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「もっと北へ!」 というわけで、ただ、ひたすら歩く話でした。
村に来て何日かたったころだった。降りつもる雪を踏みしめて、 イラングア が私の家にやってきた。 で、その イラングア君 がこんな事を云ったところから、 角幡流「冒険論」 が始まります。
グリーンランド最北の村 シオラパルク には今、四十人ほどしか住んでいない。二十代の男はわずか数人で、ほかの連中は隣の カナック や南部の都市にうつってゆき、日本の山村と同じように過疎化が進んでいる。 イラングア は、わずか数人しかいない村の若い男連中のひとりだ。
彼が私の家に来るのは、めずらしいことではない。 イヌイット社会 には伝統的に プラット という、文字通りぷらっと他人の家を訪問してコーヒーを飲んだり、ぺちゃくちゃ喋ったり、賭け事に興じたりする交流、暇つぶしの習慣がある。私は片言の現地語しか話せないし、客人をうまくもてなせるタイプでもないので プラット にやってくる人は少ないのだが、人づきあいのいい彼は毎日のようにやってくる。そして誰それが猟に出て海豹を二頭獲ったとか、今日は天気が悪いからヘリは来ないよ、といった生活情報を教えてくれる。愛想がよくていつもケタケタ笑い声をあげ、冗談ばかり言って私をかつぐ、気のいい若者である。(P6)
カクハタ、あんた今四十二歳だろ。日本人は皆四十二歳で死ぬから、今年は旅をしないほうがいい。行ったら、あんた、死ぬよ。
四十二歳は日本人にとって不吉な年なんだろ。ナオミだって死んだ、カナダで氷に落ちて死んだのもいただろ。(後略)
ナオミ というのはグリーンランドで英雄視されている冒険家 植村直己 のことであり、〈カナダで氷に落ちて死んだ〉というのは 河野兵市 である。 植村直己 が 厳冬期のアラスカ・デナリ で消息を絶ったのは 一九八四年 、一方 河野兵市 は 二〇〇一年 に 北極点 から故郷 愛媛 をめざす壮大なプロジェクトの途上で氷の割れ目から海に落ちた。いずれもなくなった時の年齢は同じだ。(P7) 第1章 は 「四十三歳の落とし穴」 と題されていますが、ここから本書は 「冒険」 にとっての体力、精神力、そして、経験の意味について論じ始めます。
四十三歳で多くの冒険家が死亡するのは、多分、体力が経験に追い付かなくなることより、むしろ のこされた時間が少ない と感じて行動に無理が出るからだ。(P17) これが、 角幡 が、旅に出かける前に下した結論です。で、読み始めて、ほぼ、 20ページ 、この個所に逢着して、後はノンストップでした。 69歳 になった老人が、 角幡唯介 などという、まあ、縁もゆかりもない、40代の冒険家の話に、どうして引き付けられるのか、答えがこれですね(笑)。
誰かが作った、すでにある地図に頼ることなく、とにかく、行きあたりばったりで、たとえば 「北へ」 という目的を貫くことで、自分自身の地図を作りたい。 まあ、要約すればそういうことのようです。
「生」を生のまま自然に晒すにはどうしたらいいか。 そんなふうにも読めました。冒険でしょ(笑)。まあ、人生論でもあるかもしれませんね。で、生きるためには食うことはやめられませんから 「狩り」 です。 「狩りと漂泊」 という本書の題名の由来です。
準備をひととおり終え、いつも行動をともにしている一頭の犬とともに、第一回ノック奥狩猟漂泊の旅に出たのは三月十六日のことだった。(P60) こうして、犬とともに橇をひいて 1000キロを歩く200頁の旅 が終わったのですが、現場の描写は
最後はイキナ氷河を下って、五月二十九日に私は村にもどることができた。旅をはじめて七十五日目のことだった。氷河から村までの十五キロはスキーさえ重たくなり、橇にのせて犬に運んでもらった。(P276)
「いったい、いつ、獲物が現れるのか?いつ、食料は手に入るのか?」 という、まあ、帰ってきて、こうして本を書いているのですから、大丈夫なのですが、ハラハラ、ドキドキで次のページ、次のページへと引きずられていく調子で、実に疲れる読書でした。
あと何年…💦 とかいう焦りに、フト、とらわれるお年の方にも、案外、おすすめなのではないでしょうか(笑)。ホント、命がけで、ようやるわという人の話って面白いですね(笑)まあ、何はともあれ、こちらは老人なわけで、
生きて帰ってこられてよかったね! と、ホッと一息つくのでした。一応、 目次 、載せておきますね。
目次
四十三歳の落とし穴
裸の山
狩りを前提とした旅
オールドルート
いい土地の発見
見えない一線
最後の獲物
新しい旅のはじまり
*付録 私の地図
週刊 読書案内 角幡唯介「裸の大地 第… 2023.09.07
星野道夫「イニュニック アラスカの原野… 2020.06.08