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家に届くエアメール(航空郵便)の数が年々減っている。エアメールが減った分、Eメールの数が増えています。エアメールからEメールへと変化。時代の流れを感じます。タイ、アジア、そして、世界各国にインターネットが普及していると実感します。 戴いたエアメールを数えたら五百通を超えていました。七割以上がタイからの手紙です。他、バングラデシュ、ネパール、ミャンマー、フィリピン、スリランカ…等、旅先で知り合った人々から、沢山の手紙を戴いています。 当初、外国人と手紙を交換するなんて事は全く考えていませんでした。旅先で写真を撮り、帰国後、世話になった人々に写真を送りました。すると、お礼の手紙がわんさと届き、其れに対して返事を書き、其れを繰り返して行くと、いつの間にやら文通になっていました。 投函したエアメールが届いていない。と云う事が過去に何度もありました。噂によると、タイには質の悪い切手コレクターいて、奴等が珍しい海外の切手を狙っているのだとそうです。エアメールを盗み、切手を失敬すると云うのだ。何の証拠も無いので、切手コレクターにやられたかどうかは定かではありません。他にもエアメールに紙幣を入れて送っている人も多いらしく、其れを狙って泥棒するだとか、色々な噂があります。真相は判りません。切手盗難対策として珍しい切手を貼らない方が良いと言われています。切手を貼らずシールやスタンプにして貰うのも良いだろう。でも、これがどれほどの効き目があるのかは判らない。 以前、ミャンマー旅行中に、タイ人の友人へエアメールを送った事がありました。其の後、友人に、ちゃんと届いているか尋ねると、「届いているけど、切手が破られて無くなっているよ」と言うのでした。やっぱり切手を狙っている奴がいるのだと実感しました。投函したけれど何処かに消えてしまったエアメールは今迄に十通程。五百通の内十通…多いのか少ないのか…。旅に出れば出る程、出会いが多くなります。各地で様々な人々に世話になりました。私の旅はいつも行き当たりばったり。いつ何処で誰と出会うのか、其れが私の旅の醍醐味になっています。良い思い出もあれば、悪い思い出も有ります。悪い思い出が有るからこそ、良い思い出、良い関係を大切にしたいと思っています。各地で出会った人々の事を今でもふと思い出す事があります。 ↑ バングラデシュでは…家庭教師をしている大学生と知り合いました。彼は英語が達者でとても解り易い英語を話してくれました。連日遊びに連れて行って呉れました。ベンガル語も教えて貰いました。今じゃ、すっかり忘れてしまいましたが…。 ↑ ミャンマーでは…沢山の人々には大変世話になりました。とても思い出の深い国です。先日ミャンマーからエアメールが届きました。貼付された切手は60チャット(写真右)。以前は30チャットでした(写真左)。値上げしたのだろうか?それにしても、エアメールの料金が30チャットって!?日本円で4円くらい?このエアメール料金絶対におかしい! ↑ ネパールでは…「何処か美味しい食堂を知りませんか?」と云うネパール語会話本に書かれたフレーズを使い、暇そうにしていた青年に尋ねました。彼は親切に案内してくれました。其れが切っ掛けで色々話し、友達になりました。翌日、家に招かれ御馳走を戴きました。家庭料理は何処の食堂より美味かった。 ↑ フィリピンでは…泊まったホテルの従業員と知り合いました。其の青年はすごく親切でしたが、体臭が物凄かった。いい人なんだけど臭いました。別嬪さんの彼女がいて羨ましく思いました。(彼女は彼の体臭が気にならないのだろうか?)後日、教会へ連れて行って呉れました。何故か美少年がいっぱいいました。皆さんゲイらしいです。 ↑ スリランカでは…日本に住んでいたと云う人に出会いました。日本語が達者でした。家庭料理を御馳走して呉れました。矢張り、家庭料理は美味いと思いました。 ↑ ベトナムでは…沢山の人々に話し掛けられました。気さくな国民性です。頼んでもいないのにベトナム語を教えて呉れる人もいました。ベトナムから日本へエアメール料金は10000ドン程。ベトナム人の友人達の朝食は2000~3000ドンくらいのフォーを食べている。エアメール代が朝食代の約3~5倍と考えると、ベトナムのエアメール料金は法外とも思えてしまう。色々な国の言葉を覚えました。でも、どれも中途半端です。流暢に話せる外国語は丸で無しです。たどたどしい言葉遣いが却って良かったとも思えます。少ないボキャブラリーを駆使して行うコミュニケーションも中々エキサイティングであります。タイ人から戴く手紙によって、タイ語の読み書きは鍛えられました。タイ語の本を用いてコツコツと勉強するとなると退屈でしんどいものですが、手紙となるとだいぶ楽にタイ語が覚えられた気がします。Eメールは便利で良い。でも、少し味気無さを感じています。手紙に綴られた手書きの文字は実に味があって好いです。でも、この手書きの文字には幾度も悩まされました。達筆すぎて読みづらいと云う事が幾度もありました。文字が読み取れないと辞書で調べるのに不都合になります。其れを考えるとEメールは読むのにも書くのにも都合が好いです。何はともあれ、行き当たりばったりの旅で、色々な国の人々と出会い交流を持てた事を幸運に思います。また、沢山のエアメールにより言語への興味も深まりました。→ ☆ → ☆ ブログランキング登録中。ナイス!と思った方、ワンクリック、お願いします
2007.05.23
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2007年1月14日。タイ北部・ランパーン県にあるお寺《ワット・コ・ワルカラーム》で「ルオン・プゥー・ブンチュプ」と云う高名なお坊さんの葬儀が行われました。「ルオン・プゥー・ブンチュプ」は2004年(タイ仏暦2547年)3月31日、91歳で大往生を遂げました。平均寿命が69歳と云われるタイで91歳まで生きられたと云うのは真に素晴らしい。2004年にこの世を去り、2007年に火葬と云うのは何とも腑に落ちない。聞いた話では、高名なお坊さんなどが亡くなった場合は直ぐに火葬せず、当分安置すると言うのでした。其の話を聞いた時、ふと二年前の事を思い出した。そう云えば、このお寺で、以前木乃伊(ミイラ)を見せて戴いた事があった。2005年の5月12日の事でした。このお寺でお坊さんと話をしました。(と云うか、一方的に話し掛けられた感じでしたが…。)其のお坊さんは「このお寺にいた高名な僧侶の亡骸が此処に安置されている。普段は人に見せないのだが、外国から態々来てくれたと云う事で特別だ」と言い、私が懇願した訳でもないのに、其の木乃伊(ミイラ)を見せてくれました。「ルオン・プゥー・ブンチュプ」の亡骸。木乃伊として安置されていました。(2005年5月12日撮影)木乃伊(ミイラ)として永久保存されるのかと思ったら、いずれ火葬すると言うのでした。時は過ぎ、2007年 1月。愈々、木乃伊(ミイラ)として保管されていた「ルオン・プゥー・ブンチュプ」の火葬が行われる為の準備が始まりました。満を持しての火葬と相成ったようです。象の鼻と牙を持つ空想上の動物で空を飛ぶ“鳥”だそうです。この背中に木乃伊(ミイラ)は安置されました。何と、此処で火葬が行われるとの事でした。高さ6、7メートル。紅色の棺に木乃伊が安置されています。肖像画に装飾が施されて行きました。地元の新聞。葬儀の日程が広告されていました。「ルオン・プゥー・ブンチュプ」は幼少の頃に仏門に入り、精進し生涯を全うした高名なお坊さんと云う事ですが…。詳しくは知りません。ワットコワルカラームのHPに詳しく経歴などが紹介されています。タイ語を読解出来る方は是非ご覧下さい。http://www.watkoh.com/data/ven_chub.htm沢山の椅子が並べられました。準備が着々と進みました。こちらは実物大の蝋人形。そして、2007年1月14日。火葬が行われる日。 徳の多いお坊さんに肖りたいと沢山の人々が参列しました。 日中、お寺には沢山の屋台が出ていて、飲食物が無料で提供されていました。食べ放題でした。友人達とテーブルを囲み、鱈腹戴きました。実に寛いだ雰囲気でした。しめやかに執り行われる葬儀とは異なり、実にリラックスした賑やかな雰囲気でした。夕方になると、伝統舞踊の披露があり、踊り子のオカマさんが大活躍。しなやかに踊っていました。そして、火葬の儀式が始まりました。先ずは、勢いよく花火が上がりました。そして、棺に点火。炎は瞬く間に燃え上がりました。燃え~!ファイヤ~!瞬く間に、崩れ落ちました。安全を考慮し、左右に消防車が常備されていました。何とも豪快な火葬…。電流爆破何とかデスマッチではありません…。『巨人の星』の星飛馬もビックリ。背後に炎が燃え立っております。献花が配られました。高名なお坊さんに肖りたいと手を伸ばす人々。 無事火葬が終わった…と思ったら、何か様子がおかしい。お坊さんや火葬を担当した人々が何やら相談している。何と、肝心の木乃伊の骨が燃えきっていないと言うのでした。これでは遺骨が収拾出来ない。焼き直そうと相談する声が…。しかし、無事火葬を見届けたと思い、大半の参列者が帰ってしまい、其処に残っていたのは僅かな参列者のみ。其れでも、しっかり火葬しない訳には行かないとなり、焼き直しを開始したのだった。消防車で放水したので、水浸し。焼き直すのも一苦労の様子。何とか、点火し、火葬は終了。何故、こんな事になったのか?こんな盛大な葬儀は一生に一度見れるかどうかの一大事。誰もが経験していない盛大な火葬。謂わば、皆、ぶっつけ本番なのです。放水して安全は保たれたが、亡骸が燃えきらなかったと云うのは誤算だったのだろう。何はともあれ、無事火葬は終了し、高名なお坊さんは荼毘に付されました。☆ ☆
2007.05.07
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“宝石のような目をした猫”に出会いました。タイ北部プレー県にある「ワットプラタートポーンスゥナン」と云うお寺に其の猫がいました。左目は至って普通だが右目だけが宝石のような不思議な色をしていました。珍しいと云う理由だけで、寺で重宝されているようでした。昨年の12月9日。ランパーン在住の友人(タイ人)に、プレーへ連れて行って貰いました。プレーはランパーンの隣の県。友人の車に乗せて貰い、走る事、104キロ。プレーへ入るとお寺を中心に巡って行きました。其の中でも最も印象的だったのが「ワットプラタートポンスゥナン」と云うお寺。巨大な涅槃仏像がありました。改装されたばかりで、綺麗に整備されたお寺でした。其処には人っ子一人見当たりませんでした。すると、我々に気付いたお坊さんが出て来ました。“宝石のような目をした珍しい猫がいる”と言うのでした。猫を見せて貰うと、確かに其の目は宝石のように輝いていました。しかし、其の猫が酷く人見知りをして、我々が半径2メートル以内に近寄ると逸散に逃げてしまうのでした。デジカメで撮影すると、角度によっては“宝石の目”が全く輝かないので、輝きのある目を捉えるのに苦戦しました。酷く人見知りする猫も飼い主のお坊さんにだけは懐いていて、其のお坊さんが呼べば直ぐにお坊さんの元に遣って来ました。 撮影に苦戦する私を見兼ねてか、お坊さんが猫を抱きかかえて近くで見せて呉れました。しかし、私や友人が近寄ると、逃げてしまいます。完全に嫌がっています。撮影する角度が悪いと目が輝きません。撮影距離2メートル。これ以上近付くと逃げてしまいます。
2007.05.03
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