殿上人日記

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2010年06月08日
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カテゴリ: 神奈川の旅

横浜2

  東京ディズニー・シーからホテルの無料送迎バスを
  利用して浦安のホテルに泊まったけど、素泊まりと
  いえど、二人で7千円でお釣りがきて、温泉なの
  だから言う事なし


横浜1

  前日の疲れも無く、次の日は横浜中華街で食べ
  歩きをしようかと娘と出かけ、昼時には早いので
  山の手地区の散策でもと・・・・電車から降りて
  早くも買い食いしてるし~


横浜13

  横浜が開港をされるとイギリスとフランスの軍隊が
  駐屯をし、戦後には米軍に接収もされたが、解除後
  終戦直後にヒットをした「港が見える丘」にちなみ
  昭和37(1962)年に「港の見える丘公園」として
  開園をした


横浜12

  横浜出身の小田和正の作詞作曲によるオフコースの
  「秋の気配」での、港が見下ろせるこだかい公園や
  学生時代には、横浜に稲葉が住んだというB’zの
  「TIME」では、港が見渡せる丘として登場する


横浜3

  横浜開港150周年の昨年夏には、外国人墓地の
  北側の斜面とみなとみらい線の元町・中華街駅舎
  上部とを整備したアメリカ山公園も出来て、駅から
  エレベーターで昇る事が出来るそうだが、知らずに
  外人墓地脇の坂道を、よろよろと登ったのが悲しい


横浜4

  イギリス軍が駐留をした辺りは「トワンテ山」と
  呼ばれているのだが、イギリス軍の第20連隊が
  駐留していたので「トゥエンティ」が由来だとか


横浜7

  イギリス軍駐屯地の跡地に、昭和12(1937)年
  英国都市建築を象徴する、コロニアルスタイルの
  「英国総領事公邸」が建てられた


横浜5

  昭和44(1969)年に、横浜市の所有となった事で
  各種コンサートや会議場などに使用をされ、最近は
  一般公開もされるようになった。山の手のこういった
  異人館はどこも、無料であるのが有難い


横浜10

  西洋バラの多くの品種は、横浜開港期に横浜から
  日本に上陸をしたのをちなみ、平成元(1989)年
  横浜市の花にバラが制定をされた記念に、バラ園が
  設けられたのをきっかけに、平成11(1999)年に
  改めて「ローズガーデン」がオープンをした


横浜9

  ここはかつてイギリス軍の兵舎があった場所らしく
  様々な品種のバラは、約千八百本を数えるそうで
  その日も首都圏から沢山の人が訪れ、絵を描いたり
  写真を撮ったりと、とても賑やかであった


横浜8

  私はデジカメで左回りでめぼしいバラを撮影し、娘は
  反対方向から携帯電話のカメラで、気にいったバラを
  撮影して半周すると、娘が「プリンセスチチブだって」
  と言うものだから、秩父宮妃殿下に捧げらたものだろう
  なんて話しつつ・・・・


横浜11

  私はバラの花の美しさばかりに注目をしたのだが、娘は
  ディズニーというバラがあるとか、名前の方に注目して
  「この花はカズエって名前だそうだよ」と携帯の画面で
  青空の下に咲くピンク色のバラを見せてくれ、開発者の
  奥様とかの名前だろうか?などと思ったら・・・


横浜6

  美しい橋の先は、木々が茂って緑豊かなフランス山で
  その先の小さな広場の真中に、母子の像があった

  昭和52(1977)年の日本赤軍による日航機の
  ハイジャック事件の前日、9月27日午後一時過ぎ
  厚木海軍飛行場(厚木基地)から離陸し、太平洋上の
  航空母艦ミッドウェイに向ったアメリカ海軍の戦術
  偵察機(ファントムII)が、エンジン火災を起こして
  横浜市緑区荏田町(青葉区荏田北)に墜落をした


横浜14

  和枝さんと3歳と1歳の息子さん、義妹さんは食後に
  居間でテレビを見ながらアイスクリームを食べていた
  その時に、凄まじい轟音と共に、部屋が真っ黒になり
  爆風に襲われ、その場にいた全員が全身大火傷を負い
  パイロットはいち早く、パラシュートで脱出をして無事
  であったが、住宅街の五棟の家屋が全半焼し、9名の
  死傷者が出る大惨事となった


横浜20

  全身に包帯を巻かれた3歳のユー君は、「痛いよ・・・
  熱いよ」と苦しさに暴れて、「お水ちょうだい・・・ジュース
  ちょうだい」と繰り返すのだが、水を飲む事で症状が
  悪化するので与えられず、ついに「バイバイ・・・」と小さく
  呟き、命のともしびは消えていった

  まだ片言しかしゃべれない1歳のヤス君も、お父さんが
  お風呂で歌ってくれていた、大好きな鳩ポッポの歌の
  「ポッ・・ポッ・・ポ・・」と歌いながら、まだ小さな兄の後を
  追うように亡くなったそうである


フランス山

  お母さんの和枝さんは、体の皮膚の八割近くを焼かれ
  千人以上の人から移植用の皮膚の提供の申し出があり
  検査に適った人から、数十回もの移植手術を繰り返し
  「ユー君とヤス君も、他の病院で頑張って治療をして
  いるから」という言葉を信じて、それを励ましに、日々
  辛くても苦しくても、厳しい治療を受けていたのだ


横浜19

  二人の我が子の為にと、千羽鶴を折りおもちゃを添えて
  クリスマスのプレゼントを渡された夫は、物言わぬ子らの
  前に供えるしかなかった。事故から1年4カ月後、ついに
  子供たちの死を伝えられた和枝さんは、二人の遺骨を
  抱き締めたままで泣き続けたそうだ


横浜17

  離婚で実家に帰り、和枝さんの両親の介護のかいなく
  事故から4年後4ケ月後の、昭和54(1982)年1月
  苦しみぬいた末、格子のある病院の一室で心因性の
  呼吸困難に陥って、子供の元へと旅立っていった


横浜16

  生前の和枝さんが「もう一度、子供を抱きしめてあげた
  かった」という願いを実現するべく、海が見たいと言って
  いた和枝さんの意思を尊重して、港の見える丘公園の
  フランス山に母子像が、和枝さんのお父さんによって
  建立をされていた

  もう離れる事はない母子の胸には、ピンクの薔薇の花束


鎮魂の薔薇

  実家の「花屋さん」のお手伝いをされていた和枝さんは
  ピンク色の薔薇が好きだったのを偲んで、和枝さんの
  お父さんが知り合いに頼んで、新種の薔薇「カズエ」を
  作られたものである。そう、娘が携帯電話で撮影をした
  ピンクの薔薇は、そんな由来があっての名前なのだ

    (携帯電話の画面の撮影で申し訳ありません)


横浜18

  フランス軍が撤退した後に、極東一の素晴らしい名建築の
  ひとつとも言われた、フランス領事館と領事官邸が完成を
  したものの関東大震災で倒壊。昭和5(1930)年になり
  スイス人建築家ヒンデルの設計で、新たな領事官邸が
  領事官邸跡に建てられたが、戦後直後に不審火で焼失を
  してしまった

  その領事官邸の遺構が残され、井戸水の汲み上げに
  用いられていた、赤い風車が脇に再現をされていた


横浜15

  領事館の遺構から、港の見える丘公園の展望台へと
  向かう途中には、井戸の遺構もあった


横浜21

  フランス山から下りて、フランス橋を渡るとそこには
  世界の人形が陳列をされる横浜人形の家があったが
  娘は目もくれず、そのまま中華街!


横浜24
  中華街で売っていた馬拉?(マーライコウ)の馬拉とは
  マレーシアの事で、マレーシア風蒸し菓子だとか


横浜23

  昭和53(1978)年に、横浜スタジアムが竣工
  川崎球場から移転した、横浜大洋ホエールズ
  (横浜ベイスターズ)の本拠地だ


横浜22

          平成22年5月26日に横浜市で撮影






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最終更新日  2010年06月09日 17時22分51秒
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