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October 31, 2017
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カテゴリ: 教授の読書日記
​『ニューエイジについてのキリスト教的考察』という本を読了しましたので、心覚えをつけておきましょう。

 この本、「教皇庁 文化評議会/教皇庁 諸宗派対話評議会」というところが執筆し、2007年に出版されたのですが、要はローマ法王のお膝元、カトリックの総本山たる教皇庁が、近年の「ニューエイジ」ブームの蔓延に警鐘を鳴らすべく、世界中のカトリック教会の運営者たちに対して、そもそもニューエイジってのは一体何なのか、それはどういう状況下で発展し、どのような手法で信者数を拡大させているのか、それに対して我々カトリック側としてはどのように対処し、人々がこの邪宗の魔の手に陥らないようにするにはどうすればいいか、そのためにどのような理論武装が必要なのか、ってなことを論じたものであります。

 その時点で、もうすごいよね・・・。教皇庁ってのは常に現代の、そして世界の信教情勢に目を光らせていて、カトリックの対抗馬になりそうな勢力が現れた時には、それを分析し、それにどう対処すべきかを検討し、対処法を確立した段階で世界中に散らばっている教会に対して指示を出すわけですから。あいつら、本気だ。

 で、教皇庁曰く、「多くのニューエイジの伝統を調べてみると実際にはニューエイジの中に新しいものはあまりないことがすぐに分かります」と、のっけから挑発的な分析ぶり。ニューエイジの秘教主義(エゾテリスム)的傾向ってのは、初期キリスト教のグノーシス主義に源があるし、またそれは宗教改革の時代に発展、さらに18・19世紀の自然科学の発展と並行して成長し、とりわけダーウィンの進化論の受容によって現代社会に土台を築いたのであって、その意味では本筋のキリスト教の亜流として、つねに「そこにあった」ものであると。

 ではその決して新しくはないニューエイジ(この言葉自体は薔薇十字軍とフリーメーソンが名付け親らしいですが)なる風潮が今、広範に受け入れられているのは何故か。この点について教皇庁は、「相対主義の成長と拡大、またキリスト教信仰への嫌悪ないし無関心によって準備された」と言っております。つまり、ニューエイジなんて古い古いと言いつつも、それが世間に浸透する背景には、正統的なキリスト教への嫌悪・無関心があるんだから、我々も気を引き締めなければならんぞ! という反省もしっかりしている。なかなかシビアな自己認識ではございませぬか。

 また教皇庁がニューエイジを恐れるもう一つの理由は、それが単一の新宗教勢力ではなく、音楽・映画・セミナー・ワークショップ・黙想会・セラピーなど、不特定の文化活動の中で漠然と、文化横断的に広まっていること。様々な宗教的・超宗教的セクトの思想的源泉になっておりながら、特定の形式がないものだから、相手のしっぽを捕まえて理論的に論破することが出来ないわけですな。そこが相手にするには非常にやりにくいと。

 だけど、それだけ茫洋としたものでありながら、ニューエイジは、主流文化に対する広範な反動として、首尾一貫した流行思想でもあると教皇庁は分析しております。

 で、カウンター・カルチャーとしてのニューエイジを考える上で一つの起点となるのが、1968年のミュージカル『ヘアー』と、1969年のウッドストック音楽祭だと、教皇庁は判断しております。ふーむ、教皇庁、『ヘアー』見るんだ・・・。ローマ法王も見たのかな。

 そもそも「ニューエイジ」という言葉は、占星術の用語でもあって、それによると、キリスト教の時代というのは「魚座」の時代であった。しかし第三千年期の初め、西暦で言えば1960年代末に魚座の時代は終わり、「水瓶座」の時代に取って代わられることになっている。それが占星術的な意味での「ニューエイジ」なわけですけれども、とにかく壮大な時代の大転換期が近づいているんだという噂が大衆文化の中でじわじわ浸透していくにつれ、時代の閉塞性を打ち破るような新しいパラダイムが到来することへの過大なまでの期待感も盛り上がっていく。ま、アメリカのカウンターカルチャーがこの時代に噴出したのも、こういう漠然とした新時代への期待感がベトナム戦争や公民権運動といった現実的なごたごたへの嫌気と合わさったものですし、世界的に見てもこの時期学生運動が盛んになる背景としてこのニューエイジへの期待がある。



 さらに何か個人を超えた大きなスピリチュアルな存在との直接交渉、みたいな話になってくると、「ホリズム」(全体主義)という発想も出てきて、これが東洋宗教や東洋医学などと結びつきながら、個人の健康への関心を高めたりする状況を作り出すと。

 さらに個人を超えたものへの関心は、環境問題への関心につながり、地球の女神としての「ガイア」信仰なんてものも登場、ここで従来のキリスト教の「父なる神」への信仰が、「母なる大地」を想定するガイア信仰に取って代わられるということにもなってくる。ちなみにガイア信仰からすると、人間なんて地球環境のほんの一角、ということになるわけですけど、従来のキリスト教からすると、人間は神様が腕によりをかけて自分の似姿に作った被造物であって、地球の中心にあるべきものですから、この点でも両者の人間観ってのは大分異なるわけです。

 また19世紀末の神秘思想の体現者の一人であるヘレナ・ブラヴァツキーや、初期フェミニスト運動の主導者アニー・ベザントの思想には、女性解放の主張があるわけですが、こうした動きも、大きく見れば、一連の「父から母」への動きの一端と言える。

 それに、この宇宙を「神と霊的存在と人間からなる閉ざされた空間」と考える汎神論的な観点と、「創造者たる神と被造物の人間」という絶対的主従関係を想定するキリスト教では、全然、発想が違う。そういう、根本的に異なる宇宙観がニューエイジによって漠然と広がりだすというのは、キリスト教的にはとっても気味が悪いわけですよ。

 一方、19世紀末から20世紀初頭にかけての「心理学」の台頭も、1960年代以降のニューエイジの思想的バックグラウンドとなります。その立役者はウィリアム・ジェイムズとユングね。

 ウィリアム・ジェイムズは「宗教というのは教義ではなく経験だ」と主張、また自分の心的な態度を変えることによって自分の運命を作り出すことができる、ってなことを主張している。宗教を大分引き下げて、心理学を上に引き上げているわけですな。またユングはユングで「集合的無意識」というものを想定し、それこそニューエイジ特有のスピリチュアル体験を心理学的に説明しているところがある。ユングの太陽崇拝とか、集合的無意識を通過して内的世界が外的世界と照応する、なんて主張は、もろニューエイジっぽい感じですしね。

 で、心理学とスピリチュアリティが交錯するところに、「ヒューマン・ポテンシャル運動」を生み出す契機が生じると。で、アメリカのエサレン研究所、スコットランドのフィンドホーン共同体、そういったものがうごめき出す。従来のキリスト教が、人間なんてものは元々は神様が塵芥から作ったものだ、というのに対し、ニューエイジは「個人は宇宙やスピリチュアルなものと直接つながっているんだから、すごいパワーを持ちうるのだ」と考えるわけで、人間がその気になって100%の力を発揮したらすごいことになるぞ、そのパワーを制限している足かせを外すためにLSDとかも使っちゃえ! 的な発想にもなってくる。1960年代のカウンターカルチャーとして語られがちな麻薬文化も、実はその根っこにニューエイジ的世界観があったと。

 ところで、ニューエイジは、個人というものに直接呼びかけ、従来のキリスト教信仰から離れさせてしまうわけですけれども、ことほど左様に、ニューエイジ=個人のもの、従来のキリスト教=共同体のもの、というところがある。逆に言うと、20世紀も後半になって、特に都会に住む人々の間で共同体への所属意識が下がり、個人個人で勝手に生きているんだ、という感覚が増すにつれ、ニューエイジの誘惑というのは顕著になってくるわけですよ。

 もっとも、ニューエイジはカウンターカルチャーを支えるところがあるばかりでなく、実は主流文化の中にある「立身出世」欲をも肯定するので、その意味では、カウンターカルチャーと主流文化の接点にもなってしまうというところがある。変幻自在にどっちの側からも支持者を取り付けちゃうという魔物的側面があるんですな。その意味では、ニューエイジ=カウンターカルチャーとも言い切れないのであって、そこがまたニューエイジが広範囲な民心にアピールしていく鍵があるわけですが。

 ・・・ってな感じで、ここまでのところ、教皇庁はニューエイジの出自、歴史、傾向、特殊性、なぜ現代において信者を増やしているのか、と言ったことについて大まかに分析していくのですが、この分析はすごく面白いと思います。このまとめによって、個々に知っていた事々が互いにつながってきて、様々な歴史的事実の背後にあるニューエイジの影を、かなり上手に描いているような気がしますね。

 つまり、教皇庁は、「敵」の実像をかなり上手に掴んでいるのではないかと。



 具体的なところを示しますと、本書97ページにこんなことが書いてある:


 (イエスが井戸端で一人の女に出会い、彼女に信仰を与えるエピソードを取り上げつつ)この出会いが井戸のほとりで行われたことには意味があります。イエスは女に「永遠のいのちに至る水がわきでる・・・泉」を与えます。女に対するイエスの優しい接し方は、司牧が効果を上げうるための模範です。こうした接し方は、自己認識という骨の折れる作業を行う際に、人が容易に自分に正直になるための助けとなるからです。こうした方法は、水瓶(アクエリアス)に心を引かれながら、心の底からなおも真理を探し求め続けている人に、豊かな実りをもたらすことができます。


 司牧たる者、(ニューエイジを象徴する)水瓶に惹かれている現代人に優しい言葉で巧みに近づいて、「そんな水瓶の水よりこっちの井戸から涌き出す永遠の命の水の方が甘いぞ」と囁け、ってなことを言われてもですね、なんだか詐欺師のマニュアルみたいじゃない?

 というわけで、本書後半の、ある意味、本書がもっとも主張したい部分には、イマイチ、納得できなかった私ですが、前半のニューエイジ分析はすごく面白いので、この本、ワタクシ的にはおすすめです。楽天では売っていないようですが、アマゾンでは売ってますので、興味のある方は是非。

ニューエイジについてのキリスト教的考察





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Last updated  November 1, 2017 12:08:42 PM
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Comments

釈迦楽@ Re[3]:『2001年宇宙の旅』を知らない世代(09/13) 丘の子さんへ  ああ、やっぱり。同世代…
丘の子@ Re[2]:『2001年宇宙の旅』を知らない世代(09/13) 釈迦楽さんへ そのはしくれです。きれいな…
釈迦楽@ Re[1]:『2001年宇宙の旅』を知らない世代(09/13) 丘の子さんへ  その見栄を張るところが…
丘の子@ Re:『2001年宇宙の旅』を知らない世代(09/13) 知らなくても、わからなくても、無理して…
釈迦楽 @ Re[1]:京都を満喫! でも京都は終わっていた・・・(09/07) ゆりんいたりあさんへ  え、白内障手術…

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