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今日で17年度が終る。転退職する先生とはお別れ。お世話になった校長先生、元学年主任が退職。感慨深い。昼過ぎに学校を出てシアターサンモールで奥さんと観劇。「バンビーノ」という新宿二丁目のゲイバーを舞台にした芝居。デカグリーンとデカブレイクの役者が出演。会場内は女性ばかり、出演者は男性ばかり・・・当たり前。終演後、新宿御苑を散策。満開の桜が美しい。電車で学校近くに戻り、退職の先生を囲む会に参加。終了後、隣の小学校の先生と飲み会。終了後、地元で元同僚と飲み会。忙しい1日だった。
2006.03.31
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新年度へ向けて今日から毎日出勤。まずは机上整理。学校はプリント類が山ほどたまる。図書の担当なのでカタログ類も山になる。全て捨てたらすっきりした。今日は掃除で1日が終った。
2006.03.30
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いよいよ最終日。朝食はラーメン。といっても日本とは趣が違う。韓国はインスタントの乾麺を出すのが普通らしい。昔懐かしい家庭の味?ライスを頼んだら冷たいのが出てきた。中に入れろということね。料金3500W。その後、史跡特寿宮を駆け足で見学。「王道」の意味を知る。12:30ソウル発。帰りは1時間半で羽田着。速い。二泊三日、なかなか楽しい旅だった。
2006.03.29
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8時にホテルを出て近くの屋台で朝食。パンをバターで焼いて卵焼きをサンドしたもの。飲み物とセットで1500W。 徒歩で南大門市場へ向かう。衣料品から食料品を売る店が所狭しと軒を連ねている。アメ横に似ている。 歩いていると日本語で声がかかる。韓国海苔を購入。タクシーで仁寺洞へ。ここは骨董街。中には様々なアート的に創作された作品も並んでいた。一度ホテルに戻り明洞餃子を食べに行く。丸い蒸し餃子は味が濃くてうまい。ここのキムチはものすごく辛かった。その後、同じ明洞の足裏マッサージへ。膝から下をしっかりとマーッサージしてもらい、最後にはお茶とチヂミも出てきた。ホテルまでの送りもついて54000W少し休んで、夕方夕食を食べに出かけた。途中地下街で注文しておいたメガネを受け取る。韓国はメガネをかけている人が多い。店も多くデザインも多彩。品質は日本と変わらない。192000W。その後、近くの焼肉店へ。日本との違いは、付け合わせが黙っていてもたくさん並ぶこと。肉は店の人がどんどん焼いてくれる。肉だけでなく野菜もたくさん取れてヘルシーかもしれない。食後夜の南大門市場を散策。盛りだくさんな一日。
2006.03.28
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羽田の国際ターミナルから飛ぶ。JAL16時30分発、金浦空港まで約2時間。近い!ガイドさんと合流してホテルへ。日暮れは1時間くらい遅いらしいが既に真っ暗。ハイのライトアップがきれい。高速か!!と思うくらい道幅が広く速い。免税店経由でホテル着。市庁舎裏のNEW国際ホテル。荷物を置いて早速、明洞の町へ。とっても賑やか。最初の買い物は一足1000W(100円=800W)の靴下。ケロロ軍曹、ドラえもん・・・。ライセンスは取ってないよね?全州中央会館で石焼きビビンバを食べる。おいしい。韓国の日本語はちょっと変。一度ホテルに戻り、再び東大門市場へタクシーで出かける。DXな模範タクシーだったが初乗りは4500Wビルの中には小さな店がいっぱい。月曜日で人は少なめだというがにぎわっている。とても夜中の12時だとは思えない。韓国の人は元気。屋台のおばさんの呼び込みが面白い。「宮迫です」「チッチキチー」と日本語のギャグを連発。屋台にて焼酎を飲む。漢方入りとかで甘い。おでんのスープがお通し。韓国海苔巻きとたこのキムチ炒めを食べる。味はまあまあ、衛生管理は・・・。ホテル到着午前1時過ぎ。
2006.03.27
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今日から二泊三日でソウルへ行ってきます。韓流通のベテランの先生のガイド付きなので安心。もしかしたら今日も焼き肉か?多分海外は長男が生まれる前にバリ島に行った以来だから5年ぶりか。楽しんできますO(≧∇≦)Oイエイ!!
2006.03.27
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うちの実家の家族と息子二人と焼き肉。1980円の食べ放題。幼児無料。あと10年もしたらどんだけ食べるようになるのか。食べ放題は有り難いかも。ジジババ焼き肉屋初体験。これも一つの親孝行か・・・?
2006.03.26
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ようやくこの日が来た。出席しなければならない日数198日。通知表を渡して最後の話。でも、静まらない我がクラス。ああ・・・。その後の打ち合わせで異動と来年度人事の発表。意外なこともあってちょっとショック。60歳の任期満了まで勤め上げると言うことは難しいことだと実感。あと20年頑張らねば。
2006.03.24
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20年前大学生時代に家庭教師をしていた教え子から電話が入った。「3月3日に入籍しました」彼と初めてあったのは私が大学1年生、彼が中学2年生。勉強が苦手で、高校浪人して1年遅れて入学した。真面目で一生懸命な彼に幸多かれと祈るのみ。嬉しい日だった。
2006.03.21
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快晴に恵まれ申し分のない天気。風も穏やか。今年の卒業生とはほとんど縁がなかった。授業で教えることもなく、選択授業ももたなかった。部活にも3年生はいない。と言うわけで、淡々とした式だった。一つ残念だったのは、証書をもらった卒業生数名が笑いを取ろうと舞台上で奇妙な動きをしたこと。厳粛な雰囲気に水を差した。2年後、自分の学年の時は絶対にさせたくない。そのためには、あと2年間、生徒との「気持ちのつながり」をさらに深めていくことが必要だと思う。
2006.03.20
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学校へ行って通知表の所見を書いた。正確には書いたのではなく打った。今年から通知表はパソコン作成。短い言葉で、どうしたら子どもや親の心に届くか。考えると難しい。活字になってからなおさら言葉の吟味には気を遣う。帰りはものすごい北風。自転車や歩行者は飛ばされそうになっていた。300kgオーバーのさすがの我がバイクもふらついた。風は怖い。
2006.03.19
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立て続けに生活指導。1 いつもの通り空気が読めないことが原因の喧嘩。2 マンションの窓から通行人に向かってパチンコ発射。年度末の忙しいときに時間を奪うな!!!!!クラス分けが思いやられる。あああ。
2006.03.16
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うちの玄関には結婚式の時のブーケが押し花になって額に入っている。出がけにふと眺めたら、日付が1998.3.15てことは、今日は結婚記念日か・・・。忘れてた今教えている生徒は13歳。その子たちが5歳の時に結婚したことになる。光陰矢のごとし。早いなぁ。
2006.03.15
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卒業式まで1週間。金曜日から全校で歌の練習が始まっている。「大地讃頌」混成四部合唱。1年女子はアルト、男子はテノールを歌う。できばえはまだまだ。道のりは遠い。一方、送辞答辞は大分形になってきた。
2006.03.13
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今日は子ども二人を連れて家の近くの公園内にある生物園へ行ってきた。アロアナあり、チョウの温室あり、屋外ではモルモットを抱くことも出来る。区立にしては充実した施設。長男は公園で保育園の女友達に会って追いかけられていた。将来が楽しみ!?
2006.03.12
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今日は三送会。1年生は練習してきた合唱&リコーダー合奏&メッセージを披露した。メッセージの最後に「先輩ありがとうございました」という画用紙に書いた文字を出した。裏側には「御卒業おめでとうございます」と書いておき裏返る趣向。裏返しになった途端、3年生から拍手が。してやったり。最近の中学生、練習には気合いが入らないが、本番には強い。
2006.03.08
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東京MXTVで毎週月曜日に再放送している。息子たちは喜々として見入っている。特に次男は大好き。オープニングテーマから一緒に歌っている。梅さんが大好き。ストーリーが単純明快で幼児にも分かりやすい。昔はたくさんあったのに、今は同じタイプのアニメはないなぁ。
2006.03.07
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うちの学校の卒業式は20日(月)。奥さんの学校は17日(金)。東京は区によって卒業式が違う。なぜ、20日にしたんだろうか?土日を挟むと緊張感も薄れると思う。教科の授業は既に終了。3年の先生方は特別時間割でお守り状態。お疲れ様です。
2006.03.06
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今年は前厄。全て厄のせいではないと思うが、いろいろ細かいことが起きていて気になっていた。家族で佐野厄よけ大師へ行ってきた。なぜ佐野かというと、父の実家があるから。小さい頃から何度となく足を踏み入れている地域だが、厄よけ大師は初めて。お坊さんが、「お願い事を言うときは、住所、氏名、生年月日を言ってください」と何回も繰り返していた。う~ん。そんなもんかな。アウトレットに寄ろうと思ったけど結構な渋滞で断念。お寺の近くでラーメンを食べて帰宅。佐野ラーメン、奥さんの口にはあわなっかったみたい。
2006.03.05
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10年前に書いたエッセイを読み返していたら、同じようなことを感じていた自分がいた。自分が成長していないのか、世の中、学校が旧態依然としているのか・・・。1996.9.4 精神的成長のレベル 人間は誰しも一年に一つずつ歳をとる。子どもから成人になりやがては老いを迎える。社会的には年齢を重ねるごとに社会的責任や信用が増し、給料も上がる仕組みになっている。しかし、精神的な成長は必ずしも肉体的成長には比例しない。年齢的には成人でも精神的には大人になりきれないこともある。そんな人が最近増えてはいないだろうか。 精神的成長のレベル(以降心のレベル)は、目に見えにくい。ペーパーテストをして点数に表すことはできない。面接で見極めようとしても、人が他人の人格を評価するときには、自分が基準になってしまうため、十人十色、千差万別、誰もが納得できる評価を出すことは不可能である。しかし、心のレベルは確実に存在する。 私は仕事柄、子どものの心理状態について同僚と話をすことがある。私の受け持っていた中に、あまり口をきかない無口な子どもがいた。教師の問いかけには答えはするのだが、私には、どうもそれがその子の本音ではないような気がした。そこで、ある同僚の教師に「Aさんは心の中に家を持っていて、いつもその中に閉じこもっている。教師からの問いかけには、ドアの隙間から顔だけ出して、本音を見せずに語っているような気がする」と話した。しかし、その教師は、「この人は何を話しているのか」という目でこちらを眺めるだけで、期待していた意見は聞けなかった。そのときは、私の言い方がまずかったのかと反省した。今度は同じ話しを、別の教師に話してみた。さして言い方を変えたわけではなかったが、今度はその先生の見方をも交えて、意見を交換することができた。 これは、ほんの一例に過ぎないが、私は、心のレベルが違うと同じ物事を体験しても、そこから学び取れる事柄の数が違ってくるように思う。Aという一つの事象について、次郎は、その中から三つの教訓を引き出したのに対し、太郎は五つの教訓を感じ取る。それは心のレベルに比例する。ただし、太郎が、次郎の分からなかった残りの二つについて説明したとしても分かってもらうことは難しい。 私は現在、全盲の生徒に国語を教えている。その生徒は、六ケ月で失明したため、自分の目で何かを見たという記憶が全くない。国語の教科書にはしばしば、風景描写が登場する。「赤い花、黄色い花が一面に咲き乱れる草原」「夜空には満天の星が輝いていた」「彼の顔面は見る見る紅潮し、怒りが込み上げてくるのが分かった」私の知っている限りの言葉を尽くして語りかけても、その情景を理解させることは不可能である。つまり、見た経験のない人に見えるとはどういうことかを知らせることはできないのである。 これは先に述べた例にも当てはまる。心のレベルが達していないために三つしかみえていない次郎に、五つ見えた太郎が、残りの二つをいくら力説しても見えるようにはならないのである。つまりは、次郎が自己認識し、自身の心のレベルを上げるように努めなければ見えるようにはならないのである。 他人に対する思いやりの心、障害者や老人に対する福祉、教育、ボランティア…。人と人とのコミニュニケーションに関わることにはすべて、心のレベルが影響する。そんな目で世の中を見渡してみると、日本人の心のレベルは決して高いとは言えない。政治家、医師、宗教家、学校の教師、本来高い心のレベルを持って社会のリーダーとならねばならない人達の中にも、私利私欲を肥やすことに明け暮れ、責任を転嫁し、人の心の痛みに麻痺してしまっているレベルの低い人間が多すぎる。自分の心のレベルはどれほどなのか、私たちそれぞれが、きちんと自分と向き合って、問い直す必要があるのではないだろうか。
2006.03.04
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今の学校に異動してから何でこんなことをと思う仕事がある。1 PTA役員会の宛名書き →前任校ではPTAの方がやっていた。確かにTは教員ではあるが。仕事が立て込んでいるときには非常に面倒。2 授業変更黒板 →翌日の授業変更を書くための職員室前にある黒板。授業カットは月予定表で確認できる。前任校では授業を入れ替えた場合は教科担任から連絡を受けて、学級担任がクラスへ連絡していた。書くのは大した手間ではないが、授業が満杯で朝のうちに書くのを忘れてしまうことがある。すると、他の担任から文句を言われ嫌な思いをする。どちらの仕事も大した手間ではない。やれば便利なことも分かる。でも、やらなくてもすむものなら廃止して欲しい。区が代わると学校のシステムも結構違う。学校ごとにも仕事の進め方に違いがある。昨年異動してきたときにまず感じたのは「5年以上過去に戻ったな」という感覚。行事を精選したり、パソコンを活用して仕事の効率化を図ったりといろいろやってきたことが、今の学校では昔のまま。前任校では教員が知恵を絞って計画的にやっていた総合的な学習の時間も学年行事などで埋められていく。黒板とチョーク、手書きの出席簿に代表されるように学校には前時代的な遺物がたくさん残っている。新しいものが全ていいとは思わないが、子どもたちには新しいことにも触れさせてやりたい。余計な仕事に時間を割くより、授業研究や教育相談など本来の仕事に時間を使いたい。でも、一番の問題は物ではなく教師の前時代的な「古い感覚」かもしれない。PS.「あってもなくてもいいものは,ないほうがいいんだなぁ」書家、相田みつおさんが終生師事をすることになる武井哲応老師の言葉。
2006.03.03
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