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kimuchi氏、ソン・デオ博士(?)自身もまた2000年前のエリヤの再臨を待つようなパリサイ人や律法学者と同じ過ちを犯しているのではないでしょうか? 略歴もブログ記事に披露していましたが(以下)、原理理解から言えば我田引水(無知蒙昧)としか言いようがありません。これについては後半で書いていきます。
ソン・デオ博士については、知っている方も多いと思うが、世界日報の編集人、筆、副社長、会長を歴任し、現在も韓国平和研究学会理事長、鮮文大学副総長、第三代世界平和教授協議会理事長をしている有名なUCリーダーである。
結論から言えば、2010年にUCI設立定款を改変し「原理講論を広め、世界的に統一教会を支援する」というUCIの本来の目的にあった内容などを削除しました。このように原理講論まで捨てておきながらその「原理講論」について語る三男さんとそのUCIグループの方々にどれだけの信ぴょう性があるか、というのです。
http://trueparents.jp/?page_id=1345
こうした統一慣習及び束縛規則に反し、2009年に郭グループが真の父母様の指示と家庭連合の指導者からの再三の指示と要請を無視し、真の父母様の任命された理事を解任し、自分たちに都合のいい理事陣を編成。さらに、2010年4月、現UCI理事陣は、UCI設立定款を改変しました。 具体的には、組織名を「Unification Church International」から単に「UCI」に変更することで、統一教会とUCIとの関係の断絶を図り、「原理講論を広め、世界的に統一教会を支援する」というUCIの本来の目的にあった内容などを削除しました。
◆入門編『独生女』の発祥からまなびましょう!◆
https://kimuchi.muragon.com/entry/335.html
まずもってして「『独生女』の発祥」ということですが、私が最初に 「独生女理論」
などとその批判を聞いたのは2015年4月のことです。三男派へ行かれた前能登教会長・郭炳憲氏の口からでした。当時、鮮文大の教授の論文とかを指してそう言っていたようですが、私からはそのような理論など存在しないことを主張していました。それが、2017年には金ジンチュン天法院長のそれが 「独生女論」
と言い換えられてきたものでした。kimuchi氏のいう「独生女」は2017年のものでした。
「独生女」発祥ということでさらに遡っていけば、お母様が語られた以前に侍さんのブログ記事で紹介していた 韓国語の聖書に「独生子」の記載があり「独生女」は真のお父様の造語
である、とのことでした。
「独生女」は造語だった。 その元祖「独生女理論」はお父様!!
分派侍JINさんの『 今話題の「独生子・独生女」論 』からは「独生子」「独生女」のルーツの旅が書かれていたので、そちらも参照されてみては如何なものか。
侍さんからは、「独生子」は韓国語の聖書に書かれていたもので日本語聖書では「ひとり子」として訳されていた。また、「独生女」についても1960年に初めて語られたお父様の「造語」ということだった。
その侍さんのブログでお父様が語られた最初の「独生女」も記されていました。日付からは1960年3月の「子羊の婚宴」後の統一教会創立7周年のときの日曜礼拝説教のようです。
今話題の「独生子・独生女」論
では、お父様のみ言で「独生女」と語られた内容はあるのか?また、初めて語られたのはいつかというものを確認していきたい。実は、「独生女」は1960年5月1日(日)に初めて語られた。マルスム選集9巻p149にそのことが書かれている。
「幸福な人とは神様が願われ、望まれる一番貴いものを私のものとして造れる者ということを。その貴いものとは何か?神様を父として、神様の独生子を父として、神様の 独生女 を母として迎えることができることです。その独生子は父であると同時に時代的に見れば、新郎格です。また、神様の代身で罪悪の人間達を救援すべき立場に立っていると見れば、息子格です。その方は歴史上の全ての存在が願った方であり、摂理的な全体の目的を成す望みの中心です。その方を探すために神様は6千年間、悲痛な歴史を歩まれてこられ、今まで来ては行かれた数多くの我々の先祖と聖徒達もすべてその方を探すために苦労されたのです。そのような貴い方、お一人しかいない方 (独生女) を皆さんが侍ることが出来たならば、どれほど福でしょうか?
その貴い方が皆さんのものになるとするならば、どれほど幸福でしょうか?それ以上の幸福なことがありません。そのようなことが為される (「試される」?) とすれば、お金が問題ではありません。体が問題ではありません。三千里半島が問題ではありません。世界の大地が問題ではありません。 その貴いものを皆さんが知りましたか?わからなければ、知らなければなりません。貴いものを知ろうとすれば、貴いその内容を知らなければなりません。偽りが多いためです。ダイヤモンドが貴いので偽物が多いです。偽物が多いので最後の日には偽キリストを注意しなさいと言われました。」
このように見てくれば、「独生女」の発祥はお父様のみ言ということになります。kimuchi氏、これに間違いがないと思われますので記事の訂正をお願いします。
次に、その記事の引用(以下)ソン・デオ博士のコメントからですが、
……
既に、お父様が「原罪なく生まれた」ということが前提となってこそ、イエス様から再臨主の使命を受け継ぐ資格があるのです。お父様に原罪があり、それを解決するためにお父様が16歳まで戦ったとかどうしたとか、道を磨いて原罪を脱いだとか、そのような論理はありえません。
言い換えれば、お父様のみ言葉をもう一度見ると、いつ、アダムが堕落したのか、
16歳の時に堕落したとされています。それでは、生まれてから16歳の時までは、アダムは神様の主管圏内にいたということです。それのどこに原罪がありますか。お父様が16歳の時、お父様がイエス様から再臨主の使命を受け継いだということが、そういうことです。16歳までは、お父様も生まれてから原罪なく育った上に、再臨主の位置を引き継がれたのです。
それが、何、科学的にDNAを持って話して見なさいとか、科学的に原罪がないことを証明してみろとか、そのようなことを言って騒ぐ人がいますが、話にならない話です。 ですから、私はこのようなお父様の血統に関するお父様のみ言葉が、二面性を帯びたみ言葉を語られたと、原理的に説明できなかったり、理解できない部分が全くないということです。それを理解して説明できない人は、原理に関する理解度がなかったり、無知だったりするのです。ところで、この問題に関して、原理原則を投げ出し文字主義に陥ってお父様のみ言葉を解釈しながら、原罪がないとは言えないというふうにごまかしてはいけません。
そんな言葉で、最近では変なことにお母様に関連付けて、重複して、私たちに耐えきれないことまで起きているので、いったいどうしようというのでしょうか。ですから、識字憂患を作ってはならないと、ある線で原理的に整理しておけばよいのではないでしょうか。
また、原理講論に限界があり不足している、そのようなことまで言っていますが、原理解説を出版する時も、お父様が将来、より多くの啓示の新しいみ言葉を明らかにされることを前提にしながら出版すると総序に明らかに言及されており、原理講論の総序にも同じ意味のみ言葉が記録されているではありませんか。原理講論の総序を読んでみてください。お父様がその時までに明らかにされたみ言葉を弟子たちが記録したものが原理講論であるとされています。
ならば、原理講論の発刊後にお父様が多くのみ言葉を語られましたが、そして最後には本体論をあれほどまでに強調されたではありませんか。ところが今、その本体論はどのように整理されているのか、誰にも分からなくなってしまいました。そのようなことが、より深刻な問題です。それほどまでに、摂理の進展に応じて出てきた基本的な経典である原理講論をとんでもない観点から卑下したり、文句的な枝葉末端問題として傷をつける試みはあってはならないことです。
あれこれを見て、この時間、金ジンチュン博士にお願いしたいことがありますが、あまりにもこのようなことを、み言葉の回数がどうであれ、またお父様のみ言葉を文字的に最後まで分析してみるとこうだとかああだとかという話をこのように続けてすることが、果たして私たちの信仰と今後の未来世代のためになっているのかということを深く考えて見るのはどうかという思いを打ち明けながら、今日はここまでに致します。
上記の水色マーカーについてですが、ソン・デオ博士の原理理解の程度が如実に伺い知ることが出来ました。
> 言い換えれば、お父様のみ言葉をもう一度見ると、いつ、アダムが堕落したのか、
> 生まれてから16歳の時までは、アダムは神様の主管圏内にいたということです。それのどこに原罪がありますか。
これからは、ソン・デオ博士が成長期間の間接・直接主管圏というものがまったく理解できていないことが伺えました。
間接主管圏では神様が直接主管されることなく原理結果主管、天使長らが教育係をしていました。
ところが、その期間に堕落したのでした。
> お父様が16歳の時、お父様がイエス様から再臨主の使命を受け継いだということが、そういうことです。16歳までは、お父様も生まれてから原罪なく育った上に、再臨主の位置を引き継がれたのです。
前述から間接主管圏にサタンが侵入して来ました。間接主管圏、16歳の時までお父様も神様の主管圏内にいた、などデタラメもいいところです(笑。経歴に「汚点が大」ですね。)
> ですから、私はこのようなお父様の血統に関するお父様のみ言葉が、二面性を帯びたみ言葉を語られたと、原理的に説明できなかったり、理解できない部分が全くないということです。それを理解して説明できない人は、原理に関する理解度がなかったり、無知だったりするのです。ところで、この問題に関して、原理原則を投げ出し文字主義に陥ってお父様のみ言葉を解釈しながら、原罪がないとは言えないというふうにごまかしてはいけません。
ソン・デオ博士ご自身のことを語っておられるとしか言いようがありませんね。
したがって、結果的には引用冒頭(以下)のそれもまったくもって信ぴょう性を欠いたものということです。
> 既に、お父様が「原罪なく生まれた」ということが前提となってこそ、イエス様から再臨主の使命を受け継ぐ資格があるのです。お父様に原罪があり、それを解決するためにお父様が16歳まで戦ったとかどうしたとか、道を磨いて原罪を脱いだとか、そのような論理はありえません。
次に、黄マーカーは原理講論に関するものですが、原理講論を捨てたUCIグループ(三男派)がその原理講論を語るとは、到底信じられないものでした。
> 原理講論に限界があり不足している、そのようなことまで言っていますが、原理解説を出版する時も、お父様が将来、より多くの啓示の新しいみ言葉を明らかにされることを前提にしながら出版すると総序に明らかに言及されており、原理講論の総序にも同じ意味のみ言葉が記録されているではありませんか。
では、原理講論の限界、本質的に見てその限界や不足しているものとは何でしょうか?
「原理講論」の著書名が指し示すごとく、あくまでも「原理」です。
間接主管圏(原理結果主管圏)のそれまでしか紹介していません。それ以降が書かれていないというのです。分かりますか?
そのことが堕落論の「第三節 愛の力と原理の力および信仰のための戒め」のところでも書かれています。
「原理本体論」にしても然りです。本体論の講師は、任された責任上その講義の担当をしましたが、実際のところその「原理」は理解しても「本体論」までは分からずにサンクへ行ってしまいました。
[Book紹介] 原理に関する み言の証(史吉子/著、2013年5月28日 発行)
から、
以下もまた、過去記事からの参考文章。
Family 2009年1月号のお父様のみ言『「原理本体論」について」』(2008.8.31 天正宮博物館での訓読会で)からの一部である。
サンクに行かれた原理本体論の講師の方も講義をされながら、結果的にはその本体(実体)が真の父母様であられることを悟ることが出来なかったようだ。
【追記】
原理講論にも無知蒙昧なソン・デオ博士同様、韓国の6000双婦人が何だというのですか?

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