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タイと日本で大きく違うのが携帯電話のマナー。タイには携帯電話のマナーなんて無いと思って良いであろう。電車やバスの中では着信音が鳴り捲り、仕事中でも電話をかけたり電話に出たり、当たり前の行為のようです。人目を憚らず大声で喋る人々はそこら中にいます。タイ人は他人にプライベートな会話を聞かれても恥ずかしくはないのだろうか。騒音の激しいタイでは皆一様に着信音を大きく設定しているので町中至る所で着信音を耳にします。友人と会話をしをしている時、友人の携帯が鳴れば友人は誰彼構わずに会話を差し置いて当たり前の様に電話に出ます。タイでは電話優先のようです。携帯電話で話しをしながら店に入って来て、商品を摘み其れをレジに持って行って買い物を済ませてしまう何て人を何度も目にして来ました。タイでは失礼な行為ではないようだ。ガソリンスタンドの店員も携帯で電話しながらガソリン入れてますから。他の職場でも仕事中お構いなしに電話でプライベートな会話をしていますから。そんな行為にも周囲の人々は一々目くじらを立てないようです。タイ人は実に寛容で羨ましくも思います。 近年タイの携帯電話の普及は著しい。一昔前は携帯電話を持つ事の出来る人は一部の金持ちさんに限られてた特権の様であったが、近年では一般人でも当たり前の様に携帯電話を持っている。タイの家庭の電話普及率は低く、タイの友人曰く五十%に満たないとの事。家庭に電話線を引くのは手間がかかるし、料金も割高である。タイの生活水準が上がり愈々電話が普及し始めると云う時期に携帯電話が普及し始め、値も下がり、割高な電話線を引くより携帯電話を買ってしまえと云う方向に人々が動いた事から、携帯が普及したと分析する。家庭に電話が普及する前に携帯電話が先に普及してしまったのである。現在のタイの携帯電話は、専ら通話が中心。多機能携帯電話は未だ極小です。近頃漸くカメラ付きが目立つようになった様に感じます。私は日本でもタイでも携帯電話は持った事がありません。だって、必要ないでしょ。伝書鳩でOKでしょ。或いは狼煙で。(単に貧乏で買えないだけなのです…)
2006.03.31
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これぞ知る人ぞ知るタイの首都バンコクの正式名称です。 クルンテープマハーナコーン アモンラッタナコーシン マヒンタラーユッタヤーマハーディロ ポップノッパラッラートチャターニーブリーロム ウドムラーチャニィウェート マハーサタンアモンピッマーン アワターンサァティト サッカタッティヤッ ウィサヌカムプラシット と読みます。長すぎます。寿限無(じゅげむ)みたいです。タイ人でも正式名称を覚えている人は少ないようです。 タイ人は「バンコク」とは言わず「クルンテープ」と正式名称の頭の部分だけを言います。
2006.03.30
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ここは動物園ではありません。ホテルの部屋からの眺めです。 二階の部屋から外を眺めていました。 すると、一匹二匹と猿がやって来ました。 奴らの目的は無論食べ物。 仕方なしにお菓子をやると、さあ大変。 猿たちが挙ってやって来ました。 「へっへっへぇ、さすがにこの隙間からは入って来られまい」 余裕をかまし窓を開けて餌をやっていました。 「なぬぅ~っ」 何と、子猿がこの小さな隙間をするりと抜けて中に入って来ました。 慌てて窓を閉めました。 間一髪、セーフ!でした。 子猿といってもかなりの獰猛です。 路上に猿がうろつくロッブリー。そんな町にも、《ロッブリー動物園》という立派な動物園がありました。そこにも猿がいました。
2006.03.30
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バンコクから列車で北へ三時間程行くとロッブリー《LOP BURI》に到着する。其の日はノンタブリーに宿泊していたので其処からバスを乗り継ぎロッブリーを目指す事となりました。ノンタブリーからバンコクは一時間程。バンコク→ロッブリーはバスだったら三時間弱で着くだろうと予想していました。しかし、其処に立ちはだかったのは、信号が青に変わっても前がつかえて進めないと云うバンコクの忌々しき大渋滞でした。ロッブリー行きのバスに辿り着くまでに三時間以上かかってしまったのでした。ロッブリー到着は深夜となりました。ロッブリーアジアホテルへ。其処は老朽化の進んだ清潔感ゼロのボロ宿でした。ドアを開けると早速ゴキブリがお出迎え。部屋の蛍光灯には綿菓子よろしく大量の蜘蛛の巣が張っていました。その汚さは潔癖症の人が見たらショック死してしまう程でした。余りに酷い部屋だったので必死に値切りましたが、一六〇バーツ以下にはなりませんでした。その夜は寝るだけと云う事で我慢して其処に宿泊。翌朝、宿チェンジ。ロッブリーシティーホテルへ。部屋の窓を開けると其処は金網張りになっっていました。其の金網は紛れも無く猿よけだったのです。金網にしがみつく一匹の猿が餌を呉れとばかりに手を伸ばして来ました。試しにお菓子を一つやると、物凄い勢いで五匹六匹と猿が金網に飛びついて来るのでした。そして、突然頭上から降って来るかのように猿が降りて来たのでちょいとビックリでした。まさか、通り抜けられるまいと思っていた金網の隙間を物ともせず小猿たちは金網を潜り抜けて入って来たのでした。慌てて反射的に窓を閉めたので何とか猿の部屋への進入は免れました。 外へ出るとあちらこちらに猿が点在していました。猿の襲撃に遭う確率大なので警戒して歩きました。すると、突然前方にいた母娘の母がぶら下げていたビニール袋を猿が奪って逃げたのでした。猿は電柱を登り建物の二階へ登ってビニールを破り、中から使い捨てカメラが出て来ました。猿は使い捨てカメラの袋を破り、ガリガリとカメラを齧り始めたのでした。其の後、其のカメラの行方がどうなったのかは見届けていないので解らない儘です。更に別のおばさんはビニール袋をぶら下げて歩いていたところ猿の襲撃に遭いました。抵抗する間も無くあっさりと袋ごと持って行かれてしまったのでした。猿は手馴れた調子で物を奪うと逸速く高所に逃げるのでした。ビニール袋の中身はヤクルトでした。五六本のヤクルトは猿同士で奪い合い、猿たちは器用に其のヤクルトを飲み乾してしまいました。どうやら、サルはビニール袋に反応するのだと解りました。ロッブリーで猿に襲撃される人は後を絶たない様子でした。其の後、窓を開けて停車している車が猿の襲撃に遭っていました。猿が車内に侵入して来て、これまた、ビニール袋に入った食べ物を奪って逃げたのでした。 ロッブリーには二泊しましたが、運良く猿の襲撃には遭わずに済みました。ロッブリーの人々は猿を町から駆逐するなんて事はしない様子でした。猿はロッブリーの名物であり、猿あってのロッブリーと云う事だからなのだろうか。通りの壁には“我々は猿を愛する”なんて事が書かれていました。地元の人々は猿に餌を与えているようだが、何せ猿の数が多いので猿達は其の餌だけでは飽き足らないのであろう。その結果の通行人襲撃となるのであろう。猿と人との共存は難しいように感じました。町中に猿がたむろするロッブリーはちょいとスリリングでちょいとしたハプニングの多い町でした。
2006.03.27
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2006.03.25
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以前、ランパーンの町にも日本料理屋が二軒ありました。二軒とも閑古鳥が鳴いている状態の儘つぶれてしまいました。先に出来た一軒は逸早くつぶれてしまった為、食べる機会を逸してしまいました。二軒目が既に店が傾いているのを逸早く察知した時分、記念にどんなものかと日本料理を食べた事の無い友人(タイ人)を連れて行って来ました。看板にはアーハンイープン(日本料理の意)とタイ文字で書かれていました。日本語の文字は一切無しで、「ネコ スシ」とタイ語で書かれていました。その横に英語で「NEKO SUSHI」と書かれていました。「ねこずし」ではなく「ねこすし」と云うところにご主人の頑固な拘りを感じました。暖簾を潜り、恐る恐る店内に入るとハッピを着たタイ人の女性店員が、「サワディーカー」と愛想良く挨拶してくれました。店内では日本の演歌が流れていました。氷がたっぷり入った緑茶とメニューがテーブルに運ばれて来ました。奥には料理人と思しきご主人がいました。この二名で切り盛りしている店のようでした。メニューを見ている間、この二名がずっとこちらを見ていました。ラーメンを注文しました。三十分程待った後、漸く登場しました。どす黒いスープに胡椒たっぷりの醤油ラーメンでした。スープはぬるぬるでした。期待はしていませんでしたが、まさに其の期待をしていなかった味でした。見た目通りの、ショーコスギならぬチョーコスギのスープでした。下らない駄洒落はさて置き、お口直しに寿司を注文しました。「ネコスシ」と云うくらいですから、寿司を食べねばと思いました。メニューには様々な寿司ネタが書かれていました。流石!と思いました。しかし、現在あるのはサーモンだけだというのでした。仕方なく其れを注文して食べました。寿司は意外と美味かったです。客は私と友人(タイ人)の二人限でした。食べている間ずっと店員がじーっとこっちを観察するかの様に見詰めているので何だかバツが悪く思いました。「シセン料理屋ですか?」と聞きたくなりました。仄聞したところ、「NEKO SUSHI」は日本人等観光客が多いチェンマイに移転したとの事だが、定かではありません。2006年3月現在ランパーンの日本料理店は0軒となってしまいました。(日本食もどきのたこが入っていない“タコヤキ”の屋台等はありますが…)日本人観光客の少ない庶民的な町ランパーンで割高な日本料理屋を繁盛させると云うのは、たとえて云うなら、風船にぶら下がって世界一周を試みるくらい無謀な挑戦と云えましょう。
2006.03.24
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2004年の1月1日。ウタラディット県にある「プー・ソイ・ダオ」と云う山を登りました。タイ人の友人と其の友人の旧友を中心に総勢10名程で登りました。陽が沈み、辺りが真っ暗になると、満天の星空がとても綺麗でした。夜は真っ暗で闇の中を歩いているような気分でした。懐中電灯片手に登り、頂上には夜10時過ぎに到達しました。頂上はキャンプ場になっていました。其処で飯盒炊爨。夕食を摂りました。沢山の登山客がテントを張っていました。我々も其処にテントを張って眠りました。気温は2度程まで下がり、寒さの余りまともに眠れずに朝を迎えました。翌朝、頂上を歩き朝陽を拝みました。何と其処にはタイとラオスの国境がありました。 手前がラオスで奥がタイ其の後、この山を登ったメンバーの内2組が結婚しました。山登りから約1年後の2004年 11月20日、サムット・プラカーン《SAMUT PRAKAN》にて、カーンとコイが結婚。そして、山登りから約2年後の2006年3月9日、ランパーン《LAMPANG》にてラームとケイが結婚しました。
2006.03.18
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タイ国内何処へ行っても犬が多い。そんな印象が強い。路上にも犬がゴロゴロしている。悲惨な話だが、犬の死骸もよく見かける。犬が多いから其れに比例して轢かれる犬も多くなるのだろう。日本では、校庭に犬が乱入した日にはちょっとした騒ぎになるが、タイの学校では当たり前のように校庭に犬が寝ている。野良犬が遣って来て其の儘住み着いてしまった何て事が多々あるようです。犬を飼っている家も多い。基本は放し飼いです。飼い犬は首輪こそつけているものの引き綱(リード)に繋がれている犬は殆どいない。放し飼いが基本なので、引き綱(リード)に繋いで犬を散歩する人は極少であります。犬は不審者を見かけると直ぐに吠える。一匹吠え出すと近所の犬も吠え出し大合唱となる。この御蔭でタイの治安が守られているように感じます。田舎の寺には特に犬が多い。犬を寺に捨てて行く人も多いと云う。寺の犬は殆ど野良犬のようなもので、首輪すらされていません。首輪は飼い主がいると云う印だと思って良いだろう。寺に住み着く首輪無しの“半野良犬”こと“寺犬”は常に腹を減らしている。餌は寺のお零れや近所の人などが残り物を与えているようだが、其れでは満腹にはならないようだ。何せ犬の数が多い。一つの寺に二、三匹はいる印象があります。ランパーンのワットチェディーサオと云うお寺には五十匹を超える“寺犬”達がいます。此処は正に激戦地。餌の奪い合いで、気弱な負け犬は気強い犬に噛み付かれ餌を奪われてしまい傷だらけとなっているので、何とも不憫であります。そんな負け犬達を中心に餌をあげる毎日を過ごしています。警戒心が強い犬も三日四日と通い詰めると、徐々に警戒心を無くし、懐いて来るので、親近感が湧きます。そういう犬にはちょいと贔屓して餌を多めに遣ったりしています。“寺犬”は“半野良犬”とあって、全く以って警戒心を解く素振りも無く吠え続ける犬や逃げてしまう犬も多くいます。タイには犬に比べ猫は圧倒的に少ない。タイの友人曰く、「猫は食っちゃ寝だけで、役に立たない」から飼う人が少ないのだろうか。日本で私は、先ず犬に触れる機会がありません、タイでは何故か犬と戯れる毎日を過ごしています。謂わば、ちょっとしたムツゴロウ状態であります。餌を遣って、頭を撫でて遣る。唯、其れだけで楽しい。この二匹の犬(写真)は餌を奪い合わず、互いに譲り合ったりするから、誠に可愛いものです。この<茶色い犬>は食後、決まってこの<黒い犬>をマッサージをします。気持ち良さそうですねぇ~。
2006.03.17
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ランパーンの町にはかなり日本人よりの顔の人が多い。この三名はランパーンの友人宅の近所に住む女子達です。可愛いですね。ピチピチしています。若いっていいですね。まだ都会の絵の具に染まっていない初々しさがあって感じが宜しいです。
2006.03.12
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バンコクは地方に比べて物価、特に料理の値段が高い。バンコクは暑いし人が多いし渋滞するしで何となく避けたい気分になります。何処の国へ行ってもどうも首都が苦手。都会を旅しようと云う気になれないのです。そんなんで専ら地方を旅しています。地方にいると食費が安く済むので旅費も安くなります。バンコクでも日本に比べれば数段に安いが、地方に行けば更に安く済んでしまいます。タイ料理の値段には度々不可解な点を感じます。同じ料理でも店によって値段が大幅に相違しています。たとえば、高級食材を使っていて、美味しければ多少値が張ってもそれは、理に適いますが、タイ庶民が足を運ぶような店では食材の優劣は殆ど見られません。タイでは高くて不味い店、安くて美味い店が多数混在していると実感しています。同じ様な質で同じ様な内容の料理がA店では15バーツ、B店では25バーツなんて事がよくあります。スーパーお粗末な盛り付け!盛り付け雑~!見た目でもうマズイでしょ。 タイの料理店は当たり外れが著しい。先日、カオナーペット(家鴨肉ご飯)〈写真〉を食べると値段は25バーツ。その一皿の量の少なさも不満な上に、ご飯は可也の安物を使っていると見えました。他の店ではこれよりも量が多い上、味も質も見た目も良くて値段は15バーツで売られています。タイの北部はカオソーイ(カレーラーメンに近い味の麺料理)が名物料理の一つだが、これも値段が店によってバラバラなのである。ある店では10バーツ、ある店では25バーツだったりします。この値段の差は味や質の差ではなく立地条件の差だと認識しています。人が多く行き来する場所は値が高く、人通りの少ない通りにある店は安い。人が余り往来しない路地などにある店は値を安くしなければ人が遣って来ないからであろう。私は好んで路地裏にある安い食堂で飯を食べています。他の店では、20バーツで売っている料理をその店では10バーツで売っている。となると、判官贔屓の私はその10バーツの安い店に行かずにはいられなくなってしまいます。物を安く売ると云うその良心的な精神こそ応援したくなってしまうのです。中には客が殆ど入っていないのに、一品一品が割高でその高い単価で利益を得ようとしている店もあります。そういう店に限って傲慢で料理が不味かったりします。そんな選り好みでドケチな旅をしているので、私の食費は飲み物、お菓子など含めても一日平均100円以内におさまっています。決して節倹している訳ではありません。一日三食おやつは欠かせない。お祭り、イベント事や友人、知人からご馳走になる機会が多いので先月一ヶ月の食費は三千円以内におさまってしまいました。近頃、石油の値が高騰したのに便乗して昨年から今年にかけて、大幅にバスや列車などの運賃が上がってしまいました。ビンボー旅行者にとって運賃値上げは可也痛い。さらに、両替レートも日本円が安くなり、以前より旅費が嵩んでしまう。どうか食費だけは高騰してもらいたくないと願うばかりです。※(1バーツ=約3円)その後、15バーツのカオナーペットは20バーツ。25バーツの店は30バーツになってしまいました。
2006.03.11
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現在、ランパーンの町に停滞中です。ランパーンにはタイ人の友人知人が沢山いて、その友人達を頼りに毎日を生活しています。早い話が居候でございます。タイ人の友人達には大変に世話になっております。そんな友人宅を渡り歩いている日々でございます。良き友の御蔭で何とか今を生きております。さて、ランパーンと云う町を紹介します。ここは程よく田舎で気候も良く住み易い町だと実感しています。12月、1月あたりはかなり涼しく、日本の春や秋のような清々しい気候で良いです。これと云って魅力はありませんが、平凡で庶民的な町で良いと感じています。そんな素朴な町でも観光名所・名物などが色々とあります。旅行者の多いお隣チェンマイ県に比べると、外国人の姿は少ないがポツリポツリと旅行者を見かけます。日本人旅行者は可也少ない様です。未だ一度も見かけたことがありません。ランパーンに来る旅行者は、ツアー客や金持ちの贅沢旅行者が多い印象があります。節約型ビンボー旅行者やバックパッカーの姿はあまりいないと感じます。安宿が少ない所為でしょうか。先日、安宿の前を通ったら、其処は既につぶれていました。ランパーンの町はビンボー旅行者を歓迎しないのでしょうか。それともビンボー旅行者がランパーンに来ないだけなのでしょうか。ランパーンの名物は何と云っても馬車です。町中に馬車が走っています。馬車もしっかり信号待ちしています。馬車が五台六台と連なった日には渋滞してしまいます。これらの馬車は完全なる観光用です。外国人や他県から来た旅行者が主に乗っています。特に土日休日には馬車が多く走っています。先週末には20台以上の馬車が連なって道路を走っているのを見かけました。渋滞してました。一般の車やバイクはいい迷惑です。観光用の馬車とあって地元の人々は先ず乗る事が無いそうです。東京人が好んで原宿竹下通りを歩かないのと同様にランパーンの人も好んで馬車に乗らないのだろう。ランパーン出身の友人達は誰一人としてこの馬車に乗った事が無いのでした。私も馬車には乗った事がありません。何だか無理強い道路を走らされている馬が可哀想で乗る気にはなれません。あっ、マズイ。これじゃ、ランパーンの魅力が何一つ紹介出来ていない…。ランパーンの魅力、ランパーンの魅力…。う~ん、それは…
2006.03.08
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タイ料理からしてタイ人は濃い味がお好きと見えます。調味料を好みに応じて注ぎ込むのがタイ庶民料理の特徴でもあります。以前、ノンカーイ県で知り合った地元の大学生五人に昼飯を奢って貰った事がありました。美味しいクィッティアオ(タイの庶民的な麺料理)の店があると云うので連れて行って貰いました。美味しいと云うだけあって、店内は大勢の客で賑わっていました。どんな美味しい料理が食べられるのかと期待しました。然し、出て来た品は、何の変哲もない麺料理だった。食べてみても実に平凡。今迄食べて来た其処等の味と何ら変わりはなかった。森田一義アワーでお馴染みの日本のスーパースタータモリ氏だったら取り分け賞賛する事も無く、「美味いっちゃ美味いね」と一言零す程度の味でした。驚きは別にありました。その大学生五人はそれぞれに大量の調味料を注ぎ込みそれぞれの味を作っていました。大量のナンプラー(魚醤)を注ぎ込み、唐辛子を注ぎ、元の澄んだスープの色が、赤茶色く染まっていました。更に止めとばかりに、大量の砂糖を注ぎ込んでいました。備え付けの200CCサイズのコップ一杯の砂糖がその五人だけで空になってしまいました。一人当たり約40CCの砂糖をぶち込んでるぞと、呆れてしまいました。私はその恐ろしく濁った赤茶色のスープを恐る恐る味見させて貰いました。ごくりと飲む込むと、思わず「なんじゃ~、こりゃ~」と松田優作ばりの叫び声を上げそうになりました。口から、火が出そう…。甘い、塩辛い、辛いの時間差三段攻撃を喰らった気分であった。美味しい店って…。そんなたっぷり、調味料入れたら、其の店の味を否定してないか?と疑問だけが残りました。 ▲これが通常のクィッティアオ
2006.03.08
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タイに滞在していて感じる事は騒音が甚だしいと云う事。何処からか聞こえて来る大音量の音楽だったり、車やバイクの騒音、吠え捲くる犬、田舎では、けたたましい鶏の鳴き声…。毎日そんな騒音に悩まされ、寝不足を余儀なくされてるエブリディ。昼寝をしようとすれば、近所でカラオケ大会が始まったり(平日の昼間だぜ)、大音量で音楽を流す家があったりで、寝かせてくれません。友人(タイ人)はそんな騒音などお構い無しで熟睡出来るそうです。私はもう何度もタイに来ているが、この騒音だけはどうにも克服出来ない侭でいます。以前、友達(タイ人)の家に遊びに行った時、友達の弟が部屋で大音量(アンプフルボリューム)を響かせギターを弾いていました。自由奔放も甚だしい、そんなドデカイ音を出したら近所迷惑じゃないの?と怪訝に思ったが、其処の両親やお隣さんは、全く気にしてない様子でした。別の友達の家に行った時は、気の合う仲間達四人(皆さんゲイでした)が集まりカラオケ大会が始まりました。夜の十一時で其処の家族は皆寝ていました。家の人達は眠っている…そんな状況もお構い無しのフルボリュームで友人達はカラオケに興じていました。誰も文句を言う人はいませんでした。カラオケ大会は深夜一時に終了。「もう一時過ぎちゃった。遅いし家族の人々に迷惑だから帰ろう」と友人は平然と言うのでした。おいおい、夜十一時の時点で気付けよ!と思ってしまった。また、別の友達の家に遊びに行った時です。友達には赤さんがいました。生後六ヶ月でした。その赤さんの真横で大音量のラジオが流れていました。そんな騒音も全くお構いなしと云った具合に赤さんはしっかりと目を瞑り揺りかごで熟睡していました。これで、解りましたよ。タイ人は生まれた頃から騒音に慣らされていて、ちょっとやそっとの騒音は気にならない。そう理解するしか他ありません!?と思いつつも、矢張り如何にも腑に落ちないのです。タイ人は寛容な国民なのでしょう。日本人や白人は秩序に対して兎角厳しい様に思います。以下は日本での話です。以前、友人がマンションに引越し、共にぺヤングソース焼きそばを食べる事になりました。先ず友人が注いだお湯を流しに捨てました。そして、ステンレスの流しが、ボン!と鳴りました。すると、間髪を容れず「うるさい!」と隣の部屋から声がしました。続いて私も流しにお湯を捨てました。又してもステンレスの流しはボン!と鳴りました。そして、「うるさいって言ってんだろ!」とブチギレた声が隣の部屋からこだましました。もし、こんな神経質な方が騒音大国タイに来たら三日の後にショック死して仕舞うでしょう。ぺヤングソース焼きそばステンレス流しボン!に腹を立てる隣人ほど私は音に対してうるさくはありませんがそれでも矢張り騒音には耐え切れません。タイの話に戻ります。今も隣家では大音量の音楽が鳴っています。現在、タイ人宅(友人宅)に泊めて貰っていますが、昨夜深夜三時に隣家では怒鳴り合いの夫婦喧嘩が始まり、其の所為で今日も寝不足です。時にこのような不定期なイベントがあります。毎夜三時から早朝にかけて隣家で鶏(三十羽以上)が大合唱しています。これは恒例行事です。軒を並べる民家で鶏三十羽以上飼ってるって、それは非常識この上無い。友人に何故文句を言わないかと問うと、こんな非常識な性格の人に文句を言ったら、何をされるかわかったもんじゃないと恐れて身の安全の為言わないそうです。これって苦行!?タイと日本のパブリックマインドの相違を日々感じています。※補足:念の為述べて置きますが、タイでも静かな所はあります。人里離れた民家とか、通りに面していない奥まった場所に立地する家は静かで良いです。
2006.03.08
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日本を離れ、タイに来てから百日が過ぎました。いつ日本へ帰国となるのか全く以って未定です。旅行なんだか、プチ家出なんだかよく判らなくなってる今日この頃…。最近の主な活動は、寺巡りをしたり、犬に餌をやったり、野菜を育てたり、思春期に少年から大人に変わったり…と、すっかり駄目人間な毎日です。日本へ帰ったら、社会復帰出来るのでしょうか、と不安のエブリディ。只今、病み上がりです。体調を崩し、すっかり体力が減退してしまいました。膀胱炎になってから二週間が過ぎ、漸く全快の兆しが見えて来ました。病院へ通ったけれど、良くなるどころか、悪くなるばかりでした。薬が合わなかったようです。薬を飲み続けても膀胱の痛みは和らぐ事無く、痛みが増すばかりだったので、堪らず薬を拒絶しました。すると、不思議な事に、薬の服用を止めた途端、日に日に痛みが和らぎ三日の後に、痛みがほぼ無くなりました。ナウい言葉に言い換えれば、膀胱炎からの卒業とでも言いましょうか。病院の人々は実に陽気でした。病院である緊張感は丸で無かった。看護婦さん達は患者に包帯を巻きながら雑談してるし…。肩の力の抜け具合が、ああ、タイだなぁ~と感じました。一昨年前の写真友人宅でガスが爆発し、脚を火傷した時に通院。今年は膀胱炎で再びこの病院の世話になりました。皆さん、気さくな方々でした。
2006.03.08
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2006.03.05
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2006.03.05
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2006.03.04
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2006.03.04
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ウドム・テーパニット(ノート)1968年チョンブリー生まれ。
2006.03.04
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2006.03.04
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Sandraの1stアルバム。「サンドラ」と読んでしまい勝ちですが、タイ語訛りのタイ語発音となると、「センダァー」と尻上がりに発音します。SANDRAの歌を初めて聴いたのは、マーブンクロンセンターで買い物をしていた時、Tシャツ売り場から、何やら好い感じの綺麗な歌声が聴こえて来たので、そちらに目を遣ると、ブラウン管には、VCDの映像が映し出されていた。思わず其の映像に見入ってしまった。曲名「バントゥック・シータオ」歌手名「センダァー」とタイ語書きのテロップが出ていたので、忘れない内にとCD店へ。即、このCDを買った。SANDRA MAVRO1985年8月5日生好きな食べ物は日本食だそうです。
2006.03.03
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2006.03.03
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タイで日本の映画VCDを探すと何故かホラー映画が目立つ。ホラーと云うほどホラーでない作品もジャケットデザインを無理矢理ホラーっぽくしてるのもある。映画はVCD2枚組と云うのが殆ど。従って、VCD2枚に収まらない長時間の作品はカットされてしまう。『学校の怪談』『バトル・ロワイアル』(2000年日本公開)『仄暗い水の底から』(2002年日本公開)のタイ語吹き替え版
2006.03.03
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昨年十一月下旬、タイに到着した頃からランパーンのローカルラジオ放送を好んで聴いています。其処で度々耳にする曲がありました。歌詞が日本語なのだが、日本人の発音ではない。微妙なズレがある歌でした。タイトルは「Epilogue」、歌っているのは、Golf Mikeと云うユニットでした。ほぼ毎日の様にラジオで聴いていました。どんな面構えが歌っているのやら、ずっと気になっていました。CD店に行き、店員に聞いてみました。案内されたアルバムを見ると、正にジャニーズ系そのものと云う風貌の美青年が二人並んだジャケット写真でした。其の時、この二名なら、以前テレビで見た事があったと思い出しました。率直な感想は「なんだ~、歌ってたのはジャニーズもどきだったのか…」と思った程度でした。然し、よくよく曲を聴いてみると彼等は中々の実力派なのでした。タイの若者達から聞いて段々判ったのですが、Golf Mikeは既に可也の人気を博しているとの事でした。「Epilogue」はタッキー&翼のカバー曲だと知りました。私は全然知りませんでした。2002年に発売されたタッキー&翼の「Hatachi」と云うアルバムに収録されているそうです。Golf Mikeは昨年、NEWSのコンサートにゲスト出演したとの事です。ならば、ジャニーズもどきなんかじゃなく、ジャニーズ公認!?彼等は、多くのミュージシャンを輩出しているレコード会社グラミーの養成プロジェクトG-Juniorの出身。何だかジャニーズJr.を思わせるネーミング。 「Golf Mike」は五人兄弟の三男Golfと四男Mikeの二人組。(名前がゴルフとマイクって…。タイ語発音だとゴッフ、マイッ(カタカナで表現は難しい)と珍な発音をします)★Glof 1987年2月20日生、本名:ピッチャヤ・ニィティパイサーンクゥン ★Mike 1989年12月19日生、本名:ピラット・ニィティパイサーンクゥン 好きな芸能人はGolfがジャニーズJrやNEWS、Mikeが滝沢秀明と云う事からして、彼等はジャニーズもどきなんかではなく、ジャニーズをこよなくリスペクトするジャニーズ的とでも言って遣りたいと思いました。或いは、近い将来ジャニーズそのものになってしまうかも知れない彼らの今後の活動に注目すると共に近い将来、彼らがタイを代表するスーパースターになる事を期待したい。【追記】後に、「Golf Mike」この二人が本物のジャニーズだと知りました。
2006.03.03
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2006.03.02
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2006.03.02
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2006.03.02
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China DollsHwaHwa / 娃娃(わーわー)タイ語名:Pailin Rattanasangsatian中国語名 :陳冠樺 生年月日:1979年6月12日出生地 :台北。8歳でタイへ移住 Bell / 貝兒(べる)中国語名:李小燕 タイ語名:Suphatchaya Lattisophonkul 生年月日:1981年4月17日 出生地:タイ・バンコク
2006.03.02
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▲ 1999年発売の2ndアルバム『Funny Lady』(ブッサバー・ペン)このアルバムを聴いた途端にニコルの歌に完全にハマってしまいました。 ▲ 2003年4月発売の4thアルバム『On the way』のVCD ▲ 『Another part of me』(2001年)、『BEST selected』(2002年) ■ニコル・テリオ Nicole Theriault1973年6月23日、アメリカ・カリフォルニア生まれタイとアメリカのハーフ。
2006.03.02
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ローソーに感銘を受けたのはこのアルバム『ポックデーン』(The red album)以前からローソーは知っていたが、然程感銘を受ける事がなかった。アルバムを聴いて、いい曲だなと思うものの、日本や欧米に星の数ほどこういったロックバンドは存在するし、何も驚きも感じなかった。CD店へ行き、店員にオススメのCDを訊くと、LOSOをススメられた事が何度かあった。タイの国民的人気のバンドと云われる程有名なバンドだが、其れにしては一寸弱い感じがした。『ポックデーン』(The red album)は以前のアルバムに比べ、力強さを感じた。1曲目の「Pantip」で行き成り心を鷲づかみにされた。ロックナンバーからポップな曲、バラードなど色々な曲が収められている。ギターボーカルのセックを中心に結成されたロックバンドLOSOバンド名は上流社会を表すhigh society「hi-so」の対義語として「LOSO」と名付けられた。メンバー;セック(Sek) Seksan Sukpimay(1974年8月7日生)ヤイ(Yai)Kittisak Khotkam (1973年1月22日生)ラット(Rath)Apirath Sukkhajitr (1967年9月20日生)セックはナコーンラチャシーマーで生まれる。12歳の時にバンコクへ出て親戚の宝石店やエアコンの工場などで働く。節倹し安価のギターを購入し、17歳の時に本格的にバンド活動を始め、タイのロック、ポップス、ニルヴァーナ、ストーンズ、ジミ・ヘンドリックスなどのカバー曲を演奏する。後、セックは2,3年の間に10曲を作詞作曲しドラムのヤイとベースのラットと共に一夜で録音し、デモテープを作った。そのテープをAsanee-WasanのAsanee Chotikul に送った。それがきっかけで、1996年にファーストアルバムとして『Lo Society』がリリースされた。以後、2001年までに8枚のアルバムをリリース。全てのアルバムが大ヒットし国民的バンドとなった。2001年のアルバムリリース以降、メンバー其々のソロ活動に入った。KittisakとApirathは新しいバンドFahrenheitを編成。2003年にセックは Sek Losoとしてソロデビューアルバムをリリース。2004年には国民的スターbird(トンチャイ・メックイーンタイ)と組みアルバムをリリースした。其の後、セックはロンドンに渡り、ESOLスクールで6ヶ月間集中的に英語を学ぶ。英語で歌を書き始め、ドラマーに Eric Lavansch (Eric Loso) 、ベーシストに Anthony Wilson (“Eddie Loso”) を迎え“新生ローソー”の活動を開始した。DiscographyLoso1996年 Lo Society 1996年 Lo Society Bonus Tracks 1997年 Redbike Story (movie soundtrack) 1998年 Entertainment 1999年 Best of Loso 2000年 Rock & Roll 2001年 Losoland 2001年 The Red Album 2001年 Best of Loso (Karaoke VCD) 2001年 Loso Concert For Friends (VCD ) Sek Loso2003年 7 August 2004年 Bird Sek with Bird McIntyre 2004年 Bird Sek Live Concert (VCD & DVD ) with Bird McIntyre Live performance at the Impact Arena, Bangkok with Bird McIntyre & Palmy 2005年 Tiger (A CD single, in English)
2006.03.01
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