この号から、○○○○さんの日本ワインに関する連載「○○○○○」が始まると聞いた。我が家でも目下、日本のワインがちょっとしたマイブーム(この言葉、ちょっと古い?)になっているので、今回は日本のワインについて書いてみたいと思う。
このところずっと、自然派ワインと国産ワインがブームになっているのは知っていた。雑誌などで取り上げられる機会も増え、周囲の友人たちがワイナリーを訪問してきたなんていう話も耳にした。しかし、どうも食指が動かないまま、数年が経過してしまった。
自然派に対しては、まるでロシアンルーレットのようにあたりはずれの個体差が大きく、外れたときの(私の嗅覚では)クサイとしかいいようのない独特の香りの問題、(まあこれは「自然派」と呼ばれる生産者すべてでなく、ごく一部の生産者の話なのだが)、そして日本のワインについては、コストパフォーマンスの面で大きなクエスチョンマークがついていたことが、私を遠ざからせていた大きな理由である。
普通国産品を買うシチュエーションというのは、クルマにしても、家電にしても、欧米製品より品質が高いか、あるいは同等の品質のものを安価に購入できるかである。明らかに欧米のものより品質が劣り価格も割高とくれば、国産ワインを飲む理由がないじゃないか―――。そう思い込んでいた。
もっとも、自然派ワインの場合は当誌のテイスティングなどでしばしば飲んで、その印象「トラウマ」になっていたのに対して、国産ワインに関してはほとんど飲んだことがなかった。したがって「食わず嫌い」という側面が大きかったことも否定できない。
転機となったのは、仕事で山梨方面に泊まる機会があり、その際、空き時間を利用して勝沼のワイナリーを訪問してみようと思い立ったことである。以前からネット上で親交のあった「盆略ワイン倶楽部」の盆さんにいろいろとアドバイスをいただき、「中央葡萄酒」さんと「フジッコワイナリー」さん、それに「丸藤葡萄酒」さんを訪れて、それぞれ畑やワイナリーを見学させていただいたり、お話を伺うことができた。これは私にとって、実に大きなインパクトがあった。実際、すぐにこの地を再訪したくなり、1ヶ月後に今度は家族連れで、町営の宿泊施設「ぶどうの丘」に泊まることになったし、私のホームページをごらんいただいているの方はお分かりのとおり、最近家で開けるボトルの2本に1本は日本のワインとなっている。
一体、国産ワインの何が私をここまでひきつけることになったのか。理由を自分なりに考察してみた。
1. 今まで飲んできたワインから目先を変えられる。
前号のコラムでも書いたとおり、我が家の可処分所得は、子供の教育費増と給与所得の目減りにより、急激に減少してしまった。何かしら家計の出費を切り詰めなければならないとなったときに、真っ先に矛先を向けねばならないのはワイン関連の費用である。すなわちワインを飲む頻度を減らすか、ワイン1本の単価を下げるか、ということになるが、頻度を減らすといっても、もともと週に2本程度しか飲んでいないので、それは難しい。そうすると単価を下げるということになるが、これがまた今のご時勢では非常に困難である。というのも、ご承知のとおり、フランスのワインは、ただでさえユーロ高と需給の崩れなどにより、大きく値上がりしているからである。すっかり高くなってしまったブルゴーニュに嫌気がさしていたところに、可処分所得の低下。正直言って、私のワインライフは危機的状況に面していたといっても過言ではなかった。そうしたタイミングで出会ったのが、日本のワインたちである。国産ワイン、たとえば甲州の白であれば、1000円~2000円のレンジに面白いものがいろいろある。ピノノワールやシャルドネに関しては、雑誌のテイスティングなどで、分不相応な高級ワインの味わいに親しんでしまっていることもあって、千円台になると、正直な話、大いに物足りなさを感じてしまう私であるが、飲むワインのカテゴリーをドラスティックに変えれば、それはそれで、ある意味グレードダウンの悲哀を感じずに済む。セラーには過去に購入したブルゴーニュのストックがいくばくかあるので、平日は日本のワインを中心に開け、週末はストックの中から少し上級なブルゴーニュを飲めばいい。
いや、待てよ。そうは言っても、本当に自分が美味しいと思えるもの、飲みたいと思うものでなければ長続きはしないだろう。そういう声が聞こえてきそうである。実際、私の場合、過去にもローヌとか、バローロとか、一時期猛烈に凝ったのに、いつのまにかほとんど飲まなくなってしまった前科がある。しかし、この面でも日本のワインは長続きするに値するアドバンテージがあると思っている。それが次項の和食との相性である。
2. 和食に合わせやすい。
国産ワインの大きなアドバンテージ、それは和食とあわせやすいということに尽きると思う。生産者も後付けでなく、ワイン作りの段階から、和食との相性を真剣に考えて作っている。フジッコワイナリーを訪れたとき、マリアージュの実例として、甲州の白とレモン醤油の刺身、黒豆(!)とマスカットベリーA、照り焼き肉とメルロというマリアージュをためさせていただいた。どれもとてもよくマッチングしており、特に黒豆とベリーAは、意外性のある組み合わせだった。なによりワイナリー自体がそういうことを真剣に考えてくれているのが実に頼もしいと思う。
和食と飲むなら、なにもワインに固執せずに、日本酒を飲めばいいじゃないかという意見もあるだろうし、実際そういわれると、思考停止状態に陥ってしまうが、そこはワイン好きの因果で、人生の限られた時間にアルコールを摂取するのであれば、それはワインで、ということになってしまうのである。
私が好んで飲むのは、甲州種から作られた辛口の白ワインである。甲州のワインはどちらかというプレーンで自己主張が強くないし、香りや味わい、ボディなど、単品でテイスティングすると、物足りなさを感じるが、ふだんの和食、たとえば、焼き魚とか、てんぷらとか、刺身とか、そういうものとあわせると、意外なほど合う。「贔屓の引き倒し」かもしれないが、どことなく日本酒を思わせる吟醸香や、味わいの中のかすかな苦味などが、和食にとてもよくマッチしているように感じるのは私だけだろうか。生産者の方々はもっとブドウの糖度を上げてしっかりしたボディを与えたいと思っているようであるが、あまり酒に強くない私としては、ほどほどのアルコール度は逆に美点だったりもする。
実は、食生活という面でも私のワインライフは、危機に瀕していた。
理由は今話題の「メタボリック症候群」である。赤ワインが好きな私は、平素、ワインを飲む際には、どうしても肉中心の洋食系の食事をリクエストしがちだし、純和食系の晩飯の場合は、食後にチーズをつまみにワインを開けたりしている。そのため、どうしても食事やつまみがコッテリと脂っこいものに偏ってしまい、せっかく赤ワインが健康によいといわれているのに、コレステロール値や中性脂肪値は上昇の一途を辿るという、困ったことになっていた。これではいけない、食生活を改善しなければといけない、まずはワインを何とかしないと、と思っていた矢先に、日本のワインなら和食にすんなり合うじゃないかということに今更ながら気づいたというわけである。
もっともこれが本当に私にとってよかったのかはわからない。日本のワインと出会わずに、単純にワインを飲む機会を減らしていた方が、確実に肝臓にはやさしかっただろうから。(笑)
3. コンディションの心配をしなくてよい。
ブルゴーニュを中心に飲んでいる人なら避けては通れない問題、それがコンディションに関する問題だろう。私もずいぶんこの問題には悩まされてきた。
しかし、日本のワインであれば、全うなショップで購入しさえすれば、少なくとも赤道を越えて長い航海をしてこない分、熱劣化しているリスクは少ないといってよいし、近隣にお住まいの方であれば、ワイナリーに直接買いにいくという究極の購入方法もある。
このコンディションの問題に関しては、国産ワインに大きなアドバンテージがあるのではないかと思う。というのも、競合価格帯である1000円台の輸入ワインは、リーファーコンテナを使っていなかったり、店頭でも高価な銘柄と違って野ざらしにされていたりと、コンディション管理の面では実にお寒い場合が多いからである。そうした差は特に抜栓後の日持ちなどに出てくるのではないかと思う。
4. 生産者との距離感が近い。
日ごろ、ブルゴーニュやボルドー在住の方やマニアの方のワイナリー巡りの記事などを見て、うらやましく思っていた私であるが、仕事の状況や家庭環境などを考えると、なかなか自分もというわけにはいかない。しかし、山梨のワイナリーなら、極端な話、いつでも行くことができる。(ちなみに当方東京在住)
ワイナリーサイドでも、予約はたいてい必要だが、オーナー自ら応対してくれたり、いろいろマニア向けのプランを用意してくれているところもあって、実に興味がつきない。前回私が訪れたフジッコワイナリーと中央葡萄酒も、それぞれワイナリーツアーやセミナーの企画に事前にエントリーしておいたものだ。行く前は、90分のツアーやセミナーなんて、退屈しないかなぁと不安だったのだが、いざ参加してみると、退屈どころか、あっという間だった。
5. 現在進行形で品質が向上しているのを実感できる。
それぞれのワイナリーを訪れて感じたのが、ワイン作りに対する情熱や意欲である。丸藤葡萄酒さんのワイン作りへの意気込みや熱意、中央葡萄酒さんの甲州種の品質改善の努力、フジッコさんの自社ブドウ栽培への意欲など、こうした方々が一生懸命取り組んでいれば、この地域の将来は明るいなと思ったりもする。
私は飲み始めたばかりで、まだ定点観測的な飲み方はしていないが、長年飲んでいる人に言わせると、最近の品質改善は著しいとのこと。おそらくこれから先、そう遠くない将来に、世界水準のワインたちを手にすることができるのではなかろうか。日本のワインシーンは、今まさにそうした発展途上の様子をみずから実感できる、実にダイナミックな時期にあるのではないかと思う。
ただ、よいことばかりではない。
巷にあふれている国産ワインがすべてこのようにレベルアップしつつあるわけではなく、昔ながらの薄っぺらく甘ったるいワインがまだまだ多いのが現状だと思う。
真摯なワインづくりをしているワイナリーを選びだし、その商品を買おうにも、今度は入手がなかなか難しいものもあったりする。まあこれはどの国のワインにも言えることだろうけれども、美味しいワインを選ぶのはやはり努力が必要なのだ。
私なりの飲み方をひとつ。リーデルから発売されている足(ステム)の部分がない「Oシリーズ」というグラスがある。甲州の白を飲むときは、このグラスの「シャルドネタイプ」か「リースリング/ソーヴィニオンブランタイプ」がオススメだ。もともと一部銘柄を除けば、あまり香り豊かとはいえない品種だし、甲州のワインは、元来「コップ酒」として飲まれてきた伝統もある。大きなグラスをブルンブルンとスワリングして飲むのではなく、こうしたカジュアルなグラスで、気軽に飲むのがイイと思う。
日本のワイナリーに望むこと。個人的には、和食との相性をとことん突き詰めてほしい。国産ワインの将来はまさにそこにあると思う。日本の気候や土壌が持っている宿命的なハンデは理解すれば、この地でシャトーラトゥールやロマネコンティを作ってほしいとは思わないだろう。しかし、和食と完璧なマリアージュを見せてくれる、はかなくも繊細なワインというのは出来るように思う。労働集約型ゆえの多少のコスト高はよろこんで受け入れたいと思う。
【過去記事】川島なお美さんの訃報に接し… 2022年04月13日
私のワイン履歴その2(RWGコラム拾遺集) 2021年07月17日
私のワイン履歴その1(RWGコラム拾遺集) 2021年07月16日
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