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このような意味で、上の御言の終盤は、成さなければならなかった内容とが、一緒に語られているとみることができるのではないでしょうか。とあるように一世が失敗し、二世がその後を継承して摂理を担当しているかのようだ。
(お父様のみ言は省略)
まず、
「イスラエルの国とユダヤ教がマリヤに侍り、民と教会を一つにしてメシヤのための宮殿を建てて万全の準備をしなければならないにもかかわらず、イエス様は馬小屋で生まれなければならなかったということは、どれほど悲惨なことでしょうか? 」
とあります。本来は、全イスラエルとユダヤ教が一つになって、宮殿を建てて、マリヤを守り、イエス様が生まれる万全の準備をなさなければならなかったとのことです。
次に、
「地上で新婦を準備しなければならないのです。」
「洗礼ヨハネの母のエリサベツとマリヤが協助しなければならなかったのです。レアとその母親が一つになってラケルを助けるようにです。
マリヤはレアの立場に立ち、エリサベツは母親を代身した立場で蕩減しなければなりません。そうして一つとなって、来られるイエス様の世界的な新婦を迎えるのです。これがラケルと同じ立場になるのです。」
とあります。すでに確認したことですが、イエス様の新婦を直接的に準備する立場にいたのが、マリヤとエリサベツでした。
そして、
「母親達がその責任を果たせなかったのです。もしエリサベツとマリヤが一つになっていたならば、イエス様の相対が立ったとしたならば、すべてが一つになっていたはずです。自然に一つになれるのです。何の話か分かりますか? 」
「それではザカリヤとエリサベツが一つになって、またマリヤと一つになってイエス様が結婚していたならばどうなっていたでしょうか?」
「このように、復帰歴史は困難なのです。もしイエス様が結婚していたならば、イエス様は死んだでしょうか、死ななかったでしょうか?」
とあります。 エリサベツとマリヤはイエス様の新婦を準備することはできませんでした。
また、
「ヨセフの父親や洗礼ヨハネの父親が協助して、その息子も全部が協助していたならば、家庭は伝道する必要もなかったのです。そして、家庭的に継承していけば天国が既に成されていたのです。」
とありますから、ザカリヤ家庭とヨセフ家庭、しいてはその氏族が協助する立場に立っていたならば、イエス様は伝道する必要もなく、その氏族の基盤の上に天国が形成されていくはずでした。このことに関連して、文先生は、上の御言とは別に、次のように言っておられます。
「イエス様が恨みに思ったのは何かと言えば、洗礼ヨハネのザカリヤ家庭とヨセフ家庭が一つになって氏族的責任を果たせないためにイエス様がひっかかったことであります。それを復帰時代において、ある氏族が神の前に解放してあげなければ、イエス様の行く道はないのであります。」
(祝福3号 P174 勝恨日のみことば 1974年5月1日 本部教会)
イエス様の恨みは、
「洗礼ヨハネのザカリヤ家庭とヨセフ家庭が一つになって氏族的責任を果たせないためにイエス様がひっかかったこと」
と言っておられます。
それを
「ある氏族が神の前に解放してあげなければ、イエス様の行く道はない」
とも言っておられます。
イエス様の恨みを解放できるような人、ましてや家庭・氏族など、一体どこにいたというのでしょうか。
文先生以外に。
では、一体どうやって
「ザカリヤ家庭とヨセフ家庭が一つになって」 果たすべきであった 「氏族的責任」 を成たされたのでしょうか。
キリスト教基盤喪失後の文先生は、いったんイエス様のときと同様、最悪の状況下に陥り、そのどん底からまず目指したものは何だったのでしょうか。
ザカリヤの立場に立ち、真のアダムのための環境形成を図ることを抜きに、塞がった救援摂理の道を開く方法は他にあったのでしょうか。
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