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今日は、八幡市で小さな本番があり、数曲吹いてきました そこに似顔絵描きの方が来られていて、描いてもらいました 似てますか?
2009年11月29日
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不思議な夢数年前に見た夢で深く記憶に残っているものがある【第1話】夢の中で僕は江戸時代の屋敷に雇われる男だったその屋敷にはたいそう美しいお嬢さんがいたそのお嬢さんの身なりは姫ではなかったので武家屋敷ではなかったのだろう僕はそのお嬢さんにのぼせ上がっていて、かといって口を利けるような身分でもないことから、たまに遠くからその姿を見られることが、無上の喜びだったある日、庭掃除をしていて、屋敷の縁側を歩くお嬢さんと目があったお嬢さんは、僕の方を見て、くすっと笑った(ような気がした)その笑い方は僕に好意を抱いてくれているように感じられたその日以来、なんとかお嬢さんと二人だけで会いたい、話がしたいと、僕の心は募るばかりであったお嬢さんは離れで一人で寝ているらしかったあそこに忍び込めば会えるだろうか二人だけで話が出来るだろうか僕は夕暮れ時に誰もいないお嬢さんの部屋に入ってみたすると、しばらくしてお嬢さんが部屋に入って来た僕はあわてて屏風の後ろに隠れたまもなくお嬢さん布団に入り気持ちよさそうな寝息をたて始めた僕は屏風の陰から出て、お嬢さんの枕元に座り、寝顔を見つめていた見れば見るほどかわいい人だ顔を見下ろしながら僕は想像していた…お嬢さんと僕は夫婦で、貧しい長屋に暮らしているお嬢さんは、僕の家族がそうであるように、つぎはぎだらけの着物を着ているが、とても楽しそうに笑っている僕はお嬢さんに挨拶して仕事に出ていく後ろでお嬢さんが火打ち石をすって見送っている貧しいが幸せだこの妻さえいれば何もいらない…と、ここまで想像したところで、寝ていたお嬢さんが目を覚ましたお嬢さんは、僕を見て驚いたような怯えたよな顔をして「お前は何者?」と言いながら布団からはね起きた「お嬢さん、怪しい者ではありません」と言おうとしたが、それより早くお嬢さんは「誰か!」と助けを呼ぼうとした僕はとっさにお嬢さんの口を手で押さえた手の平に感じるお嬢さんの口元の輪郭お嬢さんは、激しく顔を左右に振り、逃れようとするにらみつけるお嬢さんの顔がまたかわいいいつもは高嶺の花のお嬢さんだが、今は生かすも殺すも自分次第なのだそう考えると変に気分が高揚してくるそう考えながらお嬢さんを見ていると、口と鼻を押さえたので呼吸が出来なかったのだろう、気を失ってしまったここで、お嬢さんを自分のものに出来るなら死んでもいいそこで、僕は失神して無抵抗のお嬢さんに襲いかかり、とうとう意のままに蹂躙してしまったのだお嬢さんから体を離したとき、お嬢さんは静かに目を開いた「お前などと、こんなことになった以上、私は生きていられない。お前を殺して私は死にます」そう言ってお嬢さんは枕の後ろから脇差しを取り出し僕に切りかかった僕はそれから逃れようとお嬢さんの顔を、拳で思い切り殴りつけた目の下が切れて血が出てきたそれでも僕は力を緩めず殴り続ける頬骨のあたりを殴ったとき、骨が折れたのだろうか、お嬢さんの顔の形がゆがんだそして僕はお嬢さんの首をあらん限りの力で絞めたお嬢さんは、最後の力を振り絞り、僕に向かって人差し指を突きつけたそして、やがて動かなくなった僕は、枕元の行灯を倒して屋敷に火を放ち、暗闇に逃げ去ったここで、目が覚めた心臓はバクバクしており、全身びっしょり寝汗をかいていた今見たのが、夢だとは思えなかった僕は水を冷蔵庫を開けてお茶を飲み、再びベッドに入った【第2話】そのすぐ後、次に見た夢は…僕は、何か大けがをしたのか、救急救命室のようなところに寝かされていたそこは、とても貧しい病院のようで、壁はカビの生えかけたコンクリート打ちっ放し次々と重病人やけが人が運ばれてくるが、病院の人はほとんど治療らしい治療はしない僕はベッドの上で、隣のベッドの人が死んでいくのを見つめていたそのうち、看護師さんが来て僕に告げた「あなたに会いたいという人が5階にいます。会いに行ってください」暗いエレベーターに乗り、看護師さんが案内したのは、これまた薄暗い病室中は、なぜか和室になっていて中央に布団が敷かれている誰か寝ているのかどうか分からないほど、布団のかさは低かったそばに寄っていくと、布団のはめくれあがった「待ったぞよ」その声を発したのは、その布団の主で、ミイラのようにやせこけ、白髪は半分くらいぬけ落ち、顔はれんが色の、歳は100歳を越えているであろう老婆であったいつか読んだ芥川の「羅生門」にでてくるような老婆である老婆の左の頬骨の辺りが何だかくぼんでいる「おばあちゃん、誰も身内の方はいないんですか?」「おるではないか、目の前に!」そう言って、老婆は僕に向かってしわだらけの黒い指を突き立てた驚いて僕は老婆を見た老婆の目は、昔お屋敷で殴り殺した「お嬢さん」の目だった「お嬢さん、お嬢さんだったんですね!」「おお、そうだとも」「どうして…どうして…」「わしは、死んではいなかったのじゃ。あの後命を取り留め、生き返ったのじゃ」老婆の話はこうだったわしは、あの後助け出されたしかし、顔が曲がってしまったわしは、誰も「お嬢さん」と同一人物とは信じてくれず、屋敷を追い出されたのじゃそれから、誰一人としてわしを人間として扱ってはくれなんだ顔がつぶれてしまった女は化け物、ただ化け物だったんじゃわしは捜したわしを人間扱いしてくれた、お前をもう一度、わしを人間扱いしてもらわんでは、死んでも死に切れぬそして300年の歳月が過ぎたんじゃそして、ようやくお前に会うことが出来たわしは、もう一度お前に抱かれるまでは死ぬわけにはいかぬさあ、このあわれなおなごを抱いておくれさすれば、わしは黄泉の国へ旅立とうぞ!僕の脳裏にあの時、抵抗の出来ない女性を欲しいままに蹂躙した後、殺した忌まわしい記憶がありありとよみがえった「さあ、さあ!」「分かりました。お嬢さんなんですね。償いきれるものではありませんが、精一杯務めさせていただきます」僕は着衣を脱ぎ捨てて、薄っぺらで湿っぽくて固い煎餅布団に入ったすると、老婆はスルメのようにガサガサの手で僕にしがみついた何もかも、僕のせいなんだこんなになるまでこの人は死ぬことさえ許されなかったんだどうすれば償えるのかそう思いながら老婆を抱きしめると、いきなり入り口のふすまが乱暴に開いた「この色気婆あ!!」入って来たのは若い女性、いきなり老婆に殴りかかる驚いて見上げると、その女性は、あの「お嬢さん」そっくりの現代女性「婆ァ!その歳になってまだ男が欲しいのか!」僕は、老婆に多い被さった「違うんです、この人は悪くないんです。悪いのはこの僕なんです」「てめぇ!」若い女性は手に持った行灯で僕の後頭部を殴ってきた「どうか、どうかこの人を責めないでください」そう言いながら、僕は延々と殴られ続けるというところで、2度目の夢から覚めましたその時も、直前の夢が実体験したとしか思えない位のリアルな感触がありました【お願い】誰か、この夢を夢判断もしくは、夢占いしてくれませんか?僕はこの夢が、フィクションではないような気がしてならないのです
2009年11月27日
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もう10年以上も前、僕ら家族がまだ滋賀県に住んでいた頃の話です ちび2の音楽教室の仲間のお母さんが下の子をつれて、うちによく遊びに来ました 下の子はまだ2歳位で、当時3歳位だったちび3と仲良しでした どうやらそのおうちでは、父親のことを「パパ」と呼ばせているようでした ちなみに、我が家は「お父さん」です 「パパ」と言えば、ちょっとリッチで背が高く、ロマンスグレーの頭に、粋なパイプでも加えてロッキングチェアで洋書を読んでいるようなイメージがあります 僕は自分が年をとっても、そんな格好良い「パパ」になれる訳がなく、頭はつるぴか、歯は抜けて、腰は曲がり認知症になっている自分の姿を想像した時、「お父さん」と呼ばせておくのが無難かなと(*^_^*) で、その子が遊びに来て、ちび3がしきりに「お父さん」を連発するので、その子も僕のことを「お父さん」って呼ぶようになりました ちび3が「お父さん、抱っこ」ってねだれば、その子も「お父さん、抱っこ」 僕は4番目の娘が出来たみたいで楽しかった ある日曜日 我が家の家族は、隣町の大型スーパーで買い物をしていました 休日のスーパーはとても賑わっていました すると 「お父さん!」 っていう大きな声が聞こえてきました 振り返ると、あの子でした(なんて名前だったか忘れました^^;) その子は、母親の手をふりほどいて 「おとうさ~ん、おとうさ~ん!」 と言いながら僕に向かって走ってきました 「お父さん、抱っこ!」 「よ~し、よし。いい子にしてたか?」 と言って抱き上げると、何だか妙な視線を感じた すると、その先には母親と、初めて見る父親らしき男性が、にこりともせずに(決して怒っている訳ではなく、あっけにとられて)こっちを見ていました さすがの僕もちょっぴり焦りました 「ほら、○○ちゃん、お父さんは、こっちじゃなくてあっちでしょ」 と、父親らしき人を指さすとその子が父親を指さして曰く 「お父さん違うもん、パパやもん。なあなあ、お父さん抱っこして!」 ここでご両親も、僕は「お父さん」と言う名前の大人で、父親のことではないと分かってくれて、大声で笑ってくれました ああ、よかった(*^_^*) 父親は、その子とそっくりでした ああ、僕に似てなくて良かった でも、今の歳になってみると、お父さんは血のつながった父親で、「パパ」というのは援交の相手だったりして、それもまた怖~い
2009年11月23日
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「お父さん!」改札を出る時に声をかけられました今朝は雨だったので駅まで歩きでした帰りもトボトボ歩くのかと思っていたら、長女のちび1が同じ電車に乗ってたみたいでした「おお、お前も今か?」「お父さんって…(^^)」「何やねん、お父さんってって」「お父さん、駅の階段2段飛ばしで上るときもがに股やねんね(^o^)」「そうか、俺ってそんなにがに股なんやな(^^)」「なんや、雨降ってないやん」「降ってなかったらあかんのか?」「雨やから自転車、家において来たのに…」「そやけど、雨の中傘さして濡れながら帰るよりええやろ」「そやね(*^_^*)…お父さん、歩くの速い」「お前、そんなちんたら歩いてたらいつまで経っても家に着かへんやん、お父さんこれでも結構ゆっくり歩いてるんやぞ」「私は結構速く歩いてるつもりなんやけど…」「思い出すなあ…(^^)」「何を思い出すの?」「お前が保育園の頃、お父さんが送って行くんやけど、お前のろのろ歩くから大変やったわ(^^)」「うそ!そんなことなかったやろ」「ほんまやとも!お父さんが手を引っ張って行くんやけど、まるでお前ドナドナの牛みたいやったで」「……」「この傘につかまれ。引っ張ってやる」「うわーーっ、楽ちん楽ちん(*^_^*)」「それはそうと、お前福祉施設のアルバイトの調子はどうや?」「いい感じやで(^^)、入所者の人も、働いている人も私が帰るとき『お疲れさま、気ぃつけて帰りや』って言ってくれはる」「そうか、いい環境で仕事できてるんやね」「うん、それにしてもお父さん歩くの速いなあ」「今はこうして元気にお前を引っ張って帰るけど、何十年かしたら、お前に手を引いてもらって帰るんかも分からんなあ。その時はお前も『昔はお父さんも元気で、私を引っ張ってくれたのに』なんてな(^^)」「お父さんが食べるときに口を拭いてあげたりしてね(*^_^*)」「そうやなあ」「あ、もう家に着いた!」「わいわい言いながら帰ると早いやろ、お父さんも楽しかったわ」「きっと、今頃さくらがそわそわ待ってるで。いつもお父さんが帰るちょっと前からそわそわして何度も玄関へ出たり戻ったりしてスタンバイしてるんよ」「へえ、そうなんや!」ガチャッ「ただいま~っ(×2)」昔ほどしゃべることもなくなっていましたが、雨が降ってくれたおかげで娘と楽しい時間を持つことが出来ましたたまには雨もいいもんですね
2009年11月17日
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このところニュースも新聞もあまり見てないので、偉そうなことは言えないけど、先日来始まった行政刷新会議の事業仕分け 委員は、あたかも正義の使者のような口振りで、行政側を追及していく …というより、ぐうの音も出ないように、ギッチギチに行政側の首を絞めている 行政側の説明を遮り、更に追及追及また追及 この構図、どこかにあっただろう 極東軍事裁判、いわゆる「東京裁判」がそれである 共通しているのは、裁く側は、中立の立場というより、勝者側で集団で敗者を徹底的にやっつける はじめに「被告=悪」という構図が出来上がっており、被告側の弁明に耳を貸さない たしかに、行政側の金の使い道には問題が多かった しかし、彼らの大多数は世のため人のために寝食を忘れて働いている役人である 公開の場で、ポッと出の勝者に、行政の長が反論すら許されず、やりこめられている姿を見て、若手の役人は、果たして自分の仕事に誇りや使命感を持つことが出来るだろうか? 一生懸命やったあげくが、犯罪人のごとき評価なら、誰もまじめに仕事などせず、批判だけは受けないように、受けの仕事に回りはせぬか? 予算配分について、僕の私見を述べるなら 予算を使いきらなかったという理由で翌年度の配当を打ち切ったり、減額したりするのはやめて欲しい そんなことをするから、無理にでも使いきろうと無駄遣いが起こる 余った金は返金させ、翌年度の配分は白紙の状態で配分する側が勉強して決定する 余剰金は返金させ、心に必要な経費は補正予算で配当する こんな当たり前のことが、きちんと出来ていなかったことに問題があるのだ それに、今までの議員の多くは国民の代表者というよりも、地元に利益をもたらしてくれるエージェントに成り下がってきたことにも問題があった そのために、不要不急の予算が割り当てられ、真に必要なことに金が回ってこなかった 高速道路の無料化、結構なことだ しかし、それをやるならば、自動車が排出するCO2問題はどうするのか? 本当に負担軽減すべきは、不妊治療や時間的猶予のない高額な先進医療や移植医療、子育てや、安心した老後を過ごすことにかかる経費などではないのか? 事業仕分け、一体何様のつもりだろう 公開する事によって、行政側を悪者に決定づけたいんだろう 正義感面した、委員どもの表情や口調に虫酸は走る思いをしたここ数日であった
2009年11月13日
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結婚記念日今日くらいは早く帰ろう心に決めていましたが、思わぬ仕事が入り長引いて、結局この時間になりました僕ら夫婦が結婚して今日で21年になります別々のところに生まれ、別々に育ち、別々に大人になって、縁があって出会う僕は高校を出て、あまり何も考えずにふらっと京都に出てきましたあの時京都に来なければワイフと出会わなかったのだろうか?そして先日も日記に書きましたが、僕は24歳の時に父を亡くしましたその時には、翌春に転勤が決まっていて、僕は山の中で育ったので、海の近くの支店を希望していましたそれが父の急死で、実家に近い京都南部の支店に希望先を変えましたそして、その支店の先輩の縁でワイフと出会ったのですあの時父が健在だったらワイフと出会わなかったのだろうか?単なる偶然の重なりで僕らは生きているのでしょうか?僕は以前は偶然だと思っていましたでも今は、多分自分がどこで育ち、どのように暮らしていても、出会う人とは出会っただろうと思いますそして、ワイフだけでなく、今出会っている人とも、決して偶然なんかではなく、お互いに高めあうために出会うべくして出会った人なのだと信じていますたとえ出会う度にカンに障り、腹をたてなければならない人であっても、その人と出会うことで何かを学ぶ必要があるから出会っているのでしょう僕は、自分で言うのも変ですが、かなり変わった人間だと思っていますこんな男と結婚するとはワイフも考えていなかったでしょうきっと、もっと背が高くて頭が良く、収入もいい男と結婚するつもりだったんだと思います人間対人間である限り、価値観や意見の相違、感情の行き違いなどでカリカリすることはあったし、これからもあるだろうと思いますドリカムに「未来予想図2」という僕の大好きな歌がありますあの歌は、一緒に過ごして3年目位のカップルが、「思った通りに叶えられる」心満ちた生活を表したものです「人生そんなに甘くない」というのが、大方の大人の考えだろうと思いますでも「うまくいくわけがない」と予想していれば、結果「思った通りに」うまくいかない「大丈夫、何とかなる」と予想していたら「思った通りに」難局を切り抜ける僕は、歌の文句の通り、良きにつけ悪しきにつけ人生は「思った通りに」なっているんだなと、感じます僕はまもなく50歳になります今後50代60代、長生きできたら70代80代どんな未来が待っているのだろう結婚する頃は、せいぜい10年スパンの未来しか考えなかったでも、僕は長門裕之さん夫婦のように、どちらかの命が燃え尽きても夫婦でありたいと思いますそう強く願っていれば、きっと「思った通りに」未来が叶えられると信じています母さん、これからもよろしく頼むよ!
2009年11月12日
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宗教についてアメリカ大統領は、就任式で片手を聖書に載せて宣誓をしますその他の国々でも宗教は、国民の生活と深く関わっていますしかし、その一方で、人類は有史以来宗教の違いや解釈の違いによりいさかいを起こし、殺し合いをしてきました更には、宗教の名の下に金儲けをしたり、人の不安につけ込んで暴利をむさぼる輩もたくさん出てきました日本国内では宗教法人の数は18万余りあるというが、名前のみを残し実体のないものも多いと聞きます事実墓苑墓地を販売している宗教法人のうち、いくつかは名義のみ転売されていて、ただの金儲けに使われてもいるとのことですそんなことが多いためか、我々は「宗教」と聞けば何か怪しいものではないかと身を構えてしまいます宗教は、まず、神道系、キリスト教系、仏教系、イスラム教系などの違いで教義が全く異なりますそしてそれぞれの中で、宗派が異なればまた別の教えがあります例えば、仏教にしても浄土真宗と天台宗や真言宗、日蓮宗では解釈の違いがあります僕は、人それぞれ自分に合う教えに従い心穏やかに暮らせばいいと思っています僕は、正月は近所の神社へ行き、日頃は仏壇に線香をあげ、クリスマスは家族で楽しみますそれに京都という恵まれた所に暮らしているおかげで、様々な神社や仏閣にお参りしますうちの家は浄土真宗ですが、決して他の宗派の教えを否定しようとは思いませんそれぞれの教えに学ぶものがあり、それぞれすばらしいから何百年あるいは千年以上も崇拝されてきたのでしょう現在の主な宗教は、その昔、大きな悟りを開いた人から口伝てに教えが広がり、1人でも多くの人に幸せになってもらいたいという願いとともに広がってきたはずですそれが、2代3代と伝わるうちに分裂していき、それぞれ自分の信じる宗派だけが正しく他はどうなっても良いなどと、はじめに悟った人の思いとは裏腹な方向に来てしまったような気がします僕は、人が信じる道は人の数だけあるのだと思いますでも、本当に大切なのは、自分の信じる道を他人に強要するものではなく、自分が信じる道を持っているように、他人もまた信じる道を持っていることを理解して、お互いに尊重し合うことだと思いますそれが出来たら、それぞれの教祖が願ったようなユートピアがこの世に出現するのかも知れませんね
2009年11月07日
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新型インフルエンザの患者数が500万人を超えたとのこと 関西では梅雨時頃初めての患者が出て、その時は、ここかしこにマスク姿の人がいて、例えば電車内では半数くらいの人がマスクしていて、なんだか異様な光景でした それが、患者の増加に伴い、慣れてしまったのか今はマスクしている人は10人に1人もいなくなりました ちなみに僕は通勤時はマスクをしています 家に受験生がいることと、会社の僕の担当業務を1日としても止めたくないという気持ちからです 電車内にはインフルの患者さんも乗っているだろうし、家族が罹患されている方も数多くいられると思います そういう方が、ウイルスのついた手で触れた吊革や手すりを僕が触れ、知らぬ間に口元などを触ると確実に感染してしまいます いくら気をつけていても、感染するときはすると思いますが、なるべくかかりたくないというのが本当の所です ところが、今朝の車内ではとんでもない人に出くわしました 狭い車内で僕の近くに座った、若い女性 2人ともなぜかスウェット上下 2人は大声でしゃべるものだから、話の中身は筒抜け このうち1人が、ゴホゴホ咳をしている もう1人は 「あんた大丈夫なん?新型とちゃうの?」 と、訪ねたら、ゴホゴホはなんていったと思います? 「ええねん、もう37度代にさがったし…」 「あんた、あかんのちゃうの!お客に感染るやん」 「ええやんか、私もう治るんやし。これ以上バイト休んだら貧乏になるわ、ゴホゴホッ」 僕は本気でこいつを退治してやろうかと思ったけど、それより感染るリスクの方が怖いのでさっさと隣の車両に移りました その後はお二人さんどうしたのかは知らないけど、自分さえよければ良いという、この意識 残念だけど、この子は勝手に育ったんじゃない 親の世代の僕たちは、こういう世代を育ててしまったことに責任があると思います でも、あの子、スウェットで出勤して客商売って、一体どんな仕事をしているんだろう
2009年11月06日
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新政権の姿勢施政については、政治家が説明することとして官僚の記者会見や答弁を原則禁止官僚の天下りを禁止そんなニュースが流れて久しいが、本当にそれでいいのだろうか?確かに、政は選挙により国民の信託を経た者が行うべきであるでも、閣僚の中に官僚以上に所掌事務に詳しく説明責任を果たせる人間が果たしているのかと言えば、いささか疑問を挟まずにはいられない死刑の何たるかを解さない法務大臣や、国民の安全よりも、ならず者国家との「友愛」を重んじる御仁こんな人が、決めたことを、勝手に国民に説明し、後は官僚がやれと言われても官僚側は迷惑以外の何者でもないだろう政治家は、まず自分の所管する事務について、官僚に頭を下げてでもその道のスペシャリストになるまで研鑽を積んで欲しいものだその上で、行政を統率するならそれはそれでいいのかも知れないそもそも、官僚が行政を取り仕切るようになったのは誰の責任か?ポッと出の政治家が、その官庁の長たる閣僚になり、それでいて何も勉強せず、地元と自分の政党ばかりに重きをおいて、行政は官僚がやってくれるものと、その上に胡座をかいてきた、閣僚たちの責任ではないのか?「それは、自分たちの前の政権のこと」と言いたいだろうしかし、これまで行政は頼りない閣僚の尻拭いのために官僚は必死で頑張ってくれたのだ一方的に官僚が悪いという言い方には腹が立つまあ、現政権が、どの程度行政を取り仕切ることが出来るか見ものだが、その適否によって国民が右往左往させられるようなことのないように願いたいものだ
2009年11月05日
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まず、今日は長女の二十歳の誕生日ですおめでとう!そして、この両親のところに生まれてきてくれてありがとう!!________昨日、僕は宇治田原町で本番、ワイフは次女の高校の学園祭の手伝いに行きました帰宅するとリビングに、三女のちび3の保育園の卒園アルバムが出されていましたなんでかな、と思っていると、ワイフが……お父さん、今日ね、終わった後みんなで雑談してたの学年ひとつ下の子供さんのお母さんが「今朝は早く自宅を出ました。滋賀県の甲南町から来ました」と言うので、私は「私、以前にそこに住んでたんです」っていうと、その人は「松島ちび3ちゃんのお母さんですか?」って、ちび3の名前をフルネームで言うのよ「私、ちび3ちゃんと保育園で一緒だった○○の母です」「ええーっ」私は相手の子供さんの名前を聞いてもすぐには思い出せへんかったけど…「ちび3ちゃん保育園の年長さんの秋に引っ越しをされて、私、娘と仲良しのお母さん数人と、お引っ越しの朝、お別れに行ったんですよ」って…!思い出したわ。確かに来てくれはった…当時はそのお母さんとは親しくはなくて、話もしたことなかったけど「あの頃松島さん△△銀行でパートしてましたよね」なんてことも、覚えていてくれて、ほんまに懐かしかったわで、帰ってちび3の卒園アルバムを見たらそのお母さんもちゃんと写ってた…ワイフの話を聞いて、僕も滋賀県で住んでた頃を懐かしく思い出しました初めてマイホームを購入して、引っ越したのがちび1が1歳になったばかりの19年前その後、ちび2ちび3と生まれ、にぎやかな家になった京都からは遠かったけど、自然がいっぱいで敷地も広かったので、庭でバーベキューしたり、当時は三交替勤務だったので、これでもかと言うほど子供たちと遊びましたそのうち僕が毎日勤務になり、片道2時間近くの通勤で、夜は遅くなるといつも午前様かサウナで泊まる毎日これでは身体が持たないと思い、当時は随分無理をして思い切って京都に帰ってきましたそれが、ちょうど10年前の10月の末頃でしたこちらに帰る頃には、子供たちはそれぞれ自分の親しい友達と離ればなれにならなくてはならず、上の2人は嫌だと言って反対しましたそんな中、保育園のちび3だけは「私は京都へ行く」って言ってくれました僕ら夫婦は子供の気持ちもよく分かるし、辛かったのですが、やはり今後のためにと思い、こちらに引っ越したのです滋賀県ではご近所さんはみんな仲良しで、とても親しくつきあいをしていました出来るものならずっとそのまま暮らしたかった子供の気持ちも考えると、引っ越しを決めた自分が極悪人のように思えました引っ越しの朝、姉妹の中でひとり引っ越しに賛成の三女の姿が見えないので探すと、いつも遊んでいた公園のブランコに座っていました「ちび3、楽しみにしていた引っ越しだね」と声をかけると、いつもはにこにこしている三女はブランコでじっと下を向いたままでした僕が後ろからブランコの鎖を握りながら近づくと彼女は、とても小さな声で「なんでって(だって)、ひとりぼっちなんやもん」って言ったのですいつも陽気なこの子は、きっと僕のことを思って、反対しなかったんだ…そう思うと、僕は娘にとても申し訳ない気持ちがしました僕が後ろからぎゅっと抱きしめると、僕の手の甲に娘の暖かい涙がこぼれたのを思い出しましたその後、家に戻ると、昨日ワイフが再会した友達のお母さんが、子供を連れて来てくれていたのでした京都に帰ってきて10年日々の忙しさに紛れて、あの当時の気持ちなどすっかり忘れていましたあの時、小学校4年生だった長女は、今日20歳の誕生日を迎えました人生の前半分を滋賀県で、後の半分を京都で過ごしたことになりますちび1よ、誕生日おめでとう小学校2年だった次女は、現在美術系大学の受験の真っ最中明るい娘に育ちました年長さんだった三女は、あの頃はいつも僕にくっついていて、「磁石」と呼ばれていましたが、今はしっかり父親を敬遠する年になりました僕は、いつも自分が子供を育てているような気分でいましたでも、昨日のワイフの再会話を聞いて、改めて振り返ってみると、自分がこうして幸せに暮らしていることは、けっして自分の力ではなく、いつも自分を理解して支えてくれた家族があってこそだと感じます縁があって夫婦になり、縁があって親子になり、そして縁があって出会い、縁があって別れていく決して当たり前ではなく、一つ一つ思い出すと、胸がいっぱいになります僕にこんな気持ちをよみがえらせてくれた、ワイフと懐かしい人との出会いに、心から感謝しながら、出来るなら自分もまた、人に感動を与えられる人になりたいなと思いました
2009年11月04日
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散髪屋さん僕ははっきり言って、散髪するのが面倒であるこれは何も髪が残り少ないから、切るのを惜しんでいるのではない爪や髭なら自分で切れるのに、わざわざ散髪屋さんに行き、高い代金を出してしか切れないのがもどかしいのだしかし、いつまでも切らないでいる訳にもいかないので、今日は散髪屋さんにやって来た僕の散髪に対する意識は低いので、散髪屋さんも当然大人1575円の安いお店を選ぶ日曜日なので結構混み合っているこの調子なら後30分は待たなければならないだろうポメラを持ってきて正解である今から10年位前、滋賀県に住んでいる時も安い散髪に子供3人を連れて行ったものだ滋賀県の店は結構変わっていた店は広くてきれいだったが、店員さんが全員のしゃべり方がヤクザかチンピラみたいで、店にはいると、1人の店員さんが「いらっしゃいませ」と言うのだが、なんだか演歌の台詞みたいに抑揚をつけて「いぃぃ~らっしゃいませぇぇ」ってな具合に、それも低い声で言うのだすると他の店員さんも、これに呼応するかのように、同じように抑揚つけて「いぃぃ~らっしゃいませぇぇ」と、言うのだその言い方は、まるで親分さんが事務所へ帰ってきたときに、若い衆が揃って挨拶でもするような感じ初めて来たお客さんは必ず一瞬立ち止まる1人の店員が「今来たお客さん、長ぁ椅子ぅへどうぞ」すると他の全員が同じように「今来たお客さん、長ぁ椅子ぅへどうぞ」って繰り返すまるで「親分さん、長らくのお務めご苦労さんです!」って子分たちが片足を前に出し両足の角度を90度にし、膝はやや曲げ、腰を折り「ごあっす!」って挨拶するみたいだ散髪自体は至ってノーマルで、決して小指を落とす短刀で髭を剃ったりする訳ではないそこの店は土日は非常に繁盛していて、店にはいると旅券事務所の待合室のように何列も並べられた長いすに座って待つひとりの順番が来ると全員ひとコマずつ横へずれることになる「次のおきゃくさんんんんっ、2番の椅子へどうぞ~ぉっ」ドスの利いた声が響く「2ぃ番のぉ、椅子へどうぞ~っ」まるで誰かが指揮でもしているみたいに、皆がそろえて声を出す我が家の子供が順番に前の椅子へ行く当時子供は、4年、2年と保育園上の2人は組事務所みたいな理容室を楽しんでいたが、保育園の三女は結構怖がり、ワイフがだっこして切ってもらっていたことを思い出す懐かしいなあ…あっ、思い出してたら僕の順番だ!では、さっぱりと切ってもらってきます
2009年11月01日
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