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April 23, 2017
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カテゴリ: 教授の読書日記
戦後から現在に至るまで、日本を代表するアメリカ文学・文化研究者であり続けられている亀井俊介先生の、その研究者としての足跡をご自身の語りとインタビューで辿る本、『亀井俊介オーラルヒストリー』(研究社)という本を読了しましたので、心覚えを付けておきましょう。

 まず特筆すべきは、この本が「執筆」ではなく、「語り」で構成されていること。亀井先生が東大をご退官された後、第二の(本当は第三の、ですが、本来第二の職場であった東京女子大にあまり良い思い出がないようなので(そのことは本書にも記してある)、あえて第二の、と言いますが)勤務先となった岐阜女子大学の「デジタル・アーカイヴス」プロジェクトの一環として企画された本書は、戦後日本のアメリカ学をリードされてきた亀井先生の軌跡を、亀井先生ご本人の語りを通して、文字通り「肉声」で、記録することが主眼であったためにそういうことになっているわけですが、それだけに文語体で「執筆」された本とはまた別次元の読み易さがある。と同時に、研究者同志が難しい用語を使ってするような肩肘張った研究なんてものはつまらん!と主張され続けてきた亀井先生ご自身の研究者としてのスタンスからして、このような気楽な語りこそ、亀井先生の本質を掴まえるには最上の手段でもある。ま、亀井先生ご自身の言葉を使えば「浴衣がけ」のスタイル、ですな。実際、亀井先生のことをよく存じ上げている同業の読者はもとより、そうでない読者にとっても、亀井先生の柔和で、しかししなやかな強さを持ったお人柄が、語りを記した行間から漂ってくるようでございます。

 で、「時代を追って」と題された本書第一部は、「見敵必殺」の軍国少年だった幼少期のこと、また戦後「親米」の方向に大きく舵を切った節操なき日本の中で、さほど違和感なく、否、むしろその解放感を謳歌するようにアメリカへの憧れを抱きつつ「英語少年」となり、やがて岐阜の田舎から東京大学に進学していった頃のことなどから語り始められ、その後、東大英文科のあまりに字義に拘泥しすぎる「文学研究」の在り方に疑問を抱き、文学の本質に迫れるような研究のスタイルを求めて大学院では比較文学研究科に進学、そこで島田謹二先生の薫陶を受けながら、また英文科に進学した連中には負けないという意地も持ちながら、猛勉強に励むことになる青年時代の思い出が続く。そしてその後、まだ日本人が容易に海外なんて行けなかった1950年代に初めてアメリカ留学を体験、これが決定的にその後の亀井先生の研究者の方向を定めることになっていく・・・。『福翁自伝』をはじめ自伝というのは大抵そうですけど、やっぱり若き日の一途な猛勉強の思い出というのは、勢いがあっていいもんです。

 で、そうした猛勉強の末、亀井先生の最初の学問的達成として、『近代文学におけるホイットマンの運命』という本が出版される。弱冠三十代にして、亀井先生に学士院賞が授与されることになる、伝説の名著の誕生でございます。

 で、その『近代文学におけるホイットマンの運命』ですが、「処女作にその著者の全てが籠る」というのは本当でありまして、この本はその後の亀井先生が展開される様々な方向のご研究の萌芽がすべて詰まっているようなものだったと。

 それには幾つかのレベルの意味があって、一つはウォルト・ホイットマンという詩人の奔放さが、ある意味、亀井先生ご自身の奔放さの象徴であったということ。旧弊で束縛的な伝統に縛られることなく、自分の内面の欲望だけを信じ、それに突き動かされるようにして「僕自身の歌」を歌ったホイットマンに励まされるように、亀井先生も先生独自のアメリカ学を追究されることになるのですが、そういうホイットマンと亀井先生の共通性が、『ホイットマン』という本のそもそもの執筆動機であったということ。これはもう疑い得ない。

 もう一つは、この本が「ホイットマン」という詩人についての文学的研究書というよりも、「ホイットマン」という稀有で破天荒な人物を一つの視点として、彼の思想的影響がどのようなさざ波を描きながら日本に伝わってきたか、ということを研究した「比較文学研究書」であったこと。やっぱり亀井先生は、お若い頃から「日本」と「アメリカ」という異なる文化の国の狭間で、両者を比較しながら研究することの意義を、自覚的に捉えられていたんですな。本書の中でも亀井先生が繰り返しおっしゃられているように、先生はアメリカという国、そしてその文化に対して「wonder」を常に感じていらした。色々なことが日本とまったく異なるアメリカに対して、何年経ってもビックリされていたと。その新鮮な「ビックリ」を解明したいという基本的な欲望、それが亀井先生のすべてのご研究の原点だということが『ホイットマン』という本で明らかにされたし、その後のご研究にもすべて当て嵌まっていると言えるではないか。

 そしてもう一つ、『ホイットマン』という処女作が、それを書かれた亀井先生ご自身に、様々な宿題を投げかけてきた、ということもあります。例えばつい先年、傘寿を越えられた亀井先生は、『有島武郎』という日本の作家についてのご著書を出されたのですが、これはアメリカ(文学)研究に倦まれた先生が、手慰みに日本の作家について本を書いてみた、ということでは全然ない。『ホイットマン』の中で、ホイットマンに影響を受けた日本作家の一人として有島武郎のことを挙げていたものの、そのことを十全に展開できなかったという負い目が亀井先生の中にあって、その宿題を今、ようやく果たしたというのが『有島武郎』の執筆動機であったわけ。つまり、先生がお若い時に書いた本と、現在先生が書かれている本の間には明確な一筋の道があるのであって、全然ぶれていない。

 そして、そのように考えてみれば、これまでに亀井先生が書かれてきた膨大な数のご著書、例えば有名な『マリリン・モンロー』なんかでも、突き詰めれば『ホイットマン』という最初の本から発した一筋の道の、その延長線上にあるものと言えなくもない。なんとなれば、ホイットマンもモンローも、彼らが生きた時代の主流ではなく、むしろその主流に逆らうような立場の中で、懸命に自分自身を表現しようとした人達であり、そういう意味で「もっとも美しい人」達だったのだから。



 ちなみに、『近代文学におけるホイットマンの運命』が亀井先生にとって大きな意味があったのには、更にもう一つの側面がありました。この本が学士院賞を受賞したことによって、付随する様々な利点が亀井先生にもたらされたんですな。例えば、この本で有名になったおかげで、先生は再びアメリカに渡航する機会に恵まれ、それによってアメリカ文化研究に関して大きな収穫を得られたというのが一つ。しかしそのこと以上に大きかったのは、この本が亀井先生をアカデミズムの束縛から「自由」にしたということ。つまり、学士院賞を受賞したという点で、「やろうと思えば東大英文科の連中に負けないような『学術的達成』がいつでも出来るんだ」ということを証明しちゃったわけ。だから、もうこれ以上、アカデミックなことに拘泥しなくても済むようになっちゃった。

 で、以後、亀井先生は、ますますご自身のやりたいような研究と執筆活動に邁進されるようになる。そしてその結果、例えば研究者のみならず一般の読書人に大いに受け入れられ、日本エッセイストクラブ賞も受賞した『サーカスが来た!』のような著作であるとか、あるいは口語体でアメリカ文学の魅力を語るという点で画期的な文学史であった全三巻の『アメリカ文学史講義』に繋がっていくと。その辺りの快進撃については、本書第二部「著作をめぐって」の中で縦横に語られております。

 そして、この「口語体」の問題は、本書第三部「学びの道を顧みて」で語られている事々にも通じるのですが、亀井先生の研究上の信念とも重なってくるわけ。

 亀井先生を多少とも知る人間にとって、亀井先生を笑顔以外の顔で思い出せない、というところがあります。それほど先生は柔和な、物腰の柔らかい方なんです。ところが、本書の中で何度か先生が結構厳しいことを仰っている部分がある。それは、現今のアメリカ文学研究の在り方を批判されているところ。今のアメリカ文学研究は、アメリカ本国の研究者の言をありがたく頂戴してそれに同調したようなことを云々していたり、難しい批評用語を弄び、研究者仲間うちでしか通用しないようなことを書きあって得意になっていたり、そんなのばっかりじゃないかと。その辺りのことに言及される時の亀井先生は、ちょっと意外なほど手厳しい。そしてそういう厳しい一面を知ると、ああ、亀井先生ってのは柔和なばかりじゃないんだなと。実はものすごく厳しい人なんだなということが分って、ぞわっと総毛立つような気がします。

 いいねえ、そういうところ。

 で、そういう厳しい批判を踏まえた上で、亀井先生は自ら「浴衣がけの精神」ということを仰り、浴衣がけで、時には酒杯を重ねながら、本当に自分が面白いと思うことを原点にしてアメリカ文学を語ろうじゃないかと、そう主張されている。日本とアメリカは違うんだから、日本人がアメリカの文学や文化に違和感を感じるのは当たり前じゃないかと。その「なんでそうなんだ!?」というワンダーを梃子にして、外国人としてアメリカのことを分析しようじゃないかと。そうして初めて、アメリカ人の研究者にも頷かれるような文学論・文化論ができるんだよと。

 口語体で、しゃべり言葉で学問しよう。それができなかったら、本物じゃないよ――亀井先生は本書全体を通じて、我々後輩に対して、そういう挑戦を投げかけられている。それが「オーラルヒストリー」として書かれた本書の全てだと。私は、そう受け取りましたね。

 あともう一つ、本書には東大時代の亀井先生の後輩同僚の先生方が書かれた文章が付け加えられているのですが、その中で川本皓嗣先生のは猛烈に面白いです。その中で川本先生は、亀井先生といっしょにアメリカを旅された時のことを語られていて、亀井先生が空港に到着すると、現地の女性がクルマで迎えに来られることにビックリされた、ってなことが書いてある。もちろんその女性達は(多分、アカデミックな意味で)亀井先生のファンで、現地で先生の足となることで先生のご研究をサポートしてくれるのですが、亀井先生がいかに女性にモテるか、ということの証言でもある。また、亀井先生が現地で大量の古本を買われ、それを日本に送るために段ボール何箱も郵便局に持ち込まれるのですが、そういう時、現地の郵便局員が、亀井先生に対して自然に「プロフェッサー」とか「サー」とか、そういう言葉で接せられるのに驚かされたとも書いてある。つまり、ラフな格好をされていても、自然と亀井先生の人となりから発せられるオーラによって、見ず知らずの、市井のアメリカ人ですら、敬意をもって亀井先生に接するようになるということ。これは、亀井先生の人物像を表した、素晴らしいエッセイであると言えましょう。

 ということで、この本、私自身はすごく楽しみ、かつ啓発されながら読了いたしました。アメリカ文学・文化研究に携わる後進の人たち、亀井先生の本のファンはもとより、日本を代表する研究者の芯の通った生き方を知りたいと思う人であれば、誰にでもこの本を推薦することを私は躊躇いません。教授のおすすめ!です。


亀井俊介オーラル・ヒストリー [ 亀井 俊介 ]





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Last updated  August 27, 2023 12:19:40 PM
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Comments

釈迦楽@ Re[3]:『2001年宇宙の旅』を知らない世代(09/13) 丘の子さんへ  ああ、やっぱり。同世代…
丘の子@ Re[2]:『2001年宇宙の旅』を知らない世代(09/13) 釈迦楽さんへ そのはしくれです。きれいな…
釈迦楽@ Re[1]:『2001年宇宙の旅』を知らない世代(09/13) 丘の子さんへ  その見栄を張るところが…
丘の子@ Re:『2001年宇宙の旅』を知らない世代(09/13) 知らなくても、わからなくても、無理して…
釈迦楽 @ Re[1]:京都を満喫! でも京都は終わっていた・・・(09/07) ゆりんいたりあさんへ  え、白内障手術…

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