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2025.06.01
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真のご父母様の御言
天一国三年(二〇〇三年)一月一日、韓国・天宙清平修練苑 天城旺臨宮殿 大聖殿
​第三十六回「真の神の日」午前零時の御言​
このみ言は、今年一月一日、第三十六回「真の神の日」の午前零時を迎えて、真のご父母様が天宙清平修錬苑の天城旺臨宮殿大聖殿で祈祷された祝祷とみ言を翻訳し、編集、整理したものです。
(文責・編集部)



​  午前零時の祈祷​
 天のお父様。新たに「天一国」三年を迎えました。 昨年、「天地父母の理想である自由、平和、幸福の天一国安康」を設定した一年の忙しい日程を、あなたのご加護の中で終えました。
 きょう、新しい年を迎え、元旦の標語として、「真の愛で、私たちの家庭は、天一国の孝子、忠臣、聖人、 聖子の真の家庭を完成させます」という標題を立て、 今年一年において、すべての家庭と天上の家庭が定着して、完全を成すことができ、真の父母、真の師、真の主人と、真の王を中心とした、天地の統一的な真の父母の伝統を受け継いで、新しい一年を出発いたします。

 万福の根源であられるお父様!
 地上に真の父母を送られて、多くの恨の時を傷減させ、今や、天と地が、共に水平線に立つことができる 「天上・地上和合統一大会」とともに、「天上・地上平和統一解放聖火式」を成し、それを終えた後に、天地父母平和統一平定時代を迎えるようになりました。
 天と地が、共に一体理想を中心として、個人から天宙まで、水平的基準において、一つの目的に向かって前進しなければなりません。
​​ そうして、個人完成を中心として、心と体が一つになり、一心、一体、一念を中心として和することのできる一和の実体を中心として、天が願った相対的理想を完成するためには、愛の理想のために絶対に必要な対象的基準として創造されたアダムとエバを中心として、無形の天の国の父母 (※天の父母様) と、有形の実体である父母 (※真の父母様) が一心、一体、一念、一和の統一的基準を中心として、 愛の理想相対を持たなければなりません。​​
 そうしなければ、絶対愛、唯一愛、不変の愛、永遠の愛、神様の属性の主流的理想の目的を完成することはできません。
 ですから、この愛の対象を何よりも貴く思い、あなたの絶対的願いであり、絶対的希望であり、絶対的所願である絶対信仰を標準として、真の愛の前に高貴な希望を抱くと同時に、その高貴な希望を完成しなければならないのです。
 そのために、神様ご自身が、ごく小さなものから大きなものまで、全体に対して投入なさり、概念さえもご自身に残されることなく、投入なさっては、また投入され、また投入されながら、高貴な愛の理想圏を残されました。
​ その中で、愛の相対、対象圏であるアダムとエバの実体を中心として、無形の実体であられる神様が、有形の実体圏を成すために、アダムに対してすべてのものを施されました。そうして、アダム創造とともに、 アダムに似せてエバを創造され、実体的性相と形状の実体圏を中心とした夫婦の因縁を備えて、第三代の息子、娘を願われたのです。​
 しかし、その創造理想が、私たち人類の始祖の堕落によって、完全にみ旨を成し遂げることができなくなり、偽りの父母、偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統を中心とした、天と反対となるサタンを中心とした血縁を持つことによって、その世界に神様が介在なさることができずに孤独単身の立場に立たれるようになりました。
​​ これを再び創造し直して、その創造理想を成就するまで、長久な歳月を苦労してこられた 天の父母 がいらっしゃったということを、人類は知りませんでした。​ ​​
 この霊界の秘密と実体世界の秘密を、真の父母を通して明らかにし、サタンがサタンとなった根本の由来と、サタンが神様の愛の怨讐である姦夫の立場に立ったという爆弾宣言をすることによって、サタンの行く道がふさがれ、個人的な勝利の本性的基準を取り戻すことができるようになりました。
 心と体の一体、一念の一体、一和の一体を備えられた神様ご自身が、アダムの実体に対して、すべてを投入なさることによって、実体的形状の父母を持つことを願われ、そのためにアダムを創られ、その中からエバを抜き出し、相対的立場で性相と形状を中心として、 そこで陰と陽を分別して、四方を備えることのできる父子の家庭を目標とした実体定着地を願われたのですが、その理想が、今まで成し遂げられませんでした。 それが、真の父母が来て、この全体を解明し、すべてのことを明らかにすることによって、サタンの道を個人で防御し、家庭、氏族、民族、国家、天宙で防御して、国家基準において自由に駆け巡りながら、天に反対したこの勢力圏を反対方向に向きを変えさせることのできる新しい歴史的な起源を準備し、神様王権樹立とともに、天地父母安着生活圏を中心とした基盤を造るようになりました。
 その上に、「天上,地上平和統一解放聖火式」とともに、天地父母平和統一平準平和時代の基準を設定するようになったのです。
 そのことによって、この地上に、地域的な、あるいは一つの村落を中心として、その村落で生まれた先祖たちと、そこに生まれた忠臣、烈女、孝子たちが残したすべてのものと、そこに聖人、聖子が現れていたならば、彼らを一体化させ、宗教圏の宗主たちを中心として、忠、孝、烈を中心として、天に至誠を尽くした孝心を備えた彼らとともに、善なる先祖を動員して、 地上に再臨させて、すべての個人的な失敗圏を蕩減復帰し、アベルを中心として長子権を復帰した基準において、天の王権とともに、太平聖代(優れた天子が治める太平の時代)を成すことのできる平定化時代を迎えました。
 そのように、地上において、個人から天宙まで、サタンの妨害のない解放圏として結束させることのできる、自由統一の世界を迎えるようにしてくださった恩賜を、お父様、心から感謝申し上げます。
 そのような基準において、真の愛で、私たちの家庭は、 天一国の孝子の家庭であり、忠臣の家庭であり、聖人の家庭であり、聖子の家庭であり、それを備えて、天地父母、真なる父母と、真なる師と、真なる主人と、真なる王権を立てるための新しい出発を、二〇〇三年、この天一国三年を迎えるこの日において、宣布することができる日を迎えるようになったことを感謝いたします。
 元旦とともに、今年の標語が、万国万世の統一的な意味において、勝利と栄光の称賛をもたらすことができるよう、霊界と肉界が一体化するようにしてくださり、前進的な勝利の成果を備え、天には栄光、地上には栄華の統一的勝利の地上天国、天上天国の解放の時として、前進、前進、前進を誓うようにしてくださったことを感謝申し上げます。
 万世に、太平聖代の王の中の王となられ、自らの主張どおりにすることができる天地となるように、天上天国と地上天国となるように許諾してくださいますように。
 このすべてのことを奉ることのできる、私たち祝福中心家庭が主人となり、(天宙の)王権に侍ることのできる本然の家庭が出現することによって、全天宙の解放的勝利の万歳をお父様にお返しすることができる時代を迎えるようにしてくださったので、行く道、来る道、 留まるすべての道に、勝利と栄光が永久に満ちあふれ、 万世の勝利の太平聖代の国となさしめてくださり、王の中の王として、永遠に自らの主張どおりにすることができる勝利の天国の伝統が打ち立てられますように。
 そのような伝統が、きょう、この時間から出発することを願いながら、真の父母の懇切な心と、精誠を尽くしたすべての心をもって、天地に宣布いたします。 アーメン。アーメン。アーメン。
(真のお父様が、年頭標語「참사랑으로 우리家庭은 天一国의孝子忠臣聖人聖子 의참家庭 을完成 하소서 をほ恋される。) 





​み言​
 今年の標語が、何ですか?  真の愛で? (「私たちの家庭は……。」)「私たちの家庭は、天一国の孝子、忠臣、聖人、聖子の真の家庭を完成させます」です。これには、神様の創造理想のすべてが入っています。
 個人的に、家庭的に、氏族、民族、国家、全体が、 この真の家庭を中心とする孝子の伝統を受け継ぐのが忠臣であり、忠臣の伝統を受け継ぐのが聖人であり、 聖人の伝統を受け継ぐのが聖子であり、そのようにして聖子の伝統を受け継いで、王圏が成立するのです。
 ですから、相続というものは、王圏を占有した、その基盤において相続されるのであって、自分が持っている所有権でも、国に属しているものは、すべて否定されるのです。
 それは、あってはならない、いずれにせよ別れなければならない、堕落した世界の、結果的世界のものです。神様が願われない怨讐の血統によって連結され、 汚されたその世界は、神様が、そこに影がかかることも好まれないのです。

 それゆえに、今日、この世界の、すべての悪なる世界というもの、戦争によって数多くの人々が死んでしまい、興亡盛衰を経て、今に至っているものは、神様が管掌(つかさどること。監督して取り扱うこと)なさることができませんでした。

 その反面、再創造においては、失ってしまいはしたものの、本然の基準は残っていたのです。設計したプログラムが残っているので、そのプログラムを中心として、再び、この世界が汚されていない結果の世界として現れることができるように、今まで成してきたのです。
 そのようにして、この世界のごく小さな所から、とても大きな大宇宙に至るまで、再度、これを分別して、 神様が管理なさることができる時代にまで来るということが、どれほど難しかったかということを知らなければなりません。創造の何十倍、何百倍も難しかったということを知らなければなりません。
 神様(の創造)は、アダム家庭を完成すれば、終わります。アダム家庭が完成し、一つの家庭を完成すれば、終わるのです。
 アダム家庭においては、自然に父母を中心として、 父母が息子、娘を生めば、アダム自身はおじいさんになり、おじいさんとなって王になり、天上世界の父母、 実体父母圏を備えるようになります。
​ そうして、“無形の神様が体を持った”立場に立った、 この地上の人類が、地上で完成して霊界に来れば、その霊界に来た実体圏を中心として、真の父母の内的な面、心の世界に、無形の神様が臨在なさるようになるのです。​
​ そのようにして、真の父母と一つになることによって、初めて天上世界に完成の基台を造るようになります。神様と天地父母が一体となって、地上世界と天上世界を主管することができるのであって、それまでは主管することができません。これが創造の原理原則です。​
 ですから、原理原則を離れては、神様のみ旨を成し遂げることができないということは、間違いありません。しかし、サタン世界の血統によって汚されたこの世界を……。
 今の世の中では、キリスト教の先進国が多いといわれていますが、それらの国家は、 神様が建てられた国家ではありません。数多くの国々がありますが、サタンは、国を中心としてサタン世界の権限を立て、個人時代から家庭、氏族、民族、国家形態まで、 天の国の再出発を取り戻してくる道を全面的に妨げるために、 ありとあらゆることをすべてしたのです。
 これが、原理結果主管圈内で堕落し、サタン圏内で堕落したので、サタンが思いどおりにすることができるのです。これは、責任分担を完成して、 愛の理想圏内で、神様と一体圏を備えることができなかった世界であり、それゆえに、すでにごみ箱に捨てることができる存在です。
​ 神様が摂理してこられても、完成する前に堕落したので、責任分担を完成することができる祝福の基準に到達できなかったすべてのものは、くず扱いをして、 サタンが思いどおりにしたのです。​
​ この堕落圏を超えて、初めて世界的基準となり、サタン世界の基準を超えて、初めて神様が干渉なさることができるのです。それを超えるための方便的なものが、歴史上に現れた宗教です。​
神様は、旧約時代、新約時代、成約時代を通して、 主流宗教を立ててこられました。この主流宗教を立てるために、傍系的な宗教として、インドの仏教や中国の儒教、ユーフラテス川流域を中心としたゾロアスタ ―教など、三面の宗教圏を立てたのですが、その中にイエス様が来られて、これをすべて統一しなければなりませんでした。
 ですから、旧約時代、新約時代と、選民がしなければならないことは、その来られる主を真の父母としてお迎えしなければならないということです。真の父母、真の師、 真の主人、真の王としてお迎えしなければならないのです。
 そして、お迎えしてからすべきことは、その父母の前に、 真なる孝子、真なる忠臣、真なる聖人、真なる聖子の道理を果たすということであり、 そのことによって、初めて王権樹立が成されるのです。このようにして侍る息子、娘の権限が、そこまで拡大されれば、その上に立てなければならないのが、天の国の王権です。その王権を立てて、そこに即位することによって、サタン世界はなくならなければなりません。
 それを標準として、今日の宗教圏が現れたのですが、 その宗教圏が願うこととは、何でしょうか?
 神様の故郷と神様の国を失ってしまったのです。神様には、故郷がありません。ですから、宗教圏にいる人々が、神様に治められた環境の中で生まれたとしても、神様が立てようとされた本然の故郷の地で生まれたのではありません。
​ サタンの血族の中で生まれ、個人において心と体が争い、一つになることができていないのです。心と体が一つになるために、 絶対信仰、絶対愛 で、神様の御前に立ち戻ったとしても、それはサタン圏内で成し遂げられたものなので、サタンが思いどおりにすることができるのです。​
​  ですから、(復帰摂理は)しかたなく"打たれて奪ってくる”という作戦を取るのです。 復帰というものは、 死地を何度も越えて行っても反抗することのない立場で、初めて神様が取り戻すことができ、それが個人時代、家庭時代、氏族時代、民族時代、このような過程を経て発展していくのです。​
 ですから、イスラエル民族が行く道は、受難の道となり、彼らは、歴史において受難の民族として、悲惨な民族の歴史を経てきました。
 そして、メシヤが来られるのですが、そのメシヤは、 神様の天国と故郷を取り戻そうとし、国を取り戻そうとされます。しかし、サタン世界の国王権を中心として、四方に広がったサタンの悪主権が中心となり、そのメシヤを跡形もなく、たたきつぶそうとするのです。
 それでも、最後までために生き、死地においても反抗せず、殉教の道も志願して行くことのできる、そのような立場から戻って来るのですが、それが、どれほど悲惨でしょうか?
 また、そのような歴史過程で、数多くの宗教を通して犠牲になった人たちが、どれほど多いかというのです。そのようにして、数億の人たちが犠牲になってきたのは、終わりの日において、堕落していない本然の自らの解放的家庭一つを立てるためなのです。
 皆さんが、堕落圏を抜け出して、サタンが汚した血の実が残っていない、堕落性の影さえもない、きれいな基盤の上に立った息子、娘を再び取り戻さなければならないので、四千年間、準備して、メシヤを送られたのです。メシヤは、宗教世界の王です。
 そのメシヤが来られて、第一イスラエルの旧約時代と新約時代を連結して、そこでイスラエル民族を中心として・・・・・・。
 イスラエルの国はカイン型であり、ユダヤ教はアベル型です。そのカインとアベルが一つになり、父母をお迎えしなければなりません。なぜ、そのようにしなければならないのかというと、エデンの最初の家庭であるアダム家庭において、兄が弟を殺害した歴史があるからです。
 一代の家庭内において、そのような事件があったということは、悲惨な事件の中でも、最も悲惨な事件です。神様が、この事件を元返し、再創造する役事のことをお考えになるとき、それは、声を上げて痛哭するような立場です。
 そのような中で神様は、サタンの前に恥ずかしい姿を見せることができず、耐えて、耐えてこられながら、 天の側に立ち戻ろうという数多くの人々を、すべて犠牲にしてこられたという事実を、皆さんは知らなければなりません。
 個人の完成を標準として闘い、家庭の完成、氏族完成、民族完成を成さなければなりませんでした。これは、イスラエル選民を中心として、イスラエルの国が成立するということです。そのように民族と教会、イスラエルの国とユダヤ教が、カインとアベルの立場で一つになっていたならば、その時に、イエス様が来られてから三年半で成され、七年以内にすべて終わったのです。
 イエス様が、祝福してあげるのです。結婚を間違ったために血統が変わり、偽りの父母が生じたので、偽りの父母が間違ったことは、真の父母の真の愛を中心として・・・・・・。真の愛です。
 真の愛は、神様を中心とした愛に連結されます。そのような真の愛と連結されなければなりません。真の愛と連結された”私たちの家庭”なのです。
 「天一国」では、真の愛を通さなければ、孝子になることもできず、忠臣になることもできません。また、聖人、聖子の道も行くことができず、王圏も求めることができないということを、皆さんは知らなければなりません。分かりますか? (「はい。」)
 今まで、サタン世界は、真の愛ではなく、偽りの愛で・・・・・・。偽りの父母によって、偽りの愛、偽りの生命、 偽りの血統、偽りの家庭を中心として出発したことは、 神様の悲しみの家庭の出発であると同時に、氏族の悲しみ、民族の悲しみ、国家、世界の悲しみです。神様は、それを見詰められながら、これを回復することができる道を捜されて、個人一人を取り戻すためにメシヤを送られたのです。
​ メシヤは、血統を清めたうえで来られたかたです。 そうでしょう?  タマルの役事を見れば分かりますが、 血統を清めて、初めてイエス様が来られて、「わたしは神の独り子」という言葉を語られたのです。「独り子」 という言葉は、歴史上における革命的な述語です。​
 神様を中心としての初めての独り子なので、愛を中心として血統が連結され、父子の関係から夫婦の関係、 子女と・・・・・・。子女から大きくなって夫婦、父母の位置まで失ってしまったので、その失ってしまった父母を、サタンから復帰するためには、個人の心と体が闘うことから復帰してこなければなりません。これを是正して……。
 心と体が一つになることができなければ、統一教会に入って来て、いくら信仰をしたとしても、天国に行くことはできません。闘うところには影があるからです。 皆さんが、ここ(天宙清平修錬苑)で、入籍祝福の修練をするとき、「正午定着」ということを言いました。影があってはいけません。分かりますか?
 皆さんの心と体が一つにならなければ、日の光が照らきされてきたときに、心が高い所にあれば、その高い所から左側に影ができます。体が良心よりも高い所にあれば、その左側から影ができます。ですから、"正午定着”が成されなければなりません。
​ 上、中、下が、完全に垂直に立たなければなりません。いちばん上が何かというと、神様が一代目であられるならば、アダムが二代目で、その子女が三代目ですが、その三代圏が垂直にならなかったのです。神様は、三代を成されませんでした。孫を持つことができなかったのです​
 今まで、そのようなかわいそうな神様であられるということを知りませんでした。私たち人類の先祖であられ、私たちの師の中の師であり、主人の中の主人であり、王の中の王であり、天下の大主宰であられるそのおかたが、このように悲惨な立場に立たれたという事実を、堕落した人類は知りませんでした。知ることができなかったのです。
 真の父母が地上に来て、初めて、罪の根源はこのようなものであったということ、血統的関係が、どの次元で、どのようになったのかということを、詳しく、 明確に知ることによって、(再)創造することができるのです。
 今日、科学の発達した文明世界も、単位を編成して公式を立て、その公式の上に文明が定着します。”公式発達世界”です。しかし、公式が間違えば、すべて崩れていきます。いくら功を尽くしても、少しでも欠陥があれば、問題になるのです。分かりますか?
 皆さん。わたしが、いつも話していることですが、地球は、太陽の周りを一年に一周回ります。しかし、 今、地球の年齢が四十億年から四十七億年といわれていますが、それが四十五億年であるとして、もし、その公転の周期が一年に一秒ずつずれたとすれば、四十五億年の間にどれくらいの差が生じるでしょうか?
 それは、百四十三年もずれるのです。分かりますか? 一年に一秒ずつ誤差が生じたとしても、四十五億年の間には百四十三年もずれてしまうので、そのようになれば、宇宙は完全に破壊されてしまい、なくなってしまわなければなりません。
 そのように緻密で、永遠不変な公式原理の軌道をつくることのできる動機、この世界に、そのようなものをつくることができる動機が何かというと、真の愛です。

 しかし、真の愛の秩序は、それよりももっと徹底しているのです。神様の主流的属性は何かといえば、絶対、唯一、不变、永遠です。それを一度、言ってみてください。(「絶対、唯一、不変、永遠。」)絶対、唯一、 不変、永遠なのです。それが神様の属性です。
 神様の属性は多いのです。目に対する属性、鼻に対する属性、四肢五体の属性がたくさんありますが、その主流的属性の谷間を行く主流コンセプト (概念)が何であるのかというと、愛のコンセプトです。絶対愛、 唯一愛、不変の愛、永遠の愛です。それが真の愛です。
 真の愛は、絶対的でなければなりません。二つはありえません。唯一でなければなりません。そこに、二つはありえないのです。変わることもありえません。 永遠でなければなりません。そのような主体的な愛を中心として、神様がいくら天地創造されるときに・・・・・・。
 皆さんが知っているように、神様が創造のみ業を出発されるとき、何を中心として出発されたのかといえば、真の愛なのです。神様も、真の愛のために存在し始めたのです。真の愛を中心としてです。
 真の愛には、必ず希望、夢がなければなりません。 夢があるでしょう?  皆さんが、生まれたばかりの赤ん坊のときには分かりませんが、だんだんと大きくなれば、男性は女性に対する夢があるというのです。
 その夢の相手がだれなのかといえば、持ち歩いて遊ぶ世の中の物ではなく、家という所有物でもなく、 金でもなく、知識でもなく、権力でもありません。何かといえば、愛の相対です。愛の相対なのです。
 男性は女性を、女性は男性を中心として、一つになることのできる道があるのです。これは、天地が合徳することです。天地が”合徳”し、左右、東西が”合徳”し、 前後が”合徳”するのです。
 それゆえに、皆さんが知らなければならないことは、 存在世界において、“上”という概念がある前に……。「上」という言葉は、「下」を先有条件として認めるのです。分かりますか? “下”という概念を先に認めたうえで言う言葉が、「上」という言葉です。「上」という言葉は、そうです。分かりますか?  "上”というのは、“下”のために生じるのです。
 「男性」という言葉は、女性を先に認めておいて、 女性と絶対に一つになることができるように、永遠に合うように、神様のように絶対属性、唯一属性、不変属性、永遠属性、絶対愛、唯一愛、不変の愛、永遠の愛、そこに合うように願うのです。ですから、愛の理想を訪ね求めていくところにおいてのみ、最高の位置にまで行くことができるのです。
 お金では、争いしかありません。お金では、争いが起きます。”だれが、より多く持っているか?”ということで争うのです。そして、力でも支配しようとし、 それから知識でも、そうです。
 知識でも、有名な学者たちを中心として見てみれば、 思想界の有名な思想体系があれば、"それを原語で読んだのか、翻訳した本を読んだのか?”というのです。 そのような場合には、原語を読まなければなりません。 原語を中心として、その名詞の中で原語を解釈する人が最高なのです。
 ですから、一つでも知っている単語が少なければ、 屈伏しなければなりません。蹴飛ばされてしまいます。 そのような世界には、ために生きる愛がありません。 分かりますか?
 お金も、自分の所有からために生きる観念を見いだすことはできず、政治も、ために生きる観念がありません。滅びます。崩れてしまうのです。知識にも、ために生きる観念がありません。
 しかし、真の愛は、絶対に相対が必要であり、真の愛を中心として願う希望が大きいので、これを神様は、 真の愛の動機は宇宙とともに・・・・・・。宇宙がなくなっても、真の愛はなくなりません。
 真の愛を中心として、高い標準を中心として、それをしておいてから、これを成そうとするので、小さな所から始まって、永遠に補給しては忘れ、補給しては忘れてしまわなければなりません。百与えて百覚えていれば、百を投入しても、それで終わります。無限に投入しても、また投入するという、このような考え方を持って発展することができる道というものは、真の愛の道しかありません。

  真の愛です。言ってみてください。(「真の愛。」)(拍手)

 ですから、真の愛の家庭は、神様の創造理想のモデルです。それでは、真の愛の家庭は、何をしなければならないのでしょうか?  家庭において孝子にならなければなりません。
 考えてみてください。三対象目的、四位基台というものが、私たちの鉄則です。おじいさんとおばあさん、 お父さんとお母さん、自分たち夫婦、息子、娘、それで八数です。そして、アダム家庭にも、三人の息子を中心として、その相対まで入れて八数であり、ノア家庭も八数に合わせるのです。八段階を超えていかなければならないのです。
 ですから、これが四位基台、三代を通して孫を連結させなければ、八数になりません。
 それでは、アダムとエバは、堕落した後に追い出されたのでしょうか、堕落する前に赤ん坊を生んでから追い出されたのでしょうか?  それは、だれもが「堕落してから追い出された。」と言うのです。ですから、彼らの結婚式を、だれがしてあげたのかということです。
​ 男性と女性の性器と言うときに、その性器の「性」 の字は、性稟の「性」という字ではいけません。神聖の「聖」という字で、"聖器”です。何のことか分かりますか?  堕落していなければ、神聖の「聖」という字を使って、「聖器」と言っていたことでしょう。 ​​
 それが、男性と女性が分かれる性器になってしまったというのです。ですから、俗世間の人は、愛の行為のことを「下品である。」と、言うでしょう?
 それが、どうして下品なのですか?  神様の理想的な調和は、愛の器官を中心として、男性と女性が一つになることです。 ​​三代の孫夫婦が一つになることであり、お父さんとお母さん夫婦、おじいさんとおばあさん夫婦、 神様夫婦 が一つになる場なのです。​​
 小さな所から最後まで行くことができる力の原動力を発揮するのは、真の愛しかありません。分かりますか? (「はい。」)
 ですから、文総裁もそうです。世の中がいくら反対しても、反対してみなさいというのです。神様が上にいらっしゃるので、アダムとエバは、真の父母の位置で、垂直にぴたっと立って、「打て、この者たち!」と、 言うのです。打つ者が倒れていくのであって、これを打って除去する者はいない、ということです。宇宙が一度に崩れ落ちていくのです。
 ですから、歴史上において、文総裁がもたらした結果で、なぞとされていることは、あれほどの迫害を受けながらも世界的な出世をしたということであり、それがなぜなのか分からないのです。そうではないですか? 
 世界のあらゆる人々が、文総裁が死ぬことを願い、 滅びることを願いながら、ありとあらゆることをし、あれほどまでに迫害をしましたが、滅びませんでした。 ですから、文総裁は、サタン世界から迫害を受けながら成功した歴史的代表者です。分かりますか? (「はい。」)
 個人的な迫害時代においては、世界の全人類が一つになって、個人的に可能な迫害をすべてしました。それから、家庭的に可能なことをすべてしました。そのようにして、氏族、民族、国家、世界、共産世界、民主世界、宗教圏全体が、文総裁に反対したのです。
 数十年前に、文総裁が話したでしょう? 「イエスも、 孔子も、釈迦も、マホメットも、文総裁の弟子である。」 と言うと、どれほど反対しましたか?  弟子か弟子でないか、自分たちが分かるのですか?
 ここでは、知って話をするのですが、いくらやっても、知っていることが事実であり、分からないまま反対するのは偽りなので、偽りは退いていくようになっているのです。分かりますか?
 この場で、そのことを知らなければなりません。文総裁が米国に行ってから今まで、三十年以上になりました。イエス様が、三十四歳でイスラエル民族の王権樹立をして、ローマに大使を送ることができる準備が……。
 ここにいる人たちの中で、平和大使は手を挙げてください。来ていないのですか?  平和大使とは、何ですか?  イスラエル民族の前に、イエス様は祭司長です。平和大使は何かというと、天使長です。
 統一教会に途中から入って来て、何の功績もなく、 平和大使であるといって、「ああ!  私は、文総裁が発令してくださった平和大使だが、あなたたちは平和大使にもなることができなかったので、私を立てなさい。」 そのようなたぐいのことを言ってはいけません。
 平和大使は、天使長の立場です。天使長は、上と下を連結して、第一代、第二代、第三代が垂直に立つことができるように家庭を定着させることができず、孝子の道、忠臣の道、聖人、聖子の真なる家庭を完成させることができなかったのですが、その天使長の立場です。分かりますか、平和大使? (「はい。」)
 今年も、平和大使を任命します。韓国だけではありません。百八十か国です。小さな国であっても、どこの国でも、百八十か国に平和大使を送らなければなりません。分かりますか? (「はい。」)
 韓国が主体国であり、父の国であるならば、父の前にエバとして立つのは、母の国日本の女性です。サタン世界の長子圏国家である米国では、女性たちがすべて王のふるまいをしています。女性が全権を握り、その女性たちを中心として・・・・・・。
 それで、平和大使一人につき女性二人、その国の国会議員を中心として、王を中心として消化運動をしなければなりません。自分の地域出身の国会議員や道知事でも何でも、消化できなければなりません。彼らに理論的に勝たなければなりません。理論的に勝たなければならないのです。
 思想的な面、宗教的な面、実生活的な面、現実的に成した実績面において、サタンが微動だにすることができず、回れ右せざるをえないようにしておかなければなりません。そのような内的な世界大革命が課題となる時代に入りつつあるという事実を、平和大使は知らなければなりません。分かりますか? 「はい。」)
 今から平和大使が多くなります。今までは、各国代表でしたが、今からは部署別専門分野において任命します。部署別です。数十万、数百万の平和大使が立つのです。
 そして、平和大使たちが行くべき公的生活は、"中間で和解させなければならない。”ということです。和解です。サタンは、戦争を起こしました。今でも、心と体が闘っているではないですか?  夫婦で闘っているのです。それは、地獄です。
​ 統一教会の第一の問題であり、第一条件が何かといえば、心身一体です。神様が天地創造されるとき、 絶対信仰、絶対愛、絶対服従 でされました。それは、自分が言えば、信じたとおりに実体が現れるということです。現れなければ、投入して現して、成すというのです。(被造物が)いくら大きくても、命令したとおりに成されるということです。​
 それゆえに、真の愛には、高貴な希望があるというのです。その希望は、ならず者や強盗のようなものではありません。人格的な神です。
 人格的な神における主流が何かといえば、絶対愛、唯一愛、不変の愛、永遠の愛です。その主流を中心とした家庭に定着することができる相対的夫婦とともに、 子女が一つの家庭に定着することができる、そのような人格的な神でなければなりません。
​ ですから、真の愛を願うにおいては 絶対信仰 です。 真の愛を中心として出発するようになるときには、大きな絶対理想を中心として・・・・・・。​
 ごく小さな鉱物世界を見てみれば、そこには、ブラス・イオンとマイナス・イオンがあり、植物世界では雄しべと雄しべ、それから動物世界では雄と雌、人間世界では男性と女性、天地を中心としては、天と地です。すべて相対的なのです。
​ それゆえに、それ自体が存在するためには、ために生きることができる相対が必要なのです。ですから、 神様も、いくら王の中の王、全知全能で遍在される絶対的主人であられるとしても、お独りでは幸福はありえません。​
​ 独りで幸福だというのは、狂った人です。狂った人であるというのです。独りで夢を見るのは、狂った人です。なぜ、狂った人なのでしょうか?  それは、一代で終わるからです。男やもめになり、いくら何を持っていても、死ねば、一代ですべて飛んでいきます。 サタンが奪っていくのです。​
 自分の一族がいれば、後代に残すことができますが、 自分なりにお金や権力を持っていたとしても、退いていくときには、そっくりそのまま奪われてしまい、泣きながら痛哭して、後退してしまうのです。責任を果たすことができなければ、そうなのです。分かりますか、分かりませんか? (「分かりました。」)
 それでは、真の愛によって祝福家庭は・・・・・・。真の家庭とは、何ですか? 「天一国」の主人です。主人なので、孝子にならなければなりません。
 「主人」というのは、孝子になった後に言う言葉です。孝子、それから忠臣、聖人、聖子の真の家庭です。 真の家庭になってこそ、主人になるのです。それが、 ただ盲目的に語った、地に足のつかない、取ってつけた言葉でしょうか?
​ これは、天理原則によって、避けることのできない一つの礎石を置く場であるので、 絶対信仰し、絶対愛をし、絶対服従 して、自分が千辛万苦の受難の道を行っても感謝し、百回、千回死んだとしても、無限大の世界のために犠牲になることができなければなりません。​
 そのようにして神様が、宗教圏を中心として、愛して信じることができる、ご自身の側の人を犠牲にしながらも耐え、彼らを助けることができない中で抱いてこられた無念な心情を皆さんが体恤しながら、涙が前を覆い、自分の周りや行く道に涙と血と汗が染み込んでいてこそ、サタンが自分に入って来ることができないのです。
 そのように、”ため”に生きて涙を流し、”ため”に生きて血を流したその痕跡があるので、サタンは退いて行くのです。サタンは個人主義です。利己主義です。利己主義が侵犯することは、できないのです。
​ それゆえに、心と体が一つになることができなければ、これからは“天国に行く。”という考えを持ってはいけないというのです。もし、原理のみ言を知って、 (心と体を)一つにしようと思ったのであれば、それが成されるときまで、あの世に行って待たなければなりません。そのようにしては、祝福家庭の楽園が生じ、 祝福家庭の地獄が生じてしまいます。分かりますか、 分かりませんか? (「分かりました。」)​
​​  それでは、韓国人の特権とは、何でしょうか?  韓民族の特性は、族譜があるということです。長孫を中心としては、おじいさんが十人いたとしても、その長孫のおじいさんでなければ、祭事の場に参席することができません。そのように、長孫理想を受け継いでいく伝統を残したのです。わたしたち韓国人は、このように違います。 ​​
​ そのような何かがあるので、終わりの日に、韓民族以上に血を多く流した民族はなく、さらには、女性の中で、韓国の女性以上に、無念に血を流して、受難の道を行った女性はいないのです。なぜでしょうか?​
 強大国の狭間にいて、九百三十四回も外敵によって侵犯されたので、サタンの群れが垣根を越えて来て、 ありとあらゆることをしたのです。そのことを知らなければなりません。分かりますか? (「はい。」)
 わたしが飛行機に乗って来るときに、韓国から風邪が空中に逃げてきて、わたしの所にくっついたようです。飛行機が半分の境界線を越えてからおかしくなり、 完全に風邪を引いてしまいました。蕩減です。(サタンは、)きょう、何が何でも反対し、最後まで妨害するのです。妨害したとしても、それに支配されません。
 文総裁が、世の中に生きる人間として、体験しなかったことがあるでしょうか?  死の境地、男性としての苦労、女性としての苦労、地上から天上世界の高い所、(霊界肉界)二つの世界のすべてのことを収拾し、 真の父母が行くべき伝統的な道を、さっと立てておいて、その道を行くのです。”ため”に生きて、打たれて奪って来る作戦です。それは、わたしたち統一教会も、 そうです。
​​ 韓国の大統領について、心配しなくてもよいのです。 心配は何かというと、神様が離れることが、心配です。 心配すべきは、神様の愛が離れることであり、神様への 絶対信仰 が離れることが心配です。​​
 神様の主流属性である絶対愛、唯一愛、不変の愛、 永遠の愛が、韓国人の中にありますか?  それが、文総裁以外にはないのです。韓国が滅んだとしても、文総裁は滅んではいけないのです。分かりますか?
 それで、きょう、ここで(「天一国」) 三年を迎えてそのような話をするのです。「真の愛で私たちの家庭は天一国の・・・・・・」。「天一国」とは、何ですか? 真の父母、真の師、真の主人、真の王がいらっしゃる家です。 そのような国です。
 イスラエル民族が、真の父母として来られたイエス様を、真の父母になることもできず、結婚もすることができず、息子、娘もいないままに殺してしまうことによって、彼らは二千年間流浪し、戦場で馬のひづめに蹴飛ばされながら、悲惨な歴史を流れていく民族となり……。
 そうして、韓国が独立することができる時が来たので、一九四八年に第二イスラエルの米国が中心となり、 イスラエルの国と韓国を治めて・・・・・・。米国は、世の中は捨てたとしても、韓国を捨てれば滅びます。ですか米国自体は知らないのですが、わたしは米国を捨てることはできないので、三十年以上の間、あらゆる屈辱を受けてきました。
 韓国において、八代にわたる政権が、わたしに対してあらゆる謀略を企てました。さらには、既成教会です。彼らは、ありとあらゆることをしたのです。しかし、既成教会が滅びるか、統一教会の文先生が滅びるか、見ていなさいというのです。
 彼らは、最近では、顔を上げることができないでしょう?  尋ねてみれば、答えることもできない偽者たちが、偽物の看板が逆さまになったことも分からずにいるというのです。偽物の看板でも、それが真っすぐに掛かっていれば、通り過ぎる人が看板を見ていくので、ご飯でも恵んでもらうことができますが、逆さまになった看板では、ご飯も恵んでもらえません。キリスト教に同情する人がいるでしょうか?
 しかし、韓国民族は、文総裁に同情せざるをえません。今、米国に築かれた基盤は、牧師が数千人で連合復興会をするのです。世の中のことを知らずに・・・・・ 。無知な人は滅びます。知る人は勝利するのです。神様を解放するのですか?  神様王権樹立をして、解放してあげるのですか?
 神様王権樹立をしましたか、できませんでしたか?  (「しました。」)霊界の四大聖人や、今まで各宗教の文化圏を中心として世界に貢献した、すべての代表たちが出て来て、「文総裁は救世主だ!  メシヤだ!  再臨主だ!  真の父母だ!」と、言っているのです。その話は、あとで、ご飯を食べてから話してあげます。はっきりと理解して、はっきりと知らなければなりません。 この者たち。分かりますね?  若い男性と女性たち!  (「はい。」)
 わたしは今、八十三歳を超えました。韓国式にいえば、八十四歳です。米国式に従ってはいけません。きょう、(一月)一日で、八十三歳と一日です。母親のおなかの中から生まれたのではないですか?  なぜ、その (胎中期間の)十か月を忘れてしまうのですか?  ですから、韓国の継受法が正しいということを知らなければなりません。
 そのように見れば、先生は何歳ですか? (「・・・・・・。」) 何歳ですか?  (「八十四歳です。」) 「三掛ける八は二十四」とすれば、十二の月を中心として、二十四の季節が、すべて入ります。
​ 今年のお母様の誕生日を中心として、何をするのか分からないでしょう?  今度の真の父母の「聖誕日」 です。(その時に)線を引いてしまうのです。垂直に線を引いて、横的に引いて、前後に引いて、球形になることができるように線を引けば、そこからずれるものは、霊界がほうっておきません。 ​​
 「サタンの勢力の影までも消してしまい、"正午定着” させてください。私は、無力な神様は嫌いです。私を助けることができず・・・・・・。」と、祈祷する時が来ました。
 今まで皆さんは、サタンよりもわたしのことを、もっと憎んだというのです。サタンに従って行きながら、 先生に対しては、「ああ、(先生が)そのようにすれば、 私たちは大変だ。」と言いつつ、世の中の人に対しては、 「文総設に反対しないでください。私たちが伴っているので・・・・・・。」と、言っています。そのようなことは、言葉だけではいけません。文総裁が苦労したことが・・・・・・。
 平和大使は、「自分は○○をやった。」と、ここに来て自己主張し、自分の色を出してはいけないというのです。
 文総裁は、過去、大統領であったという世界的な人々に対しても気合を入れるのです。この者たち。皆さんが、何をしたというのですか?  わたしのような思想さえあったならば、皆さんの国が、世界を救うことのできる灯台となっていたはずなのに、何をしたのですか?  この者たち。
 ですから、口を開けば、激しく攻撃してしまうのです。「この者たち。「○○をやった。」と言う、どろぼうのような者たちが、口を開けて大騒ぎしているのか?」 というのです。文総裁には、そのような何かがあるというのです。分かりますね?


<1/2。続く>



一休さんのような機知(トンチ)ではありません。
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 ここは、平和大使ですか?  何ですか?  平和大使ですか?  日本のメンバーですか?
 真の愛で、真の家庭になりましたか?  心と体ではありません。一心、一つの心であり、一体、心と体が一つにならなければなりません。それから一念です。
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Last updated  2025.06.01 18:47:55
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