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December 30, 2018
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カテゴリ: 教授の読書日記
サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』には今でも白水社から2つの異なる日本語訳が出版されていて、一方は野崎孝訳で、これは1964年のもの(ただし1984年に廉価版の「Uブックス」が出た時に若干手を入れている)。で、もう一方は2003年に出た村上春樹訳。こちらにも廉価版が出たので、読者としては野崎訳を選ぶか、村上訳を選ぶかの二択が許されているわけ。

 まあ、稀有な状況ですな。一つの小説について同じ出版社から2つの訳が出ていて、しかも同じ値段(950円)で買えるなんて、そんなこと普通ではありえない。

 で、一つ言っておくと、私はもちろん、野崎孝訳世代なわけですよ。最初に『ライ麦畑』を読んだのは野崎訳だった。原書を読んだのはその後だから、とにかくこの作品への入り口が野崎訳だったわけ。で、2003年に鳴り物入りで村上春樹訳が出た時、一応、私もその訳書を買いましたが、読みはしなかった。野崎訳で読み、原書で読んでいるんだから、その必要が無かったんですな。

 だけど、今回、サリンジャーについての連載をするにあたって、一応、両者の違いをチェックしておこうかなと。まあ、そんな風に思って村上訳を初めて読んでみたわけ。

 で?

 どうだったかって?

 うーむ。言っちゃっていい?

 言っちゃうよ。

 野崎訳の圧勝だね。



 だけど、私から見ると、もうその差は歴然と言っていいくらい、野崎訳の方が『ライ麦畑』を日本語で再現していると思います。村上訳はね、あれはサリンジャーの小説じゃなくて、サリンジャーの小説の真似をした村上さんの小説みたいにしか見えない。村上節炸裂って感じだもの。それが気になって、気になって、もう読んでられない。

 まずね、目に見えて嫌なのは、村上訳が妙にアメリカかぶれ(英語かぶれ?)なところ。

 例えば小説冒頭のホールデンとスペンサー先生の会話のところで、村上訳はスペンサー先生のセリフに「あーむ」って入れるんだよね:


 「そこに座りなさい、あーむ」とスペンサー先生は言った。ベッドに座れということだった。僕はそこに腰を下ろした。「流感の具合はいかがですか、先生?」
 「あーむ、もっと良くなったら医者を呼ばんとな」とスペンサー先生は言った。


 なに、この「あーむ」って。これ、普通訳すかね。むしろ野崎訳のように無視するか(最初の奴)、あるいは「いやどうも」(2番目の奴)などと訳した方がよほど自然だと思う。

 この手のアメリカかぶれ・英語かぶれってのは村上訳には他にも沢山あって、「ジーザス・クライスト」とか、その手の間投詞をそのまま訳してあったりする。あと普通に「アントリーニ先生」と訳せばいいのに、「ミスタ・アントリーニ」と訳すとか。こういうのもすごく嫌。

 あと、村上訳独自の言い回しってのがあって、例えば人の名前にスポットライトを当てる時に「くん」を付けるのよ。「フィービーくん」とか「ギャッツビーくん」とか。そういうのも気になるし、あるいは形容詞でいうと「うらぶれた」なんて言い方を何度も使われるとすごく違和感がある。

 あと、最後の方でフィービーとホールデンが会話するシーンで、妹で10歳のフィービーが、高校生の兄ホールデンに「あなた」って呼びかけるんだよね。これもすごく不自然だと思う。私には妹は居ないけど、10歳の妹に「あなた」なんて呼びかけられたら、本当に嫌。ちなみに、野崎訳では普通に「兄さん」と訳されているんですけどね。

 つまり、野崎訳がどこまでも「普通」に訳しているのに対し、村上訳はどこか色がついているというか、突出しちゃっているわけね。それが気になり出すと、すごく気になる。




 だけど、上に述べたような細かいことだけじゃないのよ。実際には上に述べたようなことは瑣末なことで、問題はむしろそうじゃない部分の訳なのね。

 訳として間違ってないんだけれども、野崎訳に比べ、村上訳は「切れ」が悪い。それは全体を通してそう。

 例えばホールデンが母親から送られたスケート靴についてコメントするシーンを比べると・・・


〈野崎訳〉


〈村上訳〉
 もっとも母が送ってくれたのは間違ったスケート靴だった。ほしかったのはレース用のシューズなのに、送ってきたのはホッケー用のやつだった。でもどっちにしても、けっこう哀しい気持ちになった。誰かに何かをプレゼントされると、ほぼ間違いなく最後には哀しい気持ちになっちゃうんだよね。


 問題はね、最後の文の終わりね。野崎訳が「させられることになる」でピシッと切れるのに対し、村上訳は「なっちゃうんだよね」となっていて、なんだかずっこけちゃって、悲しみが伝わってこないわけ。野崎訳だと、この話をした時のホールデンの,一瞬、暗くうつむいた姿、目の奥の暗がりが見えるのに、村上訳だと「なっちゃうんだよね〜! ちゃんちゃん!」というイメージが出て来てしまって、どうにも締まらない。

 要するにね、そういうことですよ。村上訳だと、あるセリフの言葉遣いと、それを言っている時のホールデンの姿とが、合っていないと(私には)思えるところが多過ぎる。本当に細かいところなんだけど、こういうのが積み重なって行って、私にとってのホールデンのイメージが、村上訳によって崩されてしまうんですな。だから、いちいち「ちげーよ」って言いたくなる。

 野崎訳にはそういうところはないんだなあ。それから、もう一つ言わせてもらえれば、野崎訳より前の橋本福夫訳にもそういう不自然なところはない。この二人は学者だからね、訳すとなったら黒子に徹するところがある。

 だけど村上さんは小説家だからねえ。やっぱり自分も書く人だから、筆が滑るんじゃないかなあ。


 というわけで、異論・反論がたーくさんありそうですけれども、少なくとも私にとって『ライ麦畑』の訳は、やっぱり野崎訳にトドメを刺すと。そういうことですな。



ライ麦畑でつかまえて/J.D.サリンジャー/野崎孝【1000円以上送料無料】




キャッチャー・イン・ザ・ライ ペーパーバック・エディション/J.D.サリンジャー/村上春樹【1000円以上送料無料】





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Last updated  December 31, 2018 12:40:30 AM
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釈迦楽@ Re[3]:『2001年宇宙の旅』を知らない世代(09/13) 丘の子さんへ  ああ、やっぱり。同世代…
丘の子@ Re[2]:『2001年宇宙の旅』を知らない世代(09/13) 釈迦楽さんへ そのはしくれです。きれいな…
釈迦楽@ Re[1]:『2001年宇宙の旅』を知らない世代(09/13) 丘の子さんへ  その見栄を張るところが…
丘の子@ Re:『2001年宇宙の旅』を知らない世代(09/13) 知らなくても、わからなくても、無理して…
釈迦楽 @ Re[1]:京都を満喫! でも京都は終わっていた・・・(09/07) ゆりんいたりあさんへ  え、白内障手術…

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