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遅い朝食をとっているとき、TV画面に中村獅童さんが現れた。NHK「恋文の世紀」に出ていたのだ。この番組は、著名人の恋文を元に、彼らの愛の軌跡を炙り出している。今日の恋文は、「愛の賛歌」で有名なエディット・ピアフ。彼女は、妻子あるボクサー、マルセル・セルダンと恋におちる。しかし彼の心に住む3人の息子のことを思い、彼女はセルダンとの別れを決意する。運命は非情にも、飛行機事故によってセルダンをピアフから奪い取ってしまったのだ。立ち直れないほどのショックを受けるピアフ。そんな彼女の元に1通の「恋文」が届く。セルダンの妻からのものだった。「カサブランカに来てください」手紙にはそう書いてあった。すぐにセルダンの妻のいるカサブランカへ飛ぶピアフ。セルダンが引き合わせた2人の女は、かたく抱き合った。なんという激しい愛の形。こんな形の愛があったとは・・・。年の瀬に、心が清く、熱くなるいいモノを見せてもらった。「愛の賛歌」は美輪明宏さんのコンサートで聴いて、いつも感動するのだが、ピアフの愛の顛末を知ったので、ますますこの歌が心に染み入るだろう。今年は、初めてホームページ作成に取り組み、このサイトを通じていろいろな方々と知り合うことが出来た。皆さん、ありがとうございます。良いお年をお迎え下さい!
2003/12/31
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昨日までに大掃除をほぼ終え、今日はおせち料理の手伝いと買い物をする。実家から遠く離れた所にいたときは、大掃除もおせち料理作りも一人でした。他の家族は猫の手にもならなかったし・・・。そのときは、NHK紅白歌合戦を聞きながら(見ながらではなく)半泣きでトイレ掃除をしていたなぁ・・・。(遠い眼)今は実家の近くにいるので、おせち料理の大半は、母にしてもらう。クリスマスが終わって、すぐお正月仕度モードに入っているのに、大掃除だけでこんなに時間がかかっているとは・・・。(狭いマンションなのにね)掃除とおせち料理を全部自分でするとなると、また紅白歌合戦を聞きながら涙するかも。感慨にひたりながら、歳末商戦で賑わう街へ出る。どこも人の列がすごい。お年賀用の干菓子を買う時も、家族で楽しむための花びら餅を購入した時も、しばらく人にもまれながら立っていた。この花びら餅、以前茶道を習っていたころ、初釜の日に出してもらった記憶がある。その時初めて食べて、見た目の美しさと、繊細な味わいに、すっかりとりこになる。柔らかな求肥の中に、頬を染めたような色彩の白あんが詰まっている。そして両者を横切る形で砂糖漬けのごぼうが横たわる。和菓子の材料に、ごぼうを使っていることに驚いた。昨年は鶴屋吉信で、今年は福壽堂秀信で購入。さてどんなお味か、楽しみだ。
2003/12/30
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くまのぬいぐるみが好きだ。我が家にも一匹のくまのぬいぐるみがいる。決して「テディベア」などというハイカラなシロモノではない。「くまちゃん」なのである。そのくまちゃんが、私にとって重要な位置に存在している。彼の重要な使命とは、「癒し」なのだ。どんなに疲れていても、くまちゃんを抱きしめると疲れが少し和らぐ。どんなに哀しいことがあっても、くまちゃんに胸の内を吐露すると、哀しみが少し薄らいでいく。私の辛さを「少し」癒してくれる、それが我が家のくまちゃん。(そういえば、以前「くまちゃん」という邦画を見た記憶がある。草刈正雄がでていたっけ・・・。)来年も我が家の必須アイテムとして、リビングにちょこんと座っているだろう。来年もよろしくね、くまちゃん。
2003/12/29
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TVで放送していた「千年の恋~ひかる源氏物語~」ビデオをレンタルしようか迷っていたので、TVでタダで見られるなら・・・と早速TVのスイッチを入れる。結論から言えば、「ビデオを借りなくて良かった~」あまりの退屈さに、途中で見るのを止めてしまったホド。(忍耐強い私にしては、すごいことなのだ)まず感じたのは、光源氏を天海祐希にしたのが失敗。映画を見るまでは、光源氏役を元宝塚の男役がする配役に期待していた。天海祐希という女優もけっこう好きだし。しかし今年の夏、劇団新☆感線の舞台「阿修羅城の瞳」に出ていた天海さんを見て感じたことが、そのまま光源氏にもあてはまった。ルックス的には、光源氏のイメージに近いのだが、いかんせん色気がない。女たちを次々と陥落する源氏なのに、色も匂いも感じられない。何も男のフェロモンぷんぷんにしなくてもいいのだ。女だろうと色香にあふれた人には、同性でも惹かれるものだから。光源氏に色気が感じられないものだから、たくさんの抱擁シーンが、お人形遊びにしか見えなかったよ。光源氏に抱かれた紫の上(常盤貴子)が、頬を紅潮させる表情の方がよほど色っぽかった。それぞれのお姫様とのエピソードもほとんどなく、駆け足でストーリーが展開するのに、ついていけない。それに物語は端折るのに、なぜ松田聖子がでてくるのだ?予告を見たとき、炎をバックに立つ聖子を見て『彼女はどの姫君の役なんだろう?炎に巻かれるお姫様っていたっけ?』などと考えていた自分がバカみたい。急に出てきて歌いだす松田聖子は、ギャグ以外のナニモノでもない。この映画を外国の人が見たら、どう思うのだろう?これが日本人が千年も読みついできた、日本のベストセラーだとは思って欲しくないなあ。大和和紀のまんが「あさきゆめみし」のほうが、ずっとおもしろい。「千年の恋」HP:http://www.toei-group.co.jp/sennennokoi/index.htm
2003/12/28
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クリスマス気分が抜けきらない私だが、やらねばならない大掃除。日ごろ掃除できないところを、集中的にしようと決心。と言いつつ、やり始めたら止まらなくなってきた。リビング、和室、廊下、洗面所、トイレなどに掃除機をかけ、床や壁、電灯や家具をぞうきんがけ。窓拭きにベランダそうじ。玄関も拭き掃除。夜寝る頃には、右手がヨレヨレになり、浮いているような感覚になってきた。やばい・・・明日は筋肉痛かも。日ごろの運動不足がたたったな・・・。でも、掃除をして家がきれいになり、運動不足も解消されるって、一石二鳥のダイエット方法じゃない?ま、三日坊主のおまけがつくかもしれないが。(笑)
2003/12/27
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ああ、今長い長い日記を書いていたのに、あと「書き込むボタン」を押せばOKだったのに、消えてしまった。力が抜けきったよ。(涙)気を取り直して、再び書きます。(ため息)新春ドラマ、なにを見ようか、新聞を調べる。まずイチオシは読売TVの「乱歩R」HP:http://www.ytv.co.jp/rampo/ 明智小五郎の孫役に藤井隆。ちょっと驚きのキャステイングだけれど、まあいいか。彼のキャラは嫌いじゃないし。できれば、回想シーンでもいいから、高嶋兄が明智小五郎役で出てきて欲しいな。(ムリ?)「黒蜥蜴」もやるらしい。楽しみだ。次に楽しみなのは、NHK「新撰組!」近藤勇役を香取慎吾が演じる。他の隊士役も若手ばかりで新鮮だ。ただ、最愛の土方歳三さまを山本耕史が演じるのが、少々不満。もう少しキリッとした俳優がいいのだが。ま、松たかこの恋人らしいし(まだ付き合っているのか?)染五郎つながりとして、大目に見ようか。(何様なんだ?私は)坂本竜馬役は江口洋介。これはイメージどおり。TV東京の新春ドラマで、染五郎さんが坂本竜馬を演じるのだが、イメージ的には江口竜馬に軍配があがる。さて、演技ではどうなるのか。新撰組のキャスティングは、以前NHKで放送していた「壬生の恋歌」が原点になっているので、かなり今回とイメージが違うのだが、それをいい意味で裏切って欲しいと思う。新撰組に関しては、学生時代にファンだったこともあり、かなり評価がシビアになるだろうね。頑張って欲しい、三谷幸喜さん。三番目に見たいのはフジテレビ「プライド」HP:http://www.fujitv.co.jp/index2.html 染五郎さんが、キムタクと月9で共演!驚き!キムタク、坂口憲二、佐藤浩市と、好みは別としてイケメンぞろい。脚本は野島伸司。坂口憲二さんは、昨年のクリスマスの頃「温かいお皿」というドラマにタクシー運転手役としてでていた。あれがよかった。今井美樹と坂口憲二のおかれたシチュエーションが、かなりツボにはまった。ああいう状況で、今井美樹の演じた人妻のような大人の女になりたいと思う。見たいドラマのランキング?最後は「それは、突然、嵐のように・・・」かな。HP:http://www.tbs.co.jp/sorewa/ 主婦と高校生の恋愛模様らしい。主婦役が江角マキコだからねぇ、などと思いつつ、高校生が主婦に対してどういう愛情を持つのかが、興味のあるところだ。
2003/12/26
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最近はクリスマスプレゼントといっても、もらう方ではなくあげる方にまわっている。もう何年もらってないかなどと、考えることもなく、クリスマスを迎えていた。しかし、今年のクリスマスは、頂きましたよ、プレゼント。まず朝、新聞を開く。おお、そこには彼の顔が!なんだかんだ言ってもやっぱり好きな、市川染五郎さん。彼がアップで載っている。どうやらお正月の特別ドラマの宣伝らしい。にやける私。そして昼、郵便受けを覗く。ん?白い封筒が。市川染五郎さんの公式ファンクラブ「その字組」からだ。ビリビリと封を切る。出てきたのは、来年のカレンダー。そういえば、毎年販売しているけど、来年の分は会員に下さると以前の手紙に書いていたな。ふふふ、ラッキー。例年のよりも、簡単なつくりだけれど、凝っている部分もあって、気に入った。細長い紙を蛇腹に、手札サイズくらいに折ってある。写真はモノクロ。裏面は緋色。それぞれの月の裏には、「January」「February」などと英語の月の名前と、彼の紋である「三つ銀杏」の文字。それぞれが裏面と同色の緋色で、しかも浮き出して印刷している。なかなか粋だねぇ。「その字組」のスタッフは、ちゃんと25日に着くように配慮してくれたのかしら?今年、彼の結婚で意気消沈したファンに、せめてものクリスマスプレゼントなのかなあ?(笑)新聞社とその字組のおかげで、素敵なクリスマスプレゼントをもらえた今年のクリスマスだった。そうそう、某人気サイトの管理人様からも、素敵なクリスマスカードを頂きました。とても嬉しかったです。ありがとうございました。
2003/12/25
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最近クリスマスケーキは自宅で作る。といっても、スポンジから焼くのは大変なので、ケーキの材料を買ってきて、自宅でデコレーションするだけなのだ。以前家族の誕生日にケーキを焼いたのだが、スポンジ部分がふんわり出来なくて、見事に失敗。それ以来イベントのケーキは、無難に?店で買うか自宅でデコレーションするかにしている。今年のクリスマスケーキも自宅で飾った。 トッピングの材料は、いちご、キウイ、黄桃缶、そしてサンタの砂糖菓子。生クリームをたっぷりスポンジに塗りたくり、スライスした果物を多めにサンドする。サンドした部分は2~3cmほどの厚みになった。(笑)学生時代、ケーキ屋でアルバイトをしていたので、ケーキの味にはうるさい。クリスマスのずいぶん前から、ケーキ屋はデコレーションのパーツを作り始める。もちろん日持ちするものだけ作るのだが、その作業を見ていると、「あのケーキを買ったとしても、サンタ部分は食べないでおこう」などと考えていた。今の時期、ケーキ屋で買ってくるよりも、自宅で材料を厳選してクリスマスケーキをデコレーションするほうが美味しい場合が多い。確かに市販のスポンジは、甘みがきついので、生クリームが舌にとろけた後で、まだ口の中に甘さが残ってしまう。それさえ我慢すれば自宅で飾るケーキは、生クリームの優しさと、ふんだんにトッピングした果物の酸味が織り成す至福のハーモニーを、存分に味わうことが出来る。(アルバイト当時は、ケーキが主食だった。今でもケーキが大好きなので、表現が大袈裟なのだがご容赦を)今年もクリスマスイブの夜が更けていく。全ての人に、サンタクロースが素敵なプレゼントを運んでくれることを願って。メリークリスマス!
2003/12/24
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この雑誌の愛読者だったというだけで、カミングアウト状態だな~。(笑)最近の私の日記に登場している数々のキーワード。すべてつなげたら、この雑誌が登場してくるのだ。私がまだ高校生の頃、当時は「ガンダム」や「イデオン」などのアニメが流行っていた。そのとき「アニメージュ」などのアニメ雑誌を手に取らず、なぜか「OUT」を購入したということからして、今の自分を感じるなあ~。その「OUT」というアニメ雑誌から、「ALLAN」という姉妹誌がでるようになった。昭和55年のことである。テーマは「少女のための耽美派マガジン」表紙は、まつざきあけみの麗しい絵だったように記憶している。その{ALLAN」という雑誌は、今で言う「やおい系」「BL系」のものだった。そこには、今まで私が経験したことも見たこともない、めくるめくような耽美な世界が広がっていたのだ。その雑誌によって私は、美輪明宏さんや山田章博さん、高畠華宵などのロマンティックな人物や絵画と出会った。すでに中学生のとき、映画「夜叉ヶ池」をみて、坂東玉三郎さんや泉鏡花の美しい世界に目覚めていたので、「ALLAN」によって、耽美な世界にのめり込む要素はもっていたと思う。「ALLAN」のおかげで?さらに究めていったというべきか・・・。
2003/12/23
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とうとう見てしまったよ、「ピンクフラミンゴ」20年程前、ある雑誌でこの映画のことを読んでから、こういう映画が存在することに、恐怖を感じていた。特にラストシーンについての記述を読んで、衝撃を受けた。ラストシーンを見る覚悟が出来てから、この映画を見ようと思った。そうこうするうち、「ピンクフラミンゴ」を見る機会は失われていく。そして、最近見つけてしまったのだ。いつも行くビデオレンタル屋に、「ピンクフラミンゴ」が置いてあるのを。この機会を失えば、もう見ることはないかもしれない。そう思って、とうとう手にとってしまった。ああ、長い前置きだったなあ~。ストーリーは細かく解説すまい。いや出来ない。ディヴァインという「世界一お下劣な女」に、変態夫婦がお下劣バトルを申し込む。バトル自体は、そんなに衝撃を受けなかったのだが、ディヴァインの日常がかなりインパクトあり。とにかく下ネタのオンパレード。レイプあり、獣姦あり、近親相姦あり、殺人あり、両性具有あり、カンニバルありと、もう挙げだしたらきりが無いほどの、下品さ。というか下品という言葉でも、上品な形容だと思ってしまうほどなのだ。思い出しただけで、吐き気をもよおすほど。しかし、この映画暗くはない。内容を見れば、めちゃくちゃドロドロしているようなのだが、実際はあっけらかんとした明るさがある。なぜなんだろう?ヒロイン?ディヴァインのキャラクターのなせるわざだろうか?登場人物すべてが、どこか突き抜けていて、湿っぽさを感じさせないからなのだろうか?フツーの神経を持つ人には、おすすめできない。ただ、この映画を見たら、世の中を見る眼が変わることうけ合い。
2003/12/22
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今夜は「幻影の美少年・美少女~高畠華宵の大正モダニズム」私の大好きな挿絵画家、高畠華宵の特集だった。おまけにゲストは美輪明宏さん。これはビデオをセットして、オンエア時間を待つしかない!華宵の絵をたっぷり見られて、時代背景などを美輪さんのトークで知り、贅沢な45分だった。最近、華宵が再びブームらしい。そうなんだ。私が華宵を知ったのは、高校生のとき。あの艶かしい瞳にグッときた。それから華宵の描く美少年、美少女たちの瞳に出会いたいがため、東京の弥生美術館にまで足を運んだ。弥生美術館:http://www.yayoi-yumeji-museum.jp/index.html 華宵の故郷宇和島に「高畠華宵大正ロマン館」が建ったのは、平成2年のこと。そこはまだ訪問していない。高畠華宵大正ロマン館:http://www.kasho.org/ 華宵の作品には、芳香がある。描かれた人物の吐息から、馥郁たる薔薇の香りが漂ってくる錯覚を覚える。色彩の美しさや、構成の力強さなどを得意とする画家は数々いるが、その作品自体が芳しいのは、おそらく高畠華宵だけなのではないだろうか。
2003/12/21
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行って来ました、美輪さんのディナーショウ。ディナーショウなるものに行くのは、20年程前にディック・リーのデイナーショウに行って以来、生涯2度目(おおげさ?)食事はまあまあで、ショウ自体は1時間しかなかったので、美輪さんの世界を堪能したいのなら、コンサートに行くなり、舞台に足を運ぶなりしたほうがお得だと思う。でも、来年の舞台「椿姫」まで待てなかったので、ディナーショウのチケットを買ったんだよね。時間は短かったけど、美輪さんの歌はやはり素晴らしかった。今年秋の美輪さんのコンサートに行った時も感じたのだが、1曲1曲に、歌詞の中のヒロインの人生が凝縮されていて、観客も濃密な時間を共有できる。今回は、クリスマス・ディナーショウを意識してか、選曲はすべてシャンソン。パンフレットがないので、正確に覚えていないのだが、「恋はコメディー」「初日の夜」「人生は過ぎ行く」「不倫」「ラストダンスは私と」「ミロール」などを歌ったと思う。アンコールは「愛の賛歌」私が特に印象に残っているのは「初日の夜」「人生は過ぎ行く」「ミロール」「人生は過ぎ行く」は「好きよ、好きよ、好きよ、好きよ。冷たい背中ね貴方」という歌詞で始まる。その「好きよ」の繰り返しを、囁くように、思いのたけを込めるように、弱く、強く、歌う声にしびれる。歌の後半は、「好きよ」の部分が「ジュティム」に替わる。年をとった女は、新しくできた若い女のもとへいく恋人にこう言う。「行かないで、行かないで、行かないで、行かないで、窓から飛び降りるわ!」そう叫んで、窓から身を投げ死ぬ。美輪さんも歌詞の通り、飛び降りる演技をし、ばたりと倒れる。表情が圧巻。目を開けたまま倒れた様は、もう投身自殺そのもの。ぱっと舞台が暗くなって、静かになったと思うと再びライトが輝く。美輪さんは舞台の中央で、何事も無かったようににこやかに立っている。お見事。「ミロール」は娼婦が、憧れていた男に向かってうたう歌。曲の説明の時は、美輪明宏という人物のまま。しかし前奏が始まると、さっと娼婦の表情になる。純朴なのだが、少々疲れた笑顔。その変わり方がやはりお見事。男は資産家の娘と結婚し、幸せの絶頂で船旅に出た。しかしその途中で、妻の裏切りにあい、傷心のまま帰港。そんな男を、娼婦は励ます。「さあ、笑って。そうそう、そんなふうに」一生懸命に男を慰め、おどけた仕草で踊る娼婦。彼女の真心に、疲れた心の観客も少しずつ癒されるような気がした。美輪明宏さんの耽美な世界を味わうには、やはり生の姿を見るのが一番なのだ。
2003/12/20
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おとといのアクセス数があまりに多いのに驚いた。1934アクセスだって!?最近ようやく1日100を越えるかな~って感じだったのに、いきなり1934だなんて。びっくり。おそらく日記のテーマをドラマ「共犯者」にしたのが原因だろう。そして19日は745アクセス。映画・TVのジャンルで11位になっている。驚き。来て下さった方々、ありがとうございます。ま、ぼちぼちやっていきますわ。(笑)そして今日の日記。実は、今すこ~し気になっている人がいる。仮にAさんとしよう。別に毎日会いたいだとか、向こうにも好きになって欲しいなどという気持ちは、ない。ただ、Aさんに会えた日はなんだかうれしい。会えるはずなのに、たまたまAさんがお休みで、会えなかった日は、なんだかつまらない。それだけ。Aさんに対して、性的な欲望も皆無。しかし、Aさんにとって、私という人間を認めて欲しいと言う欲望はある。これって、恋愛?友情?Aさんは同性なんだけど・・・。
2003/12/19
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昨日、宇治市で小学校に刃物を持った男が侵入した。男は給食の後かたづけ中の、1年生の教室に入り、2人の男児の頭部に切りつけた。ああ、また子どもに危害が加えられる事件が起こった。どうして、以前の事件の教訓が生かされないのか?池田小学校の事件では、多くの児童が殺傷されたというのに。まして、京都市では4年前の12月に、男が小学校に侵入し、男児1人を殺害するという事件があったではないか。池田小学校事件を教訓に、この小学校では正門と通用門に、監視カメラとセンサーを設置していたと言う。しかし、事件当時センサーのスイッチは切ってあった。なぜかというと、子どもが通っても鳴るので、業務に差し支えるというのである。それでは、センサーは無用の長物ではないか。センサーを取り付けたお金がムダ。しかし小学校側からすれば、児童の安全を守るためにセンサーを設置するなどの努力をしていると、保護者や市教委に「いいわけ」できるよなあ~。こういうお金の使い方って、税金の無駄じゃないか?もっときちんと、子ども達を守る方法を、私たち大人が真剣に考えていかなければいけない。
2003/12/18
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今クール、ただ1本だけ見ていたドラマ「共犯者」が終わった。最終回を迎えるまで、ドキドキハラハラしていたのだけど、ラストを見て、ちょっと不満。最終回の最初の5分を、見逃したのがいけなかったのか?以前、楽天日記のどなたかのサイトで、「ウエヤマサト=美咲」説を読んだことがあり、なるほどと納得していながらの、最終回鑑賞だったのだけれど。それでもよくわからん。マサトと美咲が喫茶店に入ったとき、ウェイトレスが注文を聞きに来る。美咲の「コーヒー2つ」に怪訝な顔をする。こういうシーンを見れば、「なるほど」と思うのだが、マサトが殺人を犯しているとき、美咲はどこにいたかを考えると、わからない部分がある。深雪はどうなったの?彼女のマンションにマサトが来た時、美咲はどうなっていた?返り血を浴びたまま、深雪のマンションまで行ける?途中でいつものコンビニに寄っているし・・・。う~む。佐野史郎の「殺人クラブ」って何?彼も横領に関わって、美咲の紗江殺しの片棒を担いだはす。それはどうなった?石橋蓮司扮する刑事は「死ぬなんて卑怯だ」という言い方をしたけど、美咲は逃げるために死んだのではなくて、奥菜恵をマサトから救うために死んだんでしょう?いろいろと疑問があふれてきた。やはり最初の5分見逃しが痛いな。それにしても、マサトのような人間?を好きになってしまった美咲って、哀しい。まして紗江のような親友を、自分の手で殺してしまっているし。その喪失感は、恐ろしいほど美咲を苛んでいたのだろう。できれば最終回は、90分か120分の拡大版で見たかったんだけど・・・。
2003/12/17
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2~3日前から、私のケータイに迷惑メールが押し寄せてきた。夜中も早朝も関係なくやってくる。昼間、人と会っている時もおかまいなし。いつもいつもマナーモードにしていれば、他の電話がとれなくなるし・・・。私はマナーモードでは、まったく気がつかない部類の人間なのだ。食事中もひっきりなしに、迷惑メールがくるので、とうとう頭に来た。全部着信拒否設定にしてやる・・・。しかし、ああ、敵もあなどれない。設定しても、次から次からどんどん新しいメールアドレスで、迷惑メールを送ってくる。手が込んでいるものは、個人名で送ってくる。まるで友人のように。内容を読むと、後輩の男性が先輩の男性宛にメールを送っているような内容。なになに「登録後1時間ですぐ女の子に会える?〇れ食い状態?」うるさい!!私は女だ!女には不自由してない!とうとうケータイのメールアドレスを変更した。これをすると、知人に新しいアドレスを送らないといけないでしょ?これがめんどうなんだよね。ケータイのアドレス帳なんて、友人全員分入力したことがないし、する時間があるんだったら、ほかのことしたいし・・・。そうすると、アドレス変更のメールを送るために、いちいち「紙の」アドレス帳を開いて、ちまちまアドレスを入力してメールをおくらなくちゃいけない。ずぼらな私は、時々「紙の」アドレス帳にメールアドレスを書き忘れているときがある。そうなると、お手上げ。そうして不義理なことをしてしまう私。PCのアドレスも、今までに3回変わったけど、そのたびに連絡忘れで消息不明になった人がたくさんいるなあ・・・。すみません。あ~、だから私に迷惑メールなんて送ってこないでよ!
2003/12/16
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年甲斐もなく「明日のナージャ」にはまっている(笑)家族の要望にお答えして、TVアニメはけっこう一緒に見ているのだが、最近の作品の中ではストーリーがかなり面白い。物語は、今からおよそ100年前のロンドン。赤ん坊の時、孤児院に預けられたナージャは、13歳の誕生日に母親は生きているかもしれないと告げられる。旅芸人のダンデライオン一座に入り、一緒にヨーロッパ各地を旅しながら、母親を探すナージャ。彼女の周りには、美少年貴族のフランシス、彼の双子の兄で義賊・黒薔薇のキース、考古学を研究しているクリスチャン、新聞記者のハービーなどなど、各地で多彩な人々に出会う。物語が大詰めにさしかかってきた今、各地でであった人たちが再びナージャとかかわり、彼女を手助けしてくれる。(これってアニメのオキマリパターンだよね)私は怪盗黒薔薇のキースのファン。彼は貴族の子息で、何不自由のない生活ができるにもかかわらず、鳥かごの中にいるような暮らしが嫌で、義賊になっている。キースの双子の弟のフランシスは、自分の無力さを理解しつつ、貴族の生活に甘んじている。先週のストーリーは、ヒロインのナージャが、キースとフランシスどちらを選ぶか?というものだった。私なら絶対キースなんだけどなあ~。先週のラストの時点では、彼女はフランシスを選んだ。うちのチビたちもフランシス派。はいはい、お子ちゃまは生クリームのように柔らかく甘いフランシスが好みなんでしょうよ。大人の私は、ちょいとビターなキースがいいわ。甘甘な生活ができるにもかかわらず、自由の無い暮らしが嫌で、日陰の暮らしをするキース。ナージャに、フランシスか自分かを迫るキースは、屈折していて拗ねた感じが、母性本能をくすぐられる。そっか、ナージャはまだお子ちゃまだから、キースの魅力に気付いてないのね。フワフワなフランシスが魅力的に見えるのよ。もちろんフランシスも、内面では体裁ばかりの貴族生活に疲れているんだけど、その状況を打破できないのよね。フランシスの家でパーティが開かれ、その席でフランシスと踊り、自分の答えを出すナージャ。フランシスは喜びにあふれ、人々の輪の真中でナージャとダンスを踊る。柱の影で立っていたキースは、再びナージャがキースに視線を移したときには姿を消していた。うう、涙。私でよければ、お相手してくださる?キース。(笑)来週の予告を見ると、フランシスに恋しているメリーアンという女の子が、2人の邪魔をするらしい。私が思うに、フランシスはその優しさ(優柔不断ともいう)ゆえに、結局メリーアンを選び、傷心のナージャをキースが救うというラストじゃないのかな~?(そうであって欲しい)ナージャもきっと貴族の生活は窮屈だろうし、キースと共に自由な生活をしたほうが幸せになれるよ。時々お母さんに会いに行ったりしてね。(ナージャの母親は、ウィーンの貴族、プレミンジャー公爵の娘だということが判明している)そして私は毎週日曜日、朝8時半にTVの前に座るのであった。心の中で『キース!好きよ!』と叫びながら。TV朝日「明日のナージャ」HP http://www.asahi.co.jp/nadja/index2.html
2003/12/15
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1942年、第二次世界大戦中のパリ。ドイツ軍の手に落ちていた町で、肉屋を営んでいたバティニョール。ふとしたことがきっかけで、ユダヤ人摘発に手を貸してしまう。心にわずかなひっかかりを感じつつ、日常の生活に戻ろうとしたバティニョールだが、家族の欲望や戻ってきたユダヤ人の少年シモンによって、どんどん自分が意図する方向からずれていってしまう。シモンとその従姉妹2人、計3人のユダヤ人の子どもを、スイスに脱出させることになったバティニョール。さて、どんな道中が用意されているのやら。面白かったのは、主人公のバティニョールが最初から、聖人君子として描かれていなかったこと。彼はどこにでもいるおやじで、自分の主義主張を明確に持っていない。ただ、日々を平穏に暮らせればいいのだ。そんなどこにでもいる人物が、ナチスドイツの闊歩するパリから、ユダヤ人の子ども達をスイスに脱出させるという大仕事を請け負うはめになる。彼の戸惑う姿には、共感する。はっきりと反ナチス派の主人公が、そういう行動を起こすのではないところに、この作品の特徴があると思った。ストーリーはそれなりにドキドキハラハラしたり、涙がこぼれたりしたが、ラストが物足りなかった。あれで終わり?バティニョールの家族の後日談は?それからのバティニョールたちの生活は?などなど、気になることが多いままエンドマーク。こういうナチス関連の映画では、やはり「ライフ・イズ・ビューティフル」が圧巻だったなあ。「バティニョールおじさん」は、フツーの人が巻き込まれていき、最後にはユダヤ人に感情移入してしまう、という心理描写が面白かっただけかなあ?シモン役の少年は、とてもよかったケド。公式HP http://www.albatros-film.com/movie/batignole/index2.html
2003/12/14
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今日はN市男女共同参画センターでの、「漫画サロン」に参加した。漫画愛好家の小川真知子さんが、自らの少女漫画読書歴を披露しながら、少女漫画の変遷や思い入れを語った。この小川さんは、WNB(放送と女性ネットワーク)賞の審査員でもある。最初の1時間は小川さんの話を中心に、参考書籍などを回覧。ティータイムをはさんで、あとの1時間は受講者が自分の好きな漫画作品や、漫画にたいする思い入れを語った。小川さんが影響を受けた作品や漫画家は、私と重なってはいなかったが、参考書籍は興味深いものばかりだった。☆藤本由香里「わたしの居場所はどこにあるの?」学陽書房☆荷宮和子「アダルトチルドレンと少女漫画」廣済堂出版☆斉藤美奈子「紅一点」ビレッジセンター☆村瀬ひろみ「フェミニズム・サブカルチャー批評宣言」春秋社☆荻野昌弘、宮原浩二郎編「マンガの社会学」世界思想社私が好きな漫画は、手塚治虫「リボンの騎士」、萩尾望都「百億の昼と千億の夜」、水樹和佳「イティハーサ」が挙げられる。「リボンの騎士」は、最初TVアニメを見てはまってしまった。女の心と男の心、二つの心を持ったまま生まれてきてしまった王女サファイヤ。男しか王座につけないという封建的なシルバーランドの規則のため、女でありながら男として育てられる。天使のチンクや悪魔、隣の国のフランツ王子なども入り乱れて、壮大な物語が繰広げられる。いつ読んでも新鮮でロマンティックな作品だ。「百億の昼と千億の夜」は、私の宗教観を見事に覆した作品。当時も今も、特定の宗教にのめりこむということはないが、それぞれの宗教の神に対しては、それなりの敬意をはらってきた。それが「百億の昼と千億の夜」では、主人公の阿修羅王とイエスが敵対しているのだ。イエスが俗物のように表現されていることに、大きな衝撃を受けた。特定の人びとが崇拝している神(あるいは聖人)を、価値観の違いによって、俗物だと感じる事も、またありなのだと気がついた。絶対的な神は、人それぞれの心の中に存在するということを教えてくれた。阿修羅王も魅力的で、すっかり彼女(彼?)のファンになった。この阿修羅王は、興福寺の阿修羅像をモデルにしていると聞いた。「イティハーサ」も、「百億の昼と千億の夜」に似て、宗教観やこの世の成り立ちの謎などを表現している。古代日本に思いを馳せ、読むたびに考えさせられる話だ。漫画家で、私が今でも恋焦がれている人は、山田章博さん。(公式サイトhttp://www.tea-leaf.net/~neenee )(おすすめファンサイトhttp://www.gallery.to/yamada/ )彼の作品は、私の精神構造に多大な影響を与えたと言っても、過言ではないほど。私がセーラー服を身にまとっていた頃、山田章博さんの「素描集みづは」に出会った。その耽美的で退廃的な世界は、私を夢中にさせた。山田章博さんの世界は、私の中で泉鏡花の世界と交差し、私がどんな境遇の中にあっても、心の中に存在しつづけた。私の心の中のサンクチュアリ(聖域)なのだ。そのサンクチュアリのおかげで、今も私は健全な?社会生活を営むことができている。たかが漫画と侮るなかれ。漫画は人間の生き方を左右することもあるのだ。
2003/12/13
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今日は小津安二郎監督の100回目の誕生日。そして40回目の命日。小津安二郎監督は還暦を迎えた1963年12月12日、死去した。還暦の誕生日に亡くなるだなんて、与えられた命を完結させているなあと感じる。彼の生誕100年目に当たる今年は、海外や国内でいろいろなイベントが開催されたらしい。国内ではNHKがBS2で、10月から現存37作品を一挙放映している。http://www.nhk.or.jp/ozu/ 小津作品は「東京物語」しか見ていなかったが、今回「晩春」を見て驚いた。以前見た「東京物語」は、淡々としたストーリー展開が、退屈だとしか思わなかった。一般的に小津作品は、事件らしい事件が起こらない日常を丹念に描いているといわれている。しかし「晩春」を見た私は、小津作品についての一般論は、本当に小津作品の本質をついているのだろうか?と疑問に思った。BS2でオンエアされた番組「脚本に神髄あり~新藤兼人 小津シナリオを旅する」で、新藤監督は「晩春」を“近親相姦”の要素があると言っていた。私も同感。以前の日記にも書いたが、父親(笠智衆)と暮らす生活を守るため、結婚をしたがらない娘(原節子)の感情は、父親を男として見ているように感じられた。父娘で京都へ旅行に行ったときの夜、お嫁に行きたくないと父親に訴える娘。その夜のシーンは、なぜだか艶かしい。そして、娘が嫁いだ日、父親が一人家でリンゴの皮をむく。ふと手を止め、うつむく父親の胸中には、なにが去来しているのか。名場面である。今日はほぼ1日中、NHK BS2で小津安二郎特集をしていた。夜、久し振りに「東京物語」を見た。以前退屈だと感じた「東京物語」は、面白かった。それぞれの人物のせりふ。淡々と展開していくようなストーリー。その1つ1つに味わいがあり、抑えたせりふの中に気持ちの動きが感じられ、こんなに主張がはっきりとしている作品を退屈だと感じた昔の私は、まだまだ未熟者だったと実感する。NHKは来年1月にも、小津作品を数多く放送する。どの作品も興味深いが、特に「非常線の女」が見てみたい。
2003/12/12
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いつもいつも、会期の最後になって駆け込む私。今回も「12月まであるから、いつでも行けるわ」と思って、のんびりしていたらこの始末。21日の最終日まで、空いているのは今日だけ。寝不足の頭を抱えながら、電車に揺られて兵庫県立美術館に行った。 音声ガイドを借りて、いざ出陣。しかし・・・。絵画を見るのは好きなのだが、今回のような彫刻類を鑑賞するのに慣れていないのと、寝不足が重なり、歩きながら極度の睡魔に襲われる。美術館で、立ったまま舟をこぎそうになるのは初めてだなあ・・・。音声ガイドも1つの展示物の最後まで聞く体力がなく、おもわず椅子に腰掛けてしまった。即うたたね。(苦笑)最初のアレクサンドロス大王関係と、最後の日本の彫像だけ念入りに見て、あとは中抜き。「風神雷神図屏風」(東京・出光美術館蔵)はしっかりと見た。一番衝撃を受けた展示物は、やはり「眠るヘルマフロディテ」かな。前方から見ると、裸体の曲線が美しい女性の寝姿。しかし後ろにまわって見ると、豊満な胸とともに見えるのは、男性器。両性具有の姿だった。「うずくまるアフロディテ」は、片膝をついて座っているアフロディテが、右手を上に挙げ、左手で胸を隠している。音声ガイドによると、最初は両手を上に挙げ、ぬれた髪のしずくを絞っている姿だったらしい。後世の修復で、左手を下方につけてしまったそうだ。胸をあらわにした女神に対する抵抗感からだろうか?「エロスとプシュケ」は、天使の羽をつけたエロス(キューピット)と蝶の羽をつけたプシュケ(魂)がキスを交わしている像だ。プシュケ(魂)が、蝶の羽をつけているという点に興味を引かれた。以前、蝶は人の魂が浮遊しているものと、聞いたことがある。季節はずれの蝶が、ふらふら飛んでいるのを見つけるたびに『誰か知っている人の魂が、私に会いに来たのかな?』などと戯れに考えたりしていた。この「エロスとプシュケ」像は、ヘレニズム時代、紀元前1世紀初頭の頃のものらしい。当時から、人間は蝶と魂を結びつけていたのだろうか。「兜跋毘沙門天立像」も素晴らしかった。大理石などの展示物より、木像に安らぎを感じたのは、日本人のDNAがなせるわざなのだろうか?今回の展覧会を見て発見したことは、以前なら退屈したはずの日本の木像鑑賞が、心地よいものに感じられたこと。睡魔と闘いつつ、ぼろぼろになって鑑賞した展覧会だったが、やはり行ってよかった。
2003/12/11
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次号の特集は「更年期」前回執筆担当だった私は、今回は会議に出席するのみ。執筆はお休み。更年期なんて、まだまだだと思っていたのだが、今日いろいろな話を聞いて不安になった。ある編集員の友人は、ストレスが原因で30代で閉経。更年期障害は50代で出てきたらしい。またある人は、30代で更年期障害の症状がでてきたという。30代の私も、油断できないってこと?更年期障害は、体(ホルモン)だけに原因があるのではなく、メンタルな部分も大いに関係しているようだ。メンタルな部分ね・・・。私も以前、かなりストレスが溜まった時期があり、月のモノが止まってしまった。そろそろ婦人科で見てもらわないと、と思っていた。そんなある日、市川染五郎さんと握手をする機会があり、次の日から「始まった」私。染五郎さんに「女」に戻してもらった・・・。(笑)そういうことを思い出し、女性の体ってメンタルな部分が影響する、デリケートなものなんだと実感した。大切にしなきゃ、自分の体。
2003/12/10
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前日のアクセス数で、48位になりました。ひぇ!!驚いた。趣味の世界に首までつかっているサイトなのに・・・。これも、ひとえにこのサイトにいらしてくださった皆様のおかげです。ありがとうございます。さて、今日の日記。今日はいろいろとバタバタしていて、1つのテーマに絞りきれないので、こまごまと雑感などを。まず本屋に行って、染五郎さんの新刊本を“立ち読み”する。(笑)書名は「染五郎作品集」彼は絵を描くことが好きらしく、オフィシャル・ファンクラブである「その字組」メンバーに、毎年イラスト入りの年賀状を送っている。(もちろん原画が手書きで、あとは印刷なんだろうけど)2年程前の「その字組」発行の染五郎カレンダーは、なんと彼のイラストのみのカレンダーだった。私が「その字組」に入会して初めてのカレンダーだったので、ショックだった。少なくとも私の周りの染ファンも、ブーイングの嵐。なぜか?理由は2つ。1、絵があまりお上手ではなかったということ。2、彼のファンになったのは、ルックスが好みだったので、彼の写真のないカレンダーなんて考えられなかった。(好きになったのは、もちろんルックスだけじゃないけど・・・)染友達と、さんざん「あの程度の絵を、公に配っていいのか!?」「彼の周りには、辛口な批評をする者がいないのか?」などとこき下ろしていた。(染五郎さん、そしてファンの皆様ごめんなさい。私もファンです)さて、「染五郎作品集」なのだが、その彼の描いた作品を並べているものだった。安堵したのは、彼の絵のみで頁を埋めているのではなくて、彼の撮った写真や、彼の姿をうつしたものもあったこと。(でも、“嫁”が撮った染五郎さんの写真も含まれており、それがプライベート色の強いものだったので、あまりいい気分はしなかったな)彼の描く絵は、すごく下手というものではなく、そこそこなのだが、本にしてお金をとるシロモノではないと思うのだが・・・。たぶん・・・買わないだろう・・・。そして、次の感想は夕刊から気になった記事などをピックアップ。「ルーベン・ゴンザレス氏死去」映画“ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ”に出ていたキューバの伝説のピアニストも、亡くなったのね・・・。赤とオレンジの鮮やかなシャツを着ていた姿が眼に焼き付いている。残念。「向井さん、代理母が双子出産」タレントの向井亜紀さんが依頼した、米国人の代理母が先月末に双子を出産したらしい。また代理出産について、世論が活発になるだろう。「スラヴァが神戸でクリスマス公演」行きたいなあ~。スラヴァのCDは「アヴェ・マリア」を持っているのだが、なかなかいい。癒し系の歌声として人気を呼んで、このCDが約30万枚のヒットになったというのは、知らなかった。私は、ただ純粋に「アヴェ・マリア」の歌が聴きたかっただけなんだけど。それまで彼のことは知らなかったものね。今彼は「美の巨人たち」というTV番組のエンディング曲を歌ってる。カウンターテナーの美しい歌声だ。今日も色んな情報を目にしたなあ・・・。しばらくしたら、記憶からこぼれおちるだろうけど・・・。
2003/12/09
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今日は、森田ゆりさんの講演会に出席。演題は「子どもの人権とエンパワメント」かなり前、新聞記事で森田まりさんの活動を知り、関心を持っていた。彼女は、子どもの虐待・性暴力・家庭内暴力防止にかかわる専門家である。北米に21年間在住し、それらの問題に取り組んできた。1990年から7年間、カリフォルニア大学の主任研究員として少数民族、女性、障害者への差別問題やセクシャル・ハラスメント防止など、人権問題への啓発セミナーを指導してきた。1985年以降、日本にCAP(子どもへの暴力防止)プログラムを紹介している。【最近の少年事件の数々により、子を持つ親は「我が子が加害者になったら?」或いは「我が子が被害者になったら?」という不安に苛まされる。このような不安ばかりを募らせるのは、ニュースを発信するメディア側の責任である。一体どうしたら防げるのか?を考えることが大切なのだ。一般論で「今時の子どもは・・・」などと問題を片付けることなく、自分の身近にいる子どもを信用し、かかわっていくことが大事。人を良いか悪いかだけで、判断することは出来ない。良い人の中にもやましい考えがあり、悪い人と言われている人の中にも優しい心がある。】まだまだ内容の濃い話をたくさん聞いた、本当に充実した講座だった。1時間半の講義時間では足りないほど、精力的にお話をされた姿は、はっきり言って凛々しい。すがすがしい魅力と力にあふれた女性だった。困ったな~、また尊敬する人が増えちゃったよ。森田ゆりさん主宰 エンパワメント・センターHPhttp://www4.osk.3web.ne.jp/~stmorita/index.htm
2003/12/08
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今日は友人のコンサートに行った。彼女は4年ほど、カンツォーネの先生に歌を習っている。その教室の、今日は発表会。神戸のライブハウスで行われたのだが、生徒の歌の合間に、ジャズ・ピアノの演奏などもあり、なかなか楽しめた。その演奏をしたのは、安藤義則さんというピアニストで、NHKニュース KOBE発のタイトルソングを作曲した方だとか。そういえば、あのニュース番組を見るたびに「ニュース番組の曲らしくないな~。なんだかジャズっぽい」と思っていたのだが、やっぱり。神戸らしさを出したタイトル曲なのか。神戸のライブハウスで聴くと、やはり気持ちがいい。生徒の演奏の後は、先生である岩井豊子さんが「オ・ソレ・ミオ」などを歌う。この曲は情熱的な恋の歌だ。イタリア語で(たぶん)歌ったのだが、岩井豊子さんが情感を込めて表現したので、私まで感情移入してしまい、涙がにじんだ。観客の、心にまでストレートに伝わってくるモノ。表現者として、何を相手に伝えられるか、それが大切だなあ・・・と感じた夜。
2003/12/07
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以前は野原しんのすけが、大嫌いだった。大人(特に母親のみさえ)を困らせるし、下品だし、こういう子どもが自分の子どもだったら嫌だな~と思っていた。し・か・し・・・・・。今はしんのすけが大好き!(笑)食わず嫌いとは、こういうことだったのかと実感している。事の起こりは、家族が「くれよんしんちゃん」の映画のビデオを借りてきたことから始まった。『なんで、こんなもの借りてくんのよ!もっと他に、ディズニーとかジブリとか、あるでしょうに』と心の中で毒づきながら、一緒に見たら、すとんとはまってしまった。『面白い!奥が深い!感動する!』それからは、家族と共に一気に「くれよんしんちゃん」の映画ビデオを10作品すべて見た。特に感動したのは「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」と「嵐を呼ぶ アッパレ!戦国大合戦」の2本。「オトナ帝国」は、万博を覚えている世代としては、郷愁にかられる設定で、登場人物のケンとチャコの気持ちが哀しいほどよく理解できる。しんのすけの「大人になりたい」発言は、現代のこども達に聞かせてあげたい。色々と考えさせられる内容なのだ。「戦国大合戦」は、これまた感動の涙があふれる作品。最上のラブ・ストーリーでもある。あのシーン(ラスト近くの、しんのすけ馬上でのシーン)には、正直驚いた。『えっ!?これって、お子様向けのアニメじゃないの?こういうラストにしちゃうの?』と、画面を見ながら愕然としてしまった。他の映画作品も、なかなか考えさせられる内容だったり、ジーンとくる話だったり、すべて及第点以上の出来。(偉そう?)くれよんしんちゃんは侮れない。
2003/12/06
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今日は、私が所属するディベートの会の定例会。会員の一人が、最近本を出した。タイトルは「長崎屋かく子の青春日記」明治半ばに生まれ、大正のはじめに亡くなった、自分の祖母について書き記したものだ。十年前、著者の父から一冊の小さなノートが送られてくる。黄ばんだページを開いてみると、それは著者の祖母が二十歳のときに書いた、明治四十三年の旅日記であった。そのほかにも、十四歳の時の回想や、祖母が十九歳から二十三歳まで書き記した日記が現存していた。十年かけて、資料を集め、調べ、取材に行き、丹念に解読したものが「長崎屋かく子の青春日記」なのだ。当時の女性の生活、金銭感覚、買い物などが垣間見られて、興味深い。今日の定例会に、彼女はかく子さんが遺した日記や年賀状、印籠などを持参してきた。現物は、時の長さを感じられる重厚さ。明治時代の印刷物の美しさを目の当たりにして、興奮してしまった。十年かけて祖母の生き様を調べ上げた、著者の心意気に感動すると共に、当時から今現在まで、綿々と続いている時の流れに感謝したい気持ちになった。「長崎屋かく子の青春日記」 三木暢子著 素人社(そじんしゃ)
2003/12/05
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今までは、花の苗を買ってきて、プランターに植え替えていたのだが、最近種をまいた。今年の夏、旅行した先で買ってきたもので、いろいろな花の種が混ざって一つの袋に入っていた。その種を混ざったまま蒔くと、四季折々の花々が、順々に咲いていくらしい。ホントかな?と思いつつ、10月に蒔いた。それが最近、どんどん生長してきている。花の苗を買って植えていた頃は、すぐ花を楽しめた。種から育てるのは、花を愛でるまでが長い。しかし、土の上にちょこんと芽が出てきたときの喜びや、日々生長していく姿を見る楽しさは、種植えならでは。先日の日記に、そのプランターに初めて咲いた白い花の画像をアップしたのだが、今ではその花が4~5輪咲いている。なにぶん小さな花なので、華やかさはない。しかし可憐である。こんな小さいベランダで、毎日気をつけて見る人と言えば、私くらい。(他の家族は関心がないらしい)それでも咲いているんだな~と、なんだか感動してしまう。他にも1つつぼみをつけた花があり、どんな花が咲くか、とても楽しみにしている。
2003/12/04
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先日、家族が借りてきたものを一緒に見た。ホントは、見たくなかったというのが本音。というのは、以前TVで放映していたのを、ちらっと見たのだが、あまりの悲惨さに、眼を覆いたくなったからだ。今回もリビングのTVで家族が見ているので、仕方なく見たという具合。ああ、やはり見なければ良かった・・・。ちらっと見ていたときは、妹だけ死んだのだと思っていた。最初のシーンを見ていなかったから・・・。ああいうラストなんですか!?あの都会のビルは何なんですか!?こういう作品を見ると、やはり私は平和ボケしているな・・・と感じる。
2003/12/03
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イラクで日本人2人が犠牲になった。亡くなった井ノ上さんの奥様は、二人目のお子さんを妊娠中とか。なんとも痛ましい。もう15年ほど前、知人の男性と雑談していた時のこと。「どうして男の人は、戦争なんてするんでしょうね。戦争は良くないって、わかっているんでしょう?」と私が言った。すると彼は「君は、愛する人が殺されても、そんなきれいごとを言っていられるのかい?」と切りかえしてきたのだ。私は反論できなかった。もし自分の愛する人が殺されたら、冷静に殺した人間や国を見ることができるだろうか。もちろんそんなことばかり言っていたら、世の中から戦争はなくならないのだろう。どこかで冷静に「政治」を行わないといけないのだろう。しかし、犠牲になった人たちや、遺族の気持ちを無視して、「戦争反対!」を声高に叫ぶことは出来ない。私はまだ、戦争で愛する人を殺されていないから。犠牲になった人たちの無念や、遺族の悲しみを慮りながら、もうこれ以上悲しい思いをする人が出ないようにしていきたい。
2003/12/02
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やっと見ることが出来た「猟奇的な彼女」レンタルビデオ屋に行っても、いつもビデオ・DVD両方ともレンタル中だった。作品を見ると、レンタルビデオ店に置く暇もなく、貸し出されていくという事実に納得する。『なるほど、こういうオチだったのか』今までの伏線を思い出しつつ、すっきりとした心持でビデオデッキのスイッチをオフにできる作品なのだ。良く言えば心優しい、悪く言えば優柔不断な大学生キョヌ。ある日地下鉄で、ベロベロに酔っ払った「彼女」と出会う。行きがかり上、彼女の介抱をする羽目になった彼は、彼女の心の傷を知る。その傷が癒えるまで、キョヌは彼女のそばにいようと決心した。留置所にいれられたり、脱走兵に拉致されたり、「彼女」の通う女子大にラーメン屋の出前の変装をしてもぐりこんだり、いろいろな出来事がキョヌを待ち受けていた。そしてある日、2年後に開けることを約束したタイムカプセルに、それぞれの気持ちをしたためた手紙を入れ、2人は小高い丘に立つ木の根元に埋める。別々の汽車に乗り、別れる2人。そして、2年後・・・。木の根元に座るおじいさんや、カフェで座っているおばさんの映像を見て、ぎょっとした私。「すごく時間が経ってない?この映画って、大河ドラマ仕立てだったっけ?」などと思ったのだが・・・。(笑)ストーリーを「前半戦」「後半戦」「延長戦」に区切ってあったのだが、私はやはり「延長戦」が心に染みた。原作には、この「延長戦」がないらしい。個人的に、「延長戦」があってくれてよかった。「後半戦」で話が終わっていたら、少々物足りないというか、気持ちの整理がつかないままになりそうだ。ヒロインは「猟奇的」という形容をされては、気の毒なほどカワイイ。「ぶっ殺す」という口癖も、キョヌを殴る行為も、見ていてそんなに驚かなかったケド。「猟奇的」というほどではない。もし、ヒロインが男だったら、わざわざ「猟奇的な彼」というだろうか?喜べる状況ではないのだが、男が女に対して、暴言を吐いたり暴力をふるったりする行為は、最近まで「当たり前」とされてきた。そう言う行為がDV(ドメスティック・バイオレンス)として問題視されるようになったのは、ごく最近のことだ。今まで男性がしても「当たり前」だった行為を、ヒロインの女性がしたからといって、「猟奇的な彼女」といってしまっては、彼女が甚だかわいそうなのである。(韓国では、映画の公開以後「猟奇的」の意味が、少々違った肯定的な意味合いで使われるようになったらしい)ジェンダー視点で見れば面白かった場面は、ヒロインが足に合わないハイヒールを、キョヌの履いているスニーカーと交換するシーン。最初キョヌは、ハイヒールを履くのを拒否する(当たり前だよね)「君に新しいスニーカーを買ってあげるから」と言うのだが、彼女は承知しない。彼女の強引さに負け、キョヌはジーンズに白いハイヒール、彼女はツーピースにスニーカーといういでたちで学校内を闊歩する。キョヌは、ハイヒールあまりの履きにくさに、倒れそうになりながら、歩くのだ。これもハイヒールを履いている女性の歩きにくさを、男性であるキョヌが体験してみると言う意味合いで見れば、面白い。暴力的なヒロインと、ハイヒールを履いてよろけながら歩くキョヌ。従来の「男性とはこうあるべき」「女性とはこうあるべき」という固定観念をひっくり返した状況設定。ジェンダーフリーの視点で見ても、楽しめる作品だ。
2003/12/01
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