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マジで惚れた人と付き合ったことのある人との人数が気分によって数え方が違うせいもあり、一致しないことの多い私ですがAの前に最後にマジ惚れした人の思い出が最近のマイトピックでありました。今までに付き合った人はフツーに「好き」な人で、もちろん人間的に尊敬できる人です。というわけで、連絡もたまに取ったりしますが「好き」と言っても、人間的良さのほうが先立ち連絡をしても、私が動揺することは少ない。ところが、マジ惚れしてしまった人の場合、思い出すだけでどきどきしてしまう場合もあり、連絡を取る、なんて考えるだけでも胸が苦しくなることもあり、(←ちょっと大げさ)動揺の度合いが激しすぎて考えるのも危険だという感じがする。でも、マジ惚れするからには人間的にもかなぁ~り尊敬してる人なんです。というわけで縁が完全に切れてしまうのもちょっと勿体ないというかね。私から見ればAの前にマジ惚れした人との失敗のおかげで今のAと私がいると言っても過言ではないし。なんて、そんなこと、きっと本人には言えないだろうけど。でも、一緒に楽しく健全に過ごしたひと夏のあと、好きだったのに、惚れてしまったのにその人には何も言い出せずせめて自分の思いを打ち明けた手紙だけでも・・・と思って何気なく私たちの間を行き来していた共通の友人に手紙を託そうかとも思ったけれど「結局それで何になる」と冷静に判断を下したつもりで結局手紙を渡さないまま、別れてしまった私たちだったけれど多分、向こうは充分に思いを伝えていたつもりだったのだと思う。私はそれを汲み取れなかった。(だから失敗を犯した。)そして、冬に再会したときには夏の奥手加減を考え直してか「私風」と思われるアプローチを一生懸命仕掛けてきてくれた。でも、私はそれをそうと気づかず「らしくない。何なんだろう?」と気づかなかった。私としては「そっち風」に合わせてるつもりだった。夏にほぼ毎日カフェで勉強をしていた頃っていろんな話をしたけれど多分二人の間に共通していた気持ちは「この人ならわかってくれる」というものだったような気がする。でも、「もっと頼ってよ」ともよく言われたような気がする。そして、自分の話はあまりしてくれなかった。聞くと、なんか、ポツリポツリと言いにくそうに断片的には話してくれるのだけどいろんな思いがごっちゃ混ぜになって話しづらそうだった。どうしても私のほうが話すことが多くて、私は一方的に頼ってる感じがしてちょっと申し訳なかった。それに、「私のほうが年上なのに・・・」というつまらない見栄のせいか、一方的に頼っていると感じるのが恥ずかしくもあった。向こうは、私よりかなり年下だったのに(この年齢ではたいした年齢差ではないけれど)包容力がすごくあって一緒にいると安心できてすごく頼りになって優しくて気取らない人で冷静な判断力の奥にある熱さには火傷するかと思った。そう・・・すごく好きだったのです。それでも、はっきりとお互いに何を言ったわけでもなくて(というか、私はいろいろと言ってみたのだけど、ちょっと反応がはっきりしないと感じていた)なんか私の全体的な印象として「私はすごく好きだったんだけど、向こうはどう思っていたのかはっきりとは分らない」という思い出になっていたのでそういうふうにAにも話していたのだけれどつい最近、「そう言えば、冬に再会したときのあれは!!」と思い出して、Aに話してみたらば「それって、明らかに両想いだったんじゃん。なぁ~~んだ、二人、全然付き合えたのに。そうならなくて、君たちにとっては残念だったけど僕にとっては幸い。(ニッコリ)」と、言われた!!はっ!!!そうか!!!そうだったのか!!!(ガーン・・・)夏の失敗のことや、冬のときのことを話してみたらば「それ、相手はかぐやに合わせてるつもりだったのに思ったような反応が返ってこなくて向こうはきっとすごく混乱したろうね、かわいそうに(同情)」と言う。そう言われてみれば・・・確かに・・・確かにそうだったろうと思う!!私は、私で、向こう風に合わせようとしていたし、確かに私へのアプローチの大体の方向は間違っていなかったけどちょっとタイミングとか場所とか細かいところがずれていたので私もその意味が汲み取れなかったわけで・・・。ああ・・・悲しいすれ違い・・・。遠距離は無理、と言ってた私だけどあの人とだったら試してみる価値はあると感じる人だった。(私にとっては、それがひとつのリトマス試験みたいなもん。)どうやら、私たちどうもタイミングが合わなかったみたい。今や、そのかっこよさにさらに磨きがかかっているのだろうと思うと恐いもの見たさ半分Aにも紹介してみたさ半分で連絡を取ってみたいんだけどぉ~~~。どうなんだろ。連絡とってもいいんだろうか。ぷちっ。
2006年11月29日
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久しぶりの怒り系なので、火傷にご注意。久しぶりに見てむかついた言葉。「日本人より日本人らしい」「それってかなり日本人化してるジャン!笑」え~~っと??もう、どっから切り出したらいいかも分らない。これ↑がむかつく、と言った時点で次が読めてしまう人は**まですっ飛ばしてください。他にも聞くと不愉快になる言葉。「ええ~~、サシミが食べられるの~~?すごぉぉ~~い」「納豆が好きなの?すごぉぉ~~い。私、納豆食べられなぁ~~い。私よりも日本人らしい~~。(笑)」「あ、でも××はやっぱりダメなんだぁ~~。そうだよねぇ、仕方ないよねぇ。」私に向って放たれることもありますが、相手が私の場合は、たいていもうちょっと高度です。でも、私の身の回りの「ガイジン」(と見られる人)はたとえそれを言っている相手よりも長いこと日本に暮していても今でも日常的に耳にする言葉です。私の場合は、例えばちょっとしたしぐさとか言うこととかね。そういえば、山奥のキャンプ場で水を大切にしなきゃあかんだろう、と判断した上でトイレの水を流さずに用を足したら、出てきたときに「あ、水流してないから、かぐやだと思ったよ」(ガイジンは用足すときに水流さんでしょ?が言外に含まれていたと思ったのは私だけでしょうか。)と言われ、唖然としたことがあった。あそっか、たとえ山奥のキャンプ場で、ぎりぎり水洗便所のようなところで水が足りないので、みんな節約してねぇ~とその日言われたばっかりでも大和撫子の恥じらいを忘れ、水を何度でも何度でも流しながら用を足さなかったから→相手はガイジン風のかぐやのはずになるんですか。なるほどね。それだけに関わらず何かといっては私の「違うところ」を探し出そうとする人だったし。この人にとっては、私は「フツーの人」になることはありえないんだなと思うと今でも連絡を取るのが億劫になる。ちょっとでも「日本人慣れしたガイジン」以上のことをすると「えっ??」と驚かれるのも、無視するようになった。無視するようになったけど全く傷つかないようになったわけじゃない。ただ、無視するのが上手になっただけ。言っても仕方ないんだもんね。****************そういうときに心安らぐのは「え?君、ハーフ?」と、街角に立つ見知らぬ男に言われくそ真面目になんて答えようかと思って立ち往生してる私の手をひっぱって「答えることないよ。行こ。」と足早にそこから立ち退かせてくれる友人。私のことを「ええ!?意外と、日本人らしいねぇ」「やっぱりそういうところ、ガイジンだよねぇ」と言わずに「やっぱりそういうところ、かぐやだよねぇ」「やっぱりそういうところ、ここらの人だ」「あれ?前からそうだったっけ?」と迎えてくれる人たち。なんで今更こういうことを言い出すのか。自分にちょっと問うてみた。最近の私の知らない人からの無神経な言葉に対する対応は「無視」だったのに・・・。多分・・・・・・・・はっきり言って日本に帰るのが恐くてたまらない。また無神経な言葉に殴られるのが恐くてたまらない。私には、ささいな「無神経な言葉」一つの裏に無数の嫌な思い出がある。いつその奇襲に会うのかと思うと見知らぬ人の周りでは挙動不審になる。天真爛漫な人見知りをしない自分にも戻りたいけれどもそれが可能なのかはわからない。それが「大人」になることなんだよ、と言われればそれまでだけど・・・。ぷちっ。
2006年11月28日
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私、どこかすごい大自然の中に住んでんじゃありません?とあらぬ誤解を受けそうな気がする今日この頃。いや、全然違うんだけどね。苦笑。実はこないだ、夜のお散歩を楽しんでいたらあるアパートの塀の上をどうも毛を乱した猫が走っていくように見えた。どうも様子がちょっと変だったので「ん??」とちょっと注目したAと私。そもそもここらへんでは塀の上を歩く猫をあまり見かけないし。最初に「ポッサム(フクロネズミ)じゃない?」と言ったのはA。私は、フクロネズミなんてその存在についてしか聞いたことがなかったので見てもさっぱりわからなかった。徐々に近寄ってみると、やっぱり尻尾の様子がおかしい。(猫みたいに)ふさふさしてないの。それどころか、ねずみみたいにシッポの肌がそのまま露出してる。ほええええ~~~~と思って、近寄ってみたりしたけれど、向こうはすでに木に登り始めててちょっと木陰に隠れてうまく見えなかったので一生懸命観察しようとしたんだけど姿が見えなくなった辺りであきらめ、家に帰り、早速ググって見ましたよ。A曰く「すごく醜い動物で、猫のえさとかを食べちゃって狂犬病を持ってるねずみのでっかい版みたいなもん。」って言うので、けっこうかわいい外見してんじゃないのかなぁ~~と思ったら、案の定。(笑)見てやってください、このかわいい姿。危機に瀕すると死んだふりをするんだって。おもしろい。ちょっと死んだふりをさせてみたかったりとかしたかったんだけど木から落ちて死んじゃったりとかしたらやだしそうする過程で万が一噛みつかれたりとかしたら恐いしそもそも普通に日常を生きようとしてるだけの生き物をこちらの都合だけでからかったりしちゃいけないよねぇ~~と思い、ちょっかい出したくてむずむずしてる自分を辛うじて抑えちょっと木を揺らすぐらいに留めておきました・・・。で、フクロネズミは、その名の示すとおり有袋動物らしくて(て言うか、なんでAはそういう難しい言葉を知ってるのだろう。いや、分野によっては、意外な知識量があったりする不思議な人なんだけどね。)カンガルーのお仲間。(人間に寄れば。)子供を自分のお腹のところにある袋に入れて育てるらしくて。う~~~ん、かわいいなぁ~~~とまた動物フェチ全開の私です。なんだろ。現実逃避気分?あ、でも別にフクロネズミになりたいとかとは思わないんだけどね、全然。笑。やっぱり一番は大切にされる家猫か嵐山モンキーパークのお猿さんかです。笑。ぷちっ。
2006年11月27日
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今、鶉の卵をゆでているところ。そう言えば鶉を初めて見たのはカリフォルニアでだった・・・鶉の卵は、イメージとして凝ったお弁当に入っているものという「日本」のイメージが強いのだけど。韓国スーパーをうろうろしてたときに「メチュリアル!!」と叫んで頬ずりせんばかりに鶉の卵パックを嬉々として取り上げたのはAだった。Aにとっては「メチュリアル」(鶉の卵)は韓国の味らしい。やっぱりそうだったか・・・。アメリカじゃあ普通に売ってるところ見たことないしねぇ~~。食べてるところも見たことがないし・・・。ところで、カリフォルニアの山のほうに行くと丸々とした小柄な鳥がせわしげにヨタヨタと揺れながら足早にささっと通り過ぎるのを見ることができる。最初見たときは「なんじゃありゃ」と思わず口走ったものですがそっけなく「鶉だよ」と言われたときにはとっさに信じられなかったものだった。「ええ~~!!「鶉の卵」の「鶉」ってあれぇ~~??」と思ったものだった。でも、見慣れると鶉に遭遇したくなってくる。なぜなら、あのヨタヨタと走りすぎる姿とそれに合わせてゆらゆらと揺れるトサカ部分の揺れがなかなかユーモラスだから。それに、なかなか色鮮やかな素敵な鶉もいるのだ。(あ、色鮮やかなのはオスで、茶色いのはメスだと思うのだけどね。)でも、何よりも、人や車が側に来るとさっと草陰に隠れてしまうからかなかなかじっくりと観察することが出来なくてそういうつれないところも「鶉に遭遇したい!!」という欲求を高めるものかもしれないと思う。そんなわけで今日は鶉大特集。うう、いいねぇ~~。しかし、こうやって鶉に惚れ惚れしてる自分が鶉の卵を食べてるなんて・・・ちょっと嫌だわぁ~。ぷちっ。
2006年11月22日
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最近、ぐるぐるぐるぐるといろんなことを考えている自分がいる。はっきり言って・・・子供欲しい。早く卒業したい。まだいろいろと勉強したい。今のままでは全然力不足。もっといろいろなところを転々としたい。早くまた猫たちと同居したい。(=転々とすることは非常に難しい。)いろんなコミュニティワークをして、いろんな人にとってより住みやすい社会にしたい。お金をもうけたい。やりがいのある仕事がしたい。自分の分野で一流になりたい。弁護士になってみたい。もっと勉強したい。ニューヨークに住みたい。今のままではやっぱり力不足なのでは。・・・やっぱり今の私の中には不安がかなりの部分を占めているのかなぁ~。今取り掛かっている作業が日の目を見るのは非常に順調に行って約2年後。普通に順調に行って約3年後。順調に行かなければ頓挫・・・。恐ろしい・・・。あまり「順調に行かなければ・・・」と考えはしないのだけれど順調に行ったら行ったで、次の試練が待っている。そして、その試練はよりレベルアップしていくだけなような気がしてねぇ~~。はふぅ~~。大人になるって大変なのね。苦笑。いや、子供であることも子供以上大人未満であることも大人以上であることもそれなりの試練があるのはわかってるのだけども。あいたたた。(>_
2006年11月21日
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寂しさを埋めるために隣に暖かい体を感じたかった。例え話すことはなくても体が触れ合いさえすればそれで良かった。私は、明らかに自分とは合わないある男の興味をそそったことに気づきその男の体にじかに触れたいと言う欲を覚え短期の関係にはお互いちょうどいいだろうと見定めこの男と寝ることを決めた。彼女はいないと言ったし結婚もしていないようだったしダブル・デートをしたとき真面目そうな彼の友人は何も言ってなかった。最初に会ったときに左の薬指にはめられていた指輪のことはすっかり忘れていた。三度目に会ったときは二人きり。私の中でその晩の目的ははっきりしていた。楽しくもない話をするよりもさっさとその体のぬくもりを感じたかった。目的はそれだけ。始めて入った彼の部屋はきれいすぎた・・・。大切な友人からもらった大切なネックレスを彼のところに忘れてきてしまったことに気づいたのは次の日だった。もう次はないとわかっていたし次があってほしいとも思っていなかったがあのネックレスはどうしても取り戻したかった。再度行った男の部屋で見たものは前回はなかった子供や妻の写真だった。驚いた顔をした私を見た彼のルームメートは「知らなかったの?」と逆に驚いていた。私は、他の人の男とはたとえ遊びでも寝ない。私のポリシーを踏みにじられ女性を傷つけたかもしれない誰かの浮気相手になったと言うことにひどくプライドを踏みにじられた。私はどうしようもないやつなのかもしれないと思い、自尊心が地に落ちた。自分が少し嫌いになった。その1年後にかっこよく、優しい男を誘惑してみた。彼女もいないと言うし別に私に特別興味を持っているわけではないことも知っていたけれど彼の優しさにひかれ、もしかして・・・・と期待をしてみた。そして、何よりも彼の引き締まった肉体、優しげな瞳にひかれた自分がいた。全くその気のなかった相手をその気にさせ彼の優しさにつけ込み、甘えた自分がいた。この人とも次の逢瀬はないだろうことはわかっていた。1年前の男のことを話してみたら、彼は間髪いれず、「それは君のせいじゃない」と言ってくれた。あの男が私の誘いに乗ったのは(あの時は向こうが最初にアプローチしてきたのだけど)彼自身の責任だったと言うことを全くその気もなかったのに私の誘いに乗ってくれた男に言われた。彼は1年前の男と違い、最後まで私を人間として扱ってくれた。優しい彼の前では、私は、女である前に一人の人間であることがわかった。それに満足した私は、ヘンな罪悪感を感じずに時には誘惑的になれる自分に戻ることができた。また、自分が好きになれた。ぷちっ。
2006年11月19日
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本当に小さい頃なんかは今の世代のほうが前の世代よりも進化しているはずということを対して疑いもしなかった。ところが、小学校も中盤ぐらいになると「おかしいぞ?」ってなことに気がついた。それは、明治に教育を受けた没落貴族の生き残りでもなんでもなく単にやる気のあった田舎の子供であったおじいちゃん(当時80代)のほうが私の両親の世代の人たち(当時30~40代)よりも明らかに英語がうまいからであった。英語の単語数がより多い止まりだったならば「年の功?」とも思えたかもしれないが、違った。英語の発音が、アメリカ留学経験のある私の日本人の親よりも良いぐらいなのだ。話し方がこなれてはいなかったけれどそれは、日常会話として使ったことのない人の弱味だろう。なにせ、正しい構文を一度頭で組み立てたらちょっとなまりはあれど、はっきりと分りやすい発音で話すし、普通の英語の文を見せればちゃんと読解する。英語での手紙も、なかなかしっかりしたものを書くのだ。英語力が明らかに今の世代の人よりもある。ちなみに、おじいちゃんは旧満州地方に住んではいたけれど、西欧に留学経験はない。なんとも不思議だった。これに気づいたときに「はて、今の世代のほうが、昔の世代よりも優れている」なんて、うそ?という疑問が頭に浮上したのだ。それが今の「歴史は決して直線的に進化を続けているものではない」という自分の信条の基礎になっている原体験のうちの一つだと思う。ぷちっ。
2006年11月14日
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いじめについて書いたけど、そのときにマイミクのたかさんからもらったコメントでそういえば、自分もいじめ(?)られた経験があったっけ・・・と思い出した。あまりに程度が軽く、短期間の出来事だったのでそんなことがあったことも忘れがちだけど「いじめ」の話になると、妙に熱くなる理由も案外ここにもあるのかもしれない。どうなんだろ・・・。他の理由のほうが大きそうだけど。ことの背景はこう。中一のときに、学年末近くに復学した私は、転入生扱いだった。実際、休学して4月~1月末まで家族もろとも祖母のそばに一時期引っ越してしまったのでその新しい中学校に友人がいたわけではないし私は転入生みたいなものだったわけだ。で、「私は転入生。早く友達を作って、溶け込まなきゃ!」と軽く思っていた私は、着実に友人を作っていったわけだったが、その最中に、待ったをかけられた。クラスのボス的存在の子に私たち、学年末で最後にお別れを言い合ってるところだからそのクラスの結束を乱すな、みたいなことを言われたのだ。そんなわけで、中二になって、クラス替えをするまでの何ヶ月間、私は人と仲良くなり過ぎないように、「クラスの結束」を乱さないように気をつけて過ごした。だからこそ、中二のときに、「仲良しグループ」の一部になれてすごく嬉しかった。ところが、この「仲良しグループ」に、なかなかの曲者がいた。リーダー的存在の子だったのが、その子がクラスのボス的存在だったのだ。と言うわけで、ことの仔細。・・・・と思ったのだけど・・・。あ・・・・、気持ちが沈む・・・・。そういうわけで(笑)詳細は省かしてもらうけれども、結果的に、私は、友達だと思っていたクラスメイト達から一人を除き、総スカンを食らうことになり、一学期末から、その学年末までをまた孤独に過ごすこととなった。周りは「たまに一緒に食堂に行くのはいいけれど、いつもは困る。」と言ったり(確かに話題が合わないし、「ボス」の睨みが恐い)と言うわけで、なんちゅーか、影で同情はしてくれたけど何もする術なし。私の元所属していた仲良しグループ(笑)の一人は内緒で電話をしてくれたりして話は合うし、嬉しかったけれど学校では、関係のないふりをしなければならなかったのが玉に瑕。私としては、まあ、なんかのデマを流されたらしく最初は、「あの子に嫌われたのならともかく(実際、歯向かったし。笑)、他の人にまで一晩にして嫌われるなんて、何をしたんだよぉ~~」と気になって仕方がなかったし休み時間や、お昼に適当にだべる人たちがいなかったのもなんだか寂しかったけれどなんちゅーか、まだ周りに話を聞いてくれる人がいただけでもラッキーだったなぁ~と思う。・・・・と、こうして書いてきて「いじめ」と呼べるのだろうか・・・とだんだん疑問が。(^_^;)やっぱりだから今まで書くのをためらっていたのかなぁ?「自分はいじめられたことがあります」と言うのも。笑。その当時は、辛くて仕方がなくて学校に行くのも嫌だった時期もあったけれど(親は私が休みたいと言えば、簡単に休ませてくれたので別に学校に行くのがそこまで苦痛にはならなかったけれど)「いじめられている」「いじめられた」という感覚は当時も、今も、希薄。どちらかと言えば、無視された、デマを流された、仲間はずれにされた、と言う感覚。一つには、周りでもっとひどく執拗な明らかな「いじめ」が繰り広げられていたのもあるし、何よりも、地元の幼なじみ達は、(学校が違うから当たり前っちゅえば、当たり前なのだけど)全然普通に扱ってくれたし。私には、学校の外に、別のネットワークがあったからそこでの出来事がそこまで私の生活に影響を与えなかったと言う点もあるかもしれない。でも、理不尽に扱われた、とは思う。理由は、嫉妬もかなりあったようだし。くだらないね、本当。笑。ぷちっ。
2006年11月12日
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悩み中。結論はいつ出るのだろうか。まあ、再来年の1月までに何もしなかったら、その時点で結論は出たと言える。でも、そんななし崩し的に結論を出すのはあまりよくないと思う。出来れば、お正月までにもうちょっとはっきりとした見通しを出しておきたい。そのためにもメールをせっせと出し、もうちょっと積極的にコンタクトを取るようにして・・・。うう~~。(>_
2006年11月09日
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自殺「予告日」に備え、豊島区教委が警察に協力要請いじめ自殺を予告する文部科学相あての1通目の手紙が管内で投函(とうかん)された可能性が高いとされる東京都豊島区教委は9日、臨時校長会を開き、「予告日」の11日の警戒態勢などを指示した。区立の全小中学校31校は、11日早朝から校長や副校長らが学校に待機。区内の3警察署にも協力要請し、該当する生徒がいないかどうか、学校周辺で同日未明から巡回を強化してもらう。校内の巡回は教師と警備会社で対応する。区教委には9日夕までに、手紙に関連した情報は寄せられていない。日高芳一教育長は「すべての学校が当事者意識を持って対応してほしい」と呼び掛けた。(2006年11月9日19時56分 読売新聞)「警戒態勢」。「教師と警備会社」で「巡回」「学校周辺で同日未明から巡回を強化」これって、「いじめられてる」ってSOSを出してる相手を取り締まろうってしてるってこと?「殺して殺して死んでやる」って書いたから? でも、それは「(都教委に)どうにかして欲しい」、「もししてくれなければ・・・」って言ったあとでの話でしょ?脅し?脅さなければ何も変わらないと思ったからこそそういう強硬手段に出たのではないの?「緊急アピール、いじめを許さず、尊い命を守るために」何かを変える法案を具体的に示さずに、とにかく「自らの命を絶ってはいけない」の一点張り。「相談する勇気を持って」とは言っているものの、最近の報道を読んでいると相談して何かが変わるとは思えない現実。この手紙を出した人は、本当に一人で悶々と悩んで、一人で勝手に解決しようとしてると都教委側は思っているのだろうか?答えは、実際本人が出てくるまでわからないけれど、書置きのあった、いじめを原因とした自殺の数々が最近になってやっと「いじめを原因とした自殺」に書き換えられるような現状において(「文部科学省、いじめ自殺「0」修正へ…16件を再調査」)どうして権力者が自分の側に立ってくれると信じられるだろうか。本来ならば、「いじめがなくなるように、具体的にこういうことをします」と提案して、それに加えて「警戒」をするべきでしょう。自分からは何もせずに、SOSを出してきた相手を取り締まろうと言うのは徹底的なもみ消し態勢。「大人を信じろ」とは言うもののその大人が率先して生徒いじめをしている状況でどうしてそう言えるのか。そもそも、相談電話は普段から24時間体制であるべき。「都教委では、自殺を予告している11日まで、相談電話を24時間体制で受けられるようにする。」先生と校長側。権力者側への呼びかけが甘い。「いじめのない学校を目指してください。」また「いじめ」をもみ消すプレッシャーがかかるだけ。そもそも、学校に一人は生徒をいじめる先生がいるものなのではないか。私の小学校にも(私の学年ではなかったが)生徒を率先していじめた先生はいたし、中学・高校でもそういう先生はいた。双方共に、かなり理想主義的で、いろんな面でリベラルだった学校だったにも関わらず。先生方に「学校内でのいじめをなくしましょう」といじめは子供間のみで起きると言う前提の元に呼びかけるのではなくて、大人間でも起き、大人と生徒間でも起きうることを(方向はどちらにも向きえる)前提に、いじめは、「できるからやる」「見つからなければいい」という態度をなくしていく方向でいかないと無駄だと思う。そして、今の学校体制はそれに向いていない。だからこそその体制を変えるべく、具体的な法案を出さなくてはいけない。保健室の先生は、教室内で起きていることをいろいろ知っている。そういう立場の人の強みをより有効的に利用する体制を整えなくてはならない。それに、話題に上がるのは非常識なひどい教師だけだが、その影には、まともで、中にはかなり良い先生達も混じっている。その人たちが、もっと自由に「良い先生」でいれるようでなければダメだ。大人自体が「いじめ」をやめなければ「いじめが起きていない」と言う体裁のみを重んじる体制であるのが変わらなければ何も変わらない。子供側に問題がないといっているのではないけれど今の時点では、子供側の問題点を論じられるところまで来ていない。教育現場の体制のほうがまずすぎると思う。政府側は本当にこの程度のことに気づいていないわけ?それとも私の感覚がずれているの?自分がおかしいのかと思えてくる。ぷちっ。
2006年11月08日
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昔から、常々思っていたことだけど私はけっこう浮気性なんではないかと思う。他の人のかっこよさや美しさに気づくのよね。どういう状態にあれ、気づかないと言うことがない。ただ、それを見た時点で、どうにかしたいと思うかどうかは気分によりけり。そもそも、結婚できるかどうかという不安があったのは相手がいるかどうかという問題以前にもし相手がいても、他の人に気が行ったときに、気軽に乗り換えられないことに窮屈さを感じるような相手とでは関係が持たないし、関係を築き上げるまでの労力が面倒くさいと思っていたから。私にとって、恋愛は便利な活力源でありさえすれば良く、なんていうか、恋愛に「安定した関係」は求めていなかった。安定した関係は、家族や友人と保てていれば充分、と感じていた。何よりも、自分のやりたいこと・したいことに関して常に自分の可能性を最大限試していたかったし、自由でありたく、その自由は時として、大変な「孤独」と引き換えになったとはしても自由を犠牲にして、「窮屈な」安定は手に入れたいと思ってなかった。それ以上の「安定」は足かせにしかならないと実感していた。恋愛は、面倒くさくなったら、すぐ投げ捨てられるような程度にしか入れ込みたくなかった。でも、そろそろ慢性的な「孤独感」にも飽きて(疲れて?)きて、期間未設定の、本物の恋愛からくる満足感を垣間見せてくれた相手とすれ違ってしまったことひどく後悔したときぐらいから、本物の恋愛がしたくなった。すれ違った相手とは、焼き焦がれるような恋愛ができるだろうと思ったけど同時に、すごく辛いものになるのではないかと思ったしその前に、自分のくだらない欲に目がくらみ、すでにその相手を傷つける行為をやらかしてしまった後だったので、今までにないぐらい惹かれた相手だったのに、自ら何も言わずにしておくことにした。そして、落ち込む自分をなんとか元気付けるために惰性的な「大人の関係」を経て、そのむなしさにも疲れ、本当にほんまもんの恋愛しかしたくないわ、と思い出したころに現われたのがAだった。でも、やっぱり私は同じ人間だった。Aが大好きで仕方がないときでも目はしっかり他の人にも向く。出会った当初も、今もそう。ただし、Aとは何が違うかと言うとうちらの話の中には、タブーって言葉があるの?ってぐらい、何でも話しちゃうところか。お互い、「それは言わないほうがいいんじゃ・・・」と言う内容まで話してしまう。よく聞く「それは言っちゃいけないでしょ」ってものからピックアップした、私たちの間ではよく交わされる会話。過去の恋愛遍歴。お互いの過去の恋人等の名前およびプロフィールは全て把握しております。ここらへん、私たちの間では常識。自分達の過去は、自分の一部だから。今の話ではないし。なかなかかっこいい・魅力的と思われる人たちの品定め。道行く人の品評会は当然ですが、知り合いなどの中でも「あの人、好みだろぉ~」とお互い言い合ってはからかい合ったり。笑。ただ、Aと私の違いはと言えば、Aは本当に惹かれているのかといえば、そうではない。単に「いいねぇ~~」と思ってる、目(と気持ち)の保養程度。(過去に本当に惹かれていた友人はいましたが。)私は、と言えば、「いいねぇ~~」と評してる人の中には、本当に恋焦がれてしまいそうな相手も混じったりしてるってとこでしょうか。笑。でも、その「恋」も秘密の味が消えてしまえば、気持ちも半減するわけで、思わずAに「この人は、まじで好きになれる相手だ」と暗にほのめかしてしまった時点で恋の魔法の効力は半減してしまってるわけです。笑。そして、この間、このからくりまで説明してしまいました。まあ、くどい説明は不要でしたが。当たり前だ。笑。だから浮気性の私は、私の小さい浮気の種のことを話せるようなAのような人でないと続かないのだな、とまた実感してみたり。こうして、浮気の芽が土から出始める前から、小さいうちに摘み取っています。なんて方法なんでしょ。笑。浮気の予防も二人三脚!!浮気は一回だけでも、してしまったら、もう後には戻れないからねぇ~~。ぷちっ。
2006年11月01日
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