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2018.06.21
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師観氏の意見を百や千並べたところで何の価値もない。いつまでそれを繰り返されるのか?
自称「古参の食口」がお父様のみ言も語らずば、その香りも漂って来ない。
以下に師観氏の記事引用

ご父母様の原罪のことに関する考察
http://katsuwatanabe.blog.fc2.com/blog-entry-377.html
​ある人が次のような意見を述べました:

ご父母様の原罪のことについてですが、もう本当にざっくりと言ってしまえば、サタンが讒訴する条件が成立しない 状況が整えば、無原罪のメシヤが誕生するわけです。



これに対する師観のコメント:

・文教主がどうして無原罪で生まれることが出来たかについては、すでに7つぐらいの項目を以前の日記で挙げておきました。

その中で、イエスの時代にすでに複雑な血統転換の摂理が終了して、イエスが無原罪で誕生しているので、再臨の時代にはもうそのような過程を繰り返す必要がないというのがあります。これを採用すると、複数のメシア候補が可能になります。

アボジが初めて日本に来た時に、語られたみ言葉の中に、自分も含めて7人のメシア候補がいたという。

韓国の権威のある宗教雑誌ではメシアを名乗る人物が50名もいるという。同様に、メシアの妻になる方もこの説を採用すると無原罪になりうるハ-ドルが低くなるでしょう。

そうすれば、目くじらを立てて、誰が原罪があるかないかで大げさに騒ぎたてる必要はなくなるでしょう。

但し、TMのみが生まれながら無原罪の独生女で、TFは彼女に出会って無原罪になったというと韓国の教会責任者たちにも手に負えなくなり、物議が生じ、澤田氏みたいな人達が抗議に本部に押し寄せて来るでしょう。​​

​「その中で、イエスの時代にすでに複雑な血統転換の摂理が終了して、イエスが無原罪で誕生しているので、再臨の時代にはもうそのような過程を繰り返す必要がないというのがあります。」​ は「独生子」でなくとも「独生女」にも当てはめられ得る内容だ。
ところが、それらは原理講論には書かれていないものであり、師観氏は新しい原理(非原理)を語っておられるのではないか。

これに関しては、原理講論にはしっかりと書かれたものがある(P.440~)。
(二)縦的な蕩減条件と横的な蕩減復帰

​​ 復帰摂理のみ旨を担当した中心人物は、自分が立たせられるまでの摂理路程において、自分と同じ使命を担当した人物たちが、立てようとしたすべての蕩減条件を、自分を中心として、一時に蕩減復帰しなければ、彼らの使命を継承し、完遂することができないのである。したがって、このような人物が、また、その使命を完遂できなかったときには、彼が立てようとした蕩減条件は、その次に彼の代理使命者として来る人物が立てなければならない蕩減条件として、その人物に引き渡されるのである。このように、復帰摂理路程において、その摂理を担当した人物たちがその責任を果たせなかったことから、歴史的に加重されてきた条件を、縦的な蕩減条件といい、このようなすべての条件を、ある特定の使命者を中心として一時に蕩減復帰することを、横的な蕩減復帰というのである。
 例を挙げれば、アブラハムがその使命を完遂するためには、アダムの家庭と、ノアの家庭が立てようとしたすべての縦的な蕩減条件を、一時に横的に蕩減復帰しなければならなかった。ゆえに、アブラハムが、三つの供え物を一つの祭壇に置いて、一時に献祭したのは、アダムからノア、アブラハムと三段階にわたって延長されてきた縦的な蕩減条件を、アブラハムの献祭を中心として、一時に、横的に蕩減復帰するためであったのである。したがって、その三つの供え物は、既に、アダムとノアが立て損なったいろいろの条件と、またアブラハムが中心となって立てようとしたすべての条件を象徴するのである。
 そうして、ヤコブは、ノアから彼自身に至るまでの十二代の縦的な蕩減条件を、一時に、横的に蕩減復帰する条件を立てなければならなかったので、十二人の子供を立て、十二部族に殖やしていったのである。 同じく、イエスもやはり、四〇〇〇年摂理歴史路程において、復帰摂理を担当してきた数多くの預言者たちが残しておいた縦的蕩減条件を、彼自身を中心として、一時に、横的に蕩減復帰なさらなければならなかったのである。
 例を挙げれば、イエスが、十二弟子と七十人門徒を立てられたということは、十二子息と七十人家族を中心として摂理されたヤコブの路程と、十二部族と七十長老を中心として摂理されたモーセの路程などの、縦的な蕩減条件を、イエスを中心として、一時に横的に蕩減復帰なさるためであったのである。また、イエスが四十日断食祈祷をされたのは、復帰摂理路程において、何回も繰り返された「信仰基台」を立てるのに必要とされる「四十日サタン分立」のすべての縦的な蕩減条件を、イエスを中心として、一時に、横的に蕩減復帰なさるためであったのである。 ​このような意味から見るとき、復帰摂理を担当した人物は、単に一個人としてだけではなく、彼に先立って、同一の使命を負ってきたすべての預言者、烈士たちの再現体であり、また、彼らの歴史的な結実体であるということを知ることができるのである。​​​
再臨主といえどもこの原理原則を逃れることは出来ない。
イエス様の使命継承するためにはその蕩減条件は必須と書かれていた。故に、お父様はすんなりとその使命を引き受けたわけではなかった。

また、師観氏は再臨主候補について7名いた。また、50名とも書いている。

6) 終末に起こる霊的現象 ​​​​

 ……
終末には、「あなたは主である」という啓示を受ける人たちが多く現れる。しばしば、このような人たちは、自分が再臨主であると考えて、正しい道を探していくことのできない場合が多いが 、……アダムとエバが堕落する直前の立場と同一の心霊基準に達すれば、神が彼らに被造世界の主になれと祝福なさった、その立場を復帰したという意味から、「あなたは主である」という啓示を下さるのである。
 終末に入って、このように、「主」という啓示を受ける程度に、信仰が篤実な聖徒たちは、イエスの当時に、主の道をまっすぐにするための使命をもってきた洗礼ヨハネと、同一の立場に立つようになる(ヨハネ一・23)。……。
霊通者が、「あなたは主である」という啓示を受けたとき、このような原理的な事情を知らずに、自分が再臨主だと思って行動すれば、彼は必ず、偽キリストの立場に立つようになる 。終末に、偽キリストが多く現れると預言された理由もここにある。……。
 ……神は各自をして復帰摂理の目的を達成させるに当たって、彼らが各自最善を尽くすように激励なさるため、「あなたが一番である」という啓示を下さるので、横的な衝突を免れなくなる。また、 彼が担当した部分的な使命分野においては、事実上、彼が一番であるために、このような啓示を下さることもある。
​​​​

また、「予定論」で復帰摂理の中心人物となり得る条件についても書かれていた(P.245~)。
第三節 人間に対する予定

​​​​  アダムとエバが、善悪を知る果を取って食べるなと言われた神のみ言を守り、自分たちの責任分担を果たしたならば、善の人間始祖となることができたのであった。したがって、神はアダムとエバが人間始祖となることを、絶対的なものとして予定なさることはできないのである。ゆえに、堕落した人間も、それ自身の責任分担を果たして、初めて神が予定された人物となることができるのであるから、神は彼らがいかなる人物になるかということを、絶対的なものとして予定なさることはできないのである。
 では、神は人間をどの程度にまで予定なさるのだろうか。ある人物を中心とした神の「み旨成就」においては、人間自身があくまでもその責任分担を果たさなければならないという、必須的な要件がついている。つまり、 神がある人物を、ある使命者として予定されるに当たっても、その予定のための九五パーセントの神の責任分担に対して、五パーセントの人間の責任分担の遂行を合わせて、その人物を中心とした「み旨」が一〇〇パーセント完成する、というかたちで、初めてその中心人物となれるように予定されるのである。それゆえ、その人物が自分の責任分担を全うしなければ、神が予定されたとおりの人物となることはできないのである。
 例を挙げれば、……。
 つぎに、 ​神の予定において、復帰摂理の中心人物となり得る条件はいかなるものであるか​ ということについて調べてみることにしよう。神の救いの摂理の目的は、堕落した被造世界を、創造本然の世界へと完全に復帰することにある。ゆえに、その時機の差はあっても、堕落人間はだれでもみな、救いを受けるように予定されているのである(ペテロⅡ三・9)。ところが、 神の創造がそうであるように、神の再創造摂理である救いの摂理も、一時に成し遂げるわけにはいかない。一つから始まって、次第に、全体的に広められていくのである。神の摂理が、すべてこのようになっているので、救いの摂理のための予定においても、まず、その中心人物を予定して召命されるのである。
 それでは、このように、召命を受けた中心人物は、いかなる条件を備えるべきであろうか。彼はまず、復帰摂理を担当した選民の一人として生まれなければならない。同じ選民の中でも、善なる功績が多い祖先の子孫でなければならない。同じ程度に善の功績が多い祖先の子孫であっても、その個体がみ旨を成就するのに必要な天稟を先天的にもつべきであり、また、同じく天稟をもった人間であっても、このための後天的な条件がみな具備されていなければならない。さらに、後天的な条件までが同じく具備された人物の中でも、より天が必要とする時機と場所に適合する個体を先に選ばれるのである。​​​

『師観氏、お父様の「独生女」も語らずのデマ記事!!』、原理でない非原理をも語っておられるようだ。
その子供に悪いことを教える父母がいるであろうか。その子弟を不義に導く教師がいるであろうか。だれしも悪を憎み、善を立てようとするのは、万人共通の本心の発露なのである。
「古参の食口」が、後輩食口たちや二世たち悪いことを教えてよい、いうのか?



一休さんのような機知(トンチ)ではありません。

奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵

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Last updated  2018.06.21 00:43:28
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