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この間、7月中旬に北方へ行く用事があったときに 友人Sの家に泊まった。友人Sはなかなか面白い人なのだけれど最近、20代半ばの「今後の私の将来は?」という疑問にけっこう頭を抱えているらしい。そういうわけで元々衝動的に行動するほうのS(←こういうところ、好き♪)の衝動さに磨きがかかり、7月末にすでに引き払うことになっていた家(何人かのルームメートと共同で居住)を突然、私のいる2日の間にその10日ほど前の金曜日に引き払うことになった。なぜかといえば突然旅行することになったからだ。えっっっっ!!もちろん、年齢制限とかある旅行だし何回か申請していたのに、なかなか団体がSを受け入れなかったりだったので行くのは願ってもないチャンス。でも、でもね、今日、木曜日であなたの部屋は引っ越す用意とか全くできてないよ!!??(しかも、旅行から帰ってきてからどこに住むかが決まっていない)との思いも脳裏を掠めたけれど個人的には、そういう思い切りの良さは好きだったりする。それで後始末を他人に任せて人を困らせる人ではない(と思う)し。そして、彼女は猛スピードで引越し準備をし、旅立っていったのだけど、S、その引越し準備の過程でいらない服がごまんと出た。それを袋一杯に詰めて次の明朝、信じられないくらい早く出なければならない私に「ほしいものある?あったら持ってっていいよ。これ、明日は古着屋さんに持っていくから。」とどさっと目の前においてくれた。私の眼はキラーン☆と輝いた。なぜかってSのファッションセンスは、元々好きでしかもSは私よりちょっと背が高い以外はけっこう似たようなサイズ。(というか、元々似たようなサイズだったらしい。)というわけで「いい!!」と思ったものが多く、そのうちのほとんどは持って帰れるから。そういうわけですごく貧弱な私の衣装だなはSのおかげで格段に拡大!!服や靴を買いに行くのが苦手でたまらない私には大助かり!!どうしても苦手意識が強すぎて服とか靴とか買いに行くのが遅れに遅れる。せっかくたまたまそういう気分になっても2~3着あまり合わないものとかを着ちゃったり好きなデザインのものがお手軽な値段(←この水準もかなり問題なのはわかってるけど)でなかったりすると瞬時に意気消沈しちゃって、ダメ。そういうわけで服はどんどんだめになれどもなかなか代わりのものが入ってこないので私の持ち衣装は減るばかり・・・。でも、なんでここまで服を買うのが億劫で仕方がないんだろうってちょっと考えてみた。やはり原因は幼少期の経験?私の服のほとんどは近所のお兄ちゃん・お姉ちゃんのものばかりだった。靴や靴下はもちろん足に合わせて買ってもらってたけどそれ以外の衣類はほぼ全部お下がりでまかなっていて服を最初に買いに行ったのが小学校5年生ぐらいだったんじゃないかと思う。考えてみりゃ、ちょー楽だ。段ボール箱一杯の服を一着ずつ試着していって合うものはとっておいてあとは別の人に回せば良かったんだから。で、ポイントは私、着れるものならサイズがかなり違ってもまあ見れるぐらいには着こなせていたらしい。(親の欲目か知らないけど)でも、私は着てる服とかにこだわる人ではなかったのでちょっとだぶだぶでも一応着れるものならそれを着て通園・通学をしていたし別に私のかっこうを見てばかにする人もいなかった。って言うか、周りはお下がり着てる人、多かったなぁ。女の子で男の子用の半ズボンはいてる子とかいたし。でも・・・考えてみたら似たような環境で育った姉にはしっかりおしゃれ心があって少し自由になるお金ができるとそれを世間並みに服に投資していたような気がする。とすると、やはり幼少体験のみが原因とは言えないか・・・・。いずれにしろ、私は今でも「お下がり」が大好き。またこういう好機に恵まれないだろうか・・・願わくばまたそろそろ服が必要になる2~3年後に、なんて都合のいいことを夢想している・・・。これからもどうぞよろしくお願いします♪ぷちっ。
2006年07月25日
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ちょっと前に泣き言をアップしてみた私ですが、もっともなレスであったのが「才能と言うよりは集中力」というお言葉。これ、私が舌足らずだったなぁ~と反省しきり。なぜならば、私の中では集中力は才能のうちという図式が出来上がってるから。エジソンの「天才は1パーセントのひらめきと99パーセントの努力のたまもの」という言葉があるけれどこれは、もっともだな、と思う。なぜなら、「できる人」と「できない人」を分けるのは(まあ、そもそもきれいに二分割はできないんだけどね)集中力の差だと思うから。でも、もっと言えば私の中で勝手にできてる図式と言えば努力家=秀才なんにもやってないように見えるのにできる=天才というのがある。天才、というか天才型の人間と言うのは本当にいるよね。もう、すごすぎて(=自分とは違いすぎて)嫉妬の対象とかになりません。私は、ただただ尊敬するのみです。で、「天才」と言うのは往々にして人並みはずれた集中力を持っていてそれを継続できる、というのがあるような気がします。集中力の程度とかそれの継続時間とかそういうところでどの程度の天才かが決まるかと思うのだけれど。でも、秀才型の人もあなどれない、と思う。なぜなら、こつこつと他の人が嫌がりそうなことでも気長に続けるその秀才さんは花開くのは遅いかもしれないけれど花が開いたそのときにはなんとも見事な花を咲かせることができるかまたは、周りの見事な開花の手助けになるから。・・・ってなわけで、がんばれば秀才型になれる凡人(=天才でないという意味での)私としてはひたすらこつこつこつこつといつか立派な花を咲かせることを夢見てがんばらなければならないのですねぇ~~~。ああ、これが人生か。(泣笑)今日もよろしくお願いします☆→ ぷちっ。
2006年07月24日
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かわいらしい天使がこしょこしょと耳にささやいてくれるいろんな方法をここでも皆さんにお披露目♪長期的に書く作業を乗り越える方法:ナンバーワンッ!:下書きの過程で―朝、起き抜けに、1時間机に向って書く。(手書き)ナンバー通:これも下書きの過程で―一日に、何でもいいから5ページ分書くというノルマを設ける。(手書き)ナンバー・スリ:書き直し―上記のどちらかの方法で、目標ページ数に到達したら、それをワープロ・コンピューターに打ち込みながら校正を加える。ナンバー・フォーク:とにかく書かなきゃならないのに筆が進まない場合―とりあえず、30分書く、それから5~15分休憩。これを1日に3~5回繰り返す。注意:4番目↑って気分的に楽なので、ついついやり過ぎたりするけれど、やりすぎると、肝心な持久力が落ちるので、初日は5回ほどまでに、回数を増やしたければ、次の日から徐々に上げるだけにして、最高数は8回(1日のべ4時間)は超えないように。読むのが対して面白くもないのに、読まなきゃなんないものを読む方法:壱:1ページに何分かけるかという制限を設けて、その時間が過ぎたら、読み終わってなくてもページを繰る。弐:つまんない部分はすっ飛ばして、流し読みで面白いと思えるところまで行く。モノや場合に寄っては、すっ飛ばした部分は全く読まなくても大丈夫。自分のために読んでる本は、特にそう。本は、必ずしも最初から最後まで読む必要はなし。(これは、中高の頃の現国の先生に教わった。笑。)注意:ただしこの↑方法は、適当につじつまの合うように事柄を当てはめたり、その分野の本をたくさん読んだことがない人にはちょっと辛い方法です。参:とりあえず、流し読み。(笑)流し読みの具体的な方法としては、最初の問題提起の段落(章)とまとめを述べてる段落(章)はしっかり読み、残りは、段落(章)ごとに最初と最後の文(または段落)をしっかり読む。まじ時間がないのに、内容をあるていど把握しておかなきゃならない場合はこの方法を使いましょう。(笑)あと、速読の方法としては、とりあえず目を字面の上を流す訓練をしとくと得策。本を読んでるのに、とろとろしてきちゃった場合は、(もちろん、寝たい場合は別として。笑)1~2行、または目がすっきりしてくるまで、ちょっと音読。どうやら、本を読んでるときに眠くなるのは、脳にちゃんと酸素が行ってないからだそうで、音読をすれば、自然と脳に酸素が最補給されるので、また目が覚めるらしいですよ。ぷちっ。
2006年07月23日
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いろいろなところで書き散らしたりはしてるけどまとめてここでアップはせずにけっこう遊びは自粛してる私。ちょっと今、大変です。もちろん、いつもどおり自業自得なんだけど。(苦笑)今日中に終わらせなきゃならない仕事が一件。そして、その仕事に押されて無視されてる実は一番大切な本業の作業の数々。試験前の最後のミーティングは水曜、木曜。なのに!!そちら方面のことに全く手を出せない状態。ばか~~~~!!!私の馬鹿~~~~~~~!!!!(大泣)で、こういう状態下にあってもいろいろと脳は全く関係ないことを考えてたりしてね。最近思ったことといえば一応授業なんかを一通り履修し終えた今、私に関して言わせてもらえばモノを書く、今までの蓄積からモノを言う、ということをしなければならないいわば、就職準備の山場に差し掛かってる今、一番重要なのは自分の不安・恐れ・焦燥感とどう付き合っていくかということなのかな、と思い出した。せめて、私に関して言えば英語に対するコンプレックスや恐れがペーパーを書く上でのすごいハンディになっていて「何でもいいから書いてみる」という気持ちにどうしてもなれない。一応そうなれたとしても、書いて、ちょっと見直して、「まあまあかな」と思ったものを人に見せると「う~~~~ん」とうなられて「書き直し、がんばってね」と来る。これがすごく嫌で、辛いのだ。文章構成を直さなきゃいけないだけじゃなくて、内容的にもすべて書き直さなきゃならない場合が多いからね。一番辛いのは見直しても、どこをどうしなきゃならないかがよくわからないところ。どこをどう直せばいいのか、とりあえずそれが全然わからないからどこまでやれば良くて、いつこの「書き直し」のプロセスが終わるのか皆目見当がつかない。それで、光の射さないトンネルの中をひたすら、姿の見えない声に「もうちょっともうちょっと」と励まされながら重い荷物を持って歩いているかのようでとても辛く苦しい。そんなわけで留学10年目にして、未だに「英語が母国語じゃないんで」を言い訳にしてるけれど、そう言うと「今更何を言ってるのか」と言われるのが落ち。それならそれを返上するぐらいに努力をしなければいけない、とも当然ながら言われるし。いや、本当にそれは正論です。私にはとうてい敵わないほど頭が良くて、外国語である英語でも立派な論文が書けてしまう人もいるしそうするための努力をものともしない人たちもいるわけでそうすると余計に私の「英語は母国語じゃないんで」の言い訳がいいわけじみてきて自分が惨めにもなる。でも、そういうことにまつわる、不安や焦りと付き合っていけないと私の未来はないわけでここ6年間ほどの私の試練と言ったら(まともに)書けない、(スピーディーに)読めない、と言う不安との付き合い方を覚えることだったかもしれない、と思う。今もそういう不安はあるけれどもとりあえず、それをある程度あやせるようにもなった。休憩も必要だと言うことはわかったし、休憩は適度に取ってやっていくほうが実は効率がいいこともわかったしやらなければならないことをいろんな風に小刻みにしていく方法も少し覚えた。この調子でがんばれれば、いいですな。今日もよろしくお願いします。ぷちっ。
2006年07月17日
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最近、リーちゃんといろいろな料理についてのやり取りをしているけれど(半分以上、Aの料理実験の報告ですが。笑)そのときに、そういえば、私もけっこういろんなことにチャレンジしているということに思い当たった。例えば、コチュジャンを作るときには味噌、甘みを加える水あめなど、唐辛子を混ぜるのだけど、この味噌+大量の水あめというのにすごい抵抗があった。でも、抵抗のあるコンビと言えば、タイ料理では普通にやる熱い料理の調理中にレモン、と言うのも最初はすごい抵抗があったのにやってみたらすごくおいしかったしインド料理のカレーを作るときにやっぱり熱い料理の調理中にトマトを入れたり、ヨーグルトを入れたりなんて言うのもけっこう不思議だったものだ。(このときは、年齢的に抵抗がある、と言うよりは「へええ~~、不思議」で終わった。笑。)そういえば、もっと最近のびっくりコンビと言えば甘いものに入れる唐辛子。甘いものに塩やしょう油をちょっぴり入れると味のバランスが良くなるように甘いものに唐辛子を隠し味にほんのちょっと入れると、味がきりりと引き締まるんです。これは、アンジェリー・ビノシュとジョニー・デップの「ショコラ」でビノシュ演じる女性が伝統的なマヤ族(だっけか?)のココアの作りかた、と言うので唐辛子をちょろっと入れてたので思いついたのだけど。で、Aもやっぱりいろいろと実験派でキムチや味噌汁に海苔はいれるわ、スパゲッティクリームソースを作るときにチョコレートクリームソースは作るわでけっこう面白いのだけど。(もっと奇抜でないものだと、スパゲッティ麺の代わりに、そばやうどんを使ってみるとか)私にとっては面白いアイデアだと思うし、たいして抵抗はない。で、なんでここで親が出てくるかって、こういう、いろんな「意外」な料理法を楽しんでしまうところに私は自分の親の生き方の片鱗を見出してしまう。ウチの父が、最初に母の家族と食事をしたときにくっさいブルーチーズを出されて、顔をしかめるどころか興味深そうに「それでは、頂いてみましょうか」とにこやかに言った話は何度も聞かされたけれどもそういえば、まともなお豆腐も、おいしいお米も手に入らないのはもちろん刺身を手に入れるのなんて、絶対無理だったころのフロリダに住んだときに寿司巻にリコッタ・チーズを入れて「なかなかいける!」と喜んでいたのは父だったし、まだまだ都内にインド料理店が何軒かしかなかったころから都内のインド料理店の所在地をほとんど把握したまに家でもダールを作っていたのは母だった。そういうのって、家庭の文化だなぁ~と感じる。料理を通しての異文化体験、楽しいし、お手軽だし何よりもおいしいし、意外な発見も多くて最高なんじゃないかと思います。そういう世界に小さい頃から誘ってくれた両親にも感謝☆ぷちっ。
2006年07月16日
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ほんと、いろんな意味で今こんなことをやってる場合ではないので(いつものように、締め切りが近くに迫れば迫るほど現実逃避に走る、悪いクセの発生です・・・・)ごくごく手短にしますが・・・・。最近の、ミクシィでの私の、とあるコミュ関係での活動を見てた人には具体的な背景のわかる話。(ところで、リアル友で、まだミクシィは言ってない人、連絡ください。招待状、送ります。)そうでない人には、ちょっと不可解な話かもしれませんが・・・。私、期間限定で偽善者なるものをやってみました。あまりに状況がひどくて、見てる自分が怒りでパンクしそうになってたので当事者でもないのに、あえて、正義漢ぶって、問題解決につながるかと思われるコミュを設立してみました。結果:気持ち悪かったです。けっこう自分の嫌いな部分が全開でした。自分の中に、非常に強い正義漢のムシが私の中にはうずうずしている。それは普段から分っている。で、それをいい方向に持って行こうとなんとか偽善的にならない方向にみんなにとって有益になる方向に持っていこうとけっこう普段から気を使ってたりします。その方法としては「気持ち良い」、「良いことしたわ」と思えるようなことに手を出す場合はいつも、自分と向き合う、自分にとっても何かしら難しいものを提示するものでなければ極力、手を出さない。と言う、ポリシーでやっていくことです。これはこれで、「あ、私、助けてあげる!」と言う安易な自己満足を妨げる方法になる。でも、今回は自分のことでもないのに、見るに見かねて完全に「私のことがら」にできないと最初からわかっているものに手を出しました。なんとか、自分のカラーを出そうとしたのだけれども・・・・。それでも、その「熱くなってる」場を見て、面白がっている自分を発見したり、それに気づいている自分の冷酷さに呆れたり、お助けマンになって、ちょっと自己陶酔してる自分に気づきまじ、気持ち悪くなったり・・・・、「自分は良いことをしているんだ!」と熱くなってる自分に呆れたり・・・・。たった1週間足らずのことなのに忙しい気分を味わってました。まじ、こんなことやってる場合じゃないでしょ、って自分を叱咤してる自分もいます。(笑)疲れたわ、まじで。まあ、当面の目的は(一応)果たせたようなので、この立場ともこんな気分とももうちょっとでおさらばぁ~~~~。待ち切れんがなぁ~~~~~~~!!!!d(>
2006年07月10日
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愛妻家って言葉はあるのに、「愛夫家」って言葉はないよねぇ~~~。不思議・・・。と思ってる最近の私です。うちらは多分双方共に「愛妻家」「愛夫家」(別名、バカップルとも呼ばれるようですが。笑。)と言ってもまだまだ「新婚ほやほや」で通じる仲でもありますが・・・。(多分・・・。いつ、「新婚」じゃなくなるんだろう、とも思うけど・・・。)でも、「愛妻家」「恐妻家」など妻に対しての夫の態度を表す言葉はあるのに夫に対しての妻を表す言葉ってなくない?とふと思った。(「鬼嫁」って夫だけに対してだけというよりも、姑などを含めた、夫の家族に対しての態度って感じじゃありません?)そういうことに気を取られてる、最近の私。ぷちっ。
2006年07月09日
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ちょっとくたくた気味の昨今。舌側炎(っていうのか??)ができたりあごにどんどんにきびが出来たり・・・。まあ、たいしたことはないです。あと1ヶ月ちょいだから。ところで今日、妙に心に響く文章に当たったのでメモ代わりにここにアップ。「大切なのは、日本がアメリカ合衆国などの西洋諸国と比べてよりホモフォビア的であるかどうかよりも、日本で実際に性的マイノリティに向けられる反感を実感する人の体験を記録することである。」まあ「ホモフォビア的」とか「性的マイノリティ」とかいうのをいろいろな単語で置き換えてみれば可能性の無限に広がる文。いろいろ考えちゃうわぁ~~。最近の自分の某ブログでの暴言(に近いと、自分では思ってる)カキコなども含め。もちろんホモフォビア(同性愛嫌悪)の日米比較だって、あり。それは言わずもがな。でも、個人の話を聞いているときに「でも、アメリカだって・・・」とか「ヨーロッパでも・・・」「日本だって・・・」「中東なんかでは・・・」と続けるのはやっぱり違うんだよね。特に、どこにも「理想」どおりの環境がないどころか、「理想」と相反する環境しかないと思われる場合、「~~~でも~~~なんだから」って発言はやっぱり筋違いだよね。まあ、現状の凶弾ばっかりしてると疲れるし基本的にその状態から抜けられない場合はそのメンタリティから抜け出られるような発想の転換を促す発言やタフさも必要なんだけどね。ぷちっ。
2006年07月04日
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