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自分の理性が、ふっとんでしまうようなマイナスの気持ちになる経験って、人間なら誰しも1回?くらいはあるのでしょうか?そこまではいかなくても、日ごろの気持ちの変化で、へこんでしまうこともありますね。大人ならそんな時、お酒の力を借りてしまえば、次の日、なんで自分の靴がぬれているんだろう?と真剣に悩むこともあるのかもしれません・・・大人だと、こんなこともできるのでしょうけど、こどもはそんな気持ちになった時、どういう風になってしまうんでしょう?まだ大人ほど深刻?ではないのかもしれないけれど、それはそれなりに思い悩むことだってあると思います。そんな時、一番の頼りになるはずの人が親なのだと思います。まだ、しっかりと言葉にしていえないときは、じゃれてみたりするのかもしれませんし、手を握ってじっとしているのかもしれないし、いろんな形で頼りにしてくるのだと思います。こどもによっては、それが得られない人もいるかもしれません。すると必ず近くの大人や兄弟姉妹に、その代わりを委ねようとします。そんなふうにして、愛によってそこをのりきっていこうとします。自分がその状態になると安心できる、という場所を見つけたとき、こどもは安心して、また外の世界に踏み出していくことができます。私の周りには、それができていないこどもがいます。その愛をあるときまでにつかまないと、永遠にそれを探すたびをすることになります。そうなれば、親はこどもの道具となります。そして、親はそう思っているこどもを、ただ見ているしかできなくなってしまいます。そんな姿を見ていると、とても悲しくなるのですが、たまにそこを乗り越えて、親子の絆を結びなおす光景を、目の当たりにします。からだが震えるくらい感動します!!!親子の絆はすごい
2006年08月31日
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もう皆さんご存知だと思いますが、国内のオリンピックの候補地は、東京になりました。それが実現すると、同一都市で2回開催ということになりますね。決まった以上は、応援したいという思いもありながら、心に残る複雑な気持ちはどうしたらいいの・・。そんなところを、ここに書いておこうかなと思います。結果について、いろんな方々がテレビの番組で論評されていました。単純に考えればそうだ、とか知名度が違うとか。また、最初からある程度決まっていたんだというようなことを言っている人もいました。私自身、何を最優先に考えるのか?ということすらあんまりわかっていないのですが、単純に考えると、どこにすると出場者にとって一番いいか?ということだと思います。それに加えて、開催する側にとって考えてみると、無数の条件やら思惑が交錯していきそうです。こんなところを事前に調整していたとしたら、どう考えても都市能力の高い所に決まるのは、ある程度わかっていたことなのかもしれないなと思います。そう考えてみて、今回の票数の差を見てみると、福岡ってすごいなって思いました。都市の規模だけでも、10分の1くらいしかないのに・・・ほんと大健闘だ!立候補するのは自由だけど、国の政策として地方分権が進んでいくのなら、そういう方向に導いていく流れがあって当然だと思う。もう決まったことだ・・・東京がんばれ!
2006年08月30日
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ここ最近、熟年離婚なんて言葉がよく聞かれます。ずーっと旦那に尽くしてきて、定年退職した旦那を見て、もういやだ、自分の人生をもう一度探してみたい、なんて題材でドラマがあったりもしています。昔あったような夫婦の考え方も、今では選択肢の一つくらいになってしまっています。離婚は、夫婦が夫婦としての関係にピリオドをうち、他人として生活していくということになると思うのですが、ここで困ったことがでてくるのではと思います。こどもがいる場合ってどうするんでしょう?余計なお世話になりますが、すんなりいくのは、すべてこどもが我慢しているだけだと思います。分からない時は、それはそれでいいのかもしれませんが、分かるようになってからの離婚は、とくに思春期に入っていたりすると、その傷はかなり深いものになるかもしれません。こどもによっては、離婚の記憶が、その後の結婚の妨げになっていたりするかもしれません。男性、女性不振になっているかもしれません。人間不信かも。自分でこうして生きたい、と漠然と思いながらも、あるところから人との関係で、様々な生き方の屈折がこうして起こっていきます。そして、知らないうちにこどもたちは、そんな大人の生き方を肌で感じます。人の生き方・・・やっぱり誰にも意見できないものなのかな・・・
2006年08月29日
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叩かれてわれに返る、こんな経験を、私自身過去に経験したことがあります。(自分が悪いことをしたとわかっているときですが)叩かれるということは、今でいくとありえないことなのかも知れませんが、言ってだめなら叩かれるのは、私の経験からいくと当たり前の感覚です。昔の先生の中には、悪いこと(たまに意味のないこともあったと思う)をするとすぐ手が出る先生がたくさんいました。だからといって叩かれてうらむということもなく、むしろ悪かったなと反省したものです。今の感覚は全く違います。体罰厳禁と言われ、先生が叱責した時に、手が出たことが問題になったりします。叩かれる、というこどもの感覚が変わり、親の感覚も変わり、地域や世間の感覚も変わったのでしょう。変わらざる終えなかったのかもしれませんが・・・それでも、学校内での体罰は、依然としてなくなってはいない、と思います。双方が納得していれば、それでいいのだから、大怪我をさせたとならない限りは、表には出ません。では、そんな双方が納得する関係ってどんな関係でしょう?それはもちろん信頼のある関係ということになります。叩くという行為は、賛否両論ありますね。ところでこんなことをご存知ですか?赤ちゃんへのスキンシップをしっかりする、放置しておく、泣くたびに叩くという3つの状態の様子を見ていったときに、放置しておく、というのが一番死亡率が高いという結果がでています。それでいくと、叩くのがだめだから、黙ってじっと見ているということになると、事態はもっと悪化の一途をたどるのです。無関心は暴力に勝るのです。
2006年08月28日
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今年も例年通り、24時間テレビがスタートしています。毎年この時期は、なぜか忙しくて、あまりテレビを見ることが出来なかったのですが、なぜか今年は、ぽっかりと暇になっていました。24時間テレビの告知は知っていたので、なんとなくテレビを見ていると、潜水に挑戦の文字が目に入りました。なぜか水の種目には興味があるみたいで、わくわくしてきました。ちなみに、私自身も水泳経験があるので、潜水はしょっちゅうしていました。息継ぎナシで50メートル泳いだりとか、背泳ぎのキックで25メートル潜水とか練習であったので、けっこう潜水には自信がありました。深く潜るのだけは少々苦手ですが、映画「グラン・ブルー」の世界にすごく魅力を感じていたりもします。ところで、今回来日した世界記録保持者の記録が、182mと聞いて、ちょっとびっくりでした。普通の人にとっては、182メートル泳ぐだけでかなりキツイと思うのです。それを潜水とは・・せいぜい120メートルくらいかな、という私の予想をはるかに超えていたので、わくわく度は更に増しました。普通に息を止める競技でも、8分58秒だとか。信じられないですよね。今はどうかな?なんて変な対抗心を出してしまって、息止めを挑戦してみました。すると2分5秒。こんなもんですか。世界記録を聞いて、人のからだって、こんなにも変化に対応するんだなってただ感心です。そしていよいよ挑戦。結果はなんと183メートル。こんなに簡単に世界記録更新していいのか?なんて思うくらいでした。人間の可能性ってすごいですよね。
2006年08月27日
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つい最近まで、福岡の天神という繁華街の違法駐輪の数は、全国でワースト1でした。車道まではいきませんが、歩道には、もう通る隙間がないくらいびっちり止まっているのを見たこともけっこうありました。景気が悪いなんていっていますが、そんなのこの自転車の放置数を見れば、撤回しても良さそうなものです。時には、市の処分車が、まだまだ使えそうだけれど放置してある自転車を山のように積んで持って帰ったりもしていました。そういう自転車盛りだくさんの町を毎日見ていた私には、だんだん当たり前のような感覚になっていました。それが、少し前から市も本腰をあげたのか、至る所に駐輪の計器がつけられ、監視員が回るようになり、違法駐輪区域なども決められしているうちに、今年はなんと前年度の90%減になっていたと記事に出ていました。ある意味すごいですよね。なんでもそうですが、誰かがし始めるとばーっと広がって、そして規制されてそしてまあまあに落ち着く。心理学の世界の実験のようですが、この自転車の規制は、まさにそんな風に感じました。何かが起こると規制規制になってしまって、本当に考えるべきことを忘れてしまっている感じがします。夏の終わりになると、夏ならではの特集ニュースが流れていますが、それも自転車のことと同じに思えます。人のふり見て、我がふり直せと言いますが、本当にそうだな・・・
2006年08月26日
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毎日このブログにたどり着く前に必ず読むトピック、今日は目が点になる記事がありました。それがこれです。<国民医療費>32兆円超、2年連続で過去最高を更新 厚生労働省は25日、04年度の国民医療費が前年度比1.8%増の32兆1111億円で、2年連続で過去最高を更新したと発表した。伸び幅のうち高齢化によるものが1.5%を占め、国民1人当たりの医療費(平均25万1500円)は65歳未満が15万2700円だったのに対し、70歳以上は4.9倍の74万3800円だった。 70歳以上の医療費のうち、税と現役世代の支援で大半をまかなう老人保健制度分(10兆5730億円)は0.9%減ったが、これは対象年齢を現在、70歳から75歳まで毎年1歳ずつ引き上げている途中であるため(04年10月時点の対象は72歳以上)。70歳以上の医療費で、市町村の国民健康保険分(70~72歳未満、9112億円)は、104.9%増に達した。 全体を財源別にみると、税金で賄っている分が4%増の11兆1743億円で34.8%を占めた。全額税でまかなう生活保護医療扶助費などの増加が要因だ。一方、保険料(15兆9978億円)負担の割合は49.8%で、「国民皆保険」がスタートした61年以来、初めて50%を割り込んだ。 国民医療費は、正常分娩(ぶんべん)費や集団検診費などを除いた日本の総医療費。厚労省は先月26日、05年度の概算医療費(労災保険の医療費などを含めない速報値)を32兆4000億円と公表しており、05年度の国民医療費が過去最高を更新するのもすでに確実だ。 【吉田啓志】(毎日新聞) - 8月25日18時37分更新日本の政府の、国民への健康の提言としては、すでに20世紀の終わりに、病気と共生するという考え方を出しているだけに、ある程度の医療費は仕方がないのかもしれない。ただ、年々医療費がかさむ理由を考えると、どうしても日本の国民性や、医療の方向性に対して、再考をするべきことがたくさんあるような気がする。それ以前に、自分の健康をどのように考えるのか、ということももちろんあるんだと思う。そういう自分自身は、年間にかなり医療費を使っている。数年前まではほぼ0だった。いろいろと自分で考えた結果こうなったのだけれど、考える余地はまだまだあると思っている。情報をインターネットから拾えるのは、そう考えるととてもありがたい。使いすぎに気をつけながら、ちょこちょこ考えていこか。
2006年08月25日
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目は口ほどのものを言う、と言います。そのくらい目から入った情報は、膨大かと錯覚しそうです。ところがどっこい、目から入る情報って、実はたった4パーセントくらいだそうなのですね。目から入る情報がそれくらいだったら、耳や鼻などを合わせたとしても、100パーセントには全然及ばなそうですね。これっていったいどういうことなのでしょう・・・人って、生まれてからすぐ様々な情報を収集して、それを自分の生きる糧にしていきます。目、鼻、口、耳、肌などから、日々膨大な情報を集めることができますね。これらは、すべて単一のものとして記憶されているかというと、案外そうではなく、組み合わされて、状況に応じて自由自在に脳で扱われ、実はそれが自分の記憶に刻まれていたりします。修学旅行など、記憶に残っているおもいでを例に取り上げて見ましょう。目は、常に移る画像を脳に送ります。耳は、そのとき聞いたいろいろなことを脳に送ります。鼻は、常にその場の状況の常に匂いを感じています。肌も、暑さをかんじていたりします。口は、そのとき食べた味を覚えます。つまり、修学旅行で見た風景や、クラスメートと話したことは、その時感じた、5感を統合した記憶として、処理されていくことになります。これは、1つ1つは人にとって同じことであっても、トータルで記憶するそれぞれの場面は、人によって全然違うことになります。これに、感情が加わってくると、もっと複雑になります。いろいろな器官から入ったすべて単一のものを、脳がいろんな情報を組み合わせて、脳の中で情報を作ってたとしたら、実は情報のほとんどは、脳の中で作られている、ということになります。実は、その結果作られた情報が、自分の中の情報のほとんどを占めているのですね。1つ1ついろんな情報が組み合わさって、まるで1つのデータのように存在しているのかもしれません。そして、その組み合わせのデータが増えれば増えるほど、いろんなことに対応できるようになるのですね。経験することが、大事なのですね。何事も!
2006年08月24日
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数年前から出てきているからだのかゆみ、これはいったいなんで起こってきたのだろう?とずっと考えていたのですが、ちょうど薬を飲み始めたり、歯を治療した時期と重なっていたので、そのあたりを、チェックしてみようと思いました。そして、自分が飲んでいる薬や、銀歯などを検査してもらい、その結果いくつかのものがどうやらおかしい、という結果が出たのが、1ヶ月前のこと。その後、薬を変えてもらったり、銀歯を取って、詰め物を少し変えていっている最中です。変えたからといって、からだのかゆみがすぐにおさまる?ということはないと思うのですが、果たして自分の中で何が起こっているのか?ということが気になります。食生活も、食べる時間を考えたり、食べるものを変えたり、ということはしています。症状がただ出ていなかっただけで、ずっとそれに近い状態であったとしたら、それはそれで考えることもあるのですが、今のところはまだわかりません。検査後通院して、いろいろと自分に起こっている症状を話しているので、何かつかめたらいいなという感じです。(かなり待たされるのがちょっぴりつらいが・・・)薬の副作用か・・・朝が少しぼーっとしているのが気になります。でも、目に見えることばかりを気にしていて、ひょっとしたら大事なことを見落としているかも・・・
2006年08月23日
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今日は、仕事で出合った、あるこどものことについて書こうと思います。それというのも、いろんなこどもに出会う中で、彼は記憶にとくに残る1人になりそうだからです。そんな彼の第一印象は、どこにでもいるちょっとやんちゃなこども、という感じでした。明るくて、人見知りは表向きはしていませんでした。運動が大好きで、活発なというイメージがぴったりです。そんな彼との話を通して感じたことは、なんでもかんでも自分でできる、というある意味異常な自信と、少々それに味付けができそうなおしゃべりでした。活発というのは、後で少々違うことが分かるのですが、人の輪のどこにでも顔を出し、話題をさらおうとします。あっちこっちと歩き回り、自分の話題にしていきます。そして、その会話にそぐわない人間には、容赦なく攻撃をしていくのです。それで強いか?と言えば、そうでもないのか、1人でいることを極端に嫌がり、いつも誰かのそばにいようとします。そして一緒にいる人を信頼しているか?というとそうではなくて、状況によって、ひっつき、状況によってけなします。大人と一緒にいると、常に対等でいようとします。できないことを指摘することを極端に嫌います。そして自分ができないという証拠が消えるまで、執拗にチェックをします。単純に言えば、こどもが、なんでもできる大人を振舞っているという感じです。その振る舞いと、実際の状態があまりにもかけ離れていて、見ていると息が苦しくなってきます。ここまで大人でいることを求めたのは、親以外のなにものでもありません。早くこどもをしっかり見て欲しいと思いますが、何かの歯車が、大きく狂ってしまったようで、親すらその状態に気がつかない(気がつかないフリ)をしているのです。大問題を起こさないうちに、方向が変わるといいのですが。
2006年08月22日
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悔いの残らないよう一生懸命がんばりたい、という表現で使われる、悔いってのはどんなものなんだろう?まあ、後悔のないように、と言うの意味であることは、すぐにわかることですね。じゃあ、後悔ってなんでしょう?あの時、こうしとけばよかった、という感じでしょうか。だれにでもありますよね。あの時、あー言っておけばよかったとか、こうしておけばよかったとか。ところで、乳幼児に後悔という言葉はありません。自分に害が及ぶことであっても、何度も何度もやり続けます。そして、それを永遠に続けます。それを見ている周りの人間が苦笑いする光景なんて、目にすら入っていませんね。ただひたすらやり続けます。それではいつから、後悔するとか悔いる、という感覚ができてしまうのでしょうか。ある時、ふと自分がしていることに、しまった?という感情が起こってくるのでしょうか?いずれにしても、後悔するという言葉は、言葉自体マイナスのイメージを持ってしまいがちですが、後悔があるからこそ、踏み出せるものもあるのかもしれない。後悔することは、自分にとって何を思わせてくれるのだろう?と考えると、したことに後悔することが、必ずしもマイナスのものだけではないことがわかります。物事をどう考えるか、で自分の言葉一つの影響力が変わってきます。プラスかマイナスかではなくて、どう考えるかが大事なんだな?って思います。
2006年08月21日
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なんでもいいのですけど、何かを見たり感じたときに、なんでだろう?と自分が不思議に思う涙が出てくる瞬間ってないですか?私もずっと気がつかなかったんですけど、最近そのポイントに気がつきました。そのポイントというのは、こどもが一生懸命に頑張っている姿を見たときです。一生懸命というのは、スポーツとかをがんばっているというのはわかりやすいですが、普段の生活にしても自分の気持ちを頑張って出しているとか、そんな時です。親に怒られながらも、必死になって頑張っている姿とか、その気持ちが伝わってきたときにも、ぐぐって来ますね。その涙から、自分の昔を考えるステップに入りました。この異常なまでの涙は、自分の何を意味するんだろうか?ということを考えています。数限りなくこどもの時からストレスを受けて、それでも忘れるとか何かに変えるとかして、人って精一杯生きていますが、そのストレスは決して消えてはおらず、糸が絡まってみたいに、中身が見えなくなっているようです。その中を偶然覗くことがあったとしたら、きっとその渦に巻き込まれて、自分を失うかもしれないなって思います。でも、そのストレスは見ようによっては、フェイクになるのかもしれません、なぜなら、ストレスの固まりであろうものは、実態がないかもしれないからです。物質社会でなく、別の社会にヒントがありそうです。
2006年08月20日
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朝いつものように仕事場の階段にさしかかったとき、言いようのない異臭がしてきました。なんだかなーと思いつつ角を曲がるや、その光景が・・・○○階段になっておりました。朝と言っても、もう10時ごろだったので、住民は誰一人その光景を見ながら素通りしていた、ということだ。(このにおいでよくスルーできたもんだ)私もすぐ仕事があったので、なんとか素通りして仕事の準備をしていた。しばらくして、やはりそのことが気になり(誰もしなかったら、毎日この思いをしないといけないのか?と思うと、つらくなった)、意を決して、その場に道具を持って向かいました。1箇所かと思っていたのだが、よーく見ると、3箇所。たくさん食べて、たくさん飲んだのでしょう。水をかけて、あーしまったと後悔。まるで乾燥したお茶漬けが溶けるように、ばらけてしまった。それでも、なんとかとおりだけはきれいになったが、問題はにおいだ。暑いこともあって、このにおいだけは、どうしようもない。とりあえずほっとする。戻ってきたのはいいが、からだが壊れてしまった。暑さ+におい+現物で、必死にやっていた時はよかったのだが、我に返ったらしい。ふと、思いの伝染ということを思い出した。これは、○○を出した人の、気が襲ってきたのかもしれないなと。ついつい、見えるものに原因を見つけ出そうとするけれど、実際は違うかもしれないですよね。お店が入っているからしょうがないのだけれど、こういう思いばかりたまっていったら、あんまりよくないなーと思いました。改めて考えると、すぐきれいにしてよかったなと、すっきりしました。
2006年08月19日
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今日は、ある健康関係の会合に出席してきました。その中の話で、日本の健康増進の動きについて、というお話がありました。みなさんは、健康日本21というものを知っていますか?健康日本21とは日本は戦後、国民の健康と生活の質をどうやって向上させていこうかということを考え、社会保障や社会福祉に取り組んできました。ところが、1970年代後半にさしかかってくると、ある問題にぶちあたりました。少子高齢化の時代とそれを見越した財政の問題です。そこでいろいろな会議が行われ、病気との共生ということが打ち出されました。そして、いかにして健康を維持するか、ということについて具体的な項目と、目標を掲げ、様々な健康づくり運動に着手していきました。(詳しくは上の健康日本21にて)またその際に、今まで横のつながりが希薄だった(今でも?)保険・福祉・医療が一体となっての組織作りを始めました。今ある様々な社会保障や社会福祉というのは、この時代の背景に基づいてできあがってきているのですね。国としては、そのようにして国民の健康に取り組んでいるのですが、実際それを個人のレベルに持ってくると、果たしてどのくらいの方が自分の健康に真剣に取り組んでいるでしょうか?健康でいられることの幸せが、病気をして知るならまだいいですが、最後の最後まで気付かずにいる人たちがいるのも事実。健康を語る上では、その前にすることがあるのかもしれないなと思いました。
2006年08月18日
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いろいろな人が集まって社会が作られている以上は、なんだかのルールが作られることは当然のことなのかもしれません。悪いことをすれば、罰せられるということは、こどもでもわかる簡単なことですね。でも、社会が複雑になるにつれ、ルールもまた細かくなり、私たちが暮らしていて知らないルールも、たくさんあることを知ることがあります。知らない間(私たちが見ていないだけかもしれないけど)に、そんなルールはどんどん増え、ますますわかるようでわからないことが、増えていっているような気がします。みんなが知っているべきルールなのですが、これだけ複雑になると、わかるべきルールが、理解できないルールになっていたりします。最近は、脳に関するいろんな症状が注目されていますが、ここにもそのルールというものが、ある意味無情にも存在しています。例えば、足を骨折したということだと、見ていてハッキリ分かります。医師がハッキリと認定できるもののくくりには、ルールとして対応するものがあります。ところが、まだくくれないものがたくさんあって、見えていないので適応できない、というようなものが山ほどあります。物質社会である以上、どのようにルールを作っていくかというと、やはり見えるものを基にということが、当然のことなのかもしれません。当然であっても、これを続けていくと永遠にルールは増え続けていくことになるのでしょうか。知らぬ間に、がんじがらめになってたりして・・・
2006年08月17日
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人にはバイオリズムがあって、生きている時間が、海の波のように、好調期とそうでないときがあるようですね。いろんな占いや鑑定も、そんなことを参考にしていることを見ると、あながち否定は出来ないなと思います。それは個人としてもあるし、グループ(家族など)でもあるし、大きいところでは、日本国民というくくりもあるのだと思います。ところで最近、家族に良くないことが起こっています。良くないことと言ったところで、あくまでも主観なので、たいしたことではないのだと思うのですが、重なっているということが気になります。運命の人とか、運命の出来事とか、逆に良いと思われることもあるし、それがそう思われることは、あくまでも主観的なことです。でもしかし、そう思ってしまう人間の心というものもバカには出来ない気がします。何かついてると思えば、本当にツキがでてきたりすることもあるし、なんだか悪いことばかりだ、と思っているとどんどん失敗したり。何か、偶然を装った必然的な流れ(その人の課題?)が本当にあるとしたら、今の私には、何か考えるべきことがあるのだということになります。(もう考え中です)ふと気がつくことは、人の自然に対する知恵なのかもしれないと思いました。
2006年08月16日
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今年で、61回目の終戦記念日が過ぎました。なぜだかわかりませんが、毎年この時期になると、戦時中のTVのプログラムを見る習慣がついています。行進をしている姿、訓練の姿、陸海空軍の戦闘風景、凄惨な光景などなど、見るたびにかつて起こっていたことを考えます。この頃のことを、親に聞いたこともあります。聞けば聞くほど、今では信じられないようなことが、当たり前のように行われていました。テレビを見終わって我に返ると、そこには今のところ平和な日本があり、本当に静けさに包まれてテレビを見ている自分がいます。こんな安全な環境で、ぼーっとテレビを見ている自分ってなんなのだろう?と思いながらも、正直今生まれて良かった、と感じている自分がいます。ところがよく考えてみると、そんなことを感じているのはその瞬間だけで、他のほとんどの日は世の中に対して悪くばかり思う自分もいたりして、なんだ矛盾する自分を見つけてしまいました。いつどのときに生まれても、何よりも今をプラスに考えて生きてみることを、実践している人はたくさんいるはず。どこかの迷路みたいに、うろうろ迷っているのが心地いいと思っているのだろうか。そんな時に、スポーツのドキュメントを見て、なぜだか感動した。自分の中で言葉に出来なくても、自分の心が喜ぶときは、こうやって示してくれるんですね。幾度となくそんな経験をしていて、こんな喜びを自分で実現するためには、どうしたらいいんだろう?と考え中です。
2006年08月15日
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愛ってどんなものなのだろう・・・?なんかベタなスタートをしてしまいました。でもしかし、少なくとも1回くらいは、どんな人でも考えたことがあることではないのでしょうか?あらゆる人間の活動の中には、必ずこの愛というテーマが登場してきます。そして、この愛って言葉は、どんな人間でも、敏感に反応する言葉。まるで、それが本能であるかのようです。愛に言葉をつけると、いろんな意味に発展?していきます。偏愛、溺愛、恋愛、友愛、兄弟愛、隣人愛、家族愛、人類愛など、愛のまわりにいろんな言葉がついて、違う意味に変化していきます。それでも、愛1つをとってみると、どんなものか説明するのって、感覚では分かったとしても、説明が難しい言葉です。愛ってどういうことなんだろう?人を心から愛することって、どうすることなんだろう?人それぞれに感じている愛は違うのだろうか?敏感に感じれば感じるほど、愛とはなんだ?と思う。きっと、人にはなくてはならないものだろう、ということだけはわかる。なぜなら、愛があるから子孫は繁栄してきたのだ。なんか迷路に入りそうだ・・・愛って?
2006年08月14日
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福岡地方は、1日雨模様にはなりましたが、炎天下が続いています。田んぼの苗は、日々たくましくなり、それに負けじと、雑草も生い茂っていて、まさに植物界の弱肉強食を見ているようです。 駐車場のスペースには、いまや1メートルはあるかという雑草が、車に襲いかかっております。つい1ヶ月前には、なんにもなかったのに・・・この雑草たちは、何を思ってこんなにも早く生い茂るのでしょうか? あいもかわらず、私が植えていた、にんじんやサラダ菜たちは(ただの土盛り)は寂しいものです。雑草が、まるで恐竜で言うティラノサウルスに見えます。周りから、今にも襲わんばかりに、囲んでいるのです。 変な話ですが、それを人に当てはめると、雑草のごとく生きるのか?にんじんのように生きるのか?となり、生き方の好き嫌いを、植物から学べることになります。いろいろなものから、意味を見つけることで、とっても大事な学びの種となります。雑草に学ぶことを見つけてみることにします。
2006年08月13日
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最近は、テレビ番組を見た感想が多い気がしますが、暇になったのかな?テレビはあんまり見ないのですが、最近けっこう見たいテレビがあって、見るようにしたせいかもしれません。このタイトルは、みなさんもきっとご存知の番組です。家族から旅立った人のいろいろな思いが、、江原さんの力を借りることによって見えてきて、その家族の故人への誠実な思いと、故人とのコミュニケーションを番組にしたものです。いきなり亡くなってしまったとか、不慮の事故であった場合は、残された家族の苦悩は大変なものだと思います。この番組の場合もそんなケースが多いのですが、大体の場合、死後もいろんなアクションが起こっていて、そのことが家族にいろいろな思いを募らせるのですね。何も分からないままだと、アクション(故人が家に来て、何かの痕跡を残す)の意味と言うものは、わかるすべもありません。それが、家族へのいろいろなクラクションであるという気づきは、事を冷静に遡ることで。わかってくるはずなのですが、たいていの場合は、間違っていることが多いのだと、江原さんの発言を見ていてわかりました。生きていても、それぞれの人が思っている本当の愛情、に気付くことが難しいとしたら、それは、生きている内にしっかり感じておくことが大事なんだと思うのです。そういう意味では、江原さんが、思いを募らせるということは、成仏する時にさえ甘えるということになる、というようなことを言われた時に、肌で感じました。それは、死してはじめて、その人の愛を知るということで、でもそれは同時に、悲しさを経験することになってしまいます。供養というのは、この世に残った人間が、しっかり生きていることを見せることだとおっしゃられていたことが、とても強烈に残っています。
2006年08月12日
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某局のTV番組で、グレートジャーニーというのがあります。遅い時間から始まるのですが、好きでたまに見ています。そこでは、私たちの知らない、いろんな自然の時間があって、夢ではない現実だということが、半ば信じられないくらいの光景を目の当たりにします。最近見たものでは、ロシアから樺太に(極寒で海が凍っている)徒歩で渡るということをしていました。吹雪が続くので、その土地では、お金を得るのに、気の遠くなる時間を費やしていました。それとも比べものにならないと思いますが、大昔、人間はこの半ば信じられないくらいの大自然を相手に、いろんな知恵を絞りながら生きてきました。今の日本だと、お金さえあれば、歩いて数分で、食料を得ることが出来ます。同じ人間ですが、見ているところが全く違っていたから、おそらくこのころの人って、もっと本能(テレパシーとか予知能力)があったはず。それがなくて今の人が全く同じ環境に立っていたら・・・どうなるでしょう(昔の力が蘇ってくるだろうか?)同じように、樺太に住んでいる人たちは、ある意味昔の人たちに近い生き方をしていて、それは、人が本来人である生き方であるかのように、私の目には映りました。ところで、どう考えても昔の方が生きにくい感じがしますが、現在はストレス社会なんて言葉が、そこら中にあふれかえっていて、まるで生き地獄と感じている人もいるのかもしれません。新聞の調べでは、企業調査で約6割の職場に、ストレスを感じていると言う結果がでていました。今よりは、毎日食べるものがなくて、危険にさらされて生きていた時代のほうが、今の世界よりものすごいストレスがかかっていたに違いないとは思いますが・・・見ている画像に引きつけられている自分が、自分の生き方への答えなのだろうか・・・
2006年08月11日
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人並みに生きていると、いろんな人に出会います。出会うだけだったら、ものすごい数ですよね。それが、挨拶をする・・・片言話す・・・いろいろ話す・・・何回も会う・・・毎日会う・・・・なんて進んでいくと、ある人数に限られてくると思います。仕事で話すことはないけど、毎日挨拶だけはするとか、ほとんど会うことはない人だけど、本当に大切にしている親友であるとか、その人によって、ある人への思いは、千差万別です。そして、そういう関係って、好き嫌いに関係なく、好きなのに縁遠くなってしまったり、嫌いなのにいつまでもそばにいる、なんてこともあります。仕事での関係だと、なおさらですね。そんなことというのは、ある人に言わせると、自分がそういう人間関係を引き寄せている、と言います。そして、そこから学ぶ何かと言うものを本人に提示しているのだそうです。自分が否定的なことばかり考えていると、そういうことをどんどん引き寄せ、前向きに邁進していると、そんな人や事柄が引き寄せられてくるのですね。そんな人間関係の中でも、自分の心に残る人というのが、必ず登場してきます。それは、いっしょにいた時間や性別、関係などの束縛もなく、その人の言った一言とか、その人が行ったこと、なんかがずっと残っているなんてことがあったりします。ふとそのことを思い出すと、なんだか元気が出てくるんですね。もちろん反対もあると思います。これに固執すると、きつくなってしまいますね。付き合いがなくても、心にある人がたくさんいると、反対のことが水に流せたりするものでしょうか?
2006年08月10日
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昨日の日記で、何が幸せで何が不幸せ?ということについて、ちょっと書いてみました。今日は、それに似たことで、書きたいことがあったので、ちょっと書いてみようかなと思います。スピリチュアルカウンセラーの江原さんによると、魂にはステージがあって、全ての魂がクリアをしていくことというものが、山のようにあるのだと言います。そして、その克服の場というのが、現世(今)であって、人はその魂の克服のための、いろんな試練を受けることになります。そして、現世で生きてきた全てのことが、また魂の記録として組み込まれ、じゃあ次は・・・と言う形で、また現世に戻ってくるのだそうです。それぞれの魂は、同じグループの魂からでてくるということなので、現世での課題の達成の度合いによっては、魂の元に戻るときに、マイナスを連れてくるということになります。現世では、関係ないと思われる人同士が、実は深くつながっていると言うことになるのですね。そうなると、今日見る他人は、仲間の魂であったりするわけです。人生の中で関係する、あらゆる人というのは、あの世では一緒にいるのかもしれません。今の世の中というのは、どうしても目に見えるものに関心がいってしまう世の中になっていて、私もその1人です。でも、上のようなことを考えると、むしろ見えないことの方が大事だ、ということになります。では、見えないことの中にある何を私たちは実践すればいいのでしょう?まず、我を忘れる、ということなのでしょうか?
2006年08月09日
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オーラの泉というTV番組をたまに見ます。三輪さんと江原さんが、ゲストの過去や、前世のことを見ていくという、なかなか面白い番組です。司会は、トキオの国分さんがしているのですが、やりとりも、見ていて引き込まれる感じがします。ゲストは、川島あいさんでした。福岡の人なので、少し親近感を持ちながら見ていました。彼女の生い立ちを聞いていると、生みの親を知らず、施設で育っていて、育ての親も20才になるまでに亡くなっているという、普通ではない境遇でした。(何が普通かと言われると、何とは言えないが・・・)そして、引っ込み思案だった彼女を、母は音楽というものに出会わせることで、変えようとしたのだそうです。15才で、単身上京し、路上ライブをしながらここまで来たと話しているのを聞いて、単純に、すごいな、と思いました。そして、その話が終わって、江原さんが言った一言が「あなたは幸せですよ」という言葉。私も一瞬???と思いましたが、なんとなくその意味を感じることが出来たのです。その後に続く話を聞いていて、なるほどと納得の話。仕事の関係で、施設を見たり一緒に生活したりすることもあるのですが、そのこども達は、親と離ればなれで、親に甘えることも出来ないです。それでも、周りにはいろんな大人たちが彼らを見ていて、周りにはいつもいろんなこども達がいて、それはそれで楽しいこともたくさんあると思うのです。そのことを、それは違うんだ、と言えばそれで終わりですが、きっと今ある自分は、すべて経験を元に今あるわけですから、どうにでもできるのですね。歌手になりたいと思って、歌手になっている川島さんに、「あなたは幸せです」と言った江原さんの言葉は、本当に説得力のあるものでした。
2006年08月08日
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人によって、話が好きな人と、話が嫌いな人がいますよね。それから、話す人によって、話が好きになったり、嫌いになったりする人もいます。話をすることが好きな人は、とにかく暴走すると、止まるところを知らずに話し続けたりします。話す人がいるということは、聞く人がいるからで、そんな話好きの人の話を、聞き続けるのです。そんな人になれたらいいな、なんて思ったこともありましたが、最近は、これでもいいか、と自分の聞き方を通しています。仕事なんかになると、責任のある話なんかもあるので、話が聞けないなと思っても、しっかり聞いておかなければ、と思ってがんばります。私の場合は、ストレスがかかってくると、目が上に向かなくなるので、聞いていないと思われるようです。実は耳だけはちゃんと話に向いていて、しっかりと聞いているのですが、どうやら勘違いされるみたいです。話を聞くのが嫌いだと話していた、もう一人の同僚は、なぜか話を聞いていなくても、しっかりと聞いていたと思われるようです。この差は顔がどこを向いはなているかだ、ということはわかっているのですが、どうしても私の場合は、顔が上に向きません。その同僚は、話の時には、目を相手にしっかりと向け、相槌を打っているのです。(あとで話の内容を聞いてくるので、聞いていなかったことがわかってしまう・・・)話をすることは大事なことですが、こんなことが起こった時には、お互いの話の間合いが読める人間であれたら、と思います。ちなみに、話をする人ほど、話を聞いていないなんてことはあるのでしょうか???
2006年08月07日
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少し前の雨ばかり、に続いてずっと晴ればかり、しかも熱帯夜が続く福岡です。不規則な仕事の合間を見つけて、泳ぎに行こうと市内のプールに向かうと、そこは車だらけの大渋滞。待ちの人なんかもいたりして、これは泳ぐどころではないだろうと、すごすご引き返しました。家に戻ろうかとも思ったのですが、水の音が聞きたくなって、そのまま地図も見ないで山の方へと向かいました。海よりも川の流れという感じでした。行き当たりばったりなので、うろうろとしながらも、なんとなく川を見つけて上流へ。自分のイメージの川を見つけられたらいいなと思いつつどんどん上に登っていきました。ところが、上に登っても、なかなか自然の川(人が入っていないような川)が見つかりません。ちゃんと調べておけば良かったな、と意味のない後悔をしながら、妥協点を探していました。すると、ちょっと遊べそうな場所を見つけたので、そこへ行くことにしました。海もプールも、ほとんどお風呂と変わらない水温なのに、なんと川の水の冷たくて気持ちのいいこと。深くて泳げそうなところはなかったのですが、足を水につけるだけでも、精神的に心が安まりました。大きい岩なんかもあって、抱きつくとエネルギーが充電される感じがして、気持ちが良かったです。しばらくそうしていたかったのですが、すぐに雷が鳴り始め、大粒の雨。そこに気持ちを残しつつ、降りていくと、なんのことはない、下は晴れていました。いい場所を見つけたので、たまに行ってみようかなと思いました。滝壺なんかどこかないかな・・・
2006年08月06日
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こんな記事が出ていた。「心の病」抱える社員が増加、30歳代が6割 6割を超える企業で「心の病」を抱える社員が増加傾向にあることが、社会経済生産性本部の実施したアンケート調査でわかった。 同本部では「風通しがよく、何でも相談しあえるような職場環境作りが急務になっている」と話している。 調査は、全国の上場企業を対象にメンタルヘルスの取り組みについて聞いたもので、今年4月に実施。218社から回答を得た。 調査結果によると、「この3年間で(社員の)心の病が増加した」と答えた割合は61・5%となり、2年前の調査に比べて3・3ポイント増えた。「心の病による1か月以上の休業者」を抱える企業の割合も74・8%に上った。(読売新聞) - 8月6日21時8分更新この記事で調査した団体は、「何でも相談しあえるような職場環境作りが急務」と言っている。そうだとしたら、それぞれの会社自体には、話を表に出せないような環境があると指摘したい、ということなのだろうか?それって、昔からある意味当たり前のことのようにも思えるけれど。きっと、メンタルヘルスに関する取り組みは、企業でなされてはいるけれど、実のあるようなものと社員が感じているとは思えないということなのではないか。それに、そういう研修があったとしても、それ自体が苦痛になっていたりして・・・ということなのかもしれない・・・おそらく、こどもの問題も深刻化していて、そういう問題の延長線上で、こんな問題が表面化していると思えてならないのです。だとしたら、会社の性質上、何でも相談しあえる・・・なんて言っていたら、運営できないのかもしれない。結局、子育てと教育に焦点が当たるのだけれど、そこに予算はあてられず・・
2006年08月05日
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ここ数日、姿勢のことをずっと書いています。今日は、実際に写真を見てもらおうと思っています。この写真を、何人かの人に何も言わずに見てもらったところ、2枚の違いに気が付いた人は、ほとんどいませんでした・・・自分では、明らかに違っていると思っていたので、???と思いながら、見るポイントを言うと、あー違ってるねと皆さん言います。そして、全然違うね、というコメントが改めて出てきます。不思議なものですね。これは、何もせずまず写真を撮って、その後タッチフォーヘルスをして、終わった後にもう一回撮った写真です。撮られている本人は、意識していないとその変化には気が付かなかった、と言っていました。姿勢って少し変わったくらいなら、あんまりわからないのかもしれません。ただ、そこに意識を向けると、変化があったらすぐ分かるみたいです。やはり、ここでも意識を向けていることが、変化の気づきを導くようです。これが2枚の写真です。どうでしょうか?ちなみに、この後手が胴体についてない感じを本人がきにしていたので、同じように調整してみました。すると、調整後は、すぐに変わったことを実感されたみたいで、終わった瞬間に、そのことを言われました。いろいろと変化を感じていると、やがてちょっとした変化でも、気がつくようになります。人が元々持っているものですよね。
2006年08月04日
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2日の日記でも少し触れているのですが、人の姿勢とか、歩く姿は案外その人のことを語っているのかもしれないなと思います。何を語っているのかは、それぞれの人によって違ってくると思います。それは、その姿勢をイメージして、そこから連想される感情や気持ちを想像することで、分かってくるのですね。いつも気が重くてと言う人だったら、からだも重いし、歩く時もからだを引きずるように歩いているかもしれません。いつも何かに焦っていたら、いつも早足で前傾姿勢になり、手が前に振り出しているかもしれません。いつも怒っている人だったら、目をかっと見開き、肩を張って歩いているかもしれません。何かの動作や、姿勢と言うのは、こうやって心の動きをからだに映し出しているのですね。それぞれに思うことは違っているはずなので、ある動作によっても人によって感じ方は変わります。ここで、考えてみたいことは、心とからだはいっしょだ、ということに気がついたら、今の自分はその姿勢から心を覗くことができるはずだということ。そして、その気付きによって、新しい自分を見つけるヒントが得られるということです。表面に出ていることでも、~が痛いというような感覚がわかるものもあれば、姿勢のように気がつかないものもあるということですね。恋愛をすると、美しくなると言いますが、同じように姿勢においても、変わるものがあるはずなのです。姿勢が変わると、世界が変わって見えるかもしれませんね。
2006年08月03日
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普段の生活で、鏡を見ることは結構あると思うのですが、自分のからだの姿勢(スタイル)についてまじまじと見る機会ってあまりないですね。(私の場合)私は、タッチフォーヘルス健康法のインストラクターをさせてもらっていて、そのタッチフォーヘルスという健康法の中に、姿勢を見るというコーナーがあります。それで、コースに参加されている方々で姿勢を観察してみました。前から、横から、後ろから見るというのは、自分ではできないことなので、見ていただいた感想を率直にだしてもらいます。すると、私の場合は、両腕がしなるように前に出ているのと、あごが微妙に上に上がっている。それから少し前傾になっていると言う指摘がありました。写真にとって見ましたが、ちょっと恥ずかしいので・・・変な姿勢です。そして、お互い確認ができたら、タッチフォーヘルスのコースで出てきた、いろんな調整を使ってバランスの調整をしていきます。終了後見るまでもなく、自分の姿勢が変わったことに気がつき、身長が少し伸びた気がしました。このままであればいいのですが、その都度自分で調整をして、この姿勢を保ってみようと思いました。美しい姿勢っていいですね。どこまで保てるかな・・・
2006年08月02日
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西日本新聞には、いろんな病気や、治療法、考察などが載っています。この前、顎関節症についての記事が載っていました。顎関節症と言えば、これまた最近名前を聞くようになった症状です。口を開けたり閉めたりするときに、上手くその動作が行われず、音が鳴ったり、頭痛や痛みが起こったりする症状です。なんでそうなるのか、ということについて5つくらいの原因が載っていました。そしてその内もっとも多いのが、骨と骨の間にある、骨をあたらせないようにする組織がずれているというものだそうです。それは、名前が聞かれるのが最近だと言うことで、現代人特有の環境から来るものだとか。実際に症状が起きると、食べ物さえ、ろくに口に入れることが出来ないくらいに、なっている人もいるそうです。そうでなくても、口はものを入れる以外に、話すという手段を持っていますので、しっかりと開けて話す必要があるときに、話すことが出来ずに、その人自体の印象も変わってくるかもしれません。もう1つ深刻なことは、表情を作る筋肉が、衰えていってしまうので、老化がすすむかもしれないということと、脳からの神経信号が顎関節周辺を通っているので、その辺りへの影響も考えられます。頬の筋肉をしっかりとマッサージしてあげたり、骨盤や足の状態をチェックしてもらったりすると、そのあたりが少し改善できるかもしれません。いずれにしても、かかりつけのドクターに見てもらうか、専門の機関に相談するなど、できることをしておいた方がいい気がします。
2006年08月01日
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