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詩人 飯島耕一
の 「漱石の〈明〉、漱石の〈暗〉」
に収められた、同じ題のエッセイは、 漱石
の本文の引用につぐ引用だ。引用がすべてだと言ってもいい。
《其日は女がみんなして宵子の経帷子を縫った。―略― 午過になって、愈々棺に入れるとき松本は千代子に「御前着物を着換さして御遣りな」と云った。千代子は泣きながら返事もせず、冷たくなった宵子を裸にして抱き起した。「彼岸過迄」》 こうして引用されているところをなぞっていると、引用部が 飯島耕一 の何に触れたか、ということに思い当たりはじめる。それは、一種スリリングな興奮と悲哀の感覚を一緒に連れてくる。
《市蔵という男は世の中と接触する度に、内へとぐろを捲き込む性質である。だから一つ刺激を受けると、其刺激が夫から夫へと廻転引して、段々深く細かく心の奥に喰ひ込んで行く。さうして何処迄喰ひ込んで行っても際限を知らない同じ作用が連続して、彼を苦しめる。仕舞には何(どう)かして此の内面の活動から逃れたいと祈る位に気を悩ますのだけれども、自分の力では如何ともすべからざる呪ひの如くに引っ張られていく。そうして何時か此努力の為に斃れなければならない、たった一人で斃れなければならないというふ怖れを抱くやうになる。「彼岸過迄」》
《「行人」は単にユーウツなどといった気分的な悩ましさなどではなく、言ってみれば果てしなく宿酔にも似た心身の苦痛が持続する、しかも死を隣につねに感じ続ける(さらに自己消滅をさえつよく願う)重いウツ状態の人間を、実にねばりづよく描き出している。ウツ病の病者のエゴイズムと醜さを目をそらさず捉え得ており、それがいわゆる正常な人間の心理とまったく無縁とは言えないとまで思わせる。 飯島耕一 自身のウツ病体験から、 朔太郎 を経て 漱石 へと読みすすめていく。飯島の詩の中にこんなことばがある。
ウツ症状は言語の病でもあり、また時間の病でもあって、一秒一秒の経過に苦しみもし、言語とモラルのバリバリと引き裂かれるのを悩みとする。こうして眠りは唯一の救い(一郎はHさんの前で眠り込む)だが、目を覚ますと同時に苦痛の生の刻々が始まるのだ。》
見ることを拒否する病から 「 この感覚」 を取り戻しながら、生きようとした作家 漱石 の、本当の姿に迫ろうとすることが、 飯島耕一 自身の 「生きる」 ことを支えていると、はっきりと感じさせるのが、この最終章の結語だろう。
一歩一歩癒えて行く
この感覚
目を覚ますと同時に苦痛の生の刻々が始まるのだ。 ここで、 飯島耕一 は彼自身の、凄みさえ感じさせながらも、しかし、静かな生のありさまをこそ語っているといってかまわないのではないだろうか。
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