殿上人日記

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2017年12月11日
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カテゴリ: 京都の旅


京都で紅葉のシーズンともなると​、幾つもの
お寺で夜のライトアップが始まって、市内に
泊まる観光客や地元民で多少なりとも賑わう
様は冬のイルミネーション輝く東京や大阪の
都会のようだ




とは言っても繁華街でもなく、元々が
お寺などのある静かな街なので、大きな
声を出すのすら憚れて、夜のしじまの中
こんな京都の夜を楽しめるのも、一興と
いうもの。ホテルから近いここは白川で
テレビドラマでもよく登場したりする




比叡山と如意ヶ嶽の間に水源があり、全長は
9.3キロ。京都市動物園付近で琵琶湖疏水に
入り慶流橋から疏水と分れ、四条大橋付近で
鴨川に注ぎ、平安期には付近に白河院御所も
あったそうだ。このあたりは東山三条の東側
あたりで




坂本龍馬とお龍が元治元(1864)年
8月に、祝言をあげたという青蓮院の塔頭
金蔵寺のあった跡で、お龍の父は青蓮院宮
に仕えた医師だったので、その関係もあり
金蔵寺住職の智息院が仲人を務めたそうだ
そうそう、その日は11月13日で竜馬の
誕生日であり、暗殺された日でもあった




流石に京都だけあって、犬も歩けば神社仏閣
旧跡に当たる。その日の夕食は繁華街へ出る
のも面倒で、ホテルからライトアップをする
寺院へ行く途中で、東山三条あたりでと考え
灯りが暖かなほうざんに立ち寄ることにした




最近になって出来た和食処のようで(不明)
開店祝いらしき蘭の花が隅に置かれていた
お値段も一品物から手頃な価格で、場所柄
地元民より観光客相手でもあるのかな?




税込み千五百円の都膳で




デザートに柿も出た。他にも日替わりで
750円の定食もあるようだが、その日の
メインは苦手な食材(たぶん鶏肉)だった
のでパス




姉の方はさっぱりと、うどん。お腹も
一杯になったし、ではではライトアップに
参戦といきますか(本当は食事から白川
構成上、食事が最初ではと逆にしました)




それでなくても迫力のある青蓮院の門前の
大楠も、ライトアップで夜空を遮るように
覆っていた。青蓮院が現地に移転をした
13世紀以降に植採をされたものだそうで
5本あり市の天然記念物に指定されている




この向いにあった
旅館に家族連れで20年以上前に泊まった
時だが、部屋に通されからお茶を出した
高齢の中居さんが、胸元に挟んだのし袋を
出し入れをしてチップをさりげなく(?)
要求してきたけど、用意などしてなかった
ので、鬼瓦のような顔になったのが怖かった




露骨に要求されたのこれっきりだった
けど、他の観光地の旅館では部屋係の
お姉さんが退出した時に、廊下で他の
中居さんから「幾ら貰った?」と聞かれ
口ごもっていたのが気の毒だった。まっ
そうゆうのもあって中居さん恐怖症で
旅館よりホテルばかり使ってた時期も




最近は温泉目当てもあって、旅館も使うが
チップとかは渡していないです。食事も
食堂だったり、布団敷きも男の人たちだし
特に同じ中居さんが担当をって事も皆無で
フロントで鍵を貰い、食事の時間を決めて
自分たちで部屋に行くのも増えてきたし




帰り際のフロントで宿泊料を払う時に
料理が良かったとか、温泉が最高でした
などと褒め、感謝の気持ちを伝えて帰る
ようにはしているが。美味しかったとか
良かった思い出は忘れても、不快な事や
予想外の事は昨日の事に思い出される




お造りで、お腹がそぎ落ちたお魚が
ピクッと動いたので、姪がびびり魚の
頭を紙で隠していた伊豆の温泉旅館も
民事再生して、立て直し系のチェーンに
資金援助を受け再出発をしたとテレビで
やっていたし、旅館業も大変だ




そんな訳で青蓮院に戻ります。ここの
ライトアップは春と秋に行われており
幾つもある中で、ここを選んだ理由は
青いライトが庭に施され、夜空に輝く
星空のようだというので、紅葉がまだ
でも楽しめそうだと




特別拝観料は800円(昼間は500円)と
少し高めだが、本堂や諸堂御殿の中も靴を
脱いで拝観が出来た。その後に玄関に戻って
ライトアップをされた庭をまわるのだが
足元を照らすように、丸い提灯を手渡され
なんだかテーマパークみたいで楽しい




流石に名のあるお寺であるだけに、豊臣
秀吉が寄進したといわれる巨大な一文字の
自然石で作られた「一文字型手水鉢」なども
水がたまるところ、とりあえず硬貨を投げ
込むのが日本人のようだ




室町期の相阿弥の作と伝えられ、粟田山を
借景にし、その山裾を利用した池泉回遊式の
庭は、龍心池の対岸南に高く石積みした滝口を
中心とし、東側にかけて築山が設けられた
築山泉水庭でもある




11月の半ばとは言っても、やっぱり紅葉
には早くて、これらが赤くなるのはまだまだ
先のようだ




でも、その代わりとはいってはなんだが竹林の
ライトアップが印象的。さて青蓮院門跡について
このあたりで紹介をしておくと開基は伝教大師
最澄、本尊は熾盛光如来(しじょうこうにょらい)
である。梶井(三千院)、妙法院と共に天台宗の
三大門跡寺院である




ウィキペディアによると
>「門跡寺院」とは皇室や摂関家の子弟が
>入寺する寺院の事であり、青蓮院は多くの
>法親王・入道親王(皇族出身で親王の
>称号を与えられた僧侶)が門主(住職)を
>務め格式を誇ってきた。江戸時代に仮御所と
>なったことがあるため「粟田御所」の
>称もある




>梶井、妙法院とともに、青蓮院も比叡
>山上にあった房(坊)と呼ばれる小寺院が
>その起源となっている。青蓮院は比叡山
>東塔の南谷にあった青蓮坊がその起源で
>あり、門跡寺院となって山下に移ったのは
>平安時代末期の行玄大僧正の時である




>久安6年(1150年)に鳥羽上皇の皇后
>美福門院は青蓮院を祈願所とした頃から
>寺格が上がり始め、鳥羽上皇の第七皇子
>覚快法親王が行玄の弟子として入寺して
>より後は、皇家や摂家の子弟が門主を
>務める格式高い寺院となった。




>江戸時代の天明8年(1788年)、天明の
>大火で内裏が焼失した折には、青蓮院が
>後桜町上皇の仮仙洞御所となった。この
>ため青蓮院旧仮御所として国の史跡に
>指定されている。近代に入り、明治26年
>(1893年)の火災で大部分の建物が
>失われた




>平成4年(1993年)には過激派(中核派)の
>放火により好文亭が焼失したが2年後に再建
>されている。  以上、ウィキペディアより
青蓮院の鎮守神として比叡山の山王日吉社から
勧請された十禅師社。 日吉の神さまは天台宗の
宗護神だそうで、古い天台宗の寺院には必ず
祀られているんだとか




青蓮院と言えば1144年の創建以来初めて
国宝の「青不動明王二童子像」が平成21年に
御開帳があり私も姉と出かけてきたが、この
青不動は、高野山明王院の赤不動、三井寺の
黄不動とともに日本三不動画の一つで、現存
する平安仏画の最高傑作であるそうだ




そんな事も意識をしての青い色のライト
アップであろうか。 宸殿は門跡寺院特有の
もので主要な法要はここで行われる。有縁の
天皇及び歴代門主の御尊牌を祀る。宸殿前に
右近の橘、左近の桜を配するのは、御歴代
尊儀の在ます所の意味であり、親鸞聖人が
第三代門主慈圓により得度をした場所でも
あり、お得度の間とも言うそうだ




ご本尊の織盛光如来であるが、織盛光仏頂・
摂一切仏頂輪王とも言う。釈迦牟尼仏が衆生
教化のため忿怒(怒り)の相を表わした姿と
いい、身の毛孔から熾盛の光明を出すという
天災地異の際これをまつり除災招福を祈ると
いう熾盛光法がある




その為、特に平安時代から鎌倉時代にかけては
宮中から勅命を受け、折々に天変地異の息災と
皇室の安寧を祈願する役割を担っていたそうだ
ご本尊の「熾盛光如来曼荼羅」は、天台第3世
座主円仁が唐から持ち帰ったものは戦乱で焼失し
現在のものは、安土桃山時代の作で豊臣秀吉が
奉納したものだそうだ




国宝の青不動の他にも数多くの重要文化財の
寺宝が残されているが、第二次世界大戦以後
この寺から流出した寺宝も多く、重要文化財
クラスでも16点もあるそうだ。なんだか
このように格式の高いお寺も、神社も色々と
あるんだろうな・・・・




親方と相撲協会の確執に続き、今度は
有名神社の相続争いと神社本庁の関係
まるでサスペンスドラマみたいな展開
神聖な神社が金の亡者と化した一家に
食い物にされ、神様もお怒りだと思う




先日は南禅寺の三門を紹介したけど
闇に浮かび上がるのは徳川秀忠の命に
よって建立をされた知恩院の三門で
高さ24メートル、横幅50メートル
屋根瓦は約7万枚。「華頂山」の額の
大きさは畳二畳以上にもなるそうだ




楼上内部は仏堂となっており、その中央に
宝冠釈迦牟尼仏像、脇壇に十六羅漢像が
安置をされており、天井や柱、壁などには
迦陵頻伽(かりょうびんが)や天女、飛龍が
極彩色で描かれていている。竜神は水を
操るので火災除けであると、ここの特別
公開で聴いた




更には知恩院の七不思議の一つである
白木の棺があり、三門造営の命を受けた
造営奉行の五味金右衛門夫妻の木像が
安置をされている。これは懸命に三門を
完成させたのだが、工事の予算が超過し
その責任をとって自刃をした夫妻を弔う
為であるとか




この知恩院でも七不思議があるので
他のものもざっと紹介をしておくと
御影堂から集会堂、大方丈、小方丈に
至る廊下は、全長数百メートルもあり
歩くと、鶯の鳴き声に似た音が出るが
曲者の侵入を知る為のもの(忍び返し)




御影堂正面の軒裏には和傘があるが
左甚五郎が魔除けの為に置いたもの
だそうだが、他にも雄誉霊巌上人が
御影堂を建立する時に、このあたりに
住んでいた白狐が自分の新しい棲居を
作って欲しいと上人に依頼し、それが
出来たお礼にこの傘を置いて、知恩院を
守る事を約束したという説もある




大方丈入口の廊下の梁に置かれた大きな
杓子は長さ2.5メートル、重さ約30キロも
あり、三好清海入道が大坂夏の陣の時に
大杓子をもって暴れまわったとか、兵士の
御飯をすくい、振る舞ったというもので
あるそうだ。全ての人々を救いとるという
意味から




方丈の廊下の杉戸に描かれた狩野信政の
猫の絵は、どちらから見ても見る人の方を
正面から睨んでいるよう見える。大方丈の
菊の間の襖絵(狩野信政)の数羽の雀も
上手に描かれたので雀が生命を受け、飛び
去ったので、飛び去った跡しか残ってない




黒門への登り口の路上にある大きな石は
知恩院が建立される前からあると言われる
瓜生石で、誰も植えたおぼえがないのに
瓜のつるが伸び、花が咲いて瓜があおあおと
実ったという説と、八坂神社の牛頭天王が
瓜生山に降臨し、後再びこの石に来現して
一夜のうちに瓜が生え実ったという説がある




更に瓜生石を掘ると、二条城までつづく抜け
道があるとか、隕石が落ちた場所であるなど
様々な伝説があるんだとか。こんな不思議が
一杯の知恩院の紅葉のライトアップ、11月も
半ばだというのにまだまだといった感じだし
高いお金を払って階段上って、中の拝観も
できる訳でもなく、ちとしまった~感が・・・




ま、それでも除夜の鐘の中継でも有名な日本
最大級の鐘も見れたし、夜のお寺は幻想的でも
ある。寛永13(1636)年に鋳造された鐘は高さ
3.3メートル、直径2.8メートル、重さ約70トン
「えーいひとーつ」「そーれ」の掛け声のもと
親綱、子綱を17人の僧侶が最大限の力を振り
絞り、108つの除夜の鐘を打ち鳴らす




最後に知恩院についてであるが、浄土宗総本山で
山号は華頂山(かちょうざん)で、華頂山知恩教院
大谷寺という。ご本尊は法然上人像と阿弥陀如来で
開基は浄土宗の宗祖である法然だ。法然が後半生を
過ごし没した草庵のあった地に建てられ、現在の
大規模な伽藍が建立されたのは、江戸期である




二条城同様に徳川家の京都での拠点とされ
将軍家の威勢を誇示し、京都御所を見下ろし
朝廷を牽制するという位置づけでもあった
かつて門主は皇族から任命をされたが、更に
その皇子は徳川将軍家の猶子となったとか




         平成29年11月15日に京都で撮影

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最終更新日  2017年12月11日 19時05分33秒
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