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今朝のニュースで、「朝食にほぼ毎日家族全員が揃わない家庭が3割を超える」という話題をやっていた。その理由として「共働き家庭が増えたため」が挙げられるという。ちょっと待てよ。ならば、お母さんが専業主婦の家庭は、必ず(とはいかなくとも週の半分以上は)家族全員揃って朝食を摂っているのか?うちの場合。私が育児休業で家にいる時は、家族それぞれが、自分に都合のいい時間にしか起きてこないため、朝食の時間も全員バラバラだった。長男は学校があるので7時半、次男は9時までに保育園に着けばいいので8時前、ダンナは8時過ぎてから、もしくはギリギリまで寝ていたいからと起きてシャワー浴びたらすぐに家を出てしまう。それが、私が復職してからは、とりあえず7時までに全員起きるようになった。全員揃って「いただきます」を唱和するのは、トイレ・洗面・シャワーなど交代ですますので、すませた人から順に食べ始めるため難しいが、だいたい同じ時間帯に食べている。ダンナも、私が育休で家にいる時はギリギリまで寝ていて、自分のことだけ考えて動いていたようだが、今は私の方(と、下の子ども2人)が先に家を出るので、朝のしたくが滞りなくできるよう、長女がまとわりつき始めたら抱っこして相手してくれるし、ついでに着替えまでさせておいてくれる。実際の朝ご飯は、あわただしいと食べた気がしないということで、遅出の日か手軽に食べられるものがある日(おにぎりとか)しか口にしないが、子どもが食べている横で「もっと食べとき」「それ旨いで」などと会話している。共働きの方が、家族が一緒にいられる時間を少しでも作り出せるように、みんな協力してくれるように(うちの場合は)思う。まだ子どもがいない頃、ダンナが前の会社に勤めていた時は、私が夕方に帰っていてもダンナの帰宅は深夜2時3時が当たり前、朝も眠いのでギリギリまで寝ていて、その日の仕事の内容によっては私より後、昼前に家を出るということもよくあった。近頃は、深夜遅くまでやっているサービス業とそこで働く人も増え、いわゆる9 to 5の人なんてどんどん減ってきているのではないかしら。ただの残業、とかいうのではなく、シフト勤務というか、普通の人が眠っている時間に働くお仕事。利用する人にとっては便利だけど、そこに働く人にとっては、普通の生活をする機会を奪われてしまう。個人としての食事の時間は確保されていても、「サザエさん」のような団欒は望むべくもない。社会のしくみそのものをなんとかしないと、この傾向は止まらないのではないだろうか?「共働きだと家族がバラバラになる」というのは本当なのかどうか、いちど、母親の有職・無職別、父親の職種別に今回と同じ調査をしてもらって、その結果を見てみたいものである。
2003/01/30
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弟の婚約者Y子ちゃんの母、通称「アメリア女史」に、とうとう会ってしまった。今、蘭子母はY子ちゃんが着るウェディングドレスを縫っていて、それがそろそろ出来上がりそうだから見に来るというのである。で、蘭子母は、このノー天気なヤンキー女をどうしても私に見せておきたいらしいのだ。「これがアンタの娘の小姑になる、うちの娘やでぇ!」と、相手を牽制する意味もあるらしい。事実、うちの両親は、この結婚に乗り気ではないので、弟と彼女は、私のご機嫌を損ねたら、うちの家では孤立無援ということになる。つまり「この子(私)の機嫌を損ねたら、お宅の娘さん、うちでは居場所がなくなるから、覚悟しいや」という無言の圧力?なのだ。私は休みで、子どもは保育園で体育指導の日(親が仕事休みでも登園)なので、ひとりで実家に行った。うちの近所の、○○大臣賞受賞という地元ではちょっと有名な和菓子をお土産に持参する。約束の時間に遅れること20分余り、アメリア女史がやって来た。「うちの娘です」と蘭子母に紹介される私。「家で作ってきましたの・・・・・マフィンなんですけど、お子さん達にどうかと思って」出た~アメリアの先制攻撃。味噌に引き続き、手作り攻撃である。まあ、ここはひとまずありがたく受け取っておく。どこで仕入れたかは知らないが(って、ソースはうちの弟以外にあるまい)、私の出身高校の話を持ち出してきて「私、○年前の校長先生と知り合いですの」などと言う。「○○高校って、バレーボールなんか強いんでしたよね」ときたが・・・・・それは激しく間違ってるぞ。バレーボール部が強いのは、うちの高校と名前はよく似ているが、制服がデザイナーズブランドの○○女子高校なんだよ。#テメエ、知ったかぶりしやがって(爆笑)「また、よかったらウチにもいらしてくださいね・・・・・田舎で、何でも手作りなもので、たいしたおもてなしもできませんが」って。・・・・・そこまで「手作り」を強調するか?たぶん、英語教師をしながらでも、家のことには手間をかけてよき母・よき妻してますって言いたいのだろう。でもって、「うちのムスメもそういう中で育てましたのよ」ってことなのか?ん??まあ、いじり方を間違えなければ、なんとか付き合っていける人種であると見た。アメリカの片田舎に住んでる主婦って感じ。よく言えば素朴で、手を動かすのが好きな奥さんなんだけど、悪く言えば「私は私」で、周りに合わせるとか、その場の空気を読んだりできないタイプ。やっぱりアメリカ人なんだなぁ~この人。
2003/01/28
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1月17日に続き、8年前の地震のお話。大阪は震度4で、翌日からは仕事も学校も平常に戻ったところがほとんど。しかし、比較的被害が少なくてすんだ大阪でも、震災の余波はあった。食料が・・・・・ない。全くない、というわけではないんだけど。行き付けのスーパーは、本社が兵庫県で、仕入れルートも北大阪経由で入ってくるものが多かったのではないかと思うが、生鮮関係がとても品薄。特に魚は明石の浜でその日の朝上がったものを置いていたりしてたので品目がかなり限られる。大阪はガスも電気も大丈夫で、煮炊きもOKなのに。あとは当然だが、ラーメンやレトルトのインスタント食品。ミネラルウォーター。ちょこっと入荷しても、すぐに売り切れ。品不足を理由に値段をつり上げて売る店がちょくちょく見られたこの時、このスーパーでは良心的なことに、普段とほぼ同じ価格で販売していた。そして、意外だったのは、パンの棚が空っぽなこと。あとで聞いたら、パンは、作ったそばから救援物資として神戸方面へ優先的に送られていたので、一般に流通する分まで手が回らなかったようだ。物資の輸送って、今ではトラックが多いから、道路もズタズタになってるこの時期、物があっても運べないということもあったかも。それで、職場の近くのスーパーをのぞいてみた。・・・・・いつもと変わりないじゃん。ここは南大阪なので、仕入れルートも奈良経由とか、多少の遅れはあっても品薄というほどではない。問題のパンも、市内に大手製パンメーカーの工場があるし、テナントでもパン屋さんが入っているから、全然問題なし。インスタント食品系は、やや品揃えに偏りがあったけど・・・・・。そこで、当分、食料の買い出しは仕事帰りに、職場の近くですませることに決定。何日かおきに大きな袋を抱えて帰る私に、後輩のキヨちゃんが「どーしたんですかぁ~そんなに大量に買いこんで~」。「家の近所だとね、パンとか、全然売ってないんよ。それでここで調達するんよ」「・・・・・なぁんだ。パンがなければ、ご飯食べればいいじゃないですかぁ~」・・・・・貴様はマリー・アントワネットか(怒)そういう問題じゃなかろうが。私はね、家族を食べさせていかなきゃいけないの。アンタみたいなお気楽独身貴族とは違うのよっっ。そう言いたいのを、何とか我慢した。夜7時のNHKニュース。震災関連の報道ばかりの中で、画面にアップになったのは、日赤病院の薬剤師さん。「医薬品は、結構あちこちから集まってくるんですが、それをさばける薬剤師がいないんです」というコメント。緊急時・災害時の医療というと、医師や看護師が混乱の中で、食事も睡眠も十分にとらずに献身的に診療活動する姿がまず浮かぶ。他のコ・メディカル(医師以外の医療職)は、こういうところでは何の役にも立たないと思われがち。薬についても、医師や看護師がある程度知識持ってるから、災害医療に薬剤師はいらないと、私も思っていた。医師や看護師が薬のことをある程度知っていると言っても、それは、通常の業務で自分がよく使う範囲でのこと。特に医師は、効き目などの薬理学的なことは当然よく知っているが、どんな剤形で、どんな色をしていて、何に注意して飲むかという薬剤学的なことはあまり関心がないのか知らないことが多い。通常勤務する医療機関では、自分の使いたい薬を指名して、それが間違いなく納品されるのだから、使う時も問題ない。しかし、災害時の救援物資に、そんな贅沢は言えない。あるものの中から、使えるものを探し出さなければならない。そういう時は、薬剤師の出番である。薬剤師は、自分の施設が通常扱う薬以外にも、患者さんが持ち込んでくる他施設の薬の鑑別などで、かなりいろんな種類の薬剤の現物を知っている。同種同効の薬を探す、なんてのも朝飯前(滝汗)である。薬剤師免許を持っている人でも、私達より少し上の世代(40代後半~50代)の人は、「男は仕事・女は家庭」という中で生きてきた世代なので、女性は結婚後、完全に家庭に入り、薬剤師免許は「嫁入り道具」のひとつになっているという人の割合が多い。そういう人達から「薬剤師のボランティアをやりたい」という問い合わせは、結構きているらしいのだ。しかし、医学・薬学の知識は生き物、なまものと同じ。何年もずっと家庭の主婦だけをやってきた人に、それも、あれも足りないこれも足りないという混乱した現場でそれ相応の仕事ができるとは考えにくい。「昔取った杵柄」で、多少のトレーニングを施せばすぐにカンを取り戻してモノになる人も中にはいるだろうが、この混乱状態の中、ボランティアを一からトレーニングして現地に送り出している余裕はない。あくまでも、今求められているのは即戦力なのだ。うちの系列病院が、神戸市垂水区にある。ここは、建物の一部に亀裂ができた程度で、電気だけは通っているので通常の診療だけはどうにかこうにかできているらしいが、次々に運び込まれてくる患者さんの対応におおわらわで、その上地元の巡回診療にも出ているという。毎日、関西の他の系列病院から、食品に薬品・衛生材料を救急車で送り、帰りには現地で対応しきれない症状の患者さんを乗せて帰ってきて入院させる、ということを繰り返していた。当時のうちの副院長が、こういう、切った張ったの修羅場が大好き(やりがいがあるという意味)な人だった。外来患者さんも途切れた昼過ぎ、待合のテレビで震災関連のニュースを見ていた副院長が振り向いて言った。「おい、蘭ちゃん、神戸病院(うちの系列)の応援部隊、薬剤師が足らんらしいのや。1日だけでも行ってみいへんか?」「いいですよ。2日でも3日でも、休み取ってボランティアですね」それを聞いた当時の上司(薬局責任者)が慌てる。「・・・・・そういうのは、仕事として行くもんや。ボランティアなんて言うたらアカン」自分達にもボランティア要請がくるのが、嫌だったのかも知れない。こいつ、この非常時にまで自己保身かいな。今でもそうだが、とことん軽蔑すべき人種である。そうこうしているうちに、法人の震災対策本部?にまでこの話が伝わり、震災発生から1週間後の1月24日、朝から救急車で食料や医薬品と共に現地に入り、夜に翌日の準備のため大阪に戻る便の救急車で帰る、日帰り応援が決まった。安全対策などの関係もあってか、休みを取ってのボランティアではなく、日帰り出張扱いの「仕事」として行くことになった。即戦力、か。やりまっせ(^^)(to be continued)
2003/01/20
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関西人にとっては忘れることのできない「阪神・淡路大震災」の話。自分のHPのコンテンツとして書いたことがないから、ここでちょっと書いてみる。1995年1月17日、火曜日。当時はまだ、成人の日が1月15日だったから、祝日代休の翌日、実質的な1週間の始まりの日でもあった。社会人ラグビーの神戸製鋼が日本選手権7連覇を成し遂げた翌日であり、前日16日に大阪ベイサイドの大きなホテルで結婚式を挙げた、ダンナの当時の同僚Tさんが、新婚初めての朝を迎えたその日。うちでは、ラグビーフリークのダンナが、神鋼の勝利に舞い上がってしまい、夜遅くまでさんざんハイになってしゃべり続け、それに付き合った私もようやく眠りにつこうかという未明の時間。ダンナはなかなか寝付けなかったようで、ひとりリビングでゴロゴロしていたらしい。午前5時46分。・・・・・ゴーッという地響きらしき音に気付く。しばらくすると、床が揺れる揺れる。「うーん、何、これ?夢にしちゃあよくできてる・・・・・」#この後に及んで、まだ夢うつつの私(爆)キッチンで、何かが落ちて割れる音。「地震や、地震!」と叫びながら、私と長男(当時10か月)が寝ている寝室に駆け込んでくるダンナ。タンスが倒れるのを心配したのだろう、長男の上に覆い被さる。揺れもおさまり、「テレビつけよう、何かやってるかも」。リビングの電気がついたままだったから、停電はしていなかったわけだが、スイッチ入れればテレビがつくと思い込んでるあたり、文明に毒されてるよなぁ・・・・・つけてみたら6ch朝日放送(テレ朝系)だった。男女のキャスターが「すごい揺れでしたね。何か情報、入ってくるでしょうか?」と、ここでもちょっと待ちの状態。とにかく、大きな地震があったことだけは確かなようだ。・・・・・つまり、職場の近くも同じ状況だったとすると、外傷の患者さんとか、かなり来てそう。これは何が何でも出勤せねば。当時は、蘭子母もまだまだ若くて元気で、長男は保育園にやらずに蘭子母がみてくれていた。現在よりもずっと保育園事情が悪く、延長保育はなくて当然、祖父母が存命ならそこでみるのが当たり前という時代である。自宅と職場のちょうど中間あたりに実家があり、出勤途中で置いてくるのだ。その頃ダンナが勤めていた会社は、社長の自宅そばに本社があり、駅から3km以上離れた不便な場所で、深夜まで残業すれば交通機関がないということで、マイカーはダンナが使用していた。朝は一筆書きでみんな送って出勤できるから、と、一家揃ってのお出かけだった。いつもより早く家を出たが、家のそばを走るJR環状線はもちろんストップしたままだし、TVの情報でも公共の交通機関はすべて止まっているという話だったから、実家への道は大渋滞。東の方の、工場密集地帯から、火事らしき煙が何本も立ちのぼっている。信号待ちの間にも、さらに余震が起こる。ラジオでは、毎日放送のパーソナリティ・川村龍一氏(芦屋市在住)が、たしか番組開始時間までにスタジオにたどり着けなかったとかで、携帯電話で自分が立っている場所のレポートをしていたと思う。山陽新幹線の高架が落ちてしまってて、車も通れない・・・・・そんな話もここで聞いたと記憶している。携帯電話も、今みたいに小学生でも持っているような時代ではなく、カタカナ職業や外回りの仕事が多い人が持っている程度の普及率だった。ダンナも、会社支給のを1台持たされていて、ホントは私用はいけないのだが、非常時だからと私の職場へ「車が渋滞しているので遅れます」コールをしてみたが、ずっと話し中でつながらない。幸い、実家は特に被害も何もなく、「子どもは安心して任せときなさい」だった。当時まだ現役の公務員だった蘭子父も、応援要請とかこれから大変なことになるぞ~と急いで出勤して行ったそうだ。どうにかこうにか3分遅刻で職場到着。薬局に入ると、その日一緒に日勤する1年後輩のキヨちゃんが電話をかけている。「あっ、蘭子さん、来ちゃったんですか!今日はここ、私ひとりでも大丈夫だから、家の方大変だったら休んでもらっていいですよって言おうと思って、電話してたところなんです~」キヨちゃんは家が職場の近くで、自転車通勤。だからいつもどおりの出勤だったとか。そのうち、近鉄電車が運行を再開したとかで、電車通勤の職員が次々に出勤してくる。結局この日は、交通手段の種類を問わず、遅れて出勤しても遅刻扱いにはしないということになった。・・・・・後日談だけど、いちばん最初に運行再開したのはやはり近鉄だったらしいが、JR西日本に勤める友達いわく「そんなに早く運行再開決めるなんて、線路の点検とか、絶対ちゃんとやってないはず。信じられん~」。#このアバウトさ加減といい、やっぱり河内やわ(爆)病院の方は、たいした被害はなかった様子。ただ、屋上の貯水タンクに亀裂が入ったとかで、あと配管の関係か、3階のナースステーションと1階のロビーが天井から水漏れしていて、掃除におおわらわだった。薬局の中も、棚の上に置いていたプラスチック瓶入りの水薬が何本か落ちて割れた程度で、被害というほどのことはない。患者さんも意外に少なく、外傷は何かの破片で手を切ったとかいう人ぐらいで、あとはいつもの患者さん、それも休み明けにしては少ない。待合のTVは8ch関テレ(フジ系)を映していた。ヘリからの中継映像が、神戸の街のそこここで火災が発生している様子、阪神高速神戸線の倒壊した映像を映し出す。「こら、アカンで」私達は無事だったけれども、これはエラいことになりそうな・・・・・たしかこの日は、近鉄は午前中早々と運行再開したし、市営地下鉄も私が使う路線は夕方までには動き始めていたから、普通に勤務して普通に実家へ長男を迎えに行ったように思う。家に帰ると、電子レンジなど一部の家財が南北方向に3cmほどずれていたのと、本棚の中身が手前に崩れていたのと、食器棚の中身が一部飛び出していて、ダンナが尊敬する先輩からいただいた大事なマグカップなど破損したのと、あとマンションの1階ロビーのひさしになっている部分に亀裂が入って水漏れするのと、それぐらいの被害ですんだ。あとで聞いた話だが、最上階(10階)では、さすがに発表された「震度4(大阪)」程度ではおさまらず、食器類は全滅、間取りにゆとりのあるお金持ちの家が多いということで調度品にもお金がかかっていて、高価な陶磁器やガラスの置物などもメチャメチャになってしまったということだった。前日に結婚式を挙げ、ホテルの高層階に宿泊中だったダンナの同僚Tさんの話では、高層階ほど揺れがひどく、彼の泊まっていた部屋では備え付けのTVがラックを飛び出し、宙を飛んだという。神鋼フィフティーンも、勝利の美酒に酔った翌朝いきなりこれだから、お気の毒としか言いようがない。しかも、本社も被害を受け、練習用グラウンドも亀裂が入って使用不能、それがたたってかその後の連勝はストップしてしまったのだから・・・・・・・・・・こうして暮れたDAY1、1・17。(to be continued)
2003/01/17
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7日に続き、今日も次男が熱発し、昼前に保育園から電話です。年始の分の休みがまだ残ってますが、明日締切のデータ処理をやってしまわなければいけないので、病児保育をお願いしました。うちの子どもが通う保育園は、市の委託事業「病後児デイサービス」を実施しています。市の認可保育園(他の園でもOK)に通っている子なら誰でも、あらかじめ登録しておけば、病気の回復期や38℃未満の微熱の時、保育してもらえるもの。保育時間が8:00~17:00(30分ぐらいまでなら、遅れそうということを連絡しておけば延長してくれる)なので、十分とは言えないかも知れませんが、子どもの体力を考えればこれぐらいが限界なのだろうと思うし、どうしても休めない仕事の時には助かっています。#これが利用できない時は、勤務を有休扱いにして、子ども背負ってでも出ます(泣)#シフト勤務でなくなった現在では、めったにありませんが。通常の保育とは別事業なので、利用料1日2000円(+他園の子は食事代)がかかりますが、ゆったりとした別室で、専属の看護師さんが付ききりでみてくれるし、園の隣にある小児科の当番医の回診もあるので、安心。お金の問題じゃないですよね。「自分の家族の健康も守れないようでは、仕事で接する患者さんの健康は守れない」私の仕事は「健康」が「商品」だから・・・・・子どもの病気初日や、機嫌が悪くて状態よくないなーと思う時は、思い切って休みを取ります。そこで予後もだいたい予測できますし、意外とその方が早く回復するものなのですよ~。中途半端な状態のまま、ずるずると仕事の方も早退や遅刻を繰り返すより、職場にかける迷惑もずっと少なくてすむというもの。子ども3人育てながらずっと働いてきての、実感です。・・・・・だけど。この次男ですが、熱が37.5℃超えたのは、電話のあったこの時だけで、あとはお迎えの時間まで37℃前後をキープしていたそうで。病児室も看護師さんも独占状態、我が物顔で午後ずっと過ごしていたとか・・・・・で、また家に帰ったらだんだん熱下がってくるし。早く、休みボケ治してください・・・・・(泣)
2003/01/09
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年末年始、下の子どもふたりが体調悪く、特に長女は5日まで熱発してたので、保育園が始まってからも、いつ呼び出しがかかるかと冷や冷やしてたのですが・・・・・次男です、珍しく。元気はあるけど、規定の37.5℃を超えたので、保育園から電話。今日は病児保育の定員まだあいてるから、利用OKですよと言ってくださいましたが、年末年始に半日ずつ出勤した分の代休がまだ残っているので、12:30で帰ることにしました。でもね、家に帰った途端、もう熱下がってるし・・・・・(爆)単なる「休み疲れ」としか思えなーい。
2003/01/07
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やっと通常モードの日々再開。今年は5日まで休日のせいか、きりかえが早いというか、6日にもなるともう正月気分もあまりない。年始も結構多忙で、今日になってやっと、ゆっくり年賀状に目を通した。(リアルでお付き合いのある皆様へ。親戚に不幸があり、年始のご挨拶は控えさせていただきました。お知らせのハガキも作ってません。ごめんなさい)1枚の年賀状。高校時代の同級生K(男)からである。私の出身高校は、結構男女関係なく友達付き合いがあって、気の合う連中とは今でも年に1~2回、異業種交歓会のような形で一緒にご飯食べながら話す機会がある。昨年は、彼からの年賀状は来なくて、前述の仲間の中でもとりたてて話題にならなかったので、どうしたんだろうとも思わなかったのだが。「独身になり、自由を楽しんでおります」・・・・・っておい、離婚かよ!たしか彼は、医者になり、教授令嬢を奥さんにもらって、男の子がひとりいたと記憶している。「逆玉かぁ~うらやましいな~」と当時は結構話題にしてた。奥さん自身も医師免許所持で、実家が東京の世田谷だよ、せ・た・が・や。だけど、現在の赴任先、東北の片田舎。医局人事だから、仕方ないとは思うけど。奥さんのお父様の力を持ってしても、こればかりは動かせなかったみたい。やっぱり、お嬢様には、田舎暮らしはこたえたか?ちょこちょこ、世田谷に帰ってたみたい。この業界、狭いから。出身高校つながりだけでも、ひょこっと情報が入ったりするんだよ。近頃は、子どもはひとり、高収入の夫を持って、妻は外に出るより家の中を心地よく保つ、ゆとりある生活が理想みたいな感じで、雑誌やネットでもそういう記事をよく見かける。うちは、共働きだし、子ども3人もいて、毎日バタバタしてるし、うるさいし。貧乏臭くって嫌だなぁと思うこともあるけど、もともとダンナの実家は自営業で「仕事しているお母さん」が当たり前の家なので、こうして毎日、ちゃんと仕事があって、ごはんがおいしく食べられて、ということが満たされていれば、家族全員ハッピーなのかも知れない。Kよ、ごめん、私だけ幸せに暮らしてて・・・・・今度もし大阪に帰ってくることがあったら、みんなでご馳走してあげるからね~
2003/01/06
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ダンナが今日は仕事ないからというので、休んでもらって私が半日だけ出勤することにした。年末のことがあるから・・・・・出向先の方には、休みということで言ってあるので、予告なく現れたら普通はみんな「あれっ、どうしたんですか?何かあったの??」ぐらいのことは言うもんじゃない?それがみんな、当たり前みたいな顔してるのよ。・・・・・またお前らかよっ!事務のおネエちゃん達。蘭子さんだけ8連休云々、雑談まじりに言ったに違いない。勤務予定表見てるだけでは、休みの数はみんな同じだからさほど問題視されないし、わからないんだろうけど、言葉に出して8連休なんて言ったら、妬みの的だもの。(8連休なんて、うちの法人では、結婚する時か、親が死んだ時ぐらいしかもらえない・・・・・)新年早々、気分悪い(怒)
2003/01/04
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新年恒例、ダンナ実家での宴会。姑がとにかく食べきれないほど料理を作って待ってるので、だいたい例年のお約束として、義兄一家はデザート系の手土産(ケーキとか)、うちはアルコール類を差し入れると決まっている。他にも「蘭子特製栗きんとん」というのがあって、姑も栗きんとんだけは私にお任せで、持って来るのを待ってくれてるのだが、今年は年末のゴタゴタでお節をゆっくり作っている余裕がなく、栗きんとんのスペースは空きのままということに(汗)丹波の蔵元から直送してもらうお酒だけで勘弁していただきました(^^ゞ義弟は仕事の都合で欠席です。こーんなにご馳走いっぱいあるのに、何を思ったか、さらにピザの宅配に電話してる姑・・・・・をいをい(^^;Lサイズのピザ2枚も来たけど・・・・・どうするんだ?結局、残ったお料理はお持ち帰り。晩ご飯助かった。らっきー(^^)v夕食作らなくてよくなった分の時間、職場に顔出して処方データの入力だけ済ませてしまうことにした。いちおう、明日は出勤するつもりだけど、このデータは、土曜の朝一番に併設病院の方で出力開始だから、朝から出向先で全く別の仕事をしてる私は、今日のうちに入力してしまわないとそれに間に合わない。今年は仕事仕事で明け暮れるのか?
2003/01/03
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蘭子父がうちにやってきて、なぜか一緒にキッチンのお片付けをしている・・・・・という夢でした。なんでしょね?今年は「スローライフ・スローフード」が流行りらしいから、キッチンを重装備にして、お料理やお菓子作りに精を出しますかね?
2003/01/02
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(昨日からの続き)午前0時。明けちゃいましたよ。なんと職場で年越し。この1年の行く末を暗示するかのように(死)時計がわりにカンファレンスデスク上に置いた携帯の画面が、時折「しばらくお待ちください」と表示される。きっとみんな「あけおめ電話」してるんだな。作業の方は、目標達成。「ああ、年越しそば食べ損なっちゃったよ」と言う私に「当直者用の夜食のカップめんでよかったら、あるで。たぬきそばやけど。食べて食べて~」と言ってくれる当直スタッフ。ありがたく頂戴し、続いて7階へ。7階フロアの当直ナースは、ベテランのカズコさん。年齢は・・・・・下手すると、入所者さんと変わらないかも(汗)<昭和一ケタ生まれ・嘱託職員いきなり私が現れてびっくりしたみたいだが、事情を話すと、暇だから一緒にやるわと言ってくれる。でもね、カズコさん、年のせいか物忘れが激しいのよ。逆に私の仕事が増えるようなことになりはしないかと(爆)こっちは6階より入所者数も少ないから、半分以上やっても大丈夫かな。意外と順調に片付き、なんと8割ぐらいできた。というか、日勤さんの仕事も置いとかなきゃということで、2割ぐらいは自分でやってねってことで、残した。6・7階それぞれに、作業の進行状況とあけおめメッセージを書いた張り紙を残し、帰路に。途中で車にガソリン給油し、家に着いたら午前3:30近く。TVでは電波少年的放送局云々という番組をやっている。懲りないなあ、日テレ(笑)#・・・・・雪の中で歌う中島みゆき、見たかったなあ(涙)・・・・・とにかく、寝た。初詣にも行かないし。ダンナはいちおう、ちょこっとだけ出勤らしい。11:00頃、年賀状を取りにマンションのロビーに下りたが、またすぐ横になる。誰から届いたか、読む気力も残ってない。昼ごはんでようやく、昨日食べ損なった年越しそばを。・・・・・って、正月に食べたら、年越しとちゃうがな(爆)寝正月ついでに、だらだらTVを見ていたら、いろんな占いなどをもとにして今年強運な芸能人を決定するという番組をやっていた。そこに出ていた、久本雅美。「ネズミ年・かに座」って・・・・・今さら年齢詐称してどーすんのさ(爆)あなた、イヌ年生まれじゃなかったっけ?どうしてこんなに詳しいかって?マチャミ姐さん、私の中学の先輩なのよ。もちろん、同時期に在学したことはないけど。さらに言うと、私の従兄と同じクラスだったの。で、その従兄は、イヌ年生まれ。早生まれなら、イノシシ年ということもありうるけど、かに座で早生まれは、ないわな?・・・・・眠気が覚めました(笑)
2003/01/01
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