全9件 (9件中 1-9件目)
1
昭和のわりと地味な商店街の小さなお店のショーウィンドにあった覚えがあります。冒頭の動画ですね。懐かしの水のみ鳥ードリンキングバードですね。物理が大の苦手であった私はこの仕組みがよく分からないのですが、水を与えていると半永久的に動くのだそうだ。でも、このような鮮やかな色合いであったか?私の記憶にある色合いはこんな感じかな?この左の黄色っぽいというか、オレンジ色のようだったような気がします。こんなの知っている人はザ:昭和の人なのだろうかと思いましたら、何とウチの生徒さん(中学生)が知っていた。え?え?え?別に水は飲まないのだそうだが、シルクハットを被った鳥、このビジュアルをお家の方が思い出したらしい。正解は「あつまれ、どうぶつの森」のアイテムだそうだ。この左の方ね、Twitterで画像を拝借いたしました。この鳥をゲットするにはどうしたらいいかーなんてSNSを見ればわかるのだそうですが、私は一生わからないと思います。黒電話、茶の間なんて言葉を今日びの子どもは意外と知っている、原因は日曜日の国民的アニメである「サザエさん」「ちびまるこちゃん」なのだそうです、偉大なるかな、長谷川町子さん、さくらももこさん!そのうちゲームにも昭和懐かしアイテム登場するかな?普通の会社員から文筆家になられた方がエッセイ集で、毎日満員電車に揺られて出勤して定時まで働いてーそれでいいのか?とこの機械的に動く水飲み鳥を見て考え込み、一念発起したーなんてことを思い出しました。でも、当時は昭和!!終身雇用は約束され、リタイア後は豊かな年金ライフが保証されていました。今はもうコロナ禍で、このようなプランは吹っ飛んだようです。水飲み鳥、ドリンキングバード、またの名を平和鳥と言うそうです。戦後の昭和は経済的な面でいえば、平和で夢を見ることが出来る時代だったようです。
2021.08.23
コメント(0)
3月終わりに渋谷の東横が閉店した。話は聞いていたし、数年前にのれん街を含む西館が閉館したし、いよいよかーという感じでした。今年はコロナ禍の真っ最中でしたので、緊急事態宣言が解除になって、久々に渋谷に行ったら、「おや!」と言う方が少なからずいらしたと思います、実は私もそうです。やはり、私にとっては昭和のデパート文化の象徴のような存在でした。たしか食器やらインテリア用品などを扱っていたフロアにとても好きなお店がありました。タイシルク専門店の「ジム・トンプソン」です、それまでタイの王朝のみで扱われていたタイシルクを世界の市場に広めたのがアメリカの実業家のジム・トンプソンでした。彼は戦時中、CIAの前身で諜報部員として働き、戦後東南アジアに赴任となり、そこでタイシルクと出会い、その美しさに心奪われ、私財をなげうって製品を世界に広め、成功したビジネスマンとなりました。その後、1967年にマレーシアの高級別荘地であるキャメロン・ハイランドで友人たちと過ごしていたのですが、突然消息を絶ち、当時のマレーシア警察はもとより祖国の人まで動員して大掛かりな捜索をしても見つからず、今に至っています。この事件に興味を持った松本清張さんが、これをモデルに「熱い絹」というミステリーを上梓されています。確か清張さんの見解ははCIAがらみの争いとかじゃなかったのかな美しい絹織物を残して、アジアの密林に永遠に消えるーなんて、ご遺族の方は大変ですが、どこか文学的な気がします。話は戻りますが、東横店のジム・トンプソンの店に無地のクッションカバーが置いてあって、何とも魅力的だったのですよ。上品でつややかな輝きーとでもいうのでしょうか。でも、自分の部屋の事を考えるとシルクのクッションカバーなんてとてもマッチしない空間なのですよ、人には分相応と言うものがあるーなんてことを考えてエレベーターの方に引き返す、そしてまた用事があってジムトンプソンの店の前を通ってため息という感じでした。お世話になった方にこちらのシルクのハンカチをお贈りしたことがあったのですが、とても喜んでくれまして、「だって、自分使いのためになんて買えないわよ」と言われたことがあります。いまは日本から撤退して、バンコクで買うか、通販で買うかなのだそうです。東横店は西館・東館・南館とあって、迷路のようなところが結構好きでしたが、そういうのは今の時代にはそぐわないのでしょうね。さんざんお世話になりましたのに、いつのまにか消えていた東横店、まるでジムトンプソンのようでした。
2020.06.29
コメント(0)
この自粛期間中、部屋の整理をされた方は多いと思います。私は9年前の引っ越しのとき、だいぶ処分しましたのであまり断捨離はしなくてすんだのですが、全く記憶のないおせんべいの缶が見つかりました、開けてみたら空でした。お菓子、海苔などの空缶は昭和生まれの私はとりあえず「取っておく」なのですよ。まず、丈夫だし、湿気に強い、カメラ時代にフィルム等を入れていた人が結構いましたよ。子どものころ、学校から帰ってきて、台所にコレがあると嬉しかったかな?泉屋のクッキー!やったーと思って蓋を開けると昆布やらきくらげだのの乾物が出てきてがっくりしたものです。昔は食料保管箱の役目もしていました。もう一つ思い出したのは、近所のおばさんが町会費やらお祭りの寄付金の集金に使っていた物。小ぶりで脇でかかえられるちょうどいい大きさだったのでしょうね。ヨックモックのシガールですね。今年の夏は静かだそうですが、鎌倉と言えば「鳩サブレ」よく修学旅行生は紙袋入りのをぶらさげていますが、大缶がある。私の友人が久しぶりのドカ雪で雪かきをしようと思ったらスコップが見つからず、この鳩サブレ缶の蓋で雪かきを中腰でしていたら腰を痛めてエラい目にあったそうですこのステイホーム期間中、NHKのBSで、ゴッドファーザーを1~3までオンエアしていたのですが、PART3で、ボスの命令を受けて殺し屋が列車に乗ってターゲットの家に向かうのですが、列車の中でやおらお菓子の箱(たぶん缶)をあけるのですね、上段はおいしそうなクッキー、でも下段には拳銃!!なんてシーンがありました。題名は忘れたのですが、松本清張さん原作の映画で、支援者みたいな人が議員秘書に最中だかお饅頭だかの缶をわたす。蓋を開けると下段には当時の聖徳太子さんがびっしり(賄賂ですな)という場面がありましたっけ。このように缶は色々なものをいれたり、雪かきのスコップ代わりになったり、ヤバいものをいれていたりと大いに活用されていた気がしますね。今は中身を食べつくすとリサイクルゴミなのかな?
2020.06.08
コメント(0)
首都圏では今夜未明より雪の予報が出ています。坂の多い我が町では雪の予報が出ると、背筋が凍る思いがします。昭和の子どもだった私は雪と言えば雪合戦、しかし平成生まれの生徒さんたちは「雪合戦?知ってるけれどやったことない、校庭?まさかあ!」なのだそうです。ま、安全上色々大変なのかもね。雪合戦の歴史は古い、源氏物語の浮舟で、子供の遊びとして「雪ぶつけ」の名で出ているそうだ。江戸時代、歌川広重の浮世絵で、「むつの花、子供の戯」として雪合戦の様子が残されている。昔の子どもは老けていたのか?現在では公式スポーツとして、全国大会があるらしい。と言っても、暖冬の昨今、雪があるとは限らないし、オフシーズンの練習用として推奨グッズがありました、うーん微妙です!!私は都内の公立小学校の出身ですが、朝起きたら一面の雪景色の日、確か土曜日に学校に行ったら、授業はなし、校庭で全校雪合戦、ヒートテックもダウンもない時、雪の中で歓声をあげて走り回り、赤い頬、鼻水を垂らしながら雪合戦に興じていた思い出があります、当時土曜日は給食なしで、帰ってうどんを食べたのを覚えています。子供用のピアノ曲で雪合戦のタイトルの曲を見つけました。バスティン・ベーシック4より「雪合戦」ツェルニー100番の最初くらいのレベルです。動画:バスティン「雪合戦」大村典子ピアノピースセレクション1より「雪合戦」ツェルニー100番の中ぐらいのレベルです。動画:有馬礼子「雪合戦」もし機会がありましたらトライしてみてくださいね。ところで明日の朝、窓を開けたらどうなっているでしょうね?
2020.01.27
コメント(0)
以前、生徒さんの親御さんから、お子さんがピアノ練習中に足をぶらぶらするのどうしましょうと尋ねられると、迷わず足元に電話帳おいて下さいと言ったものですが、今の電話帳じゃとっても無理! 90歳を過ぎて大ブレーク中の佐藤愛子さんのエッセイは昔からファンですが、佐藤さんの鉄板ネタでイタズラ電話モノがあります。 個人情報もヘツタクレもない時代、有名人でも恐ろしいことに名前が電話帳に載っていたのです。 ちなみに初めての電話帳には、伊藤博文、徳川慶喜も記載されていたそうです。 今、固定電話がない世帯も増える一方だそうなので、電話帳が薄くなるのも致し方ないのかも。 今の親子電話は親機子機が一斉に鳴りますが、昔の親子電話は切り替え式でした。昼間は居間というか茶の間、夜は寝室ていうパターンが多かった。しかし、うっかり忘れることがある。例えば高齢者の住まいなど、あまりに出ないと強盗にでも入られたのではないか等大騒ぎのなったケースが身近なところでありました。 留守番電話も初期は仰々しいものだとの記憶があります。たしか刑事ドラマで身代金の請求のシーンで見たのかな? テレビドラマといえば、携帯電話の普及で所謂すれ違いというものが不可能になったので脚本家さんが苦労しているという話を聞いたことがある。 携帯電話が普及していなかった昭和という時代、電話は確かに不便ですが、魅力的なアイテムでしたよね。 私か若かった頃、電話は何故かお風呂場の手前に置かれていました。そのような悪条件でも家族のプレッシャーにもめげず長電話をしていた元気はとりあえず今の私にはないようです。
2018.11.19
コメント(0)
もうだいぶ前からやっているCMらしいですが、先日初めて見ました。ノーリツというガス給湯器のCMで、若い女の子があるメロディーが頭に浮かんでくるが、どうしても思い出せず、帰宅してお風呂を沸かしてああ、この曲だというのですが、タイトルは「人形の夢と目覚め」です。この曲を聴く機会は多分ピアノの発表会だと思うのですよ、それを考えると知る人ぞ知る曲なのかもしれませんね。CMでもちらっと出てきますが、まらしぃさんが、原曲と華麗なアレンジの動画見つけました。動画:人形の夢と目覚めなんでこのCMを引っ張り出したかというと、実は似たような経験を新年早々したのですね。もう何年も♪タッタカタ タッタ方カタ タッタカタッタカター♪というメロディーがたまに頭に浮かぶのですが、それが何か分からない、1回友人に聞いてみたら「さああ???」だった。お正月休みラジオを何気なく聞いていたら、あるゲストの人のトークで「なつかしいなあ、アレ、♪ファンタラマー ファンタラマー、みんなのファンタラマー♪」えっ、ちょっと待って、それじゃないのソレ!ファンタラマで検索してみましたら、今はなき那須ロイヤルセンターという遊園地のレジャー施設だったそうで、20世紀に閉園したそうです、さすがインターネット、搭乗動画ありました。動画:ファンタラマこの曲はサトーハチロー作詞中田喜直作曲という、日本唱歌界のゴールデンコンビの作品なのだそう。長年の疑問が新年早々氷解したようで、妙な充実感を味わいました。別に何かトクしたわけではないですが…
2018.01.15
コメント(0)
先日、随分久しぶりにお豆腐屋さんのラッパを聞いた。そうだ、昔よく聞いたものだ、懐かしいなあ。「いーし やーき いもー」「さーお だーけ」は今でもたまに聞いたりする。でも、もう聞かなくたった懐かしい街の音もいくつかある。探してみた。ー屋台のラーメン屋さん―ー古紙回収(チリ紙交換)-ー金魚屋さん―ラーメン屋さん、金魚屋さんはまさに季節の風物詩だったような気がします。こういった音が流れていた、まさに昭和という時代は確かに、賑やかで不便でしたが、色合いというのは濃かったのかな、と改めて思います。昔、明治は遠くなりにけり、なんて言葉がありましたが、平成になってから早28年。昭和も遠くなりつつありますね。
2016.05.02
コメント(0)
先日、ついつい時間を忘れて見入っていたサイトがある。サイトというかツイッターのまとめですが。教科書に載せたい「昭和しぐさ」いやあ、どっぷり昭和世代といたしましては懐かしいやら、おかしいやらで没頭してしましました。こちらに書かれている―家電製品にカバーをかけて埃から守った―で、思い出した。そうそう、今考えってみれば首をかしげるようなものもありました。で、画像見つけた!これはテレビカバーですよ、ゴブラン織りっていうのですか、見ないときはまるで劇場の緞帳のように垂らしてます。今もうアンティークに近いのかなあ?黒電話です。このカバーまるでアキバのメイドさんのようです(萌)家電じゃありませんがなんでここにカバーが!今となっては意味不明今度はヒトですが、会社の庶務課の方などが腕にしていました。今でもあるのでしょうか?このサイト私でも???の項目がありました、そういえば戦前から昭和でしたものね。64年間の時代です、そりゃ色々ありましたわ。
2014.11.24
コメント(0)
先日FMラジオでたまたま素敵な曲を耳にした。初めて聴いた曲ですが、ジャン・フランセという現代フランスの作曲家の作品であるーオーボエと管弦楽のための「花時計」-花時計というのは開花時刻の異なる花を順番に植えて時刻を計るものであるそうだが、フランセはそのイメージで色々な花7つのタイトルがつけられている。ところで花時計というキーワードで私の頭はいきなり昭和にタイムスリップするのだ。もう十年以上前に閉園した向ヶ丘遊園地なのだ。ここに花時計が存在したのだ。画像を探してみて懐かしさのあまり拝借した。この隣に大階段があった、懐かしいです!!ところで、この花時計電車の車窓から見た記憶が色濃く残っている。電車といえば小田急線、いくら昔は家が少なかったとはいえ、遊園地跡地にできた現在の藤子不二雄ミュージアムは沿線からかなり遠いはず、これは記憶の上書き保存というヤツなのか?と調べていくと、ようやく合点がいきました、沿線とは小田急線ではなく、遊園地行きのモノレールがありまして、そこからの風景だったのですね。ちなみにモノレールは2001年に廃止され、遊園地は2002年に閉鎖されたそうです。この画像、モノレールの両側の建物に注目してみて下さい、第一勧銀と富士銀行ですよ、このときは後にみずほ銀行として一緒になる運命はつゆ知らず?(水面下ではどうだか知りませんが)自分の記憶が間違っていなかったのがわかって妙にホッとしました。で、記憶ついでにもう一つ思い出したことがある。こちらは現役遊園地「よみうりランド」です。この中で、水中バレエというショーがあったのだ、水深何mだか忘れたが、イメージとしてはいまどきの水族館の巨大水槽を思い浮かべていただきたい、この中でひらひらしたドレスを身にまとったダンサーさんが音楽に合わせて舞っていたのです、もちろん水中では音楽は聞えない、陸での厳しいレッスンのタマモノであったそうです、そして水槽の中に長いホースのようなものがあって、こちらから酸素を補給していたらしい。当時はそのような舞台裏がわからず、竜宮城へいった浦島さん気分だったのでしょうな。こちらは1997年に終わってしまったそうです。懐かしいポスターです。FMラジオでたまたま聴いた曲がここまでつながりました。もう芋蔓式というものでしょうね。年を重ねるのもそうそう悪いものでもないのだよと思える瞬間でもあります。
2014.09.22
コメント(0)
全9件 (9件中 1-9件目)
1