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先日の弁当は「カレーライス」 さて、私が少年だった昭和中期の頃「勉強」を意識し始めたのは小学三年の頃です。それでもまだ「勉強」とやらをどうやってするのかまったく判らず、宿題をする事ぐらいが「勉強」だろうかと思っていたぐらいでした。三年生の時の担任は、個人の成績をハッキリと数字で表してくれる人で、教科別の順位とかも判るような通知表とは別の成績表を配布してくれました。ひとクラス40人ほどの中で、算数が何番とか、国語が何番だというように、そして総合順位なども書かれておりました。そうやって順位で示されると負けん気が起こって少々やる気は出たように思います。しかし、やはりどうやって勉強したら良いのかが問題だったのです。
2014年04月29日
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本日の弁当は「ハムエッグ弁当」 さて、私が少年だった昭和中期の頃二年生になると算数の成績がガクッと落ちました。授業で掛け算の九九が始まったからです。できる子はできます。両親が学校の先生だという子がクラスの中に居て、やはり蛙の子は蛙なのか、掛け算などをスラスラと驚く速さで解いているのです。私は一桁の九九を暗記するのに精いっぱいだというのに、その子は二桁と一桁の掛け算を暗算で解いていたのでしょう。20問ぐらいの掛け算の宿題をその場で解いてしまうのだから適いません。私などは家に帰ってから時間をかけてやるのです。
2014年04月24日
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本日の弁当は「かにかま里芋弁当」 さて、私が少年だった昭和中期の頃一年生の頃は成績が良かったようです。それは後に通知表を見て知ったぐらいで、まったく自分の成績に興味がなかったと言えます。通知表といえば今も昔も5段階評価が普通だと思いますが、一年生の頃はほとんど4でした。苦手な算数が4だった為に、きっと両親は喜んだに違いありません。ところが二年生なると成績が極端に下がり、2と3ばかりの成績になったのです。算数は掛け算の九九が苦手で、父親にしつこいぐらいに怒られた覚えがあります。怒るぐらいなら前もって九九を教えてくれれば良かったのにと、今は思いますが、当時は本当に自分は頭が悪いんだなと自信を無くしていました。親も勉強をしてこなかった人間なので、私が学校で習ってくるだけで九九はできるものだと思い込んでいたのかもしれません。何の勉強もしないで一年生の成績が良かったことが余計にそう思わせたのでしょう。姉と兄から九九の猛特訓がやがて始まり、なんとか暗記することができたのです。
2014年04月23日
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本日の弁当は「ポークウインナ弁当」 さて、私が少年だった昭和中期の頃小学校創立十周年記念運動会とは知らず、華やかな運動会を一年生の時に経験しましたが、それでなくとも一年生というのは当たり前ですがとても新鮮な空気に包まれていた気がします。初めて教科書という物を配布されてそれを手にした時も、「勉強する」という使命を与えられたような、何とも言えないちょっとした新感覚の圧迫感がありました。勉強という意味はおそらく一年生としてはあまり理解していなかったと思いますが、登校する前に私の服の乱れを整えながら母親が「○○君や××ちゃんに勉強負けたらあかんよっ。良い成績を取らなあかんよっ」などと叱るように言ったのを覚えています。しかし、母親が煽るような競争心など私には微塵も無く、通知表の成績さえ全然気にしていなかった一年生時代でした。
2014年04月21日
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本日は皐月賞。得た卦は風雷益・上爻利益を独り占めして四面楚歌。一番人気のトゥザワールドはマークされて馬群に沈む可能性あり。そこへ2番人気、3番人気の有力馬が滑り込むと推測する。
2014年04月20日
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本日の夕食と弁当は「鶏ささみ塩ラーメン&里芋スパゲティサラダポークウインナー弁当」 さて、私が少年だった昭和中期の頃小学一年の時は丁度開校十周年記念の年でしたので、運動会は記念大会となって華やかなものでした。セスナ機が何処からか飛んできて、空から一つのテニスボールをグランドに落下させました。それを教員の一人が拾って、ボールに書いてあるメッセージを読み上げたりしました。そして一年生である私達一人ひとりはフーセンを持ち、入場ゲートから更新してグランドの中央付近で一斉にフーセンを手放しました。空高く多くのカラフルなフーセンが舞い上がるという、とても印象深い運動会だったのです。
2014年04月17日
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先日と本日の弁当は「焼きそば」&「カツ丼」 さて、私が少年だった昭和中期のころ通っていた小学校は時代的には当然ながら木造校舎でしたが、私が三年生の頃に鉄筋コンクリート三階建ての新校舎を施工し始めました。六年生のクラスや音楽室、理科室、などを設置するための新校舎で、木造校舎の一棟分を取り壊してのものだったので、私たち三年生だけが臨時で建てられたプレハブ校舎へと移転したんです。今と違って取り壊しから完成までにかなりの日月を要しまして、たしか六年生に進級した頃、ようやく新校舎で授業を開始できたと記憶してます。それから数年後ののちに全棟が鉄筋へと改築されていったのです。
2014年04月17日
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本日の弁当は「シーチキンマヨ弁当」 さて、私が少年だった昭和中期の頃春、入学式や始業式が済むと、運動能力テストまたは体力テストが始まります。小学生の低学年の頃は自分の運動能力にあまり関心が無く、適当にテストをこなしていたように記憶していますボール投げのテストはソフトボールを使って飛距離を測ります。一年生の手のひらは小さく、ソフトボールをしっかり握れない状態で投げたんで、わずか14メートルというハッキリとした記憶があります。そこへ大柄な六年生が登場し、私たち一年生の前で軽々と遠くへボールを投げたのです。その飛距離は六年生という子供のものではなかったと今でも覚えております。
2014年04月11日
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本日の弁当は「煮大根&ポークウインナー弁当」 さて、私が少年だった昭和中期の頃小学校が家のまん前というほどに近くにあった為、誰もいない時の休日の運動場はまさに貸しきり状態。ソフトボール一人打ち遊びでホームラン気分を味わったものです。プールの壁を越すようにと、それを目標にボールを打っていたわけですが、そのプールが小学校に設置されたのが私が六年生の時ですから、おそらくそれ以前にそういう遊びはしていなかっただろうと、今気付きました。また、小学生時代ではなく、中学生ぐらいになってからかもしれません。だいたい小学生の腕力で、バックネットから60メートルも離れたプールの所まで打てるわけがありません。
2014年04月10日
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本日の弁当は「焼き飯」 さて、私が少年だった昭和中期の頃小学校の校庭にあったバックネットから見たプールの方向は、野球場に例えると左翼に該当します。自分でボールを打ちごろの高さに放り上げてバットで思いっきり引っ張って打てば、レフトスタンドに向かって強烈なライナーが飛んでいくのです。一人で遊ぶわけですから、ぶつぶつと独り言を言いながらやるわけです。「バッターボックスに入った○○選手。九回裏ツーアウト満塁、一発出れば逆転です。」などとやるのです。そして見事なライナーがプールの壁に激突。走者一掃のタイムリーツーベースですっ。と言いながら小走りに打ったボールを取りに行ったのです。
2014年04月09日
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本日の弁当は「きんぴらごぼう&ポークウインナー弁当」 さて、私が少年だった昭和中期の頃長屋住まいの少年時代でしたが、小学校はすぐ近くで、歩いて1分もかからなかったのです。近すぎて損した事は、分団登校する時に正門から入らなければならなくて、我が家は反対側の西門に近かったので、ぐるりと学校の塀の周囲を歩いて登校したわけで、無駄な徒歩をしていたのです。しかし、誰もいない運動場を独り占めする事はよくありました。休日の昼過ぎは広い運動場を貸切状態で遊べたのです。野球用のバックネットが東側にあって、最西端にプールがありました。その距離は60メートルぐらいだったでしょうか。バッターボックスから一人でノックするのです。高く打ち上げてプールの塀を越えればホームランを打った感覚が味わえましたが、ボールを取りにいくにはプールの高い塀を乗り越えて、職員室にいるはずの宿直の先生に見つからないように侵入する必要があったのでホームランの代償としてソフトボール一個を失うのです。
2014年04月08日
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本日の弁当は「かに玉弁当」 さて、私が少年だった昭和中期の頃ビー玉を押しつぶしたようなガラス遊具「おはじき」というものもありました。指でおはじきを弾いて相手のおはじきを飛ばし、お互いのおはじき間にできた隙間を、おはじきに触れる事無く人差し指でなぞる事が出来れば相手のおはじきを獲得できる、というルールだったと記憶してます。ビー玉に比べて美しさに欠けるおはじきでしたので、確保してもすぐに相手に返していたんじゃないかと思いますが、あまり「おはじき」で遊ぶ事はなかったと思います。同じ球形の遊び道具としては、「ビックリボール」とか「スーパーボール」とかいう床に落とすと信じられないくらいの跳ね返り方をするボールでよく遊びました。非力な子供でもバットでスーパーボールを打てば、まるでプロ野球選手の打球のように遥か遠くへ飛んでいくのですから驚きでした。しかし、紛失も多くて草むらに紛れてしまうばかりでした。
2014年04月06日
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本日の弁当は「イワシ弁当」 さて、私が少年だった昭和中期の頃酒の一升瓶の蓋、乳白色のビーダマ、といったちょっと変わった趣味のものが、しばらくの間は私の机の引き出しの中にたくさん納まっていた小学六年時代。その引き出しを奥の方まで探ると、昔のお金が出てきたりしました。祖母からもらった寛永通宝や一銭や半銭銅貨などです。結局昔のお金は友達などに多くをあげてしまって、その残りが引き出しの片隅に転がっていたのです。それにしてもビーダマや一升瓶の蓋は、一体どこへ行ってしまったのでしょう。
2014年04月04日
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本日の弁当は「カレーライス」 さて、私が少年だった昭和中期の頃酒や醤油などの一升瓶の栓、フタが賭け事のお金のように、勝敗でその所有数が違ってくるという感じの遊びを経験しましたが、もっと昔ならメンコとかになるのでしょう。同じようなものでビー玉もありました。地面に20センチ四方ぐらいの四角を描き、そこに十数個のビー玉を入れておきます。それを持ち駒のビー玉を使って地面上に弾いて転がし、四角の中のビー玉を枠から多く出した方の勝ち、というゲームです。四角から弾き出した数だけが自分のビー玉となって、強い者が多くのビー玉を所有できたのです。そもそもビー玉はインテリアにも活用できるくらい美しいガラス球です。その中でも牛球【ぎゅうだま】と言われるミルクのような乳白色したビー玉は、私の宝物でした。
2014年04月02日
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本日の弁当は「焼き飯」 さて、私が少年だった昭和中期の頃色とりどりで様々な文字やデザインが描かれた一升瓶の栓、もしくはフタを宝物のように扱っていた小学六年ぐらいの時、その栓を調達するために酒屋の周りに積まれてあった酒瓶ケースを物色することもあって、目新しいフタを見つけると、それを次の日に隠し玉としてフタ落とし競技に登場させます。負けると取られるので使用回数は少なく、取られても良い様なありきたりなデザインのものを頻繁に使いました。
2014年04月02日
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