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以前も書いたことのある「誰も知らない」。この前、リンクさせてもらっているオダギリチガさんのところでも話題に出した。この記事にリンクさせるために、また検索してみたのだけどやっぱり言いたいことは、そことコメントを書いてくれたいろんな人とのやり取りの中で言い尽くされているような気がする。でも、また思うのは「今度は長女の視点からを中心にして作り直してくれ」ってことか。今日、また思った。ぷちっ。
2006年10月30日
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幸桶さんから回ってきましたぁ~~。面白い課題をどうもありがとうございます♪☆ 前の人が回してくれた漢字に対して自分が持つイメージ 1. 知智。深さ。静けさ。考え深さ。落ち着き。2. 美普通に、美しさ。華やかさ。使われる文脈にも寄るけれど、よく使われる用途だと、多少表面的な感じを受ける。もう一つ深みを表す言葉が補填されていてほしいと感じる。3. 聡聡明。ちょっと厳しい感じ。でも、嫌な厳しさではなく、正直さとものを見通す力の能力から来る厳しさ。人に対して使うときは、その人の自己表現法に関する形容ではなくて、その人の能力を形容する言葉。☆ 次の人に回す漢字を3つ1.柔2.来3.花☆ 大切にしたい言葉を3つこれって漢字を使う言葉なら何でもいいのかな?・・・ってことにしておきます。思いやり、友人(古典中国語でなら「故人」)、道程☆ 漢字のことをどう思う?言葉や表現を豊かにする可能性を秘める素敵なものだと思う。丸いひらがなに比べて、ちょっとカクカクしてるような気がする。実践的。コンパクト。(場所をあまりとらないと言う意味で。)非常に長い歴史を持っている。深い。☆ 好きな四字熟語を3つ表裏一体 ←便利な言葉だと思う。コンセプトは良く使わせてもらってます。今時初聞 ←韓国語で習った表現。日本語や中国であるかはわかりません。笑。医食同源 ←中華系素食のところに行くと良く見かけるけれど、本当にその通りだと思う。☆ 次に回す3名の方あんちゃんさん、ジョイアさん、マオフイさん、cieloさん。ミクシィ側では、きよん。さん、東風さん、Showさん、よろしくお願いします。ぷちっ。
2006年10月29日
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ミクシィを始めてから次々と地元の幼なじみと再びつながりつつある。元々、日本に帰るたびにこまめに会ってた友人たちともミクシィ日記を通じて、より日常的な付き合いが復活しつつあってとても嬉しい。単に幼なじみ達が好きだから、という理由だけではない。もちろん、好きだから、ネット上だけでも小学校のとき以来の日常的な付き合いがまたできるようになるのは嬉しいのだけど自称「日本にはありえないはずの気風を持った、一応『日本』にあるところ」で育ったと言っている自分の土地柄の呼称が自分の幻想だったのだろうか・・・と年を経るほどに思い始めていたからだった。ところが・・・・。みんなの、かなり肩の力の抜けたミクシィ日記を読んでたり、それに書かれる幼なじみ達のコメントを他の人のコメントなんかと比べてると「やっぱり私の幻想なんかじゃなかった。私の育ったところは特異な土地柄だったんだ・・・」と再確認できた。ほっとした。やっぱり私の子供時代の地元のみんなの印象は自分の幻想じゃなかったんだなぁ~~、と思って子供の頃のあれやこれやは本物で、自分の勝手な憧憬でなかったことを確認できたようですごく嬉しかった。地元があまりに面白い土地柄だったおかげでそれにどっぷり漬かって育った人の中にはのちのち「外界」と地元とのギャップにびっくりした人も多かったようです。私もそのうちの一人。よく言うことなんだけど、小学校を卒業して、公立の地元の中学に進んだ幼なじみ達と別れて私立の中学校に進んだ私は、入学後3日後には、海外へ10ヶ月行ってしまい、帰ってきたときに最も驚いたのは海外と日本とのギャップではなくて公立の友人たちと、私立の同級生達との気質の違いでした。転入生や帰国子女、ハーフという理由で人がいじめられたり、仲間はずれにされたり、いつまでも珍しがられたりそういう世界は、私には新聞を通してしか知らなかった世界で、よく理解できなかったし、戸惑いも大きかった。ミクシィでの幼なじみ達の発言を見ているとけっこうみんな個性がはっきりしているのだけどどうも私と気質や社会に対する姿勢とか考え方とかが似ている人が多くて・・・。自分なりの意見をはっきりと言える人が多いし女性同士、励ましあう人たちも多いし社会のあるべき姿の理想が非常に似ているような気がするしみんな、いろんな教育を受けていていろんなところで、いろんな人と関わっている。生き方とか、感じ方とか、多様な感じがする。保育園まで一緒に行っている人たちは半分親戚みたいなもので、お互いへの影響もかなり色濃いのでどこまでが土地柄かなんてよくわからないのだけど小学校からしか一緒じゃなかった人たちまで似たようなことを書いたりしてるとなぁ~~ああ~~~、やっぱり!!と思って嬉しくなってしまう。もしかして、私は子供時代から「孤独」だったのかも知れない、自分で気づかなかっただけなのかも知れない、なぁ~んて大人になるにしたがって、考えなくてもいいようなことを過去をほじくり返して考えてみたりして自ら孤独感を拡大させたりしてしまったり・・・なんてこともあったわけで・・・。ミクシィで、それは違う!と知れるだけでも孤独感は緩和されるわ、幼なじみ達と気軽に連絡は取れるようになるわで、本当に、ミクシィ様様!!って感じなのです。ぷちっ。
2006年10月26日
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こないだ、久しぶりにニューヨークに行ってきた。第三弾。大学時代の友人が、今はハーレムに住んでいる。友人のアパートの真下にドラッグストアができた。場所柄もあって、そこには「黒人向け」商品がいっぱい置いてある。髪をまっすぐにするストレートナーは私の近所でも良く見かける。でも、びっくりしたのは皮膚漂白剤が置いてあったことだ。「ええええ~~~~!!」と思った。こういうの見るとね、いかに未だに黒人社会で「色白」であることが重要視されている部分があるかが実感できる。辛いね。皮膚の色の濃さで判断する人種差別はまだまだある。まずは自分の周囲からできることをしていきたい。それには、まず自分の中の差別意識を自覚するところから。ちなみに、その近所にある「モカ」というおしゃれなバー・ラウンジのバーテンダーのお姉さん。日曜の晩に行ったときには思わず目を離せなかった私ですが(笑)彼女は脱色クリームをつかってなさそうだった。うん。顔も雰囲気も美人なスタイル抜群で優しげな人でした。かっこよかった~~~。思わず目を見張ってしまうような雰囲気美男・美女が多いのもニューヨークの好きなところ☆ぷちっ。
2006年10月19日
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こないだ、久しぶりにニューヨークに行ってきた。第二弾。大学時代の友人が、今はハーレムに住んでいる。「恐くない?」と聞かれることもあるけれど常に自分の周囲に気を配り、夜遅くは一人でうろうろしないようにし(特に女性の場合)常に目的地に向って(いるかのように)さっさと歩きいかにもやばそうな集団や人のいるところからはさっさと遠ざかるようにしていれば全然平気でそもそも、これぐらいのこと、どこにいたって普段から心がけなきゃならないことだ。なんてことはないと思う。でも、ハーレムにいることでやっぱり思わぬ文化的体験や、懐かしい体験ができて面白い。一つには、今友人の住んでいるあたりにはマルコム・エックスの始めたモスクがある。ここは、大学のときにフィールドワークの一環として、一学期間、毎週通いそこや、その周辺の状況に関する歴史などの本も読み漁ったところなので私にとっては思い出深いところ。ちょうど今回通りかかったときにはアザーンと呼ばれる祈りへの呼びかけが行われていて、聞きほれた。ハーレムでは、ちょっと音量が小さいようだったけどまあ周りとの折り合いもあるし、交通量も多いしでいろいろあるのでしょう。あのモスクはイスラム圏から輸入された通り一遍のイスラム教のモスクではなくて、現地の人たちの人種闘争なんかと関係した、けっこう複雑な歴史を持ったモスク。今でも、あのモスクが「ネーション・オブ・イスラム」のモスクだった時代から深く関わりあっていてスンニ派イスラム教に改宗したときをも通してずっとつきあってきていたイマーム(違うんだけど、牧師のような人)にモスクの人口構成とかについて聞いたときの、複雑な表情が思い浮かぶ。あそこは、一時期ものすごい注目されていろいろと心無いことや、当人達にとっては心外であることを書かれたりもしたようだしこじんまりとしたところなのに、大変だと思う。イスラム教圏に住んだことのある人は必ず「あの祈りの呼びかけが美しくて・・・」と言うのだけれど本当にそう。そして、その呼び声を聞いたときに私には、ユダヤ教のおごそかでもあり、一種にぎやかでもある祈りの様子も思い浮かびイスラム教の祈りへの呼びかけとユダヤ教の祈りの風景が一緒に見れる・聞けるのが一番だなぁ~~と思った。自分がお祈りをしている間にアザーンの声が鳴り響きその心地よい音に身を任せながら自分は自分の祈りの声に身をまた預けてゆく・・・なんて、とっても風情があって、素敵そうじゃない、なんて思う。(実際エルサレムの嘆きの壁周辺では、体験できるんだけど。)風景的にもとてもそぐうと思う。昨日今日始まったことではないけれど、両宗教の確執がここまで世界的に激しい状態は非常に残念なことだと思う。ユダヤ教やユダヤ人を知る日本人の間ではユダヤ教はキリスト教と等しく思われてるふしがあるように私には感じられることが多いのだけど実際はユダヤ教とイスラム教の共通点のほうがよっぽど多いと思うしね。私としては、イメージ的にユダヤ教が「エスニックなキリスト教」的扱いを受けている感じがするのがけっこう嫌だったりするんだよね。私的には、キリスト教よりは、イスラム教によっぽど親近感を持ってたりする。自分の宗教観とかなり関係があるのだけど。マスジード・マルコム・シャバーズ・モスクの脇を歩きながら、そんな感慨にふけったりした。ぷちっ。
2006年10月18日
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こないだ、久しぶりにニューヨークに行ってきた。結婚式のとき以来だから、かれこれ1年以上間があいてしまった。涙。次回も、よっぽどのことがない限り1年以上は間が空いてしまうことが既にわかっている・・・。今回は、なんと携帯を忘れてしまったので前以て会う約束をしてなく現地についてから、あるいは空港から電話しようと思っていた人たちと連絡が取れなかった・・・。がっくし・・・。まあ、それでもすでに何人かと約束は取り付けていてこういうこともあろうかとその人たちの電話番号は別に控えていたしAはちゃんと携帯を持っていったので特にせっぱつまっることはなかった。私は、旅行をするといっても旅費を出す以外は、お金のかかることはしない主義なので(みみっちくてごめん。)特別、「すっごぉ~~い」と言うようなことはしなかったのだけど唯一、私にしちゃすごいお金のかかることをしたのは「レント」のミュージカル版を見に行ったこと。ただし、「すごいお金を出した」とか言ってるけれどもみみっちい私のことですから、それでもくじではなくて、事前に正規で手に入る値段では、一番の格安チケットをものにしました。朝、tktsと言うその日の公演の余りチケットを正規料金の30~50パーセント引きで売るところに出向き、ちょーいい席を半額でゲット。半額でも私的には、ぎりぎり範囲内だったんだけど・・・。涙。公演自体は、まあまあで、私としては、このチケット購入体験のほうがどきどきしました。公演は、もう旬が過ぎちゃってたのね、って感じ。次回は、やっぱりもっとフレッシュなものを見に行きたいと思います。もっと安いし、もっとエネルギーに溢れてて、生の公演を見たっ!!って感じさせてくれると思うから。ニューヨークに住んでた頃はもっぱらダンスやバレエばっかり見に行っていてミュージカルとか、演劇とかはよっぽどの理由がない限り見に行かなかったのでこれも良い経験。なんと言ってもtktsでの買出し経験が良かった。笑。*******ニューヨークは紅葉づき始めていて黄色や赤の葉っぱがきれいでした。青々とした木々の秋色に変わっていっているのを見て「いいなぁ~~~」と思った私。それと、(日本の)本州のように湿気づいた空気も肌に気持ちよく「やっぱり気候的にも私にはニューヨークのほうがいい」と思われ。かの地に「帰る」のはいつなのか。そんなことを思って、ちょっと切ない気分を味わいつつ、ニューヨークとお別れしました。ぷちっ。
2006年10月17日
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火のないところに煙は立たない、とは噂やデマが流れるたびによく言われることだけど確かにそうだと思う。ただし、元になる火のほうは自然現象に沿って赤々と燃えているのに煙のほうはピンクだとか青だとか空気と逆のほうに向って吹いていたりだとかいろんな、びっくりするようなトリックに巻き込まれて、すごいことになっていることもあって「煙」の内容をそのままコロッと信じてるととんでもない勘違いをしでかすことになることもよくある話で。結局、煙は「なんかあるかも?クンクン」という手がかりにしかならないことのほうが多いのよね。ぷちっ。
2006年10月11日
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世界的ニュースが、突然、他人事でなくなった日がある。2001年9月11日だ。それをはっきりと意識したのは私にとって、縁のあるような、ないような、不思議な縁のあるマイナーな国の宇宙飛行士の乗ったスペースシャトルが任務を完了し、地球に帰ってくるときにまさかの空中分解を起こし、飛行士全員が死亡したというニュースを聞いたときだった。それまでの私だったら「なんて悲しいことなのだろう」と思って聞き流すか、せいぜい、飛行士達本人や、その家族・友人達の気持ちに思いをはせる。それぐらいだったと思う。でも、そのときの私のリアクションは自分でも戸惑うほどだった。そのことを聞いて、そのマイナーな国出身の宇宙飛行士やその家族のことを考えてえんえんと泣き崩れてしまった。元々関心のあったことでも、知り合いとつながりのあることでも、なんでもない。たまたま目にしたニュースと、関連記事群だった。そのときに私にとっては世界的ニュースになるような出来事が他人事とは思われず、逆に、非常に個人的なものとして理解されるようになってしまっていることに気づいた。2001年9月11日にニューヨークで起こったこととそれに関連して、私が経験したことに関しては今までも、整理して書けたことはない。泣き出さずに、それに関して話せたためしもない。そのときのことを思い出すのが辛いあまりそのときのことが話題に出ると、そっとその場を離れるようにしている。何度かそういう場に無理して同席して涙を我慢して(そうでないとオイオイ泣き出してしまうから)胸をかきむしられる思いをしたことがあるからだ。前置きが長くなったけど今日、初めて全部整理して書いてみる気になった。その日の詳細はこうだ。それまでの背景として知っておいたほうがいいことはその8月まで、私はニューヨークに住んでいて、その1年ほど前から、次の年はニューヨークを離れなければならない可能性が強かったため、実際にニューヨークを離れる8月までの1年間、私は、なんとかニューヨークに対する気持ちの整理をつけようとしていたにも関わらず、それがなかなか難しく引っ越した先での西海岸(=東海岸との時差は3時間)でもニューヨークに対して未練たらたらでそれでも、当時、自分の住む新しい街に一生懸命慣れるように努力していたこと。私のニューヨークに対する執着心はものすごいのだ。笑。朝起きて、7時頃に、ネット・ニュースをちらっと見て高層ビルに飛行機が激突している写真は目にしたが見出しまで見るひまはなく「なんかの映画の宣伝か、なんかの実験の予想図かな?」と思って特別気にもかけていなかった。朝一の、一時間足らずの授業の学生の出席率がものすごく悪いのを不思議だと思いながらものほほんと過ごした。授業のあとに、コンピューター室に入り、「さ~て、今日のニュースは何だろう。今日はどういうメールが届いたかな~」とお気楽に考えつつコンピューターに向っていったら、知人が立ち上がりざまに「やれやれ、なんて日だ・・・」と頭をふりふり立ち上がって出て行こうとするので「なんのこと?」と言ったら「まだ知らないの?ニュースを見たらわかるよ」と言われたので「これが今日の授業の出席率の悪かったせいなのかなぁ~」と思ってネットにつながった。ニュースを読んで、即座にそれがどういうことかは理解できなかった。最初に自分を襲った感情は自分の街に起こった大惨事を感じ取ることができなかったことへの怒りだった。考えてみれば、朝からいろんなことがあってちゃんと気をつけていれば、どこかでそのニュースはもっと耳に出来たかもしれないのだ。だからって何かが違ったかと言うと、そうでもないのかもしれないけれど単にそれを知らずにいて、感じ取れもしなかった自分にものすごく腹が立った。その後は、いろんなことがあった。ショックを感じたときに、人はいろんな表し方をするもので時には、ひどく自己の感情の感じ方・表し方を正当化するものだと思う。私は、他の人のショックの表し方を「不謹慎だ」「ひどい」「冷たい」「どうしてそんなに平気そうなのか」と批判的に思わずにはいれなかった。と同時に、話せる相手が見つからなく、莫大な孤独感と、「泣いてはいけない」という強迫観念の狭間で、言葉を発することもできず、なす術を知らなかった。そんななか、私の様子のおかしさに気づいて、先生に連絡をいれ、私を研究室に呼ぶように手を回してくれた、知り合って間もない同級生がいた。ニューヨーク出身でもある先生は、自分の研究室で詰まっていた涙を流させてくれ、親に国際電話もかけさせてくれた。他にも、虚ろな目をして歩き回っていただろう私に「ちゃんと食べな。食べなきゃダメだよ」と言ってお昼をちゃんと食べるまで見届けてくれた留学生仲間もいた。私は、連絡を取るぐらいの仲である知人や、友人でニューヨークにいる人には一人をのぞいて、全員連絡を取った。大学や高校の卒業生のためのセーフティリスト(安全確認リスト)がメールで回ってきたりしたし、自分でもネットでこまめにチェックした。電話で連絡の取れる友人には、当日は連絡が取れなかったけれど2週間以内には、ほぼ全員と連絡が取れた。みんな、興奮冷めやらぬ様子で仕事に行けなくなったこと、同僚で家に戻れなくなった人を泊めさせていること、一日中、何がどうだったのかわけがわからず、とにかくダウンタウンを走り回るはめになった怒り(この人は市役所勤務)、伴侶があともう少し早く家を出ていたら命が危なかったかも知れなかったこと、でも、その地域にいるはずの伴侶と夜まで連絡が取れなかったので、気が狂いそうになったことなどを話してくれた。一人一人の話を聞いて、それでも、知人・友人やその家族や親の友人であり、私にとっても心のよりどころとなってくれていた人や、その家族に何事もなくて、とにかく良かったと胸をなでおろしていた。その一週間後ぐらいに本当に淡い知人だったけれど、週刊メルマガを書いている同じ高校卒のかなり上の先輩が崩れ落ちるワールド・トレード・センターから、命からがら逃れ、そのとき導引してくれた消防士の姿をのち見ることはなかったことや家族とまる二日間連絡が取れなかったことも含め詳しい経験談をメルマガで流してきた。これに関する話や、本人のPTSDやそれに関わる心身症との闘いはのちのメルマガでも流れてきた。その一週間後ぐらいにニューヨークで知り合い、すでに日本に帰っていた友人から紹介された共通の友人の伴侶がまだ行方不明だという連絡をメールで受け取った。なんとなく、気になりながらもいろいろ考えすぎて連絡が取れていなかった相手だった。メールを読んで、大体の見当はついてしまった。連絡を取ってみると、元気のなさそうな声で「心配してくれてありがとう」。もう、言うことはなかった。総勢、私の知人・友人で何らかの直接的な影響を受けた人たちは6家族。少ないほうだと思う。私は、すぐにでもニューヨークに飛んで行きたかった。でも、消防士でもなく、医者でもなく、看護婦でもなく、精神医でもなく、カウンセラーでもなく、医療系ボランティアでもなく、役に立つような知識や技術は何一つ持ち合わせていなかった。そこに行けば、私はおろおろし邪魔なもう一体の身体になり下がるだけだと言うことは日の目を見るよりも明らかだった。だから、行くのはかろうじてとどまった。医療的技術も知識も持ち合わせていないまだ自立もできていない社会の寄生虫のように生きている自分をあの時以上に怨んだことはない。医療系にはもう進めない、自分の無能さを深く恥じた。9:11とか、911という数字の羅列にいちいち気づいてしまわなくなるのはいつのことなのだろうか。数字の羅列に関しては、気づいてはびっくりしなくなっただけ進歩は感じられる。当日やその周りのことに関しては「6家族」と、抽象的に数字で表せるようになったところにもわずかながらの進歩は感じられる。焦ってはいけないのだけれど、毎回毎回泣き出さずにあのときの話を淡々とできるようになるのはいつのことなのか、将来を心待ちにせずにはいられない。ぷちっ。
2006年10月09日
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