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(省 略)これらはお母様がというよりは、「メモ書き」やどこかのヒソヒソ話の動画がという経緯で拡散してきたものであり、実際の話がどうであったかは分からない。
私は生きている間に再臨主様に出会えたゆえ、私は何でも出来ぬことはない。 「私は死ぬとしてもこの道を行かなければならず、死んでからもこの道を行きます」 と誓い進んだ道です。アボニムのみ言は本当に威力があり、私を統一原理に気が狂ったようにさせました。
しかしある日、晴天の霹靂のような言葉が聞こえて来ました。韓オモニムは「私は原罪がなく腹中で出生する時から3代が清い純潔で出生されたが、アボニムは原罪と共に出生された」と言いました。どんなに理解しようとしても理解が出来ず、数日に渡り苦痛の中、身もだえしました。私の信仰的良心では受け入れることが出来ませんでした。
「私はメシアであり、母の神様だ」と言う言葉も理解出来ません。「二千年キリスト教が独生女である私を待っていた」という言葉をキリスト教徒達が聞いたら笑ってしまうでしょう。
無理やりに信じることは出来ません。
女性はメシア、再臨主になることは出来ないと見ます。

三人目のアダムが堕落前のアダムとして来て、堕落前のエバを捜し出さなければなりません。堕落していないエバを捜し出して、子羊の宴会をしなければなりません。結婚して人類の父母となるのです。
アブラハム家庭では、アブラハムからイサク、ヤコブと三代で一つの勝利基準を立てたように、アダムからイエス様、再臨主と三番目であり天側からは必ずみ旨を成就しなければならない。
サタン屈伏の典型的路程(P.342~)として「イエスの典型路程としてヤコブ路程とモーセ路程を立てられた」のであり、「ヤコブ路程を見本として歩いたモーセ路程とイエス路程」であった。
特には、イエスの継承的路程と歩んだモーセであったが最後はカナンへ入ることは出来ず、ヨシュアがモーセの後を引き継いで入っていった。
同様にして、実体路程のイエス自身もイスラエルの不信によって使命途上で十字架に架けられた。ために再臨を約束されていかれたのであった。その再臨主もまたヨシュアのような立場であり、イエスの使命を継承した場で「再臨主」として立つことができるということだ。
16歳の復活節のときがそれだった。原理講論と矛盾することは何もない。
初臨の時のように「聖母○○から生まれになられる」、といった因習的・旧態を脱け出られない信仰態度を私たちは捨てなければならない。


一休さんのような機知(トンチ)ではありません。
奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵
世界平和を願う 奇知の外の凡人
が徒然なるがままに書く日記です。
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