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さとり、サトリ 「悟り」=「悟理」 吾が心の理を知ること 「悟り」=「悟離」 吾と心が離れる(欲や執着が離れる) ふと脇にあった本に手を伸ばして開いてみましたら、臨死体験のいきさつのページでした。 まっさかさまにコンクリートの床に頭から落ちて激突、頭が割れて大量の血を流して普通なら生きて帰れない状態になり、病院のベッドに寝ている自分の姿を上から見たのだそうです。 黄金色の光に包まれて、身も心も清められ涙が流れる云いようがない喜びの中にいたのだそうです。死んでいるのか生きているのか自覚のないあたたかい光の中にいた体験ののち人生が一変したのだそうです。 この世に自分のものなど何もないことに気づいたのだそうです。その何もないのにあると錯覚してしまう、金も、土地も、家も、家族も、この身体さえ自分のものではなかったのです。 自分のものだと思うと欲も執着も出て苦しみが生まれ失いまいとすると恐れが出てくるのだと理解できたのだそうです。苦しみ、恐れなどはすべて自分が作り出したもので、それが他人のせいだと思うと怒りも生まれてきたのです。この世に自分のものなど何もない。そうわかると今までとは違った自分になっているのがわかったのだそうです。 生まれてきたのも裸。すべては預かりものなわけです。死ぬ時持ってゆくことはできません。預かり物はすべてお返ししなくてはならないものです。身体までも。 欲が深くなるとまた失敗し反省するしかないそうですが、欲が消えるとヒラメキが起きるようになり、ヒラメキによって長い間解けなかった謎が次々に解けてきたのだそうです。 「ニンジンから宇宙へ2」赤峰勝人著 P103~105 http://rakuen-ocean.com/ninjinkarautyuhe2.htm
2009/01/13
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ほんとうにやりたいこと。幸せに生きるコツは、ほんとうにやりたいことをやれば誰だって幸せになれる。「やりたいことリスト」を書いてみよう。「やらねばならぬこと」リストもあります。 「やりたいこと」と「やらねばならぬこと」が一致すれば、それはその人自身の天職とも云えることです。天職とは、1.自分のできること 2.自分のやりたいこと 3.人に望まれること 天職とは、「やりがい」と「いきがい」 具体的に、進行させること。目的をもって遂行すること。目的を達成すること。目標を掲げること。方向を込めること。 人生を旅と例えるなら・・・人生の旅は、人生の扉をどう開いてゆくかでもあります。 ここで一曲「人生の扉(竹内まりや)」 人生も旅であるなら、愉しんだ方が良い。今を愉しむ。「生きる」とは「いま、ここ、自分」を生きる。「いま、ここ、自分」をどう生きる、どうかかわりあうかが生きること。 あくせくと働くも一生、この世に何しにやってきたのか今生の自分の来し方と云いましょうか。自分の課題に気づいていますか。この世は学びに来たところ。この世は魂を磨くところ。ダイヤモンドがダイヤモンドで磨き上げるように、、、人は、人で磨かれる。しばし幸人に接するを要するなりとも申します。いつどこで誰とどんな出逢いをするか、出会いの縁がそののちの人生を変えることがある。変わらざれば出会いにあらず。 縁とは悪縁と良縁の両面併せもっての縁です。結果としての縁は自分がどうかかわったのかの結果あるとも言えるのです。人との「かかわりあい」です。それは、「こころ意氣」というもの。「生きる」とは「意氣る」に通ずるものです。 「こころ意氣」のコツはどうやら楽しみながら、喜びながら生きること。喜びながら働くこと。人を喜ばす。人と人とのかかわり合いの中で生きる世の中です。人に喜びを与えれれば、喜んでもらえることに喜びを感じる。うれしいという感情が楽しいという気持ちになれるわけです。 今の時代ほど激動するスリリングな時代はありません。年号は平成でありますが、皮肉にもこれ程、希望的な年号はありません。現実は、明治維新・戦後に次ぐ乱世です。いやそれ以上の大波乱な時代がやってくると予言された人がありましたが、変化の規模から云ったら、かつてない大激動の時代と言えるでしょう。こんな時代をのりきってゆくのは、あなた自身の「こころ意氣」がどうあるかです。
2008/10/25
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ふと興味を覚えた、わが街を歩く古くからある道路といえば、奥州街道です。郡山市内を南北に走る奥州街道(旧国道4号線)が現在もあります。古いものに興味を覚えるのは年をとったということことかもしれません。現在生きている人間は皆、有史以来、人間と云われてきてからずっと命が途絶えることなく連綿と引き継がれてきた命なのです。家系図が残っているか、いないかの差があるだけで、命が連綿と続いてきた事実は同じです。健康を考えると歩くということは、内臓脂肪を燃焼する。ふと体型が太り気味の先輩の歩き方がおかしい。右足の親指を気を使いながら歩いていた。ふと痛風なのだろうかと思った。食べることは自己セーブしかありません。口の中に選ぶものと量は自己選択なのです。体重が増えるのは自己コントロールできるかどうかということです。意識的に自己コントロールできる範囲のことかどうか。これは、すべてのことに言えることです。意識とは、自我すなわち自分の心が判断を下す、くださないの結果なのです。心の判断の結果が形になってあらわれるわけです。健康も、仕事の進行も、すべてが判断の結果なのです。自分の心が、どう対処する、どう反応する、どう判断するの結果なのです。意識の判断するところです。どう感じるか、感受性という感性、感じる力の感力。「体力・知力・感力」感力が心へ影響を及ぼし判断を下す材料とする。心がどう思う、心がどう判断する。心がどう行動するかを選択する。感力の質は人それぞれです。その人自身の個性によって感力が異なります。興味を示すもの。反応を示すもの。感応するもの。すべてそれらは、人ぞれぞれの個性によって異なるものです。感力がその人の感応となり、行動となる。
2008/10/19
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「氣づき」はどこからくるか 同じものを見ていても、氣づく人、まったく氣づかない人があります。 ある人は、氣づき。ある人は、氣づかない。 その差は、いったいどこにあるのかと思ったことはないでしょうか。 その人自身の意識です。問題意識です。自分の中の問題意識のレベル差にあります。 問題意識を人一倍強くもっていれば、必ず氣づくものです。 関心と問題意識を人一倍持っている人から氣づいてゆくのです。ちなみに、昔から「氣は心」とか云われています。「心の中の意識レベル=氣の持ちよう」ですね。
2008/09/20
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・「 おもしろき こともなき世を おもしろく すみなすものは 心なりけり 」by高杉晋作「おもしろきこともなき世をおもしろく」。 辞世をここまでしたためところで、病床の高杉晋作が筆を落とした。下の句は看病で付き添っていた女流歌人野村望東尼が「すみなすものは心なりけり」と書き添えたといわれる。高杉晋作は、幕末の志士の一人でもあり革命児といわれ、わずか27歳でこの世を去りましたが辞世の句は、死後141年を経ても今日、広く知られています。高杉晋作は行動実践の人だった。「おもしろきこともなき世をおもしろく」するものは、「心なりけり」と詠んだわけです。ことをなす心がけは、ただ漫然と日々流されていたわけではないだろう。「おもしろく」しようという思いと信念を人一倍、心に刻みこんでいたであろう。おもしろくするには、先見の明という着眼。そして「思い・信念」を具現化する行動力。着眼そして行動実践だったわけです。 「着眼」に至る「ひらめき」がおとずれるのは、好奇心と広い博識見聞体験からの感性であろう。「 すみなすものは 心なりけり 」 の 心は人それぞれの個性です。心の使い方いかんで「おもしろきこともなき世をおもしろく」してゆくということです。そのおもしろくする心を思いつくままに書きこんでみましょう。・ ものごとを「 前向きに 」とらえる、、、、、『 前向きな心 』・「 打つ手無限 」の発想ができる!、、、、、『 ポジティブな心 』・「 積極思考 」は陽転思考という!、、、、、『 プラス思考の心 』・「 ねばり強い 」ネバー・ギブアップ!、、、『 けっしてあきらめない心 』・「 ひらめき 」「 ときめき 」「 きらめき 」は、心をドキドキ・わくわくさせます。「おもしろきこともなき世をおもしろく」するものは、「 ひらめ氣 」「 ときめ氣 」「 きらめ氣 」「 氣は心 」とか申します。
2008/09/13
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・「 おもしろき こともなき世を おもしろく すみなすものは 心なりけり 」by高杉晋作「おもしろきこともなき世をおもしろく」。 辞世をここまでしたためところで、病床の高杉晋作が筆を落とした。下の句は看病で付き添っていた女流歌人野村望東尼が「すみなすものは心なりけり」と書き添えたといわれる。高杉晋作は、幕末の志士の一人でもあり革命児といわれ、わずか27歳でこの世を去りましたが辞世の句は、死後141年を経ても今日、広く知られています。高杉晋作は行動実践の人だった。「おもしろきこともなき世をおもしろく」する秘訣は、着眼そして行動実践だったわけです。 そこには「着眼」から「ひらめき」がおとずれたのには、広い博識見聞体験からの感性であろう。「 すみなすものは 心なりけり 」 の 心が人それぞれの個性です。心の使い方で「おもしろきこともなき世をおもしろく」してゆくということです。心の分析を思いつくままに書きこんでみましょう。・心を、「 前向きに 」とらえる・心を、「 打つ手無限 」の発想を!・心を、「 積極思考 」は陽転思考!・心を、「 ねばり強く 」 けっしてあきらめない・心を、「 ひらめき 」「 ときめき 」「 きらめき 」はドキドキ・わくわくさせる。自分の「心」をどう扱うか、どう操縦するかで、これからの道が決まってゆく。
2008/08/24
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・「 おもしろき こともなき世を おもしろく すみなすものは 心なりけり 」by高杉晋作「おもしろきこともなき世をおもしろく」。 辞世をここまでしたためところで、病床の高杉晋作が筆を落とした。下の句は看病で付き添っていた女流歌人野村望東尼が「すみなすものは心なりけり」と書き添えたといわれる。高杉晋作は、幕末の志士の一人でもあり革命児といわれ、わずか27歳でこの世を去りましたが辞世の句は、死後141年を経ても今日、広く知られています。高杉晋作は行動実践の人だった。「おもしろきこともなき世をおもしろく」する秘訣は、着眼そして行動実践だったわけです。 そこには「着眼」から「ひらめき」がおとずれたのには、広い博識見聞体験からの感性であろう。「 すみなすものは 心なりけり 」 の 心が人それぞれの個性です。心の使い方で「おもしろきこともなき世をおもしろく」してゆくということです。心の分析を思いつくままに書きこんでみましょう。・心を、「 前向きに 」とらえる・心を、「 打つ手無限 」の発想を!・心を、「 積極思考 」は陽転思考!・心を、「 ねばり強く 」 けっしてあきらめない・心を、「 ひらめき 」「 ときめき 」「 きらめき 」はドキドキ・わくわくさせる。ひらめきの感性を養おうときめきの感性を養おうきらめきの感性を養おう
2008/07/25
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言葉の使い方が、気持ちの使い方。どんな言葉を使っているかが、その人の気持ちを表すことになります。言葉の使い方で、その人の気持ちが推し量れます。口から出る言葉は、その人自身の気持ちの表れです。心にもないことは、口から出てこないのです。心にあることが、口からでてくるわけです。何を語るか、何を発言するのか、何を伝えたいのか。どう表現するのか。すべて言葉を介して人に伝えます。目を閉じて、何を、どう語っているのか、静かに聞いてみるとわかります。表向き語る言葉と口も乾かないうちに、別の次元から語る人があります。よくみると人相は、正直ですね。顔はその人の履歴書です。顔の表情にその人の思いが、思いによって表情筋とまなざしがしっかりあらわれています。現代社会は、したたかでないとやっていけないとも云われますが、ならば言葉をしたたかに活用する手法は・・・積極的に言葉の持つ力を取り入れる、例えば「クレド」などがありますね。
2008/07/15
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いい人生やってますか。 この世に生まれてから、あの世とやらに還るまで あなたは、ここに何しにやってきたのでしょうか。 ・働くため ・苦労するため ・楽しむため ・人に喜びを与えるため ・自分の魂を磨くため どう生きたいのかを自分で選んでもいいわけです。 実は、自分ですでに選んできての今日があるわけです。 口に入れた食べたもので身体ができて 見たり、聞いたり、体験したりで受け入れた考え方や習慣ができ 体型も、人相も、暮しむきも、すべて 人生を○十年を生きてきた人は、自己責任というわけです。 この地球に、同じ時間生きて その生き方・考え方に差ができるのは 「こころの姿勢&考え方の習慣」につきるのではないだろうか。 この「こころの姿勢」と「考え方の習慣」は、似たようなものですね。 この2つに共通することは、「人の心の持ち方」 こころの持ち方 こころのありかた こころの形は見えませんが その心がすべてを引き寄せる。 こころが磁石になっている。 あなたの心の磁石は、どんな磁石になっていますか。 心のS極が強い人は、N極を引き寄せる 強い磁力のある磁石のそばにいるといつしか磁力がアップする。 まともにそばにくっついていると影響をうけるわけです。 また電磁石は、コイルに電流というエネルギーを送り込むことによって 鉄棒が強い磁石となる。磁力は電気エネルギーの強さによって性能が決まる。 人のエネルギーは、心のエネルギー 心のエネルギーを鍛えると言えば、メンタルトレーニングということになるでしょうか。 こころ(メンタル)も身体の一部であるならば 筋肉を鍛えるように、反復反復の効果で鍛えることができるかもしれないとの仮説が成り立つのではないか。 お坊さんの修業は、お経の読経を声がつぶれるまでやってあの重低音のような太い声をつくるといいます。 早朝からの毎朝の掃除そして後片付けから、反復反復で身の回りの習慣を身につけるそうですね。身体で覚えるということです。 いずれも修行といえば、千日の行が昔から言われることです。 365日×3=1095 ですから 千日は、3年弱ですね。 メンタルトレーニング。いわばこころを鍛える。心を強くする。 心の強さとは・・・打たれ強い。打たれ弱い。とか言いますが 免疫ができている人は、打たれることに人より抵抗の少ない人はいるにしても 人は、自分だけ特別には、打たれたくないと思うわけです。 出る杭は打たれる、出すぎた杭になれば打たれないといわれますが 杭は一律、平らにするために打たれるわけです。 組織では、こうしたいという標準値があるのでその枠内に収めようとするわけですね。 それ以前に、コツは打たれないようにすることなのかもしれません。 それには、自分の立ち位置を確認しておくこと。 環境把握、組織の性質、ポイントを掴んでおくことでしょうか。 どんなポイントかといえば 企業活動なら、目標である利益の追求が正しいことになるので 人並みにこれに準じないと行為は、打たれることになります。 公務員でなら、昔から法規法令、社会倫理、上下関係を意識しておかないとならないのでしょう。 人間関係は、与えたものが、与えられることになります。 好意を寄せれば、好意が返り。悪意を寄せれば、悪意が返ってくるものです。 この「心を強くするメンタルトレーニング」の前に、 自分の置かれている状況を把握した上で、状況に適応できる柔軟性を養っておくことが先でしょうか。 「 丁寧な心 」 掃除に学ぶ会のトイレ掃除の効用に 掃除を素手で一所懸命やってゆくと気づくことがあります。 一つ一つの作業を丁寧にやるわけです。 床を磨く場合は、左手のひらを床につけて、右手にたわしをもって床を磨く。 一つ毎に、集中してやると、充実感がある。達成感が湧く。 やってゆくなかで見えてくるものがある。 やってゆくなかで気づくことがある。 やってゆくなかで、本質らしきものが見えてくることがある。 やりながら、体験しながら段々気づきのレベルが上がってゆく。 どうやったら良いのかの工夫の芽が芽生えてくる。 それくらいに集中してやるといい。 丁寧とは、集中に結びつく。集中してゆくとその中に入ってゆくことができる。 一心不乱になって集中することによってゾーンに入ってゆく感覚。 集中してやる中に本質的なものとの出合いが生まれる。気づきが生まれる。 丁寧にやろう。集中してやろう。その中に入り込んで行こう。 これを知ると楽しくやれます。楽しくやれる秘訣です。 やっていることに語りかけてみよう。 いとおしくなるくらいに丁寧に、集中してやってみよう。 「 価値あるもの 」 価値観は人によって違うものです。 価値は、見つけるもの、気づくものだと最近思うようになりました。 私にとって「 価値あるもの 」です。 素直になった自分が気づくものなんだろうと思う。 丁寧に集中してやっていると、気づいてゆくことがあります。 ふと、こうやったら、こう進めたらいいのではないかとのヒラメキが降りてくる場合があります。 丁寧に集中してやる。一心になってやる。 そんな些細なことからヒラメキと巡り合えるのです。 なにより集中してやると気分が良くなるものです。 それはなぜなのでしょうね。 集中、一心の中に、ゾーンの中に時という感覚がなくなる一瞬がある。 時の感覚がなくなりつつ、時がすぎてゆくのです。 「気がついたら終わっていた」その位に集中できたらいいですね。 些細なことにも「丁寧」こころを込めてやろう。 「丁寧」に心を込めてやってゆくといつしか集中してゆくことがわかります。 これって今日みつけた日常の中で使える価値あることです。
2008/06/24
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ファンになるか、嫌いになるのかは・・・それは、「どんな態度で接するか」接客姿勢からでしょうか。その人の思いは、態度に、顔に、言葉に、いずれかに表れるものです。顔では表情に現れ、口からでる言葉は決定的です。どんな態度で接するのか。どんな言葉を口から発するのか。心の想いがが、相手に伝わるわけです。すべては心を元にし、心に導かれ、心でつくられる。悪なる心でスタートすれば、悪なるものが見えてくる。悪循環は、悪なることが悪なることに連鎖してゆく。善なる心で始めれば、善なるものが見えてくる。善循環は、善なることが善なることに連鎖してゆく。類が友を呼ぶわけです。類友の法則です。その集団から離れてゆくのは、質が変化してゆくことによります。同質結集の法則の中で、同じ質のものは、ひきつけあい、異質なものは反発してゆくわけです。 善じゅんかん(1.微笑みと笑顔 2.感謝の心 3.プラス発想 4.言葉は偉大な魔法使いです 5.考動しましょう 6.喜びを与える 7.楽しくなることを
2008/06/12
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人は触れたものに似る。人は触れたものの影響を受ける。関心を寄せるもの。惹き付けられるものとの間には、心が動くものがある。感動する。感激する。感性が目覚める。内なる心象に共感するものがあるから。共感するものとは感性に積み上げられてきたもの。どれだけ無意識の世界に浸透しているか。目に映る光景、耳に入ること。口に入ること。どんな情報に触れるか、どれだけ入れるかによって内に入ったものしか、外に出てこないわけです。何を入れたかが、何を表現するか、何を語るかになります。人は触れたものに似る
2008/05/02
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感情とは、水面に小石を投げ込んだときのように心の中に波紋の広がりとなる。芥川賞作家でお坊さんの玄侑宗久さんでも3日前に聴いた講演ので怒っていることがあるととうとうと述べた。怒りのレベルの差はあるものの人間の感情の中の波のひとつであることを認識して、その波の波紋をどう処置するかなんでしょうね。 Aさんは70歳を越える研究熱心な経営者兼開発者なのですが、ここ3年ほどLEDを使っての商品開発をしています。以前、半透明なトルソー(マネキン)に七色に変化するLEDを入れてもらって、腹巻の販売促進のためにヒラメイて制作依頼して加工してもらった、結果は県の物産展での販売で売れなくて困っていたのが参加約50社の中でトップ売り上げをあげるまでになったことがございました。 今回は、もう3年も試作研究しているのになかなか商品化にまで至らないというものだから、「小さいものばかりに目を向けるのでなく今やっているものを応用して、店舗入り口のガラスドアーにLED発光を仕掛けたものを創ってみたらどうですか?ものが大きくなるだけなんだから簡単にできるでしょう」とアドバイスしたわけですね。23日に寄ったときは、サッシガラスを入手しましたから、とりかかれる準備ができましたと言っていたがその試作品ができあがっていました。まずまずでないですかと言いましたら、以前から作ろうと思っていたものだからとしゃ~しゃ~と云うものだから、私が提案したものを私の前で、自分の発想であるとよく云えますね。と云ったわけですよ。この位のことは前から考えていたと、目玉を左右にゆらしながら答えるわけです。目は口ほどにものを言いと昔から言いますが、なんともまぁ~ですね。 発想者とは、見た瞬間、尋ねられた瞬間、ふれた瞬間に発想が湧くものです。ちなみに最近は次から次へと発想展開にことかきません。発想者を無視して自分で考えたと私の前で言ったことから、それは違うんじゃないのという怒りの感情がわきあがり、一言本人に言い返します。アイディアの横取りとかには比較的慣れてはいるものの、目の前でいきなり云われれば、聞き流すと言うわけには、いかないものです。 世の中には、そういう人はけっこういるものなのです。完全に思いこみが強く、自分の発想と思い込めればいいですが、そうでない場合、良心の呵責と申しましょうか。やがては心のアンバランスが病気を引き起こします。心の法則はいつも同じような発想で判断行動するわけですから。お年寄りには、残り寿命も限られておりますから、これ以上の会話は遠慮しました。その場で倒られでもしたら、たまったものではありませんから。 沸きあがった感情処理は、云いたいことを云えば、満足するものです。とは云え、それが更なるもつれを引き起こす場合が多いわけですが・・・若いころと違って瞬間湯沸かし器は脱したもののリアクションはすぐしてしまいますね。 なおこれからも楽しい人と判断した場合は、遠慮なくアドバイスはするでしょうね。ヒラメキは天の恵みですから、マインド判断に委ねる中で・・・とはいえ、「達人のコミュニケーション術」なる冊子を途中で書店にて発見したので購入してきましたよ。
2008/03/26
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散歩中、ウグイスが鳴いていた、この時期のウグイスは、鳴き方がまだ下手だ。うまく、「 ホー ホケキョ♪ 」といかない。寒さでのどがかじかんでいるのか、はたまた、まだ若いウグイスなのか。昨日に続いて、今朝も同じ場所で、うまく鳴けない「 ホー ホケキョ♪ 」を練習しているようにも聞こえる。いつになったら、うまくいくようになるのか、しばらく気になるウグイスの声です。 同じく散歩中うかんだことですが、新しい場所に行ったときに、なにもかも新鮮に感じる。行ったことないところで、不安を感じる。同じ場所に行っても、感じ方が違うのは、同じ場所でも人によって心の持ちようが異なるから。こころのフィルターが、ものの見かたを左右する。 今朝の散歩中の実験、すれちがった人で、ちょっと変わった気を感じたので、しばらくそのまま歩いて150メートル位離れた状況のとき振り向いたら、ほどなくしたらその人もこちらを振りかえった。あの方も氣を感じやすい人だったのかと。直線道路で、早朝だったので人が他にいない状況なので実験しやすかった。 これは、車の運転停止中、ふと何かを感じた方向に顔を向けると、こちらに視線を送っている人をみることがあります。150m離れていても、なにげに視線を感じれるわけですね。
2008/03/10
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「コミュニケーションが苦手で、会社の幹部社員から辞めさせてもらいますと言われてしまいました。昔から私はコミュニケーションが苦手なんですよね」と・・・「社長の昨日言ったことと、今日言った話が違う」私はどう判断したらいいんでしょう!?と・・・経営者は、状況によって臨機応変な判断をするのです。マニュアルをつくったとしても、お客様は百人百様です。100人いたら100通りの対応があるのが接客の本質なんでしょうね。そこの部分は従来、長年の経験で対応できる人、伝説のホテルマン! 伝説のドアマンでしたっけ。相手によって個別対応できる。相手の情報を知った上で対応できるドアマンがいるホテルは一流のホテルといわれる由縁です。そこまではちょっと無理と云う向きには、一般的な心理学を知った上で対応できますと知らないよりはマシかもしれません。「人生は経験がものを云う」と云っておりますうちに・・・いつの間にか気がついたときには、現役生活残りわずかとなってしまいかねません。。。今できることで対応して、気がついた時点で修正してゆく積み重ねですね。現在時点ではまだ経験者の智慧に学ぶことが必要なことかもしれませんが、やがて近い将来、勉強する気になれば、WEBデータベースの中から学べる社会になるかもしれません。 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇「 会話力 」に関する書籍が今注目されているそうです。会話力、ちょっと前までは「 話し方 」と言われておりました。日常会話であり心理学でもあります。「最近ハマッテいること」を題材にしますとイキイキと話すことができるそうです。会話の中には、「 鏡の法則 」があるといわれています。ミラーリングともいい、聞く側が話す相手の動きを真似すると共感を自然に感じてスムーズに話し始めるわけです。ことば・しぐさのミラーリング効果です。同じ動作同じ言葉は、共感の安心感を生むわけですね。「ミラーニューロン仮説」とも言うそうです。脳神経は鏡に写る動作と同じものに反応する仮説なんだそうですが・・・聞き手が無表情であると、話す人にも表情がなく緊張して話す。人によっては、聞き手が無表情だと話し手は目を合わさずに視線をずらして話すことになる。聞き手が笑顔になると、話し手も同じように笑顔で話し始めるというものです。会話力の前に、心理学を知っているといいですね。共感の心理学です。「ミラーニューロン仮説」と「 鏡の法則 」を知り、笑顔で話し手の動きに合わせて会話を聞くようにしますと話し手は共感を持って話はじめることになる。笑顔のコミュニケーションを心がけることができたら、会話力がアップする入り口のようですね。 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ★解明!「会話」 ブームの秘密
2008/01/29
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人間は、「やろうと思っていたんだけれど」がなんと多いことか人がやったのをみて、実は、やろうと思っていたんだけれど・・・では、なぜできなかったのか。・最初の一歩を踏み出さなかった。・継続してやらなかった。やらなかったのは、いずれも思ったことをやらなかったわけです。では、どうしてやらなかったのだろうか。鮮明にやろうという意識を持たなかったから、忘れてしまった。いつまでにやると期日を決めて紙に書いて貼っておく。宣言することだと言われる。毎日、声に出して読むといいと聞いたことがあります。私は、そこまでやったことは、ありませんがやってみる、実験してみるのも面白いと思う。やってみる価値はあるだろう。打ち込みながら考えをまとめて書き込んでいます。走馬灯のように次々に移ろいながら変化してゆく時の流れの中で文字に書く。石に刻む。「企業理念を石に刻む」・・・ムム、、、これは、商品化できますね。書き込みながらアィディア抽出しても良いわけですが・・・どなたか、自社の企業理念を石に刻みたいとの思った方がございましたら私あてにメールしてみてください。こんなふうにアィディアがそのまま、このまま、即、掲載できるブログのこんな使い方もおもしろいですね。楽しみながら、書き込んでみることですね。そうそう、自社の企業理念を石に刻んだものをサンプルにして私に申し込んだ方もそれが、自社商品にもなるわけです。できあがったら即、BLOGに掲載できるわけです。アイディア、BLOG書き込み抽出法の試みの中から、ビジネス化できる商品が生まれたらおもしろいですね。どなたか、これを読まれた方、いっしょに楽しみませんか。うちの店には経営者がよく来るので、自分のポリシー(理念)を石に刻んだものがあったら、同じく欲しいという方が出てくると思われる方がございましたら、どうぞ遠慮なく、いますぐメールくださいませんか^^石にまで刻めば、計画を実現するまでやるだろう。紙に書くよりも石に刻んだほうがいいだろう。多くの人は、死んでから墓石に名前を刻まれますが、私のやろうとしたことはこれだ!私のやろうとすることは、こういうことなのだ!と宣言する人は少ない。亡くなってから名前を墓地に刻むことよりも自分のポリシーや思いを石に刻むことをなぜ選ばないのだろうか。私の住む郡山には、そういえば立派な石碑があります。江戸から明治政府ができ廃藩置県がしかれたころ、全国から士族の開墾事業者を募りました、安積野開拓です。猪苗代湖の水をひいて、原野を田んぼに変えたわけです。おかげさまで、あれから百数十年の現在、お米の生産量日本一の市となっております。そのときの安積野開拓の記念碑は、中国の易書の本から引用された「開成」の文字です。原野を打ち開くことが成る。力強い文字の揮毫です。(開成山碑)この石碑の文字は、一文字の大きさが1メートル以上あります。郡山市内にある石碑の文字では、私の知るところでは一番大きさです。石に刻んだことが、今日、日本一のお米作りとなって実現したわけです。思いを石に刻むことは、理念を伝えることになります。開成山石碑のある場所は、開成山大神宮・本殿入り口の鳥居前の道路挟んで東北植え込みの中です。安積原野は国内第一号の国営開拓地に明治9年、明治天皇の東北巡幸に際して、事前に大久保利通が来郡。中條政恒らは、開成山地域の開拓や桑野村の整備という実績を掲げ、安積平野全域の開拓の拡大と、猪苗代湖から灌漑用水を引くことを大久保に強く要望しました。その後、「殖産興業」と「士族授産」を持論としていた大久保の働きかけで、安積開拓・ 安積疏水の開さくは、国の第1号開拓事業として進められることになるのです。 そして、水利が開けることを受け、明治11年からは各地の士族が安積平野に続々と入植。全国の9藩から約2,000もの人が郡山に移り住みました。 明治11年、ファン・ドールンによる実地調査をもとにした監修が行われ、明治12年、安積疏水の起工式が行われました。それから3年後の明治15年に安積疏水は完成しました。こうして開かれた水路が、今日の郡山発展の大きな礎となっているのです。
2008/01/11
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糸切れて 凧は梢に 裸木の 風にゆられし 初春の華 花びらの運命は、やがて散り落ちることになります。 万象、輪廻転生、不常なるかな。 花びらの1枚落ちて、人生のワビサビを知る。 りんごが落ちてニュートンは万有引力を発見。 何を考えているか、何を求めているかで、気づくことは違うんだね。 心象に比例したものが、発見するものとなる。 一大事は、自分自身の心象ということ。 連歌して心象学ぶBLOG句会なぁ~んてね Kさんからものの見方、捉え方は人それぞれ違うということでしょうか。 エンジニアに必要な「なんでだろう」を追求して根本的原因や発想の転換をすることの必要性を感じました。 はい。それぞれ人の心象は違いがあるということですね。 木からりんごが落ちたら なぜ落ちたのだろうと真剣に考えたろうか。 私が思うに「ふと、なにげなく、もしかしたら引力が働いたのでは・・・」というさりげないヒラメキだったのでは。 そのヒラメキを誘発するのが、心象に何を置いているかなんですね。 寝ても覚めても、そのことに意識を置いていると 潜在意識がそれを見逃さずに捕らえるのがヒラメキではないでしょうか。 心眼を養う前提には、潜在意識への心象を明確にしておく それには、健在意識での反復、反復、また反復の数稽古なのでしょうね。 ここに反復して学ぶ効用があるわけです。 反復は、潜在意識下の心象を明確にしていきます。
2008/01/06
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この世の真理「無常」と云ったのはお釈迦様だったろうか。 常ならず、たえず変化しているわけですね。 「こころ」のありかたで、すべてが変化してゆく こころの練り方ををマスターできれば・・・ こころのリズム、こころの学び舎、この世は「心学舎」
2007/12/01
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「 運がいい。運が悪い。」という言葉をよく聞きますが、はたして運とは何だろうと考えてみた。運とは何だろう。この世で起きたことを自分を中心にみた事象をそのときの自分の都合で判断した言葉であるのが一般的ですが、同じくこの世の事象である天気、自然現象に運が良い運が悪いと呼ぶことに似ていないだろうか。天候は、快晴、晴れ、曇り、雨、雪、嵐などの現象があります。天候は高気圧・低気圧の移動にともなう水蒸気(雲)の動きで変化するものです。最近は、気象観測衛星アメダスなどでかなり正確に雲の動きを把握でき気圧の変化のデータも解析できる時代です。水蒸気(雲)の動きで変化するものに、重なった自分の行動に「 運がいい。運が悪い。」と言っているようなものです。近年数日後の天候の変化は、天気予報であらかじめわかる時代ですから「予報通り」ということになろう。現象界は、原因と結果の法則があります。人と人の関係の中での行動結果に「 運がいい。運が悪い。」という開きがでるのは、どこに原因があるか。原因をつくるものに着目してみよう。どう行動するか。どんな行動をするか。行動の元になるものは、、、行動の原因は、、、思い。心がどんな状況、心の姿勢。心の姿勢をつくるものは・・・例えば一番前に座る人は、一番前に座ろうと決めたか。一番前に座る習慣になっている人です。例えば早起きする人は、早起きしようと決めた人か。早起きが習慣になっている人です。「決意して実行したか。習慣になっている。」場合です。「運」の話でしたよね。天候も変化するわけです。変化する現象に遭遇するのがその日の天候です。天候現象を肯定して受け止めると「晴れもいい。雨もいい。」農家の人は雨を「いいおしめり」ですと言ったものです。野菜など植物の側からみれば晴れが長く続くと雨が待ち遠しくなるわけです。心の感受性、事象の受け止め方をあるがままに肯定できる。たえずそこからスタートできる。進みたい方向に進路をとれる。運がいい人は、いい氣を持っている。いい氣を放っている。氣はこころとも言います。運がいい人は、いい氣を持っている。いい氣を放っている。氣はこころとも言います。
2007/11/28
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川を水が流れるのは、高低差があるからです。ボールが転がるのも、傾斜あるからです。虫は明るいところに集まります。蚊は温かい血液のあるところに集まります。世の中には、法則性がありますよね。「なぜなんだ」と考えてみればわかりますか。わかりやすいものと、わかりにくいものがあります。気づく人と気づかない人があります。その差は、どこにあるでしょうか。同じものを見ても見える人と見えない人があるのです。同じものを見ても気づく人と気づかない人があるのです。気づくようになるのには・・・気づくセンサーが働くようになるには・・・音叉の現象と同じように、同じ波長になると初めて同調して共振共鳴するのです。同じ波長のものが、同じ波長のものに共振共鳴するのです。その人の持つ心の波長に同調したときに、共振共鳴するのです。その人の心の波長は、ではどうやって・・・関心ごと、身に着けているもの、よく言葉にすることなど言葉や行動の結果から、内なる心にある波長を推し測ることになるのです。心のリトマス試験紙あたるものは何だろうか。その人が関心を示すもの。その人が関心を示すことです。またそれらは状況に応じて変化する場合があります。それが、タイミングと呼ばれることになるのです。
2007/10/05
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郡山市内で掃除に学ぶ会が開催されました。主催は福島県郡山市倫理法人会で昨年に続き2回目だそうです。地域環境美化の実践ということだそうです。参加者はいい意味で少数精鋭部隊です。学生も生徒会とJRC部員の有志のみ、教頭先生、顧問の先生、PTA若干名です。各々が1個の便器担当になって掃除できる掃除の会ではなかなか見られない展開でした。私はつごう掃除に学ぶ会は4回目の参加でしたが、いつもこのトイレ掃除には学ばされます。今回の参加は、トイレ掃除で風邪を治そうとこころみたのです。無になって汗を流すことによって果たして風邪が治るかどうかと・・・S事務長さんが、倫理法人会は、心を学ぶ会といわれていますがトイレ掃除は心を磨く作業とも言われていますので共通点がございますと開会式の挨拶で述べられてから始まりました。掃除実習時間は9時から11時半までの2時間半です。約2時間ひとつの便器をひたすら磨き上げるわけです。一点集中して磨き上げますと結果、周りの汚れとの差に気づくようになります。汚れた便器をピカピカに磨き上げますと、周りの汚れが気になるようになり、掃除をしたくなるのです。私達の目は、目にふれたもの体験したことに影響されるわけです。倫理法人会から6名、先生2名、父兄1名、生徒約10名位だったでしょうか。どうしてトイレ掃除?(案内レジュメから) 倫理法人会の学びの中で『実践によって直ちに正しさが証明される純粋倫理を基底に』とありますが、手足や体を動かしてトイレ掃除に励んでみるとそのことを通じて家庭、経営や社会のことを考えるようになります。トイレ掃除の効用・自らの心を磨くことができます。・気づく人になります。・感謝する心が芽生えます。・謙虚な自分を再発見します。・幸福な人生を歩むきっかけを与えていただきます。今回、掃除に学ぶ会に参加しての感想は・・・徹底的に掃除をするには、まず道具からしてプロ仕様の道具がある徹底的に磨き上げてゆきますとトイレは汚いものだと言う観念が消えてゆきます。きれいにしてゆきますともっと光り輝くように磨き上げたくなります。きれいにすると周りのきれいでないところが目に付くようになります。みんなでいっしょに無心になって掃除する掃除が終わったあとは、おにぎりとお茶をみなさんといっしょに体育館でいただきましたが、汗を流したあと食べるのは美味しいものでした。
2007/06/24
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大リーグでは、イチロー選手と松阪大輔投手の7年ぶりの対決が盛り上がっている。ポスティング移籍、60億円投手と大リーグのヒット記録を数々塗り替えてきたイチロー選手の対決はアメリカでもえらい人気ですね。先ほど8時10分、第一球はカーブのストライク。観客がスタンディングでその対決を見守った。結果は2-3からピッチャーごろで終わった。アメリカの観客は、イベントを愉しむというのか。観客一帯になって盛り上げるのがうまいですね。私たちもちょっとしたメモリアルがあったなら、楽しむ、盛り上げるちょっとした工夫を見習いたいものです。それは気持ちのありかた、気持ちの持ち方、気持ちの表現でしょうね。---------------------------【人生の6大原則】●自分に対して 自信 希望 誇り●他人に対して 笑顔 挨拶 感謝-----------------------------成長人間倶楽部( 宗 初末研究室 )http://mixi.jp/view_community.pl?id=182814この宋さんの人生6大原則は、気持ちの持ちようをうまく表現しています。人は何の為に生きているのでしょうか? 胸に手を当てて考えてみてください。 いかがですか?結局、人は幸せを求め て生きているのではないでしょうか。 そして、幸せになるためにはどうも 3つの要素があるようです。 それは、 (1)自分に自信を持つ (2)仕事を上手くやる (3)良好な人間関係を創る ことに尽きるようです。 この3要素をバランスよく保ち ながら、大きくしていく事が 必要です。 しかし、現状維持ではこの3つ要素 をバランスよく大きくしていくこと は難しいですね。 そこには絶え間ざる成長がなければ 幸せになれません。そうなんです、 大きく飛躍する為には成長人間に なることです。 この問題は、老若男女・国籍・職業に関係なく すべての人が関心を持っているテーマです。 より良い人生を送りたい、自己実現を真剣に 目指している方であればどなたでも会員になる 資格があります。どうぞ、この成長人間倶楽部 の門戸を叩いてください。 自己実現に進路を取って、 大きく飛躍しましょう! 一緒に勉強しましょう!
2007/04/12
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深く考えるキッカケは、失意のどん底にある場合が多いと聞きます。一筋の光明がよく見えるようになるのかもしれません。作家の神渡良平氏が、38歳の時に脳梗塞で倒れ、半身不随になったが、必死のリハビリで再起。この闘病生活中に、「人生はたった1回しかないこと」「どんな人にもなすべき使命があってこの地上に送られていることを痛感する」「かけがいのない人生をとりこぼさないためにも 自分の経験の範囲内で考えることではなく 先人たちが掴んだ人生の知恵を活用すべきだと氣づく」・どんな悩みも苦しみも、喜びも楽しみも 結局は自分がつくりだしているに過ぎないのです。 人の話を聞いても、物の本を読んでも どう思うか、どう感じるかは、その人の自身の心のフィルターです。 目の前の事象を、ものごとをどう捉えるか、どう判断するかです。 サングラスをしてものをみれば、実際よりも暗く見えます。 黄色いサングラスをかければ、すべて黄色くみえるのと同様に ものを見るこころの目、心眼を磨いておかないと、写り込み方が異なるのです。・どんな考え方をするかは、 過去の自分の経験や、人や本からの影響が絡み合っています。 その人自身(自分自身)の考え方の習性は 今日までの人・ものとの出会いの中から育まれたものと言って良いでしょう。 それは出会いの縁と呼ばれています。
2007/04/05
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日日是好日(にちにちこれこうにち)祖母の口癖の一つに「この世は苦娑婆(くしゃば)だから」という言葉がありました。ですから、当然それは母親にも伝わっており、その言葉を聞いて育ちました。そうか苦しいことがたくさんあるのかと私の潜在意識に刷り込まれていたかと思います。仏教講座なるものに参加しましたら、その長年の疑問が晴れました。「この世は苦娑婆」はお釈迦様の教えの一つなのだそうです。おしゃかさまは「人生は苦海(界)の波に、もまれている」と言ったそうです。苦娑婆の「苦」とは「困難」ごとです。その困難ごとにどう対処するかです。困難を避けるのでなく、困難ごとに敢然と立ち向かってゆく難が有るから「 有難う(ありがとう)」の精神です。「困難なときほど、おもしろい」「困難なときほど、やる気になる」なぜならば困難は、授業料困難は、自分の能力を啓発してくれる困難は、心の目が開くきかっけになる困難という「まさかの坂」は、自分の能力が花咲くはからい「辛い」ことは「幸い」への入り口。「辛」に横棒一本加えれば(気がつけば)「幸」になります。仏教では「諸行無常」といってすべての存在、すべての現象は何一つとして変化しないものはないと教えているそうです。人間の幸、不幸も同じことで悪いこともいいことも、いわばひとときのことにすぎないと、次々に変化してゆくわけです。ようはその時の心の持ち方を日日是好日と思えればいいようです。苦しみがあったらそこに取り組むことで道はひらけてゆく。困難や危機が差し迫ったら全力で対応する。そこに解決の力が生まれてくる「もうだめだ」と思うことでが思考停止・ストップさせてしまう。『苦難は幸福への入り口』と考えましょう。苦難こそが、おのれの中に潜む新たな能力を引き出してくれるという心構えをもちましょう。苦難を克服しましょう。自ら勇気を鼓舞しましょう。自分が自分の主人公です。自分の筋肉だって、自分が反復してくりかえさなかったら、新たな筋肉がつかないのと同じです。意志あるところに道はできる。志です。心という考え方を、前向きに「日々是好日」と考えましょうか。
2007/03/19
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同じ年齢なのに若々しい人、同じ年齢なのにふけこんでしまった人その違いはどこからくるのだろうか。生きていることは、確実に死に向かって進んでいるわけですが気持ちの持ちようがどうあるかで大きな差がでてくるのではないでしょうか。輝いて生きる人の特徴でもありますが心のもちよう・気持ちのもちようですが一般的によく言われるのが「知力・体力・気力」がバロメーターといわれますがその「知力・体力・気力」に「感力」が伴えば、その感力は鈍感力も含めた感力です。繊細な感力と、ちょっとのことでは動じない心を併せ持てば鬼に金棒!もう一つ別の言い方をすれば、ビジョン・パッション・アクションそしてハイテンション。これが楽しくものごとを推進する秘訣です。初めに目標ありそこに熱意が加わりそして行動熱いハートでミラクルパワーですよ。いずれも世間の常識にプラス一工夫。ちょっとした工夫。もうひとつ。そのプラスアルファーが大きな推進力になります。
2007/03/12
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人生の杖・新しい自分をつくる人物つくり=自分づくり・まず、理想、目標を持つ・お手本とする人につく・先哲に学び、人生経験をつむどこか光っている人になるいいことを自分に何回も聞かせないと、そうなっていかない。どんな時代にあっても、自分の生き方は自分で切り開いていくしかありません。さて、それにはどうするか。大海原を目的地に向かうのに、航行する船が羅針盤がとりつけているように自分の生き方には「心の羅針盤をつくる」ことです。人生の一切を創るのは、行動です。その行動をうながすのは心の決定です。心の決定が行動となるのです。心の決定は、心の 「 思考→志向→施行 」となり行動となるのです。「積極的な心を持つことが重要」とわかっていても こころは、ころころ変わるから心ころころ。さてどうするか。心の思考を行動にうつすには、行動計画をつくること。わかりやすく云いますと、計画を紙に書くことです。紙に書いた行動計画を実行することです。実行は、実際に行うこと。なかなか進まない方には、次のじゅ文がおすすめです。「すぐやる。必ずやる。やればできる。いますぐ、やってみよう。」と言いながら、すすめてみればいかがでしょうか。
2007/03/09
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座右の銘ないしは座右の書に「菜根譚」をあげるかたがございました。この人生いかに生きるべきかの指標が書きつられています。中国の古典ですが、日本には江戸時代に伝えられ紹介されたのが始まりだそうです。新釈・菜根譚(さいこんたん)守屋 洋著人間学の原理原則・心の拠りどころとなる言葉が並んでいます。人間学をわかりやすく解説し、明日を生きる智恵と勇気を与えてくれる好著かと思います。楽天ブログにほのぼのしたイラストといっしょに、勇気と癒しを与えてくれるみさちゃんの絵筆講座サイト。「菜根譚」との共通点がみられたので紹介してしてみましたが、みさちゃんは自身の体験の中からでてきた言葉です。また、今話題の「がばい、ばあちゃん」島田洋七さんのおばあちゃんの物語ですが、どんな時でも明るく生きることを教えています。貧しいながらも社会大学で学んだことを1冊のノートのまとめたものを洋七さんに渡したものが1冊の本になったものです。佐賀県の武雄市では「がばい、ばあちゃん課」も市役所の中につくられたようです。先日放送されたTV番組「がばい、ばあちゃん」は武雄市での視聴率は88.3%だったとか。台湾では昨年2006年いちばん売れた本が「がばい、ばあちゃん」だったとか。台湾からの「「がばい、ばあちゃん」ツアーには1万人からの申込者がいるんだとか。人の心に希望と勇気を与える存在は、充分に地域起こしにもなっています。
2007/02/17
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笑顔で人に接する。心に喜びがありますと、しぜんに笑顔がこぼれるようです。表情とは、心の表面と書きます。心のありようが顔に出るということです。いろいろなことがある中で、心を平穏に、ニュウトラにしておくには、どうしますか。心が、何を見ようとしているのか。どんなもののみかたをしているのか。感謝「ありがとうございます」は、たましいの言葉。ことだまが伝わっていきます。「いのちの響き」が伝わります。素に直る。素直になる。感謝と素直が心を平穏にします。
2006/12/25
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関心あることが、言葉と文字になります。何を考えているか、何に関心があるのかです。出てくるもの(言葉&表情・態度)は内側にあるものが出てくるのです。何が内側に入っているかは、何を入れているかです。入るのは、目・耳・鼻等の五感です。どんなモノに触れているかです。自分自身の関心事のご縁が、自分を育んでいきます。自分がなりたい方向があるなら、その縁を太く大きくしてゆくことです。自分に共鳴・共振するものは、自身のレベルかと推測できます。
2006/12/24
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「どこに、感動するか」がその人の感力。その感動した事、感じるところを生かして行動していったらいい。自分のテーマとなる関心事とは、感動することの周辺にある。感動とは、心がうごくことですから、素直に行動してみたら、いいのです。感力とは、「知力・体力・感力」と生きる力の源泉。私のハンドルネームの新鮮美観も感力に由来する選択でした。感力をさりげなく、刺激するものが、人に選ばれる魅力かもしれません。感力を刺激するご利益3色「金・朱赤・黒」この3色の組み合わせが、神社等伝統的なご利益を感ずるお守り等に多く見られます。この色の組み合わせを無意識の内に選択して商品開発されていたのが、高松のお茶の亀屋、尾碕正澄さんでした。「陽気なほうじ茶」のパッケージでしたが、この商品を扱っていると、何故か、気分が元気になるんですと感力を刺激されますと、人は元気になります。この「陽気なほうじ茶」梅しょう番茶をつくるのにお奨めです。通信販売もやっておりますので興味ある方は、アクセスしてみてください。
2006/12/13
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> 生きるって難しいけど楽しいです。>> どっちかというと1人よがりの性格が生まれつきで> みんなに迷惑を掛けてる方かなという気がします。> ほめられれば、有頂天になるし・怒られば、ガーンと落ち込む、> どうしようもない性格で困ったもんです。> なにか、もっと自分を変えられるものってあるんですかね?> 今、一寸落ち込んでるもんで…。ご自分の性格を冷静に書き出せるようであれば、あと一歩の努力でしょうか。自分で自分を変えたいという意志をお持ちでしたらぜひ、チャレンジしてみてください。性格が「生まれつきで」とございますが実は、生まれたときは、「誰でも、うぶなものでございます」実は、ものごころがつくまでにどんな育てられ方をして育ったかが性格やものの考え方に影響しているのです。ですから性格や考え方は後天的なものです。天真爛漫なことはわるいことではございませんがなるたけなら、みんなに迷惑をかけないように迷惑を掛けないようにするには、一般的にはおのずと言葉と行動を選択するようになるものです。言葉は、まず自分の耳が発したと同時に聞くことになります。そして、人に語れば、増幅して返ってくることが多々ございます。「ありがとう」「ありがとうございます」の言葉を一日何回位使っていますでしょうか?感謝の言葉を多く使えるようになりますと感謝の人になっていきます。人は、自分の使った言葉のようになっていくのです。ひごろ、どんな言葉を使っているのかが実は・・・あなたそのものなのです。「気配り、こころくばり、言葉づかい」言葉づかいは、心づかいなのです。私の友人に「ありがとう」を百万回唱えた友人がいます。親との関係が回復しました。自分が変われば環境までもが変わると彼は云います。どうでしょうか。「ありがとう100万回」に挑戦してみますか。やる、やらないの選択はご自分の自由意志です。そうなんです。人生は選択の連続です。その選択の結果が今ある自分なんですね
2006/12/11
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松下幸之助翁の茶室に掲げてあった言葉が「素直」でした。素直には吸収力があります。固定観念が人間の成長を阻害していると言えるでしょう。人のいいところを素直に真似てみる。人の話を素直に耳を傾けてみる。すると不思議なことに今まで気づかなかったものが広く気づくようになってくる。
2006/11/30
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「 ビジネスの基本は熱意 」 大学生の仲間で創業したベンチャー会社が、電話セールスのあとその会社を訪問しました。担当者は、若いビジネスマンの熱意の伝わる営業姿勢に取引を開始しましたと答えました。ビジネスの基本は熱意だと想うのですと。伝わる熱意とは、どんなものだろうか。熱意も決意も「意」なのです。「意」とはどんな意味合いがあるのか考えてみました。「意」の漢字を分解しますと心の上に太陽が立ち昇るのです。朝日の太陽が立ち昇る時のような心でしょうか。すべてを明るくする、暖かくする、スタートであります。音読みの「い」は「いろは」の「い」。いの一番の「い」なのです。私のビジネスには、今でも伝わる熱意があるだろうかと再考する機会となりました。
2006/11/24
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心こそ 心惑わす心なり 心して心許すなどこかで聞いた言葉だと思いましたが、良寛さんの言葉だそうです。和子書とあるのは、「どんとこい」の高橋和子さんが左手で書いた筆文字だそうです。心の置き所心の判断心のありかたころころ変わる心をどう養うか「養心」とは・・・トイレ掃除で磨こうか気がつくようになるには、汚れを素手で自らきれいにしてゆくことで身につくことだと聞いたことがあります。
2006/11/22
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できるなら何の苦しみのない世界を願い、楽しいことの多い世界を極楽だと思い、幸せだと・・・一般的には、そのような世界を願っていると思います。今から2000年以上も前、お釈迦様は、この世は「一切が皆苦」と悟られたそうです。そしてこの世は、苦が常態で、楽が異常態ですと説かれています。「苦あれば楽あり、極楽に楽しみなし」と言われるように、苦のむこうに楽があるのでなく、苦そのものがその人に喜びを与えてくださいます。苦がないと信仰する心が起こることなく、信仰ができない人には、仏様はお見通しで、その人の一番の苦を与える。苦が努力精進する心と向上を与えて下さる。そして私たちは、苦しんでいる方の苦を通して、苦に共感することで思いやりの心を育て、慈悲心まで育ててくださいます。苦があってこそ、仏様のみ教えを信じ、実行することで本当の幸福があると思います。苦楽は生涯仏さまの道連れと思い定めて、楽しく意義ある人生を歩んで参りたいものです。----------------------------------------------------以上は、よく宗教の解説などで言われております。ここからが、私の解説になります。我が家の家系では、ばあさんの口癖に「この世は苦娑婆だから」ということだった。ばあさんの口癖だったから、母さんにも引き継がれたわけです。そう私はそれを聞いて育ったわけです。ばあさんは、手に数珠を持って毎朝仏壇に向かって、お経をあげていました。言葉の世界から解説してみます。「苦」と「九」は、発音が同じですね。「苦」の次は何かというのを「九」の次は何かと言いますと「十」ですね。「九」と「十」をタテに並べると「卆」になります。口にする苦(九)を → 口にする十になると「叶」(かな)うになります。苦を卆業すると叶う世界になります。この世は「一切皆苦」と思えば、その現象にとどまることになります。一歩すすめることによって「九から卆業」するのです。叶う世界に入ります。辛いことも、気がついて改善改良すれば、幸いになります。辛いに、横棒一本を加えれば、幸いになります。辛いことや苦(九)は、幸いの入り口なのです。 -------------------------------------------------------------------------> ご無沙汰しています> 以前、「辛」と「幸」は横棒1本の違いと書かれていましたよね。> それを別添のように発展させて頂きました。> 有り難うございます>> ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー> 「明るく・楽しく・心豊か」な生き方を支援します> 執筆・講演・セミナーなどのご用がありましたら> ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー> 京都嵯峨野の夢前案内人 太田典生 困難なことを 苦しみに落としてはならない 苦しみは迷いを起こし 苦しみは二倍三倍に倍加する 苦しみの目標を知れ 何のために苦しい思いをするのか その目標がわかったとき 困難は生き甲斐となり 苦しみは励みとなる ---------------------------------------------------------- なるほど! 明確な目標を持つことにより、苦しみと思えることさえも、 生きがいにすることができるならば、 楽しみに変えることができるわけです。 イラスト入り表現にしますと、ずいぶんわかりやすくなりましたですね。 夢前案内人 太田典生 さん からのお知らせでした。 昨日につづき、今日も富士山が美しいのです。この季節、空の空気の状態が安定しているせいなのかもしれません。登山している途中は、苦しいけれども、山頂での景色を眺めると疲れも忘れる開放感。下山したあとも、あの感激を忘れられずに、また登りたくなる。苦と楽しみの間にあるものは、山頂での達成感、いわば目標と相通ずるところがありますね。 リアルタイムの富士山を見たい人は、→ 富士山ライブカメラ夜間の明かりは、山梨県富士吉田市のあかりです。なおライブカメラのある場所は、三つ峠山山頂付近です。ですから富士山の北側から撮影しているわけです。
2006/11/10
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ありがとうございます。気持の持ちようって大事ですね。気持のもちようと言えば、積極思考、前向き思考です。積極前向き陽転思考です。積極思考を身につける。身につけるとは、言葉にすることです。言葉で気持のありようをコントロールする、宣言する。言葉に出して宣言するとそのようになっていきます。積極思考とは、「言葉の力」そのものなのです。言葉を口にして、文字にして己自身を鼓舞することです。言葉によって意識をコントロールすることです。言葉にすることは、言葉の力すなわち、ことだまを活用することなのです。なぜやらない。なぜできないでなく、「私はできる。必ずやる。よい結果を必ず出す。」だからこれをこのように進めると宣言するのです。積極的に宣言するのです。宣言する事がシュミレーションになるのです。言葉に出す事がシュミレーションになるのです。言葉の使い方が未来のつくりかたなのです。言葉には魂が宿ると言うのが、古来からの日本のことば、ことだまの世界なのです。「私には力がある、偉大な力がある」と言葉に出して、自分の潜在意識にその力を目覚めさせ、自覚することから始まるのです。「やればできる。必ずする。よい結果が必ず出る。」「私はやる。必ずやる。できるまでやる。」この言葉を使い、文字に書きしるす。口にする。「必ずやる。できるまでやる。私はやる。」一般的には、「私はできる。必ずやる。できるまでやる。」ですが、逆に「できるまでやる。必ずやる。私はできる。」と書くのと、「私はできる。必ずやる。できるまでやる。私はできる。必ずやる。」と反復させて文字にするほうが効果的言葉の使い方になります。重要なことは反復させる。反復の効果を活用する事です。いい言葉は反復して使うといいのです。確認話法にも相手の言った言葉を、オウムかえしに使うのも、重要項目は、くりかえすと「ハッと気がつく」「腑に落ちる」「心にとどまる」のです。くりかえしの反復の効果には、偉大な力があります。言葉の使い方です。モーニングノートへの書きこみは言葉の使い方でもあります。未来デザインも言葉で書き上げていきます。企業理念、経営指針も言葉での宣言の世界です。すべては言葉の使い方です。この言葉の使い方をマスターすれば、あらかたのことは、あなたの想像する事は実現化する方向に向けられる。ものごとは積極前向き言葉で後押しするのです。「決める」ということを覚悟すると動き始める。大切なのは「決める」ということをすることです。言葉の選択は、人によって千差万別なのですが、その真髄は実にシンプル、単純なのです。私たちの毎日は言葉によって支配されています。言葉によってコミュニケーションが成り立っています。言葉によって意思伝達しています。言葉によって行動を決めている。言葉によって今の現況説明もする。表現する事は、言葉を使うことなのです。言葉は心の表現です。心からの指令が体を動かしています。心のありようを言葉でもって表現している。ならば心をコントロールする言葉の使い方を陽転思考にもっていったらいいのです。中村天風はこの言葉の世界を悟ったわけです。悟りの漢字は「吾が心」と書きます。吾が心を表現するのは、言葉なのです。言葉がこころの表現、いわば言葉が体を動かすエンジンにあたる。推進させるのは言葉なのです。「決心」したことを言葉に宣言したらいいでしょう。意識してシュミレーションとして使っていく。その使った言葉の世界が現れてくるようになるでしょう。やがて、あなたは言葉のとおりになっていくことを知るでしょう。
2006/09/12
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今年は久しぶりに高校野球をTVで見ました。筋書きのないドラマの逆転劇の応酬は、一所懸命のなせることなんだなぁ~と生ドキュメントの面白さです。これは私たちの日常も同じことなんでしょうね。うん、真剣さが高校野球並みに、あとがない状況でやってないことに気がつきました。高校球児に教えられました^^;長らく何年も高校野球を見ていなかったら、最近は駒大苫小牧は北海道、また日大山形もベスト8に進出。昔は冬期間練習できなかったから弱い代名詞だったのが今は違いますね。固定概念をはずして、オリジナルな練習方法を確立できたのだろうか。「ビジョン・パッション・アクション・ハイテンション」
2006/08/16
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氣力はどこからくるのか。氣力・胆力と言うのだから臍下3寸、下丹田だろうかと長らく思っていましたが・・・なんでも6月から全国のセブンイレブンで酸素缶(600円)の発売を始めたそうです。発売まで約3年の準備期間を経てのことだそうです。ミントとグレープフルーツの香りがついている2種類だそうです。長らく水と空気は、この国は、ただだと思っていましたが、水はガソリンよりも高いのですが、うまい水はただだとは言わなくなりました。とうとう空気も発売されることになったわけです。酸素を吸った人にインタビューしていましたらすっきりしますねと答えていました。確か国会議事堂にも酸素室が備えられているそうです。深夜に及ぶ国会審議におりに酸素を吸うと頭がすっきりすると・・・そうか、頭がすっきりすると、いいわけですね。マイナスイオン発生装置があったことを思い出しました。部屋中をマイナスイオンで満たすと頭がすっきりしてきます。マイナスイオンの空気が肺から血液にゆきわたるとすっきりします。氣力はマイナスイオンの空気からも改善できるのです。空氣の力=氣の力=氣力ちなみに「力」とは、「血から」からきています。血液養分の中に「力の源泉」があったわけですから血液に及ぼす肺から取り入れる空気に気力の元があって当然です。マイナスイオンの空気はすがすがしくなります。気力改善させます。
2006/07/01
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ワークショップ講座の最後に・・・言われた「学んだことを生かしていきましょう。」(清水さん)・話の地図を描く。・楽しい情報が生まれる。・手の打ち処を一つ一つクリアーしてゆく。やろうと思って学んでいるんだけれど、結果は、うまくできる人と途中で挫折する人があるんですよね。と参加者の中から声があがった。そうしたら「本氣じゃ~ないとね。」本気じゃないから途中であきらめるんだよ。「本氣でやれば、あきらめないよ。」「本氣でやれば、できるよ。」と元気な声で誰よりも早く応えたMさん。続けて言った。・まず楽しんでやろう。・来ていただいた方に歓んでもらちゃおうよ。 ☆ ☆ ☆3才のころからつづけてきたバイオリンを経済的理由からやめなくてはならなくなった17歳のとき、ノイローゼになり、毎晩、不安を模造紙に書き続けた。箇条書きに書きつづけた。「自分は何者か」を知ろうとしたそうです。その中で、大切なものは何かを探した。いらないことを消していった。残ったのは2つだけだった。・何のために生まれてきたのか・将来どうやって生きてゆくか。希望の未来を描き、それには今、何をやらねばならないかを決めてゆく。自分で自分の中から答えを引き出す。途中、映画をつくって35億円の赤字を作った。周りで返せる金額でないので返すのをあきらめたらとも言われたが貸してくれた人は返せると思ったから僕に貸してくれたのだろうから返すことにしたそうだ。ファンはありがたい。コンサートに通い続けてくれたので返すことができた。平凡なものはつまらない、どっか変なものがいい。家族へのメッセージを歌い続けてきた。「本気で言いたいことがある」 さだまさし著
2006/06/18
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自分を鼓舞する方法を知っていますか。絶望の淵にたって、復活した人だからこそ知りえることができたのではないでしょうか。坂上二郎さんは、健康に人一倍気をつけていたにもかかわらず脳梗塞になり、奇跡的に復帰されました。水を飲むのをひかえていたので、それが血液濃度を高め血管に詰まったのではないかと今は1日2リットルの水を飲むことにしているんだそうです。入院中に、牧伸二さんが「心に太陽」の書をもって見舞いにきてくれたんだそうです。この書に励まされたそうです。持つべきものは、良い友達ですね。友達が、何かしてくれるのを期待するよりも何をしてあげられるか。与えることができるのが、友達がいです。牧さんも脳溢血で倒れ入院した時、二郎さんが見舞いに行ったので今度は、二郎さんが倒れたのを知り励ましに来たんだそうです。心は移ろい易いもの、ころころ代わる、「こころ、ころころ」とも言われるその心をどう捉えるか。思うようになるのであればこころを明るくする「心に太陽」リハビリでいったん麻痺した神経を復活させるリハビリという鍛錬です。反復して繰り返す作業です。反復くりかえしの中で復活してゆくのです。リハビリで反復繰りかえしをするというのも意思です。「やるぞという」強い意思を意識に刻み反復することによって、神経回路が復活する。「反復繰りかえし」は偉大な力です。
2006/06/16
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記憶力・・・記憶よりも記録。とりあえずメモをとる。記憶の糸を太くするには、五感の感覚器官を複数体験すればいいと。そこで同時に2つのことを作業をしながら考え事をしてみたら、見事に作業中に凡ミスをする。先日、同い年の方から最近、ちょっとしたことを忘れると言われたが私も人事ではないなぁ~やはり記憶力は弱くなりつつあることは否めない!目の前の作業は、一点集中だ。緊張感を持って望むことだ。やはり意識の集中だ。記憶力を強めるには、「記憶よりも、記録」でいくことにしよう。「メモを残す、メモを見る」を意識して習慣化してゆくしかないか。
2006/05/30
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私たちの日常で幸福は、いったいどこからやってくるのだろうか。幸せの青い鳥を探しに出かけたチルチルミチルは、けっきょく我が家にいたというのが結末だったかと思います。 幸せは、我が心の内にある。『 言の葉、癒(ここちよ)し 』幸せは、求めるものでなく与えるものだという人もあります。そして、与えるものが受け取るもの。一般的に、笑顔を人に与えれば、笑顔がかえってくるようなもの。与えたものが、返ってこないときは、なんらかの事情があると思ったほうがいいかもしれません。与えるものの代表に言葉があります。どんな言葉を人に与えているかが、やまびこのように返ってくる言葉となります。口福が幸福に通ずる由縁です。どんな思いが言葉になって発せられたか。口から出てくる言葉が幸いなれば、幸福に通ずる。不幸の始まりは、不口からかもしれませんよ。口から出てくる言葉の災いが、それも与えたものが返ってくるもの。ねたみ、そねみ、ののしりなどを与えれば、その感情が返ってくる。両刃の剣がありますが、口(言葉)も同じく使い方しだいです。自分の発した言葉が、それを聞いた人がどんな気分になるかを考えてみよう。言葉は、場の空気(気分)を変える力があります。言葉使いは、気遣い、心くばりができるよになりますと場の空気をうまく変える人になります。
2006/05/13
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「生き方を撮る」カメラマンでアラーキーこと荒木経惟さんの写真雑誌が本屋さんに並んでいた。昭和30年代らしい子供の写真がいきいき写っていた。あのころの子供は、実に天真爛漫だった。日常の身の回りの些細なところに隣り合わせている「しあわせ」風景。そんな写真集を見たあと、-----------------------------------------------------------「遊びをせんとや生まれけむ 戯れせんとや生まれけむ 遊ぶ子供の声聞けば わが身さへ こそ動(ゆる)がるれ」(『梁塵秘抄』)(「梁塵秘抄」は12世紀後半に後白河法皇の選によって成立した今様歌謡集です。)困難、苦しみは、いつも自分の心が決めるいかなる苦しみも戯れに化すとき人生はそこから無限の生命力が湧いてくる艱難辛苦は、生命が戯れるための一つの運道具である。梅の花は烈々たる寒風の中で開花するので喜ばれるという例えがあります。艱難辛苦も波乱万丈も途中で・・・「戯(たわむ)れ」って何だろう。戯れの原則その1、ありのままをまず認めるその2、どうしたら快方に向かうかその3、快方に向かう方法を楽しむ。(ゲーム化するのも一考)スキーを多難だと言うか。登山を不幸だと言うか。ゴルフを艱難だと言うか。競泳を悲惨だと言うか。スキー、登山、ゴルフ、競泳それを好きな人は楽しんでいる。生き方もいっしょに応援してくれたりしたら楽しみながら戯れる余裕を持てたらいいだと思うけれどネ------------------------------------------------------------------------H12/11/3 滑稽新聞編集長の杉浦康司さんから滑稽新聞153号、154号をいただいたあとの感想送信をコピーしておいたものが本の間から出てきたので記録としてここにオンしておこう。
2006/04/29
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ハートストロークとは、言い換えればは~とふるコミュニケーション。相手のこころを揺さぶるコミュニケーションです。こころを揺さぶられますと、なぜか行動せずにはいられなくなります。メールを送る。便りをおくる。逢いに行くなどの行動です。は~とストロークの真髄は、心から心へとメッセージを伝えることです。こころからこころへ気持ちが伝わることです。感応していただくことです。ハートはどこにあるでしょうか。気持ちを感じ取ることができるのは体ですよね。生身の人間に伝えることです。生身の人間の特長は五感があることです。感性と言いましても人によって微妙に異なりがございます。心に響感することのやりとりです。ですから相手のことを知らないとなりません。相手のことに関心を持つことから始まります。まず確実に誰もが反応を示すのは、自分の名前です。それは、「個別対応」つまり「あなた対応」をすることです。心に共振・響感することは何でしょうか。相手様の心の中にある関心事に、音叉のごとく共振・共鳴させることができるのは相手様の心の鏡となるような同質なものを表現できるでしょうか。人は自分と同じ関心を持っている人に関心を示します。自然の法則に同質結集の法則があります。自然界は同じ質のものは、しぜんに集まってしまうものです。砂場に磁石を置くと、砂鉄だけが引きつけられるのと同じことです。同じ心、同じ質のものは自然集まる。ハートに喜びを与えるコミュニケーション。こころのよろこぶコミュニケーションを考えてみましょう。コミュニケーションですから、反復交流です。単発1回のリアクションだけでは、メッセージです。反復交流の「は~とふるコミュニケーション」は、やがて「信頼&きずな」になります。
2006/04/18
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人間は、自分の望むことを信じてしまう。 こうなってほしい。 こうあればいい。 自分と自分以外の他人の間に起こるやりとりの中でのこと 相手には、相手の都合があり ことわりにくいので表現を曖昧にする人もいます。 場合によっては、文書でやりとりしたり、確認することも大事です。 FAX一枚送るにも ・「これからFAXを送ります」という電話でのこれから送信確認 ・「今、FAX送りました。届きましたか」という確かに到着したかの確認電話 大切なFAX文書の場合、前後のやりとりが必要です。 ましてや、私たちの日常あれこれと、やらねばならぬことがたくさんある場合 確認という作業をおろそかにしがちです。 確認の電話一本。御礼のはがき一枚が大事ですよね。 人間は、自分に好意を持ってくれる人に好意を持つ。 鏡の法則が当てはまります。 犬猫などは、はっきりわかりますよね。 犬は、犬嫌いな人、犬好きな人をみわけます。 私達人間も、なんとなくわかりますよね。 好意を持ってくれる人の接し方はどんなでしょうか。 笑顔・挨拶・プレゼントといったところでしょうか。 挨拶は、好意のバロメーターと昔から言われています。 挨拶人間に、不幸なしとも言われます。 挨拶は、こころを開いて相手に接することです。 人間関係の好意のバロメーターは、「ハートストローク」 さて、ハートストロークとは・・・ 次回へつづく
2006/04/17
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感謝と感動は、感性からではないでしょうか。感謝に生きる人は、謙虚に生き、喜びにみたされるでしょう。感動を味わうことは、心豊かになるでしょう。そもそも「感」とは漢字を分解しますとわかります。「咸+心」なのです。心が咸(ことごと)くということでございます。次に「咸」を分解しますと「戌+口」です。戌(いぬ)の口、神社の狛犬の口は・・・阿吽(あうん)の狛犬が鎮座しています。感動するとき感激するときは心は、これから感動するぞと決めてはいません。出会いがしらに、阿吽の呼吸で感動するのではないでしょうか。阿吽の呼吸と言いましても、共鳴、共振です。琴線にふれるという、琴線感覚ではないでしょうか。その人自身の琴線感覚です。ですから、感動、感激は人によってその対象が異なることもございます。漢字を分解しますと発見がございます。
2006/04/15
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誰しも人間は潜在的に3匹のタイを持っているとか1、認められタイ2、ほめられタイ3、尊敬されタイこの3つだったろうか。ですから、この逆をやれば怨まれることになる。かつて通っていた歯医者さんに「歯を治していただいてありがとうございます」のはがきを歯の治療が終えてから送ったことがありました。そうしましたらずいぶんたってから知人から私のはがきは額に納まって先生の応接室に飾られていましたよ。はがきをよくみたらあなたの名前があったからわかったのですがと教えられました。はがき道の坂田道信さんは、毎回床屋さんに行ったら、頭をきれいにしてもらってありがとうの感謝のはがきを書くと聞いたので真似してはがきを送ったのでしたが、そのように仕事に感謝のはがきを送る人は少ないのかもしれませんね。なによりも相手様が、その後も気分良く仕事ができることが効用にあるかもしれませんね。だれしも機嫌がいいのがいちばんですから。^^☆ 「真似してみタイ」もありましたね これからは、前向きな方用に 「真似してみタイ」も付け加えることにします。
2006/03/12
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「joy(よろこび)の法則」の著書のある近藤裕さんは、日本教文社に勤務されていました渡辺さんからの紹介でした。最初は、私が使っていた「感謝之印」「感動之印」「感激之印」の三感の印を私も使いたいので、わけてほしいのですがとハガキをいただいたのが縁でしばらく葉書の交流がありました。あるとき仙台から東京への帰りに私の事務所に寄ってみますよと声をかけてくれたのでした。私の事務所には似顔絵が壁に並んでいましたので。それを見て私も似顔絵がほしいということになり、コンセプトのオンリーワン理念をつくることをその場で依頼されたのでした。「joy(よろこび)の法則」は1冊の本になっているのですが、ひと言にまとめるのはなかなかとご本人が言われるものですから、それではとインタビューしながらコンセプトをまとめたわけです。近藤さまにいちばん受けたのは、「喜び発見隊々長」の肩書きでした。よく似たことばで「楽しみ」がありますが、楽しみを歌に詠んだ幕末の歌人に、橘曙覧(たちばなのあけみ)がおりました。曙覧が詠んだ作品の一つに「独楽吟」があります。独楽吟は、「たのしみは」で始まり、「時」で終わる短歌を52首詠み、まるで独楽(こま)を回しながら遊ぶように橘曙覧(たちばなのあけみ)の楽しみが詠み込まれています。クリントン大統領がスピーチで引用したという江戸時代末期の越前(福井)の歌人で、よく知られた代表作に「たのしみは朝おきいでて昨日まで無りし花の咲ける見る時」という歌があります。52首の歌の1首で、いずれも「たのしみは」で始まり「時」で終わっている。何気ない日々の中にちょっとした楽しみを見つけることが幸せに生きるコツ。楽しく生きる秘訣ですね。
2006/02/01
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・思考が現実化する・思行が現実化するこの2つを比べたらどちらが現実化しやすいと思いますか。思考=思ってから、考える。思行=思ったら、行動してみる。そうです。思ったら行動してみることです。うまくいかなかったら、考えればいい。又、別の行動を選べばいいのです。思ったら行ってみる。即行する。即行う。思行のもとになるのは、心です。心がどこを向いているか。心がどんな状態にあるのか。心は触れたものに似るのです。心は触れたものの影響を受けるのです。心の窓は目と言われます。目で何を見たのか。どんなものを心の窓から眺めたのか。ひごろどんなものを見ているのか。心にインプットしたものがアウトプットしてきます。入れたものしか出てきません。言葉もそうです。耳から目から、どんなものを入れたのかで、出てくる言葉が決まるのです。ホリエモン関連⇒ホリエモンの錬金術この時期に今回の一連のライブドア事件。この時期と言うのは、マンション強度偽装の国会喚問のことですが、マスコミがこぞって、ライブドア一色に染まる。なんか付和雷同的な横並びに、この国のマスコミのありかたに疑問をもってしまうのです「ホリエモンの錬金術」のサイトが興味深い。
2006/01/25
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なぜ、そう思ったのだろうか。なぜ、そう感じたのだろうか。なぜ、そう考えたのだろうか。「 心が豊かであれば、人の長所に目がゆく 」そうか、どう考えるかどう感じるかどう思うかは今の自分の心のバロメーターだったのか。できるならこころ豊かにすごしたいものです。
2006/01/10
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なにか新しいことをやろうとしたときにやろうと思っているのだけれど、その決断をくだすのはあなたの一歩を踏み出す勇氣なのです。幕末の志士の一人であった高杉晋作の辞世の句に、「おもしろきこともなき世をおもしろく」この上の句までしか書けず、そばにいた野村望東尼が「すみなすものは心なりけり」と付け足したといわれています。 司馬遼太郎作「世に棲む日日」のタイトルにもなった辞世の句ですが、あなたでしたら、どんな下の句を付け足しますでしょうか。高杉晋作であれば、「すみなすものは狂一文字」の方が高杉らしいのではと私は思うのですがさて私流の「ビジョン・パッション・アクション・ハイテンション」へのプロローグなる下の句は・・・・おもしろきこともなき世をおもしろく・・ われがしないで だれがするぞやおもしろきこともなき世をおもしろく・・ まようまにまに するがいちばん おもしろきこともなき世をおもしろく・・ あなた主役 おいらもまぜておもしろきこともなき世をおもしろく・・ やればできるぜ やってみようよおもしろきこともなき世をおもしろく・・ いまがそのとき 思えばできるおもしろきこともなき世をおもしろく・・ のりがいちばん すすんでやろうおもしろきこともなき世をおもしろく・・ やればできるよ やればできるぜおもしろきこともなき世をおもしろく・・ やればできると できるまでやる おもしろきこともなき世をおもしろく・・ 仲間がいれば 楽しくできるおもしろきこともなき世をおもしろく・・ やろうやろうと 盛り上げてやる
2005/11/08
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