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二代王:「天聖経は1290ページ」は英語訳の黒・天聖経のページ。
最後の訓読です。天聖經は1290ページです。
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愛の器官をいい加減に扱えば罰を受けるようになっています。それが愛の王宮であり愛の庭であり愛の先祖です。
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愛の器官をむやみに扱えば、罰を受けるようになっています。それが愛の王宮であり、愛の先祖の園です。愛は、そこから出発しました。生命がそこから出発しました。歴史がそこから出発しました。地上天国の起源であり、天上天国の起源であり、神様の幸福の出発の起源が、そこで形成されるというのです。
神様の笑いの土台がそこから出発します。愛を見つけて、神様が踊ることができる場が、その場です。その場を探していかなければなりません。それは正しいですか、違いますか。このように貴いものです。
原罪のある悪の父母が、原罪のない善の子女を生むことはできない。したがって、 この善の父母が、堕落人間たちの中にいるはずはない。それゆえに、善の父母は、天から降臨されなければならないのであるが、そのために来られた方こそがイエスであった。彼女はサンクメンバーを聖書に向けさせることで、原理講論や八大教材教本、特には「真の父母様」への 絶対信仰・絶対愛・絶対服従 から目をはぐらかそう(隠そう)としているようだ。
……
ところで、父は一人でどうして子女を生むことができるだろうか。堕落した子女を、善の子女として、新たに生み直してくださるためには、 真の父と共に、真の母がいなければならない。 罪悪の子女たちを新たに生んでくださるために、 真の母として来られた方が、まさしく聖霊である。 ゆえに、イエスはニコデモに、聖霊によって新たに生まれなければ、神の国に入ることができない(ヨハネ三・5)と言われたのである。
……
このように、 聖霊は真の母として、また後のエバとして来られた方であるので、聖霊を女性神 であると啓示を受ける人が多い。すなわち聖霊は女性神であられるので、聖霊を受けなくては、イエスの前に新婦として立つことができない。また、聖霊は慰労と感動の働きをなさるのであり(コリントⅠ一二・3)、エバが犯した罪を蕩減復帰されるので、罪の悔い改めの業をしなければならないのである。さらに、 イエスは男性であられるので、天(陽)において、また、聖霊は女性であられるので、地(陰)において、業(役事)をなさるのである。
……
イエスは、後のアダム(コリントⅠ一五・45)として、生命の木の使命をもって(黙二二・14)人類の真の父として来られたのである。このように考えてくると、ここに 後のエバとして、善悪を知る木の使命をもった人類の真の母が(黙二二・17)、当然いなければならない ということになる。これがすなわち、 堕落した人間を、再び生んでくださる真の母として来られる聖霊 なのである。
③ イエスと聖霊による霊的重生
父母の愛がなくては、新たな命が生まれることはできない。 それゆえ、我々がコリントⅠ一二章3節に記録されているみ言のように、聖霊の感動によって、イエスを救い主として信じるようになれば、霊的な真の父であるイエスと、霊的な真の母である聖霊との授受作用によって生ずる霊的な真の父母の愛を受けるようになる。そうすればここで、彼を信じる信徒たちは、その愛によって新たな命が注入され、新しい霊的自我に重生されるのである。 これを霊的重生という。 ところが、 人間は霊肉共に堕落したので、なお、肉的重生を受けることによって、原罪を清算しなければならないのである。イエスは、人間の肉的重生による肉的救いのため、必然的に、再臨されるようになるのである。
イエスは男性であられるので、天(陽)において、また、聖霊は女性であられるので、地(陰)において、業(役事)をなさるのである。夜・昼の神様については、原理講論からも類推することが出来る。
一休さんのような機知(トンチ)ではありません。
奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵
世界平和を願う 奇知の外の凡人
が徒然なるがままに書く日記です。
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