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今から10年前 滋賀から京都に引っ越してきた年のクリスマスの思い出です 娘三人は、それぞれ小学4年、2年、幼稚園年長組でした 3人ともサンタさんを信じていました 上の二人に「サンタさんに何をもらうの?」 と聞くと、自分の欲しい物を答えました ところが3人目のちび3にたずねても 「サンタさんに手紙を書いたから言わない」 と言うのです それでは、こっちも何を準備したらいいか分からないので、おだててすかして、聞いてみるとなんとちび3の欲しい物は 「ユタポン!」 ユタポンというのは、くまのプーさんのカバーがついた湯たんぽのことです 値段も高いものではなく、これを欲しいというのは、ちび3の本心ではないとは、分かりました しかし、引っ越しと同時にカトリック系の幼稚園に編入したちび3は、イエスキリストに心酔しているみたいで、多分自分の思いは親にいわなくてもイエスに届いていると思っているようでした 毎日 「飼い葉桶の中で眠っておられる方こそ、救い主『イエズス・キリストさま』です」 って、クリスマスの発表会でやる劇の天使の台詞を毎日練習していました で、クリスマスの朝、例によって子供達の枕元にはプレゼントが置かれていました 上の2人は、希望通りのプレゼントがサンタさんから贈られて大喜び ちび3は、プレゼントを僕とワイフのところに持って走ってきて目の前で開けました 多分、親に本心を語らなくても、イエスは自分の願いを聞いてくれることを親の前で証明したかったのではないでしょうか? ラップを開いて中から出て来たのは…ユタポン! ちび3はそれをみて本当に驚いた顔をしました 一瞬笑った後、ちび3の両目が涙がこぼれました サンタさんって……いなかったんだ… それから数日して、ワイフが 「お父さん、これちび3の枕元から出て来たんやけど…」 と言って、メモ片を持ってきました それには …サンタさんへ わたしには、でかい「てりぺあ」をください と書いてありました ちなみに「てりべあ」はテディベアのことだと思います その紙を見て、僕は泣きそうになったのを懐かしく思い出します さて、皆さんにサンタさんは誰ですか? 本当に欲しい物は何ですか?
2009年12月20日
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今日は京都検定の試験日 試験会場に行ってびっくりした 去年3級を受けたときは、受験生の7割は女性で、残りの男性はほとんど学生みたいな若い人 一方今年の2級受験者は、8割が男でほとんどおっさんばっかり この僕が一番若い部類でした まるでくだらない会議に出てるような気分でした 帰る電車の中で、昼間に受験した京都検定の答合わせをしてみた 受験直後は50点くらいかな(合格ラインは70点)と思っていたが、何の何の、40点も取れてないわ たとえば、 「源義家が元服の式をあげたことで知られ、弓矢の神、戦勝の神として武家の信仰を集めた神社はどこか」 「運慶の四男で東寺御影堂の「弘法大師坐像」や六波羅蜜寺の「空也上人立像」などの作品を残したのは誰か」 「時代祭の行列で、女官の正装をまとい、平安時代婦人列に登場人物はだれか」 …うぬぬぬっ ムズすぎるっ やはり、にわか勉強はいけないね 1200年の歴史を、数日の勉強で極めようなんて、少し図に乗ってました 明日からは、一年先の試験を目標に、こつこつ勉強してますね
2009年12月13日
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8月15日の終戦の日は広く国民に知れ渡っているけど、今日の開戦の日はあまり知られていない 昭和16年(1941年)の今日、日本帝国海軍はハワイ真珠湾に対する奇襲攻撃を敢行し、対米戦争の火ぶたが切られた これに至るまでには、日本は、というよりアジアは欧米列強の排日政策により、徹底した差別を受けていた 日露戦争(これとて、ロシアの朝鮮半島南下政策を阻止するため日本としては止む得なかったものであるが)で得た権益の大半を手放すよう干渉されたり、日本に対する食料や燃料の路線を制圧して、意のままに世界を動かそうとしていたのが、米英ソであったのだ そして日本がキレて、攻撃をしてきたらこれをたたきつぶす大義名分が出来ると、攻撃してくるのを待っている列強の術中にまんまとハマったのが日本だった 開戦を決める御前会議の席上で昭和天皇が吟じられたのが、この歌である 「四方の海、みなはらからと、思う世に、など波風の、立ちさはぐらむ」 世界中がみな兄弟だと思っているのに、思いもかけず戦火を交えなければならなくなったと悲しんでおられる この歌は、日ロ開戦時に明治天皇がお読みになったものを詠じられたとのことだ 明治憲法下でも、明文の規定こそ無かったものの、天皇は象徴であり、御前会議でも自分の意見を表明する事はなかったが、開戦の会議では明治天皇の歌を詠じて、戦争を悲しまれたのである 資源の少ない日本は、あっという間に劣勢に転じ、戦争は惨敗に終わった 戦争というのは、この上なく悲しい歴史である 自国と相手国 国民個々は決して敵ではないのに、銃を持って殺し合い、半世紀以上経った今もその傷が癒えることがない しかし、その傷を癒さないことこそ、次の戦争を起こさないために必要なことなのかも知れない でも、戦争によって生じてしまった、憎しみは、必ず精算してしまわなければならない 自国には自国の正義があって戦争をしたように、相手国には相手国の正義があって戦争をしたのだ 去年、僕はスコットランドの学生達と同じ舞台で演奏をした そしてその後は、共に食べ、しゃべり、歌い、踊り、握手し抱擁しあった わずか60年位前は敵国であった彼ら 今は少しでも理解し合いたいと思う 僕たちの子供の世代、孫、ひ孫の世代がどうか戦争をすることのないように、どうか相手のことを理解し合える心を持つようにと祈らずにはいられない そして、世界中から貧困と戦火が無くなる日が、来ることを祈りたい
2009年12月08日
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