2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
全26件 (26件中 1-26件目)
1
楽天広場を始めたのは6月27日でした。この辺で少し自分のことに触れてみようと思います。私は元ラガーマンです。高校1年~32歳まで、高校、大学、社会人では2社ラグビー部に所属しておりました。膝と首のケガなどあって、引退後は弓道を始め、三段を持っております。会社員も19年間でピリオドを打ち、2003年に物書きを目指し、独立しました。2003年には、高校生ラガーマンの心の葛藤を描いた「ファイナルマッチ~ノーサイドの時を迎えて」を発刊しました。今は本年9月に立ち上げる「イーブック・アスリート」という、新たなスポーツ文化を創造・支援するスポーツ専門サイトを準備中です。通常リアルな書籍を出版するというのは、限られた人でありかなり狭き門です。ネットが浸透している現在、誰でもが出版でき、考えや熱い思いを発信できる場があって良いと思います。とは言え、いい加減なものを販売するつもりは毛頭ありません。「ワン、フォー、オール、オール、フォー、ワン」の精神にのっとり、私はこのサイトを立ち上げたいと思っております。現段階で詳細はお伝えできませんが、夏の背中が見え始める頃には、第1フェーズが始まります。みんなで熱く、楽しく!最後はみんなハッピーエンド!人生は自分で創るものなんだ!こんな気持ちです。「俺ラグビーは二本目、だけど人生は一本目になります!!!」さて、こちらの「大元よしきの小説サイト人生にYESと言おう!」は主に小説やそれに関連する記事用に開設したものです。生の声、生の感情を書き綴ったものはこちらです。ノーサイド「大元よしき」二本目ラガーマンの挑戦! これには泣きあり、笑いあり、悔しさあり、感謝ありの心のままに自己を表現しております。どうぞこちらにもお立寄り下さいませ。特に元気が欲しい方や、生きるのに自信が無い方などをお待ちしております。さらに大元よしきオフィシャルサイトもどうぞよろしくお願い申し上げます。なお、ラグビーに関連する活動としては、元ジャパン、神戸製鋼キャプテンの林敏之さんの「ラグビー寺子屋」を行なっています。毎回活動記録も更新しておりますので、こちらにもぜひお立寄り下さいませ。ラグビー寺子屋応援サイトはこちらです。振り返れば、人生にはいろいろあった。しかし、前向きに生きる心あれば、必ず道は開けるものと確信しています。はい、今日は自己紹介的な内容になりましたが、こちらに開設してはや一月が経ちました。みなさまどうぞよろしくお願い申し上げます。
2005年07月28日
みなさま、ありがとうございました。五夜連続、第六話までお付き合いくださり深く感謝しております。この物語はあるクライアント様のご依頼により、昨年の7月、まだ梅雨が明けきらない頃、取材に伺い書かせていただいたものなのです。梅雨の晴れ間の、とても暑い火曜日でした。そんな訳で「夏色Tuesday」なのです。とても惹かれる介護士さんでした。特に「私は人が大好きなんです!」と言ったシーンなんかは忘れられません。また、先輩とバレーボールのことや、お母さんの膝に泣いた夜のことも心を打ちました。「いつか長編を書きたいです」と私はその方に伝えましたが、まだまだそのチャンスは訪れておりません。長編では、エピソードの深いところまで書き込むことができるので、あの職業のもつ深さ、重さ、大切さを描いてみたいです。いつかチャンスがありますように…―大元よしき―
2005年07月27日
ショートストーリー「夏色Tuesday」です。第五夜 完結編のはじまりです。 ~完結編 ~ 四月に入り新設のデイサービスセンターが開設された。それに伴い宮内、今井の2人が移動になり、松嶋は結婚退職した。いっしょにバレーボールをやっていた、頼れる先輩達がこの春からここからいなくなってしまった。(心細い…どうしよう)雅美の正直な気持ちだ。雅美は3年目、まだ若手である。もちろん上司、先輩はまだ残っている。この春移動で仲原在宅センターに来た者、新人もあわせれば、以前と人数は変わらない。しかし、信頼で結びついているほど、確かなものは無い。宮内、今井、松嶋と雅美の関係は強かっただけに、今回のことは、雅美に大きく圧し掛かってきた。頼れる人間のいなくなった不安は、雅美から全ての余裕を失わせてしまった。上司からも、今までは若手として扱われていたが、この4月からは一人前として扱われるようになった。そのうえ後輩の面倒までもが、雅美の役割となった。先日のこと、「子供じゃない!バカにするな!」と利用者から大声で怒鳴られてしまった。レクでの最中のことである、この利用者は最近通い始めたばかりのようだ。すぐに対応しなければ、他の利用者にも悪影響が出てしまう。しかし、体がすぐに動かなかった。雅美はどうしてよいのかわからなかった。宮内だったら、今井は、松嶋なら?とそればかり考えてしまう。食事介助の時も「手を出さないで、私は子供じゃないよ。急かされているみたいで、いやだよ」とまるであっちへ行けとでも言う様な口調で、叱られてしまった。一通りなことはできるつもりになっていた。しかし自分が思っていただけで、振り返れば新人の頃とあまり変わっていない、そう感じてしまう雅美だった。頼るものがなくなったとき心の弱さが出る。雅美はいまそれにぶつかっていた。後輩からの質問に対しても、答えようが無い。どれもこれも今までが、宮内頼りだった。雅美はセンター内で孤立した。人が変われば、全体の流れも変わるもの。正直雅美は、馴染めなくなったと感じ出した。仕事に追われ、プレッシャーに押しつぶされそうになっている。そのうえ利用者の気持ちがわからない。何を望んでいるのか、そしてどう応えてあげられるのか。周りが見えなくなってきた。そんな頃である、幸恵おばあちゃんが戻ってきた。やはり転倒でのケガのため、入院、治療、リハビリに通っていたようだ。雅美は嬉しくて、つい「おばあちゃん」と声を掛けた。振り返った幸恵は「どうも、はじめまして」と丁寧に雅美にお辞儀をしたのである。しっかりと雅美を見ながらも「はじめまして」と言った幸恵に、祖母綾乃の面影を見た。(ああ、幸恵おばあちゃんも…)雅美は声を失った。「お母さん、私、センターに話し相手がいないの。相談できる人もいなくなった。それにね、利用者さんたちの気持ちがわからなくて、叱られてばかり、せっかくセンターに来てくれたのに、怒らせてしまうなんて…どうしていいのか、もうわからない。辛くて、悲しい。私続きそうも無い」そこには雅美の明るさは無かった。雅美が母美子にこんな姿を見せたのは、これが初めてだ。美子もこんな雅美の姿に驚いた。しかしいつかぶつかる壁だとは、思っていたようだ。「いいんだよ、辛ければ泣きなさい。ほらっおいで、思う存分泣けばいい」その瞬間、今まで溜まりに溜まっていたものが、堰を切ったように涙となって、ほとばしった。美子の膝に顔を埋め、大声で泣いた。それは子供の頃美子の胸で泣いた、あの時と変わらぬ安心感だった。その夜、雅美はいつまでも泣いていた。翌朝雅美が玄関を出ると、向かいの健介が待っていた。腫れぼったい顔を見られたくは無かったが、何事も無いかのように挨拶を交わした。「あら、どうしたの、健ちゃん」「おお、ちょっと雅美に用事があってさ、俺センターまで送ってやるよ」と言って、スーツ姿で雅美の自転車にまたがった。そして雅美には「乗れよ」と言って、荷台を指している。「えっ、いいよ、私ひとりで行けるもん。それに荷台じゃ痛いし…」「何言ってるんだよ、時間だろ、遅れるぞ」健介だって今年から社会人、朝は忙しいはず。しかし今日の健介は、雅美の言うことを聞いてくれそうもなかった。(昨日泣いていたの聞えちゃったのかな、しょうがない、送ってもらおう)と思ったのも束の間、荷台の痛さと戦うはめになった雅美であった。「それじゃ、俺はここで。元気出せよ、向日葵娘」(やっぱりそうだ、健ちゃんありがとう。おしり痛かったけど嬉しかったよ)「健ちゃんもがんばってね」(でもね、本当はもうだいじょうぶなんだ。泣くだけ泣いたら、スッキリしちゃった、何でも来いって感じよ)「さぁ今日もがんばるぞ!」健介の背中を見送った後、雅美はセンターの門をくぐった。今日は幸恵が来る日である。やはり待ち遠しい。(私はやっぱり人が好きよ。大好きよ。私は利用者さんのためにいる。利用者さんの笑顔のためにがんばる。それが私よ)昨日までの雅美ではなかった。母美子の胸で泣き、素のままの雅美に帰っていた。昼食の後のことだった。幸恵が、「あなたは笑顔が優しいね、私はこちらに来る日が楽しみ、いつもありがとう」と雅美に言ったのである。そう新人だったあの日のように、幸恵は優しかった。「いつもご苦労さん、あなたは夏の向日葵のようだ、肩でも叩いてあげようか」と声を掛けてくれた利用者のほうにも振り向いた。そして、「肩なんてとんでもない!私なんか、まだまだです」と雅美も新人のように応えていた。『私がいる。私はいま、ここにいるだけで幸せ。それだけでいい。そう感じられる心をいつまでも持ち続けたい。私は私であり続ける。みなさん、ありがとう、ありがとう』天使の梯子から始まった物語は、今も夏色のまま輝き続けている。夏色Tuesday~完結編 ~―完―
2005年07月26日
ショートストーリー「夏色Tuesday」です。第五夜のはじまりです。その1~命輝くとき~ここのところ幸恵の姿がない。家で転倒し入院したとの知らせを受けて以来、数ヶ月になる。寝たきりになったりしなければと願う雅美の心も、日々の仕事に終われ、いつしか幸恵のことを忘れていた。雅美も少し慣れてきた、宮内はじめ、先輩職員の仕事の流れにも、ようやく乗れるようになってきた。ひとつひとつを見てみれば、ぎこちなさのある動きではあった。しかし何事にも丁寧を心がける雅美の姿は、知らぬ間に利用者の間で人気者になっていた。その日の午後からのクラブ活動は、手芸、書道、川柳である。その中でも、男性利用者に人気が高いのは川柳クラブである。昼食が済んで、クラブ活動が始まれば、ほんの一瞬だけ、ほっとできる時間がある。そんな時だった。「先生!こっちを向いておくれよ」と声を掛けられた。(えっ、先生って私のこと?)びっくりして雅美は振り向いてみた。その利用者、何かを隠し持っているようだ、そのうえ悪戯っぽく笑ってもいた。「あれ、何をたくらんでいるんですか?何か持っているでしょ、見せて」と雅美も悪戯っぽさに応えていた。その利用者、少し照れた様子で持っていた紙を見せた。そこには「ヘルパーの こころやさしき えがおかな」と書かれてあった。雅美は「あはっ、嬉しい!」と目を細め応えていた。「まさみさん、と書いてしまうと少し恥ずかしくてね」と利用者のほうも、かなり照れている様子。(私のことを書いて下さったんだ!嬉しい)という思いが感謝に変わった。さっそくそれをいただいた。開けばいつでも目にとまるようにと、仕事用のバインダーにその句は仕舞われた。「みんな見て!見て!」と言っているように。別の部屋では、回想法が行われていた。雅美は部屋の外からそっと覗きこんだ。そこは、昭和初期のアニメや子供のころの生活など、利用者たちが幼い頃に見たようなビデオが流れていた。普段表情の乏しい方たちも「あったね、あった、こんなこと」と目を輝かせ、「また、学校に行きたいね」「みんなに会いたいね」と懐かしい目を映像に向けていた。部屋の中では、宮内が利用者に接していた。熱心に話しかけ、そして聞き役に回る。根気よく会話を引き出し、それぞれの思い出に共感する姿があった。もちろん宮内とだけではない、その部屋の中は、思い出を懐かしむ「会話」が生まれた。そこには、気持ちの通い合い。人としての大事な心の共有がなされていた。空気が澄んで来た、風が心地良い。空は青く、どこまでも高かった。すっかり秋らしくなった頃、職員と利用者の家族との日帰り旅行の日がやってきた。このセンターでは毎年恒例の行事なのである。この行事は、職員と利用者の家族との大事なコミュニケーションの場なのである。家族の中には高齢者もいるため、あまり遠くに行くことはないが、職員にとっては緊張の1日である。雅美も今回は引率スタッフに選ばれ、朝から宮内の下で走り回っていた。何をどうすればよいのなら、何でも初めてのことは大変だ。周囲の迷惑にならないように、動き回っている。その日はなんと言っても、利用者の家族のケアが重要なのである。その気遣いに雅美は目が回ってフラフラであった。1日いっしょにいれば、自然どのような家庭なのか、伝わってくる。雅美にとっては全てが勉強だった。それをセンターにおけるサービスに心がけるのである。遠く富士山の見える休憩所でのこと、宮内がひとりの女性の話しに聞き入っていた。邪魔しないようにと、雅美はそっと近づいた。「皆様から見れば、ご迷惑ばかりお掛けして、こんな人来なければいいのに、なんて思われるかもしれません。人によっては死んでしまえば、なんて思われるかもしれない。けれど、私にとっては大事な人なのです… 皆様にはただ感謝するばかりです…」と言って何度も宮内に頭を下げていた。その女性は、痴呆を持つご主人、息子夫婦といっしょに暮らしていた。言葉は少なかった、しかし、そこには長年連れ添い、時をかさねた重みが感じられた。後ろで聞いていた雅美の頬には、言葉にはできない思いが伝わり落ちた。二人は雅美に気が付き振り向いた。そして、「まあ、まあ、聞いていらしたのね。今日はありがとう。お若いのに、いろいろ大変でしたね、ありがとう、ありがとう」と何度も「ありがとう」を繰り返す言葉が、雅美の胸に優しかった。「いえ、私なんか、まだまだです」涙を拭きながら、精一杯の言葉が出た。ススキが風に流れ、銀色に輝いている。富士は静かに3人を見守っていた。遥かな時の流れの中に、命が輝きを放つ。いつの時代も人はこの営みを繰り返してきた。今日も明日も、そしていつまでも。命は輝き続ける。夏色Tuesday ~命輝くとき~―完―
2005年07月26日
ショートストーリー「夏色Tuesday」です。第四夜のはじまりです。~始動~ (私の顔引きつっていないかしら…)雅美がここ仲原在宅センターに勤務して3ヶ月が過ぎようとしている。短大を卒業して、今年の春「ピカピカの新人」となった。体力には自信があったが、脆くも1ヶ月のうちにそれも崩れてしまった。利用者の名前を憶えなければいけない、もちろん仕事に関しても、覚えなければならないことが、どれほどあるのかさえわからない。あれもこれも、目まぐるしい毎日に「向いていないかも…」とさえ思えるようになっていた。もともと明るい性格の雅美ではあったが、誰とでもすぐに打ち解けられる性格ではないため、利用者をはじめ、周囲に溶け込めずに、人知れず疲れ果てていた。いつか祖母綾乃の面会のときに会った、香川美砂の笑顔が強く印象に残っている。(私もそうありたい)という思いが、よけいに美砂を苦しめていた。いつも「笑顔」でいることに正直、自分の中のウソを感じてしまうのだった。「あなたは笑顔が優しいね、私はこちらに来る日が楽しみ、いつもありがとう」この春からセンターに通うようになった、幸恵おばあちゃんの言葉に、雅美はぐっと詰まった。それを聞いていた周りの利用者からも、「うん、うん、そうだね、いい笑顔だね」なんて言葉を掛けられてしまった。(ウソよウソ、ありがとうなんて言わないで、いい笑顔だね、なんて言わないで、利用者さんに対しては、無理して笑っているだけなんだから)笑顔を返す胸のうちで呟く雅美であった。雅美は家からセンターまで自転車で通っている。歩いても15分ほどの距離にあった。したがって近所の方がこのセンターを利用していることも多く、雅美の顔見知りの方たちも数人いたのである。幸恵おばあちゃんもその1人であった。特別な接点があったわけではないが、家が近所だったため、子供の頃からよく見かけていたのであった。そんな幸恵に(ごめんね、おばあちゃん、こんな気持ちで…)と申し訳ないような思いがするのだった。良い関係を作らなければならないのは、利用者とだけではない。人間関係といえば同僚や先輩、上司との関係が一番新人にとってはやっかいなはず。雅美にとってもそれは例外ではなかった。職場で新人は雅美ひとり、仕事の流れや、横の繋がりにも入りきれずに、独り孤立しているような状況だった。また、わからないことを質問しても、素っ気無い返事しか返ってこないのが普通だった。(私だけのけ者にされているような…いい感じがしない)雅美はそんな思いの中で毎日を過していた。(もう限界、やっぱり向いていないかも)の思いが強くなってきた頃のこと。「もう利用者さんのお名前と顔は憶えられた、大丈夫?んー仕事はボチボチね」と7歳年上の先輩介護士、宮内に声を掛けられた。あまり声を掛けられたことがない雅美は、ビックリして声が詰まってしまった。「は、はい、お名前はすっかり憶えましたけれど、私まだ、仕事はボチボチできません!」「アッハハ、仕事はボチボチ覚えたらいいよって意味で言ったのよ。わかった?」と頭をごしごし撫でられてしまった。宮内は背が高く声も大きい。雅美はまるで叱られているように縮こまってしまった。「はい、仕事覚えられるようにがんばります」と雅美は応えた。「ヨーシ、仕事がんばれるか。それなら今度、仕事のあとにバレーボールやろう、仲原中学の体育館を借りてやっているんだよ、よろしく!」雅美が中学、高校とバレーボールをやっていたことは、自己紹介の時に話していた。(いやだな、でも断る理由が見つからない、どうしよう)と雅美は思った。宮内は雅美がやることに決まっているような口調になっている。ひとり嬉しそうに頷きながら雅美を見ていた。そんな宮内に雅美は「はい」と応えてしまったのである。(こんなに毎日疲れて帰ってくるのに、なんでバレーボールしなきゃいけないのよ、どうしてよ、あーあ、どうして私断れなかったんだろ、それにあの宮内さんだし、怖そう…)という心配もその前日までのことだった。久しぶりに体育館に立った雅美の心は躍り、本来の笑顔が戻ってきた。仲原在宅センターからは宮内、今井、松嶋の3名がチームのメンバーにいた。そのほかのメンバーは近所のママさんたちである。疲れ果てているはずの雅美の体は軽かった。心はもっと軽かった。「あー気持ちいい!こんなに気持ちいいの久しぶりです!」と雅美は宮内に声を掛けた。その声はとても弾んでいた。「そうでしょ、来てよかったでしょ。いい笑顔に戻ったね。本当はなんでこんなに疲れているのに、誘うのよ、なんて思っていたくせに」とからかわれてしまった。宮内には雅美の心が読めていた。それは宮内にも新人時代があり、苦労した経験がたくさんあるからだ。だから、雅美のこの3ヶ月間を、宮内は見ていたのであった。努めて笑顔で利用者に接しようとしていたこと、先輩介護士への質問、素っ気無い答えにも辛抱して仕事を覚えようとしていたことなどを。「雅美と呼ぶわね、いいよね。雅美は職場の人間関係って辛いな、みんな自分に厳しいなって思っていなかった?実はね私は新人時代そう思っていた。でも今少しだけわかってきたの、それはね、みんなも辛いってことよ。人数は限られている、でもサービスの質を落とすことはできないの。その上利用者さんには笑顔で接したい。何よりも楽しんでもらいたい、来てよかったと思ってもらいたい。みんな、そう思ってがんばっている。人数や時間には限りがある、だからテキパキとこなさなくてはならない。でもそう思っていても全部は完璧にできないのよ。だから一番後回しは雅美のことだったの。誰も悪気なんかなかった、心の中ではがんばれって言っていたと思う。わかってくれる?」雅美は正直驚いた。宮内の言葉が温かかった。自分の視野の狭さ、考えの浅はかさが情けなかったと思うと、大粒の涙が頬を流れ落ちた。身じろぎできないでいる雅美の側で、今井、松嶋の目も優しかった。その夜のこと、雅美は久しぶりにゆっくり休むことができた。「まず利用者さんのことをよく知ること、そして、仕事の流れを理解すること、そしてもっとも大事なことは、この仕事を好きになること。技術的なことは経験を積む以外解決の方法は無い。大事なのはね、丁寧を心がけること、そのうちに上手になるし、早くもなる」宮内の言った一言一言は、雅美の胸に大きく響いていた。深かく温かく、心の底に沁みこんでいくようだった。夏色Tuesday ~始動~―完―
2005年07月25日
ショートストーリー「夏色Tuesday」です。第三夜のはじまりです。~向日葵~ 母、美子に後押しされて雅美の心は決まった。あの日以来、暑さにも音を上げず、図書館通いも休館日以外続いていた。中学の頃から続けていたバレーボールは、この夏休みとともにクラブを引退した。体を動かすことが好きな雅美は、もっぱら早朝のランニングか水泳を楽しんでいる。今日も区民センタープールからの帰り道、雅美は行きつけの美容院の花壇で、巨大に咲き誇る向日葵の前に立ち止まった。ここを通るたびに、いつも眺めるのである。ほとんどのものが雅美よりも背が高い。この向日葵たちが天に伸びる時、雅美は夏が来たことを感じるのである。雅美にとってこの花壇の向日葵は「夏」の象徴なのであった。夕食までには、まだまだ時間がある。公園まで散歩しようと表に出た。自分なりに将来に対する思いが固まってきたこともあって、雅美の心は軽かった。この街の景観は整ってはいる、しかし坂道がみな急勾配なため、この季節には少し厳しい。(『ちょっと散歩』にしては、暑いかな)雅美は汗を拭いながら、坂の上を眺めた。そこには、青い空にわたアメのような雲が浮かんでいた。いくつかの坂道を上り下りしながら、二十分ほど歩いた雅美は、池のある公園に着いた。雅美はまず八幡様へのお参りをすませると、池のほとりのベンチに腰を掛けた。休日ならボートで遊ぶ親子連れの姿もあるが、今日は誰もいないようだ。雅美はのんびりカメや鯉、水鳥たちと仲間になれたような気がしていた。木々や風ともすっかり同化し、しばらくの間、雅美は開店休業状態となった。犬の散歩、ジョギングやウォーキング、ベビーカーの母子、思い思いの時間を過している人たちが、雅美のベンチの傍を通った。時折挨拶を交わす声もあった。その時だった、突然「おねえちゃんにあげる」と言って、おばあちゃんに手を引かれた男の子がアメをさし出した。素敵な笑顔に、雅美もニッコリ「うれしい、ありがとう。おねえちゃんも持っているんだ、交換しようか」とウエストポーチからアメをひとつ取り出した。ピンク色の包み紙の上から、雅美はとびっきりの笑顔の魔法で、もう一度包み込んだ。その子はアメを大事そうに「おねえちゃん、ありがとう」と言って、おばあちゃんへ見せていた。そんな二人に「まぁまぁ」と目を細めている、おばあちゃんの笑顔も素敵だった。手を振り「バイバイ」と言う男の子の背中が遠くなった。雅美はふと健介がそこにいることに気が付いた。健介はTシャツに短パン姿、公園のグラウンドでも走っていたのだろうか、汗が滴り落ちていた。「可愛い子だね、知り合いなの」「ううん、ぜんぜん、いま初めて会ったの。アメあげるって言われて、嬉しかった」「ふーん、雅美はアメで嬉しいんだ。俺もあとであげようか」と健介。「バッカね、アメが嬉しいんじゃないの、小さな子に声を掛けられたことが嬉しいの」この二人に挨拶らしいものは無かった。会った瞬間に会話が流れる間柄とでも言うのだろうか。雅美と健介の家はすぐ向かいにあり、物心ついた頃からの幼友達だった。入園、入学、卒業の時の写真を見ると、中学までは、いつも隣にいる写真が残っていた。祖父の代からのつきあいだ。雅美の家は、祖父徳蔵、祖母菊枝、父巧、母美子。上の兄美和、下の兄友美、雅美、弟成美という構成である。なぜ子供達全員に「美」がついているかというと、巧は無骨な顔に似合わず、美子への愛情を隠さない人だった。子供たちの名前は、巧から美子へのストレートな愛情表現なのであった。都会の中の大家族、それに加え、雅美は男3人の兄弟の中にあって、日々たくましく育てられていた。「健ちゃんは進路決めたの」「俺は特に希望は無いよ。だけどこのまま大学でもラグビーがしたいな」「健ちゃんはいつもスポーツで決めるのね、そうゆうのって羨ましいな。だけど将来何になろうかなとか、夢みたいの無いの」「別に今は無い。まずラグビーができればいいかな。それ以外は、その時になってから考えるよ、いい加減だな、俺って」「いい加減ね、でもいま始まったことでもないか」「自分はどうなの、雅美は考えたのか」「私ね、介護の道に進もうかなと思っているの。私にもできると信じて」「えっ、介護、どうして」「夏休みの前にね、お母さんの方のおばあちゃんに会いに行ったの、だけど私のことはもうわからなかった。でもお世話をしてくれる介護士さんのことはよくわかるし、安心して接しているのよ。そんなおばあちゃんと介護士さんを見ていたら、考えちゃってさ…」「おばあちゃん、もしかして…」「うん、そう。はじめのうちはおじいちゃんが介護をしていたの、でもおじいちゃんは過労でダウン。それでおばあちゃんは施設に入ったの」「そうか、雅美は介護士の人と会って影響を受けた、というわけだ」「そうね、良い影響をね。理屈抜きに生きていることの大事さを感じたの、私は人が大好き。だから人相手の仕事をしたいと思っている。みんな、みんなこの夏のように、キラキラ輝いている。素敵じゃない」(夏よりも雅美のほうがキラキラしているよ)と眩しそうに雅美を見つめる健介だった。小さい頃からいっしょにいた雅美が、ひとりだけ大人になってしまったように感じられた瞬間だった。帰り道、美容院の花壇の前を通った時、健介はふと立ち止まった。視線は向日葵から離れない。(変ね、健ちゃんたら、お花好きだったかな)雅美は健介のうしろ姿を見つめていた。「雅美みたい。ん、どっちだ、雅美、ヒマワリみたい」と後ろを振り向いた。「えっ、何よ、よく聞えない」と言いながらも、雅美にはよく聞えていた(ヒマワリですって、健ちゃん、その意味知っているの?)「あのさ、雅美ってヒマワリみたいだなぁと思って」少し照れた様子の健介。「えっ、もう1回言ってよ、よく聞えないの」と聞き返す雅美だった。―あこがれ、輝き、あなたは素敵です。―二人にとって18回目の夏のこと、健介の想いは、向日葵たちが伝えてくれたようだ。夏色Tuesday ~向日葵~ ―完―
2005年07月24日
ショートストーリー「夏色Tuesday」です。第二夜のはじまりです。~運河の風~香川美砂のことがとても気になっていた。そう、あの日以来のこと。雅美が祖母綾乃の姿を思い出すとき、必ず美砂の姿も傍らにあった。(なぜなの、おばあちゃんをとられてしまったみたい)雅美はそう思った。8月に入り、すべては夏一色に変わった。アスファルトの照り返し、吹く風は、熱そのものといった感じだ。都会の風は全身にまとわりついて、とても逃げ場が無い。(違う、子供の頃に感じた夏色と)雅美は図書館を出て国道沿いをしばらく歩いた、流れ落ちる汗を拭いながら、空を恨めしそうに見上げるのだった。あの日以来雅美はどことなく落ち着きが無い。地に足がついていないという感じだ。(今年で最後か、夏休み……進路どうしよう)雅美は夏休み前、祖父誠一に「私もなにか人の役にたつことがしたいな」と言った。あの時の気持ちは本当だ。しかし、雅美にとって「自分の将来」のことはもっと先のこと、と思っていた。あの晩祖父の家に戻ってから「雅美ちゃんは、宝物なんだ。でも宝物だって磨かなければ光ることは無い。だから、いっぱい人のために働いて、自分を磨きなさい。大事なその命を輝かせなさい」と言った誠一の眼差しは、優しさの奥に、厳しさを秘めたものだった。雅美はその瞳に頷いていた。とぼとぼと一人国道をいく雅美。遠くにビル群が見えてきた。周りには街路樹が少しある程度で、自然とは無縁のような景色の中、セミの鳴き声だけが妙に耳についた。雅美はこの暑さとセミの声から、逃げ出したいような衝動に駆られた。信号待ちをしている雅美の前を、黒煙だけを残しトラックが数台走り去った。(いや!もう最悪、私の顔、真っ黒になっちゃう)雅美は歩きながら、待ち合わせ場所を間違ったかなと後悔した。家から遠すぎたこと、途中図書館に寄ったこと、暑いこと、セミの声がうるさいこと、排気ガス、どれもこれもみんな嫌になりかけていた。またしても空を恨めしげに見上げる雅美だった。ここまで来ると車の騒音も少なくなった。目の前には運河があって、それに沿ってボードウォークが伸びている。(たまに来るといいのよね、ここ。でも今日は暑かった。失敗)と一足早く着いた雅美。「ママ、ママ、こっち、こっち」の声に気がつくと、幼い娘と母親がボードウォークの上で遊んでいた。子供はボードウォークを行ったり来たり、母親の手を煩わせて喜んでいる様子。高層ビルと運河の間、ボードウォークから少しあがったところに、白いパラソルとテーブルセットが置かれていた。雅美はロケーションがお洒落ねと思いつつ、口から出た言葉は「暑いのに、子供は元気ね」だった。(お母さんみたいなこと言っちゃった)と思っていたところへ、母、美子が現れた。「雅美ったら、暑いのに何で外で待ち合わせにしたの」「ごめん、暑いこと計算にいれていなかった。パラソルの下に入って」と溶けそうな顔の雅美。「お母さんと話がしたかったの、たまには娘と外で会うなんて、いいものでしょ」「本当の外でなくてもいいでしょうに。あらっ!可愛らしい子ねぇ、雅美もあんな頃があったのよ、懐かしいね。」美子の目は、その母子の姿に、雅美と自分、遠く綾乃と自分を重ねていた。「あの頃っていっしょにいるだけで幸せなのよね、ずっと子供のままでいられたらいいのに…そしたら、お父さんもお母さんも、わたしもそのままよね」(お母さん、もう一度あの頃に帰りたいね…)と美子も心のうちで呟いていた。雅美の言葉には「そうね」と寂しげに頷く美子だった。「お母さん、私ね、おじいちゃんに『私もなにか人の役にたつことがしたいな』と言ったの、介護士の香川さんという方に会ってから、そう思ったのよ」「おじいちゃんも言っていたけど、とても良い方のようね」「そう、てきぱきしているし、細やかで優しくて存在感があった」「雅美もそういう人になりたくなったの」「うん、でも少し自信が無いの、だってお母さんのことも見ていたから…」美子はヘルパーとしての経験を持っている。家業である塗装業、家庭のことも重なり、体を壊し、職を離れたことがある。雅美はそのことを言っていた。「無理かなと思ってはいたけれど、あの頃は、私もね、なにか人の役に立ちたいなと思っていたのよ」雅美には美子の心情がよくわかっていた。もともと世話好きな性格に加えて、遠く離れた両親を思う気持ちが、美子を動かしていたことを。「高校生最後の夏休みだから、これからのこと、きちんと考えようかなと思っているの、おばあちゃんのところに行った時、おじいちゃんに、自分を磨きなさいと言われたし」「あっはは…少し迷っている、自信も無い。だけど、自分の中では決まっているみたいね」「ううん、そんな…決まってはいないよ」あとはポンと肩を押してやること、それだけだと美子にはわかった。「人はね、儲かるとか、楽しいとか、好きだからやっているだけでは、満足できなくなるときがくるものよ。自分がやっているその仕事に意味を探したり、崇高な何かを求めたりしたくなるものよ。もしかすると人間の永遠のテーマなのかもしれないね、何のために生きているのかってことに繋がるから、」「うん、わかるような気がする」「あなたもそんなこと考えながら、自分と向き合いなさい。おじいちゃんが言った、磨くということは、命のふれあいの中からしかできないことよ」雅美が岐路に立つ時、美子の言葉はいつも重かった。「おかあさんは何のための生きているの」「答えを私に聞こうとしてはダメよ、みんな答えは違うんだから。大事なことは、何のために生きているのか、その意味を自分で創り出すことなのよ」夕暮れが近づいてきた。運河を走る風が心地良い。雅美はセミの声を、自然に受け入れている自分に気が付いた。地上における短い命、懸命に鳴くその尊さに、美しささえも感じていた。夏色Tuesday ~運河の風~―完―
2005年07月23日
ショートストーリー「夏色Tuesday」です。第一夜のはじまりです。~未来への扉~梅雨明けを予感させるような雨。その勢いは、まるで真夏の夕立のようだった。バス停で雨宿りしている間も、誠一と雅美はあまり会話らしいものは無かった。時折雅美は「おじいちゃん」と声を掛けたが、叩きつけるような雨の音にかき消された。何か言いかけようとする雅美に、誠一の視線はそれを制した。しかし祖父の思いは、雅美にはよく伝わっていた。祖父の眼差しが『気にしなくていいんだよ』と言っているようで、とても優しく感じたからだ。祖父のことを想って言葉を捜す雅美だが、想いが強いばかりで、慰める言葉が見つからない。二人だけの時間が、とても重く感じられる雅美だった。どれほどの時間が経ったのだろう、雨はあがり、空を覆っていた雲から、幾筋もの日差しが光の帯となって地上に伸びていた。「雅美ちゃん、そろそろ行こうか」と言って誠一は空を見上げ、独り言のように呟いた。「うん、おばあちゃん、きっと寂しがっているから、早く行こう」子供の頃、祖父たちが暮らす、母の実家にはよく遊びに行った。子供の頃の雅美は誠一によくなつき、『雅美はおじいちゃん子』とよく言われていた。(それが、どうしてだろう…)雅美は不思議だった。久しぶりに会った誠一とは、何かかみ合わないものがあって、普通に会話ができなかったのである。「おばあちゃん、元気かな、介護の人や、お友達と仲良くできているといいね」と雅美は祖父の顔を覗き込んだ。「そうだね、でも今日は雅美ちゃんが来てくれたから、きっと喜ぶと思うよ」と言った誠一の表情に少し陰りがあった。それを見て取った雅美は、話題を変えた。ことさら明るく「おじいちゃん、あの雲間から差し込む光の帯、なーんて言うか知ってる?」「ああ、とても綺麗だ、自然の造形の美しさだね。なんだか神様が降りてくるような。でも……名前は残念ながら、知らないな」「おじいちゃん、近い。私ね何かの本で読んだんだけど、あれはね、『天使の梯子』って言うんだって。天使がね、天と地上を行きかうための階段なんだって。私はこの瞬間が大好き、でも、天使よりも、もっと神々しくて、荘厳な感じがする。だからもっと違う言い方があれば良いのにね」目の前の光景とこれから行く初めての世界に、雅美は天使という軽さを持った響きに、違和感を覚えたようだ。「ほう、天使の梯子って言うのか、この光は」予想以上に明るい祖父の反応に、雅美は嬉しかった。一瞬立ち止まり、誠一の目は遠くを見詰めた。そして「おばあちゃんのところにも、天使は降りて来てくれるのかな」と、誰に語るともなく、ひとりつぶやいた。目の前に広がる幾筋もの光は、雅美に悠久の天地自然を感じさせたのと同時に、人の営みの儚さをも感じさせるものだった。(おじちゃんの背中小さくなったね…)雅美は心の中でつぶやいた。木々は青さを取り戻し、葉を伝い落ちる滴も、命あるもののように輝いていた。緑の向こうに祖母のいるホームが見えてきた。祖父を注意深く見ていた雅美だが、その姿に心の動きを見ることはできなかった。雅美の記憶には、祖母の綾乃はいつも筆を持ち、子供達に書道の手本を書いている姿があった。あるときは厳しく、あるときは慈愛に満ちた眼差しを子供たちに向けていた。そんな祖母をいつも遠くから見詰めている、祖父の姿もあった。雅美はこの夏で18歳になる。自分の未来をどう描くのか、なんでもこれからという年頃である、そんな今の自分と比べる時、子供の頃の記憶が、とても寂しいものに感じられた。二人は面会の手続きをとって中に入った。祖母の綾乃の姿はすぐに見つかった。一心不乱にテーブルに筆を這わせている。その目は真剣そのものだった。(なんだ以前と何も変わっていない…)と雅美は内心ホッとした。介護士の香川美砂が気付き、綾乃に誠一が来たことを告げたようだ。一瞬『邪魔しないで』と言わんばかりな眼差しになったが、誠一と目が合ったとたんに、その目は安心したものに変わった。「おばあちゃん、雅美です。こんにちは」先ほどホッとしたと思ったことが、誤りだったと気付かされた。誠一の傍であいさつをした雅美は、その存在すら無視されてしまった。誠一は改めて雅美が来たことを告げたが、「まさみさんですか…」と言ったきり、黙ってしまった。初めて会う人に、緊張しているような様子である。誠一にはすがるような眼差しさえ向けていた。母の美子からは祖母の様子は聞いていた。なかなか想像がつかなかったが、現実を目の当たりにしてみると、底なしの寂しさを憶えた雅美だった。子供の頃、その胸に抱かれたことや、膝の上で遊んだことも、一筋の涙とともに溢れてきた。こみ上げるものを抑えた雅美は、誰にも気付かれないようにそっと指で拭った。(もう戻ることはできないの?おばあちゃん、私よ雅美よ、おばあちゃん、おばあちゃん)雅美の思いは、声にはなっていない。でも雅美は叫び続けた。誠一は横に座り、綾乃の筆を飽きもせず見入っていた。綾乃も誠一が傍にいると、とても穏やかな表情でテーブルに向かっていた。ふたりは時折視線を合わせ、微笑んでいた。綾乃は時間とともに雅美に慣れたが、最後まで自分から話しかけることは無かった。雅美はふと、ここへ来る途中の光景を思い出した。「天使の梯子」をである。あの時、天使は地上に舞い降りていたのだ、雅美にはそう確信できた。綾乃は汚れの無い姿で、いま、ここに在る。綾乃は全てを任せきり、誠一は全てを受け入れ、包み込んでいる。天使がくれた二人だけの時間と空間なのかもしれない。ホームからの帰り道「雅美ちゃんが、おばあちゃんと呼びかけていたこと、ちゃんと届いていたよ、おじいちゃんにはわかるんだ」「おじいちゃんもわかってくれたのね」「わかったさ。雅美ちゃんの声はちゃんと届いていたよ」「おばあちゃんは幸せね、おじいちゃんとは、ちゃんと心で繋がっている。それにさっき傍にいてくれた香川さんのこと、信頼し切っているみたい。おばあちゃんたら、私のことわからないのに、香川さんとは笑って話をしていた。少し複雑、でもおばあちゃんのこと、よくしてくれてとても嬉しかった」「うん、ありがたいことだな。おじいちゃんにはできなかったことだ。それをいま香川さんたちがして下さる。ほんとにありがたいことだ」「私もなにか人の役にたつことがしたいな。でもあまり自信は無いけど、今だけそう思っているのかも?」「いや、いいんだよ、一瞬でも人のためになることを考える。それだって、とても大事なことだ。それがいつかは本物になる。」「うん、そうだね、初めからできる人なんていないよね。私に何ができるか、夏休みの間よく考えてみる。」ふたりとも綾乃に会う前の不自然な硬さはとれていた。「雅美ちゃんには、人に喜びを与えられる人になってほしいな」「うん」誠一へ向けた雅美の笑顔は、眩しいくらいに輝いていた。雨上がりのせいか気温は下がり、風は二人に優しかった。雅美にとって高校生最後の夏休み、それは未来への序章だった。夏色Tuesday ~未来への扉~ ―完―
2005年07月22日
明日から五夜連続でショートストーリーを掲載します。なかなか難しい世界ではありますが、取材に基づいて書いたものです。主人公に共感してあげてください。それでは、明日この大元よしきの小説サイトでお待ちしております。―大元よしき―
2005年07月21日
今日の「ノーサイド「大元よしき」二本目ラガーマンの挑戦!」に独り言「悪夢」を書いた。何年もの間、それも忘れた頃に見る夢がある。かなりトラウマになっているようだ。先生、もういいでしょ、かんべんしてくれという思いからこちらにも書き記しておこうと思う。「おまえは最低だ!顔も見たくない。薄汚いね、出て行け」今朝中学の頃の夢を見た。憎憎しい目で睨んだ顔が、あのころのように私の胸にこたえた。ハッとして目が覚めた。夜中の3時だった。「またこの夢か」ともう一度眠りについた。が、しかしまた同じ夢に目が覚めたのである。何年もの間この夢にうなされてきた。あの頃、言われるたびに、前向きに生きる気力が無くなっていった。あるときは冷ややかに、あるときは憎悪にみちた視線が私の胸を突き刺した。こんなのもういやだ、と何度思ったことか。学校では教師のほうが立場が強い。あの言葉やあの視線に抗うには、ただ反発するしかなかった。あの頃は自分が嫌いだったので、中学2年の頃の写真は一枚も無い。あの頃スポーツ以外はけ口がなく、漠然と将来に対する恐怖にさいなまれていた。どう生きればいいんだろうと独り考えることが多かった頃だ。そんな時だった、本屋で加藤諦三さんの本に出合った。青年の心理に関する著書が多く、中学2年でありながら何冊もそれらの本を読んだものだ。父親がそんな私に「おまえつらいのか」とぽつりと言った。私はだまってうなずき父の顔を見た。あの時の教師はそんなこと覚えてはいないだろう。しかし、言われた私の心の奥にはしっかりと刻み込まれているようだ。「最低だ」と言われた男にも意地がある。いつか必ず生きた証しをもってけじめをつけたい。いまは夢や未来を信じて行くだけだ。ふ~(ため息)この悪夢とは、早くさよならしたいな。英語のI先生よ、お願いだからもう出てこないでくれ。
2005年07月21日
明日が締め切りの原稿がある。でも、まだ書けていない。この数日間、かなり私の脳細胞は高速回転で情報をインプットしていた。そして、締め切り間近にアウトプットする予定だった。が、しかし、今回はいつもと勝手が違っている。今までとは、何か進み方が違っていると感じている。なにが、どう違うのかわからない。まるでいつもの私とは違うのだ。なにが、どう違うのだろうか。常であれば、PCに向かえば勝手にキーボードを叩き始めるのである。なのに、ここ最近はこのブログの更新もなかなか進まない状況にある。書きかけの原稿もそのままだ。正直言って、どうした自分という感じだ。これを書いているうちに「書きたい」という気持ちに火がつくことを願っている。どうした、どうしたんだ、どうしたんだ自分よ…こんなことってはじめてだ。yoshiki-taigen
2005年07月17日
以前ホームページのエッセイに書いたことがある。何度か講演で語ったこともある。自分の子どもの頃のこと。なぜか、思い出は雨降りか、どんよりとした曇り空ばかり。晴れ渡った空だってあったはず、なのに思い出すのはそんな空ばかり。それはボクの心が晴れていなかったから。いつも何かに縛られていた。いつも誰かの視線を気にしていた。いつも自分を隠していた。爆発したのは、中学2年の時だった。担任の先生にはとても無礼なことをしてしまった。クラスのみんなにも迷惑をかけてしまった。なのに、職員室から走ってきた先生方に、担任の先生はボクのことをかばってくれた。あの時はわからなかった。でも、いまは感謝の気持ちでいっぱいだ。あの時反省していれば…でも気付くには未熟だったようだ。自分らしく生きたい、そんなチャンスがほしい。そう思って高校でラグビー部に入った。なぜラグビー?他人からは意味不明かもしれない。直接のキッカケは、中学3年の担任の先生が言った言葉だった。これが自分らしさをつかむチャンスかもしれないと感じた。当時は真剣だった。でも、自分らしくって何?との思いもあった。あの3年間は苦しい悔しい毎日の中、自分と向き合う時間だったのかもしれない。そして進学してもラグビーを続けた。しかし、4年の最後に汚点を残してしまった。最終戦、入れ替え戦ともグラウンドに入ることは許されなかった。そっとグラウンドの片隅で、ヨットパーカーのフードを被って自分を隠した。試合は負けた。しかし、必死に戦う仲間たちが輝いて見えた。ジャージも着られない、公式戦用のブレザーも着ることさえ許されない。そんな自分が情けなかった。中学の頃からどう進歩していたのだろうか。社会人でもいろいろあった、振り返れば後悔の連続だ。人に誇れるものは何もない。いまのままでは終われない。後の半生で生きていた証しを残したい。まずは弱さの克服したい。そしていつか、人の役に立てるような男になりたい。自分の人生に「YES」と言うために、一歩づつ歩んでいきたい。
2005年07月14日
こんばんは、大元よしきです。いつも私のブログにお立寄り下さいまして、誠にありがとうございます。さて、今日は現在準備中の事業について触れたいと思います。これは物書きの「大元よしき」+企業家としての想いが重なったものなのです。ここで触れることによって、私は逃げ場を失います。なので進むしかありません。そんなところに自分を置きたいと思ってここに記事にしてしまいます。ブログの輪でこのプロジェクトを成功させたいと思っております。皆様の応援とご協力をいただきたく、よろしくお願い申し上げます。事業概略電子書籍の販売サイト(スポーツ関連書籍)講演(スポーツ教育関連)スポーツイラストの販売部史(クラブヒストリー)制作名称:eBookアスリート開始:本年夏(第1フェーズ)を目指して頑張っています。 第2フェーズ以降は、 某超メジャーサイトとの協業の話も進んでいます。対象:広い意味でスポーツに携わる人。 プレーヤー、指導者、プレーヤーの保護者、ファン、 チーム関係など幅広い層を対象に考えております。扱い書籍:著者本人(選手)の自伝 ・ 選手のエッセイ ・ トレーニング指 導書 スポーツ関連の小説 ・ チームマネイジメント ・ 運動生理 学 ・ 部史・チームプロモーション、スポーツイラストレーター の壁紙販売など。キーワード:基本的には「創造・夢・感動・共有」などです。 新たなスポーツ文化の発信など。 「その時」「あの瞬間」など。<大元の思い(まとまってはおりませんが)>どんな人にも歩んできた歴史がありドラマがあります。仮に栄光は無くても一生懸命に来た道があります。このサイトでは、キーワードをご理解いただいて創られた書籍は、誰でも販売することが可能です。 もちろん専門性が必要なものもあります。たとえば指導書では、育ち盛りの少年スポーツ向けのトレーニング、栄養学などが手軽に手に入ったらいいなぁ。スポーツ心理学もあればいいなぁ。(これらは専門家の書籍になります)自伝では、あの選手の子どもの頃ってどんなだったのだろう?どんな練習したんだろう?子どもたちに夢を与えてくれるようなものがほしいなぁ。チームマネイジメントでは、いろいろな指導者の考え方、方法論などあったらいいなぁと思います。通常リアルな書籍を出版するというのは、限られた人でありかなり狭き門です。ネットが浸透している現在、誰でもが出版でき、考えや熱い思いを発信できる場があって良いと思います。とは言え、いい加減なものを販売するつもりは毛頭ありません。先生から「おまえはサイテーだ」と言われた男も社会でこうして生きております。私はラグビーで人間の土台を創りました。栄光も実績もありませんがラグビー、スポーツに感謝しています。その素晴らしきスポーツを発信していきたいと思います。私は元ラガーマンです。なので、「ワン、フォー、オール、オール、フォー、ワン」の精神にのっとり、私はこのサイトを立ち上げたいと思っております。この国をスポーツで元気にしたいと思います。次代に熱い思いを語り伝えたいと思います。大きく出てしまいました(汗)。私一人では非力です。が、しかし、まずは一歩からはじめようと思っています。「やれば、思わぬ条件が湧いて出て行動を有利にすることがあるのだ。 勇気と決断と行動力さえ持ち合わせておれば、あとのことは天にまかせればよい」(司馬遼太郎:「関が原」より)やってやれないことはない!やらずにできるはずもない!まずは、その一歩を踏み出そう。
2005年07月14日
小説 オータム~未来への風が吹く~あとがきにかえてみなさま、ありがとうございました。十五日間の連載が終わりました。毎日来て下さったみなさまには、深く感謝申し上げます。正直言いますと、なかなかコメントが入らずつらい連載でした。でも、自分の筆力の無さを知ることができました。ありがとうございました。この物語は電子書籍として販売しておりましたが、ダウンロード数が少なく主人公はじめ登場人物たちが可哀そうになりました。この物語の登場人物はみな私の分身なのです。そこで、十五日間連続で私のブログへ掲載しようと考えたのです。さて、この物語のテーマは「愛」です。私にとっては厳しいテーマでしたが、私なりの「愛」を言葉にしてみたいと思ってチャレンジしてみました。さて、この物語の主人公は悲しい過去をもった和哉という青年です。彼は人のぬくもりを知らずに育ってしまったアダルトチルドレンなのです。彼らの大きな特徴として、ありのままの自分を受け入れられない。 不安感のために常に自分を追い立てるように行動する。常に自己否定感がある。自分を追い詰めるほどに努力していても、心が満たされることがない。などがあげられます。(もっとありますが)物語ではいくつかそんな特徴を織り交ぜながら、話を進めていきました。実はケイも近いものがあったのです。成長過程で悲しい出来事がありました。両親の不仲、そして弟光司のことです。しかし、その後家族は寄り添いました。そして何が大事なのかを知ったのです。またケイは兄からサーフィンを教わり、海と出会いました。海は自然そのものです。あるがままの姿で、そこにいることの尊さを教えてくれます。そしてケイは心の傷を越えていったのです。そんなケイには母性的な愛情をもって登場してもらいました。続いて並木です。はじめは不気味な存在として登場しました。しかし、それは和哉からの視点だったのです。人と人との信頼関係というものを知らない和哉には、人の善意すら素直に感じることができなかったのです。並木は仕事にはめっぽう厳しい上司です。甘えや妥協は許さないタイプです。だから売上げの低い者はこっぴどく叩かれるのです。しかし、あの観察眼や和哉とのやりとりからは、悪意のある人間には思えません。もしかすると、彼もまた心の傷を越えた人なのかもしれません。恐ろしい形相と気迫で愛を説いた並木には、父性的な愛情を持って登場してもらいました。そしてひかりと梶尾です。なぜか自然に横顔に話しかけていた…、ひかりとの出会いですが、作り過ぎかな、なんて思いましたが母の愛が結び付けたということでお許しください。ショップの娘という設定は決めていたのですが、実はひかりをどこで登場させようかと一番迷いました。悩んだすえ、私の思い出のある海岸「辻堂」にしました。梶尾は普段は無口な読書家です。海で育ったせいか性格は大らかです。人はこの自然に比べれば、ちっぽけな存在なんだと感じつつ、だからこそ尊いものなんだと思っているのです。人を大事にする愛情の深い人です。この父娘には家族的な愛情をもって登場してもらいました。なので、和哉が最初に人の温かさを感じたのがこの二人だったのです。はい、これでこの物語はおしまいです。和哉もケイも、ひかりも梶尾も、出番を終え鵠沼から帰ってきたようです。最後までお読み下さいましてありがとうございました。深く感謝しています。これからもチャレンジし続けていきたいと思います。どうか私に執筆の機会がありますように、神にも祈る思いです。応援よろしくお願いします!ありがとうございました。大元 よしき
2005年07月11日
この物語の舞台は湘南の鵠沼です。十五夜連続小説も、とうとう最終夜を迎えてしまいました。毎日訪れてくださった皆様、ありがとうございました。深く感謝申し上げます。それでは第十五夜のはじまりです。あなたの心にも何かが残ってくれると信じています。小説 オータム~未来への風が吹く~“夕日”の章「混乱してるよ。ちゃんと説明して」ケイもひかりも梶尾の次の言葉を待った。「カズヤのお母さんと俺は、ここで暮らしていた。そしてひかりが生まれた。でもひかりが二歳の時だった。亡くなってしまったんだよ。お母さんは可哀想な人だ。どちらの子供にも縁が無かった」梶尾は少し間を置いて続けた。「お母さんは、親父さんと別れる少し前、カズヤを連れて、しばらく彼女の実家に来ていたことがあったそうだ。その実家はな、俺のショップから歩いてすぐだったんだよ」「彼女が親父さんと別れてこっちに戻ってきたとき、いつもカズヤのことを思い出して、涙を流していた。虚ろな眼差しで、よく浜まで来ていたんだ」和哉の目から涙が溢れてきた。「俺は、毎日そんなじゃ体を壊すよって、声を掛けたんだ。何度も声を掛けるうちに彼女に惹かれていった。彼女もそんな俺をわかってくれた。いつしか、いっしょに暮らすようになった。そしてひかりが生まれたんだ」和哉は溢れる涙をぬぐうこともできなかった。「でもな、彼女との幸せは短かった。『カズヤ、ごめんね』と言ったのが最後の言葉だった」和哉とひかりの目が合った。その時、辻堂で初めて出会った、あの時の不思議な気持は何だったのか、その答えを知ったのである。和哉とケイ、梶尾とひかりは、鵠沼の海岸に立っていた。夕日が照り輝き、海面の色を変えようとしていた。和哉の視線は、遠い遠い海の彼方、いや、もっと遥か遠くを見ているようだ。「カズヤ、なんだか今日は長い一日だったな」「カジさん、ありがとう。一生忘れない日になりそうだ。ひかりちゃん、ありがとう」「忘れない日か…、それならもうひとつ言っておくよ」「なんです」「カズヤは親父さんを憎んでいると言ったよな。でもな、憎しみからは何も生まれないぞ。今日こうして俺達は、新たな出会いがあった。それだって憎しみからは生まれなかったはずだ。すべては、相手を思う気持ちから発したことだ。人は誰かのことを思う、その誰かもまた、誰かを思う。どうせなら、良い思いをたくさん伝えていきたいじゃないか。カズヤが親父さんを憎むのは勝ってだけど、しかしな、もしかすると、親父さん自身が、被害者なのかもしれないんだよ。親父さん自身がカズヤと同じ思いなのかもしれないんだよ。そして恨みの先がお前に回ってきてしまったのかもしれない。でもな、憎しみの連鎖はどこかで断ち切らなきゃならん。そんな恨みのバトンは捨ててしまえ。お前で終わりにしろ。もちろんすぐには無理だろう。でもな、カズヤにはケイさんがいる。もう親父さんへの思いに囚われるな、そして、ケイさんと未来を見つめるんだ。お前の人生はお前のもの。親父さんの呪縛から早く解かれて、自分の人生を歩むべきだ。この星の生命に比べれば、人の人生は儚いものだ。ほんの一瞬、星の瞬きのようなものだ。しかし俺達はこの時代に生を受け、そして出会えたんだ。出会えたことだけでも、奇跡に近いことなんだ。素晴らしいことなんだ。この地球という星を舞台に、人は人生を輝かせなければいけないんだ。いいか、過去を恨んでいる時間は無い。今を、この一瞬一瞬を精一杯生きるだけなんだ。カズヤ、今を大切にしろよ。その積み重ねが人生なんだ。未来はな、自分で創るものさ。幸せになれよ、いいな、もうカズヤは独りじゃない、ケイさんも、ひかりも俺もいる」ひかりはこんな父親を初めてみた。父でありながら、父ではないような。遥か遠くから心に響いてきた声のように感じていた。夕日はますます海面を染めた。太古より繰り返されてきた、この星の営みも、一度として同じものは無い。もし同じことの繰り返しであれば、生命誕生の奇跡も無かったはずである。「母さん、ありがとう。俺、独りじゃなかった…」和哉はそこに母を感じていた。「人っていいね。ケイにも会えた、母さんが愛した人にも、そしてひかりにも。それに今日は、母さんにも会えた。今も母さんに抱かれているようだよ。あの夕日だって、この海だって、この風だって、みんな母さんみたいに優しいよ。こんな気持ちになれたのは、みんなのおかげ、生まれて初めてだ。俺はね、母さんの分まで精一杯生きるからね、精一杯…」風の向きが少し変わった。母の愛はこの広い天地に生き続けていた。そして人を結びつけた。四人の視線は、遙か遠くを見つめていた。その先にはなにがあるのか。和哉が受け取ったバトンは、もう心のどこを探しても見つからなかった。海風が和哉を優しく包んでいた。和哉はいま初めて夕日の輝きに美しさを感じたのだった。 ―完―<あとがきにかえて に続く…>
2005年07月11日
この物語の舞台は湘南の鵠沼です。十五夜連続小説も十四夜を迎えました。残すところ明日のみです。毎日訪れてくださる皆様、ありがとうございます。深く感謝申し上げます。それでは第十四夜のはじまりです。どうぞみなさま、十五日間最後までお付き合いくださいませ。最後の夜には、必ず、必ずです。あなたの心にも何かが残ってくれると信じています。小説 オータム~未来への風が吹く~“運命の糸”の章『パン!』と鳴って、スパークリングワインが噴出した。ひかりの仕業だ。その音に驚いて、ケイが手を離した瞬間、和哉は立ち上がった。そして、ソファー越しにケイを抱きしめ、そのまま自分のほうへ抱きかかえた。「カズヤさん、おめでとう!お誕生日のプレゼントよ、素敵でしょ!」ひかりの笑顔が弾けた。「なんで、こんなことってあるの!本当、夢」和哉は信じられないといった表情だ。隣のケイは言葉も無かった。「カズヤよ、人生は素晴らしいな。前向きに生きようとするとき、その人の未来は輝くものだよ。今二人は輝いているぞ。おめでとう」「カジさん、ひかりちゃん、いつから隠していたの」「エッヘヘ、秘密よ。でもね、私のピッカピッカサーファーのおかげだからね。でもケイさんたら『もっとコメントしろー!』ってPCに向かって怒鳴っていたんだって。あれで、もしカズヤさんじゃなかったら、『バカヤローもっとしっかり書けー』って、わたし怒られたかもね」 人は性格を変えることは、なかなかできることではない。しかし考え方を変えることは、努力次第で誰にでもできるものだ。和哉の今は、自分の考え方を変えようと思った時から、はじまったと言えよう。父親に刻み込まれた劣等感、孤独感は、和哉のその後の成長や、当然できるはずの人間関係に、取り返しのつかないほどの影響を与えてしまった。また、幼い頃母親に抱かれた時に感じた安心感、信頼感、喜びを知らないで育った和哉は、成長する過程でも、他人との信頼関係を作れずにいた。美砂との結婚も同じことだった。会話のある家庭、温もりのある家庭を知らないで育った和哉には、何が幸せなのか、夫婦って何なのかわかるはずもなかった。父親の目から逃げたい、それだけだった。この三人への安心感からなのか、和哉は初めて父親のことや、和哉自身の心のうちを話した。和哉から人間らしさを奪った、幼い日の恐怖の鎖。それは、和哉が3歳の時に両親が離婚したこと、家には母親の写真は1枚も無く、和哉の写真でさえも1枚も無かったこと。いつも薄暗い部屋の中で、母親への恨み言ばかり聞かされたこと。ある時は氷のように冷たく、あるときは憎悪に満ちた眼差しで、『さぼるな、グズ、なまけもの、俺の人生をメチャクチャにしているヤツ』と父親に責められていたこと。和哉は自分の感情を殺して、ただ時間が過ぎるのを待っていたこと。いつしか、父親に責められる自分が、自分自身を憎むようになったこと…和哉は一点を見つめ、自分の過去を語った。そして自分を変えるキッカケになった、並木のことにも触れたのだ。あの時までの和哉は、愛することを知らず、ただ愛されることだけを欲していた。愛とは甘えではない。愛そうとする、相手を思う気持ちから育まれることを知ったのだ。壊れかけていた和哉に届いたものは、愛を語る並木の気迫だった。和哉は父親を憎み、恐怖の鎖を断ち切った。自分と向き合い、ありのままの自分を受け入れようとする心が芽生えた時、ひかりや梶尾が目の前に現れたのだ。あの辻堂でのひかりとの出会いが、和哉を救ったのである。そして、ひかりや梶尾に温かさを感じた時、海や太陽、風や雲でさえも、自分に居場所を与えてくれる存在なのだと気付いたのだ。和哉は葛藤の中で成長していた。自分が求めていたものは、ただの甘えだったと知り、ケイへの思いが変わったのだ。失ったものは大きかった。振り返っても後悔ばかり、今はただケイの幸せをひたすら願うだけだと思っていた。和哉の搾り出すような言葉に、ケイは胸が詰まり、何度も、何度も涙がこぼれ落ちた。すでに太陽は西に傾いていた。すべて語り終えた和哉の瞳には、本来の輝きが戻ってきた。梶尾はそんな和哉の眼差しに、言いようの無い懐かしさを感じてきた。しかしそれがなぜなのか、理屈ではなくそう感じたのだ。ケイは小さなフォトフレームに収まった、一枚の写真に目が止まった。そっと手を伸ばし、目を凝らした。ケイはその写真に釘付けになった。そのときのケイの表情に、梶尾やひかりも感じるものがあった。ひかりが写真の母親へ目が向いたとき、『あっ』と声を出した。梶尾も信じられないという表情でひかりを見た。一瞬空気が固まった。「カズヤは親父さんとは、どこで暮らしていたんだ」「多摩川の近く、第三京浜のそばです。」「そうか、もしかして親父さんの名は和輝…」「えっ、知っているの父を」運命の出会い、その予感。「いや、俺は一度も会ったことは無い。だけどな、俺の大事な人が、親父さんを知っているようだ。」「?」「カズヤのお母さんだよ。」「俺を生んだ人なんだからあたり前でしょ、父のこと知ってるのは。えっ、今カジさん、俺の大事な人って言ったよね」梶尾の目は和哉から離れ、ひかりに向いた。「もしかして…」ひかりはその先の言葉を呑んだ。<第十五夜「完結編」へ続く…>
2005年07月11日
この物語の舞台は湘南の鵠沼です。十五夜連続小説も十三夜を迎えました。残り3日間です。毎日訪れてくださる皆様、ありがとうございます。深く感謝申し上げます。それでは第十三夜のはじまりです。どうぞみなさま、十五日間最後までお付き合いくださいませ。最後の夜には、必ず、必ずです。あなたの心にも何かが残ってくれると信じています。小説 オータム~未来への風が吹く~“ぬくもり”の章和哉の今年の誕生日は休日だった。梶尾とひかりは、和哉が誕生日に祝ってもらったことが無いことまでは、聞かされていなかった。もちろんそれは、ケイから聞いたことだ。ケイは和哉の誕生日にこだわりがあった。そこで今年は梶尾の家に招待して、ホームパーティーで祝おうと計画したのだ。当日までケイのことには一切触れない約束だ。少し大げさのようだが、3人はそれを固く誓い合った。もちろん当日のプレゼントはケイだ。再会の日まで、和哉と接する時間が長いのはひかりである。店ではいつもひかりが相手をしているからだ。隠し事はここが一番あぶない。ひかりは、とにかくおしゃべりだ。そんな梶尾の心配をよそに、「人に夢と希望を与えることも、サーフショップの大事な役目よ。お父さん、直すのはボードだけじゃだめよ、壊れた関係だってちゃんと直してね」とひかりはやる気満々である。ひかりは当日がひどく待ち遠しい。もちろん梶尾も同じ思いだった。パーティーの参加者は梶尾、ひかり、そしてケイである。ゲストは和哉。最高の顔ぶれである。ひかりは和哉がショップに顔を見せるたびに、嬉しくてつい話たくなってしまう。いつも『ふ~あぶない、あぶない』と和哉が帰った後に胸を撫で下ろしていた。風はおだやかなオフショアだ。抜ける様な空は、どこまでも、どこまでも高く、そして青かった。富士が鮮やかにその姿を見せている。遠く烏帽子岩も、今日はその輪郭がクッキリと波間に浮かび上がっていた。梶尾の家では、『絶好の何日和?再会日和なんて言わないしね』といった調子だ。浜では和哉が『おー!今日は富士も笑っている。最高の誕生日だ!ウレシイ!今日は俺の誕生日だ!』と雲ひとつ無い秋空に向かって、ゴキゲンな独り言を叫んでいた。周りで波待ちするローカルからは、『おー、おめでとう』と拍手が沸いた。そんな周囲に『俺、お祝いしてもらうの初めてなんですよ』と笑って応える和哉がいた。和哉がケイと別れた日も鵠沼だった。一年後の今日も同じ鵠沼にいる。しかし、同じ和哉とは思えないほど、そこに溶け込んでいた。パーティーは昼過ぎからだ。「まず浜からあがった和哉を、車でここまで運ぶ、そのあとはシャワーだ。その間ケイさんをぜったいに和哉に会わせてはいけない。そこが重要だ。いいねケイさん、ビックリさせるんだからね」と朝から梶尾はなんどもそれを繰り返した。「あのね、お父さん、ソワソワしちゃって、ケイさんより緊張していませんか?」とひかりはとぼけた口調でからかった。「アッハハ…カジさんが緊張してくれていると、逆に私が落ちつくから、とてもありがたいな」ケイはこの日が待ち遠しくもあり、怖くもあった。とうとう当日を迎えてしまったといったところだ。梶尾がそろそろ時間だからと言って、海岸まで迎えに行った。戻る頃を見計らって、ケイは2階のひかりの部屋で待たせてもらった。カーテンの隙間から、じっと道の方を覗いて待っていた。梶尾の家から海岸までは少し距離があった。普通なら『チャリンコで来いよ』とでも言うところだが、今日は主役だからという理由で、車で迎えに行くことになったのである。穏やかな陽の光の中、梶尾のワゴンが戻ってきた。助手席には和哉がいた。真っ黒に日焼けした顔、そこには1年前とは別人の和哉がいた。梶尾と笑っていた。楽しそうな二人、その会話はとても弾んで見えた。ケイの見たことのない、和哉だった。『えっ、どうしちゃったの、ずいぶん変わったけど…』ケイは少し心細くなってきた。この間までは『弱くて傷つきやすくて、人より百倍くらいショックを受けやすい』なんて思っていたからだ。しかし今駐車場にいる和哉からは、そんな印象はまったく受けなかった。「和哉、波はどうだった」「俺、今日は波どころじゃなかったですよ。俺の誕生日、俺の誕生日って、何度も言ってました。嬉しくて…、俺って子供みたいですか」「そんなことはないぞ、いつまでたっても嬉しいものは嬉しい。それもいっしょに祝える人がいるともっと嬉しいものだ」「よかった、喜んでもらえて、私も嬉しい」ひかりも会話に加わった。和哉は駐車場でウエットスーツの砂を落としながら、梶尾とひかりは居間のテーブルに料理を並べながら、窓を開け放した3人は、大声で会話を楽しんでいた。そんな3人の話を聞きながら、ケイは2階から、そっと和哉に視線を送っていた。和哉の顔は眩しいくらいに輝いていた。3人は席に着いた。でもまだ乾杯が始まらない。梶尾は言った。「お祝いはな、始まる直前が一番楽しい時なんだ、時間をかけて、ゆっくりと始めるものなんだ。」そんな時だ、ひかりが『このスパークリングワインを開けて』と和哉にボトルを渡した。和哉はこうゆう作業が苦手だった。普段はビールしか飲まない。ワインを飲む時は、いつもケイが開けてくれていた。和哉がボトルを手に取って、持て余しているときだ、そっと後ろから和哉の目をふさぐ人がいた。梶尾とひかりの視線は和哉に注がれた。「う、うそ、そんなことありえないよ、そんなこと…」和哉の口から出た言葉だった。それが何を意味することなのか、3人にはすぐにわかった。まるで子供が、母親の匂いをかぎわけるかのように…忘れようにも、忘れ得ない、あのぬくもり…和哉はケイのすべてを、全身で感じ取ることができた。ケイの思いは頬を離れ、和哉の肩へと落ちていった。大きな粒は確かにケイの思いを伝えてくれた。しばらく時間は二人のものとなった。<第十四夜へ続く…>
2005年07月10日
この物語の舞台は湘南の鵠沼です。十五夜連続小説も十二夜を迎えました。毎日訪れてくださる皆様、ありがとうございます。深く感謝申し上げます。少しずつではありますが、アクセスが伸びてまいりました。とても励みになります。それでは第十二夜のはじまりです。どうぞみなさま、十五日間最後までお付き合いくださいませ。最後の夜には、必ず、必ずです。あなたの心にも何かが残ってくれると信じています。小説 オータム~未来への風が吹く~“風とケイと”の章久しぶりに休暇を取った。なんだかそれだけで『私は自由よ』とケイの心は軽くなった。せっかくの休みなので、少し歩きたい気分になった。ケイはJR辻堂駅から海に向かった。国道134号を突っ切って防風林を抜けた時だ、彼女の視界に海原が広がった。風はオンショア、ケイの頬や髪を、潮風がふんわりと撫でていった。打ち寄せる波、煌く陽光、ロングボードを巧みに操るサーファー、そして空、雲、海岸線、遙かなる山の稜線までもが、すべて有機的に繋がっていた。ケイは潮の香りや、逆光に輝く波間に懐かしさを感じた。そして、両手を広げ、風を全身で受けとめた。『やっぱりこれよね』「キャッ!」その時だった、低空飛行のトンビが、ケイの頭上を掠めていった。トンビはケイの目線よりも高い杭の上に止まった。そして振り向いた。『待ってたよ、お帰り』そんなはずもないが、向かい風の中で、トンビの仕草はケイに好意的だった。「こらっ!ビックリさせないでよ、アッハハ、私帰ってきたよ、ありがとう!」穏やかな陽気に、もし今日外したとしても、それはそれで良いかもねと感じられた。心地よい風に包まれたまま、ケイは海岸沿いを東に向かった。カジズサーフはすぐに見つかった。店内に入ると物静かな親父さんが、独り文庫本を片手に『いらっしゃい』と言った。メルマガの通りの印象に、ケイは一瞬クスッと笑ってしまった。その時、梶尾とケイの目が合った。「ごめんなさい。メールマガジンの通りの方なので、つい」「ああ、そうですか、娘の読者さんですか。いつもありがとう。娘はもうすぐ戻りますよ。」「海に入っているのですか」「いやいや、娘はサーフィンはしないんですよ、内緒だけど。本当はね、したいけどできないんだ。機敏なほうじゃないから、でも海は好きでね、今も浜にいますよ。すぐそこらだから、呼びましょうか」「いいえ、いいんです。海が好きなら、そのままにさせてあげてください。しばらくお店の中、見せてもらってもいいですか」「ええ、もちろん」と梶尾は言いつつ、少し照れが入っていた。内心、美人度の高いケイには『どうぞ、どうぞ、いつまでも』という感じだ。店内は綺麗にまとめられていた。ケイは丹念にそのひとつひとつを眺めていた。どの小物を手にしても、愛おしむように大事に扱っていた。そんなケイを梶尾は視界の隅から覗いていた。『やっぱり湘南ね、素敵なセンス。でも、このおじさん、本ばかり読んでいるから、きっと、娘さんが全部やっているのよね』などと、勝手にケイは決めつけていた。「ただいま」そこへ、ひかりが戻った。ケイと目が合った瞬間、お互い第一印象に、ひそかに最大得点を付け合っていた。「メルマガ読んで、それで東京から来てくれたんですか」「そうなんです。訳あって今年は海に入っていないから、ピッカピッカサーファーさんのメルマガを楽しみに読んでいたんです。」「まあ、うれしい!今お茶入れますね」ひかりは奥に入ってコーヒーを入れて戻ってきた。海や波乗りの話題はもちろんのこと、住まい、ファッション、アクセサリー、雑誌、ショッピング、アイスやチョコレート、コンビニ、好きなファーストフードなどなど、どうでもいいようなことまで、根掘り葉掘り聞かれたケイ。とにかく、明るくて、話好きのひかりだった。ひかりとケイは笑いが絶えなかった。あっという間に時間が経っていった。<今夜は続きがあります>小説 オータム~未来への風が吹く~“ひかりとケイと”の章「アッハハ…、お茶を2時間も飲んで帰ったお客さんも、こんな風にひかりさんに聞かれたのかなぁ」「ああ、あのお客さんですね、編集後記で書いてしまった。あの方懲りずに何度もウチにきてくれるんです。とっても良い方なんですよ。今では毎週かならず寄ってくれます」「えっ、毎週って、曜日は決まっているの」「!」「まさか、お客さん!もしかして…、もしかして薬剤師さんじゃありませんか」ケイの聞き方が気になったのか、ひかりは敏感に反応した。そしてケイを覗き込むように言った。少し離れてはいたが、梶尾までがそれとなく、ケイに視線を送った。『感づかれたかな』とケイは少しためらい顔になった。ひかりはそのケイの態度に、一層何かを感じたようだ。「もしかして、お兄さんもサーファーではありませんか」困ったケイだった。少し間を置いてから、ケイは観念したように話し出した。「あの頃の私は薬剤師だった。今は兄の会社を手伝っているの。私は高校2年からサーフィンを始めたわ。私は彼よりも2歳年上、私の兄のボードで彼はサーフィンを始めたの。はじめは鴨川だった、そのあとは九十九里に通った、そして、ここ鵠沼が最後だった。その日は彼の誕生日だったのよ」ケイは和哉がこの二人に話しているであろう内容を、一気にしゃべった。ためらいがあっただけに、言い終えてから、さっぱりしたというような顔になった。ひかりは目を真丸くして、梶尾を見た。「お客さん、もしかしてケイさんですか?」ケイは本当のことを言っていいのか、今になって迷った。「ケイさんでしょ。私わかるもん。来てくれたんだ」まるで自分のことのように、大はしゃぎするひかりの姿に、和哉の顔が交差した。それからが大変だった。この親子はかなりおせっかいらしい。梶尾までが話に加わった。『ひかり、もうお客さん来ないから、店閉めちゃえよ』と梶尾は商売っけが無いらしい。さぁ、お店も閉めたことだし、じっくりといきましょうという雰囲気になった。ケイは少し後悔した。『こんなに構えられても、どうしよう』という感じだ。でももう逃げ場が無い。ただ自分でも、この後どうしたいのか困っていた。ひかりがテキパキと動き、お店のシャッターは閉められた。ケイは『なるようにしかならない』そう思うようにした。だが、ケイの心配は、ものの数分で綺麗に無くなってしまった。この父娘は根っからの人好きなのか、そのうえケイの明るさも手伝って、会ったばかりとは思えないような親近感に、不思議な繋がりが生まれた。このあと3人は、いたずらをたくらむ子供達のように、ああでもない、こうでもないと、和哉とケイをどう再会させるかで盛り上がっていた。ケイはこの二人との出会いに感謝した。この人たちがいなければ、こんなに楽しい再会にはならないだろうと思った。楽しいキッカケはとても想像できなかったからだ。ここで、みんなの心配は、和哉の暗さだった。ショップで接する和哉と、ケイから聞かされる和哉の印象に少しギャップがあった。どんな反応になるか、また、もしよりが戻った場合に、本当にうまくいくのか、そこが一番大事なところだ。結論として、「カズヤの目には、誠を求める確かなものがある」また、「ケイさんを思う気持ちには、偽りはないと信じる」と言った梶尾のセリフであった。梶尾は腕を組んで、独り大きく頷きながら口をへの字に結んだ。ケイも、ひかりも、腕組みまでして言い切った梶尾に向かって、「おおー、さっすが、人生の先輩!」と言って腕を組む梶尾のマネをした。3人は目があって笑い出した。『これで成功したのも同然だ!』と言った、梶尾の言葉が二人を勇気付けた。<第十三夜へ続く…>
2005年07月09日
物語は佳境に入ってまいりました。この物語の舞台は湘南の鵠沼、主人公はサーファーです。再びケイです。それでは第十一夜のはじまりです。どうぞみなさま、十五日間最後までお付き合いくださいませ。最後の夜には、必ず、必ずです。あなたの心にも何かが残ってくれると信じています。小説 オータム~未来への風が吹く~“予感”の章照りつける日差しの中にも、ようやく秋の気配が感じられるようになってきた。今年の夏は、ケイに苦痛しか与えずに過ぎ去ろうとしていた。『自然からの贈り物』これはケイの口ぐせだ。どんな天候も気持ち良く受止め、その中に楽しみを見出す。それがケイだ。しかし今年の夏は少し違っていた。いや、違っていたのは夏ではない、ケイのほうだ。ただ暑さだけをぶつけにやってきた、魔王のような存在だとケイは感じていた。これでもかといたぶり、去って行く嫌なヤツ、そう思っていた。ケイの中では、弟、光司への償いにも似た思いで、和哉に近づいたと、心の内を整理してみたが、やはり人間の心はそんなに簡単にできてはいなかった。『好きと思う気持ちに理由は無い。ただ好きと感じるだけ』ケイがいつも自分に言い聞かせてきた言葉だ。それが今になって深いところで、自分を突き上げる。ケイは和哉の弱い心を知っていた。近づけば自分が傷つくこともわかっていた。『でも、でも、どうしよう…』また、いつもの出口の無いトンネルに入りそうだ。高校2年生から始めたサーフィン、夏に入らなかったのは今年だけだ。どうしても海に行こうという気がおきなかった。『バッカね、そんなに引きずってんの?』ケイはもともと明るい性格だ、そんなふうに自分に聞いてみた。答えは簡単に出た『YES』と…『ふぅ~』今年の春から何度も、この質問とこの答えの繰り返しだった。一度も違った答えが出たためしが無い。自分でもアタマ悪いな、と思いつつ繰り返している。『私がこんなことやっているなんて、微塵も思っていないだろうな、和哉は。弱くて傷つきやすくて、人の百倍くらいショックを受けたはずだから、ごめんね、でもどうしよう』今年の夏、ケイはインターネットに夢中になった。それは和哉の影響だ。和哉は人付き合いが苦手だったため、インターネットが好きだった。いろいろな掲示板を見つけては、よく書き込みをしていた。調べたいことがあると、何時間でもPCの前に座っていた。ケイも和哉のそんなところを見ていたせいか、PCの前に長い時間座ることも、苦痛には感じなかった。先日サーファーの友人から、『ピッカピッカサーファー』というメルマガを教えてもらった。発行したばかりのようだ。文面を見ると女性が発行人である。同じ女性サーファーとして、とても身近に感じられた。夏の湘南のことが、読者に新鮮に伝わってきた。まるで目のまえに海が広がっているように、生き生きとした描写なのだ。すぐ目の前には江の島が浮かび、右手、沖には烏帽子岩があって、そして富士が聳えている。カラスやトンビまでが、お茶目に、そして鮮明に描かれている。それは書き手の思いや愛情が、その対象に注がれているからに他ならない。その文面から、鵠沼を基点にして、書かれていることが想像された。時折登場するお父さんのキャラも光っていた。今年海に入っていないケイは、この週2回届くメルマガを心待ちにするようになった。もともと好きだったうえに、和哉との最後の思い出となってしまった鵠沼。この夏、ケイはこの鵠沼から届くメルマガに、胸がキュンと痛んでいた。ケイはさきほど届いた、『ピッカピッカサーファー』の編集後記に、気になるものを見つけた。『編集後記気になる男性、もしかしてこれって出会いかも、フフ・・・なんだか突然だったのですが、浜に佇むその人に、「もうすぐ秋ね」と声を掛けてしまいました。(私は誰彼かまわず声を掛けるような娘ではありませんから、みなさん誤解の無いように…)なぜか、自然に声を掛けていたのです。そうしたら、先日父のショップにたずねて来てくださり、いっしょにボードを見ました。その時、私聞いてしまいました。(私ってほんと聞きだすのうまいから。)その人、サーフィンを教えてくれた、2歳年上の彼女にふられてしまったそうです。今のボードは、その彼女のお兄さんのお下がりとのこと。彼女を思うように大事にしたいから、傷付けたくない、だから新しいのがほしいんですって。なんだかその話をピッカピッカサーファーは、根掘り葉掘り聞きたくなって、その後、2時間もショップでお茶を飲んでいっていただきました。(きっとそのお客さん、おなかガブガブですね)私けっこう惹かれました、でもショックが大きいのか、少し暗くなっているかも?でも、一生懸命な印象がたまらない方でした。でもこれに懲りず、またショップに来てくださいね。今度はちゃんとボードの相談にのりますから。もしこのメルマガを読んでいたら、勝手に書かせていただいてごめんなさい。こんどあやまります』『この人って、もしかして、和哉???…!』ケイは感じた。『メルマガは鵠沼を基点に書かれている。そのうえ2歳年上の彼女といえば私。そして、兄貴のお下がりのボード。条件は同じだ。鵠沼、和哉はあの海岸に特別な何かを感じていたから』『いや、待てよ、そんな条件揃う人、いっぱいいるんじゃない』ケイは何度もメルマガを読み返し、そのほかの手がかりを探した。何度読み返してみても、それ以外は見つからなかった。もちろん先方も特定できないように書いている訳だからあたりまえだ。それから5日後、ピッカピッカサーファーからのメルマガが届いた。ケイは編集後記に目をやった。期待通り、『その人』のコメントが書かれていた。『ピッカピッカサーファーさんの文面から、あれはボクだってわかってくれたら嬉しいな』とあった。『もっとたくさん、コメントしろー!』とケイはPCに向かって怒鳴っていた。『まったく…、でもこれは何かのキッカケよ、もう自分で確かめるしかない』と思った。しかし、しばらくすると、『でも、確かめてどうするのよ』『さぁ』となるケイである。『ああ、どうしよう』ケイはさっきから部屋の中を行ったり来たり…、心を決めかねていた。<第十二夜へ続く…>
2005年07月08日
物語は佳境に入ってまいりました。この物語の舞台は湘南の鵠沼、主人公はサーファーです。和哉の心にある深い闇が明かされます。それでは第十夜のはじまりです。どうぞみなさま、十五日間最後までお付き合いくださいませ。最後の夜には、必ず、必ずです。あなたの心にも何かが残ってくれると信じています。小説 オータム~未来への風が吹く~“記憶”の章あの並木とのこと以来、和哉はあきらかに変わった。どう変わったのか尋ねられても、言葉に置き換えることはできないだろう。ただ、そんな和哉の変化に、並木だけは、ひとり納得するものがあった。人間関係はお互い様である。和哉のほうでも、並木に対する思いが変わったようだ。今まで不気味だと感じていたことがウソのようだ。不思議なくらい自然に接することができるようになってきた。和哉の変化はまだあった。仕事に向かう姿勢、売上げを作る気持は以前にも増して激しくなった。しかし以前との大きな違いは、熱さが加わったことである。情熱とは異質なようだ。もっとドロドロしたものではあるが、和哉は変わった。和哉の心は、あの日の並木の言葉通り、『助けて』と悲鳴をあげていた。記憶の中では、物心ついてから、ずっと悲鳴をあげ続けていたのだ。明かりの無い真っ暗な闇の中から、出口を探し続けていたのだ。そんなとき、並木の言葉に触れた。言葉には、人の心が宿る。魂が宿る。並木の言葉は、和哉の奥深いところの恐怖に触れたのだ。『恐怖の鎖』和哉にはそれが何なのかわかっていた。それは、父親の目だ。ある時は氷のように冷ややかに、ある時は憎しみの炎となった、“父親の目”なのだ。あの目を思い出すだけで、和哉の体は敏感に反応した。記憶の中に刻み込まれた恐怖だったのだ。和哉には母親の記憶が無い。3歳の時に両親は離婚していた。父親からは、母親がどんなに悪い女であったか、物心ついた頃から何度も聞かされてきた。父親は母親の悪口を言う時だけは、多弁だった。そんな時の父親の姿は、何かに取り憑かれたようだった。薄暗い部屋の中で何時間もの間、和哉は正座させられた。語りだせば、いつまでも父親の恨み言は続いたのだ。しかし、その内容は和哉の記憶の中に、一つとして残ってはいなかった。父親は母親のこと以外、あまり口を開くことはなかった。もちろん食事の時も二人には会話は無かった。親戚や父親の友人から、電話が掛かってきた記憶も無い。もちろん訪問者もいなかった。幼い頃の和哉は、家の中で、ただじっと時が経つのを待つだけだった。 母親への憎しみからか、家には母親を偲ばせるものは一切無かった。アルバムの中から、母親の写真はすべて抜き取られ、捨てられていた。母と子を結ぶ写真は、一枚も残されていなかった。そればかりか、和哉の写真さえ1枚も無かったのである。和哉はある時気が付いてしまった。自分が父親と母親の子であることを。当たり前のことだが、それがどんなに重大なことなのかを知ってしまったのだ。父親は母親を憎んでいる。その憎しみが、母親の子である自分に向いていることを。延々と続く、母親への恨み言は、そのまま自分へ向いた恨みであることを悟ったとき、父親への恐怖は倍増した。和哉が父親への恐怖をはっきりと自覚したとき、同時に父親も、己の憎悪の対象が和哉であることを感じたときだった。不気味な笑いに口元を歪め、『さぼるな、グズ、なまけもの、俺の人生をメチャクチャにしているヤツ』父親の言葉は直接和哉に向かってきた。毎日のように、和哉を責める言葉と視線が、いつしか和哉から、子供らしい表情を奪っていった。狭い家の中、それも二人きりの生活だ。和哉は何を言われても、何も感じないように感情を殺したのだった。父親は温かいものを口にし、和哉には冷めたものしか食べさせなかった。洗濯も幼い頃から自分でやらされていた。幼稚園や保育園にも通うことは無かった。ただ、じっと時間が過ぎるのを待っている毎日だった。『さぼるな、グズ、なまけもの、俺の人生をメチャクチャにしているヤツ』日々繰り返される責め苦の中に、心を殺し、表情を殺すのみならず、父親の言葉通り、今あることは、すべて和哉自身に原因があると思い込むようになっていた。和哉は、あの並木の言葉以来、父親への恐怖が、父親への憎しみに変わってきたことを自覚した。『恐怖』から『憎しみ』へ、あの日以来、和哉を突き動かしているものは、父親を憎む心、父親への怒りであった。今までの和哉は、父親から憎まれていた自分を、自分自身が憎み責めていたのである。その攻撃性は、父親への憎しみへと変わったのである。恐怖という呪縛から解かれたとき、父親の存在がちっぽけに思えてきた。母親への恨み言も、父親の劣等感の裏返しかもしれないと思えるようになってきた。父親の話の中に、記憶に残るものが無いことも、実体の無い証ではないかと。『まだやれる、まだだ、まだ』以前と同じ言葉ながら、和哉の中では、意味が大きく変わってきた。以前は自らを苛め、破滅に向かわせるものだったものが、今では、動機がどうあれ、意識が外に向かってのことだった。自分を責め萎縮させていた『恐怖の鎖』を、こうして、憎しみと怒りいう形で和哉は断ち切ったのだ。並木からもらったものはまだあった。そう人として大事なものが。職場にいる並木からは、想像もつかないセリフではあるが、『人は、相手を好きになり、愛したい、愛そうという気持ちを持った時、その人は相手からも愛される人になれる。相手を愛そうと思う心だけが相手の心に届く、そして愛し合えるようになる。でも愛するには、強さが必要だ。相手を認め、受け入れる心、全部ひっくるめて受け入れる心が大事なんだ。自分自身が受け入れるだけの、強さや、大きさを持たなければできないことなんだ』和哉は愛するなどということを考えたことも無かった。愛のある家庭を知らないで育った和哉が、愛を知るはずも無かった。しかし、愛は和哉にも考える機会を与えたようだ。並木を通し、愛は、愛を伝えたのである。<第十一夜へ続く…>
2005年07月07日
物語は海のシーンに戻ってきました。この物語の舞台は湘南の鵠沼、主人公はサーファーです。心に深い闇を持った男です。でも少しだけ…それでは第九夜のはじまりです。どうぞみなさま、十五日間最後までお付き合いくださいませ。最後の夜には、必ず、必ずです。あなたの心にも何かが残ってくれると信じています。小説 オータム~未来への風が吹く~“夕暮れ”の章太陽が西の空に傾きはじめた頃だった、和哉がひとり辻堂の海岸に佇んでいると、「もうすぐ秋ね、私たちに海が返ってくる」とそっと近づいてきた娘が言った。はじめは誰に言っているのかわからなかった。和哉には、その娘の言った意味さえも伝わっていなかった。「えっ何」と和哉はかなり素っ気無い態度で応えた。「あら、ごめんなさい。ローカルっぽく無かった。もしかして、東京からですか…」と明るくて人懐っこい性格なのだろう、和哉でさえ安心して話せる雰囲気を持っていた。そのうえ話すときには、和哉の目から視線を外さなかった。「そう、俺東京の人、でも、もうこっちの人かな。引っ越してきたばかりなんだ」『あら、ごめんなさい』と言った彼女の仕草や雰囲気に、自分には無い、大らかなものを感じた和哉だった。「そうゆう人多いけど、みんな通勤が大変だからって、戻って行っちゃう人も多いみたい」「俺の場合は大丈夫、会社は横浜だから」「じゃあ、未来のローカルね、えへ、何年かかるかな?」「そうだな、何年かな、俺、人見知りする性格だから長いと思うよ。仲間に入れてもらえるのは、10年くらい、いや、もっとかな」和哉は気が付いていなかった、今この娘と笑いながら話していることを。もともと和哉は仕事以外、初対面の人間とは話しすらできない男なのだから、こんなことはかつて一度も無かった。「さっき何て言ったの」「秋になったら、私たちに海が返ってくるって言ったのよ。夏の間は大勢人がやって来るでしょ。だからよその家みたいに感じるの。秋になれば、みんな帰る。ローションの匂いも消えるし、ゴミだって少なくなる。この海はみんなのものだけど、ローカルが守っているのよ」「よそから来る人にはわからないんだよな。俺は初めて聞いた。でも考えてみればそうだよな。俺、代表してごめんと謝るよ」「いいのいいの、でも、どうもありがとう。ところで、おにいさんはどこに引越してきたの?」「俺の名前はカズヤ。アパートはJRの向こう側。今日はここに入ったけど、秋になれば、鵠沼に入ろうと思う」「カズヤさんね。鵠沼に来たら、ウチのショップにも顔出してね。『カジズサーフ』っていう超マイナーなショップなの。父がやっているのを私も手伝っているのよ。国道から一本裏道に入るから、判りづらいけどね。近くで『カジさんのお店』と聞いてくれれば判ると思うわ。」娘の名前は「梶尾ひかり」なぜ和哉に声を掛けたのかは本人もわからない。ただ気が付いた時は、和哉の横顔にむかって自然に声を掛けていた。夕暮れの風は、火照った肌に心地良く感じられた。打ち寄せる波の音は、いつまでも二人を飽きさせることはなかった。サーファーたちは、1日の終わりを名残惜しむように、ひとり、またひとり、ボードを抱え浜に上がって来ていた。「じゃ、カズヤさん、またね、ぜったいよ!」手を振って帰って行くひかりに、何か強く惹かれるものを感じた和哉だった。ひかりの背中が小さくなるまで見送っていた。鵠沼から夏の象徴とも言える杭が無くなった頃、和哉はカジズサーフに寄ってみた。店では物静かな雰囲気の親父さんが、独り文庫本を読んでいた。「今日は、ひかりさん、いますか」と聞いてみたところ、すぐに戻るよ、との答えだった。しばらく売り物のボードを眺めながら、ひかりの帰りを待つことにした。和哉はここのところ、鵠沼、辻堂によく入っている。周りにはロングボードのサーファーが多いが、自分には合わないと思っていた。「あら、引越しのおにいさん、ほんとに来てくれたの。嬉しい!いらっしゃい」「俺は運送屋さんじゃないよ。引っ越してきたカズヤさん、だろ」ひかりが戻り、いっぺんに店は華やいだ。「お父さん、このおにいさん、カズヤさんって言って、東京から引っ越してきたばかりなの、ウチはね山側なんだって。会社は横浜だから、ずっとこっちに住むつもりだって、だから未来のローカルねって言ったのよ。人見知りする人だから仲良くしてあげてね」ひかりは早口で一気にカズヤを紹介した。「どうも、すっかりご紹介頂いちゃって、白井和哉です。」めずらしく和哉はここでも笑いながら挨拶を交わした。「シライさん、どうも梶尾です。よくしゃべる娘で…」和哉もこの親子の持つ不思議な空間に、安心して溶け込めているようだ。「ひかりはシライさんといつ知り合ったんだ。」「この間、辻堂で会ったの。気が付いたら、横顔に話しかけていたの、なんでだろうね。でも会ったのは1回だけよ、ね」と言ってひかりは、和哉に笑顔を向けた。和哉も笑顔だけをひかりに返した。「お父さんのことはみんな『カジさん』と呼んでいるの、カズヤさんもそう呼んでね」和哉はこのひかりという娘には、どうゆう訳か抵抗が無い。自然に話ができることが不思議だった。「俺どっかで『シライカズヤ』っていう知り合いがいたような…」と梶尾は先ほどから、和哉の名前が気になっているようだった。和哉が使っているボードは、ケイの兄のお下がりである。ケイと自分を繋ぐ大事なものだ、ケイとのことや、初めての海の思い出が詰まったものだ。あの頃のままで仕舞っておきたい。和哉はそう思っていた。また、独りとなって気持ちを改めてみようと思い立ち、ボードを買おうと思ったのだ。だから、ひかりに会いに来た。和哉のボードを見立てるひかりの横で、梶尾はさっきから『シライカズヤ、シライカズヤ』と記憶の中に、その名前の主を思い出そうとしていた。しばらく彷徨った意識は、文庫本の中に吸い込まれてしまった。<第十夜へ続く…>
2005年07月06日
主人公和哉の心に並木の思いが伝わったのか…この物語の舞台は湘南の鵠沼、主人公はサーファーです。心に深い闇を持った男です。それでは第八夜のはじまりです。どうぞみなさま、十五日間最後までお付き合いくださいませ。最後の夜には、必ずあなたの心にも何かが残ります。小説 オータム~未来への風が吹く~“恐怖の鎖”の章「誰も自分のことをわかってくれない。理解してくれる相手がいないと言ったな。そんなこと人の社会じゃあたりまえだ。人間だからな、自分が一番カワイイからさ。現に自分だってそうだろ。愛されたいと思う気持ちが強いから、『誰もわかってくれないとか、理解してくれない』なんて言葉が出て来るんだ」並木の言葉には、和哉に言葉を挟ませない迫力があった。和哉の視線を逃がさずに並木は続けた。「甘ったれるな、ガキじゃねぇんだ!」並木の声が一瞬荒くなった。しかし、並木の言葉は、和哉の深いところにある、心の扉に届こうとしていた。「こんなこと言うのは何なんだが…俺にはな、お前の心が『助けて、助けて、もう壊れそうだ』と叫んでいるように思えるよ。でもな、言わせてもらえば、お前が求めているものは、愛じゃなくて、只の甘えだ。お前は自分を甘えさせてくれる誰かを求めているだけだ」並木は畳み掛けるように言葉を続けた。「俺にはな、確信していることがある。人の世はシンプルにできている。しかしな、シンプルゆえに深くて尊いんだよ、いいか。人は、誰かを好きになり、愛したい、愛そうという気持ちを持った時、人は自分を変えられるんだ。相手を愛そうとする人、その人は相手からも愛される人になれるんだ。いいか、相手を愛そうとする心だけが、相手の心に届くんだよ、そして愛し合えるようになる。そんなふうに俺は思っている。きっとお前は、今まで何人もの女性を好きになった。でも好きになることと、愛するということは違うんだ。好きになることは人の本能みたいなものだ。でも愛するには、心が必要なんだ、強さが必要なんだよ。相手を認め、受け入れる心、いいか、全部ひっくるめて、受け入れる心が大事なんだよ。それには自分自身が受け入れるだけの、強さや、大きさを持たなければできないことなんだ」並木は言った。そして続けた。「お前の根っこには、今日俺が聞いた以外にも、何かあるよな、もっと深いところに何かがあるはずだ。お前を恐怖の鎖で繋いで置く何かが。」並木の言葉が熱を帯びてきた。それもただの熱では無かった。目には怒りの炎を宿し、言葉には魂が響いていた。「恐怖の鎖…」和哉の心はひとつの記憶に凍りついた。「毎日が明るいか、人生を楽しんでいるって言えるか、すばらしいって言えるか、おい、どうなんだ」「…」和哉の顔は、恐怖に引きつりだした。視線は虚ろだった。目の前にいる並木と、記憶の中の恐怖が交互に現れていた。「自分を肯定的に捉えたことがあるか、いや、もっと簡単に言おう、お前は自分が好きか、ありのままの自分が好きなのか、どうだ」並木の言葉は、暴力的なまでに和哉に刺さった。そして、記憶の扉のカギを開けさせ、容赦なく記憶の中の恐怖を蘇らせた。「…」和哉は凍りついたままだ。もちろん言葉は無い。「どうした、何か答えろよ。自分を受け入れることができないヤツが、どうして、人を受け入れることができるんだ、それでは、いつまで経っても同じことの繰り返しだ」「…」「あるだろ、鎖が。お前を繋いで置く恐怖の鎖が。でもな、自分でそいつを断ち切らない限り、いつまでも地獄なんだ」まるで、炎を背負っているかのような並木は、目は怒りに釣りあがり、吐く言葉には和哉を焼き尽くすほどの力があった。「もう一度言うぞ、お前を繋いでおく鎖は、お前自身で断ち切らないかぎり、その地獄から逃れることはできんぞ」並木の目は和哉の心を見ていた。その怒りは、和哉の弱い心を睨みつけていた。しばらくして、並木から憑き物が落ちたように力が抜けた。かつて部下のためにこれ程語ったことは無かった。並木自身、不思議なほど熱かった。しかし、和哉の反応に、並木はがっくりと肩を落とした。言葉は力無く途切れた。和哉との会話はこれで終わった。並木の問いを無視しているのか、それとも心が離れてしまったのか、恐怖との葛藤か。『ガラス細工…』もうすでに壊れているのかもしれないと、並木は思った。伝えたいことは済んだようだ。並木は和哉のタバコを一本抜き取り、空しく煙を燻らせた。会話の無い時が流れた。『相手を愛したい、愛そうとする人、愛そうと思う心だけが相手の心に届く…、相手を受け入れる心、相手を受け入れる強さ…、お前を繋いで置く恐怖の鎖…、自分で断ち切らない限り、いつまでも地獄からは抜けられない…』和哉の心の中は、何度も並木の声が反芻していた。そして、記憶の中の恐怖と並木の言葉が、グルグルと巡っていた。止まったかに思われた時間、温もりの無い空しい静寂。並木は勘定を済ませてしまおうと、ゆっくり立ちかけた瞬間だった。かすかに、並木に伝わってくるものがあった。それは少しずつではあったが、確かなものに変わってきた。『有り得ないことだ』並木は和哉に視線を戻した。それは和哉の鼓動だった。まるで、生命に灯りがともったかのように、力強く脈打っているのが並木に伝わってきた。和哉の背中は小刻みに震え、頬には大粒の涙がこぼれていた。鼓動は、波紋となった。この空間いっぱいに、和哉の鼓動は波紋となって広がっていった。<第九夜へ続く…>
2005年07月05日
主人公は孤独です。心は闇の中です。この物語の舞台は湘南の鵠沼、主人公はサーファーです。心に深い闇を持った男のようです。それでは第七夜のはじまりです。どうぞみなさま、十五日間最後までお付き合いくださいませ。最後の夜には、必ずあなたの心にも何かが残ります。小説 オータム~未来への風が吹く~“独白”の章数ヶ月が過ぎた頃、和哉は並木に酒を誘われた。並木と和哉、この人間関係に特に信頼関係と呼べるものはない。。いつもなら、何か理由をつけて断る和哉なのだが、その日は黙ってついて行った。並木の目に絡め取られてしまったようだ。社内の営業を統括するだけに、並木は激しい性格だ。人間力で圧倒する迫力を持っている。売上げ予算を達成できない者は徹底的に叩かれる。したがって並木と二人で飲みに行ける社員は、予算達成率の高い、ほんの数人の者に限られていた。静かな店だった。並木がお客の接待用に使っている、関内駅から少し離れた日本料理屋だった。この日も気を利かせてなのか、呼ばれる以外、店の者は顔を出さなかった。「白井、以前お前に何があった?」ビールを二本ほど空けた後、並木の質問は唐突にやってきた。いつもの並木とは、少し違う物腰だ。窮屈さや、不快感を与えないようとする、並木の配慮とは和哉には感じられなかった。「いや、別に…特別なことは無かったと思いますけど」「何か気になるんだよな、お前のこと。たしかカミさんと別れたって言ってたよな。」「ええ、結婚して何ヶ月かな…短かったですよ」普段なら自分のことに話題が及んだ瞬間、突然不機嫌になる和哉だが、流れるままに会話が進んでいった。「なぜ別れたんだ。」「よくわからないです。私の誕生日でしたね、出て行ったのは」「お前の誕生日に出て行くなんて…」「ショックでしたよ。」「そうだろうな」「これは…あまり話したいことじゃありません。この話をしたのは、並木部長で二人目なんです」「もう一人はどんな人だ」「その後につきあった彼女です。でも別れました。サーフィンいっしょにやったけど、こんな性格じゃ誰とも長続きしないんですよ。彼女とも私の誕生日だった、別れたの…」「こんな性格って、お前どんな性格なんだ」「自分でもよくわからない。だから『こんな性格』って言っているんですよ。子供の頃から友達は私を避けていました。」「わかるような気がするな。その延長線上に今のお前もあるよな」並木にしてみれば、得体の知れない何かを持つ白井和哉が、この数ヶ月とても気になっていた。毎日毎日、何かに憑かれたように数字を追う姿に、溌剌としたものは感じられない。むしろその逆だ。しかし妥協しないその姿勢には、他の社員を圧倒するものがあった。しかし、そのモチベーションがどこから来るものなのか、並木はガラス細工のような危なっかしさを和哉に感じていた。並木は若い頃からトップセールスだけあって、和哉が今まで、人に見せた事のない面を巧みに引き出していた。店に入ってからすでに2時間が過ぎようとしていた。和哉は、美砂のこと、ケイのことを並木に話した。しかし自分を客観的に見ることのできない和哉は、本質的なところを外していた。並木は、この男に現実感の無い、空虚なものを感じてしまった。そのうえ、生きているのか、死んでいるのか、体温が伝わってこない。それはなぜなのか、『何』がそうさせるのか。並木は途中気が付いた。聞かれれば今日の和哉は応えている。しかし和哉から並木に対しての質問は一切無かった。酒を酌み交わせば、少しはプライベートな部分のやり取りが普通はある。人と人だから、それが社会であるから。しかし、『こいつは俺のことには、まったく興味が無いんだ、いや、自分以外の誰にも興味が無いんだ…、自分にしか、自分のことにしか興味がないんだ…』和哉からの答えは並木が引き出すものの、それは自分だけの世界に入って語っているだけなのだ。そんなキャッチボールの無い会話が続いた。いつしか、並木の問いに対してというより、和哉の独白のようになった。和哉は独りで話していた。それは誰に向かってなのか、そこには並木の存在など、視界に無いかのような和哉がいた。和哉は完全に自分だけの世界にいた。並木には、和哉の正体が少しずつ見えてきたようだ。「待てよ、俺の話を聞け、白井」どれほどの時間が流れたのか、並木は強い視線で和哉の言葉を遮った。和哉は並木の奥深い威圧感に圧倒された。二人の空間は、時間までも一瞬にして並木のものとなった。そして一語一語、並木はゆっくりと語り出した。<第八夜へ続く…>
2005年07月05日
主人公に転機が訪れました。この物語の舞台は湘南の鵠沼、主人公はサーファーです。この男、心に深い闇を持った男のようです。それでは第六夜のはじまりです。どうぞみなさま、十五日間最後までお付き合いくださいませ。最後の夜には、必ずあなたの心にも何かが残ります。小説 オータム~未来への風が吹く~“視線”の章和哉は翌朝一番に入室した。誰も居ない支店は静かだった。支店長席に辞表を置いた和哉は、行き先をホワイトボードに書き込み、営業車に向かった。その日も、いつもと同じような一日が始まった。その夜は早めにあがり、求人雑誌を片っ端から読み漁った。初めての転職だ。和哉は営業職以外経験は無い。人付き合いは苦手だが、数字のプレッシャーを受けることに関しては、自分に合っていると感じていた。迷わず営業職のページをめくった。翌日の昼休み、ポストイットを貼り付けておいた企業へ連絡を入れた。何件目かにヒットし、(株)ドリームズというOA機器販売会社の面接を受けることになった。転職にあたって、業種にこだわりは無かった。営業職、それも直販であればよかったのだ。自分の力がストレートに反映する直販に付きたかったのである。面接には並木という部長があたった。体格が良く、一見温和に見える。しかし、メガネの奥から覗き込むような視線に、和哉は並木の怖さを感じたのである。それは相手に恐怖感を与えるようなものでは無かった。ただ、計り知れないものを感じさせるものだった。和哉は出会ったことの無いタイプに戸惑った。しかし、即決だった。採用理由として『和哉の持つ、得体の知れない情念のようなものに、興味を持った』と並木は語った。採用理由を聞かされた和哉にしてみれば、『不思議な理由だ』と思うともに、それが並木をより不気味な存在として印象付けた。出会いは偶然ではなく、必然だという人もある。人の縁はわからない。怖さや、得体の知れない情念などという、普通なら避けたいはずのものに、二人は感覚的に惹き合ったようだ。採用条件は厳しかった。基本給は低く押さえられ、売上高、予算達成率に応じて、インセンティブが支払われるというものだ。したがって数字の上がらないものは、短期間で脱落していくことになる。そんなことも理由にあって、社員の入れ替わりが激しい会社のようだ。次の転職先が決まったことで、有給休暇を消化でもすればよかったのだが、和哉は最終出社日まで毎日出社していた。支店に馴染んでいない、和哉の出社を快く思わない者も多かった。和哉の居場所の無さは、強まる一方だった。転職をキッカケに、和哉は髪をオールバックに変えた。別に流行っている訳ではない。外見だけでも落ち着いて見せたかったからだ、それは自身の弱さの裏返しでもあったようだ。ここでは周りの社員は皆、ライバルの関係だ。今までのように仲良しクラブ的ではない。社内全体に殺伐とした雰囲気が漂っていた。『数字、数字、数字』みんな売上げに血眼だ。はじめこそ驚きもしたが、同僚とよけいな話をする必要も無く、かえって和哉には働きやすい場所ともいえた。営業担当ひとりひとりに過酷なノルマが課せられていた。予算を達成できない営業は、人格を認められないのだ。数字イコール人格と言ってもよかった。会社から見れば、営業は売上げを作る道具みたいなものだ。営業の基本給は低い。しかし、半期ごとに予算を達成した者には、ぶ厚いインセンティブが待っていた。したがって、予算を達成した者と、未達成の者では、金額的にも、人としての扱いにも、天地ほどの開きがあったのである。妥協のない「売上げ」ばかりの環境の中で、和哉は只黙々と仕事に向かっていた。しかし、和哉の姿からは、ひたむきさや、情熱といったものは感じられなかった。むしろ逆だ。和哉から漂い出るものは、孤独感や心の深くにある、張り裂けそうなほどの恐怖心ではないか。まるで、そこから目をそむけるようにして、目の前の仕事に向かっているとも見えるのである。部長である並木は、和哉の姿を興味深く見つめていた。声を掛けることもなく、ただ遠くから、和哉の内面を探るような視線を送るだけだった。和哉が採用された理由は『和哉の持つ、得体の知れない情念のようなものに、興味を持った』ことだが、そんな並木の視線を、和哉のほうでも不気味に感じていた。温和な外見には似合わず、人を人とも思わないような激しい性格に、和哉はとても良い感じは受けなかった。しかし以前のように『チームワーク、協調性』などと言われるよりは、はるかにマシだと思っていた。和哉にとっては、並木の不気味な視線だけを避けていれば、居心地の良ささえ感じられる環境だったかもしれない。しかし、その避けようとする並木の視線は、まるで蜘蛛の巣のように和哉を絡めとり、逃がしはしなかった。時折和哉は、並木という人間は、人の皮を被った、魔物ではないかと思えることもあった。それはなぜなのか、それは和哉の心の奥底まで、全て覗き込まれているように思えたからであった。 お互いが尋常でないものを感じながら、時が過ぎていた。<第七夜へ続く…>
2005年07月03日
主人公の心の闇が少し見えてまいりました。この物語の舞台は湘南の鵠沼、主人公はサーファーです。心に深い闇を持った男のようです。それでは第五夜のはじまりです。どうぞみなさま、十五日間最後までお付き合いくださいませ。最後の夜には、必ずあなたの心にも何かが残ります。小説 オータム~未来への風が吹く~“逆光の中”の章和哉の時間はあの日から止まったままだ。もちろん季節は移り、秋から冬、そして春へ、すでに桜の宴さえも人々は忘れかけた頃になっていた。和哉が川崎支社から藤沢支店へ転勤して、もうすぐ一ケ月が過ぎる。藤沢支店は藤和医薬品販売の中では、業績面においても、お客様満足度でも、高い評価を受けている事業所だった。組織はリーダーの色がでる。小さな組織であれば、なおさら強く現れるのが常だ。藤沢支店内は支店長の人柄を反映してか、明るく積極的な雰囲気が漂っていた。ある日、和哉は支店長室に呼ばれた。「もっと周りと協調性を持て…、一人だけ突出するな…、みんなで全国一、業績もチームワークも良い支店にしよう…」支店長の話は概ねこんな内容だった。協調性を欠いた性格であることは、本人が一番感じている。和哉にとっては、予想された内容だっだ。話がすんで和哉が退出しようとした時だった「おい白井、近いうちに一杯行こう」と声を掛けられた。和哉は曖昧な表情を浮かべ、そのまま部屋を出て行った。和哉はこの手の相手が一番苦手だった。川崎支社と比べ、藤沢支店はかなり小規模だ。和哉は生来人付き合いの苦手な男だ、仕事は仕事と割り切って、営業成績を上げることには没頭できるが、協調性となると一番苦手なものとなる。プライベートな付き合いまでも要求される気がして、それだけは避けたかった。只、自分にはノルマだけを与えてほしいと願っていた。そんな和哉は、周りから取っ付き憎い存在と思われていた。支店長に逆らっているわけではない。しかし組織に自然に溶け込めない和哉がいた。朝礼前、時間を惜しむように支店を飛び出し、新たに与えられたテリトリーの顧客を回った。帰社時間は誰よりも遅く、戻るやいなや、伝票整理、報告書をまとめ、翌日の営業資料を作成、そして深夜帰宅するという毎日が続いていた。周りには上昇志向が強い男、という印象を与えているようだが、実のところそうではない。『まだやれる、まだだ、まだ・・』と自分を責めているだけなのだ。和哉は子供の頃から、自分は休んではいけないと思っていた、いや、思い込まされていたといってもよい。和哉には『ほっとする』瞬間もなかったのである。それは物心ついた頃からそうだった。『さぼるな、なまけもの…』父親の目が常にそう言っているように感じていた。どこにいてもその目から離れられず、いつも監視されているような気がしていた。だから小学生の頃から、どんなに体調が悪くても休んだことは無い。休むことは許されないことだった。それは今も引きずっている。仕事の合間も『まだやれる、まだだ、まだ…』と自分を追い詰めるようになってしまったのだ。和哉はこの転勤をキッカケに、美砂と暮らした都内のアパートから、ここに移り住んだ。それは、ケイと行った、あの鵠沼に惹かれたからである。心の奥底で感じたもの、それは何か、和哉自身もこの思いを、整理することはできなかった。鵠沼までの距離はかなりあるが、和哉は同じ匂いのする街に、都会には無い、ほっとするものを感じているようだった。都内のアパートに比べ、風が心地よかった。流れる時間さえも、とても同じとは感じられなかった。天気の良い日には、窓から富士が見える。そんな中に和哉はいた。 ケイと別れてから、和哉は独り、九十九里、鴨川などの千葉から、鵠沼、辻堂、茅ヶ崎、大磯に入っていた。無駄とは知りながらも、ケイの姿を探していた。和哉にはケイがこの地上から、忽然と姿を消したように感じられた。跡形もなく。まるではじめからいなかったかのように、その存在自体が信じられなくなってきていた。それはケイのことすべてが、ガラス越しの中の記憶だからだ。長い髪を後ろに束ね、しなやかに力強く、波に踊るケイ。キラキラと反射する波間に、何度かケイの幻を見る和哉だった。真冬の青く澄んだ海や、海風が運ぶ春の気配も、和哉には何の意味もないものだった。ただ、あの日以来、波の中にケイの面影を追っていた。月曜から金曜にかけては、ひたすら営業に徹する和哉がいた。そして休日は別人のように、早朝から海に向かった。今の和哉は、狂ったように何かに没頭したかったのだ。美砂との離婚、ケイとの別離、今までに何人も付き合ってきたが、どれも長くはなかった。異常なほど愛情を欲しながら、それを失うことの繰り返し。内面の鬱屈したものをぶつけるように、自分を徹底的に苛め、責める和哉だった。支店長の意に沿わない男ということで、周りの社員との摩擦が増えてきた。和哉の望みも、状況が許さなくなってきたようだ。営業スタイルのみならず、和哉の根本的性格、考え方まで見直せとの高圧的な要求に怒りを感じはじめた。和哉の怒りは、常に内面的な方向に向かっているといえた、しかし一たび他人から攻撃を受ければ、自らを守るため、その激しい攻撃性は相手に向くのである。このときは直接支店長に向いた。「数字上げれば問題ねぇだろうが!」支店長室から和哉の怒りが響き渡った。和哉の激しい一面を見せつけた瞬間だ。周りからは『逆ギレ』などと言われたが、和哉にとっては自然な振る舞いだった。もちろん上司とのケンカは勝ち目が無いことは知っている。しかし自分を抑えることもできない和哉なのだ。『俺はルートセールスには向かない性格なんだ、直販のほうが力を出し切れるはず、それに支店の人間関係にも疲れた。明日は辞表を出そう』転勤以来考えていたことだ、気持ちはそう決まった。しかし、神経質な和哉は、深夜まで寝付けなかった。<第六夜へ続く…>
2005年07月02日
主人公の心の闇が少し見えてまいりました。この物語の舞台は湘南の鵠沼、主人公はサーファーです。心に深い闇を持った男のようです。それでは第四夜のはじまりです。どうぞみなさま、十五日間最後までお付き合いくださいませ。最後の夜には、必ずあなたの心にも何かが残ります。小説 オータム~未来への風が吹く~『叫び』 の章和哉は朦朧とする頭で、ぼんやりと目覚めた。Tシャツにジーンズ、着ているものはそのままだ。昨夜のことはあまり思い出せない。かなり飲んだらしいことは、容易に想像がついた。ケイの姿は無かった。カーテンの隙間から見える空は、どんよりと鉛色をしていた。しばらく和哉は天井を眺めていたが、寒々とした部屋に人の気配は感じられなかった。ハッとして跳ね起き、和哉は『ケイ』と呼んでみた。しかし反応は無かった。和哉の体は敏感に反応した。深いところで恐怖に似たものを感じた。もう一度『ケイ』と呼んでみたが、その声は空虚なものでしかなかった。「ケイ!」和哉の声は叫びに変わったが、冷めた空気だけが和哉を包んでいた。「ケイ…、ケイ…」和哉の声にはすでに力が無い。いつも居るはずの人間がいなくなる。突然目の前から、自分を置いていなくなる。和哉は深いところにある、形の無い恐怖を呼び覚まされた。いつも心の奥深いところにしまってある、自分も知らない記憶…物心ついた時から、この形の無い恐怖と隣り合わせだった。和哉は力無く立ち上がった。「ケイも俺を…、ケイも俺を…」とうわごとのように何度も繰り返した。『和哉へ昨日はお誕生日おめでとう和哉のお誕生日は、わたしにとっても特別な日だった今年はふたりでお祝いしようねって、あの雪の日に約束したよねあなたの誕生日の思い出が、良いものになりますようにって、がんばったつもりわたしにとっても良い日になりますようにって、それが願いだったでもだめだったみたいわたしには見えなかった和哉の深いところにあるものを、私は感じてあげることができなかったその寂しげな眼差しは、いつもどこを見ているのなぜわたしを見てくれないのそれはなぜいつも自分をいじめるのはなぜどうして何も話してくれないのわたしは和哉のことが知りたかったどんな些細なことでも知りたかったいつまでもいっしょに波乗りもしたかったいつまでもいっしょに海に抱かれていたかったでも もうおしまいごめんなさい大好きだった和哉へ ケイ』『ケイも俺を置いて行っちまうのか…』和哉の目は焦点が定まらないまま、部屋中をさまよった。読み終えた手紙は和哉の指先を離れ、ゆっくりと足元へ落ちていった。どれほどの時間が経ったのだろう、和哉は立ち上がってカーテンを開いた。どんよりとした鉛色の雲が低く垂れ込めていた。光の届かない世界、和哉は寂寥感に押しつぶされそうだった。『美砂が出て行ったのも俺の誕生日だった、俺はあの日早く帰ってきた。嬉しくてね。俺だって美砂といっしょに笑ってみたかった。本当なんだよ。結婚して初めての誕生日、いっしょに祝えるものだと思っていた。あの日は俺にとって、生まれて初めての誕生日だったはず。それなのに…美砂はいなかった。俺は待っていたよ。美砂が戻るのを、ずっと待っていたんだよ…』和哉はテーブルの上にある、ケーキに目をやった。『カズヤ おたんじょうびおめでとう ケイより』と書かれていた。背中を丸め一生懸命ケーキに向かっていた、ケイの後ろ姿が思い出された。和哉の頬に伝うものがあった。それはとめどもなく溢れ出た。ケイの前では見せたことの無いものだ。いや、それは子供の頃から、誰にも見せたことの無いものだった。『美砂もケイも、俺のことをわからないと言うけど、俺にだってわからないんだ。どう接していいかわからないんだよ。俺のどこがいけないんだ。今度はうまくやりたかった。だからケイをわかりたくて、波乗りだって始めたんだ。でもケイは俺にもっと楽しめって言う。でも、俺は楽しんでいるつもりだった。いつも寂しげな目だって言う、でも、俺だって笑うことがあったじゃないか。ケイは自分を責めるなと言うけど、よくわからないよ、それ自体が俺を責めているようなものじゃないか…、置いていかないでくれ。俺を置いていかないでくれ…、それは母さんだけでいい…幸せってなんだ。幸せって何なんだ。いったいどんな形をしているんだ』和哉は床の上に崩れ、「行かないでくれ、俺を置いて行かないでくれ」と泣きじゃくった。心の奥深くにある、形の無い恐怖。抑えきれない怒り。『母さんはなぜ俺を置いていった。』和哉は幼い頃から、心の平静を失うとこの叫びを繰り返した。『俺には母さんの記憶すらない。なぜ俺を生んだ。なぜ俺を捨てた。母さんは俺を愛してくれていなかったのか。俺にあるのは居場所の無い、あの暗い家と父親の憎悪の目だけだ、助けて、助けて…』和哉は声も無く、ただあの頃の恐怖に凍りついた。<第五夜へ続く…>
2005年07月01日
全26件 (26件中 1-26件目)
1
![]()
![]()
