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ももきね 美濃(みの)の國の 高北(たかきた)の 八十一隣(くくり)の宮に 日向尒 行靡闕イ ありと聞きて わが行く道の 奥十山(おきそやま) 美濃の山 靡けと 人は踏めども 斯く寄れと 人は衝(つ)けども 心無き山の 奥十山 美濃の山(― 美濃の国の高北の八十一隣の宮に…があると聞いて、私が通っていく道にある奥十山、美濃の山よ。もっと低くなれと人人は踏むけれどこう寄れと人は突くけれど、さっぱり応じない、心無い奥十山、美濃の山よ)少女(おとめ)等(ら)が 麻笥(まけ)に垂(た)れたる 績麻(うみを)なす 長門(ながと)の浦に 朝なぎに 満ち來る潮の 夕なぎに 寄せ來る波の その潮の いやますますに その波に いやしくしくに 吾妹子(わぎもこ)に 戀ひつつ來れば 阿胡(あご)の海の 荒磯(ありそ)の上に 濱菜つむ 海人少女(あまをとめ)ども 纓(うな)がせる 領巾(ひれ)も照るがに 手に巻ける 玉もゆららに 白栲(しろたへ)の 袖振る見えつ 相思ふらしも(― 少女らが麻笥に垂らしている績麻のように長い、長門の浦に、朝凪に満ちくる潮、夕凪に寄せてくる波、その潮のようにいよいよますます、その波のようにいよいよしきりに、吾妹子を恋しく思いつつやって来ると、阿胡の海の荒磯のあたりで浜菜を摘む海人の少女らが首にかけている領巾も照る程に、手に巻いた玉を鳴らして、白栲の袖を振るのが見えた、思う人がいるらしい)阿胡の海の 荒磯(ありそ)の上の さざれ波 わが戀ふらくは 止(や)む時もなし(― 阿胡の海の荒磯のほとりのさざ波が止むときもないように、私の恋は止むときがない)天橋(あまはし)も 長くもがも 高山も 高くもがも 月讀(つくよみ)の 持てる變若水(をちみず)い取り來て 君に奉(まつ)りて 變若(をち)得(え)しむ(― 天に昇る梯子も長くあって欲しい、高山も高く有ってもらいたい。月の神の持っている若返りの水を取って来て、わが君に奉って若がらせようものを)天(あめ)なるや 月日の如く わが思へる君が 日にけに 老ゆらく惜しも(― 天にある日月のように私の思っている君が日増しに老いていかれるのが残念であるよ)渟名川(ぬなかは)の 底なる玉 求めて 得し玉かも 拾(ひり)ひて 得し玉かも 惜(あたら)しき 君が 老ゆらく惜しも(― ぬな川の底にある立派な玉。私がやっと探し求めて手に入れた玉。やっと拾って手に入れた玉。やっと見つけて拾った玉。この素晴らしいあなたが年を取っていかれるのが本当に惜しい)磯城島(しきしま)の 日本(やまと)の國に 人多(さは)に 満ちてあれども 藤波の 思ひ纏(まと)はり 若草の 思ひつきにし 君が目に 戀ひや明(あ)かさむ 長きこの夜を(― 大和の国に人は多く満ちているけれども、私の心が纏わりつき離れない、美しいあなたの目を恋しく思って、この長い夜を明かすことでしょうか)磯城島(しきしま)の 日本(やまと)の國に 人二人 ありとし思はば 何か嘆かむ(― この大和の国の中に私の恋しい人が二人あるのだったら、どうして嘆いたりいたしましょうか)蜻蛉島(あきつしま) 日本(やまと)の國は 神(かむ)からと 言擧(あげ)せぬ國 然れども われは言擧す 天地(あめつち)の 神もはなはだ わが思ふ 心知らずや 行く影の 月も經行(へゆ)けば 玉かぎる 目もかさなり 思へかも 胸安からぬ 戀ふれかも 心の痛き 末つひに 君に逢はずは わが命の 生(い)けらむ極(きはみ) 戀ひつつも われは渡らむ 眞澄鏡(まそかがみ) 正目(まさめ)に君を 相見ばこそ わが戀止まめ(― 大和の国は領する神の性格として、言葉に出して言い立てない国である。しかし私はあえてはっきり言おう。天地の神も全く私の心を知らないのだろうか。月が経っていき、日も重なり、君を思う故か胸は安からず、君を恋うる故か心が痛む。もし将来ついにあなたに会えないならば、生命の続く限り恋い焦がれながらも私は長らえていこう。直接お目にかかったならば私の恋は止むであろうが)大船の 思ひたのめる 君ゆゑに 盡す心は 惜しけくもなし(― 大船のように頼みにしているあなた故に、さまざま心を尽くすのは、何の惜しいこともありません)ひさかたの 都を置きて 草枕 旅ゆく君を 何時とか待たむ(― この立派な都をおいて旅に出るあなたを、お帰りは何時と思ってお待ちしたらよいでしょう)葦原の 瑞穂(みずほ)の國は 神(かむ)ながら 言擧(ことあげ)せぬ國 然れども、言擧ぞわがする 事幸(ことさき)く 眞幸(まさき)く坐(ま)せと 恙(つつみ)なく 幸(さき)く坐(いま)さば 荒磯波(ありそなみ) ありても見むと 百重波 千重波しきに 言擧(ことあげ)すわれ 言擧すわれ(― 葦原の瑞穂の国は、支配なさる神の御性格として、言挙げをしない国である、しかし私は敢えて言挙げをする、お幸せでご無事でと。もし、お障りなくご無事であれば後にもお目にかかりたいものですと。百重波、千重波、が寄せてくるように、私は重ねて言挙げ致します、言擧げを致します)磯城島(しきしま)の 日本(やまと)の國は 言靈(ことたま)の 幸(さき)はふ國ぞ ま幸(さき)くありこそ(― 日本という国は言霊が幸いをもたらす国です、私のこの言葉でご無事で行ってきて下さい) 古(いにしへ)ゆ 言ひ續(つ)ぎ來(く)らく 戀すれば 安からぬものと 玉の緒の 繼(つ)ぎてはいへど 少女(をとめ)らが 心を知らに 其(そ)を知らむ 縁(よし)の無ければ夏麻(なつそ)引(ひ)く 命かたまけ 刈薦(かりこも)の 心もしにに 人知れず もとなそ戀ふる 息(いき)の緒にして(― 昔から恋をすれば苦しいものと言継できているが、全くその通りで、少女の気持ちが分からず、それを知る手掛かりもないので、命を傾け、乱れて心もひと向きに人知れず、留めるよしもない恋をすることです、命を懸けて)しくしくに 思はず人は あるらめど しましもわれは 忘らえぬかも(― あの人はあんまり私を思ってくれないようだが、私の方はしばらくも忘れることができないでいるよ)直(ただ)に來ず 此(こ)ゆ巨勢道(こせぢ)から 石橋(いははし)踏(ふ)み なづみぞわが來(こ)し 戀ひて爲方(すべ)なみ(― 直接行かずに、此処から巨勢道を通って、石橋を踏み、難渋して私は来た。恋しくて仕方がないので)あらたまの 年は來(き)去(ゆ)きて 玉梓(たまづさ)の 使の來(こ)ねば 霞立つ 長き春日を天地(あめつち)に 思ひ足らはし たらちねの 母が飼(か)う蠶(こ)の 繭隠(まよこも)り息衝きわたり わが戀ふる 心のうちを 人に言う ものにしあらねば 松が根の 待つこと遠く 天傳(あまつた)ふ 日(ひ)の闇(く)れぬれば 白木綿(しろたへ)の わが衣手(ころもで)も 通(とほ)りて濡れぬ(― 年は来て去っても君の使いは見えないので、霞が立つ長い春の日を天地に満ちる恋の思いを、母の飼う蚕が繭に隠れていぶせく苦しいように、いぶせくて苦しく嘆き暮らし、恋する自分の胸の中は人に語るべきものではないから、一人待つ事久しい折柄、大空を渡る日も暮れてしまったので、白栲の衣の袖も濡れ通ったことである)斯(か)くのみし 相思はざらば 天雲(あまくも)の 外(よそ)にそ君は あるべくありける(― こんなに思ってくださらないなら、あなたは、大空を行く雲が我々に無縁であるように、始めから私とは無縁であるべきでした)小治田(をはりだ)の 年魚道(あゆぢ)の水を 間無(まな)くそ 人は汲(く)むとふ 時じくそ 人は飲むとふ 汲む人の 間無きが如 吾妹子(わぎもこ)に わが戀ふらくは 止む時もなし(― 小治田の年魚に行く道の水を、絶えることなく人は汲むと言う、時を定めず人は飲むと言う。汲む人の絶え間のないように、飲む人の時を定めないように、妹に対する私の恋は止むときがない)思ひやる 爲方(すべ)のたづきも 今はなし 君に逢はずて 年の經(へ)ぬれば(― 何とも胸の思いを慰める慰めようも今はありません、あなたに逢わずに年が経ちましたから) この君は妹の方が適切であろう。みづかきの 久しき時ゆ 戀すれば わが帯緩(ゆる)む 朝夕(あさよひ)ごとに(― ずっと以前から恋しているので、私は痩せて帯がゆるむ、朝に夕に)隠口(こもりく)の 泊瀬(たつせ)の川の 上(かみ)つ瀬に 齋杭(いくひ)を打ち 下つ瀬に 眞杭(まくひ)を打ち 齋杭には 鏡を縣け 眞杭には 眞玉を縣け 眞玉なす わが思ふ妹(いも)も 鏡なす わが思うふ妹も ありと言はばこそ 國にも 家にも行かめ 誰(た)がゆゑ行かむ(― 泊瀬川の上の瀬には齋杭を打ち、下の瀬には真杭を打ち、齋杭には鏡を掛け、真杭には真玉を掛けてお祭りするが、その真玉のように大切に思う妹が生きているというのならばこそ、私は国へも家にも帰ろうが、さもなくて、誰故に帰ろう、帰りはしないのだ) この歌は古事記を参照すれば、木梨輕太子(きなしのかるのみこ)が逝去される際に作られた御歌であろうと言う。年わたるまでにも 人は有りといふを 何時の間(ま)にそも わが戀ひにける(― 年を経るまでも人はそのまま辛抱していると言うのに、この間違ったばかりの私がいつの間にこんなに恋しく思うようになったのだろう)世間(よのなか)を 倦(う)しと思ひて 家出(いへで)せし われや何にか 還りて成らむ(― 世間を厭って出家した私は還俗して何になろうか、何にもなるものではない)春されば 花咲きををり 秋づけば 丹(に)の穂(ほ)にもみつ 味酒(うまさけ)を 神名火山(かむなびやま)の 帯にせる 明日香(あすか)の川の 速(はや)き瀬に 生(お)ふる玉藻のうち靡き 情(こころ)は寄りて 朝露の 消(け)なば消(け)ぬべく 戀ふらくも しるくも逢へる 隠妻(こもりづま)かも(― 春になると花がいっぱいに咲き茂り、秋になると真っ赤に色づく神名火山が帯と巡らしている明日香川の早瀬に生えている玉藻のように、うちなびいている心はあなたに寄り、朝露のように消えるならば消えていいと、命をかけて恋していた、そのかいあって今こうして会うことの出来た隠し妻よ)明日香川 瀬々の珠藻の うち靡き 情(こころ)は妹に 寄りにけるかも(― 明日香川の瀬々の珠藻のなびくように、私の心は今妹にすっかり靡き寄ってしまったことである)三諸(みもろ)の 神名火山ゆ との曇(くも)り 雨は降る來(き)ぬ 雨霧(あめき)らひ 風さへ吹きぬ 大口の 眞神(まかみ)の原ゆ 偲(しの)ひつつ 歸りにし人 家に到りきや(― 三諸の神名火山から一面に曇って、雨は降って来た。雨は霧のように降って風までも吹いてきた。真神の原を通って、私を思いながら帰っていったあの人は、家に着いたかしら)歸りにし 人を思うふと ぬばたまの 其の夜はわれも 眠(い)も寝(ね)かねてき(― 帰っていった人を思うとて、その夜は私も眠れませんでした)さし焼(や)かむ 小屋(をや)の醜屋(しこや)に かき棄(う)てむ 破薦(やれこも)を敷きてうち折れむ 醜(しこ)の醜手(しこて)を さし交(か)へて 寝(ぬ)らむ君ゆゑ あかねさす 晝はしみらに ぬばたまの 夜(よる)はすがらに この床(とこ)の ひしと鳴るまで 嘆きつるかな(― 火をつけて焼きたい、憎らしいボロ小屋に、破り捨てたい破れゴモを敷いて、折れちまえばいいごつい手をさし交わして、今頃女と寝ているお前さんだのに、私は昼は一日、夜は一晩中、この床がミシミシ言うほどに嘆いていることだ)わが情(こころ) 焼くもわれなり 愛(は)しきやし 君に戀ふるも わが心から(― 自分の胸を焦がすのも私だし、あああああ、お前さんへの恋に苦しんでいるのも私の心によるものなのだ)
2024年08月30日
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第百一聯、ああ、なんて怠惰な女神なのか、真実の心に加えて完璧な肉体の美を備えた私の心から敬愛する青年をなおざりにして、忘れたような振りをしてきたこの罪を、一体どのようにして償うつもりなのだろうか。真実も、美も、わが愛する者を頼りにしている。お前もそうだ、詩の女神よ、彼あってこそ威厳も備わるのだ、答えてみろ、詩の女神よ。思うに、多分お前はこう答えるのではあるまいか、真実には本来の色褪せぬ色彩があるから、絵の具などは必要ない、ましてや美は、美の真実を描き添える絵筆などはいらぬ。最上の物は何も交えぬから最上の物なのだ、と。彼には称賛の言葉など要らないから口を噤むというのか。しかし、そんな沈黙の言い訳などはよしてくれ、聞きたくもない、ミューズよ、お前には金箔の墓などよりもずっと彼を長生きさせて、やがてやって来る世々の称賛の的にするだけの力があるのだもの、だから詩の女神よ、汝の勤めを果たせ、やり方なら私が教えもしようよ、後の世までも、彼の今の輝かしい凛々しい容姿と内面の充実とを伝え、保たせてやってくれないか。 詩人は詩の女神に命令している、彼は霊感を期待してなどいない、天才の中に縦横無尽の詩才は充溢し切っている、彼の内面から爆発してエネルギーは有り余っている。それに然るべき秩序さえ与えてやれば済むはなし、対象は言葉を超越して存在して、既に描写しつくしてしまっている。詩人が召使たる女神を頤使しているので、その逆ではないのだ。これも歴史上で例を見ない逆転現象と、此処で私ははっきりと言明しておこう。こうなると、現し身の彼は既に問題ではなくなってしまう、と再度私は断定しようか。してみると、詩人が信奉する美人たる青年の存在すら疑わしい。現実の彼は青年貴族で周囲の羨望と称賛とを一身に集めていたにしても、詩人が描いて見せたような理想の存在ではなかった。現実と理想の間には雲泥の差どころか、相関関係は無いに等しいだろう。詩とは本来の成り立ちからしてそう言う性質のものだ。モデルは飽くまでもモデルであって、理想化され美化されたそれとは似ても似つかない。それでいいのでしょう。 第百二聯、君よ君、私の君への愛は弱まったように見えるかもしれないが、実は、強くなっているのだよ、以前ほどには外に現れ出ないのだが、決して愛が減ったわけではないのだよ。宝の持ち主がこれは世にも稀な高価な物なのだ、などと世間に喋りちらし吹聴するならば、そう言う愛ならば要するに売り物も同然だ、我々二人の愛が新しい頃は、謂わば春の季節の中にいたわけで、私もよく歌を歌ってはこれを讚えはした、ちょうどナイチンゲールが夏の初めに囀るけれど季節が深まれば歌いやめるようなものだ。あの愁いを帯びた歌が夜をひっそりと静めていた頃に比べて、今時分の夏が美しくないというのじゃあない、ただ、今はどの枝にも姦しいだけの音楽が溢れているし、楽しみはいつでも手に入るなら、貴重な喜びではなくなる。私が時折、ナイチンゲールよろしく黙り込むのも、君を歌でうんざりさせたくないからなのだよ、他のヘボ詩人がやたらとがなり立てる愚は犯したくないだよ。 第百三聯、ああ、何たることか、わが麗しの詩の女神は何と貧弱なものを産むのか、己の栄光を示すこんな絶好の機会を手にしながらも、私が下手な称賛の言葉を付け加えるよりも、裸の題材の方がずっとましだなんて。ああ、君、君、ああ、これしか書けないからと言って私を不当に責めないでくれたまえ、もう一度、鏡を覗いてみたまえ、そこに現れている顔は私の粗雑な着想などよりも遥かに優れている、それは私の詩の生気を失わせ、私に恥をかかせるのだ。自分では改良するつもりでいながら、前には良かったものを駄目にしてしまう。これは罪悪ではなかろうか…、何故ならば、私の詩は君の優美と有り余る才能を語り、伝えるより他は何も当てがないのだからね。それに、君が鏡を覗き込めば、私の詩に収まるよりも、ずっと多くのものが見えるのだもの、何を弁解する必要があろうか。君、君、君。ああ、君よ。 第百四聯、美しい友よ、君よ、君、私にとっては君は永遠に年老いることなどはない、ああ、初めて君の魅惑の目を見つめた時の、あの眩しく神々しい姿と、今の美しさとは、ちっとも変わっていないと思う、決して錯覚などではない、三度の寒い冬が、森の木々から、三度の夏の華やかな緑の装いを邪険に振り落とした。三度の美しい春が、黄色の秋に遷るのを季節の移ろいの中で私は目撃してきた。三度の四月の香りが三度の暑い六月の中でくすぶり燃えた。君は今も新緑鮮やかなフレッシュさを見せているが、あの匂い立つ芳しい絵姿を最初に見てから、確実にこれだけの年月が経過しているんだ。ああ、君よ、だが、美は時計の針のようなものだから、いつしか文字盤の上を推移するけれども、その足取りは誰にも見えない、だから君の美しい輝く姿も私には何時までも現状を保持していると見えても、実は動いていて、この私の眼が欺かれているのかも知れない。私はそれを恐れる故に、まだ生まれない時代に今から告げておこう、お前達が生まれる前に、真の美の夏、最盛期は終わったのだ、と。 第百五聯では、ああ、君よ、私の愛の言葉も、賛美の言葉も等しく、どれもこれも、ただ一人の人に向けて、一人について、いつでも同じ調子で歌い続ける、が、だからと言って、この愛を在り来りな偶像崇拝などと安っぽく呼んでくれるな、また、私の愛する対象を平凡な偶像などに見立ててくれるな。我が愛する者は、今日も優しく、明日も優しい、人に勝る見事な資質は常に変わることがない。それゆえに、私の詩も変わるわけにはいかないから、一つことを述べ続けて、多様な変化には見向きもしない。「 美しく、優しく、真実の 」がわが主題の全てであり、「 美しく、優しく、真実の 」を別の言葉に変えて用いる。私の着想はこの変化を考えるのに使い果たされる、三つの主題が一体となれば、実に多様で深遠な世界がおのずから開かれるから。美しく、優しく、真実の、は別々にならずに、随分生きていた。だが、この三つが一人の人間に宿ったことは、かつてないのだ。 第百六聯、虚しく過ぎ去った昔の年代記の中で、こよなく美しい人たちが描かれているのを読み、今は亡き貴婦人や、美貌の騎士達を称える古い歌が、美しい人たちの故に美しくなったのを見ると、古人の筆が、優しい美の所有する最善のものを、詰まり、手や、足や、唇や、眼や、眉を数え上げたのは、まさに、今、君が所有している類の美を書き表したかったからだ、ということが理解できる、だから彼等の称賛はことごとく、私たちの時代を予言したものに過ぎない。すべては君をあらかじめ予想して示している。ただ、彼等は想像の眼で未来を見たにしか過ぎないから、君の真価を歌い上げるに足る知識と技術がなかった。所が今、現代の日々を見ている私達は称嘆する眼はあっても、称賛する舌を失っている。 第百七聯、この私自身の気遣いも、又、先行きを占ってあれこれと思い廻らす、広い世間の予感とやらも、たとえ、限りある定めを免れ難いと思っても、わが誠の愛の期限を決めることは出来ない。今は、現身(うつしみ)の月が月食から蘇り給い、気難しい占い師等は己の予言を笑っている、かつて不安に慄き揺れ動いた時代が、今では、どっしりと安定して王座におさまり、平和が永久(とわ)なるオリーブの繁茂を告げているのだ。この、快い芳香を周囲に惜しげもなく放つ時代の滴(しずく)を受けて、わが愛は以前の生気を取り戻した。死神さえ私には屈服する、たとえ彼が物言うすべを知らぬ愚かな大衆の上に君臨しても、私は敢然と彼に反逆して、この拙い詩の中に生きるのだよ、君、君、ああ、君、たとえ暴君の紋章や真鍮の墓標が滅んでも、君は私の詩の中におのが栄えある記念碑を見出し、永遠久遠に輝き、生き続ける、光を放ち、この世を明るく住みよい場所として示し、導くのだ、君、君、ああ、君、私はそれで本望なのだよ。 第百八聯、わが真心の有り様は余さずに描いて見せたのだ、この上にインクで書き記す何が残っているだろうか、この頭に。わが愛を、又、君と言う大切な人を表し示すのに、何の目新しい事が語れようか、今さら何を書き得よう、何もありはしないのだ、愛する者よ、君よ。私は神に祈るように日毎、一つことを繰り返すほかはない、言い古るした言葉を古いとも思わずに、汝(なれ)は我がもの、我は汝(な)のもの、と、丁度最初に君の麗しい名を崇めた時のように。こうして、永遠の愛は愛の青春の姿を保ち続けて、老い萎び、朽ちることなど気にもかけずに、いずれは必ず顔に刻まれる醜い皺など心にもかけず、むしろ、老年を自分の童僕に仕立て上げて何時までも奉仕させる。時を経て外側が変わり、愛も死んだと見えるその姿に、最初の愛の心が生まれ、育ったのを知るからだ、内実は少しも変化等はしていなし、むしろ充実し、成熟し、見事な大輪の花を開かせてさえいる、心、魂、精神は。 第百九聯、君としばらく離れていたせいで、私の胸の焔が弱まったように見えたとしても、私が不実な人間などとは言って欲しくない、君だって幾らなんでもそんな悪態はつかないだろうがね、君の中にいる清浄極まりないわが魂と別れるのは、私がこの自分と別れるくらいに無理なことだ、君の素晴らしい無垢な胸こそ私の愛の終の棲家だ、たとえ夢遊病者よろしく彷徨いでたとしても、旅に出た男のように私は当然にまた戻ってくる。時間通りに、時を経ても心変わりなどせずに、詰まり、わが罪を清める涙の水を携えて帰るのだよ、君、私は断じて君を陰で裏切る事などは夢寐にも考えない、出来ないことだ。仮にあらゆる気質の人を悩ませる、あらゆる弱点が私を支配しようとも無に等しい物のために、君の美徳をそっくり捨てるほどにひどく堕ちたなどとは思ってくれるな。わが麗しの芳しい薔薇よ、君がいなければ私はこの広い世界を無と呼ぶ。この世では君こそが私の全てなのだよ。 詰まり詩人にとって自分自身こそが全部なのだ、理想の自己、うぬぼれ鏡に映った理想の好男子こそが、青年貴族たる絶世の美人なのだ、そして私、古屋は天才詩人の驥尾に付して天空を駆け巡る羽衣の如き魔法の衣装を纏って実生活では決して経験できない夢の擬似体験をすることが出来るのだった。実に有り難いことでありまする。 第百十聯、成程、確かに私はあちこちに顔を出して、ダンダラ染めの道化を演じ、我が身を人目に晒し、自分の心を痛めつけ、こよなく貴重なものを安値で売り、新しい愛を求めては、いつも裏切りを繰り返した。真実に対してはそ知らぬ顔をして、よそ目に見て置いたのも、真実、その通りには違いない。でも、天に誓って言っておこう、この流し目は私の心に青春を蘇らせたし、悪い付き合いが、君こそは最上の愛人だと教えてくれた。それももう全部終わったのだから、この終わりなき愛を受け入れてくれ。古い友人の値打ちを確かめようとて、新しいのを試してはわが愛欲を掻き立てる真似は、もうやめにする。愛については君が神だ、君のほかに我が神はない、君は天国に次ぐ、わが最愛のもの。その清らかな、いとも、いとも、清らかで優しい優しい胸に私を受け入れてくれ。
2024年08月28日
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問答体の歌数種玉の緒の うつし心(こころ)や 八十楫(やそか)懸(か)け 漕ぎ出む船に おくれて居(を)らむ(― 舟よそいして漕ぎでる舟がら後に残されて、正気でいることができるでしょうか)八十楫(やそか)懸(か)け 島隠(しまがく)りなば 吾妹子(わぎもこ)が 留(とま)れと振らむ 袖見えじかも(― 多くの櫓を備えて漕ぎでた船が、島隠れたならば、吾妹子が留(とま)れと振る袖が見えないだろうか)十月(かんなづき) 時雨(しぐれ)の雨に 濡れつつか 君が行くらむ 宿か借(か)るらむ(― 十月の時雨に濡れながら今頃わが君は旅をしておいでだろうか、宿を借りておいでだろうか)十月 雨間(あまま)もおかず 降りにせば いづれの里の 宿か借らまし(― 十月の雨が止むまもなく降ったなら、どこの宿を借りようか)白栲(しろたへ)の 袖の別れを 難(かた)みして 荒津の濱に 屋取(やど)りするかも(― 白栲の袖を別れかねて、私は荒津の浜で一夜の仮の宿りをすることだ)草枕 旅行く君を 荒津まで 送りそ來ぬる 飽き足(た)らねこそ(― 旅に行くあなたを荒津までお送りして来ました。もっとお逢いしていたいと思うものですから)荒津の海 われ幣(ぬさ)奉(まつ)り 齋(いは)ひてむ 早還(かへ)りませ 面變(おもがは)りせず(― 荒津の海に私は幣を奉って、斎戒していましょう。早く帰っておいでなさいませ、面変りなどはしないで)朝な朝な 筑紫(つくし)の方を 出で見つつ 哭(ね)のみわが泣く いたも爲方(すべ)無み(― 毎朝毎朝、出ては筑紫の方を見ながら、泣きに泣いています。どうにもするすべがなくて)豐國の 企救(きく)の長濱 行き暮らし 日の暮れぬれば 妹をしそ思ふ(― 企救の長浜を歩いて行って日暮れになったので、故郷の妹を思うことである)豐國の 企救の高濱 高高(たかたか)に 君待つ夜らは さ夜ふけにけり(― お帰りを今か今かと待つ夜は更けてしまいました)冬ごもり 春さり來れば 朝(あした)には 白露置き 夕(ゆうべ)には 霞たなびく 風の吹く 木末(こぬれ)が下(した)に 鶯鳴くも(― 春がめぐってくると、朝は白露が置き、夕方には霞がたなびく、風のそよ吹く梢では鶯が鳴いている)三諸(みもろ)は 人の守(も)る山 本邊(もとべ)は 馬酔木(あしび)花咲き 末邊(すゑべ)は 椿花咲く うらぐはし 山そ 泣く兒守(も)る山(― 三諸は人が大切にする山である、麓の方はアシビ・早春に壺状の小さな花が咲く が咲き、いただきの方は椿の花が咲く、まことに美しい山である。この、人々が大切にする三諸の山は)霹靂(かむとけ)し 曇れる空の 九月(ながつき)の 時雨(しぐれ)の降れば 雁(かり)がねも いまだ來(き)鳴(な)かね 神名火(かむなび)の 淸き御田屋(みたや)の 垣内田(かきつた)の 池の堤の 百足(ももた)らず 齋槻(いつき)が枝に 瑞枝(みづえ)さす 秋の赤葉(もみちば) 巻き持てる 小鈴(をすず)もゆらに 手弱女(たわやめ)に われはあれども 引きよぢて 峯(すゑ)もとををに ふさ手折(たを)り 吾(あ)は持ちて行く 君が挿頭(かざし)に(― 雷が鳴って曇っている空の、九月の時雨が降ると、雁もまだ来て鳴かないが、神奈備の清い御田屋・神の田を管理する人が住む家 の垣の内の堤の、神聖な槻・ケヤキの枝に艶やかに映えている秋の紅葉を、私は手に巻いた小鈴を鳴らしながら、か弱い女の身ではあるが、手に取って木末も撓む程に引き、枝を折りとって持っていく、あなたの挿頭にするために)獨りのみ 見れば戀しみ 神名火(かむなび)の 山の黄葉(もみぢ)を 手折(たを)りけり君(― 一人だけで見ているとあなたが恋しくなって、神名火山の黄葉の枝を手折りました、あなた)天雲(あまくも)の 影さえ見ゆる 隠口(こもりく)の 泊瀬(はつせ)の川は 浦無みか 船の寄り來ぬ 磯無みか 海人(あま)の釣(つり)爲(せ)ぬ よしゑやし 浦はなくとも よりゑやし 磯は無くとも 沖つ波 競(きほ)ひ漕ぎ入(り)來(こ) 白水郎(あま)の釣船(つりぶね)(― 天雲の影さえも映る泊瀬の川は、浦がないからか舟が寄って来ない、磯がないからか海人も釣りをしない。よしや、よい浦はなくとも、よしや、良い磯はなくとも、沖の波が次々と立つように、先を争って漕ぎ入ってこい、海人の釣り舟よ)さざれ波 浮きて流るる 泊瀬川(はつせがは) 寄るべき磯の 無きがさぶしさ(― さざ波が立って流れていく泊瀬川は、よるべきよい磯がないのが淋しい事だ)葦原の 瑞穂(みづほ)の國に 手向(たむけ)すと 天降(あも)りましけむ 五百萬(いほよろづ) 千萬神(ちよろづかみ) 神代より 言ひ續(つ)ぎ來(きた)る 神名火の 三諸の(みもろ)の山は 春されば 春霞立ち 秋行けば 紅(くれなゐ)にほふ 神名火の 三諸の神の 帶にせる 明日香(あすか)の川の 水脈(みを)速(はや)み 生(お)ひため難き 石枕(いはまくら) こけ生(む)すまでに 新夜(あらたよ)の さきく通はむ 事計(ことはかり)夢(いめ)に見せこそ 劔刀(つるぎたち) 齋(いは)ひ祭れる 神にし坐(ま)せば(― 葦原の瑞穂の国に手向けをするとて、多くの神々が天下っておいでになったという神代から、手向けの山だといい継いできた神名火の三諸の山は、春になると春霞が立ち、秋になると紅葉が美しい。三諸の山の神が帯としている明日香川の水脈が速いので、なかなか生えて着いていることのできないその川の石枕に苔が生える時までも、毎夜毎夜、新たに元気で通うための計らいを神々よ、どうか夢でお示しください、私がこんなに大切にお祭りしている神でいらっしゃるのですから)神名火の 三諸の山に いつく杉 思ひ過ぎめや こけ生すまでに(― あなたへの恋の思いは心から消えることはないでしょう、苔が生える時までも)齋串(いくし)立て 神酒(みわ)坐(す)ゑ奉(まつ)る 神主部(かむぬし)の うずの玉蔭(たまかげ) 見れば羨(とも)しも(― 祝い串を立て、神酒を瓶に入れて据え供えると神主のウズ・木の葉・花・玉などを頭にさして飾りとしたもの として刺したヒカゲノカズラを見ると、見事だ)弊帛(みてぐら)を 奈良より出(い)でて 水蓼(みずたで) 穂積に至り 鳥網(となみ)張る 坂手を過ぎ 石(いは)走(ばし)る 神名火山(かむなびやま)に 朝宮に 仕え奉(まつ)りて 吉野へと 入り坐(ま)す見れば 古(いにしへ)思ほゆ(― 奈良から出て穂積に至り、坂手を過ぎて、明日香の神名火山でわれわれが朝のお宮でお仕えして、わが君が吉野へおいでになるのを見ると、吉野へ度々の行幸のあった昔のことが思われる)月日(つきひ)は 行きかはれども 久(ひさ)に經る 三諸(みもろ)の山の 離宮地(とつみやところ)(― 年月は行き変わり行きかわりして過ぎていくけれども、長い時を経てなお変わらない三諸の山の離宮よ)斧(をの)取りて 丹生(にふ)の檜山の 木折(こ)り來(き)て 筏(いかだ)に作り 二楫(まかぢ)貫(ぬ)き 磯漕ぎ廻(み)つつ 島傳(つた)ひ 見れども飽かず み吉野の 瀧(たぎ)もとどろに 落つる白波(― 斧を取って丹生の檜山の木を切り出して、筏に作り、その筏の左右に櫓をつけて磯を漕ぎめぐりながら、島伝いして見ても飽きない事だ、み吉野の激流を轟かして落ちる白波は)み吉野の 瀧(たぎ)もとどろに 落つる白波 留(とま)りにし 妹(いも)に見せまく 欲(ほ)しき白波(― み吉野の激流を轟かして落ちる白波の美しさよ、都に留まった妹に見せたいと思う白波の美しさよ)やすみしし わご大君 高照らす 日の皇子(みこ)の 聞こし食(め)す 御饌(みけ)つ國 神風(かむかぜ)の 伊勢の國は 國見ればしも 山見れば 高く貴(たふと)し 川見れば さやけく淸し 水門(みなと)なす 國もゆたけし 見渡す 島も名高し 此(ここ)をしも まぐわしみかも 掛けまくも あやに恐(かしこ)き 山邊(やまのべ)の 五十師(いし)の原に うち日さす 大宮仕(つか)へ 朝日なす まぐはしも 夕日なす うらぐはしも 春山の しなひ榮えて 秋山の 色なつかしき ももしきの 大宮人(おおみやひと)は 天地と 日月と共に 萬代(よろづよ)にもが(― わが大君、日の皇子がお治めになる御饌・みけ の国である伊勢の国は、国の様子を見ると立派で、山を見ると高く貴い。川を見ると冴え渡って清らかである。水門を作る海もゆったりと広い、見渡す島も有名である。此処をこそ麗しい所と思ってか、口に出して申し上げるのも恐れ多い山辺の五十師の原に、大宮仕えをしている。まことに朝日のように麗しく夕日のように美しいことよ。春の山のように繁り栄え、秋の山のように彩が心をひきつける大宮人は、天地とともに、日月とともに万代までも栄えて欲しいものである)山邊(やまのべ)の 五十師(いし)の御井(みゐ)は おのづから 成れる錦を 張れる山かも(― 山辺の五十師の原の御井は、おのずから出来た錦を張った山であることよ)そらみつ 倭(やまと)の國 あおによし 奈良山越(こ)えて 山代(やましろ)の 管木(つつき)の原 ちはやぶる 宇治の渡(わたり) 瀧(たぎ)つ屋の 阿後尼(あごね)の原を 千歳(ちとせ)に 闕(か)くる事なく 萬歳(よろづよ)に あり通(かよ)はむと 山科(やましな)の 石田(いはた)の社(もり)の すめ神に 弊帛(ぬさ)取り向けて われは越え行く 相坂山(あふさかやま)を(― 大和の国の奈良山を越えて、山代の管木の原、宇治の渡、滝の屋の阿後尼の原を、何時までも欠かさずに永久に通いたいと、山科の石田の神社の神に弊帛を手向けて私は越えて行く、相坂山を)あをによし 奈良山過ぎて もののふの 宇治川渡り 少女(をとめ)らに 相坂山に 手向草(たむけくさ) 糸取り置きて 吾妹子(わぎもこ)に 淡海(あふみ)の海の 沖つ波 來寄(きよ)る濱邊を くれくれと 獨りそ來る 妹が目を欲(ほ)り(― 奈良山を過ぎて、宇治川を渡り、相坂山に手向けの糸を供えて、淡海の海の沖の波の寄せる浜辺を、私は独りで、暗い気持ちでやって来る、妹の顔を一目見たいと)相坂を うち出(で)てみれば 淡海(あふみ)の海 白木綿花(しらゆふはな)に 波立ち渡る(ー 相坂山を打ち越えて出てみると、眼下に淡海の海が開け、白い木綿花のように波が一面に立っているのが見渡される)近江の海 泊(とまり)八十(やそ)あり 八十島の 島の崎崎(さきざき) あり立てる 花橘を末枝(ほつえ)に 黐(もち)引き懸(か)け 中つ枝(え)に 斑鳩(いかるが)懸け 下枝(しづえ)に ひめを縣け 己(な)が母を 取らくを知らに 己(な)が父を 取らくを知らに いそばひ居(を)るよ 斑鳩(いかるが)とひめと(― 近江の海には舟着き場が沢山ある。また島も沢山ある。その島の崎々にずっと立っている花橘の枝の上にモチをかけ、中の枝にイカルガを囮にかけ、下の枝にはヒメを囮にかけて、イカルガとヒメの父や母を取ろうとしていることを知らないのでイカルガとヒメとは戯れて遊んでいることよ)大君の 命(みこと)畏(かしこ)み 見れど飽かぬ 奈良山越えて 眞木(まき)積(つ)む 泉の川の 速(はや)き瀬を 竿さし渡り ちはやぶる 宇治の渡(わたり)の 瀧(たぎ)つ瀬を 見つつ渡りて 近江道(あふみぢ)の 相坂山(あふさかやま)に 手向(たむけ)して わが越え行けば 樂浪(ささなみ)の 志賀の韓崎(からさき) 幸(さき)くあらば また還(かへ)り見む 道の隈 八十隈(やそくま)毎(ごと)に 嘆きつつ わが越え行けば いや遠(とほ)に 里離(さか)り來(き)ぬ いや高に 山も越え來(き)ぬ 劔刀(つるぎたち) 鞘ゆ抜き出でて 伊香胡山(いかごやま) 如何(いか)にかわが爲(せ)む 行方(ゆくへ)知らずて(― 大君のご命令を畏んで見飽きることのない奈良山を越え、真木を積む泉川の速い瀬を竿をさして渡り、宇治の 渡の激流の瀬を見ながら渡り、近江街道の相坂山に手向けをして旅の安全を祈りながら行くと、ささなみの志賀の韓崎が見えてくる。もし元気であったら再び戻ってこの美しい風景を眺めよう。道の多くの曲がり角毎に嘆きつつ私が過ぎていくと、いよいよ遠く人里も離れてきた。いよいよ高く山も越えてきた。私はどうしよう、自分の行く方向も分からないで)天地を 嘆き乞ひ禱(の)み 幸(さき)くあらば また還(かへ)り見む 志賀の韓崎(― 天地の神々に切に願い、叩頭して祈り、もし無事であったら、また戻ってきて眺めよう、この志賀の韓崎の美しい風光を)
2024年08月27日
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第八十九聯では、君が私を捨てたのは、私が過ちを犯したからだと言うが良い、私自身がその罪悪をいちいち講釈して見せようから。私は足萎えだと主張したまえ、直ちにその通りに足を引きずってやりもしようよ、誰が君の言い分に逆らったりするものか、愛する者よ、素晴らしい、何物にも代え難い宝物よ、君が心変わりを取り繕うのに、どれほど悪しざまに私を罵ろうとも、君の心を察知して私が自身に悪態をつく表現にはとても及ばないだろう。私は内心の親しみの感情を無理にも押し殺して、素知らぬ顔をしても見せよう。君がしょっちゅう出入りする場所は極力避けるのは勿論のこと、愛する懐かしいその名前を口にすることも止めよう。余りにも賤しい私が君の名前を傷つけたり、うっかり昔の仲を口にしたりしてはいけないからね。君の名誉のために私はこの私自身と戦うことを誓おう。私は君が憎んでいる男、この私自身を愛しては断じてならないのだからね。 第九十聯、だから、君、君が私を憎みたいと思うのなら、思う存分に憎んでくれたまえ、それもいっそなら、今がいい。今は世間が私のすることなすことにケチをつけ邪魔をするからね、君もこの運命の悪意を利用して、私を屈服させるといい。忘れた頃になって、後から不意に襲いかかって痛い目に遭わせてくれるな。ああ、君よ、君、ああ。私の心がこの苦しみから逃れた時に征服し終えた嘆きの後備えよろしく、突然に現れるのはやめてくれないか。風吹く夜が明けて、雨降る朝となるのは何とも侘しくて堪らないからね、私を破滅させようと意図しているのなら、ぐずぐずしないでひと思いに止めを刺してくれ。そして捨て去るのなら、他のけちな諸々の悲しみが私を苦しめ抜いてから、最後に捨てるのだけは後生だから止めてくれ。いっそ先陣に立って私を攻撃してくれ、そうすれば、悪意ある運命の最悪の痛手を最初に味わえようと言うものだ。他の苦しみなどは、君を失うことに較べたら何ほどでもない、何でもないからね、君、ああ、君よ、私が既に心の中で滴らせている鮮血が見えるだろうか、愛する君よ。 第九十一聯、世の中では、或者は家柄を誇りにする、或る者は知識を、そして或る者は富と財産を、また或者は体力を、或者は衣服を、最新流行の俗悪趣味なのだがね、そして又或者は鷹や猟犬を、或者は馬を自慢する。各々が気質に応じて自分の楽しみを見つけ出し、それが他の何よりも気に入ってしまう。だが、こういう個々別々の楽しみは私の性には合わない。私は既に全てを含み包む最善の物を所有してしまっているから、それらを超えるのだ。私には君の愛の方が高貴の生まれよりもいい、それは莫大な富などよりも優に豊かだし、値の張る高価な衣服よりも素晴らしい。鷹や馬などよりもずっと大きな楽しみを与えてくれる、君さえいれば、あらゆる人が誇りとする、例えば古代ギリシャの文人が愛した対象のような高雅なる物、を自慢出来るのだよ。ただ、惨めなのは、君、君、実に惨めなのは、君がこの全てを奪って私を惨め極まる悲惨な目に遇わせるのでは、と言う不安のせいだ。 第九十ニ聯、だが、君が私から逃げようとしてどのような仕打ちに出ようとも、私のこの命が続く限りは、君は、この世の最善最高の宝物は、確実に私だけのものだ、また、私の命は君の愛情よりも長く生きることはないだろう、何しろ、君の愛に頼りきっているのだからね。ほんのすげない素振りだけでも私の儚い命は絶えてしまうのに、今更に最悪の事態の到来を恐れる必要などあるはずもない。君の気まぐれな気分次第でいちいち変わってしまう不安極まる生活より、ずっと増しな地位が私のものになるのだから。もう、君の気まぐれが私を苦しめることはない、裏切られたら、その時限りで私の命は終わるのだから。ああ、ああ、君よ、愛する者よ、ああ。何と言う幸福を私は手に入れるのだろうか、君に愛される至福と、死と言う最高の幸福と。だが、美しく恵まれたものにも滲みは付くものだ、君が陰でする不実を私が知らずにいることもある。 第九十三聯、つまり言ってみれば私は寝取られ亭主みたいなもので、君の真実を信じて生きることになる、心変わりをしても上辺はやはり、私を愛していると見えもしよう。君の顔はそばにあっても、心はよそにあるわけだ。君の美しい目に醜悪な憎悪が住まうことはありえないからね。私には君の心変わりを知る手立てがまるでない、普通なら、不機嫌な表情や、しかめ面や、すげない皺が、不実な心の内実を顔に書くけれど、天なる創造主は君を造る時に布告を出して、この顔には常に優しい愛が宿るべしと申された。つまり、君の思いや心の働きがどうであれ、顔に現れるのはただ優しさだけ、と仰ったのだ。もし君の美徳が容貌と釣り合わなければ、その美しさはイヴの林檎、外見は美味しそうだが中は灰色、そっくりになるのだ。 第九十四聯、他人を傷つけようと思えばその力がある、傷つけようとはしない人たち、つまり、外見(そとみ)は一癖ありげだが、何も危害を加えぬ人々、人の心を動かしはするが、自らは石のようにどっしりと動かずに、冷たくて、誘惑に負けぬ人達、こういう人達は、誠に、天の恩寵に恵まれて、自然の与えた富を徒に浪費せずに、慎ましく用いる者である。彼等は己の顔の主人であり、持主であるが、他の者等はその優れた資質の管理人に過ぎない。夏の花は、たとえ、種を結ばないでひっそりと枯れていくにしても、夏には甘い香りを周囲に撒き散らす。だが、もしもこの花が賤しい疫病にかかれば、どんな卑しい雑草よりもみすぼらしい姿を晒す。如何に美しいものでも行為次第では忌まわしい下卑た存在に堕す、腐った百合は毒のある雑草よりも更に酷い悪臭を放つように。 第九十五聯、君は恥辱を何と優しく、愛すべきものに変えてしまうのか、そいつは香り豊かな薔薇に喰い込む青虫の如くに、華麗に咲き綻びかけた美しい名前に傷をつけるのに。ああ、君よ、君は罪の行為を何と甘い歓喜に包み込んでしまうのか。君の日々の振る舞いを物語り、君の愛の戯れに、いちいち、妄りがましい注釈をつける奴も、謂わば、称賛の形でしか非難することしか出来ないのだよ。君の名前さえ出せば、悪評も忽ちに祝福されてしまうからね。ああ、この悪徳共は何と素敵な住み家を手に入れたことか。何しろ、ほかの誰でもない君を住居に選んだのだからね、ここなら、美のヴェールがあらゆる汚点を覆い隠し、目に見える物すべてを美しく変えてしまう。ああ、愛する者よ、君よ、最愛の美人よ、こういう気ままな特権には心したまえ、どんなに硬いナイフでも、使いすぎれば刃が鈍るのだよ。 第九十六聯、君の欠点を若さだと言う者も、色好みの性(さが)だと言う者もいる、君の魅力は若さと大様な遊びっぷりだ、そう言う者もいる。魅力であれ、欠点であれ、身分の別なくみんなから愛されている、君は自分のもとに集まる欠点を素晴らしい魅力に変えてしまうからね。豪華な玉座にある女王様がはめていれば、どんな安物の宝石でも立派に見えるだろうよ。君に見られる通常の過ちでも、同様に正しい行為に変じて、本物と鑑定されることになる。残忍な狼が柔和な羊に身を変えて、羊の群れに近づくことがあれば、どれほどに多くの羊を欺き捕らえるか知れない。君が自分の魅力を思いのままに操れば、どれほど多くの賛嘆者達を迷わせることになるか。そんなことは絶対にやめてくれ、私は君を心底愛しているから、君だけでなく、君の名声をも我が物にしたい。 第九十七聯、過ぎてゆく年に歓びをもたらす者よ、君よ、君と別れていた間は、まるで冬のように思えたものだ、どれほど凍える思いをしたことか、どんなに暗く辛い日々を送ってきたことか、何処も彼処(かしこ)も老いさらばえた十二月のうそ寒さばかり、所が、君と離れていたこの時期は輝かしい夏のさなかだったのだ、多産な秋は、豊かな実りを結んで、大きな腹を抱え、浮気な春の子供らを孕んでいた。まるで、亭主が死んだあとの後家の腹みたいに。しかし、この豊穣な子供等も孤児の定めを背負った暗い、父親知らずの実りのように私には思われた。何故なら、夏と、その喜びとは君に付き添っているので、君がいなければ鳥でさえ押し黙ってしまうからだ。たとえ鳥が歌っても、あまりに暗い心で歌うから、木々の葉も冬の到来かと怯え、色あせてしまう。 第九十八聯、春の間、私は君から離れて過ごした、色鮮やかな四月が晴れ着で飾り、あらゆるものに青春の息吹を吹き込んだので、陰気な老人のサターンも不気味な笑い声を上げて、一緒に踊りまわっていた。だが、鳥の歌声を聞いても、色も香もとりどりに咲く花々の甘い匂いをかいでも、私は夏向きの楽しい話を語る気にはなれなかったし、咲き乱れる花床から美しい花を摘む気にもならなかった。百合の花の白さを愛でることもなく、薔薇の深い赤みを褒めることもなかった。これらは芳香を放つだけのもの、要するに、君をなぞった快いただの模写にしか過ぎない、君が全ての手本なのだからね。ともかく、まだ冬の感じがしていた。そして、君がいないから私はそれらと遊び戯れた、君の影と戯れるようにね。 第九十九聯、私は早咲きのスミレをこう言って叱りつけた、美しい盗人よ、お前はそのこよなく甘い香りを何処で盗んだのか、わが愛する最愛の青年の芳しい息から掠め取ったに相違あるまいよ。その柔らかな頬に宿る華やかな色彩も、明らかに、我が愛する者の血管に浸して染めたものだ、と。更には私は君の手の白さを盗んだと言っては百合を詰り、君の髪を奪ったと難癖をつけて、シソ科で芳香を放つマヨラナの蕾をそしった。薔薇の花は恐れ戦きながら棘の座に咲いていた、或るは恥に赤らみ、或るは絶望のあまりに蒼白になって、赤でも白でもない第三の薔薇は両方の色を盗み、おまけに君の息まで我が物にしたが、盗みの報いを受け、若々しい花の盛りに復讐を目指す青虫に食い荒らされて死んだ。私はもっと多くの花を眺めたが、どれも、君から香りや色を盗んで来たとしか見えなかった。詰まり、この世の美しいもの、芳しいものは全て君に由来するとしか私には思われないのだ、繰り返して言うのだが、そうとしか信じられない、考えられない程に君は浮世離れした天上の清浄な美の贅を尽くして存在している、そうとしか思えないし、見えない。全宇宙の美がことごとく君に集中し、収斂しているのだからね。 第百聯、わが詩の女神は一体、何処へ行ってしまったのだ、この私に力の一切を与え、夢の広大な世界を恵んでくれたものについて、こんなにも長いあいだ、語るのを忘れていてよいのか、詰まらぬ俗受けする端唄を作るのに詩の霊感を使い果たし、卑しい主題に光を当てるのに力を燃やし尽くしたのか。戻ってこい、戻って来るのだ、忘れっぽくて気まぐれな女神よ。今すぐに高貴な詩を創り、虚しく過ごした空白の時を贖え、お前の歌を珍重してくれるもの、お前の筆に技量と主題とを与えるものの耳に、歌いかけるがよい。怠惰な詩の女神よ、起きて、我が愛するものの顔を眺め、時が皺を刻みつけたか否かを調べるがいい。もし醜悪な皺があれば、衰退を嘲笑う詩を書け、時の行った破壊行為をして、世間のつまはじきにしてしまえ。非情な時が生命を滅ぼす前に、愛する者に更なる名声を添えてやれ、そうすれば、冷酷無情の時の忌まわしい大鎌を出し抜くことになるからね。 詩人は愛する青年の完全無比の美と完成を永遠のものとは見ていない、移ろいやすく、儚い一過性のものとみなしている。時と言う平等で公平な破壊作用はこの世のもの全てに決定的な影響を及ぼさないではおかない。それゆえに美は価値をまし、完璧は愛おしさを倍加する。永遠とは退屈であり、無価値であり、忌まわしい。ほんの一瞬間に現出するからこそ限りもなく大切なのだ、無限なのだ、無尽蔵なのだ。永遠は一瞬の輝きの中にしか真の美しさを演出し得ない。造花の永続性などを誰が珍重するだろう、人は変化し、一瞬にして死ぬ。だから、それ故に愛おしく懐かしく大切なのだ。その間に火花として恋情が迸る。稲妻として宙を奔る。今が限りもなく大切な時と改めて実感させられる。
2024年08月24日
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澪標(みをつくし) 心盡(つく)して 思へかも 此處(ここ)にももとな 夢(いめ)にし見ゆる(― 心を尽くして妻が私を思うからか、ここでも妻の姿がしきりに夢に見える)吾妹子(わぎもこ)に 觸るとは無しに 荒磯(ありそ)廻(み)に わが衣手(ころもで)は 濡れにけるかも(― 私の袖は吾妹子に触れることはなくて、荒磯の廻りで私の袖は濡れてしまった)室の浦の 淵門(せと)の崎なる 鳴島(なきしま)の 磯越す波に 濡れにけるかも(― 室の浦の瀬戸・海や川が陸や島や岸の間で狭くなっている所 の岬にある鳴島の磯を越す波に濡れたことである)霍公鳥(ほととぎす) 飛幡(とばた)の浦に しく波の しばしば君を 見むよしがも(― 飛幡の浦に寄せる波のように、しばしばわが君を見る縁があればよいのに)吾妹子を 外(よそ)のみや見む 越(こし)の海の 子難(こがた)の海の 島ならなくに(―吾妹子を傍から眺めているだけなのであろうか、吾妹子は、近づきがたい越しの海の子難の海の島だというわけではないのに)波の間ゆ 雲居に見ゆる 栗島の 逢はぬものゆゑ 吾(わ)に寄(よ)する兒ら(― 逢いもしないのに、人々が私と親しいように噂を立てるあの子よ)衣手の 眞若(まわか)の浦の 眞砂子(まさご)地(つち) 間無く時無し わが戀ふらくは(― 和歌の浦のマナゴ地と言うように、マナく、止む時もない、私の恋しく思うことは)能登(のと)の海に 釣する海人(あま)の 漁火(いざりび)の 光にい往(い)け 月待ちがてり(― 能登の海で釣りをする海人の漁火の光を頼りに行きなさい、一方では月の光を待ちながら)志賀(しか)の白水郎(あま)の 釣し燭(とも)せる 漁火の ほのかに妹を 見むよしもがも(― 福岡県の志賀の海人が釣りをして灯している漁火のように、ほのかにでも妹を見る手立てが欲しいものだ)難波潟(なにはがた) 漕ぎ出(で)し船の はろばろに 別れ來ぬれど 忘れかねつも(― 難波潟を漕ぎ出た船のように、別れて遥か遠くに来たけれど、妹を忘れることが出来ない)浦廻(うらみ)漕ぐ 熊野(くまの)舟(ふね)着き めずらしく 懸(か)けて思はぬ 月も日もなし(― 浦廻を漕ぐ熊野舟が着いて珍しいように、もっと見たくて、あなたを心にかけて思い出さない日は、一日もありません)漁(いざ)りする 海人(あま)の楫の音(と) ゆくらかに 妹(いも)は心に 乗りにけるかも(― 漁をする海人の櫓の音がゆるやかに聞こえてくるように、私はゆったりと妹の心に乗っている) 恋心が切迫すればするほど胸が締め付けられて切ない思いが迸り出るものですが、この歌の作者は通常とは逆を行って、緩やかに、安心しきって妹の心をわが物と心得、安心立命している、実に立派であり、こうありたいものと誰もが願わずにはいられない理想の恋の在り方。平凡で、日常的で、平易であるが、なかなかこうした安定して安らかな恋の情緒にはたどり着けない。羨ましい限りでありまする。若の浦に 袖さへ濡れて 忘貝 拾へど妹は 忘らえなくに(― 和歌山県の若の浦で袖まで濡れて恋忘れ貝を拾ったけれど、恋しい妹は忘れられない)草枕 旅にし居(を)れば 刈薦(かりこも)の 亂れて妹に 戀ひぬ日は無し(― 旅に出ているので、心が乱れて妹を恋しく思わない日はない)志賀(しか)の海人(あま)の 磯に刈り干(ほ)す 名告藻(なのりそ)の 名は告(の)りてしをなにか逢ひ難き(― 私は名をお教えしたのに、どうしてお会いするのが難しいのでしょうか)國遠み 思ひな侘(わ)びそ 風の共(むた) 雲の行くなす 言(こと)は通はむ(― 旅に出て国が遠いからとてあれこれ考えて力を落としなさいますな。風に連れて雲が流れていくように便りを致しますから)留(とま)りにし 人を思ふに 蜻蛉(あきづ)野(の)に 居(ゐ)る白雲の 止(や)む時も無し(― 家に残った人を思うと、蜻蛉野にかかる白雲が消える時がないように、私の思いは止む時がない」うらもなく 去(い)にし君ゆゑ 朝な朝な もとなそ戀ふる 逢うとは無けど(― 平気で行ってしまったあなただけど、朝な朝なに無性に恋しく思います。お逢いするというのではありませんが)白栲(しろたへ)の 君が下紐 われさへに 今日結びてな 逢はむ日のため(― 白栲のあなたの下紐を私までも手を添えて今結びましょう。再びお逢いする日のために)白栲(しろたへ)の 袖の別れは 惜しけども 思ひ亂れて ゆるしつるかも(― 袖を別って離れ離れになるのは惜しいけれども、私は心が乱れて、別れたいと言うあのお方を許してあげた)京師邊(みやこべ)に 君は去(い)にしを 誰解(たれと)けか わが紐の緒の 結(ゆ)ふ手たゆしも(― 都へ我が君は行ってしまわれたのに、誰が解くからか、私の下紐の緒の結び目を結ぶ手がだるいほどです。あなたが私を思って下さるので、紐の緒が自然に解けるのでしょう)草枕 旅行く君を 人目多み 袖振らずして あまた悔(くや)しも(― 旅に出るあなたを、人目が多いので袖を振らずじまいだったのが大変後悔されます)眞澄鏡(まそかがみ) 手に取り持ちて 見れど飽かぬ 君におくれて 生(い)けりとも無し(― いくら見ても飽きないあなたに残されて生きた心地もしません)曇(くも)り夜の たどきも知ぬ 山越えて 往(い)ます君をば 何時(いつ)とか待たむ(― その様子も分からない山を越えていかれる我が君を、私は何時お帰りとお待ちしたらよいのでしょうか)たたなづく 靑垣山(あをかきやま)の 隔(へな)りなば しばしば君を 言問(ことど)はじかも(― 青い垣根のような山々が隔てとなったならば、しばしばあなたに手紙を差し上げることは出来ないでしょうか)朝霞 たなびく山を 越えて去(い)なば しばしば君を 言問(ことど)はじかも(― 朝霞の棚引いている山を越えていったなら、私はあなたを恋しく思うことであろう。お逢いする日まで)あしひきの 山は百重(ももへ)に隠すとも 妹(いも)は忘れじ 直(ただ)に逢ふまでに(―山が百重にも隠そうとも、妹を私は忘れないであろう。再び直接逢う日まで)雲居なる 海山越えて い行きなば われは戀ひむな 後は逢ひぬとも(― 遥かな海山を越えて行ってしまわれたら、私は恋に苦しむだろうな。将来きっとお逢いするにしても)よしゑやし 戀ひじとすれど 木綿間山(ゆふまやま) 越えにし君が 思ほゆらくに(― もう諦めて慕うまいと思うけれど、木綿間山を越えていった我が君が思い出されてなりません)草陰(くさかげ)の 荒藺(あらゐ)の崎の 笠島を 見つつか君が 山道(やまぢ)越ゆらむ(― 荒藺の崎の笠島を見ながら、我が君は今頃山道を越えておいでであろうか)玉かつま 島熊山の 夕暮に 獨りか君が 山道(やまぢ)越ゆらむ(― 島熊山の夕暮にあなたは一人で山を越えておいでであろうか)息の緒に わが思ふ君は 鶏(とり)が鳴く 東方(あづま)の坂を 今日か越ゆらむ(― 命の綱と私が思うわが君は、東国の険しい坂を今日は越えておいでであろうか)磐城山(いはきやま) 直(ただ)越(こ)え來(き)ませ 磯崎(いそさき)の 許奴美(こぬみ)の濱に われ立ち待たむ(― 磐城山を真っ直ぐに越えておいでなさい。磯崎のコヌミの浜に私は立ってお待ち致します)春日野(かすがの)の 淺茅が原に おくれ居て 時そとも無し わが戀ふらくは(春日野の浅茅が原に残されて、私はいつも恋に焦がれています)住吉(すみのえ)の 岸に向かえる 淡路島(あはぢしま) あはれと君を 言はぬ日は無し(―あなたに、ああ、と呼びかけない日はありません)明日よりは 印南(いなみ)の川の 出でて去(い)なば 留(とま)れるわれは 戀つつそあらむ(― あなたが明日から旅に出ていなくなったならば、残った私は恋しく思い続けることでしょう)海(わた)の底 沖は恐(かしこ)し 磯廻(いそみ)より 漕ぎ廻(た)み行かせ 月は經るとも(― 海の沖は恐ろしゅう御座いますから、岸近くの浦廻を漕ぎ巡っておいでなさい。時が多くかかろうとも)飼飯(けひ)の浦に 寄する白波 しくしくに 妹(いも)が姿は思ほゆるかも(― 兵庫県のケヒの浦に白波がしきりに押し寄せるように、しきりに妹の姿が思い出されることだ)時つ風 吹飯(ふけひ)の濱に 出で居つつ 贖(あか)ふ命は 妹が爲こそ(― 吹飯の浜に出てみそぎをして、命が長いように祈るのは、全く妹のためなのです)柔田津(にきたつ)に 舟乗(ふなの)りせむと 聞きしなへ 何そも君が 見え來(こ)ざるらむ(― ニキタツで船に乗って帰るとお聞きするとともに、お待ちしていますが、どうしてわが君はお見えにならないのでしょうか)みさごゐる 渚(す)にゐる舟の 漕ぎ出(で)なば うら戀(こひ)しけむ 後は逢ひぬとも(― みさごのいる渚にいる舟が漕ぎ去るように、あなたが去ったならば、心の内で恋しく思うでしょう。後では必ず逢うとしても)玉鬘(たまかづら) さきく行かさね 山菅(やますげ)の 思ひ亂れて 戀ひつつ待たむ(― 御無事でいっていらっしゃい、私は思い乱れてお慕いしながらお待ち致します)おくれ居て 戀つつあらずは 田子の浦の 海人(あま)ならましを 玉藻刈る刈る(― 後に残されて恋しく思っていずに、ああ、田子の浦の海人だったらよかったのに。玉藻を無心に刈り続けて)筑紫道(つくしぢ)の 荒磯(ありそ)の玉藻 刈るとかも 君は久しく 待てど來まさぬ(― 筑紫からの帰路、荒磯の玉藻を刈っていると言うのだろうか、わが君は久しくお待ちしてもお見えにならない)あらたまの 年の緒ながく 照る月の 飽かざる君や 明日別れなむ(― 年月長く見ていても飽きない月のように、見飽きることのないあなたに、明日お別れするのでしょうか)久にあらむ 君を思ふに ひさかたの 清き月夜(つくよ)も 闇(やみ)のみに見ゆ(― 長い旅路にお出かけになるあなたを思うと、清い月の光も全く闇のように見えます)春日(かすが)なる 三笠の山に ゐる雲を 出(い)で見るごとに 君をしそ思ふ(― 春日の三笠の山にかかっている雲を家から出て見る毎に、遠いあなたを思います)あしひきの 片山雉(かたやまきぎし) 立ちゆかむ 君におくれて うつしけめやも(― 旅に立つあなたに残されて、正気でいられましょうか)
2024年08月22日
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第八十一聯、私が長命して君より長生きして、君の墓碑銘を書くような悲惨な運命に見舞われたら、或いは順運で、君が生き残り、私が土の中で朽ち果てようと、死に神がこの詩作から君の誇るべき思い出を奪うことは出来ない。まあ、私の才能などが綺麗さっぱりとこの世から忘れ去られるとしてもだ。私があの世に行けば、世間からも死んで消えるが、君の名前はこれからは不滅の生命を勝ち得る、大地は私には粗末な墓の一つもあてがうに過ぎないけれども、君は人々の眼の中に埋葬されるだろう、つまり、君の墓碑とはこの私の高雅な傑出した詩なのだよ、まだ生まれていない人人の眼がいずれはこれを、比類なく素晴らしい詩歌を読む。今この世に生きている人々が全て死に絶えたとしても、やがて生まれ出てくる舌が、口々に古今に絶した比類なく素晴らしい人柄を語り継ぎ、誉めそやす。そう、ああ、君よ、君は当然のこととして永遠に輝かしく太陽や月や、星々のごとく生きる、光り輝く。そういう力が私の筆にはあるのだからね。生命の息が最も晴れやかに息づく場所、人々の口に、舌に生き、語り継がれる、間違いなくだ。 何という傲岸不遜で神をも恐れぬ自信であろうか、私などは一応そう驚嘆しておきましょうか、天才は己の天才を疑う術を与えられていない、当たり前なのだ、ことごとく傑出して人力を遥かに超越仕切ってしまっている彼に、白を白としか言えない。当たり前の事なのだが、私のような凡人には天才の非凡さを、その一端を垣間見るのが精一杯で、驚嘆するのみ。天才とは己の大胆不敵さに居直る権利と言おうか、自然な振る舞いが許されている。大胆でも、不遜でもないのだ。 第八十二聯、成る程、そうだよ、君は私の信奉する詩神と結婚したわけではない、だから、他の才能あるとうぬぼれている詩人達が君の類希な美貌を種に賛辞を書き連ねると、それにいちいち丁寧に目を通して、どの詩集にも祝福を与えるのは、別に恥ではない。君は容姿や外見のみならず、学識や知識にも優れているから、自分の才質は私の称賛などを遥かに超えている、という気にもなるだろうね。それゆえに、今日の日進月歩の時代からもっと新しく斬新な作品を新たに手に入れたい、と言う思いに駆られもしようし、それも無理からぬ事と私は承認しようよ。そう、そうしたまえ、愛する君よ、君よ。しかし、彼等が頭を絞り、捻り、いくら修辞法をいじくりまわし、持って回った言い方をしても、真実に美しい者よ、我が最愛の若者よ、君は、この真実を率直に語る私という、友の、平明真実な言葉の中でこそ、真に、あるがままに描かれよう。当世はやりの厚化粧は、頬の血の気が失せてしまっている人には有効だろうが、少なくとも君に使うのは場違いだし、見当違いだよ。 筆舌に絶した美しさを言葉で表現する、この本当のパラドックスを詩人は冒頭部分で述べてしまっている。この上に何を重ねて述べる必要があろうか、詩人はライバルで才能豊かな若い詩人たちを睥睨して、歯牙にもかけようとしない。青年に必要な忠告をやんわりと投げかければそれでよい。だから、そうしている。何たる自信であろうか、私などはただただ驚嘆するばかり、天才には天才にしか言えない言葉しか表出出来ないわけで、美貌の青年紳士に理想の自己を見、人間の最高の在り方を見出している。してみると、これは私・古屋が自分に語るのですが、シェークスピアという劇作家兼不世出の詩人は現世での社会規範や階級などを超越して、人類史上に燦然と輝く最高にして最優美な人間神なのだと、このソネット群を通じて高らかに宣言しているわけで、彼自身は自覚していなかっと思われるのですが、事実上はキリストを越える現人神として自分は時代を越えて不滅だし、永遠に生き続けると断言している、確かに。私の表現が誇張でもオーヴァーでもないことがお分かりいただけるでしょうか。とにかく、名実ともにシェークスピアなる天才は凄いお人なわけでありまする。 第八十三聯、私はいまだかつて君に化粧が必要だと思ったことは一度もない、だから、君の美貌に化粧を施そうとしたこともない、必要のないことだからね。流行の詩人が、君の恩義に報いようとて下手な賛辞を捧げても、当人はそうは思っていないだろうがね、君はいつだって彼等の表現を超えていたよ、少なくとも私は、そう思った。私が君を誉めそやすのに怠惰であったのは、君と言う人間が此処に実在していれば、平凡で並みの筆が君の美質を語ったとしても、君の中に生きて光り輝いている美質に遠く及ばないから、それが直ぐに透けて見えてしまう、君は、最愛の愛人よ、君は私の沈黙を私の罪と見做したようだが、黙して語らぬことこそは私の最大の誇りに化するしかないのだよ、君、君。何故とならば、言わずもがななことを付け加えるなら、私は口を噤んだからこそ美を汚すことはなかったけれど、他の連中は生命を与えるつもりで結局は墓を建ててばかりたのだからね。君のその、美しい眼の一つにも、少なくとも売れっ子のふたりの詩人が散々に頭をひねって捻り出したヘボ賛辞よりも、ずっと強い素晴らしい生命が生きている、現に。それは誰の目にも明らかだよ。 第八十四聯、世界でどんなに巧みな詩人でも、この世でただひとり君だけが、君がただひとりでいる時だけが本来の君でいられるのだから、この素晴らしい君という豊かに称賛に勝る言葉を言い当てられるのだよ、君に匹敵するような者が育つ場所を例に挙げようにも、そういう立派な品種は君という特別の囲い地の中にしか見られない、詩歌の対象にちっぽけな栄光をさえ与えられないのであれば、そんな筆には貧弱極まる力しかない。だが、君、君、君を書く詩人は、君が君であるという事さえ言えば、それだけで立派に、己の作品に栄光を与える事になる。詩人は君の中に書かれてあるものだけを単に写せばよい、自然がかくも鮮明に浮き上がらせている物を下手に弄る必要はない、こういう複写ならば、その詩人の才能を世間に広めてもくれようし、その文章もいたるところで称賛されるだろうよ。君は当然のことながらに賛辞を好むから、美貌才質と言う天来の祝福にどうしても呪いを招く結果になるし、称賛も度重なると必然として安物に堕してしまう。 第八十五聯、私の以前から信奉している詩神・ミューズはもうだいぶ前から金縛り状態に陥ってしまっていて、慎ましく沈黙を守っているのだが、一方では、君を称える山のような文章が修辞も華やかに、詩の女神達が総がかりで彫琢した世にも珍奇な言葉を連ね、自称「黄金の筆」を以て次から次へと書き綴られていく。かくて、他の詩人たちは結構な言葉を書くのだが、私の方はと言えば密かによい想いを胸に抱くだけ、才人が洗練された筆を縦横に揮い、形を整え、とことん磨き上げて君に捧げる賛美の歌のひとつひとつにも、無学で気のきかない田舎の教会書記宜しく、「アーメン」、斯くてあれかし!と叫び続けるだけなのだ、今の私は。しかし、君が褒められるのを耳にすれば、「さよう、誠にしかり」と心の中で唱えて、称賛の頂点に、又、何ほどかの称賛の言葉を加えては見るのだが、それは飽くまでも心の中でだけのこと、つまり、言葉では皆に遅れをとっても、心の中ではいつだって君への愛は先頭を切っているのだよ。だから君、他人には雄弁さのゆえに目をかけてやりたまえ、そして、私には、喋っているのと変わらないこの静謐な沈黙の故に、全身全霊を傾けてくれたまえ、ああ、愛しの君よ、君よ。 いつの時代でも、どのような場合でも、沈黙は雄弁、駄弁に遥かに勝るのであります。声無き声こそは真実の言葉なのですからね。詩人は、天才詩人の名に値する彼は、言葉を心の中だけに溜め込もうとしているかのようであります。真実に愛する人の前で、言葉は役に立ちませんよね、言葉以上の情念が、愛情のほとばしりが稲妻の如く宙を走るだけ、相手だって、同じ事、魂のアンテナで、心の宇宙の真っ只中で同じように激しく火花散らして受け止めるだけです、愛とはそうしたもの、詩歌とはその火花の火の粉でしかない、それを私ども鑑賞者は心得てさえいれば事足りる、自分の心の中に竜神が駆け巡るさまを感じ取ればよい。表現は二の次でありましょう。なんで他人である詩人の切ない感情が我々に伝わるのか、そもそも「他人」などではないからであります。詩人は即ち私であり、私は詩人なのですね。シェークスピアの詩を鑑賞するとは私たちが彼に同化することを意味します、虚心坦懐に接すればイナズマは、龍神は必ず何処からともなく姿を現し、無限の力を放射して読者の心臓を射抜かないではおかないのです、置かないのです。それは、我々が神から授かった有難い肉体を有しているからなのですよ。精神と肉体は一体のもの、便宜上で二つに分けているだけのこと、魂が宙を駆け巡るなら、肉体も宇宙を遊泳し飛翔するはずなのですよ。これ、私の表現であって、私の言葉ではない。言葉は、霊魂、言霊を有していて、私達に霊妙な働きかけをしてくる。無心に言葉と対すればの話ですがね。 第八十六聯、半分生まれかけていたわが思考を、再び脳髄に埋葬して、こうして思考が育ってきた母胎を墓場に変えたのは、あれは、君という類なく貴重な獲物を目指して、壮麗な帆に風を孕ませて進む彼の、偉大な詩のせいであったか。或いは、私を撃ち殺したのは諸々の霊に教えられて、人間業とは思えない傑出した詩をものした彼の活力であったか。いいや、違うよ、彼も、そして夜毎に彼を助けにやって来る仲間達も、私の新鮮な詩心を恐怖で萎え萎ませることはなかった、彼も、また、夜な夜な彼に知識を詰め込む、あの何とも愛想のいい使い魔の霊も、決して勝利者などではない、私を遂に黙らせたと言って自慢することは出来ない。私はもとよりそんなものを畏れて気力を失ったのではない。しかしながら、君が目をかけて彼の詩が完璧になれば、私は言うべき主題を失う。それが、私の詩の持つ力を弱める。 第八十七聯、さようなら、君よ、わが友よ、最愛の理想よ、さようなら、君は私が所有するには余りにも貴重だ、きっと、君も自分の価値を知っているのだろうさ。その、高貴な価値という特権が君を解き放ち、自由にする。君に対する私の権利は既に期限切れだ、君の同意もなしにどうして君を引き止めておけようか。一体、私のどこにこんな富に相応しいところがあろうか…、私にはこうした美しい贈り物を受ける理由がない。だから、私の所有権は自然に君のもとに戻ることになる。君が自分を与えた時には、自分の価値を知らなかった。或いは、与えた当の私を買いかぶり過ぎていたのだ。だから、君の大きな贈り物は誤認から生まれたのであり、しっかり判断し直して、手元に取り戻すわけだ。つまり、君を一時的に所有したのは、楽しい夢を見たようなもの、眠っている時は王様でいられるが、覚めてみればとんでもない話しさ。 第八十八聯、君が私を安く見積もるつもりになり、私を値踏みして、軽蔑の目を向ける時が来たら、私は躊躇なく君を支持して、我が身と戦うことにしよう。君が友情を裏切っても、君が正しいことを証明しよう。自分の弱みは自分が一番よく知っているから、君の肩を持って、私が人知れず破廉恥な罪の行為に耽り、汚辱にまみれ果てている、と言う話をでっち上げてもいい。君が私を弊履の如くに捨てて大いに面目を施すのなら。私だって、これで利益を得ることになる。何故ならば、私の君への愛の想いはことごとく君に捧げ尽くしてしまっているから。我と我が身に加える危害が君の利益になるなら、私の方も二重に得をするのだからね。わが愛はかくも強く、私は真に君の物なのだから、君を正しくする為にあらゆる悪を背負ってやるよ。 彼のような天才以外に誰がこんな文章を書けるであろうか、彼には究極の自己愛が、徹底したナルシストが露出している。彼を、理想の恋人をほめあげればほめあげる程、彼自身の価値が高まる仕掛けなのだ。天才中の天才でなくて何であろうか。彼は謙遜をしているのではなくて、徹底して自分を持ち上げているだけだ。私、古屋も内心では密かに大いに自惚れているのだが、彼程には手放しで自己吹聴に耽ることなど思いも及ばないことであった、このソネットに接するまでは。創作と鑑賞とは究極的に天才を必要とする。この場合の天才とは誰にも平等に与えられていると私は信じているのだが、努力という裏付けが不可欠であることを申し添えておきましょうか。今の私は沙翁の天才に酔い痴れて狂っている、そういう作用をこのソネットは本質的に備えているのだ。良質の酒と本物の詩歌は人の心と肉体とを酩酊させる。神が人に与えた最良の贈り物だろう。
2024年08月20日
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すべもなき 片戀をすと ここのころに わが死ぬべきは 夢(いめ)に見えきや(― どうすることもできない片思いで近いうちに私は死にそうなのは、あなたの夢に見えたでしょうか)夢に見て 衣(ころも)を取り着 装(よそ)ふ間(ま)に 妹(いも)が使そ 先に來にける(― それを夢に見て衣を取って着て、支度をする間に、あなたの使が先に来ました)ありありて 後も逢はむと 言(こと)のみを 堅め言ひつつ 逢ふとは無しに(― このまま時を待って後で会おうと言葉ばかり固く約束しておきながら、会うことはなくて)極(きはま)りて われも逢はむと 思へども 人の言こそ 繁き君にあれ(― 是非お逢いしたいと思いますけれど、人の噂の頻りに立つあなたでいらっしゃいますから、お逢いできずいます)息の緒に わが息衝(いきづ)きし 妹すらを 人妻なりと 聞けば悲しも(― 命の綱と頼んで私が切なく思いを寄せていた妹が、意外にも既に人妻だったと聞いたので悲しい)わが故(ゆゑ)に いたくな侘(わ)びそ 後遂に 逢はじといひし こともあらなくに(― 私のことでひどく力を落としなさいますな。将来、決してお逢い致すまいとは申したことは御座いません)門立(かどた)てて 戸も閉(さ)してあるを 何處(いづく)ゆか 妹が入り來て 夢(いめ)に見えつる(― 門を閉め、戸も立ててあるのに、何処から妹が入って来て、私の夢に現れたのだろう)門立てて 戸は閉(さ)したれど 盗人(ぬすびと)の 穿(ほ)れる穴より 入りて見えけむ(―門を閉め、戸も立ててあるけれど、盗人が密かに開けた穴から入ってみえたのでしょう)明日よりは 戀ひつつあらむ 今夜(こよひ)だに 速(はや)く初夜(よひ)より 紐解け吾妹(わぎも)(― 明日からは恋しくも思うことであろう、せめて今夜だけでも速く、紐を解きなさい吾妹)今さらに 寝(ね)めやわが背子(せこ) 新夜(あらたよ)の 一夜(ひとよ)もおちず 夢(いめ)に見えこそ(― 今更、寝たくありません、わが背子よ。どうかこれから先、毎晩毎晩必ず夢に見えてください)わが背子が 使を待つと 笠も着ず 出でつつそ見し 雨の降らくに(― わが背子の使いを待つと言うので笠も着ずに、外に出て見ていました。雨の降る中を)心無き 雨にもあるか 人目守(も)り 乏しき妹に 今日だに逢はむ(― 心無い雨であることよ、人目のない時を覗って、稀にしか会えない妹にせめて今日だけでも会いたいのに)ただ獨り 寝(ぬ)れど寝(ね)かねて 白栲(しらたへ)の 袖を笠に着 濡(ぬ)れつつそ來(こ)し(― 唯ひとりで寝ても眠れずに、白栲の袖を笠にして濡れてきました)雨も降り 夜もふけにけり 今さらに 君行かめやも 紐解き設(ま)けな(― 雨も降り夜も更けました、今さらあなたはお帰りになることもありますまい。紐を解いて寝る支度をしましょう)ひさかたの 雨の降る日を わが門(かど)に 蓑笠(みのかさ)着ずて 來(け)るひとや誰(たれ)(― 雨の降る日なのに、私の家の前に、蓑も笠も身につけずに来ている人はどなたですか)纏向(まきむく)の 痛足(あなし)の山に 雲居つつ 雨は降れども 濡れつつそ來(こ)し(― 痛足の山に雲が掛かって雨は降るけれど、私は濡れながらもあなたに逢いに来たのです)渡會(わたらひ)の 大川の邊(べ)の 若久木(わかひさき) わが久ならば 妹戀ひむかも(― 渡会の大川の辺の若ヒサキのそれではないが、私が久しく旅に出ていたならば、妹は恋しく思うだろうなあ)吾妹子(わぎもこ)を 夢(いめ)に見え來(こ)と 大和路(やまとぢ)の 渡瀬(わたりぜ)ごとに 手向(たむけ)そわがする(― 吾妹子よ、夢に現れてこいと、大和路の渡り瀬毎に私は手向けをしています)櫻花咲きかも 散ると見るまでに 誰(たれ)かも 此處に 見えて散り行く(― 桜の花が咲いてはすぐに散ってしまうように、此処に集まっては散っていくのは誰なのであろうか)豐國(とよくに)の 企救(きく)の濱松 根もころに 何しか妹に 相言ひ始(そ)めけむ(― どうして妹と親しい言葉を交わすようになったのだろう)月易(か)へて 君をば見むと 思へかも 日も易へずして 戀の繁かく(― 来月になったらあなたにお会いできようと、そればかり思っているせいか、お出かけになって一日も経たないのに恋心が頻りです)な行きそと 歸りも來(く)やと 顧(かへり)みに行けど 歸らず道の長道(ながて)を(― 行くのはおやめなさいと、留めに引き返してくるかしらと省みしながら行ってみるけれど、引き返してはこない。この先、旅は長いのだけれど)旅にして 妹を思ひ出(で) いちしろく 人の知るべく 嘆きせむかも(― 旅に出て妹を思い出し、はっきりと人が気付く程に私は嘆息することであろうか)里離(はな)れ 遠くあらなくに 草枕 旅とし思へば なほ戀ひにけり(― 里から離れて遠くもないのに、旅に出たのだと思うと一層恋しくなる)近くあれば 名のみも聞きて 慰めつ 今夜(こよひ)ゆ戀の いや益(まさ)りなむ(― 近くにいるので噂だけ耳にして心を慰めていましたが、お会いした今夜からは恋心がいよいよ勝ることでしょう)旅にありて 戀ふれば苦し いつしかも 都に行きて 君が目を見む(― 旅に出ていて、あなたが恋しくて大変苦しい、早く都に行ってお顔が見たい)遠くあれば 姿は見えね 常の如(ごと) 妹が笑(ゑま)ひは 面影にして(― 遠く離れているので、実際の姿は見えないが、いつものように妹の笑顔が面影に見える)年も經ず 歸り來(き)なむと 朝影に 待つらむ妹(いも)し 面影に見ゆ(― 年も立たないうちに帰ってくるだろうと身も痩せて待っているに違いない妹が、目の前に浮かんだくる)玉鉾(たまほこ)の 道に出で立ち 別れ來(こ)し 日より思ふに 忘るる時なし(― 旅立ちして別れてきてからずっと思っているので、妹を忘れるときが全くない)愛(は)しきやし 然(しか)ある戀にも ありしかも 君におくれて 戀しく思へば(― ああ、こうしたはっきりした恋の気持であったのだなあ、あなたの旅立ちの後に残されて、こんなにも恋しいことを思えば)草枕 旅の悲しく あるなへに 妹を相見て 後戀ひむかも(― 旅が淋しく悲しい気持がする時に、こんなにも可愛い妹に遭ったので、今は楽しいが、後で恋しさに悩むだろう)國遠み 直(ただ)には逢はず 夢(いめ)にだに われに見えこそ 逢はむ日までに(― 国が遠いので直接お会いできませんから、せめて夢にだけでも見えてください、お逢いするまで) 念の為に書き添えておきますが、古代の旅は、今日の物見遊山の愉快なだけの旅行ではなく、少し誇張して言えば死の危険と背中合わせの決死の覚悟、が背後に秘められている。まかり間違えば今生では二度と会えないかも知れない、そんな含みが旅の中に透けて見える。少なくとも歌の解釈としては、そうした含みを持たせて解釈した方が歌に奥行が出る。老婆心ながら、蛇足めいて申し添えました。かく戀ひむ ものと知りせば 吾妹子(わぎもこ)に 言問(ことど)はましを 今し悔(くや)しも(― これほど恋しいものと知っていたなら、吾妹子に親しく声を掛けるのだったのに。今になって後悔される)旅の夜の 久しくなれば さにつらふ 紐解き離(さ)けず 戀ふるこのころ(― 旅の夜が久しくなったので、赤い下紐を解き放たずに、妹を恋しく思う今日この頃であるよ)吾妹子し 吾(あ)を偲(しの)ふらし 草枕 旅の丸寝に 下紐(したびも)解けぬ(― 吾妹子は家で私を慕っているらしい、私が旅の丸寝をしていると、下紐が解けた) 当時、恋人が心を寄せると下紐が解けると言う俗信があったらしい。草枕 旅の衣の 紐解けぬ 思ほゆるかも この年頃は(― 一人旅の着物の紐が自ずと解けた、妹と親しんでいたこの年頃の事が思われることだ)玉くしろ 纏(ま)き寝(ね)し妹を 月も經ず 置きてや超えむ この山の岬(さき)(― 手に纏いて寝た妹をひと月も経たないのに打ち捨てて、この山の岬・海や湖に突き出た陸地 を越えて行くことであろうか)梓弓(あづさゆみ) 末は知らねど 愛(うつく)しみ 君に副(たぐ)ひて 山道(やまぢ)越え來(き)ぬ(― 先はどうなるか分からないけれど、愛しく思ってあなたにお任せして一緒に此処まで来ました)霞立つ 春の長日を 奥處(おくか)なく 知らぬ山道を 戀つつか來(こ)む(― 霞の立つ春のうららかな日なのに、果も知れない山道を私は恋の思いで越えて行くことであろうか)外(よそ)のみに 君を相見て 木綿畳(ゆふたたみ) 手向(たむけ)の山を 明日か 越え去(い)なむ(― 親しく言葉を交わさずに、あなたをよそ目に見ただけで私は恐ろしい手向けの山を越えて行くことでしょう)玉かつま 安倍島山の 夕露に 旅寝得(え)せめや 長きこの夜を(― 安倍島山の夕暮れの霧の中で独り旅寝をすることができようか、長いこの夜を)み雪降る 越(こし)の大山 行き過ぎて いづれの日にか わが里を見む(― 雪の降る越しの国の大山を過ぎて、何時わが里を見ることであろうか)いで吾(あ)が駒 早く行きこそ 眞土山(まつちやま) 待つらむ妹(いも)を 行きて早見む(― さあ、わが駒よ、早く行っておくれ、きっと今頃私を待っている妹に、早く会いたいから)惡木山(あしきやま) 木末(こぬれ)ことごと 明日よりは 靡きてありこそ 妹があたり見む(― 悪木山の梢は全部、明日からは靡き伏していてくれ、妹の家のあたりを見ようと思うから)鈴鹿川 八十瀬(やそせ)渡りて 誰(たれ)ゆゑか 夜越(よごえ)に越(こ)えむ 妻もあらなくに(― 鈴鹿川の多くの瀬々を渡って、一体、あなた以外の誰のために夜越えをすることがありましょうか。家に妻もいるわけではありませんのに)吾妹子(わぎもこ)に またも近江(あふみ)の 野洲(やす)の川 安眠(やすい)も寝ずに 戀渡るかも(― 安らかな眠りも寝ずに私は恋い続けていることです)旅にして 物をそ思ふ 白波の 邉(へ)にも沖にも 寄すとは無しに(― 旅にいて私は物思いをしています、白波のように、沖にも岸にも寄せるということもなくて。恋しい人に身を寄せることもなくて)湖廻(みなとみ)に 満ち來る潮の いや益(ま)しに 戀はまされど 忘らえぬかも(― 湖廻に満ちてくる潮のいよいよ増すように、恋しさは募りはしても少しも消えることはない)沖つ波 邉波(へなみ)の來寄(きよ)る 左太(さだ)の浦の この時(さだ)過ぎて 後戀ひむかも(― この良い時期が過ぎてしまって、後で恋しく思うだろうか)在千潟(ありちがた) あり慰めて 行かめども 家なる妹(いも)い おぼぼしみせむ(― ここでこうして引き続き心を慰めていこうと思うけれど、あまり長く旅していると家の妹が屈託するであろうなあ)
2024年08月19日
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第六十九聯、世間の人々が見る君の顔立ちや、体つき、これは完璧だ、どう考えてももう手の入れようがない、あらゆる舌、内なる声がそれを認めている。敵の褒め言葉と同じで、掛け値なしの真実を述べているのだ、このようにして、君の外見は上っ面の称賛を勝ち得ているわけだ、しかし、当然の取り分を君に与えているその同じ舌が、眼が見せたものよりも更に遠くを見ると、がらりと口調を変えて、この称賛を取り消すのだ、彼等は君の心の、内面の美を探ろうとする、そうして、君の行為からそれを推量して判断を下す、そうなると、彼らの眼は親切であっても、考えは極めて下衆なもの、君という麗しい花に雑草の悪臭を付け加えようとする。だが、何故君の匂いはその姿にそぐわないのか、答えは簡単で、君が悪臭紛紛たる雑草と交わるからなのだ。 第七十聯、たとえ君が非難されたとしても、私は君が悪いせいだとは決して思わない、美しく魅力に溢れた人間はいつだって中傷の的にされるからねえ、疑惑というやつは美の引き立て役なのだから、例えれば、澄み切った大空を飛ぶ鴉みたいなものさ、君さえ正しければ、世間に寵愛される、だから中傷なんか、ただ、君の価値を更に高めるだけだ、悪徳は青虫みたいに、香り高い莟を好むが、君はシミひとつない清らかな青春の日々に潜む待ち伏せを見事に切り抜けてきている。襲われずに済んだことも、襲われて勝ったこともある。だが、これまで評判がよくっても、評判で人の悪意を繋ぐことはできない、悪意はいつでも野放しだからね。君の姿に悪の疑惑がさしていなければ、君はひとりで心の王国を支配してしまうよ。 第七十一聯、たとえ私が死んだとしても、君よ、何時までも嘆いてはくれるな、嘆くならせいぜい暗鬱な重い鐘の音が鳴り響き、私がこの下劣な世を去って、下賤きわまる蛆虫どもと共に住むのを、世の人に告げている間だけでいい、いや、いや、君がこの詩を読んでも、これを書いた手がこの世にあったことを思い出してくれるな。私は心底、君を愛している、だから、私を思って嘆いてくれるくらいなら、君の美しい心の中で忘れられる方がいい。ああ、私が多分土と混ざり合ったとき、この詩を目にすることがあっても、言っておくが、わが哀れなる名前を口にするさえやめてほしいのだよ、君の真実の愛は、私の生命とともに朽ちるに任せてくれたまえ。さかしらな世間が君の悲しみを覗き込み、私の亡いあと、私を種に君を笑いものにしては困るからね。 第七十二聯、あの男、ゲス野郎に、君の崇高な愛に叶うどんな美点があったのかね、ひとつ教えてくれないかね、などと世間の人から迫られぬように、私が死んだあとは、私のことはきっぱりと忘れてくれたまえ。私の値打ちなど何一つ取り出せるわけがないのだから、それでも、君が善意から真っ赤な嘘をひねり出して、私の身に余るような果報を言ってくれたり、ケチくさい真実が喜んで与えるよりも、もっと多くの賛辞で亡き私を飾り立ててくれるというのなら、話は別なのだがね。ああ、君が愛ゆえに偽って私を褒め称え、それで、君の真実の愛までが贋物と断定されないように、私の名前はどうか私の亡骸の傍らに埋めてくれ。この上に生かして、私や君自身に恥をかかせないように。私は自分の書くもので散々に恥を晒した、つまらぬものを愛したりすれば君もそうなるのだからね。 第七十三聯、君が私の中に見るものは一年のうちの、あの季節、寒気に震えおののく樹の枝から黄色い葉が落ちつくし、残ったとしても二、三枚、先ごろまでは小鳥たちが美しく歌い囀り、今は裸の朽ち果てた聖歌隊席さながらの無残な姿をされけ出している、あの季節。私の中に君が見るものは、夕暮れどきの淡い光、太陽が西の空に沈み、西の空は黄昏てしまい、真っ暗闇の漆黒の夜が、全てを柩に閉じ込めてしまい、安らわせる死の分身が、やがては消してしまう、そうした夕暮れどきの微弱な光だ。そしてただ、私の中に君が見るものは、焔の輝き、最期の息を引き取る死の床に横たえられたように、己の青春の灰に埋もれて、かつては自分を養った物が、薪や活力が尽きると共に消えていく、焔と化した生命の最期の輝きだ。これを見るからこそ君の愛は尚更強まり、やがて別れねばならぬものを心から愛するのだ。 第七十四聯、だが、だが、死に神が私を酷くも逮捕して、一切保釈などは認めずに引っ立てる時も、どうか君よ、取り乱さずにいてくれたまえ、私の大切な生命の某かはこの詩に投資しておいたし、この詩は形見となって、何時までも君の手元にのこるから。これを読み返してくれれば、君だけに捧げた一番大切なものが、また、見られるのだ。大地が手にするのは、私の滓にしか過ぎない、それが奴の取り分だ。私の精神、魂、心、私のより良い部分、これは何といっても君だけのものだ、だから、結果を言えば私の残り糟を失うだけだ、私の肉体などは、死んでしまえば蛆虫の餌だ、むざむざと刺客の刃にかかる臆病者にしか過ぎない、君が覚えておくには卑しすぎる代物さ、人の肉体に価値があるのは霊魂が入っているからこそで、魂とはこの詩の代名詞、しかもそれは永久に君の手元に留まるのだ。 第七十五聯、君とわが思いの間は、食べ物が生命に不可欠なのと、或いは、時を得た慈雨が大地に必要なのと同様だ、君と平和な友情を保つ為に、私はあたかもケチな金持が自分の財産を相手にやるような葛藤を演じている。今、自分は金持だと言って自慢するかと思えば、今度は、コソ泥みたいな世間に貴重な宝を盗まれるのではないかと恐怖し、今は君と二人っきりが一番だと思い、次には、世間にわが歓びを見せるのも悪くない、と思い直す。また時には、堪能するまで美しい君を眺めてひと時の満足を得るのだが、その内に飢え飢えてはまた一目君を見たくなる。君から得た歓び、やがて手にするはずの歓喜と有頂天、これがあればあとは何ももとめない、何も要らない、こうして私は日々に飢えたり、満腹したり、すべてを貪り喰らい、全てを失っている。 第七十六聯、どうして私の詩作には新奇で華麗な修辞がこうも乏しくて、変わり映えがせずにに、素早い発想の転換が見られないのか、何故に私は時流に乗って軽やかに身を翻し、最新の技法や珍奇な言葉の組み合わせに目を向けないのか、どういう理由で私はたった一つのテーマを変わらず書き続け、詩歌の着想にいつもながらの着古しを着せておくのだろうか、これではまるで一語一語が私の名前を告げ、出生や、家系の秘密を明かしているようなものではないか。あああ、君よ、君よ、分かってくれ、我が最愛の君よ、私はいつでも君を書くのだ、何時でも君と、君への私の深い愛情が唯一の私の主題になっている、だから、私はせいぜい古い言葉を新しく装い、以前に使ったものを、また、使うことしか出来ない。太陽は日々にあたらしくて古い、私の愛もそれと同じで、すでに語ってしまっていることを、いつも繰り返し語り続けるのだよ 第七十七聯、鏡は君が衰えていく様を見せてくれよう、日時計は貴重な一刻一刻が虚しく過ぎていくのを教えるだろう。この白くまっさらなページにはやがて君の心が刻印されるだっろう、君はこの手帳から、こういう教訓を学ぶことになる。鏡がありのままに曝け出す顔の醜い皺は、口を大きく開けて待っている墓穴を思い起こさせる、密かにうつり進む日時計の影は、時が永遠に向かって忍びやかに歩むのを知らせてくれている。記憶に留めきれない事は何でも、この白い紙に書き記すがよい、そうすれば、君の頭が生んだ子供達は此処で育てられて、挙句には、初めて我が心に出会うような、思いをするだろう。鏡や日時計の仕事を見れば見るだけ、君は利益を得ようし、手帳もずっと豊かになる。 第七十八聯、私はよく君を詩神に祭りあげては祈りを捧げ、詩を創作する際には、随分と親切に手助けしてもらった、だから、他所の詩人達までが私の流儀を真似て、君に仕えて詩を書き散らしている。君の眼は物言わぬ者に声高くし、歌うことを教え、鈍重な無知に天翔けるすべを教えてくれたが、その眼が学識豊かな詩人の翼に羽を挿し加え、美に二重の壮麗さをあたてやった。だがね君、君は、私の書く詩を何よりも誇って欲しい、その力は全部が君のものだ、君からうまれたものだからね。ほかの詩人の作品では、君は文章を整えるだけだ、学識は君の優雅美しさを飾りに使っている。だが、だが、君はわが芸術の全てであり、この粗野な無知を学識と同じ高さに引き上げてくれる。 第七十九聯、わたしひとりが君の助けを求めて祈っていた頃には、私の詩だけが君の優しい恩恵を受けていた、だが、今は私の優雅な詩も衰え果て、わが病める詩神は他人に座を明け渡す。愛する者よ、なるほど、君の美貌を歌うのは、もっと立派な詩人にこそ相応しい仕事なのだろう、しかし、そういう詩人が君を歌い上げても、君から盗んだ物を払い戻すだけに過ぎまい。彼は成る程、美徳を貸してくれるだろうが、その言葉は君の振舞いから盗んだもの、美を与えると言うが、それも君の頬で見つけたものだ。称賛するといっても、君の中に生きている物をくれるだけのこと、だから君、彼が何を言おうとも 礼を述べることはない。彼が借りているのに、君が支払うのだから。 第八十聯、ああ、君よ、最近私は君を書く時に、何とも気力が萎える、もっと才能のある詩人が君のなまえを上げているのも、その名を称えるのに全力を尽くすのも、知っているから、だから君の名声を語ろうにも、私の舌は金縛りだ、だが、君のすぐれた人柄は大海のように広くて、粗末な小舟も、華麗を極める大船も等しくうかべるから、身の程知らずのわが小舟は彼の船よりずっと劣るのに、大きな顔をして、君の広やかな大洋にあらわれるのだ、私は君の浅瀬がちょいと助けてくれれば浮かぶけれども、彼の方は、測り知れない程に深い海を乗り切っていく。私は難破した所で、取るにも足らない小舟に過ぎないが、彼の方は作りも頑丈なら、飾りつけも美々しい豪華船だ、だから彼が栄えて、私が捨てられても、言えるのは、せいぜいが、わが愛がわが身の破滅という事だけ。
2024年08月14日
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谷狭(せば)み 峯邊に這(は)へる 玉葛(たまかづら) 這(は)へてしあらば 年に來(こ)ずとも(― 谷が狭いので峯の方に伸びていった玉葛の蔦のように私に対する気持が絶えないならら、たとえ一年中お見えにならなくとも、辛抱しておりますが)水莖(みづくき)の 岡の葛葉を 吹きかへし 面知る子等が 見えぬ頃かも(― 顔を知っているあの子が見えないこの頃だなあ)春駒の い行きはばかる 眞葛原(まくずはら) 何の傅言(つてこと)直(ただ)にし良(え)けむ(― 赤駒が行くのを控える真葛の原ではあるまいに、どうして人に伝言などをするのです、直に言えば良いのに) 日本書紀では政治的な風刺であったものが、此処では恋の歌と見られている。木綿(ゆふ)畳(たたみ) 田上山(たなかみやま)の さな葛(かづら) 絶えむの心 わが思はなくに(― このまま時が過ぎても、今でなくとも逢ってください)丹波道(たにはぢ)の 大江の山の 眞玉葛(またまづら) 絶えむの心 わが思わなくに(― 二人の仲が絶えるようにしたい気持は私は持っていないのに)大崎の 荒磯(ありそ)の渡(わたり) 延(は)ふ葛(くず)の 行方(ゆくへ)も無くや 戀ひ渡りなむ(― 大崎の荒磯の渡り場に這っている葛の行方が定めがないように、私の恋は行方なく続いていくであろう)木綿(ゆふ)つつみ 白月山(しらつきやま)の さな葛(かづら) 後もかならず 逢はむとそ思ふ(― 今でなくとも将来にでも、必ずあなたと逢いたいと思います)唐棣花色(はねずいろ)の 移ろひやすき 情(こころ)なれば 年をそ來經(きふ)る 言(こと)は絶えずて(― ハネズ・初夏に咲いて赤い花をつけ、その色は変わりやすいと言う 色のように変わりやすい心を持っておいでなので、お言葉だけは絶えないで、お見えないならないでもう年を経てしまいました)斯くしてそ 人の死ぬとふ 藤波の ただ一目のみ 見し人ゆゑに(― こうして人は死ぬと言うことです、ただ一目見たに過ぎない美しい人のもとで)住吉(すみのえ)の 敷津(しきつ)の浦の 名告藻(なのりそ)の 名は告(の)りてしを 逢はなくもあやし(― あの人は名を名乗ったのに、逢はないのはどうしてだろうか) 男の歌とも女の歌とも両様に取れる。みさご居(ゐ)る 荒磯(ありそ)に生(お)ふる 莫告藻(なのりそ)の よし名は告らせ 父母(おや)は知るとも(― ミサゴ・鷲鷹目の猛禽、鳶に似て、海岸や絶海の孤島に住み、魚をとって食う のいる荒磯に生えるホンダワラのそれではありませんが、もう構いませんから、あなたのお名前を仰ってくださいませんか、たとえ親たちが私達の仲を知るようになったとしても)波のむた たなびく玉藻の 片思(かたもひ)ひに わが思ふ人の 言の繁けく(― 波とともに片方に靡く玉藻のような片思いを、私が寄せている人について、他の人との噂が何やかやと立っていることよ)大海(わたつみ)の 沖つ玉藻の 靡き寝む 早來(き)ませ君 待たば苦しも(― 大海の沖の玉藻のように靡きあって寝ましょう、早くおいでくださいな、わが君よ、待っていると苦しく思われます)大海(わたつみ)の 沖に生(お)ひたる 縄苔(なはのり)の 名はさね告(の)らじ 戀ひは死ぬとも(― 焦がれて死のうとも、私はあなたの名を決して申しますまい)玉の緒を 片緒(かたを)に搓(よ)りて 緒を弱み 亂るる時に 戀ひずあらめやも(― 玉の緒を一方からよると緒が弱くて、切れて玉が乱れ散るように、あなたとわたしの仲が絶えたりすれば、その時に私は恋に苦しまずにいられはしないでしょう)君に逢はず 久しくなりぬ 玉の緒の 長き命の 惜しけくもなし(― あなたにお逢いせずに久しくなりました、もう私は長い命がなくなっても惜しいこともありません)戀ふること 益(まさ)れば 今は玉の緒の 絶えて亂れ 死ぬべく思ほゆ(― 恋の苦しみがますます甚だっしくなってきて、今はもう、玉の緒が切れて玉が乱れるように、心みだれて死にそうです)海少女(あまをとめ) 潜(かづ)き取るといふ 忘れ貝 世にも忘れじ 妹が姿を(― 私は決して妹の姿を忘れないであろう)朝影に わが身はなりぬ 玉かぎる ほのかに見えて 去(い)にし子ゆえに(― 朝影のように私は痩せてしまった。ほのかに見えただけで去ってしまったあの子なのに、それを思いつめて)なかなかに 人とあらずは 桑子(くはこ)にも ならましものを 玉の緒ばかり(― なまじっか人間でいずに、何の思いもない蚕にでもなったらよかったのに。ほんのしばらくでも)眞菅(ますが)よし 宗我(そが)の河原に 鳴く千鳥 間(ま)なしわが背子(せこ) わが戀ふらくは(― 宗我川の川原で鳴く千鳥が間を置かないように、わが背子よ、私の恋は全く絶える間がありません)戀衣(こひころも)着 奈良の山に 鳴く鳥の 間無くわが背子 わが戀ふらくは(― 奈良山に鳴く鳥のように、絶え間もなく定めた時もありません、私の恋の思いは)遠つ人 猟道(かりぢ)の池に 住む鳥の 立ちても居ても 君をしそ 思ふ(― 立っても坐っても、あなたを思っています)葦邊ゆく 鴨の羽音の 聲(おと)のみに 聞きつつもとな 戀ひ渡るかも(― あなたの評判ばかり聞いていて、逢えずに無性に恋しく想い続けておりまする)鴨すらも 己(おの)が妻ども 求食(あさり)して 後(おく)るるほとに 戀ふといふものを(― 鴨ですらも自分の夫や妻と一緒に食物をあさり歩いて、先に行かれたわずかの間にも恋しがると言うのに、まして人間である私は)白眞弓(しらまゆみ) 斐太(ひだ)の細江の 菅鳥の 妹に戀ふれか 眠(い)を寝(ね)かねつる(― 斐太の細江にいる菅鳥のように妹を恋しく思うからか、眠ることができなかった)小竹(しの)の上に 來(き)居(ゐ)て鳴く鳥 目を安み 人妻ゆゑに われ戀ひにけり(― 安心した気持で逢えるので、相手は人妻であるのに、気づいてみると私は恋しているのだった)物思ふと 寝(い)ねず起きたる 朝明(あさけ)には 侘(わ)びて鳴くなり 庭つ鳥さへ(― 物思いをするとて眠らずに起きていた夜明けには、鶏までが気力を無くして鳴いているように聞こえるよ)朝鴉(あさからす) 早くな鳴きそ わが背子(せこ)が 朝明の姿 見れば悲しも(― 朝鴉よ、あまり早く鳴きなさるな、わが背子が朝帰るお姿を見れば悲しいから)馬柵(うまさ)越(ご)しに 麥食(は)む駒の 罵(の)らゆれど なほし戀しく 思ひかねつも(― 馬柵越しに麦を食う駒の叱られるように、親に叱られるけれども、なお恋しくてじっとお慕いしていることが出来ません)左檜(さひ)の隈(くま) 檜の隈川に 馬駐(とど)め 馬に水飲(か)へ われ外(よそ)に見む(― 檜の隈川に馬を停めて水を飲ませなさい、私は他所ながらあなたのお姿を見ましょう)おのれゆゑ 罵(の)らえて居(を)れば あを馬の 面高夫駄(おもたかぶた)に 乗りて來(く)べしや(― お前さんのことで叱られているのに、青馬の面高のブチの馬に意気揚々と乗って来るとは何事でしょうか)紫草(むらさき)を 草と別(わ)く別(わ)く 伏す鹿の 野は異にして 心は同じ(― 紫草を他の草と別けながら伏している鹿が、夫婦で別の野に伏しても心は一つであるように、私とあなたは別れ別れにいても心は一つなのです)思はぬを 思ふといはば 眞鳥(まとり)住む 卯名手(うなて)の社(もり)の 神し知らさむ(― 思いをかけてないのに、思っていますなどと言えば、卯名手の神社の神様がその偽りを御存知になります。私は決して偽りは申しておりません) 以下、しばらく問答の歌が続く。紫は 灰指(さ)すものそ 海石榴市(つばいち)の 八十(やそ)の衢(ちまた)に 逢へる兒(こ)や誰(たれ)(― ツバイチの辻であったあなたは、何というお名前でしょうか)たらちねの 母が呼ぶ名を 申(まを)さめど 路(みち)行く人を 誰と知りてか(― 母が私を呼ぶ名を申したいと思いますが、路を行くあなたをどなたとも存じておりませんもの。あなたのお名前を先ず伺いたいと思います)逢はなくは 然(しか)もありなむ 玉梓(たまづさ)の 使をだにも 待ちやかねてむ(― お逢い出来ないのは仕方のないことですが、せめてお使いだけでも頂くことは出来ないものでしょうか)逢はむとは 千遍(ちたび)思へど あり通(かよ)ふ 人目を多み 戀つつそ居(を)る(― お逢いしたいとは千重に思っておりますが、往来する人の目が多いので、恋しく思いながらじっとしております)人目多み 直(ただ)に逢はずして けだしくも わが戀ひ死なば 誰(た)が名ならむも(― 人目が多いので直接逢わずに、もし私が焦がれ死にしたならば、誰の名誉になるでしょうか、誰のためにもなりませんね)相見まく 欲(ほ)りすればこそ 君よりも われそ益(まさ)りて いふかしみすれ(― お逢いしたいと思えばこそ、あなたよりも私の方こそずっと、おかしいことだなと思っておりますのに、どうしてそんな事を仰るのですか)うつせみの 人目を繁み 逢はずして 年の經ぬれば 生(い)けりとも無し(― 世間の人目が多いのでお逢いせずに年が過ぎてしまいました、生きた心地もいたしません)うつせみの 人目繁けば ぬばたまの 夜(よる)の夢(いめ)にを 繼(つ)ぎて見えこそ(― 世間の人目が多いから、せめて夜の夢に続いて現れて下さい)ねもころに 思ふ吾妹(わぎも)を 人言(ひとごと)の 繁きによりて よどむ頃かも(― 私は吾妹子にねんごろに心を寄せているけれども、人の噂がしきりに立つので、この頃は行かないでいるのです)人言の 繁くしあらば 君もわれも 絶えむといひて 逢ひしものかも(― 人の噂が頻りにたったならば、あなたも私もお付き合いを止めましょうと言ってお逢いしたのでしょうか、そんなはずはないのです)
2024年08月13日
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第五十七聯、私は君の忠実な奴隷なのだから、何時いかなる時でも、君の望み、欲望のままに仕える他には、何もすることはない、君からのお召があるまでは、自分自身に費やすほどのどのような貴重な時間もなければ、果たすべき勤めも持っていない。また、わが王よ、心の底から敬愛してやまない君主様よ、君を待って時計を眺めている時にも、いつ果てるとも知れない長い、長い時間を責めたりはしない、一度、君がこの下僕に別れを告げて出ていけば、一人で過ごす時間を辛く嫌だとも思わない、君が何処にいるのかを疑り深く詮索したり、どのような用事があるのか無いのかを勘ぐったりはしない。真面目な下僕らしくじっと坐って、君がどんな風に周りの人達を楽しませているのか、心の中で想像するだけだ。愛とは誠に愚かなものだから、この私の君への愛も、君が陰で何をやろうとも悪気があってのこととは思わない。 第五十八聯、最初に私をして君の奴隷になされた神が、御禁じになられたのだ、君がいくら快楽や愉悦に時を費やしても、抑えようとしてはならぬ、君に時間の収支決算、詰まり、君が何時、何処で、何をしたのかを、はっきりと明示せよなどと、要求してはいけない、と。何しろ私は君の御意のままにはべる従僕の身なのだからね。指図に素直に従うべき賤しい身分であればこそ、君が自由に外を出歩いていて、私が孤独の牢獄と言う地獄に閉じ込められていてもよい、君の不当な仕打を咎めるでもなく、辛抱の権化となり、小言のひとつひとつに黙々と耐えるのも構わない、何処に行こうと誰と会おうと、何をしようともよい、君が授かっている強大な特権は実に偉大だから、君は自分の心の赴くままに、欲望の命ずるに従い、君は自分で時間を割り振る自由を有しているのだ、権利があるのだよ。自分の犯した罪を自分で許す資格だって君は持っているのだ、だから私はじっと耐えに耐えて待たねばならぬ、こうして女々しく卑屈になって待つのが地獄以上の苦しみ、嘆きであっても、ひたすらに待っているのだ、君の快楽が善であれ、悪であれ、私には咎める資格などは端から与えられていないのだからね。 第五十九聯、この世に全く新しいものはない、今あるものは前にもあったのだ、人はそう言う、もしそれが正しいならば、我々の脳髄は途方もない妄想に取り憑かれ犯されているのか。新しいものを産むつもりで、前に生まれたことのある子供を再び産み直しているのだから、ああ、記憶を探り、過去を振り返って、太陽五百周の歳月を遡り、人が初めて心を文字に写しとり、書き綴った古代の本の中に、君の見事な姿を見ることが出来たなら、そうなれば、君のこの見事に均整のとれた美々しい肉体について、昔の人達が何を言い得たか、私達が進歩したのか、彼等の方が優れていたのか、それともまた、歴史は循環して同じ事を何度も繰り返すのか解かりもしように。いや、私は確信している、昔の才人達は君に遥かに劣る題材に賛嘆讃仰の言葉を捧げていたに違いないのだ。 第六十聯では、あたかも、小石に埋もれた浜辺に波が次から次へと押し寄せるように、私達に与えられている尊い時間も、刻々と一瞬も休むことなく、静かに音もなく終末に向かって急いでいるかに見える、それぞれの時が、先を行く時に取って代わり、みんなが押し合いへし合いしながら次から次へと進んでいく。例えば、母親の胎内を出た幼児は一度光の大海原に生まれ出るや這いにじり、直ぐに壮年に達するが、頂点を極めると、不吉な影が、その頂点に戦いを挑み、かつては豊かな恵みを与えてくれた時の神が、自分の恵み与えたその当のものを打ち壊す。時の神は青春と言う生命にとって最も華やかで美しい命を酷くも指し貫き、美の額に、幾重もの醜悪な皺を掘り穿ち、自然が生み出した完璧無比の手本をも食い荒らし、食いちぎる。残酷極まりない時の大鎌に刈り取られずにすむものは、地上には何一つない。だが、私の詩はその酷い手にあらがい、来るべき世まで持ちこたえ、君の素晴らしさを永遠に讃え続けるだろう、間違いなく。 第六十一聯、夜になると君の姿がどこからともなく姿を現しては、この重い目蓋を閉じさせず、倦み疲れる夜更けまで私を起こしておくのは、それは一体君の意志の力なのだろうか、君に似た幻が眼の前にちらつくのは、私の眠りを邪魔するつもりでいるからなのだろうか…、家からはこんなにも遠く離れた所まで、君の霊魂を送り込み、私の行動に首を突っ込もうと言うのか。私の乱行放蕩や、暇の潰しっぷりを暴こうと言うのかね、それが疑ぐり深くて猜疑心の塊である君の目的で、本音なのだろうか。いや違うね、君の愛は豊かでも、こんなにまでは大きくはない。私を目覚めさせておくのは、この私自身の君への大きな愛なのだよ、私の真実の愛が、私の安息をぶち壊し、君の為に夜警の役を勤めているのだ。私は君故に目覚めている、君もよそで起きてるのだが、私からは遠く離れて、他の者達のすぐ近くで、歓楽を存分に尽くすべく。 第六十二聯、自己愛という罪が我が眼にも、我が魂にも、わが肉体のすみずみまでも、しっかりと根付いている、この罪は、どうにも矯め直す方法がない、何しろ心の底深くに根を生やしているのだから、思うに、私の顔ほど気品に溢れたものはない気がする、これ程に完璧な肉体もないと、これ程に貴重な完璧さもないと思う、私としては、私の価値が他のあらゆる人々のあらゆる価値に勝るものだと、心密かに考えている。だがしかし、鏡が私の真の姿を、つまりは、日に灼け、年老いて、打ちのめされて、罅(ひび)割れた、この顔を映し出すと、私は自己愛を全く逆に解さざるを得なくなる、こういう自己を愛するのは、邪悪な事なのだと。私は、我が身のつもりで、君を、つまり、真の私を、称え、君の青春の美の輝きでわが老残の身を飾り立てているのだ。 第六十三聯、我が愛する者が、やがては今に私のように、邪悪な時の神の手で押しつぶされて、着物のように擦り切れる、時々刻々と若い瑞々しい血潮が涸れて、代わりに額に醜い皺が増えていく、そして青春の明るい曙が疲れきった足を引いて旅を続け、慌ただしく暮れる老年の夜に向かう、そして今、彼が王として統治している諸々の美は次第に姿を消して、視界から失せ、消えながらも彼に青春の宝をこっそりと掠めて行く。そういう時が早晩やって来る、私は全てを打ち倒す老年の無残な刃に備えて、守りを固め、たとえ、彼が愛する者の命を断ち切ろうとも、その美を人の記憶から切り放つ真似までは、させない。彼の美はこの黒いインクの文字の中に見られるであろう。この詩は生き続け、彼は此処では永久(とわ)に緑であろう。 第六十四聯、今は朽ち果てたいにしえの時代の華美で煌びやかで、贅を尽くした建築が、時の神の凶悪な手に穢され、かつては高く聳えた塔が跡形もなくなり、不朽の真鍮の碑が死の怒りの前に為すすべもなく屈従するのを見れば、また、飢えた大洋が陸の王国を侵略し、堅固な大地が大海原を打ち破り、向こうが失ってこちらが増やし、向こうが増やしてこちらが失う、その様を見れば、つまり、こうして物皆が移り変わり、栄華もまた崩れ落ちて、残骸となるのを見るとき、無残な廃墟を前にして私は想いを致すのだ、やがては恐ろしい時の神が現れて、わが愛する者を奪って行くだろう、と。この考えは謂わば死のようなもので、手中のものをいずれは失うと恐怖しつつ手もなく泣くしかないのだから。 第六十五聯、真鍮板も、石碑も、大地も、果てし無い大洋も、どの力も、結局はおぞましい死の前に屈服するしかないのだから、一輪の花の命ほどの力しか持たない美が、どうして、この猛威を相手に申し開きが出来ようか、ああ、破城槌をもって攻め立てる歳月の恐怖の包囲に、甘く香る夏の微風が、どうして持ちこたえられようか。頑丈な岩でも、鉄づくりの城門でも時の破壊に耐えるほどには強くはないのだ、思えば恐ろしい限りだ。時の所有する最上の宝石を、美そのものを何処に隠しておいたならよいだろう、最終的に時の棺桶たる櫃に返さずに済むだろう、どんな強力な手が一体時の速やかな足を引き止められようか、時が美を次々と滅ぼすのを誰に禁じることができよう。出来はしないのだ、わが愛する者が黒いインクの中で、永遠に輝き続けるという稀に見る奇跡が生じない限りは。 第六十六聯、こんなことには全くうんざりだから、安らかな死が欲しい、例えば真の価値が生まれながらの乞食であり、取り柄のない無が綺麗に着飾り、清廉潔白な忠実が惨めにも見捨てられる、そして金ピカの栄誉が浅ましくも場違いな奴に授けられる、純真可憐な美徳が酷くも淫売呼ばわれされ、正真の完璧が理不尽にも貶められる、力が足萎えの権勢に動きを阻まれ、学芸が時の権力に口を塞がれ、愚昧が学者づらして才能に指図を与え、素朴な誠実が莫迦という汚名を着せられ、囚われの善が横柄な邪悪に仕えるのを見るなんて、こんな事には全くうんざりだから、私はおさらばしたい、ただ死んで、愛する者を一人後に残すのが困る、悲しい。 第六十七聯、ああ、何ゆえに彼は腐敗堕落と一緒に生き、悪徳と付き合って奴に、栄誉を添えてやるのか、その為に、罪悪は彼を利用して、栄達を掴み、彼に付きまとってはわが身の飾りにしているではないか、何故、インチキな化粧が彼の美しい頬を真似て、あの生気溢れる顔色から死んだ上っ面をかすめるのか。彼の薔薇が本物だからとて、何故に貧弱な美までが、二番煎じのまがい物の薔薇を欲しがらねばならないのか、今は自然の女神が破産して、生命の血管を赤々と流れる、血も枯れ果てたのに何故、彼は生き続けなければならぬのか、今彼女に残されたのは彼の宝庫だけ、子沢山の身で彼の収入を当てにしているのか、ああ、ああ、彼女が彼を生かすのは、昔、自分がどんな富を持っていたかを、この邪悪な末世に示そうがためなのだ。 第六十八聯、してみれば、彼の頬は過ぎし時代の縮図なのだ、当時は美は花のように自然に生き、かつ死んだ。こうしたまがいの美の飾りは、まだ、生まれていなかったし、生きている人間の顔に住み着く気も起こさなかった、本当なら墓に納められていいはずの死んだ人の金色の巻き毛が切り取られて、二人目の頭で、二度目のお勤めをすることもなかった。つまり、死んだ美人の髪が他人を飾りはしなかった。彼にはああいう清らかな昔の時代が見られる、何の装飾も用いずいつも真実の姿を保ち、他人の緑を借りて、夏を作り出す事もなく、古人から盗んで新しく美を装うこともない時代が。自然の女神は、いわば縮図として彼を生かしているのだ、偽りの技巧に対して昔の美がどうであったかを誇示する目的で。
2024年08月10日
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行方(ゆくへ)無(な)み 隠(こも)れる 小沼(をぬ)の 下思(したもい)に われそも思ふ このころの間(あひだ)(― 人知れぬ恋を心に込めて私は物思いをしています、このごろずーっと)隠沼(こもりぬ)の 下ゆ戀ひ餘(あま)り 白波の いちしろく出でぬ 人の知るべく(― 恋しい気持を包みきれずにはっきりと様子に現してしまった、ひとが気づくほどに)妹が目を 見まくほり江の さざれ波 重(し)きて戀ひつつ ありと告げこそ(― 妹の姿を見たいと思い、堀江の小波が絶え間なく立つようにしきりに恋い慕っていると告げてください)石(いは)ばしる 垂水(たるみ)の水の 愛(は)しきやし 君に戀ふらく わが情から(― 石の上を激流落下する滝の水のように、激しくあなたを恋しています、私の心持ちひとつで)君は來(こ)ず われは故無(ゆゑな)く 立つ波の しくしくわびし 斯(か)くて來(こ)じとや(― あなたは来ず、私はわけもなしに立つ波のようにあとからあとから侘びしい気持に襲われます。こうして結局お見えにならないおつもりなのでしょうか)淡海(あふみ)の海 邉(へた)は人知る 沖つ波 君をおきては 知る人も無し(― 私の気持の浅いところは誰でも知っているのですが、深いところの本心はあなた以外に誰も知る人はないのです)大海の 底を深めて 結びてし 妹が心は 疑ひもなし(― 大海の底を一層深くするように、心の奥深く結びあった妹の気持は、もはや何の疑いもない)左太(さだ)の浦に 寄する白波 間(あいだ)なく 思ふをなにか 妹に逢ひ難き(― 左太の浦に間なく白波が寄せるように、いつも妹を思っているのにどうして逢うことが難しいのだろう)思ひ出でて 爲方(すべ)なき時は 天雲(あまくも)の 奥處(おくか)も知らず 戀ひつつそ居(を)る(― 思い出されて何ともするすべがない時には、天雲の奥底が分からにように、果てもなく想い続けておりまする)天雲の たゆたひやすき 心あらば われをな憑(たの)め 待てば苦しも(― 天雲のように揺れて定まらない心をお持ちならば、頼りに思わせないでください。おいでをお待ちしていると苦しくてなりませんので)君があたり 見つつを居(を)らむ 生駒山(いこまやま) 雲なたなびき 雨は降るとも(― わが君の家のあたりを見ておりましょう、奈良県の生駒山に、雲よ、たなびかないで下さい、たとい雨が降ろうとも)なかなかに なにか知りけむ わが山に 燃ゆる火気(けぶり)の 外(よそ)に見ましを(― なまじっかどうしてあの人を知ってしまったのだろう。私の山で、春の頃に燃える野火の煙をよそながら見るように、無関係に傍から見ていればよかったのに)吾妹子(わぎもこ)に 戀ひ爲方(すべ)無かり 胸を熱(あつ)み 朝戸開(あ)くれば 見ゆる霧かも(― 吾妹子が恋しくて仕方がない、胸の熱さに朝戸を開けると、朝霧の流れているのが見える)暁(あかとき)の 朝霧隠(あさぎりごも)り かへらばに 何しか戀の 色に出でにける(― 夜明けの霧に隠れていたのに、かえって私の恋が外に表れて人に知られしまったのはどうしてだろうか。 別解 朝霧に身を隠して家に帰ったのに、どうして人に知られたのだろうか)思ひ出づる 時は爲方(すべ)無み 佐保山に 立つ雨霧(あまきり)の 消(け)ぬべく思ほゆ(― 恋しい人を思い出すときは何とも仕方なくて、奈良県の佐保山に立つ朝霧が消えていくように、我が身も儚く消えてしまうように思われます)殺目山(きりめやま) 往反(ゆきかへ)り道(ぢ)の 朝霞 ほのかにだにや 妹(いも)に逢はざらむ(― 和歌山県のキリメ山の行き帰り道に立つ朝霞のように、ほのかにすらも妹に会えないのであろうか)斯(か)く戀ひむ ものと知りせば 夕(ゆふべ)置きて 朝(あした)は消(き)ゆる 露にあらましを(― こんなに恋に苦しむものと知っていたなら、夕方おいて朝には消えてしまう命の短い露であったらよかったものを、人間などに生まれてしまって、とんだひどい目に遭うことです) 作者は恋の苦しさをどう受け止めているのでしょうか、言葉の表現では否定的ですが、心の中では喜びをかみしめてもいる、私には、どうしてもそう読めてしまう。有り難くも人間に生まれたからこそ、恋の苦しみという格別の経験をすることができた。何も感じないであろう露などであったならば時間とともに何事もなく事態は推移して、八百万の神々の眼を楽しませることだけに終始して、森羅万象は古代も未来も同じで、平穏無事な世界が永遠に継続するのみ。人間なぞという片輪者がどう間違ったのか自意識などという半端な物を自覚して、生殖に付随する半チクな恋心などを後生大事に抱え込んで…、もうやめましょうね、恋とは人間に特有の病気ですが、それゆえに他の動物にはない 勿体無くも、有難い 嘆きや苦しみ を味わわせてくれる、何とも得体の知れない代物なのですが、その体験を表現して和歌に仕立てる、これは人間の素晴らしさの証明でもある。人間に生まれ、恋の苦しみ死ぬほどの辛い目にあう、なんて素敵なことなのか、得恋も失恋も、おしなべて素晴らしい、ハッピーエンドは必ずしも幸福の終着点ではなく、叶わぬ想い、届かぬ気持、片思いの痛恨、恋にまつわる全てが、全部素晴らしい、神、仏がそう仕組んでくださっている。恋の歓びや苦しみを知るからこそ人間存在は無限に素晴らしい、敢えて創造神よりも、と恋にトチ狂っている癲狂老人たる私は無理にも主張しておきましょうね。誰か異論のあるお方がいらっしゃればどしどしこの恋愛至上主義を無理やり振りかざしている私に直接お考えをお聞かせくださいませ。恋愛論以外でも私には色々と特殊な体験を重ねている関係で呼吸が合えば楽しい意見交換ができるやもしれませんので、是非、あまり期待しないでご連絡ください、どうぞ。夕置きて 朝は消ゆる 白露の 消ぬべき戀も われはするかな(― 夕方に置いて翌朝には消えてしまう白露のように、私は儚い恋をしています)後(のち)ついに 妹は逢はむと 朝露の 命は生(い)けり 戀は繁けど(― 将来妹は必ず会ってくれると頼みにして、朝露の儚い命を生きています、しきりに恋しくて、苦しいけれども)朝な朝な 草の上(へ)白く 置く露の 消なば共にと いひし君はも(― 朝な朝な草の上に白く置く露が消えるように、消えるなら一緒にと言った我が君は、今どうしているであろうか)朝日さす 春日(かすが)の小野に 置く露の 消ぬべきわが身 惜しけくもなし(― 朝日のさす春日野に置く露が消えるように、消え去るに決まっている私の身は何の惜しいこともありません。身も心も全部あなた様に差し上げましょう、たった今でも…)露霜の 消やすきわが身 老いぬとも また若反(をちかへ)り 君をし待たむ(― 露や霜のように消えやすい我が身は年老いようとも、また若返ってあなたをお待ちしたいと思います)君待つと 庭にし居(を)れば うち靡く わが黒髪に 霜そ置きにける(― あなたをお待ちするとて、私が庭に居るとうちなびく私の黒髪に霜が降りていました)朝霜の 消(け)ぬべくのみや 時無しに 思ひ渡らむ 息(いき)の緒にして(― 朝霜が消えるように命も消えそうに、いつも想い続けるであろう、命の綱と思って)ささなみの 波越すあざに 降る小雨(こさめ) 間(あひだ)も置きて わが思はなくに(― ささなみの・地名、或いは小波の意か 波の越してくるアザ・地勢上の特殊な窪みや穴を言うか に降る小雨がしとしとと間がないように、頻りにあなたのことが思われます)神(かむ)さびて 巌(いはほ)に生(お)ふる 松が根の 君が心は 忘れかねつも(― 神々しい巌に生えている松の根のようなしっかりしたあなたの心を私は忘れかねています)御猟(みかり)する 雁羽(かりは)の小野の なら柴(しば)の 馴れは益(まさ)らず 戀こそ益れ(― あなたに馴れはまさらっずに、恋しさばかり勝ってしまいます)櫻麻(さくらを)の 麻原(をふ)の下草 早く生(お)ひば 妹が下紐(したひも) 解かざらましを(― サクラオの麻原の下草が気がつかないうちに早く伸びるように、誰かが早く言い寄っていたら、私が妹の下紐を解くようなことはなかったろうに)春日野(かすがの)に 浅茅(あさぢ)標結(しめゆ)ひ 絶えめやと わが思ふ人は いや遠長(とほなが)に(― ふたりの仲がいつまでの絶えたくないと願っている私の人は、どうかいよいよ遠く長くお元気でいらしてください)あしひきの 山菅(やますが)の根の ねもころに われはそ戀ふる 君が姿に(― 山菅の根が細かく絡み合っているようにねんごろに、私はあなたの美しいお姿を恋い慕っておりまする)杜若(かきつばた) 咲く澤に生(お)ふる 菅(すが)の根の 絶ゆとや君が 見えぬこのごろ(― ふたりの仲がもう絶えるというのでしょうか、あなたがお見えにならないこの頃です)あしひきの 山菅の根の ねもころに 止(や)まず思はば 妹に逢はむかも(― 山菅の根が細やかに絡み合っているように、ねんごろに止まずに心を寄せていたら妹に逢うことができるだろうか)相思はず あるものをかも 菅の根の ねもころごろに わが思へるらむ(― 私を思ってくれないものを、私は心を込めて思っているのだろうか)山菅の 止(や)まずて君を 思へかも わが心神(こころど)の このころは無き(― いつもいつもあなたを思っているからか、私のしっかりした心はこの頃は失われてしまいました)妹が門 行き過ぎかねて 草結ぶ 風吹き解くな 又頼りみむ(― 妹に家の門前を通り過ぎかねて私は草結びをする。風よ、吹きほどくな、また帰ってきて妹に会いたいのだから)浅茅原(あさぢはら) 茅生(ちふ)に足踏み 心ぐみ わが思ふ子らが 家のあたり見つ(― 浅茅原に足を踏み入れると足が痛いように、心が痛く苦しくて、恋しいあの子のあたりに眼をやった)うち日さす 宮にはあれど 鴨頭草(つきくさ)の 移ろふ情(こころ)われ持ためやも(― 宮仕えはしておりますが、ツキクサの様な色変わりやすい心を私は持っておりません)百(もも)に千(ち)に 人は言うとも 鴨頭草の 移ろう情(こころ) われ持ためやも(― あれこれと人は噂をたてましょうとも、私はツキクサのような変わりやすい心を私が持ちましょうか)忘れ草 わが紐に着く 時と無く 想い渡れば 生(い)けるとも無し(― 忘れ草を私は紐につける、ひっきりなしに恋しく思っていると、生きている心地もしないから)暁(あかとき)の 目さまし草(くさ)と これをだに 見つつ坐(いま)して われを偲(しの)はせ(― 暁の目覚めの時のものとして、せめてこれだけでも眺めておいでになって、私を偲んでください)忘れ草 わが紐に着く 時と無く 思い渡れば 生けるとも無し(― 忘れ草を私は紐に着ける、ひっきりなしに恋しく思っていると、生きている心地もしないから)浅茅原 小野に標結(しめゆ)ふ 空言(むなしこと)も 逢はむと聞(き)こせ 戀の慰(なぐさ)に(― 浅茅原に標を結っても空しいように、空しい嘘にしても、逢いたいとおっしゃってください、私の恋の慰めに)人皆の 笠に縫ふといふ 有馬菅(ありますげ) ありて後にも 逢はむとそ思ふ(― 私は今は会えなくともこうしていて時が経ったあとに、何時かはお会いしようと思います)み吉野の 蜻蛉(あきづ)の小野に 刈る草(かや)の 思ひ亂れて 寝(ぬ)る夜しそ多き(― み吉野の蜻蛉の小野で刈る草の乱れるように、恋心に思い乱れて寝る夜の多いことよ)妹待つと 三笠の山の 山菅(やますげ)の 止(や)まずや戀ひむ 命死なずは(― 妹と逢うときを待つとて、止まずに想い続けることであろうか、生命のある限りは)
2024年08月07日
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第四十七聯、私の眼と心との間に講和条約が結ばれて、今はお互いに相手を助け合っている、例えば私の眼がせめて一目をと飢え焦がれると、熱病のような恋に悩む心が、溜息をつきながら胸をふたげると、眼は我が愛する者の絵姿を眺めて正餐となし、この絵に描いた豪華な饗宴に心を正客として招待してやる、また、時には眼が心の客となり、深く豊かな愛の饗応にあずかったりもする。こうして君の絵姿や、我が愛の思いが、君と遠く離れていても愛しい君を私の側に引き寄せてくれるのだよ、君は我が思いの届かない場所には決して行かれない、私は四六時中君に熱い想いをかけ、想いは常に君のそばにいるのだから、たとえ想いが眠っても、眼の中の君の姿が私の思いを目覚めさせ、心と眼を楽しませてくれる…、君よ、愛する恋人よ、こんな私が幸福だと思えるかね、私は決して不幸ではないが、さりとて夢現の有頂天に在るとも言い難い、ひょっとしたらこの世での焦熱地獄に陥ってしまっているのかも知れないのだが、私には他に生きようが許されていないのだから、これも運命と諦念を以って受け止めている。だが、恋とは、人間の殉愛とはこれ以外に道はないのだから、私は結局世界一の幸福者だと断定せざるを得ない。地獄は取りも直さずに天国であり、天国とは即ち地獄の別名だ。幸福は不幸だし、不幸とは幸福の最上級の呼び名だ。 第四十八聯では、今度旅に出るとき、私はどんなにか細心に、念入りに細かな品々を一つづつしまい込み、頑丈な掛け金をかけておいたか。安全確実な金庫に任せておけば、また使うまでは無事で手つかずであり、強欲な盗人共の手には渡るまいから。所で私の所有する宝石類などは、君に比較すればただのガラクタに過ぎない、君は我が最上の歓びにして、同時に我が最大の悲しみ、今旅に出ているが故にだよ、こよなく大切であると同時に、また唯一の悩みの種だ。その命よりも大切に思う君を、そこいらの泥棒風情が狙うままにして来たとは。当然に私は君を箱に入れて鍵をかけておかなかった、ただ、君が居るようでいて、実はいない場所に、つまり、この胸と言う優しい囲い地に入れて、気儘に出入りできるようにしておいたのだ。此処からだって盗まれる虞れはある、こんなに高価な獲物があると知れば、正直者でも押し込み強盗になろうからね。 第四十九聯、君の私への愛が慎重なる比較考量を行った末に、総決算を付ける気になり、最後の精算をすませ、挙句には私の足りぬ所に顔をしかめて見せる、そんな時が来るのに備えて、仮に来るとしての話だが、また君がその太陽の眼差しで挨拶もくれず、よそよそしげに私の側を通り過ぎて行く、愛が昔の姿をがらりと変えて、すげなく、堅苦しい態度をとる口実を見つけ出す、そんな時が来るのに備えて私は今のうちに、我が身の程をよくわきまえて身を守るとしよう。証人が法廷で宣誓をするときのように、この我が手を上げて我が身に不利な証言をなし、君の尤も至極な言い分を進んで弁護するとしようよ、君には至らぬ私を捨てる法律上の確固たる根拠があるのだ、君がほかならぬ私を愛さねばならぬ理由を、当方は申し立てられぬのだ、残念ながら、即ち、幸福なことにだ、その際に私はえびす顔をしていることだろう、きっと、いや、満面に私にできる最高の笑みを浮かべている…。 第五十聯、君よ、愛する君よ、なんと重い心で私は旅を続けていることか、私の求めるもの、詰まり、辛い旅の終わりが、そのくつろぎが、その憩いにこう言わせるのだ、「お前は友からこれだけ離れてしまったのだね」、と。私を乗せた馬は、私の嘆きに疲れ果てて、のそのそと足を引きずりながら緩慢に歩みを進め、私の胸の内にある重く暗鬱な気持を運んでいく、まるで、此奴め、この乗り手は君から離れるのが嫌さに、先を急ごうとはしないのさ、とその本能で悟ったかのような振舞いなのだ、私はと言えば、時には癇癪を起こして怒りに任せて馬の横腹を突きはするが、血まみれになった拍車にも、奴の脚を早めるだけの効き目はない、ただ、物憂げなうめき声でこれに答えるだけだ、脇腹の拍車も痛かろうが、私には呻き声の方がもっと痛い、何故と言って、このうめき声が私に思い出させるのだ、悲しみの累積が行く手に有り、様々な歓びは背後に去ったことを。 この人馬の苦痛と嘆きは、美青年と詩人との愛の現在形を具現化している、少なくとも詩人はそれを明瞭に意識して描写している。平凡な描写が非凡さを表現して代表例だろうか。 第五十一聯、今度の旅で私が君から遠ざかる時には、わが愛は、君に対する寛大にして、慈愛に満ちた愛情はのろまな馬の遅滞の罪を、こう言って許してもやれる、我が愛する恋人から、君から、君のいる懐かしい場所からどうして急いで離れる必要があろうか、と。帰る時までは走る必要などありはしないと。だが、その時には、この哀れな奴にどんな言い訳を言わせてやろうか、帰る際には力の限りに疾走しても、じれったくて堪るまいよ、そうなれば私はたとい疾風颯(はやて)に乗っていようとも、拍車をかけるさ、翼を生やして宙を飛んでいようとも動いている気がしないだろうよ、そうなれば、どんな瞬足の馬であっても、わが欲望の速さにはかなわない。だからして、最も完璧な愛からなるこの欲望は、焔となって駆け、並みの馬じゃあない、ペガサスの如くに嘶くだろう、だが、愛は愛の心ゆえに、こう言って私の駄馬を許してやる、「君から去る時に、これは態と遅く歩んでくれた、だから帰りには私が走って、これは歩かせてやろう」。 第五十二聯では、私は実際に金持ちのようなもので、有難い鍵を持っているので、金庫にしまった大切な宝物のそばに行けるのだ、しかし本当の金持だって極端な話、一時間置きに自分の宝を見ようとは思うまい、それでは、時折の楽しみの鋭い鋒をなまらせるだけだからね。祭日があれほどに晴れがましくて貴重なのも、長い一年の間にごくたまにしか巡ってこないから、貴重な宝石のように、まばらに埋め込まれているからなのだ。或いは、首飾りの大宝石のように、と形容してもよい。君をしまいこんでおく時と言う囲いも、まあ、私の宝石箱か、衣装を入れておく贅沢な箪笥みたいなもので、これは華やかものを閉じ込めておいて、また時に解き放つ、そして格別な機会を格別に楽しく盛り上げてくれる。君よ、君よ、君は本当に素晴らしい、その徳を手に入れれば突き上げるような歓喜があり、手になければ、それでも大きなかけがえのない希望を与える。 第五十三聯、君の恒常不変の実態とは一体どのようなものであろうか、無数の、異様な影が君にぴったりとつき添っているではないか、人は誰でも、それぞれ一つの影を持っているが、君は例外的に一人であらゆるものの影を見せてくれる。ギリシャ神話中の美少年のアドニスを絵に描いてみたまえ、その絵姿は君を粗雑になぞったお粗末な模写にしか過ぎまい、また、トロイアの王子パリスに奪われてトロイ戦争の原因を作った美女のヘレンの頬と容貌に美の限りを尽くしてみたまえ、ギリシャの衣装を纏った君が新しく描かれるに過ぎないだろうよ、一年の春について、秋の豊饒について語るもいいさ、だが、ここでも春は君の美の影を見せるに過ぎず、秋は君の大様な恵みとして現れるにしか過ぎない。詰まりは、私達はこの世でのあらゆる見事な形の中に君を、その本質的な見事さを見ることになる。君は外界の優雅なものすべてと何かを頒かち合って居る、だが、だが、その変わらぬ心と本質は誰とも違うし、誰もかなわない、天と地ほどに隔たりがあり、異なっている、ああ、君よ、私の魂を震撼させてやまない神々の上をゆく、絶対美の象徴よ。私の言葉はもう君を形容する道具たる価値を喪失してしまう、君よ、私の君よ。 不出世の天才詩人が不可能と断じたた訳ではなく、勝手訳の古屋が仮に言っているので、美青年の美青年たる所以の素晴らしさを形容することなどは神業ですら出来ないと詩人はほのめかしている。だから、天才絵師でも、比類なき彫刻家でも、現代で言えば傑出したフォトグラファーだって詩人の鑽仰する美青年の片鱗すら捉えることは出来ないのでしょう。つまり、その客観性は兎も角、詩人の心を捕らえて離さない美青年の魅力は言語を絶している。そのことだけが詩人のレトリックを越えて我々に確実に伝わって来るのだ。 第五十四聯、ああ、君よ、心も姿も共に素晴らしいこの世のバラの女王よ、君の真実の心がああいう見事な飾りを添えるせいで、その美が更に映えてどんなに美しく見えることか。薔薇の花は美しい、無条件に、だが、そこに香しい馥郁たる香りが潜んでいるからこそ、尚更に美しいと思えるのだ、それは、野ばらの花にしたって、この香り高い薔薇と全く同じ、濃く、深い色合いをしている、同じく刺ある枝に花咲き、夏の息吹が莟(つぼみ)に触れて、花の顔を開かせると、気儘に風と戯れるのも変わりはない、だが、野ばらの取り柄は見かけにしかない、だから、誰にも求められずに、誰からも構われずに色あせて、ひっそりと死んでいくだけ。が、香しい薔薇はそうはない、香り豊かな貴重な香水は馥郁たる薔薇の 死骸 から作られる。君もそうだ、美しく愛すべき若者よ、その青春の日が消え失せぬ日に、この私の詩歌が君の真実を 蒸留 するのだよ。 第五十五聯、栄華を極めた王侯達の大理石の墓も、金箔を美々しく貼った記念碑も、この私が今物している力溢れる詩歌ほど長くは生きられない、詩が時という暴虐に逆らって不滅の生を得るとする主題は、既にローマの詩人たち、例えば「転身物語」を書いたオヴィディウスや「歌章」を表したホラーティウスに始まり、ルネッサンス期の詩人たちにも広く用いられた主題なのだが、穢れた時の埃にまみれて打ち捨てられる幾多の石碑よりも、この詩の中でこそ君は更に光り輝くに相違ない。何もかも破壊しつくす戦争が彫像を押し倒し、騒乱が石造りの頑健な建物を根こそぎ覆しても、君を偲ぶこの永遠の輝かしい記録だけは、世にも恐ろしい軍神マールスの剣にかかわらず、戦いの猛火に焼かれはしない。君は決定的な一撃をもたらす死にも、呵責なく攻め滅ぼす忘却を必然する全ての敵にもひるむことなく、堂々と歩み続けるだろう、君の不滅の栄誉は何時までも、何時までも後世のあらゆる人々の眼にとまり、この世の終末に至るまで生き続けて行く、それは確実なのだ、だから、最後の審判の日が来て、また蘇るまで君は、君こそは私の光栄ある詩の中で生き、世々の麗しい恋人達の目に住まうのだ、ああ、ああ、君よ、私がこんなにも愛してやまない美の女神にしてそれ以上の存在者、神以上の神的実質よ、永遠に栄えあれ、ああ、君よ、ああ…。 第五十六聯、我らふたりの間の愛よ、麗しい愛よ、お前の本来の精力を、精悍なエネルギーを蘇らせてはくれないか、お前の刃は様々な欲望よりも鈍い、などと人に言わせるな、欲望と言うやつ、食べさせれば今日だけは満足するが、明日になれば元の鋭い力を取り戻す、愛よ、我らの間の切なくも愛しい愛よ、愛よ、お前もそうあってくれ、たとえ、今日はその飢えた眼がたっぷりと眺め、十分に満足して眠っても、明日は、また、眼を開けてよく見てくれ、いつまでも、沈み込んでいて、肝心の愛の精神を扼殺してくれるな、この一時の倦怠と悲しみが陸地を分け隔てる海のようであればよい、契ったばかりの二人が毎日岸辺に立つのは、新鮮な新たな愛が戻ってくるのを見て、一層幸福に浸りたいからだ。この時期をふたりの間の冬と呼んでも良い、苦労はつきないけれどそれだけに夏は、一層楽しかろう、幾重にも望ましくて、なお一層素晴らしい…。
2024年08月06日
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第三十九聯、ああ、ああ、ああ、君よ、私の優れた所の一切である君よ、君よ、私は慎みを失わずにどれだけ君の美徳を賞賛讃仰できるだろうか、慎みなどいらぬ抑制などは必要ないことなのだけれども…、私が自分自身を褒めたたえた所で、私に何の得があるというのだろうか、ベターハーフたる君を当然の如くに賞賛するだけにしか過ぎない、私が君を、この世の至宝を当然のこととして褒めたたえたとして、それは自分を褒めたことでしかない。だからこそ、二人は別々に別れて生きようではないか、君、この深い、真実の愛情から一つの物と言う呼び名を取り除けようではないか、私はこの別れによって君一人だけが受ける資格のあるものを、君に対する絶対的な賞賛を、捧げることが出来ようからね、ああ、別離よ、死ぬよりも辛い別離よ、本当ならこれはどれほどに辛く悲しい苦しみとなるか。実際にはそうはならないので、この苦い閑暇が我々に甘い許しを与え、甘美な甘い思い出に浸りながら時を過ごさせてくれるから。それが時間と気の塞ぎとを欺いて、心を楽しませて呉れるからだ、また、遠くに居る人を私の詩歌の中では正当に誉めちぎり、一人を孤独ではなくて、温かな二人にしてくれるからだよ、そうだろう、君、愛おしい素晴らしい君よ、ああ…。そして遠くに居る人を私の詩の中では褒め讃えて、別々に分かれている一人をそれぞれに二人にする術を我々に教えてくれるのだ。 そして第四十聯、愛する者よ、君よ、私の全てよ、私の愛情も、恋人も、いっさいがっさいを奪うがよい、奪うが良い、私の愛も恋人もだ、それで試みに質ねるのだが、これまでよりも物持になったのだろうか、どうなのかね、今さらに真の愛情と呼ぶ程の物は私はもう持ち合わせてはいない、愛する君よ、心の底から敬愛もする君よ、君が僕から奪い取る前から私の真の愛情は全部が全部、君の物だった、もし、私を愛しているから私の愛人の愛を受け入れたのなら、私の女と君がベッドを共にしたと言って、君を咎めるわけにも行くまいよ、だがしかし、嫌いなものを無理して味わった挙句にこの忠実な下僕でもある私を残酷に裏切るのならば、咎められても当たり前だ、君よ、この上もなく優しい酷薄な盗人よ、君よ、ああ、君よ、君は乏しい私の財産の一切合財を酷くも掠め取ったけれども、それでも私は君の行為を許す、憎悪が危害を加えるのはこちらも予期し我慢する覚悟をしていたが、愛の裏切りに実際に耐え抜くのは、愛する者にとっては予想以上に辛く厳しい、ねえ、君、色好みの美男子さんよ、君はどんな種類の悪さをしでかしても良く映るのだ、だから、せいぜい酷い仕打ちで私をとことん殺せ、完膚なきまでに叩き潰せ、が、君、君もよく承知しているように二人は終生敵にはならない、そう、心底から愛し合っているから、運命の相手同士だから…。 どうやら美青年は詩人を手酷く裏切り、恋人の女を手に入れてしまったようだ。けれども、詩人は言葉の上では兎も角も、実際には微動だにせずに彼への殉愛に撤しようとしている。とにかくこの青年は人類史上で最高に素晴らしい人間なのだ、彼のすることはすべてが神によって許されている、人間に許せないはずもないのだ。私などは、光源氏を想像すればそんなに難しくもなくイメージを膨らませることが可能だが、普通に神に近い理想的な人物と単純に考えていればよいので、詩人がプライドも見栄も何もかも捨てて青年への盲目的な愛に、献身的な純情に殉じようとしている健気さを無邪気に信じさえすればよいのだ。詩人とは大人でありながら心は純情可憐な子供と何ら変わらない無垢なお人だと理解すれば事足りるのだった。 第四十一聯、時折、私が君の心のそばを離れている隙に、気随気ままな放蕩に引きずり込まれてちょいとした過ちを犯すのは、君の美貌と若さには誠に似つかわしいこと、君は何処へ行っても常に誘惑の手が付きまとっているのだからね、しかも君は無類に優しいから相手の口説きに落ちやすい、君は度外れに美しく魅力的だから社交場の中心的存在にならないわけがない、女はもちろんのこと男たちだって盛りのついた獣同様に奮い立ち、攻撃を仕掛けてくる、それに男子たるもの女から攻撃を仕掛けられて、据え膳宜しく、おめおめと引き下がれようか、ああ、でも君、君、私の席とも称すべき、あの女性には手をつけては欲しくなかった、君の美と若さを一寸叱りつける余裕を示してもらいたいところだったが、出来てしまったのだからもう泣き言を言っても後の祭りだ、社交場での狼たちは血気に逸って君を引きずりまわし、挙句には、二重の意味で君の心の誠を、真実を破らせずには置かないのだからね、先ず最初は君のたぐいまれな美貌が女達の欲情を誘惑して彼女達の真を無残に破り、次いで、君の美貌は私の心臓と心を破り、裏切って君の真実を完全に破壊しさるのだ、実に、ああ、君よ…。 青年は残酷無残にも詩人の情人を寝盗り、詩人のハートを破壊し去った。事実であるが、事実ではない。これしきのことでは詩人の強靭な精神はびくともしない。詩人は静かに身体全体の痛みに耐え、自己の心の真実に想いを凝らすだけだ。 第四十二聯では、君よ、最愛のわが宝よ、君が私の大切な彼女を手に入れたのが、私の悲しみの全てではない、まあ、それは、私は心から彼女を愛したとはいえるけれども、彼女が君を物にしたこと、これが私の第一の嘆きなのさ。この方がずっと骨身にこたえる愛の損失だと言える。ええいっツ、愛の犯罪者達め、それでも私は君をこう弁明してやろう、君は私の彼女への真剣な愛を知悉しているが故に彼女を愛するのだと、また、彼女の方でも同様に、私を思う故に私を意図的に欺き、わが最愛の友が自分を味見するのを敢えて許すのである。たとえ私が君を、君という掛け替えのない愛人を失っても、この損失は私の女の得に必ずなるのだよ、君、そして私が彼女を失ったとしても、君、我が最愛の友がその失せ物を手にするのだ、即ち、私が大切な物二つを同時に失ったとしても、その二つが互を見つけ合い手を取り合うのだ、二人は手を取り合って私に重い十字架を担わせてくれるわけだ。だが、しかし、此処にも歓びはあるのだよ、詰まり私とわが友とは一心同体なのだから、ああ、甘美な幻惑よ、いやまさに真実そのものなのだが、結論を言えば、わが麗しの情婦は結局私一人を愛しているのだよ、まさに、君、そうだろうじゃないか、君、君…。 第四十三聯では、私の両目はぴたりと閉じている時に、最も良くものを見ている、昼日なかは、物を見るとしても碌に対象を捉えてはいないのだ、しかし眠ると、私の視線は夢の中で君の有難い姿を見出して、闇の中でも明るさを取り戻しては、はっきりと暗黒に焦点を定める、するとどうだろう、君の幻影が夜の暗闇を明るく照らし出すわけなのだよ。この幻影の本体である君が、昼よりもなお明るい光を放っては、明るく眩しい昼間に姿を現してくれたら、どんなにか楽しかろう、何しろ君の影は見えぬ眼にもこんなにも光り輝くのだからね。真夜中に、深い深い眠りの中で、見えぬ眼に、その美しく虚ろな影が出現するのなら、再度言おうか、まっ昼間に君を見たならば私の眼はどんなにか幸せな思いをすることだろう、君を現実に見るまでは、私の眼には昼も夜と同じことであり、又、夢が君の香しい姿を見せてくれるのなら、漆黒の夜も光眩しい昼間も同然なのだからね。 続いて第四十四聯、この私の肉体と言う重い物質が思考のように軽ければ、酷く邪魔っけな道のりも私の足を止めはしないだろう、そうであれば、私は君からどんなに遠く離れていても、どんなに僻遠の土地からでも、私は即座に君のいる場所へやって行くだろうに。たとえ、この足が君から隔たること遥かに遠い、地の果てに立っていようとも、そんなことは問題にもならない、身の軽い思考は、行こうと思う土地を思い浮かべると、海も大地もたちどころに飛び越えるのだからね、だが、私は思考ではないから、そう自覚すると急に心が滅入ってしまう、懐かしい君と離れても、何百里を跳びこすわけにもいかないのだ、ああ、残念無念、私の肉体は大方が土と水で組成されているから、ただ嘆きながら時のご機嫌をうかがうしかない、請願人が強大な権力者に媚びへつらうように。でも、この鈍い二元素にかけて言うが、頂戴するのはただ悲しい涙だけで、この二元素の嘆きの印、悲しみの涙…。 詩人の嘆きは極めて人間的だ、精神的には自由自在を我が物とし得ている天才も、うつしみの鈍重な肉体の檻に閉じ込められている囚人も同然で、おまけに賤しい身分という首枷までつけられている。言葉の自由は現実の桎梏をよう克服し得ない、平凡人も変わらないし、貴族や王侯と言えどもその点ではあまり変わらないのだ。人間である歓びは、人間である悲しみと背中合わせの関係にある。古代の日本では、天人や天上界の女人と交わったとしても、相手は最後には清浄なる本来の場所に帰ってしまうと言う、諦念のようなものがあった。この世は憂きもの、不浄なる人間世界といった固定観念があって、異世界への止むことのない憧れが根底にあった。大空を自由に行き来している鳥達への憧れもあって、涯てしない大空への夢想は限りなく膨らんでいたようである。私などは古代の日本列島は周囲を清浄極まりない美しい海に囲まれた理想境と理解しているのですが、人々の生活も質素ではあっても麗しいものであったに相違ないと勝手に決め込んでいるのですが…、詩人の住んでいた英国は十六七世紀ですから、日本でも戦乱の時代を迎えてますから人間を美化ばかりして済ますわけにもいきませんね。 念の為につけくわえておきますが、私個人は理想的な人間など求めてはいませんで、ごくごく当たり前の普通人が大好きでして、大抵の人間は嫌いではなくて、好きです。これも他人との比較ではなくて、個人的な見解ですが、私ほど人間関係で恵まれている者はいないと考えています。その頂点には女王様の如き 悦子 が君臨しており、友人知人が皆人間臭くて面白みがあり、興味深い人が大勢いましたし、現在も人間関係では極めて恵まれており、浅草の観音様を始め神仏の御加護のお陰で幸せな生活を送ることができており、このソネットの味読も猛暑の夏には絶好の消夏法として役立っており、実に有り難くて感謝の極みなのであります。 第四十五聯、他の二つの元素、つまり、軽い空気と浄めの火だが、私が何処に居ようとも両方ともに君と一緒にいる。一つは私の思考だし、もう一つは私の欲望だ、この二つが私と君の間を行ったり来たりして、目まぐるしく往復するのだよ。だから、この身の、軽い二つの元素が優しい愛の使者として君のもとに出かけてしまうと、四大(土、水、火、空気)からなるわが生命は残りの二つだけになり、黒い胆汁に圧迫されて死のもとへ降りていくのだ、しかし、あの速やかな使者たちが君のもとから帰ると、四大の配合は正常なものに戻り、生命が新たに蘇る。所で、この使者達だが、たった今帰ってきて君が元気で暮らしていることを教えてくれた。そう聞けば勿論私は嬉しいのだが、その喜びも長くは持たない、またも彼らを使いに出して、すぐに悲しく憂鬱な気持に陥ってしまう。 第四十六聯、君の姿という獲物をどう分配するか、私の眼と心は命懸けで争っている、眼は心に君の素敵な絵を見せまいとする、心は眼に、見る権利を勝手に使わせまいとする、心は、君を中に収めてあると申し立て、ここは透明な眼も入り込めぬ私室だと言う、しかし、相手方はその言い分を否定して、君の美しい姿は我が内にあると言う。この所有権を決めるために、思考の群れが陪審に選ばれる、すべて心に仕える者達だ、さて彼らの判決により輝く眼の取り分と、細やかな心の分け前が、こう決められた、即ち、私の眼の取り分は君の外側の姿、私の心の所有分は君の内なる心の愛情、と。
2024年08月02日
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紫の 帯の結びも 解きも見ず もとなや妹に 戀ひ渡りなむ(― 女の紫の帯の結びも解いてもみずに、どうにもならずに妹を想い続けることであろうか)高麗錦(こまにしき) 紐の結びも 解き放(さ)けず 齋(いは)ひて待てど しるし無きかも(― 高麗錦の紐の結びも解き放たずに、潔斎をして待っているけれども、その験がないことだ)紫の わが下紐(したひも)の 色に出でず 戀ひもかも痩せむ 逢ふよしもなみ(― 顔色に出さずに恋に悩んで痩せることであろうか、逢う手段もなくて)何故(なにゆゑ)か 思はずあらむ 紐の緒の 心に入りて 戀しきものを(― どうしてあなたのことを思わずにいられましょう、心に染みて恋しいものを)眞澄鏡(まそかがみ) 見ませわが背子(せこ) わが形見 もたらむ時に 逢はざらめやも(―真澄の鏡を私だと思って御覧下さい、わが背子よ、私の形見のこの鏡を持っておられたら、またお逢い出来ないということは御座いますまい)眞澄鏡 直目(ただめ)に君を 見てばこそ 命にむかふ わが戀止(や)まめ(― 直接あなたを見たならばこそ命懸けの私の恋も鎮まるでしょうけれども)眞澄鏡 見飽かぬ妹に 逢はずして 月の經ぬれば 生けるともなし(― 見飽きることのない妹に逢わずに幾月も経ったので、生きていないも同然です)祝部(はふり)らが 齋(いは)ふ三諸(みもろ)の 眞澄鏡(まそかがみ) 懸けてそ偲(しの)ふ 逢う人ごとに(― 私は逢う人ごとにあなたの事を口にのぼせて、偲んでいます)針はあれど 妹し無ければ 着けめやと われを煩(なやま)し 絶ゆる紐の緒(― 針はあっても妹がいないから付けることはできないであろうか、切れては私を悩ます紐の緒です)高麗劔(こまつるぎ) 己(な)が心から 外(よそ)のみに 見つつや君を 戀渡りなむ(― 私の性分で、あなたをただ傍から見ているだけで、しかも恋い続けることでしょう)劔刀(つるぎたち) 名の惜しけくも われは無し このころの間(ま)の 戀の繁きに(― 私はもう名の惜しいこともありません、この頃はもう恋しさが余りにもしきりなので)梓弓(あづさゆみ) 末(すゑ)はし知らず しかれども まさかは君に 寄りにしものを(― 将来のことは分かりません、しかし今は、あなたにしっかりと寄り添っていますものを)梓弓 引きみゆるへみ 思ひ見て すでに心は 寄りにしものを(― 梓弓を引いてみたり緩めてみたりするように、色々と考えてあなたに靡いたのですから)梓弓 ひきてゆるへぬ 大夫(ますらを)や 戀といふものを 忍びかねてむ(― 梓弓を引いて弛めもしない男一匹が、恋などというものをどうして堪える事ができないのだろう)梓弓 末の中ころ 不通(ふど)めりし 君には逢ひぬ 嘆きは息(や)めむ(― 中頃打ち絶えて通っておいでにならなかったあなたに、再びお逢いできました。もう嘆くのはやめましょう)今さらに 何しか思はむ 梓弓 引きみゆるへみ 寄りにしものを(― 今更どうして悩みましょう、梓弓を引いてみ、弛めてみするようにして、いろいろ考えてあなたに靡いたのですから)少女(をとめ)らが 績麻(うみを)の絡垜(たたり) 打麻懸(うちそか)け 績(う)む時無しに 戀渡るかも(― 少女達が麻を糸にすると言うので、台の上に棒を立てた道具のタタリに打った麻をかけてうむ・つむぐ そのウムではないが、倦む時無しに私はあなたを恋しています)たらちねの 母が養(か)ふ蠶(こ)の 繭隠(まよこも)り いぶせくもあるか 妹(いも)に逢はずして(― 母が飼っている蚕が繭にこもるように、心持が晴れないことである。妹に逢う折がなくて)玉襷(たまたすき) 懸けねば苦し 懸けたれば 續(つ)ぎて見まくの 欲(ほ)しき君かも(―口に出して名前をお呼びしないと苦しくて、お呼びすると、その夜にはお逢いしたいあなたです)紫の し色(み)の蘰(かずら)の はなやかに 今日見る人に 後戀ひむかも(― ムラサキ草でそめたカズラのように、花やかに美しいと見たあの人に、あとで恋することであろうか)玉かづら 懸けぬ時無く 戀ふれども 何しか妹に 逢う時も無し(― 心にかけない時はなくいつも恋しく思っているのに、どうして妹に逢う時がないのだろうか)逢ふよしの 出で來るまでは 疉薦(たたみこも) 重ね編(あ)む數 夢(いめ)にし見えむ(― 恋しい人に逢うきっかけが出来るまでは、畳薦を重ねて編む数ほど、幾度も妹が夢に見えることだろう)白香(しらか)付(つ)く 木綿(ゆふ)は花物(はなもの) 言(こと)こそは 何時(いつ)のまさかも 常(つね)忘らえね(― あなたの美しいお言葉こそ何時も忘れることができずにおりますが、美しいシラカ・麻やこうぞの類を細かく裂いて白髪のようにして神事に使うもの をつける木綿花は移ろいやすい物と申します)石上(いそのかみ) 布留(ふる)の高橋 高高(たかたか)に 妹が待つらむ 夜そ更けにける(― 今か今かときっと妹が心待ちにしているであろうに、夜は更けてしまった)湊入(みなといり)の 葦別小船(あしわけをぶね) 障(さはり)多み いも來(こ)むわれを よどむと思ふな(― さしさわることが多くて、すぐに行こうと思って行けない私を、妹よ、心がさめたのだと思わないでおくれ)水を多み 高田(あげ)に種蒔(ま)き 稗(ひえ)を多み 擇擢(えら)ゆる業(なり)そ わが獨り寝(ぬ)る(― 高田には水が多いので種を蒔くと稗が多く出る。そこでよくない穂はよりとって捨てられる。畑仕事と同じです、私は独りで寝ています)魂合(たまあ)はば 相寝(ね)むものを 小山田の 鹿猪田(ししだ)禁(も)る如(ごと) 母し守(も)らすも(― 心が合うなら一緒に寝ましょうものを、山田のシシ田を監視するように、母が守っています)春日野(かすがの)に 照れる夕日の 外(よそ)のみに 君を相見て 今そ悔しき(― 春日野に照っている夕日のように、縁のないもと傍からあなたを見ていたことが、今になってつくづく後悔されます)あしひきの 山より出(い)づる 月待つと 人には言ひて 妹(いも)待つわれを(― 山から出る月を待っているのですと人には言って、逢う約束をした妹を待っている私です)夕月夜(ゆふづくよ) 暁闇(あかときやみ)の おぼぼしく 見し人ゆゑに 戀ひ渡るかも(―はっきりと見た人ではないのに、私はこんなに恋い続けています)ひさかたの 天(あま)つみ空に 照る月の 失(う)せなむ日こそ わが戀止(や)まめ(― 大空に照る月が失せてしまう日にこそ私の恋は止むであろうが、失せる時などないから、私の恋は止む時がない)望(もち)の日に さし出づる月の 高高(たかたか)に 君を坐(いま)せて 何をか思はむ(― 十五夜の月を望むように待ち焦がれていたあなたに、ここにこうしておいでいただいて、他に何の思うことがありましょう。全く満足です)月夜(つくよ)よみ 門に出で立ち 足占(あうら)して ゆく時さへや 妹に逢はざらむ(― 月がよいので足占・右足と左足のどちらが先に目標に着くかで吉凶を定める占い をして逢いに行っても妹に逢えないのだろうか)ぬばたまの 夜渡る月の 清(さや)けくは よく見てましを 君が姿を(― 夜空を渡る月が澄んでいたならあなたのお姿をよく見たでしょうに)あしひきの 山を木高(こだか)み 夕月を 何時(いつ)かと君を 待つが苦しさ(― 何時あなたが見えるかとお待ちすることの苦しさよ)橡(つるばみ)の 衣(きぬ)解(と)き洗ひ 眞土山(まつちやま) 本(もと)つ人には なほ如(し)かずけり(― ツルバミの衣を解いて洗ってまた打つと言う、マツチ山、その名から連想されるモトツヒト、元から馴染んだ妻に勝るものはないなあ)佐保川の 川波立たず 静けくも 君に副(たぐ)ひて 明日さえもがも(― あなたのおそばにいて静かな気持で明日もまた過ごしたいものです)吾妹子(わぎもこ)に 衣(ころも)春日(かすが)の 宜寸(よしき)川 縁(よし)もあらぬか 妹が目を見む(― 何か方法がないものか、妹の姿を見たいものだ)との曇(ぐも)り 雨降る川の さざれ波 間(ま)無くも君は 思ほゆるかも(― 一面に曇って雨降る川の小波が止むときなく立つように、絶えずあなたが思われることです)吾妹子(わぎもこ)や 吾(あ)を忘らすな 石上(いそのかみ) 袖布留(ふる)川の 絶えむと思へや(― 吾妹子よ、私を忘れないで。石上の布留川の水が絶えないように、私たちの仲は絶えることがないと思っています)三輪山(みわやま)の 山下響(とよ)み 行く川の 水脈(みを)し絶えずは 後もわが妻(― 三輪山の麓を水音高く流れていく初瀬川の水脈が絶えないように、絶えず私を思ってくれるならば、あなたはいつまでも私の妻です)神(かみ)の如(ごと) 聞ゆる瀧(たき)の 白波の 面(おも)知(し)る君が 見えぬこのころ(― お顔をよく存じ上げているなたなのに、この頃お見えになりませんね)山川(やまがは)の 瀧(たぎ)に益(まさ)れる 戀すとそ 人知りにける 間(ま)なくし思へば(― 山川の激しい流れにも勝る激しい恋をしていると人々が知ってしまった、いつも物思いをしているので)あしひきの 山川(やまがは)水の 音に出でず 人の子ゆゑに 戀ひ渡るかも(― 山川の水音のようにはっきりとは言葉に出さず、私は想い続けることである。あの娘は人のものだのに)高(こ)せにある 能登瀬(のとせ)の川の 後も逢はむ 妹(いも)にはわれは 今にあらずとも(― 妹には後にでも逢おう、今、人々の反対を押し切ってではなくて)洗ひ衣(きぬ) 取替(とりかひ)川(かは)の 川淀の まどろむ心 思ひかねつも(― あなたのところへ通わずにいる気持を、じっとこらえていることは、到底出来ません)斑鳩(いかるが)の 因可(よるか)の池の 宜しくも 君を言はねば 思ひそわがする(― 世間の人があなたのことをよく言わないので、私は心配しています)隠沼(こもりぬ)の 下ゆは戀ひむ いちしろく 人の知るべく 嘆きせめやも(― 心の中では思っていよう、はっきり人目につくように嘆息などをするものか)
2024年08月01日
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