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この日記は今朝の行きの電車で見たことを帰りの電車内でポメラで書きましたなぜか、ポメラで電車内で打つと「だ。である。」調になってしまいます______________土曜日の朝、電車の中で滅多に見られない光景を見てしまった僕の近くに立った女性後ろから見たら、20歳そこそこ髪はセミロングで金髪に近い茶色茶色の革の上着を着ているその下は明るい色のセーターを着ていて、下は短いスカートにブーツどこにでもいそうな20代であるその人が次の瞬間、僕の方に向き直ったえ?…えっ?うそやろ??こちらを向いたその顔を見ると、歳とともに下がってきた両頬、目尻と鼻の上のシワ彼女は、顔はどう見ても40代後半か、下手すると50代に見えたなんで、あんな若い格好してるんやろその人は電車に揺られ踏ん張り立ちながら、バッグからコンパクトのようなものを出したそして、いきなり頬にファンデーションを塗り始めたやめろよ!世間知らずの小娘でもあるまいし、分別のある大人が電車で化粧するなよ!僕は見たくはなかったが、滅多に見られない中年女性の車内メイクを見ていたおばさんは、頬からおでこから顎から何度も何度も塗りまくるするとさっきまで、く~っきりしていたシワがだんだん目立たなくなり、たるみかけていた両頬がなんだか引き締まってきた次に口紅であるまず、ベースになにか塗って、それを拭き取っている何のためにあんなことするんやろ次におばはんは、明るいピンク色の口紅をぬり、何度かチューするような口の形にしたり、えくぼを作るような形にしたりしている僕は女性の化粧する様を観察したことなんてないから、他の人もこんなのか知らないが、結構念入りだそして、コンパクトの鏡を見ながら、唇をぷるーーんと、半開きにしたら、なんと、唇はウルウルで、50過ぎとは信じられない若い口元になった次は、眼であるなんだかオレンジ色と紅ショウガみたいな色のものを梅干しの種くらいの道具につけて、瞼から眉毛の下に塗るそして、細いペンのようなもので、白とピンクの間のような線を瞼にぬる仕上げはつけまつ毛であるアゲハチョウ(あくまで僕の主観)のようなものをまつ毛につけて、バッサバッサと瞬きをするすると、どうだろう化粧を初めてわずか15分50のおばはんは、なんと20歳のいけいけネエチャンに変わっていた電車を降りて考えたあの人は、本当は20歳位で化粧のし過ぎかなんかで、素顔が50のおばはんになったのだろうか?それとも本当に50位の年齢の女性が、化粧によって若い娘に化けたのだろうか京都駅でおりたあの女性は、誰がどう見ても20歳前半で、それも見かけはかなりの美人の部類に入るいや~、おそるべしメイクの効果よ!世の中の男は、若い娘が好きだと思っているかも知れないが、必ずしもそうではないだが、僕の年代くらいになると、見た目がきれいかどうかなどで女性を判断しないただ、きれいな見た目を手に入れようと必死にもがいている人間は、美しくないのだ僕は、人間は本来自然な流れを受け入れ、その中で誠心誠意の生き方をした時、見かけがどうであれ、僕は美しいと感じるなのに世の中は、やれ痩せているかどうか、若いかどうか、何を持っているか、どんな学校に行ったか、どんな社会的地位があるか、どんなことが出来るか、そんな基準で人を評価している先日までアイドルであったタレントが体型が変わったからいきなりお笑いタレントになる僕は、美醜とは年齢や見かけ、ましてや財産やどんなファッションセンスを持ち合わせているかなど、全く関係ないと思っている愛情深く生きている人は、それだけで十分に美しいと思うのだ今朝電車で見事に若い娘に化けたあなたあなたはあなたでいればいい誰も魔女なんか待ち望んではいないのだ
2009年10月31日
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いつも笑っている人いつも怒っている人身の回りに起こっていることは同じひとりは、いつも「ありがとう」「すばらしい」「助かるわ」「ごめんなさい」などと言っては笑っているもう一人は、「なぜだ!」「いいかげんにしろ」「最低やな」「ふざけるな」などと言って怒っている笑っていても、怒っていてもすべきことはしなければならないし、出来ないものは出来ない怒っている人は笑っている人に対して「あんたは幸せな人やな!あんたみたいになってみたいわ」などと言いながら、心の中では「おまえは阿呆やな。阿呆は何が怒っても怒ることさえ出来ひんのやな!」と、眉間に皺を寄せて馬鹿にしているそう、そのとおり笑っている人は「阿呆」なのだ少なくとも自分は自分の力で何でも出来るなどと思っている「賢い人」ではなく、自分は人と、助けたり助けられたりしなければ生きられない愚か者「阿呆」なのであるそんなに賢い人ぶってしんどいやろな、とカシコさんのことを同情しながら、周りのことに感謝しながら生きていくでも阿呆は知っている笑って過ごしていれば、ますます笑うことは多くなる怒って過ごしていれば、ますます怒ることが増えるのだ笑っても怒っても、自分の周りに起こっていることはおんなじ怒っても嫌なことなどなくならない笑っていれば、嫌と感じることは確実に減るこの世の中、カシコさんが多すぎるわれもわれもと、自分だけ、または同一グループにだけに通じる正義の美旗を振りかざしているご苦労さんなことだが、阿呆は見習いたいとは思わない人との繋がりの中でしか生きられない自分、人に助けてもらわなければ生きていけないのが、この小さな「私」という存在なら、阿呆として生きるのは、とてもとても幸福なことだと思うのだ父が死に、お寺さんのお話を聞くうち、自分がそれまで「他力本願」という言葉をずいぶん本来の意味を取り違えて使っていたことに気付いたそれまで「他力本願」と言えば、自分は何も努力せず、他人の力で楽をしてやろうと姑息な生き方をすることだと思っていた事実、政治家や教育者ですら「他力」という意味をそのように説いているしかし、どうやら「他力本願」とは、そのような浅ましい理念や生き方とは全く違うことを学ばせてもらった我々は、この世を自分の力で生きていると思いがちであるそして、この世の宗教の多くは自分で修行をしたり徳を積んだりして死後または来世に幸福を託すしかし、誰でもそのように厳しい修行が出来るわけでもなく、また徳を積もうとしてもついついずるい考えが起こり、とても聖人のように生きられない自分の力で修行したり善を積んで往生する人が「善人」であるとするなら、それが出来きらない自分は「悪人」の部類なのだろう如来はそのような悪人を憐れんで、自分で自分を救うことすら出来ない悪人を何とか成仏させてやりたいと願を掛けられたそれこそが「悪人正機の説」であり、自分自身では何も出来ないことを正しく悟り、頭を垂れ、仏の力に委ねるとき、自ずと往生が定まる、それが「他力本願」である間違っているかも知れないが、僕は自分なりにそう解釈している自分が死に直面している訳でないときであっても、僕は、自分の力の小ささを感じ、だからこそ周りに助けられて生きてきたそのおかげで、いつも周囲に笑いが生まれ、日々の雑事に振り回されても、それが嫌だとは思わなくなったそんな生き方も父の死によって教えられたのかも知れないでは、みなさん、よい週末をお過ごし下さい
2009年10月30日
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mixiに能力大学 漢字テストというアプリがあります誰に紹介されたのかは忘れたけど、昨日やってみましたすると、結構ハマる漢字は読みとりだけなんだけど、15秒以内に読みを入力できればクリア50問連続正解すれば終わりみたいなんだけど、現在のところベストは連続41問パソコンのキーボードでやるのは楽なんだけど、携帯でやるのは結構難しいたとえば「情状酌量」という漢字の読みを携帯から15秒以内に「じょうじょうしゃくりょう」と打ち終えるのは至難の業だ昨日は久しぶりに9時前に帰宅できたのでゆっくり本でも読もうかと思いながらうっかりパソコンに触ったら、いつの間にか日付が変わっていましたおもちゃに触れるとハマってしまうとは僕もまだまだ子供なんだろうか?マイミクのみんなには招待状を送ったので一度やってみて下さいたかがゲームされどゲーム意地になりますよさて、昨日は父の命日と書きました父は死んで丸1日半位、誰にも見つけてもらえませんでしたですから、翌日の今日発見され、25年前の今くらいの時間は、僕はそれまでの生涯で味わったことがない混乱状態の中にいました今から思えば、父がいた頃の自分はホントに気楽で、将来のことなどもろくに考えていませんでしたそんな自分を自立させるために、天は僕から父を取り上げたのだろうか?あのまま、父が長生きしていたら僕は多分現在に至ってもお気楽で、結婚などもしていなかったかも知れないマイホームの和室は仏間になっていますそこに、今年、父と祖母の写真を掛けました次女のちび2は、和室が好きで絵を書くのは決まって和室このごろは、寝るのも和室です「何か、和室って好きやな」というので「やっぱり畳の部屋もええもんやろ」というとちび2は…畳があるからじゃなく、仏間があるからじゃないかなと言うちなみに彼女が仏壇に手を合わせているのは観たことがありません(笑)ちび2の言うには、父と祖母の写真を掲げてからこの部屋が落ち着く、ますます好きになったと言うちび2は何かを感じているのだろうな父はそんな孫をどんな風に見てくれているのかな?
2009年10月29日
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今日10月28日は父の命日ですもう25年前になりますちょうど今頃の時間、父は誰にも看取られず、突然死しました僕も後9年で父の年齢になります一生懸命生きて行きますでは…
2009年10月28日
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昨日帰る間際に会社のテレビを見ると、女優の南田洋子さんが亡くなったと報じていた彼女は数年前から認知症を患い、ご主人の長門裕之さんが介護されており、介護の日常について長門さんの書かれた本は南田さんの写真が大きく表紙に飾られて書店に平積みされていたので、いつか読んでみたいと思っていた報道陣のカメラとマイクを前に、長門さんはこみ上げる涙を拭いもせず、気丈に誠実に対応されていた僕が一番心を揺さぶられたのは彼が言った言葉である報道陣は「奥様のどんなことが思い出されますか?」と質問した僕は、そんなことはご本人の気持ちが落ち着いてから聞くことであり、何もこんな悲しみの底におられるときに聞かなくてもと、少々腹が立ったしかし、長門さんは答えた「(もっとも思い出すことは)洋子が病気になってからの4年間です。ただ僕を信じ待ってくれるだけの女性でした。僕を生き返らせてくれました」僕はこの言葉を聞いて、僕が認識している夫婦関係や健康というものは、いかにも薄っぺらいものであるかを知らされた僕らは普段、「健康が一番」だとか「命あっての物種」などと口にするしかし、彼は妻が認知症を患ってからの4年間こそ、自分が最も生き甲斐を感じ、妻を最も愛おしく感じた期間だと言われた夫婦いつまでも元気で長生きしたい僕はかねがねそう願っているが、僕らは限りある寿命をいただいてこの世にいる限り、いずれどちらかが先に病気になり、どちらかが先に死ぬことになるそれは、悲しむべきことなどではなく、相手の介護のために生きるという喜びを感じ、自分を頼りにしてくれる配偶者を心からかわいいと思うなら、それは天が自分に与えてくれた最高のプレゼントなのかもしれないそして、彼の言葉から僕が学ぶものがあるならば、それは、夫婦ともまだ元気な間にそのような大事なことを気づかせてもらい、限りある身体であるとわきまえた上で、相手を大事にすると言うことなのだろう僕は長門さん夫妻が司会を進める「ミュージック・フェア」という番組が好きだったそれに時々夫婦でテレビに出演しては飾り気のない会話をされていたのも記憶に新しく、僕もあんな風に歳をとれたらなと思っていた僕は決して強い人間ではないだから、死ぬときは女房に看取られたいと思うしかし、その反面では、こんな僕を選んでくれた妻だから、最後はしっかり看取ってやりたいとも思ういずれどちらかが先に逝くその時は、お互いに感謝の言葉の後、「また会おう」と挨拶をしたいものだと思う
2009年10月22日
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先週のお休みの話家族が買い物をしている間、エスカレーターの横のベンチでポメラを触っていた目の前には、おもちゃ売場があり、そこのテレビでは、NHKの幼児番組のビデオが繰り返し流されているそこに母親に手を引かれた3歳くらいの女の子がやってきたお母さんは、このテレビを見せればしばらくおとなしくなるだろうと思ったのか、テレビの前に女の子を立たせたテレビでは、大きな着ぐるみの犬(確かうちの子の小さな時からこのキャラクターはあった、たしか「ワンワン」とか言ったかな…)と小学生くらいの女の子が出てきて歌を歌いながら体操のようなものをしているテレビの前の女の子はもう画面に釘付けであるそのうちお母さんは次の売り場へ行こうと女の子を促すが手を引っ張ってもお上手を言ってもガンとして動かないそのうちに、これまたお母さんにつれられた5歳と3歳位の男の子の兄弟がやってきた女の子はちょっと前から見ていたからか先輩ぶって、画面を指さして何か男の子に教えてるそうしているうちに番組は終わった女の子のお母さんは、やれやれと言った感じて、「さあ、終わったから次行こうね」と手を引っ張るが女の子は「もう一回かけて」とだだをこねている「これはお店のテレビだから、もうおしまいよ」お母さんがそういうと女の子は渋々前を離れようとしたが、その途端テレビは再び最初から始まった女の子はぴょんぴょん跳ねながら見ているそのうちに男の子の兄弟は母親に「いつまで見てるの!」と叱られ、離れていった僕は自分の子供たちが小さかった頃のことを思い出したちび1・2・3とも、この手の番組が大好きで、家では夕方はいつもテレビで見ていたそしてお店でもいつも画面の前を独占していたように思うその子供たちもすっかり大きくなり、買い物にも自分たちで行くので楽になったそれでも今はまだ3人とも家にいる早晩この子たちは我が家を巣立つだろうそして、自分の子の手を引いておもちゃ売場の前を通ると、子供が動かなくなると言うことも経験するだろうまさか自分もそうだったなんて思わずに子供をなだめたり叱ったりするんだろうそして、もしかして自分もそんな風な子供だったのかも知れないと気付くのは、自分の子供が大きくなってからだろうすべては順送りなのだそんなことを思いながら店の目をテレビの前に戻すと、さっきの女の子はすでにいなくなっていた
2009年10月18日
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先日中学の恩師から便りが届いたそれは、陶芸家である息子さんの展示会の案内便りには、いつもブログを読んでくれていること、息子さんの展覧会によかったら行ってやってくださいと書かれていた便りを見ながら、先生はこんな僕のことを覚えていてくれて、このはがきを下さったんだなあと思うと、とてもありがたく幸せな気分になったするとその日のうちに、同窓生のヌクヌクさんからメール「先生は、案内を出したけど、どうか行かなければと無理をされることないよう、伝えてくれとのことでした」いかにも先生らしい(^^)だから先生が大好きなのだ僕は自分の演奏会の案内を出すときは「時間があれば必ず、時間がなければ時間を作って来て下さい」などと、ド厚かましいことを書いている先生のこの謙虚な姿勢こそ学ばなければならない先生、お便り本当にありがとうございました
2009年10月15日
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僕が中学生の頃、今や千葉県知事の森田健作氏主演の「俺は男だ!」という青春ドラマがあった 今日の日記は決してそのパロディを狙ったものではありません ない 昨晩、テレビで根性を鍛える「横峯園長」の保育園の様子が放映されていた その中で園長は 「男女は平等だが、均質ではない。女の子は自然と女性になるが、男は突き放して鍛えないと男にはならない」 という理念を話し、わずか5歳の男児に本格的なレスリングを教える そして三つの保育園対抗でレスリング大会を開く 男の子たちは泣きながら練習し、だんだん強くなってくる いよいよレスリング大会の日、一番弱かった男の子は、なぜか大将戦に... 今まで泣いてばかりいた子供は、いつの間にか強い男に成長しており、初戦はなんと体重が倍近い相手を打ち負かす 本番前の本人の談話 「自分は、弱かった。○○くんがいつも励ましてくれたから、ここまで来た。もし今日○○くんが負けたなら、僕は絶対に勝つ」 次の試合に勝ったチームが優勝である 主人公をいつも励まし元気づけてきた○○君は、接戦の後目の前で破れる 泣き崩れる○○君 そしてついにあの弱かった主人公の出番である やはり体格は相手の方が大きい 何度も組み伏せられそうになる そのたびに彼は、身体をよじって反転したり、ブリッジをしたりしてかわす 当日で一番長い一戦となり、時間は6分を超えている 見ている僕らも手に汗を握る 攻めたり攻められたりを繰り返すが、力つき彼はとうとう両肩を着けてしまい、相手チームの優勝が決定する 歓喜にわく相手チーム 子供、先生、保護者が一体になって抱き合い、万歳万歳の嵐 そのなか、立ち上がることも出来ず、ひとり泣き崩れる主人公 その彼を誰1人慰めには来ない ひとり悔しさをかみしめる 泣き終わった後の彼は、しっかりとした男の顔つきになっていた 幼児に格闘技をさせることには賛否両論があるだろう しかし、この保育園では子供たちのいじめは皆無だという それに、取っ組み合いの喧嘩や、陰湿ないがみ合いもない モンスターペアレントもいない つまり、力で競うにもルールがあり、どこまでやってよいか、またいけないかを体得しているのだろう 園長は言う 「男の子は抱きしめて育てるだけじゃいけない。突き放して、叩き落として初めて男になるんですよ」 うーむ。そうかも知れない 男は人生の中で、誰かを守るために本気で戦わねばならないことがある こうした訓練の後、気は優しくて力持ちの本当に頼れる男が生まれることは、確かだろう ここの園に通う男の子は幸せだなあと感じた さて、この続編は外出先で書くことにしようはい外出先でやんす 続きを書きますこないだワイフの実家に行った時のことだ 甥は高校1年 恥ずかしそうに一言「こんにちは」と挨拶して自分の部屋に上がってしまった 小さい頃はうちの娘と一緒になってワイワイ遊んでいたのに... お年頃になると言うことはそういうものなだろう ......? 俺の場合はどうだったんだろう? 思い出してみるが、そういう時代を経てきた記憶がない 中学高校でも人と会うのが億劫になったりしたことが全くなく、お客さんからは 「お宅の息子さんいつも愛想ええなあ」 と感心されたものだ それに友人は昔も今も親しい人は女性の方が多い これって、果たして普通なのだろうか? 昨日の横峯園長のテレビで、男は自然に男てであるのではなく、鍛えられて男になるのだと... 僕は、体力的に鍛えられ、つき落とされた時期は確かにあったが、その時に男になったという自覚はない その時は、非常に体力がついたという感じはあったが、それで男になったとは思わない では、いつ男になったのだろうか? いや、もしかしたら僕は「男にならずに大人になった」のではあるまいか? しかし、僕には娘が3人もいる つまり、生殖的にはオスである また、恋愛対象は間違いなく女性であった (ま、このスイッチはもう20年前にオフにしたのだが...) 自分でいうのも何だが、僕は全く男らしくない 結婚当初から、ご近所の旦那さんは、よその奥さんと話する時は何だかぎこちなくて、こんにちはさえろくに言えない人が多かったが、僕は異様に愛想良く、女房の友達はすぐに僕の友達になった 今でも、ワイフの親しい友達は会えば僕の友達になっている また、僕の友達(女性)は女房とも大体友達になる これって、よく考えるとかなり変なことなのかも知れない これって、全く僕が男として認識されていない証拠なのかも知れない 仮にそうであっても、僕は多くの友人に囲まれていることが毎日の励みになっており、たまたまその友人は女性が多いということなのだ 変ではあるが、これでいいのだと思っている
2009年10月12日
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今日の日記はポメラで打っています 文字を打つ以外に用途がない 昔のワープロ専用機のような印刷機能もない ひたすら文字を入力することだけに作られたアイテムです まだどの程度使えるか未知数ですがパソコンを家族が使っていてもテキストを入力することができます キーボードはまだ慣れませんが、慣れればふつうのノートパソコン程度の使い勝手はあると思います これを持って外に出れば、電車の中やお寺の境内、自然の光や風を感じながら今までできなかった文字入力が出来ます ひたすら楽しみです 外出中も文章が書きたかった でも、紙に書くのは苦手だし携帯で打つのはいらいらしてしまう その点このポメラならストレスがなく文が打てそうです それにディスプレーが小さいので周りの様子がよく分かります ポメラは電源を入れてすぐ入力が出来ます 起動に時間を要するPCと比較してストレスが少ないです
2009年10月12日
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昨日は、かつての相棒おK女史を囲んで親しいメンバー計6人で昼食を食べてきました僕以外は全員女性ですしかし、このメンバーは底抜けに楽しく、日頃疲れてクサクサした心を癒してくれます現職のみんなは、それぞれ違う部署でバリバリがんばっているキャリアウーマンそのなかのMさんは去年胃の切除手術をされましたその彼女は、もうすっかり良くなってお肉を食べていました それに、結婚した娘さんに子供が生まれ、めでたくおばあちゃんになったんだと… 本当に良かったね(T_T)おKさんは、退職されてからご主人と海外旅行三昧これまたうらやましい でも、女性方がおっしゃった言葉は重かった(特に女性の)親が子供を預かってくれたり、面倒をみてくれる環境が無ければ、定年まで仕事を続けることは難しいと… 新政権よ!ダム工事を中止することも大事かもしれないが、女性が仕事を続けられるような世の中に出来んかね
2009年10月04日
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