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20日にお腹が最大値の痛み、と称して日記を書きました。その後、痛みが数日続いたので、これはと思って病院へ行くことにしました。そして、やはり検査がたくさんあって・・・出た結果が虚血性腸炎ではないか、というものでした。辞典にはこう書いてありました。病態 大腸を栄養している血管の閉塞、狭窄により、その栄養されている 領域の大腸が虚血状態となり呈する腸炎。高血圧、動脈硬化、不整 脈、糖尿病に併発され易い。これは、腸間膜動脈(大腸の栄養血 管)の狭窄を呈していることが多いからです。 症状 突然の腹痛、下痢、下血にて発症する。特に左結腸に発症しやすく、 左側腹部痛を伴う下血はまず、この疾患を疑う。病変の多くは可逆性 で、通常は10日以内に寛解します。 検査 大腸内視鏡検査により、炎症を確認する。 治療 腸内の安静を図るために、禁食とし、輸液栄養を補給する。透析をされている方やお年寄りの方に多いのだそうです。動脈硬化による便秘などでも発生するそうです。(これは自分の血圧の薬と関係するかもしれない・・・)少しリアルですが、画像もありました。腸炎の画像付き解説そして、またこの10日後に胃の調子が悪くなり2,3日ご飯が食べられないと言うことが起こってきました。う・・・いったいどうなっているのか、少しからだの様子を観察しないと、と自己調整に入ることにします。
2006年03月31日
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人同士は、支え合って生きていくから人という字があるんだ、なんて話をすると、なるほどって思います。漢字には、そんな教訓的な意味を残しているものってたくさんありますよね。ところが、最近は人と助け合う、ということが直接的と言うよりは、むしろ間接的になっている部分が多いので、話さなくても話している感じがするテレビ番組があったりします。さらにインターネットでは、それをよりリアルに感じれる双方向のプログラムがありますね。先日であったこどもなのですが、1日12時間テレビを見ているそうです最初は、話の中でのテレビの話題や、一週間のテレビ番組表を暗記していたので、??と思って生活の様子を聞いてみました。するとそんな事実が分かりました。家にはずっと一人でいることがほとんどで、親は仕事でほとんど帰ってこないのだとか。そんな環境だと、時間が自由に使えるし、学校にいかなければ人との交流はほぼない。そんな環境が、かなりの間続いていたみたいなのです。そんな生活を想像してみました。朝は昼前くらいに起きます。そこら辺にあるものを適当に食べ、そしてテレビ、夜中まで。外に出ることはまずないので、話す人は親のみ。これを数年続けると、頭の中ってどうなるんでしょうか?今の世の中、これができるようになっているということが、世の中のひずみかもしれません。そんな状況から、働く厳しさや、人との間で、日々コミュニケーションをしながら生きていく、なんてことは無縁な感じがします。たしかに一人でずっと生きていけるのかもしれないですけど、そう思う人が増えれば増えるほど、人の二極化も進みそう。この生活は、果たして楽なのかな?
2006年03月30日
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つい少し前までは、英語は中学からでした。それでも大学まで英語を勉強すると、10年選手。数学ならかなり難しいことまで学習してしまいます。ところが、英語は、文法は頭に入っているのに、話すとなると全くダメな日本人。それで、いつだったでしょうか、コミュニケーション能力の充実、という項目ができて、先生たちは授業の改善に取り組みました。そして、それでも効果が上がらないと思ったのか、今度は小学校に英語を組み込んできました。先日知り合いの家に行ったときに、小学生がいたので、英語の授業のことを聞いてみました。すると、週一回のクラスで、ゲーム感覚で会話をしていると言っていました。そして、かたことですが話せるんですね。これは、まだ英語って話すものって思っているから話せるようになるんじゃないかなって思いました。いくら英語でコミュニケーション能力なんて言っていても、英語を勉強する目的が、受験だと思えば、話す必要なんてないですね。だから、中学での英語に、コミュニケーション能力を求めるのはかなり厳しいんじゃないかな、って思います。違う目的が出来れば別ですけど。同じように、日本語も話す必要がなければ話さなくなるので、当然日本語でのコミュニケーション能力が低くなってきます。最近の便利な世の中、文を話さなくても、単語で済む感じさえします。これってかなり危機的なこと?って思ったりもします。
2006年03月29日
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最近、知り合いの方にこんなことを言う人がいます。男の人なのですが、仕事が終われば、余暇を謳歌しています。年齢はまだ30そこそこで働き盛りって感じですね。仕事もなかなか出来る人で、自分が生きるので精一杯という感じには見えないのです。こどもがきらいなのか、それとも何かそう思うことでもあったのかな?と気楽にながしていたら、お酒の席の時にいろいろと話してくれました。自分のために人生を楽しみたい、って最初は言っていました。ところがなんか今の世の中の話になって、住みにくいという話になって、教育の話になって、結局今の世の中でこどもができても、何もいいことはない、と断言した。だから結婚の意味がないということらしい。とくに意見することもなく、聞くだけに徹した。その数日後にまた偶然会う機会があり、今度は普通に話していたのだけれど、数日前のお酒で席の話を素で話し始めた。今度は、子孫を残す意味がないのは、今の日本の社会に問題があるからだ、という話にまで及んだ。だめだから、自分は好きに生きていくんだ、という開き直りなのか、悲嘆にくれているのか、いずれにしろ自分の好きに生きたいという結論だった。きっと、自分の身近にこんな風に思っている人がいたということは、かなりの人数の人がそう思っているのかもしれない、と一瞬ものすごく不安になった。もちろん今の社会に問題は山ほどあるとは思うのだけれど、そう考えてしまったら、全ての子孫が途絶えてしまう。そんな世の中だけれど、それでもいろいろと考えて、生きていくのが人なんだと思っていた自分にとっては、ちょっぴり暗い影を見た気がした。
2006年03月28日
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山や川に行って綺麗な空気に触れたり、のどかな田園風景を見ると、なんだか心が和むというかホッとした感じがします。毎日そんな環境で過ごしていると、イライラなんて感情と無縁になるかもしれませんね。元々人が持っている自然への懐かしさみたいなものもあるでしょうね。そこに自分自身の昔の記憶がそこに入り込んできて、懐かしい気持になったり、またちょっと怖かった肝試しの記憶でドキッとしたり、環境って人に与える影響がけっこうありますね。こんな記憶で、人が見る脳の中の景色もまた変わってくるのだと思います。いろいろなこどもたちと接していて感じるのは、不安定な環境で育ったこどもは、ずっとその環境を安心できる環境と感じるのです。家庭の中が毎日殺伐としていたら、そこから全く正反対の環境に行ったとき、そこが自分にとって本当に安心できる場所であったとしても、しばしば問題を起こそうとします。それは、無意識に自分の一番しみついた環境を引き出そうとしているのです。テレビをずっと見続けていたこどもは、テレビのない部屋に入れられると、もうどうしようもなく不安になります。ひょっとするとこどもだけではなく、大人もそうかもしれません。パソコンとてすでに同等の扱いになってますね。問題なのは、やっぱり5,6才までのこどもの環境だと思います。そして、親と愛情のあるコミュニケーションがとれているか、ということだと思います。一瞬の愛情でいいのですね。
2006年03月27日
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もう何人かの話を聞いていれば、なんとかアレルギーだ、というのは当たり前の時代ですね。花粉症であったり、食物にアレルギーがあったり、物などにアレルギーがあったりと、様々な形で自然界からの訴えのようにでています。人だけではなくて、その自然自体もアレルギーの状態になってしまっていたりするというのが、苦しいです。どんなアレルギーになっていても、その状態があるときの苦しみはかなりのものだと思います。ある程度自分で考えられる年齢になれば別ですが、まだ何が何だか分からないときに、人と違う状態になっていることへのストレスは相当なもののはず。とくに食べたいものが食べられない、というのは自分がその状態になったと考えると、かなりきつい。幼稚園でみんながおいしいといいながら、食べているその横で、制限食をニコニコ食べているこどもを見ると、とてもせつなくなってしまう。結局、ある程度の年齢になると、自分が違うと言うことに気がつき、(もう気がついているのかもしれないけど)1回や2回の冒険をしてしまうのかもしれない。そして、その代償を払うことになる。アレルギーという言葉は、昔からあるみたいだけれど、できるならその言葉がない時代に戻りたい、というのが正直なところだ。
2006年03月26日
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今日は、ある方のご縁で、福岡の西方にある二丈町というところの、龍国禅寺に行ってきました。ここは、平家の落人の伝説のあるお寺で、800年を超える歴史のある、それでいてそこにいるだけでホッとする場所でした。あまりお寺の奥まで見せて頂く機会なんてないのですが、ご住職に案内して頂いて、何かご縁を感じながら、ひとときを楽しみました。気のせいかもしれませんが、行く部屋ごとに雰囲気が違っていました。納骨堂が本堂の隣にあるのですが、イメージとは全然違って、なぜかスッキリとしていて心地が良いのに驚きました。本堂の奥には池があって、かすかに水の音が聞こえてくるんですね。これもまた、耳からはいる癒しの音楽のようでした。ちなみに、そこはわき水が出ているそうで、それを飲用とされてきたそうです。今でも飲めるというそのお水も頂きました。わき水というと、けっこう鉱物の固さを感じる水なのかなと思っていたら、そんな感じもなく、すっと喉になじんでいました。お寺にまつわるお話などを聞いていたら、あっという間に時間が過ぎ、気がつくと数時間が過ぎておりました。自分がやっているタッチーフォーヘルス健康法も体験してもらい、とても充実した一時になりました。聞いた話しですが、一時期お寺の周辺一帯には、工場誘致の話があり、それが立つことによって発生する人災を防ぐために、いろいろなご努力をされたそうです。結果的にその話はなくなったのですが、その時のお寺にまつわるお話を、本にまとめられているということで、そこにはお寺にまつわる摩訶不思議なその時の出来事なども書かれているそうです。できたら、是非読んでみたいなと思っています。今日は、とってもありがたい1日でした。
2006年03月25日
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テレビで、感染症専門で世界を飛び回っている、女医についての特集をしていた。彼女の医師になった理由は、弟がまだ若い時に病気でなくなり、その弟に医師になって欲しい、と言われたからだと語っていた。最初は脳外科医として勤務していたが、感染症に関する勉強をしなおしたそうだ。いつも仕事をしていてきつくなった時に、弟の顔がよぎり、いろんな人を救って欲しい、という言葉を思い出すのだそうだ。鳥インフルエンザがトルコで発生した時、彼女にも出動要請がきた。鳥インフルエンザと言えば、日本にとっても記憶に新しい重大な感染症だ。彼女は、家族の事情がありながら、人にとっての脅威だから、と要請に応じてトルコに赴いた。そこに行けば、間違いなく死の脅威にさらされると知りながら、覚悟していくということを言っていた。それを聞いた時、人としての生き方と、親としての生き様を突きつけられたような感じがした。そして、自分のためではなく、人の為に自分のできることをするという使命感を持つことって、自分にどのくらいあるのだろうかって思った。結局、トルコに赴いた彼女や、そのグループの努力によって、鳥インフルエンザの実態が把握され、そこで集積したいろんなノウハウは、世界の財産になった。いろんな人のお陰で、生活できているんだなって、テレビを見ながら改めて思った。医学の分野だけでなく、他の様々な分野で、自分が知らないようなことでも、きっとお世話になっていると思うと、改めて自分が出来ることのちっぽけさを感じた。さて、自分はなにができているんだろうか?結局はここに戻ってくるな・・・
2006年03月24日
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22日の日記から、2回に分けて、よりよく生きたいと思ったときに、タッチフォーヘルスという健康法があることを、ご紹介してみました。今日は後半部分です。メタファーという言葉は、直訳すると暗喩と訳されます。からだの動きは、常に心と連動して表に示されることはありませんが、全ての動きには常に意思が伴っています。前に進みたくないことがあれば、太ももが上がりにくくなったり、隠したいことがあれば、からだが前かがみになったり、ということに、生活しながら意識が向くことはあまりないですね。暗喩とは、消して見えることのない作用とでも言えばいいのでしょうか。そのように考えていくと、からだのすべてのものは、意思と連動していて、思いが全てを変える、ということはある意味その通りなんですね。知らず知らずに行っていることが、自分の意思と深く関係していることもあるわけですね。そして、ここに気が付いたときに考えてみることがあります。ある時、自分のある部分を変えたいと思ったとします。今までのからだは、自分の今までの意思を表したものであるとするなら、そのままでいると、ただ変えたいと思うだけでは、自分を変えることにはとても時間がかかるかもしれないということです。変わりたい自分があれば、からだに働きかけるのが、自分を変える早道になると気が付けば、もうしめたものですね。自分を変えたい人もいれば、変えたいと思っていても変える機会がない人もいます。変える気がない人もいます。そんな場合にでも、自分を見つめるということができているか?ということを考えることは、とても大事だなと思います。自分の新たな可能性は、自分が気がつくことで無限に広がっています。
2006年03月23日
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私が日々実践している、タッチフォーヘルスというものが、よりよく生きたいと思ったときの手助けになると思って、こんな説明文を書いてみました。まだまだ文章作りが苦手なので、書いて練習したいと思っています。読んでみて下さい。人のからだの動きと、意思との関係を見ていくと、何か共通したおもしろいことを見出せる気がします。からだの異常は、からだの使いすぎ、というのは当然思いつくことではありますが、疲労が回復すれば元気になるということを考えれば、からだの疲労が何日も続くことに別の理由があると思わざるおえません。そのことに関しての科学的な根拠は、すでに1960年代に入って、ジョージグットハート博士が、AK(アプライドキネシオロジ―)というものを生み出し、からだの動きの異常(筋肉の異常)は、からだの表面に出てくるという(反応点)ことを体系化しています。つまり、動作に痛みが出たときに、その部分ではなく、別の部分を触ると痛みがなくなる、症状が改善するといったことが起こるということです。からだの未知の力が、科学的に示されたことになったわけです。その後、からだだけではなく、実は毎日の生活でのさまざまな心の模様が、同じようにからだに表出している、ということを、グットハート博士の弟子であったジョンシー博士が、臨床で積み上げ、やがてそれはメタファーという名前で完成します。彼は、治療家向きであったAKを、TFH(タッチフォーへルス)という誰でもできる健康法として紹介し、その中でからだとこころは切り離せないもので、つねにトータルで見ていくものであるということを、語っています。その息子マシュ―は、父の意思を継ぎ、メタファーについての本を出版しています。メタファーについては、次の日の日記に・・・
2006年03月22日
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生まれて育っていく上で、たくさんのこといろんな人から聞いて、そして吸収していきます。小さいときは全てが吸収の対象ですが、やがて自分が好きなものとそうでないもので、集中力や聞く姿勢が変わってきます。また、ちゃんと聞こうと思っていても、わからないことや聞く内容が多すぎて、聞くことが辛くなったりします。それでも、学生の時なんて聞く毎日なので、嫌でも毎日聞かなきゃいけない。物事をどういう風に吸収していいかなんてわからずに、ただ聞かされる毎日でした。(たぶん私がそうです)そんな風に思っていても、ある日そんな日々がなつかしくなったりします。そして、社会の情勢や自分の嗜好についての情報が欲しくなれば、いろんな講座に行って聞くことができます。それで、大人になって、新しく何かを学ぼうと思ったら、その気持ちは多少学生の時とは違う気持ちがあったりするんです。あの時なんでもっと集中して聞いていなかったのだろう・・・とかです。それで、学びに行くんですが、何か違うんですね。聞いているんだけど何だか頭に入ってこない。学生の時よりは必死に聞こうと思っているんだけど、何かおかしいなって初めて気がつきました。それは、聞いたことをただそのまま覚えてしまうという癖。どういうことかというと、覚えたことが他のことと結びついてなくて、ただ知識として残るというような感じです。学生時代のタンゴの暗記みたいな感じですね。学生時代はこれが当たり前の聴き方だと思っていましたが、これだと聞いたときはいいけれど、なんかすぐ忘れてしまうんです。そう思ったときに、じゃあどうすれば自分の中でそれが身に付くかを考え始めました。そうすると、いろんなことを自分で考えはじめました。そうすると、一つのことを聞いても、自分でどんどん広げているうちに、自分の中に定着していくんですね。そんなことを今頃気がついているのですが、まあ自分のゆっくりペースには前から気がついているので、ぼちぼちやっていこうかなって思っています。聞くだけで満足すると、いくら聞いても身に付かないなって実感しています。
2006年03月21日
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いつものように仕事をして、そしてその足でプールに向かいました。特に体調が悪いわけでもなく、自分でもからだの異変には全く気がついていませんでした。実はその前兆がなかったといえば、うそになるかもしれません。その時は、そんなこと気づくわけもなく、普通に練習をして、そして帰途につきました。家に帰って、この日は食べてから行く場所があったので、いつもより急いでご飯を食べました。そして食べてすぐ、家を出ました。しばらくして、なんだかお腹が変だ?という事に気がつきました。いつもより消化されている感じがなく、なんか詰まった感じがしました。そこでおかしいことに気がついていたのに、一瞬の思いも忘れ、用事のことで頭はいっぱいでした。その場所に着き、用事もだいたい済ませたくらいの時に、突然お腹に痛みを感じました。あ・・前もこんな痛みあった、と思い、まあしばらくして収まるだろうと思っていると、いきなりもっとグレードアップした痛みが襲ってきました。これは消化不良?と思い、急いでトイレへ。でもちょっと違っていました。脂汗がでてきて、そしてどんな体勢をとっても痛みは変わらず、しばらくもがき苦しんでいると、さらに痛みが増してきました。一瞬、これはやばい、誰かを呼ばなきゃと思うけれど、その力がない・・・うなり声も小さく、ただ痛みに耐えていると、いきなり嘔吐。そして少し楽になりました。その後便通を感じ、大丈夫かな?と思いきや、びっくり仰天です。でてきたものが真っ赤っか。これは相当ヤバイ。
2006年03月20日
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今日は久しぶりにからだを動かしました。久しぶりにと書いたのは、スポーツではなくて、ちょっとした力仕事をしたのです。何気なく、荷物を持とうとして、力を入れたのですが、どうしたことか持ち上がりません。自分で持てると思ってやったのに、この誤差はかなりショックでした。まあ、そんなことも引きずって、荷物を持ちながら動いているときも、なんだか体中の筋肉がぶるぶるふるえていました。自分では、どうしても若いときの感覚が残っているみたいで、今の情報で動くということがないのが不思議です。きっとそんな経験は、こどもの運動会で走ったお父さん方だったらわかるんではないでしょうか。このくらいはできるはずだ、とかこんなの大丈夫ってやっちゃうのは、若いときはいいのですが、だんだんと脳が把握できなくなるみたいです。ちなみに、去年くらいから水泳を始めていて、ちょっとくらいはそれでもいけるかな?なんて思っていたのですが、力仕事は関係ないみたいですね。しばらく前までは、身体は衰えるという説が定説でしたが、最近では、いくつになっても、脳もからだも伸びる余地がある、ということがわかってきています。この際、からだの大改造でもしてみるか!なんて3秒くらい考えてみるのです。そして、今の現状に戻ります。まあ、頭のどこかに、まだ残っているようだったら、来年は期待できるかな。
2006年03月19日
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幼稚園の出し物発表会に行くことになり、この間行ってきました。あんまり行くことがないので、ちょっとわくわくでした。園の中のスペースは、あまり大きくはないのだけれど、こどもにはちょうどいいサイズみたいで、みんな元気に遊んでいました。私もこどもは大好きなのですが、さすがにあれだけたくさんいると、見ているだけで大変だろうな、と先生方の苦労を想像しつつ、会の場所へ・・・もう行ったときには、こどもをカメラに収めようという親でいっぱい。その熱気に思わず圧倒されてしまいました。しばらく待っていると、用意が出来たこどもが、先生を前に登場。その瞬間、親のカメラは一斉にこどもたちへ向きました。もうその瞬間には、こども達の姿は親で見えなくなってしまって、後ろの方の親はぶつぶつ怒っていました。園長さんの挨拶があったのですが、前の撮影の興奮の成果もあるのか、うるさくて聞く姿勢なんてどこへやら、です。そこで一言注意していればよかったのでしょうが、(無駄だったかもしれない)発表が始まっても、もう無法状態。しばらくして、係の先生が「すいません。こどもは一生懸命頑張って練習してきました。そして緊張しています。お願いですから、静かに聞いてあげて下さい」とアナウンス。ところが、全く収まらず。全ての出し物が終わって、係の先生のコメントが、「こどもはがんばっていたのですが、おやがうるさかった」というものでした。そこで、初めて気づいたのか、少し静かになり、なんだかみなさん興ざめした模様。こどもではなく、親が悪い、と言われても、これでは何も言えないなと正直思いました。
2006年03月18日
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日記をちゃんと整理して書いていないので、重複するかもしれませんが、からだをリセットするエクササイズを、まとめて書いた記憶がないので、この際まとめとこうと思います。これからの季節、なにかとからだも心も緊張する機会が多くなる方は、是非一度おためし下さい。その1水を多く飲む。水分ではなくて水です。水分では、必ず消化しないといけない物質が含まれているので、水のようにすぐに役立つことができなくなります。冷たいのではなくて、そのまま外気にさらされているものでいいと思います。目安はちょっとずつ飲んで2.5リットル。慣れてくると、だいたい飲んでいる量の感覚を、そのくらいに調節できるようになります。からだに浸透する感覚って気持ちがいいですよ。その2休憩の時にできることです。目を閉じて、両手の指で、それぞれの側のおでこの一番出っ張ったところを、静かに押さえます。そして、なければいいのですが、その日ストレスに感じたことがあれば、思い出してみましょう。そして静かに深呼吸をして1分程度したら離します。その3ちょっとゆっくりしたところで、今度は座ってでも立ってでもいいですが、右足と左足を交互に曲げ、右足が上がったときに、その膝に反対の腕を付けるようにします。からだのねじりの運動って感じですね。慣れてくれば、膝に手の肘をつけるなんてこともできるでしょう。これも好きなだけやってみます。その4耳からは、いろんな音が入ってきます。聞きたい音もあれば、そうでない音もあります。聞きたくない音をブロックするために、耳はだんだん固くなっていきます。入ってこないようにすると、支障が出るので、耳を手で引っ張るようにしてほぐしてみましょう。首や肩の凝りなんかは、このことが関係している場合もあります。最後に、からだの中心を、手で下から上に数回なぞるようにして、からだのエネルギーを作ってみましょう。その2から4をして、5分はかからないと思います。違いに驚く方もいるはず・・・
2006年03月17日
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ここ数日の自分の書いている日記を、ずっと見ていました。行事で考えると、この時期は別れと出会いの時期。自分の行動も、自然に何かを断ち、何かを始めたいという自然の流れに同調していることに気がつきました。ものや心を捨ててみたり、からだを動かしたりと、普段ではそうなりにくいことをポンポンとしていました。これが周りの動きに同調しているか、それとも単なる偶然かはわかりませんが、結局どう思うかですね。道を通っていると、卒業式が終わって友達と遊ぶ小中学生の姿も見られます。表情も目にとまったりするのですが、とても晴れやかで、自分のかつての気持ちと重なります。これが4月にはいると、少しずつ期待と不安なんかが出てきたりして、決意の時間が流れますね。いつもは意識しないことでも、区切りのような時には、ふと何気ないようなことに気を取られたり、風の匂いを感じたりして、人が動物であることを感じさせるような気さえします。まだ少し寒くて、地域によっては春らしくない天気にもなっていますが、こうやって季節を感じて、自分の身の周りを見るって、ちょっとした元気をもらえるような気がしています。もう少しすると、今度は出会いの嵐。そして花見、と海で言う大波が来るのですが、のりすぎず心地よく過ごしたいなと思っています。
2006年03月16日
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3月で、何か新しい出発みたいなイメージを自分で妄想していると、ふと自分の身の周りを見渡しました。今までしまってあるダンボールの中に、なにがあるのか、とふと手当たり次第に見てみることにしました。すると、本やら書類やらあるわあるわ。これが今必要なのか?と考えここまでついてきたダンボールの中身ですが、ずっとあけてないやん、と突っ込む。中身まで見てみると、しかしながら大事だな、って思うものばかり。ここまでついてきてくれたものだから、当然ではあるが、開けてないということはどういうことなんだ?まもなく、えーい捨ててしまえ、なんて気持ちになっていました。これは、今までになかった自分の行動なので、ちょっとびっくり。そして、そんな本やら書類やらを一通り見て、今まで自分がしてきたことをもう一度振り返ってみました。すると、不思議なことに、そのとき思っていたことと、今思っていることの違いが改めてはっきりしました。その時は大事でも、それが頭の中で今の大事さと重なってインプットされていたみたいです。実際は違ったんですね。だからといって捨てる、と言う感じではなくて、整理するという感覚になりました。毎日同じ生活をしていると、同じことが心地よかったりしますが、少し前にしていたことと、案外全く違うことをしていたり、言っていたりなんてことはあるものです。言葉だとあとが残らなかったりしますが、ものはしっかり残ってますから、そういう意味では、自分のいいリセットになった気がします。ちなみに雨の日だったのですが、このリンクはまだ意味が分かりません。
2006年03月15日
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ある関係で、知っている家のこどもが家出をした。以前にも家出をしていたらしいが、親は捜索願をださなかったらしい。前回は夏休み中で、今回は、雪の舞い散るここ数日だ。もう3日になるらしい。親は、またしても、捜索願は出さないと言っているそうだ。そう言っている親の気持ちが、少々理解できない。また、すぐ帰ってくるだろう、と思っているのかもしれないが、夜どんな思いで過ごしているのかと思うと、心が痛む。話を聞いていると、止まれるような場所も確保している様子はなく、お金も持っていないそうだ。友人の家に行った形跡もなく、日中はゲームセンターや本屋などにいるかもしれないとのこと。深夜は、さすがに暖かい場所などないと思うので、外で寝ているとしか思えない。ここ数日は、冬に戻ったような天気が続いているので、寝るなんて事はできないと思う。どんな環境でも、よっぽど家が居心地が悪いとか、親に訴えたいことがある場合以外に、家を出るなんて事はしないだろうと思う。まあ、逆に友達とつるみたくて外に出て行くというのはあると思うが、今回はそうではないらしい。憶測が違って、実は誰かの家にお世話になっていた、ということであったら、まだ少しほっとできる。どんな理由があるにせよ、親はこんなこどもの気持ちをくみ取って欲しいと思う。いくらからだが大きくなって、少々扱いにくい年頃になったとはいえ、まだまだ親を必要としている時期だということを分かって欲しいな・・早く見つかることを心から祈ろう!
2006年03月14日
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今日は、タッチフォーヘルス健康法の正式コースの日でした。タッチフォーヘルスについては日本タッチフォーヘルス協会のHPをご覧ください。こちらでも説明しています。タッチフォーヘルスにって何だろう?いつも思うことは、その方たちにとって初めての内容を、いかにして伝えるか!ということです。伝えるためには、わかりやすく言う、ということは当たり前のことだとは思いますが、その当たり前のことが受ける側にマッチしているか?はわかりません。だから、その都度質問を受け付けてみたりします。最初は、プリントなんかを作ってみたり・・・なんて考えていましたが、ふと、これって自分がわかりやすいと思っているだけ?と思い、ストップしました。どんなやり方がいいか?なんてわかんないですね。多人数でなければ、その都度聞いたりして、進め方を考えてみると、違った発見があったりします。コースを進めていくと、いろいろな質問がでます。その質問に答えられることは答えるんですが、逆に聞いてみたいと思うこともあります。そうやって気がつけば、自分が一番学習していたりするもんなんです。実は、自分が学ぶのに一番いい方法は、人に教えること、なのです。目で見るより、耳で聞くより、はるかに上をいきます。それも、伝えながらいっしょに勉強している感じになってくると、何か同じものをみんなで勉強している連帯感みたいなものすら感じます。内容にあらすじがあったとしても、自分と違う人が出してくれる質問や行動は、それを生かすことで、みんなで勉強できるし、そういう環境を作れたことが何よりうれしかったです。
2006年03月13日
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テレビの奇跡体験アンビリバボーで、1999年に放送された番組の中に、現在英語の教科書のプログラムに組み込まれている、ある感動的な物語があります。それは、ある少女の、親への強い思いから書かれた1通の手紙から始まりました。これがその内容です。 Dear Kind Person, I'm a seventh grade student in Japan. My father died of cancer this year. He wanted to travel abroad, but he couldn't. He was a doctor and was always very busy. I would like to send this teddy bear, Mack, around the world in his place. Would you please take him with you? Then please pass him to another person. Thank you. この文章がある人に託されます。父親の魂が入った、テディベアのマックがいっしょに旅立ちました。そして時が過ぎ、マックの行方がいろんな方々からの手紙で明らかになります。マックがいつの間にか、父親の代わりに世界旅行をしていたのでした。そして、時には、マックの持ち主を尋ねて、日本まで出向いてくる人まで出てきました。今なおテディベアのマックは、世界中を旅しているということです。手紙の内容を読んだだけで、ここまでのことになるか?というと、正直疑問ですが、人の思いがそこに加わると、それだけでこんなことができてしまう人って、やっぱりすごいですよね。前回も人と人とのつながりについて書いてみましたが、思いは人を動かしますね。言葉が違っていても、心は通じるものですね。
2006年03月12日
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まだ10代とかの若い時に、よく占いなんかを街角のゲームセンターでしていました。その時は、ただ、結果がよければ喜び、だめだったら気にしない、なんて都合のいい考え方をしていました。健康のバイオリズムみたいな曲線を見て、意味が分からずにこんなもんはあてにならん、とまあ勝手な理解ばかりしていました。30代になって、なぜか健康に関することをいろいろしていると、人はみなつながっているんだといういうことが実感として出てきました。そうなると、お互いが影響しあっているわけですから、からだがバランスを保つのと同じように、人同士にもバランスがあるんだなって感じたのです。人には歴史がありますから、そうやってバランスを保つようになっているとしたら、生まれながらに人類がバランスを取れるように生まれてきたということになり、そのことに関する学問が発展してもなんだ不思議はないなと思いました。占い、と呼ばれるものがまさにそうですよね。中国では、昔は医学の中に入っていたそうなのですが、いろいろな事情により、ある時切り離され、独自に発達したと言われています。現代でも手相などは、からだの病変を見る手法の一つとして、中国では研究が進められています。人同時がつながっている、と言うと、そんなわけないじゃないか、と思われる方もいるかもしれませんが、これは事実なんだな!と感じるまでに私自身そんなに時間はかかりませんでした。昔の日本人は、教えられなくても全員がそのことを知っていて、だからこそ祖先を敬うということが毎日の生活の中に入っていたのです。最近は、薄れてきているのかもしれませんが、心の中にはしっかりそのことが息づいていると思います。忘れている何かの心が、この年になってようやく出てきたのだと思います。メッセージをくれた何かに感謝をし、改めて周りを含めたすべてのものに感謝をすることを忘れないで生きたいなと思いました。
2006年03月11日
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今日は、福岡市の中学校の卒業式でした。私も、関係のある中学校の式に参加してきました。やはり、何回参加しても、心響くものを感じます。こどもにとってはもちろんですが、親にとっても、たくましくなったこどもの晴れ舞台を見る、特別な機会になったのではないかなと思います。朝はかなり寒かったのですが、だんだんとぽかぽか陽気になり、式が終わるころには、こどもたちを送り出す絶好のコンディションになっておりました。自分が送り出されるわけではないんだけれど、かつての自分の卒業の姿とダブってしまったりして、やはり普通では感じられない、なんともいえない気持ちが心にとどまり続けました。式の見せ場はいくつかありますが、最後の方になると、送辞、答辞と続き、やがて歌が始ります。この歌というのが、「旅立ちの日に」という歌だったのですが、多くの中学校で使われている歌で、いいんですねー、とっても!仰げば尊しももちろんですが、歌詞を聞いていると、3年間の思い出が、ばばばっと蘇ってきて、理由なんて要らない涙がこどもたちの頬を濡らしていました。こんな歌詞です。メロディーがあるサイトがありましたので、よかったら聞いてみてください。旅立ちの日に1 白い光りの中に 山なみは萌えて 2 遥かな空の果てまでも 君は飛び立つ 3 限りなく青い空に 心ふるわせ 4 自由を駆ける鳥よ 振り返ることもせず 5 勇気を翼に込めて 希望の風に乗り 6 この広い大空に 夢を託して 7 懐かしい友の声 ふとよみがえる 8 意味も無いいさかいに 泣いたあの時 9 心通った嬉しさに 抱き合った日よ 10 みんな過ぎたけれど 思いで強く抱いて 11 勇気を翼に込めて 希望の風に乗り 12 この広い大空に 夢を託して 13 今 別れの時~ 飛び立とう~~~~~ 今別れの~時~飛び立とう 14 未来信じて 15 弾む 若い力~信じて 弾む若い力信じて 16 この広い~~~ この広い~~~ 大空に~ この広い この広い大空に~ 17 今 別れの時~ 飛び立とう~~~~~ 今別れの~時~ 飛び立とう 18 未来信じて 19 弾む 若い 力~信じて 弾む若い 力信じて 20 この広い~~~ この広い~~~ 大空に~ この広い この広い大空に~ この歌を精一杯歌い、涙ぐんでいるこどもたちを見ていると、胸が熱くなりました。担任の先生方も、いろんな思いを胸に涙を流されていました。いつになっても、この空間だけは変わって欲しくないなー、と心から思いました。いい卒業式でした。
2006年03月10日
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かつてのいろんな症状から、検査を経て首から脳に向かう、動脈に異常があることがわかって、早3年になろうとしています。症状は、主に異常な頭痛とたまに出る吐き気でした。そして、検査入院で大腿動脈からカテーテル検査をしました。いろいろな検査をした結果、脳に向かう全ての動脈に異常がありました。普通であれば、すぐ手術だったみたいですが、若いので様子を見ましょうと言われました。そしてこの3年間、毎年検査の前になると緊張します、少しでも変化があれば・・・と毎度言われているからかもしれません。そして毎年検査をしています。今日は、その結果のお話が病院でありました。たった3分の診察でした。何も変わってないよ、良かったね!この一言で、ほっと肩の荷が下りた気がしました。また、今年1年がんばれそうです。
2006年03月09日
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昨年水泳に通って、年間で100キロ泳ぐといいながら、トータルで10キロほど足りず、今年は20キロ足して再度チャレンジしています。量を目標にしているのですが、泳ぐ時間が余りないのがつらいところです。それで、平日の夜だとあまり人が泳いでいないから、自由に泳げるだろうと思いきや、これがけっこう多いのです。体力作りのためにウォーキングをしている人は、コースが違うので、そんなに影響を受けません。でも、プールは狭いので、他の方々との接触はどうしても避けられません。水泳中は、だんだんと皮膚が柔らかくなっていくので、当たったり引っかけたりするとけっこう痛いのがつらい・・・たまに平泳ぎの練習や、バタフライの練習をされている時があります。練習されている方は、高齢の方がとても多いのにビックリします。平泳ぎのかえるキックは、出来ていない人がするのは結構難しいし、バタフライの腰のうねりはそれ以上。それでもそこを狙って頑張っている姿に、自分も元気づけられます。試合の結果など、マラソンはけっこう大きく載せられたりしていますが、水泳ももうちょっと大々的に載せて欲しいな、というのが個人的な気持ちです。あと、どんなスポーツでも、超人はいるもんですね。高齢の方でも驚くほど早かったりするので、あんな姿を見ると、負けていられないなーと思いまた。
2006年03月08日
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少し前の冬が残る寒さが、うそのようになくなって、とても心地の良い日差しが、春の訪れを感じさせます。そして、暖かくなってくると、からだを動かせ、と脳が訴えかけてくるような気がします。寝て、起きた時にフアーって伸びをする感じ。四季で言うと、今がちょうどその時期の感じがして、起き上がってからだを伸ばしたいなって思うのかもしれません。体調維持の為に、簡単なことからでもいいですから、やっていくとなんだか心がすっきりしそうですよ。朝起きた時に、グワーッと背伸びすると気持ちがいいですね。窓を開けて、深呼吸をしながらするとなおさらです。伸びをしてからだを反らせると、いつもよりたくさん空気を吸い込むことが出来ますから、爽快感があるのかもしれません。どうせ反らせたなら、今度は逆にからだを折り曲げて背中を伸ばすイメージで、できれば手のひらを床につけてみます。これを呼吸に合わせて、手を上に挙げる時は空気を吸う、折り曲げる時は吐く、としてみるとなんかエクササイズっぽくなって、意識も動作に向いたりしてくると思います。意識の話が出たので、この動作の時に、手に意識を向けるようにしてみましょう。手を上に挙げた時には、空からエネルギーをもらう気持ちで、吐く時にはそのエネルギーを大地に注ぐ気持ちですると、からだを清めてもらった気持ちがします。朝の眠い時にそんなことできるかなー、なんて思う人もいるかもしれませんが、慣れるまではただするだけでもいいと思います。慣れは恐ろしいもので、いったん自分の習慣になると、やらない時がすまなくなってきたり、勝手に変化をつけたりするようになります。もともとそんな力が、人には備わっているのかもしれません。肝心なのは、そこまで続けていけるかですね。環境によってそのあたりは工夫ができそうです。よかったら続けてがんばってみてくださいね。
2006年03月07日
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人によってポイントになるところとか、ひっかかるところ、こだわるところは違いますね。会話をしている時に、そんな場所に触れていることなんかは普通はわからないものです。まあ、多少付き合いが出てくると、こだわっていることなんかはわかるかもしれないですね。先日、普通にあるこどもと話していたのです。和やかに普通に。皆さんも、会話のスタートに天気の話から始ったりすることは、良くあると思います。同じように天気の話になり、あー晴れたら良いな・・なんて言っていて、それから、確立の話になり、天気男だの雨女だのって話していました。その時、ふと三国志の諸葛孔明の占いのことを思い出し、こうやって先を読んだりしていた人がいたんだよ、って話をしました。この時、実はツボに入ってしまったことに気がつけばよかったのですが、話を続けていました。やがて、運命の話になった時、いきなり爆発してしまいました。運命なんて・・・そんなもんあるわけない。そんなので自分の運命決められたらたまったもんじゃない、という内容のことを言われました。絶対に運命なんて信じないし、そんなものがあるんだったら、なんで自分だけこんな目にあわないといけないんだ?ということも言われました。あちゃー失言だった、と後悔するまもなく、気がつけばもうそこには誰もいなくなっていました。話が進んでいる間に、頭の中でいろんなことがだんだん結びついて、そして結果的にでたことで、突然怒ったのでないこともわかりました。私もまさかそんなことになっているとは気がつかず、ついつい世間話とはいえ気配りに欠けていました。言葉にも画像があり、ドラマになり、人の忘れられない記憶として残っているんだなってことが、改めてよくわかった1日でした。
2006年03月06日
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目は口ほどのものを言う、と言います。そのくらい目から入った情報は、膨大かと錯覚しそうです。ところがどっこい、目から入る情報って、実はたった4パーセントくらいだそうなのですね。目から入る情報がそれくらいだったら、耳や鼻などを合わせたとしても、100パーセントには全然及ばなそうですね。これっていったいどういうことなのでしょう・・・人って、生まれてからすぐ様々な情報を収集して、それを自分の生きる糧にしていきます。目、鼻、口、耳、肌などから、日々膨大な情報を集めることができますね。これらは、すべて単一のものとして記憶されているかというと、案外そうではなく、組み合わされて、状況に応じて自由自在に脳で扱われ、実はそれが自分の記憶に刻まれていたりします。例えば、富士山に行ったとしましょう。目は、常に移る画像を脳に送ります。耳は、そのとき聞いたいろいろなことを脳に送ります。鼻は、歩いている時に常に匂いを感じています。肌も、暑さをかんじていたりします。口は、そのとき食べた味を覚えます。つまり、富士山の五合目に来た時に見た風景は、その時感じた暖かさと、聞こえていた風の音、休憩して食べていたおいしいおにぎりの味、新鮮な空気のにおいという1つの総合的な場面で記憶されます。これは、1つ1つは人にとって同じことであっても、トータルで記憶する富士山の5合目は、人によって全然違うことになります。これに、感情が加わってくると、もっと複雑になります。いろいろな器官から入ったすべて単一のものを、脳がいろんな情報を組み合わせて、脳の中で情報を作ってたとしたら、実は情報のほとんどは、脳の中で作られている、ということになります。実は、その結果作られた情報が、自分の中の情報のほとんどを占めているのですね。1つ1ついろんな情報が組み合わさって、まるで1つのデータのように存在しているのかもしれません。そして、その組み合わせのデータが増えれば増えるほど、いろんなことに対応できるようになるのですね。経験することが、大事なのですね。何事も!
2006年03月05日
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本日(3月6日付)のインターネットの記事にこんなものがありました。<家庭の教育力>9割が「低下」、背景に過保護 北海道調査 青少年の指導や育成に当たっている人の9割が「家庭でのしつけなど子供への教育力が低下している」と感じていることが北海道のアンケート調査で分かった。この背景に、子供を過保護にしたり、甘やかし過ぎる親の増加があると警告している。一方、インターネットにあふれる有害な情報の規制を望む声が過半数に達しており、道は現在進めている「道青少年保護育成条例」の改正に反映させる方針だ。 調査は青少年育成の現状と課題を探るのが目的で、05年8月に青少年育成運動推進指導員ら267人を対象に実施し、うち154人が回答した。 その結果、家庭での教育力低下について、48%が「全くその通り」と受け止め、46%が「ある程度その通り」と答えた。具体的に感じる課題(複数回答)は、「あいさつや規則正しい食生活など基本的な生活習慣」が84%、「人に迷惑をかけないなどの社会的規範」が78%と目立った。 この理由について、「子供を過保護や過干渉にする親の増加」と答えたのが72%と突出しており、「しつけの仕方が分からない親の増加」の56%と続いた。 青少年の非行防止策として「家庭でのしつけや教育の充実」(73%)「家庭、学校など関係機関の連携強化」(60%)を挙げ、社会環境面での対策では「インターネット上の有害な情報規制」と「子供への声かけなど地域住民の意識高揚」がともに61%と高かった。 【田中泰義】(毎日新聞)最近の親は・・・、さいきんのこどもは・・なんてフレーズはよく聞かれることですが、ここしばらくの新聞等の記事は、親の教育力の問題を指摘しています。でもこどもの教育力ってなんだろうって思います。一生懸命育てているのに、自分の手ではこどもを守れない、と感じた親が過保護になるのは必然のこととも思えます。見ている部分が狭くなると、どうしてもなにかを批判することしか、目が行かなくなるもので、親というよりは大人がどうするか、ってことなんだと思います。そう思う人が増えれば、世間は変わったりするかもしれません。
2006年03月04日
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1年ぶりのMRIの日になりました。憂鬱な前日があっという間に終わり、朝からなんとか気持ちをニュートラルにして、病院に出向きました。恥ずかしながら、朝早く起きたのは、かなり久しぶりのことだったのです。それでもなぜか眠気は吹き飛び、気持ちだけはすっきりしていたと思います。本当は半年ごとだったのを1年にしてもらったので、変化の度合いなど気になることを考え出すときりがありません。変化があれば、即手術って言われているので、そんな場面もかすかにちらついたりします。できればこのまま検査を受けずに放置しておこうか・・・なんて考えも以前はありました。でも、こればっかりは選択肢は限られているという現実から逃げるわけにも行かず、ただできることをすることに決めております。ただただ勘弁して欲しいのは、検査の時の狭い場所と、閉塞感。それとなんともいえない爆音。あれだけは最初の5分くらい正直暴れだしそうな衝動に駆られます。毎回聞くんですが、いつも予想を超えた音で、あれを毎回聞いている検査技師の方は大変だろうな・・・なんて思ったりもします。初めての人が、外からあの音だけを聞いたら、きっと異様な感じがするはず。そんな音です。検査の結果より、正直そのことがストレスだなー。検査の結果は、毎度同じで、変わりありません以上、といわれることを信じていようと思います。結果の画像で、血管の異様な湾曲も見ることになるのですが、少しずつかわいい自分のものだなって思えるようになりたいと思っています。
2006年03月03日
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もうすでに3月だというのに、この寒さったら・・・なんて思いを募らせていると、なんだかストレスがたまってしまうここ数日の寒さですね。さて、もうすぐ別れや出会いの区切りのシーズンがやってきます。それと同時にからだも微妙な変化を遂げる時期がやってきます。どうしても季節の変わり目というのは、体調を崩しやすかったりする方もいらっしゃるのではないでしょうか。季節と対応して、からだの状態も少しずついろんな意味で変わっていきます。さすがにここ数年?の季節異常でからだもついていくのが大変ですが、それくらいで人間のからだがおかしくなっていくはずもなく、対応できる能力は持っております。その能力が発揮できるからだでいることが、大切なことなのかもしれませんね。私が毎日していることで簡単なことがあります。それは、深呼吸。なーんだなんて思っていると、簡単であるがゆえにやらなくなってしまうので、是非心がけてしてみてください。出来るだけ静かな安心できるところ(住んでいるところの自分が好きな場所でいい)で好きなだけ深呼吸します。深呼吸した時に、肺に新鮮な空気が入ってきます。それからどこにいくのでしょうか?きっとからだのすみからすみまで、血管の血液にのってはこばれていきます。せっかくですから、意識でも同じことをイメージして、できれば血管の中まで一緒に旅してみましょう。あくまでもイメージで良いので、自分が自分のからだの中に入って、空気が届いている様子を自由に思い描いて見ます。最初は、全身を回ろうとすると、どこからいったらいいのか?なんて迷ってしまったりなんてことがあるかもしれませんが、そんな時は、円のイメージで、だんだんからだの中から外にしみわたる感じをを頭においておくといいかなって思います。やりだすといろんなイメージはでてくるもんですよ!呼吸がないと、人の活動って不可能ですよね。それだけ絶大なエネルギーを人に与えてくれているのですね。意識していないことを意識することで、空気もおいしいなー、なんて思ったりするかもしれません。
2006年03月02日
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以前日記でも、何回か触れたことがありますが、自分が1日あの時どこで何をしていたか?ってこと、どのくらい記憶しているものなのでしょう?よくTVでは、食事を使って、朝食は何を食べたかな?なんて記憶力クイズみたいなことをして、脳の記憶を確かめたりしています。食事だけではなくて、起きてから寝るまでの自分の行動だったら、1週間前って覚えているものなのでしょうか?覚える必要もないし・・・と言われればそれまでですが、それではこんな経験ってありませんか?何かをしていて、失敗したんだけれど、それってこの前もしたよね・・・なんてことです。そういう時って、その場で記憶できていれば、次の時にふと思い出して、失敗を阻止できたりするものなのですが、行動を記憶する癖がないと、失敗も川流れ・・・で進歩なしになってしまいます。実際に何か行動するわけでもなく、ただ、1日単位いいので、夜自分がとった今日一日の行動を思いだすだけでいいのですね。そして、そのことを癖にしてしまいます。大きい失敗は、その場で自分の教訓になることはありますが、ちょっとした失敗なんかでも、たまっていけば大きなものになりそうです。できるだけからだにかかるストレスは、ちゃんと消化できていけばいいなと思います。その習慣がついてくると、何かしら失敗したことに関する事前の情報が増えてきて、いつもは流していた情報を、しっかりと脳がキャッチしてくれるようになります。それをさらに進めていくと、しまったーという回数がかなり減りそうだと思います。無意識にこれが出来ている人もけっこういるみたいです。
2006年03月01日
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