殿上人日記

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2010年07月02日
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カテゴリ: 愛知、三重の旅

高速道2

  5月半ばに旦那の運転で、娘と私のいつものメンバーで
  日帰り行楽で出かけた先は、伊勢湾岸自動車道を西へと


伊勢1

  渋滞も抜けた事だし、サービスエリアにも立ち寄って
  「ご当地B級グルメ」をゲット。津市の学校給食から
  生まれたという、大きな揚げ餃子の「津ぎょうざ」は
  具は決まってないので、味はお店によって色々らしい


伊勢神宮外宮4

  いよいよ、お伊勢さんに到着。伊勢神宮は通称であって
  正式には「神宮(じんぐう)」といい、二つの御正宮が
  存在をしており、正式な参拝は豊受大御神(とようけの
  おおみかみ)を祀る「豊受大神宮(とようけだいじんぐう)」
  通称「外宮(げくう)」が先なので参拝に向かった


伊勢神宮外宮1

  天照大御神が雄略天皇の夢に現れ、自分一人では食事が
  安らかに出来ないので、丹波の豊受大御神を呼び寄せる
  ように神託をされたので、内宮に近い山田の地に迎えて
  祀ったそうだ

  豊受大御神は、御饌都神(みけつかみ)とも呼ばれており
  御饌(神々にたてまつる食物)を司られており、衣食住
  広く産業の守護神として崇められている


伊勢神宮外宮2

  ちなみに「丹後国風土記」には、丹波の比沼真奈井(ひぬまの
  まない)で天女八人が水浴をしていた時に、老夫婦に羽衣を
  隠された一人の天女が天に帰れず、老夫婦の家に住んでいたが
  10年後には家を追い出され、あちらこちらを漂泊した末に
  未奈具に辿り着き鎮まったのが豊受大御神であるという説も

  俗に「三つ石」と呼ばれる、川原祓所(かわらのはらいしょ)は
  地震などで埋まってしまっているが、宮川の支流がここを流れて
  たそうで、その名残で川原とある昔の祓所で、今も20年毎に
  行われる式年遷宮の「川原大祓」は、この場所で行われるが
  最近はパワースポットとして注目をされているとか


伊勢神宮外宮3

  御池にかかる亀の形に似た大きな一枚岩の石橋は、外宮神域の
  奥にあり、江戸時代に「天の岩戸」と信じられていた高倉山
  古墳(今は立入り禁止)の入口にあった岩だとか


伊勢神宮内宮2

  さて、いよいよ車で天照大御神(あまてらすおおみかみ)の
  祀られた「皇大神宮(こうたいじんぐう)」、通称「内宮
  (ないくう)」に向かう


伊勢神宮内宮1

  平田篤胤の思想に基づく平田派の神道家や津和野派国学者らは
  万世一系の天皇が日本を統治し、国家の中心に存在するという
  王政復古による祭政一致の国家実現を提唱し、明治政府も
  開国によるキリスト教流入を防ぎ、神道を国家統合の基幹に
  しようと「国家神道」が推し進められた


伊勢神宮内宮4

  大日本帝国憲法では信教は自由とされ、道徳の範疇にある
  敬神を国民の義務とする神道は、宗教では無いという解釈で
  神道・神社を他宗派の上位に置き、政府による「神社崇拝」が
  進められ、官国幣社は内務省の神社局が所管し、新たな
  官国幣社の造営には公金も投入をされた


伊勢神宮内宮5

  現御神(あきつみかみ)である「天皇」は、天照大御神から
  万世一系の血統をつぐ神の子孫であるので、それが祀られた
  「神宮」は、最尊貴の神社として特別な存在だった


伊勢神宮内宮6

  太平洋戦争の敗戦によって連合国最高司令部から、神社は
  国家から分離するよう通達され、国家神道の時代は終わり
  神祇院は解散。皇典講究所、大日本神祇会、神宮奉斎会が
  合同し「神社本庁」を設立し、政教分離による宗教法人と
  して神社神道が再出発をした


伊勢神宮内宮7

  日本全国約八万社の神社を包括する宗教法人「神社本庁」に
  属さず、単立宗教法人として運営をされている神社もあり
  例えば靖国神社や、日光東照宮、伏見稲荷大社 などだ

  そして「神社本庁」において、古来より至高至貴神社であり
  全国の神社の総親神として「本宗(ほんそう)」と仰がれて
  いるのが「神宮」である


伊勢神宮内宮7

  天照大御神(アマテラスオオミカミ)は、太陽が神格化した神で
  天照大御神―アメノオシホミミ―ニニギ―ホオリ(山幸彦)―
  ウガヤフキアエズ―神武天皇と連なり、皇室の祖神(皇祖神)の
  一柱とされる


内宮

  イザナギがイザナミの居る黄泉の国から生還をして、黄泉の
  穢れを洗い流した時に、左目を洗ったときに生まれたとされ
  右目から生まれたツクヨミ、鼻から生まれたスサノオと共に
  三貴子と呼ばれ、イザナギから天照大御神は天津神の住まう
  「高天原」を治めるよう命じられた


伊勢神宮内宮8

  天照大御神は宮中に祀られていたが、垂仁代に皇女倭姫命が
  天照大御神を祀る為の土地を探しに各地を巡ると、伊勢国に
  着いた時に「この国に留まりたい」との天照大御神の神託が
  あり、倭姫命は五十鈴川の畔に祠を建て祀り、磯宮と称し
  たのが「皇大神宮」の始まりだ


伊勢神宮内宮9

  「神宮」には、この二つの御正宮の他にも、14の別宮
  43の摂社、24の末社、42の所管社が、伊勢市だけ
  ではなく、度会郡大紀町、玉城町、志摩市磯部町
  度会町、松阪市、鳥羽市、多気郡多気町などにも有り
  神宮125社と呼んでいる


伊勢神宮内宮3

  江戸時代に、数百万人規模の伊勢神宮への集団参詣が数十年
  周期(おかげ年)に、流行をした「お蔭(おかげ)参り」は
  奉公人が主人に無断で、子供が親に無断で参詣をしたので
  抜け参りとも呼ばれ、幕藩は規制もしたが効果は無かった


おはらい町2

  庶民(特に農民)の移動は厳しい制限があったのだが、伊勢の
  参詣は許され、特に商家の間で天照大御神は商売繁盛の守り神
  でもあったので、親や主人に無断に旅に出ても、伊勢神宮参詣の
  証拠の品(お守りやお札)を、持ち帰れば良かったそうだ


おはらい町1

  伊勢神宮参詣の名目の通行手形を発行して貰い、参詣を済ませ
  京や大坂などの見物を楽しむ者も多く、伊勢神宮参詣は庶民に
  とって一生に一度の夢である。伊勢までの旅費は相当な金額で
  「お伊勢講」のメンバーは定期的に集まり、お金を出し合って
  「くじ引き」で当たった代表者の旅費とした


おはらい町4

  当たった者は次回からはくじを引けないので、講のメンバーは
  全員が当たるよう配慮がされ、軽くて小さな壊れない土産にと
  御祓い(御札)や新品種の農作物の種、松阪や京都の織物などを
  持ち帰り、そこで見聞きした芸能などの最新の文化が伊勢から
  全国に発せられた

  元和3(1617)年、慶安3年(1650)年、宝永2(1705)年
  明和8(1771)年、文政13 / 天保元(1830)年に起こった


おはらい町5

                 日本一小さな造り酒屋の伊勢萬
             「おかげさまにごり梅酒」を一杯(有料)

  それとは別に、慶応3(1867)年は「ええじゃないか」と
  呼ばれ、天から御祓い(御札)が降ってきたのを慶事の
  前触れだと、民衆が仮装をして「ええじゃないか」等
  囃子言葉を連呼しながら踊り、町々を巡ったそうだ


おはらい町3

  そんなお蔭参りで、伊勢が最も賑わった江戸後期から明治
  初期の伊勢路の建築物が移築、再現をされ、老舗の味や
  名産品、風習、人情までをも感じられる「おかげ横丁」だ


おはらい町8

  創業明治42年。牛肉にこだわり豚を捨てたので名づけ
  られた「豚捨」でミンチカツと、牛肉コロッケをぱくり


おはらい町6

  豆腐庵山中のおとうふソフトもぱくり。でもでもお昼は
  これからなんだよね。伊勢の旅はまだまだ続く!  


おはらい町7

           平成22年5月15日に伊勢で撮影





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最終更新日  2010年07月02日 09時18分37秒
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