殿上人日記

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2014年05月09日
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カテゴリ: 中津川より



一目千本とは、一目で千本の桜が見渡せる事をいい
奈良県の桜の名所、吉野山の桜を見るのに絶好の
場所の例えであるんだとか。吉野山の桜は何度か
お花見に出かけた事がある




下千本、中千本、上千本、奥千本とあり、奥千本の
桜以外はだいたい花の時期に出かけている。何でも
古来桜が多く、シロヤマザクラを中心に約二百種
3万本の桜が咲くそうである




そんな吉野山には到底及ばないが、昭和50年頃から
地元の人たちが地元を見下ろす城山を桜の山にしようと
たちあがり、徐々に桜を増やして、今では沢山の人が
お花見に来るようになったのが




岐阜県中津川市の市街地の北、木曽川に面する苗木城の
城山のさくら公園で、今は700本のソメイヨシノが
咲き乱れ、いつかは千本にしたいというらしい




その桜は麓の苗木地区から良く眺められるので、そろそろ
見頃だなと、お天気に誘われて地元の人たちもお花見へ
城山へと・・・・私も久しぶりに出かけてみた




実の話、吉野の桜は普通の木もれば、山桜なので沢山の
桜があるとは言っても、なんか地味だなぁ(優しい感じ?)
なんて思いもしたけど




城山はミニな山とはいっても、もう山の木とゆう木がみんな
ソメイヨシノなのだから、お山がオール桜!!っていうのも
なんとも見応えがあるというものだ




全山がソメイヨシノといっても、隅の方に違う桜もあったが
敷地が別(私有地)とかだったのかな?




まっ、細かい事などど~でも良い。綺麗な桜が咲いていたって
事で一件落着



桜の木に寄生した「宿り木」も




こちらのカラフルなのは、ぼんぼり




なんと観光バスで、この桜目当てにやってきた観光客
などもいたけど。これって「今見どころの桜の名所に
お連れします」ってタイプなのか、苗木城が目当てで
あったのか、気になる~




桜の下のあちこちで、思い思いに、おしゃべり
などもしながら



食べ物も、何倍にも美味しく感じられるのかも




ちなみに染井吉野(ソメイヨシノ)は、ウィキペディアによれば

>ソメイヨシノとはそれぞれ日本原産種のエドヒガン系の
>桜とオオシマザクラの交配で生まれたと考えられる
>日本産の園芸品種である。ソメイヨシノはほぼ全て
>クローンである。




>日本では明治の中頃より、サクラの中で圧倒的に多く
>植えられた品種であり、今日では、メディアなどで
>「桜が開花した」というときの「桜」はソメイヨシノ
>(の中の、気象台が定めるなどした特定の株)を意味
>するなど、現代の観賞用のサクラの代表種である。




>江戸末期から明治初期に、江戸の染井村に集落を作って
>いた造園師や植木職人達によって育成された。初め
>サクラの名所として古来名高く西行法師の和歌にも
>たびたび詠まれた大和の吉野山(奈良県山岳部)に
>ちなんで「吉野」「吉野桜」として売られ

吉野山で咲くヤマザクラと、混同がされないようにと
染井吉野と命名されたそうだ




ヤマザクラやエドヒガンに比べて、ソメイヨシノは老木が
少なく寿命が短いとも言われている。一陣の風に、ふわ~~と
花弁が舞い飛んでの花吹雪




こんなお花見もまた楽しい。良寛和尚の句をふと思い出した

      散る桜 残る桜も 散る桜




昨今は1枚だけ、見かけたら買う宝くじ。収益金はこんな
所でも使われているんだ。こんな使われ方もいいかもね




地域の人たちに、しばし浮世の憂さを晴らしてのお花見で




前の山里の一本桜の写真もだったが、水仙も桜に負けじと
咲いていた




それにしても色んな水仙があるもんだ




言い忘れたが、この中津川市の苗木さくら公園も、前の2本と
同じく、飛騨・美濃さくら三十三選にえらばれている




苗木藩では明治維新において廃仏毀釈が行われ、全国的にみても
珍しい領内にあった全ての寺院、仏像が破壊をされて、藩主の
菩提寺であった雲林寺も廃され、墓所だけが残されている




苗木城跡も勿論、念入りに見学をしてきたので苗木藩についての
お堅い話はまた後日として




藩士の殉死の跡などもあり、墓所にも桜が咲いていた




人の命を、儚き桜の花にたとえた日本人の心。歴史上の
有名人らの辞世の句には花(たいがいが桜の事)や、桜
春がよく使われているのに驚かされる




吉野山で一番山奥に当る奥千本には西行庵がひっそりと
あったが、その西行の辞世の句は

  願わくば花の下にて春死なん その望月の如月の頃




美濃源氏土岐氏の支流である明智光秀の娘、細川ガラシャ
夫人の辞世の句

  散りぬべき時知りてこそ世の中の 花も花なれ人も人なれ 




武田信玄の孫で、諏訪勝頼の長男として伊那高遠城に生まれ
天目山の戦いにて父と共に16歳で自害をした、武田信勝の
辞世の句

  あだに見よ誰れも嵐のさくら花 咲き散るほどは春の夜の夢




その生母は、この美濃国苗木城主遠山直廉と織田信長の異母妹
との娘で、織田信長の養女となって武田勝頼に嫁いだ遠山夫人で
あったそうだ。織田と武田の狭間で、信濃や美濃の国も翻弄され
散らぬともよい桜までも散らされた戦国の世、遥か




                  平成26年4月中旬に中津川市で撮影





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最終更新日  2014年05月09日 16時14分57秒
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