 失敗だった!。」
お父様は原罪を持っておうまれになりました。は原理講論という経典を真っ向から否定し、 あのマジソンスクウェアガーデンの20、000人大会は成功したと 豪語しています。
したがって、それゆえに、人間は神の創造主としての責任分担に対して、人間自身の責任分担を全うしながら、この成長期間(間接主管圏)をみな経過して、完成するように創造されていたのである。したがって、その責任分担については神が干渉してはならないのである。
このように、人間がそれ自身の責任分担を完遂して初めて完成されるように創造されたのは、人間が神も干渉できない責任分担を完遂することによって、神の創造性までも似るようにし、また、神の創造の偉業に加担させることによって、ちょうど創造主である神が人間を主管なさるそのごとくに、人間も創造主の立場で万物を主管することができる主人の権限をもつようにするためであった(創一・28)。人間が万物と違う点は、正にここにあるのである。
このように、人間が、自身の責任分担を完遂し、神の創造性を受け継ぐことによって、天使をはじめ、万物に対する主管性をもつようになったとき、初めて完成するようになさるために、神は間接主管圏をおいて、人間を創造されたのである。 それゆえに、堕落して、このような主管性をもつことができなくなった人間たちにおいても、復帰原理によって、人間の責任分担を完遂して、サタンをはじめ、万物に対する主管性を復帰するための、間接主管圏をすべて通過しなくては、創造目的を完成することができないのである。神の救いの摂理が非常に長い期間を通じて延長してきたのは、復帰摂理を担当した中心人物たちが、神も干渉できないそれ自身の責任分担を遂行するに当たって、常に失敗を繰り返してきたからである。
2) 再臨主を中心とする実体的カナン復帰路程
第三次世界的カナン復帰路程が、第三次民族的カナン復帰路程と同じく、実体路程をもって出発することができず、霊的路程として出発するようになった理由については、既に前節で述べたとおりである。「メシヤのための霊的な基台」の上で、霊的メシヤとしておられるイエスを信じ、彼に従うことをもって出発した第三次世界的カナン復帰の霊的摂理は、二〇〇〇年の悠久なる歴史路程を経て、今日、世界的にその霊的版図を広めるようになった。
それゆえ、あたかもモーセの霊的カナン復帰路程を、ヨシュアが代わって実体路程として歩み、民族的カナン復帰を完遂したのと同じく、イエスは、今までの霊的カナン復帰路程を、再臨されてから実体路程として歩まれ、世界的カナン復帰を完遂されることによって、地上天国をつくらなければならないのである。このように再臨主は、初臨のときに実体をもって成就されようとした地上天国を、そのごとくにつくらなければならないので、あくまでも実体の人間として、地上に生まれなければならないのである(後編第六章第二節(二)参照)。
しかし、再臨主は、初臨のときの復帰摂理路程を蕩減復帰しなければならないので、あたかも彼の初臨のとき、ユダヤ民族の不信によって、霊的復帰路程の苦難の路程を歩まれたように、再臨のときにおいても、もし第二イスラエルであるキリスト教信徒たちが不信に陥るならば、その霊的な苦難の路程を、再び実体をもって蕩減復帰されなければならないのである。イエスが「しかし、彼(イエス)はまず多くの苦しみを受け、またこの時代の人々に捨てられねばならない」(ルカ一七・25)と言われた理由は、とりもなおさず、ここにあるのである。
それゆえに、イエスは初臨のときに、彼のために召命された第一イスラエル選民を捨てられ、キリスト教信徒たちを第二イスラエルとして立て、新しい霊的な摂理路程を歩むほかはなかったのと同様に、再臨のときにも、キリスト教信徒たちが不信に陥るならば、彼らを捨てて新しく第三イスラエルを立て、実体的な摂理路程を成就していくほかはない。 さらにまた、イエスは再臨のときも初臨のときと同じく、彼の道を直くするために洗礼ヨハネの使命(ヨハネ一・23)を担ってくるはずの先駆者たちが、その使命を全うし得ないときには、再臨主御自身が、再び洗礼ヨハネの立場で、第三次世界的カナン復帰摂理のための「信仰基台」を実体的に造成しなければならないので、苦難の道を歩まれなければならないようになるのである。
……
それゆえに、イエスは、すべての人類を、神の血統を受けた直系の子女として復帰するために、再臨されなくてはならないのである。したがって、彼は初臨のときと同じように、肉身をもって地上に誕生され、初臨のときの路程を再び歩まれることによって、それを蕩減復帰されなければならない。それゆえに、 先に既に論じたように、再臨のイエスは、み言を中心とする「出発のための摂理」によって、「メシヤのための基台」を実体的に造成し、その基台の上で、すべての人類を霊肉併せて接がせることにより、彼らが原罪を脱いで、神の血統を受けた直系の子女として復帰できるようにしなければならないのである。
……
つぎに、大きい使命を担った人物であればあるほど、彼に対する試練もまたそれに比例して大きいということをも見せてくださった。アダムが不信に陥り、神を捨てたために、後のアダムとして来られたイエスが、その復帰摂理の目的を成就されるためには、アダムの代わりに神から捨てられた立場をもって信仰を立て、 その堕落前の立場を蕩減復帰しなければならなかったのである。 それゆえにイエスは、荒野において、サタンの試練までも受けなければならなかったのであり、また、十字架上で神から見捨てられるということまで体験されなければならなかったのである(マタイ二七・46)。
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