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いよいよ来週は那覇でマラソンである。この一年間毎月約100キロ走り、3月は篠山ABCマラソン、10月は230キロも走った。11月7日には練習で淀川リバーサイドマラソンを走り、後は調整で合計100キロ少しか。この程度の練習で十分かどうか分からない、というか殆ど体重も減っていないからフルマラソンを気持よく走り通すには不十分だろう。でもフルマラソンを走ってでも時折止まってでも走り切ることに意義がある。そして特に社員10人とわざわざ沖縄まで行って走ることに面白みがある。 たかがフルマラソンだけど、それを走り切る、社員と走り切る、わざわざ遠くまで行くとためには、様々な条件に恵まれていないと実現しない。健康であること、前向きな人生、恵まれた業績、積極的で素直な社員たち。さて来週の今頃はどうなっているのかな。脚が棒になりながらも、筋肉痛でひきつりながらも、笑って楽しんでいたら良いなと思います。
Nov 28, 2010
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今当社はまさに過渡期で、新しいビジネスを作っていこうと四苦八苦している。足元の業績は好調なものの、それはむしろ「新しいことをやるための必要条件」でしかない。新しいビジネスが成り立つための条件は、「社会に必要とされているのに、存在しないか不十分」であって、しかも「自社の強みが活かせる」ことが重要だろう。社会的意義がないと他者をも巻き込んだ展開にはならないだろうし、なんせ(僕を含めた)社員のモチベーションが上がらない。そしてこれまでの努力に根ざした「何か他社よりも優れているもの」 を活用しない手はない、というかそうでないと競争相手に勝てない。僕はいつも社員に言うのだが、「それはいいアイデアとは思うけど、当社にアドバンテージはあるのか、顧客が他社にではなくワザワザ当社に依頼する必然性はあるのか」ということだ。何かやるには独りよがりではない、世の中から見ても当社がやるのが一番良いと思われないと(思い込みも必要だが)うまくいかない。そうすると自ずからやれること、やるべきことは決まってくる。 社会的意義は大げさに言うと「社会的使命、会社の存在意義」を明確にすることだし、強みを活かすということはこれも「必然性のあることを磨く」ということだ。使命と必然性、こうなると何か運命主義のようだが、「ビジネスモデルの構築」とは案外こういうウェットな感じで決まっていくのだと思う。
Nov 25, 2010
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12月は楽しい。第一に当社は12が決算だから数字が見えている。業績が良い年の最後の月は気楽で楽しい。第二に今年の殆どのイベントは終わっている。結果がどうであろうとやることはやっている(はず)なので後は結果を待つのみである。第三になんせ、年の瀬である。街はクリスマスの雰囲気、年末の仕事納めの雰囲気、それにすぐに正月だ。気分も盛り上がるってものである。第四に12月はボーナス月である。僕は貰うよりも払う方だけども(社長はボーナスなし)、貰うよりも気前よく皆に喜んでもらう方が実は気持ちがいい。第五に12月はこの数年、那覇マラソンの月である。一年間の練習の成果を南国で泊りがけで試す月でもある。前日に沖縄料理で宴会をするが、実は既に翌日の勝負は始まっている。こうやって社員の半数近くが沖縄まで行ってフルマラソンに挑戦できるのも幸福なことである。 まあこうやって無事に決算月を迎えられるのもいろんな人のお陰である。一生懸命働く社員、良心的な顧客、日本の経済状況、そもそも平和であること、考えて見れば色んな連鎖があって、この12月がある。感謝しないといけない。とか言っている内に12月は終わって、早速来季1月の始まりだ.それはそれで楽しいもので、一からのスタート、来年も頑張りますよ。
Nov 21, 2010
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夏からずっとイベント続きだった。8月はニューヨーク、9月はボランティアでヨルダンとパレスチナ、10月はバリ島でアセアン諸国の害虫駆除関連の国際会議に参加、その翌週恒例のアメリカ害虫駆除年次大会がハワイであったので参加、そして11月は今日まで二泊三日でマニラで開催されたアジアオセアニア害虫駆除連盟年次大会である。その間に10月は当社恒例のレベルアップセミナーを東京・名古屋・大阪・福岡で開催したので、ほんと会社の席も暖まる暇もない(って言うか出社していない)という感じである。こうやって様々なイベントに参加できる事自体大変恵まれていて、かつそこではかなり効率的に様々な人と話が出来るから良いのだけど、改めて「イベント」というものについて感じることがある。いくら一年に一回、数年に一回盛大に多くの人を招いて何をやったとしても、(それはそれで大変意義深いことであるのは間違いないが)一時的に盛り上がっても殆ど会社の業績には関係がないということである。多くの人が集まって雰囲気が盛り上がるというのは大変素晴らしい。でもそこでの成果や話し合われたこと、得た情報を「毎日の仕事」にどう落としこむか、もっと根本的にはどう「会社の競争力」に転化していくかが大事だと思う。そのためには「だから何なの?」、「それが当社にどう貢献するのか」、「ビジネスとして見た場合成り立つのか」、というような事をしっかり検証しないといけない。雰囲気だけではビジネスにならず、地に足が着いた活動に変えていかないと意味がない。今年もこれでイベント関係は殆ど終わりである。12月に行うプロジェクト的なものもあるけれど(あ、それと那覇マラソン)、これらの活動をどう来年につなげていくかが課題である。
Nov 19, 2010
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僕が買い物をするとき期にするのはその商品の「稼働率」である。折角買ったものでもあまり使わないのであれば稼働率は低く、毎日使うものは稼働率が高い。商品が高い安いというのは、この稼働率を考慮することが大切だと思っている。一年に一回しか使わない1000円のものより、毎日使う30万円の物の方が一回当りのコストは安くなるし、なんといっても30万円の物の方が良いものに決まっているから、一回単価が安くて質が高いということになり、間違いなく僕は後者を買う。例えばパソコンなんて毎日使い倒しているから、最高機能のものを2年くらい毎日使う(700日稼働)と考えれば、30万円のものでも一日500円以下である。カバンのたぐいも毎日使うものは多少高くても良いものを買うべきだ。滅多に着ない服は勿体無いけれど、毎日使う稼働率の高い備品であれば高くても本当は高くない。同様のことは人材にも言えて、その人の稼働率を上げるためのコストは惜しむべきではない。どうせ安くない人件費がかかるなら、携帯電話・パソコン、自宅設置のファックス、社用車、などなどすべての道具を与えて「稼働率」を上げた方が良い。いつも冗談のように言っているけれど、何もしないで「息をしているだけ」が一番人件費が高くつく。じっとしていてもどこでも何時でも仕事が出来るように情報機器などを完備した方が、その人の能力をすべてだしてもらうことが出来て結局は割安になる(=コストパフォーマンスが高くなる)のだと思う。という訳で当社の社員はあまり言い訳ができない。すべての道具がお膳立てされていて、何かが出来ないとしたらその原因は「自分」にしかないのだから。まあこれも考えてみれば厳しい話だけど、能力を十分発揮できるという意味ではいいんじゃないかな(と自分に言い聞かせています)。
Nov 10, 2010
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最近、例の尖閣諸島での衝突事故のビデオ流失が問題になっている。公開する公開しないであれだけ揉めたビデオがあんなにあっさりと流失してしまうことも驚きだが、それよりも流失させた人(おそらく内部者)への同情の声が多いのも驚きだ。ビデオが本来政府によって公開されるべきだったのに公開されなかったから、内部者が「勇気」を持って公開に踏み切ったことへの讃美の声があるのだろう。しかし問題は政府によって本来公開されるべきだったか否かではない。今回の流出がそれでも問題だと思うのは、流出させた人が何の民主的手続きを踏んでいないことだ。筋論で言えば、選挙によって選ばれた人たち(=政治家・議員内閣制においては政府首脳の大部分)が決めたこと(=ビデオが一般公開しない)が、公務員試験に通っただけの行政組織の単なる一職員によって覆されたことになる。もしこのビデオ流出によって日中間で戦争でも起こったら、その職員は責任を取れるのか(流出させたことも名乗り出ない、無責任な人だ)。同様に、もし一自衛官が自分勝手な「正義感」に駆られミサイルを他国に向けて打ったり、警察が勝手に逮捕して勝手にその場で処罰してしまったら一体、この国の民主主義はどうなるのだろう。遠回りかも知れないけれど、いつか大阪の橋下知事が高校生に言い放ったように、「文句があるなら政治家になって法律を変えなさい」というのが筋であり、長い民主主義の知恵である。同様に、会社も同じこと。担当者が勝手に自社に不利になるようなことをその場の「正義感」で行ったらどうなるだろう。経営責任を負わない担当者がなあなあで行う行為が会社の命取りになる場合だってある。会社における民主主義とはきちんとおかしいと思うことは上司や経営者と議論すること、そして一旦決まったことは納得しなくったってやり抜かねばならない。しかも日本人は辞めれないが、会社は辞めて他に行くことも出来る。文句があるなら勝手にやらずにきちんと会社内で議論すべきというのが、会社のガバナンスでもある。自由と無責任とは違う。今回の事件で改めて思ったことだ。
Nov 7, 2010
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夏の終わりに高校の水球部の練習を観た。これは全然駄目で、来年の今頃はまた「来年こそは」と悔しがっている彼らの姿が浮かんでしまった。その練習の風景だが、チームのキャプテンが練習を指示しているのだ。彼は背も高くて多分泳ぎも速くて、プレーヤーとしてはそれなりの選手なのだろう。だからキャプテンに任命されて練習を引っ張っているのだ。でもその構造は根本的に間違っている。選手が自分で自分を鍛えるなんてあり得ない。一番下手な選手はその練習でもうまくなるかもしれないが、練習を積んだ高学年生、つまり来年主力で戦うことになる彼らは決してそんな練習では成長しない。人間は弱い生き物だ。成長するには実力以上の負荷を与えられ、無理矢理でも強制されて習練を積み、それでやっと出来なかったことが出来る様になる。自分自身ではどうしてもその「実力以上の負荷=ストレッチ」をかけることができない。それが出来るのは(それ以上練習すれば故障してしまうぞと警告されたりする)オリンピックに出る様なエリート層だけである。たかだか高校生が、自分自身を鍛えることはできない。前時代的で今の自主性を尊重する風潮には馴染まないかもしれないけれど、「自主性」なんて人生のずっと後のことで、最初は誰でも強制されて基礎がつくものなのだ。キャプテンに悪気はない。でもそんな自主練習では決して来年勝てませんよ。コーチから怒鳴られ、もう無理ですと言ってからが本当の成長の伸びしろである。早く気がついて欲しいなあ。これは会社経営でも全く同じこと。自分らで「もうこんなもの」と思って毎日仕事をしている企業は決して伸びない。「そこまでやるか」、「そこまで要求されるのか」と思ってから、すなわち目一杯ストレッチしてからが本当の「利益の源泉」である。経営者としては常に課題を与え負荷を与え、「能力を未来進行形で捉える」努力をしなければならないのだ。
Nov 5, 2010
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