殿上人日記

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2009年12月22日
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テーマ: 京都。(6101)
カテゴリ: 京都の旅

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  いよいよ2010年も、カウントダウンに突入!
  10日を切ったというのに、先月下旬に出かけた
  京都の紅葉旅行の続き・・・


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  春には、しだれ桜でも有名な東山の円山公園には
  来年の大河ドラマの主人公である、幕末に彗星の
  ように鮮やかな軌跡を残した、土佐の坂本竜馬の
  銅像もある。この人って土岐氏の傍流、明智氏の
  子孫なんて一説もあるんだ。岐阜県人、親近感も


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  旧暦の慶応3年の11月15日(12月10日)の夜
  この京都の近江屋で、中岡慎太郎と共に暗殺を
  された。その日は奇しくも誕生日であったそうで
  暗殺当日に誕生祝いとして、淡海槐堂が贈った
  掛け軸の「梅椿図」には、生々しく血痕が残され
  私も20歳の頃に、それを博物館で見たのだが
  その時の様子を鮮明に覚えている


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  明治天皇の詔によって、明治維新の為に志半ばに
  倒れた勤皇の志士らの御霊を奉祀する為に東山に
  京都霊山護国神社が建てられ、墓所には坂本龍馬
  中岡慎太郎、桂小五郎(木戸孝允)と幾松の夫妻や
  高杉晋作、久坂玄瑞、大村益次郎など・・・


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  京都霊山護国神社へ向かう参道を「維新の道」という
  ここを登るのは、だいたいが幕末ファン。お正月に
  大河が始まれば、参拝者が激増するかも


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  新選組の参謀で、文学師範でもあった伊東甲子太郎が
  同志と共に新選組を離脱し、孝明天皇の御陵を守る為の
  組織を御陵衛士といい、高台寺塔頭である月真院を
  屯所としたので、高台寺党とも呼ばれていた


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  その中には、近藤の道場である試衛館の生え抜き隊士
  でもある藤堂平助や、斎藤一(間諜として潜入したと
  言われ、後に新選組に復帰)などもおり、油小路事件での
  死闘は新選組ファンには、涙なくしては語れない


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  高台寺党が薩摩と通謀し、近藤勇を暗殺しようとして
  いると斎藤一によって伝えられた近藤は、国事の相談が
  あると伊東を招き酒宴を開き、その帰路に油小路七条で
  待ち伏せ伊東を暗殺。その遺骸を放置して遺体を引き
  取りにきた同志をまとめて粛清しようとした


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  七人の同志が駆けつけたのを、試衛館以来の仲間の
  永倉新八や原田左之助が、藤堂を逃そうとしたのだが
  他の新撰組隊士によって斬られ、藤堂平助、服部武雄
  毛内有之助の三人が絶命


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  生き残った同志らは薩摩藩邸にかくまわれ、一月後には
  伏見街道の民家に潜み、近藤を狙撃して右肩に重症を
  負わせた

  さらに後には、越谷で大久保大和と称して新政府軍に
  出頭をした近藤を、新政府軍に加わっていた生き残りの
  同志の加納道之助に正体を明かされ、斬首となったと
  近藤の命運に深くかかわった御陵衛士なのだ


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  かつては陰謀渦巻いた京都も、今はのどかな日差しの
  中で外国人のお坊さん。そして観光客のお嬢さん扮する
  なんちゃって舞妓さんを、お母さん激写中!

  いや、平和が何よりです


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  室町時代に浄土真宗の本願寺を再興して、現在の本願寺派
  (西本願寺)、大谷派(東本願寺)の礎を築いた蓮如上人は
  東山の本願寺(知恩院塔頭の崇泰院付近)で、本願寺第七世
  存如の長子として生まれ、17歳の時に青蓮院で得度した
  そうである


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  三千院(梶井門跡)、妙法院と共に、天台宗の三門跡寺院と
  される「青蓮院」は、天明8年の内裏炎上の際に後桜町上皇の
  仮御所となったので「粟田御所」とも呼ばれる格式の高い寺で
  室町時代には、後に室町幕府第六代将軍足利義教となった
  義円が門主を務めた事でも知られている


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  「門跡寺院」とは、皇族や摂関家の子弟が入寺をする寺院で
  特に青蓮院には、多くの法親王(男子皇族が出家をして僧籍に
  入った後、親王宣下を受けた場合の身位・称号)が、門主を
  務めている


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             豊臣秀吉が奉納した「一文字手水鉢」

  その中でも、青蓮院第十七世門跡となった伏見天皇の第六皇子
  尊円法親王は、小野道風や藤原行成などの上代様の書法を研究し
  南宋の張即之の書風を加味して、尊円流または青蓮院流と称する
  書法を作り出したそうである


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  室町時代の相阿弥作と伝えられる築山泉水庭や、江戸時代の
  小堀遠州作と伝わる霧島の庭もあって、清水寺や、知恩院
  南禅寺などの巨大寺院の多い東山でありながらも、ここに
  来ると、深山の趣きすらも感じる私のお気に入りのお寺だ


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  そのシンボルは、門前の幾本もの樹齢八百年の巨大な楠で
  京都市の天然記念物にも指定をされている。御本尊は天台宗
  最大の秘法といわれる「熾盛光法」(国家鎮護、皇室の安泰
  などを祈る修法)の本尊の曼荼羅で、公開をされていない


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  更には高野山金剛峯寺の「赤不動」、三井寺の「黄不動」と
  並び称される日本三大不動の「青不動」があり、普段は秘仏
  とされており、過去には1970年の「大阪万博」、1986年の
  奈良国立博物館「平安仏画展」、1997年「比叡山・高野山
  名宝展」の3度しか公開をされていないのが、しかも青蓮院
  での特別公開! これは行かねばなるまい!


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  五色不動(ごしきふどう)とは、密教の陰陽五行説に
  由来し重んじられた青、白、赤、黒、黄の色がそれぞれ
  東、西、南、北、中央を表しており、平安遷都の後に
  朝廷が都を守る為に、四神と合わせた五色の守りとして
  不動明王を配置したとされ、青蓮院の青不動が五色の
  中心と位置付けられ、最上位に君臨するとしている

  その五色不動のうち3つが現存されての青、赤、黄と
  信号のような三不動だ


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  偶然、香淳皇太后陛下の甥にもあたる元銀行マンの
  青蓮院門跡の東伏見慈晃門主による御法話を聞けて
  護摩供養も間近で拝見が出来たのはラッキーだ


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            平成21年11月23日に京都で撮影








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最終更新日  2009年12月23日 20時20分29秒
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