殿上人日記

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2007年05月21日
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大田宿22

  前回の日記では、宝くじやうなぎの写真など
  太田宿の宿場らしい写真も少なく、ご不満も
  あったかもしれないが、この宿場で誇る至宝が
  国の重要文化財にも指定をされている脇本陣の
  林家住宅である

  大きな藩など、本陣だけで泊まりきれない場合や
  宿場で藩同士が鉢合わせになった場合に、格式の
  低いほうの藩の宿として、脇本陣は利用をされた


大田宿23

大田宿7

  格子戸・連子窓・屋根の両端にあがるうだつなど
  江戸時代そのままの姿を残す建物は、太田宿が大火に
  遭った事で、明和6年(1769年)に建て替えられた
  もので、その後も度重なる水害などで修復を重ね
  現在も御子孫がお住まいになっている(非公開)

  本宅の右側の隠居家は、創建の時期は不明ではあるが
  文政12年(1829年)の家相図に基づいて修復され
  現在は一般に公開をされている


大田宿4

  生涯のほとんどを、一介の苦行僧として過ごし
  悲願であった、前人未踏の3180メートルの
  高峰、槍ヶ岳の登頂をしたアルピニストの先駆者
  でもある播隆上人が、この林家に逗留中に亡くなり
  宿場内の祐泉寺に、ご上人の墓が建てられている
  (この展示は、「旧小松屋」のおやすみ処にて)


大田宿21

大田宿8

   岐阜での遊説中に、暴漢に襲われて負傷した際に
   「板垣死すとも自由は死せず!」と叫んだという
   板垣退助が、前夜に宿泊をしたのもここだそうだ

   本当は「痛くてたまらねぇ。医者をよんでくれ」と
   いったといわれているそうだと、ウィキペディアに
   書いてあったが、果たして真相はいかに?


大田宿20

  今は空き地となってしまった太田宿本陣ではあるが
  和宮の将軍家への御降嫁で、攘夷派の妨害工作を
  避ける為、東海道ではなく中山道を経由して東下を
  された際に、建築をされた門が今も残されている


大田宿13

  沢山の旅人が通り過ぎた宿場には、芭蕉の歌碑も
  残されており、すぐ横にあった水禽窟で、その
  涼やかな音色を楽しんだ


大田宿9

           平成19年5月18日、美濃加茂市内で撮影





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最終更新日  2007年05月21日 11時34分19秒
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