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ALOHA☆ 今回はいずれハワイと日本が地続きになるかも?というお話。 と、いってもそれはとっても気が遠くなる先のお話。 これは「プレートテクトニクス」という理論によって説明されるものです。地球の表面を覆う暑さ100kmといわれるプレートがその下部のアセノスフィアを流れるマントルの力によって少しづつ移動しているということなのです。 例えばハワイ諸島が乗っかる太平洋プレートの大部分は太平洋を北西に向かって移動しています、すなわち日本海海溝から地球の内部に向かって潜りこんでいるのです。 プレートの移動速度は1年に6cm程、約1億年ほどすれば千葉銚子の沖合にカウアイ島が出現するという訳です。 なんだか夢のようなお話ですがそれが現実なのです、地球は正に生きているのです。 ではまた A Hui Hou!(じゃまたね!)
2016.02.27
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Aloha! ハワイでは、11月から5月ぐらいまで限定でできるアクティビティがあるのをご存知でしたか? そのアクティビティとは、ホエールウォッチングなんです! 夏の間アラスカで過ごしていたザトウクジラが、出産のために温かいハワイの海へとやってくるのです。 ハワイ島では、特にコハラコーストやコナ側の海で見かけることが多く、ホノコハア港やカイルアコナの桟橋からいくつものホエール・ウォッチングのツアーが出ているので、この時期コナに滞在するなら、参加してみてはいかがでしょう。ツアーを選ぶ秘訣は自分にあった船のタイプを選ぶこと。大型の船からゾディアック(大型のゴムボート)までツアー会社によって船はさまざま。小さい船だとよりクジラに近づくことができますし、臨場感たっぷりなのが利点です。ただし海面が近いので揺れや波しぶきが気になるかも。大きい船の場合は、クジラを威嚇しないためにも少し遠巻きに見る感じになりますが、揺れが少なくて快適なので船酔いしやすい方などにはおすすめです。また日本語ガイドがいるツアーを選べばクジラの生態などの説明もきけてより楽しいでしょう。それから、ツアーによってはクジラを見れなかった場合、再乗船できるサービスを行っているので、“クジラ予備日”を旅の予定に入れておくといいかもしれません(ツアー条件は会社によって異なるので、申込の際に確認を)。 ちなみにボートツアーにいく時間がない、もしくは船が苦手という時も大丈夫!見晴らしのよいところに行けば、陸からでもクジラを観察できる可能性ありです。 陸からクジラを見つける方法ですが、まずは沖のほうに目を凝らし、水しぶきがあがっているのを探してみましょう。大きな水しぶきが同じ場所で何度かあがっていたら、それはクジラがジャンプしていたり、ひれを水面に打ち付けている証拠。また潮を吹いていると、煙のようなものが水面近くで見えます。慣れて来るとけっこう簡単に見つけられるようになります。それから沖で同じ場所にいくつもの船が停泊していたら、その周辺をチェックしてみるのも手。ホエール・ウォッチの船がクジラの近くで観察している可能性大だからです。時に、せっかく見つけたクジラが水中にもぐってしまうこともあります。その時は諦めずに少し待ってみましょう。たいていは5〜10分ぐらいで呼吸のためにまた水面に戻ってきます。
2016.02.20
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陰暦正月の中(旧暦で月の後半にくる節気)で、陽暦では2月18日か19日。 雪が雨に変わり、雪や氷は溶けて水となる。忍びよる春の気配に草木がよみがえる、の意味だが、雪国の雪はいまだ深く、関東や東海地方の太平洋側に雪が降るのはこの時期である。 今年は厳寒の一時期があったとはいえ。平年比暖冬です。でも暦通り明日は雨の予想、その後また少し寒さがぶり返すそうです。三寒四温寒さ暑さを繰り返しだんだんと春が見えてきます。さぁ、すぐそこに桜の季節が待っていますよ!!!
2016.02.19
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「ちょっと言いたくなる京都通」として奥深い京都の良さや 京都の人も知らない情報などをおりまぜながら、 わかりやすく紐解いていきたいと思います。 ぜひ身近に京都を感じてください。 今回のテーマは一途に飛行機づくりの夢を追いかけた人物と『飛行神社』というユニークな名の神社をご紹介いたします。 ■ 二宮忠八はライト兄弟より早かったんえ。 皆さんは、有名なライト兄弟をご存知ですね? 世界で初めて飛行機を飛ばすことに成功しました。 ところが、その12年も前に日本で飛行原理を発見していた人物がいたのです。 二宮忠八(以下忠八)、その人で、飛行神社の創建者でもあります。 愛媛県の八幡浜で生まれた忠八は、幼い頃から大人のような考えを持つ、ちょっと変わった子供でした。 暇さえあれば、身近なものをよく観察し、工作など新しいものを創意工夫してつくることが好きでした。 大変頭がよく、学校の成績にも秀でていました。 "たこづくり"では、すでにその才能が垣間見え、風車が回り、羽が閉じて紙吹雪が舞う…というハイカラな仕掛けを考え出しました。 これが宣伝関係の人の目に留まり、チラシなどビラまき用に制作依頼があったそうです。 「いつか人が空を飛べるものを作りたい!」忠八のそんな思いはこのときすでに芽生えていたようです。 忠八は裕福な家に生まれたものの12歳で父を病気で亡くし、成績優秀であったにも関わらず、働くことにしました。 初めての仕事は子守でした。 15歳のときには、大きな薬問屋を営む叔父の会社で働き出し、そこで一人前の薬屋の店員となりました。そして22歳で、軍隊に入隊。 身長が規定に達していなかったことと、薬に詳しいということで看護手(当時の呼び方)として他の兵隊のケアにあたりました。 一方、まだ見ぬ飛行機づくりの研究もコツコツと始めていました。 当時、空を飛ぶ見本となるものは、鳥や虫など生き物しかありませんでした。 そんなとき、カラスが飛んでいるのを見た忠八は、鮮烈なひらめきを覚えるのです。 上昇気流にのり、固定翼で飛ぶカラスの飛び方にヒントを得て、飛行機の原型といえる「カラス型飛行器」を完成しました。 プロペラは竹とんぼの回り方を見て、タイヤは三輪車を見て、取り入れていきました。 このように身の回りのものを柔軟に取り入れて飛行器を完成させていきました。 ■ 飛行機への夢を、空の安全に託しはったんや。 忠八の飛行機への夢はとどまるところを知らず、カラスの次は玉虫の飛び方に目を付け、2枚の羽とスクリュー型のプロペラがあるという、現在の飛行機のイメージにかなり近いものをつくり上げました。 しかし「有人飛行機をどうしてもつくりたい!」という忠八の思いを叶えるためには、もちろん莫大な資金が必要でした。 そこで、軍の上層部に上申書を出して、飛行機づくりの費用を出してくれるようにお願いしました。 しかし、全く理解が得られず、再度上申書を出してもだめでした。 ここで、また忠八は一大決心をします。 33歳で軍を辞め、飛行機づくりの資金を自分で稼ぐことにしました。 大阪製薬株式会社という会社で薬について研鑽を積み、支配人になった後、合資会社の社長として独立し、多くの新薬を作りました。 忠八の新薬の開発は、すべて飛行機づくりのためだったといわれています。 裏を返せば、飛行機づくりの夢がなければ、それらの新薬も生まれていなかったかもしれません。 こうしてコツコツと薬を販売したお金を貯めて、いよいよ飛行機の制作に取りかかろうとしたのは、上申書提出から12年後のことでした。 ところが、時を同じくしてライト兄弟の世界初飛行が発表されたのです。 一途に思いつめた夢は破れ、忠八のショックは想像を絶するものがあったようです。 忠八の飛行機研究が世間に認められるようになったのは、それから数十年後で、天皇陛下や政府からも表彰されました。 また、忠八の上申を断った軍の上官からも丁寧な侘び状が届きました。 そのような出来事は忠八の心に感謝の思いをふつふつともたらしました。 その頃痛ましい航空事故が絶えず、多くの人が犠牲になっていました。 忠八は自分が生まれた八幡浜と名前が似た京都府八幡市に自宅を構えていましたが、その庭にそれまで飛行機制作のために蓄えていた資財を投じて、航空機事故の犠牲者の霊を祀るために飛行神社を建てました。 また自ら神主の資格も取りました。 晩年の忠八は神社に仕え、書や画を描きながら、空の平安を祈っていたそうです。 ■ 空に関わる人たちが参られるんどす。 現在、飛行神社には、航空会社、ヘリコプターやセスナのパイロット、あるいはフライトアテンダントや航空整備士など、航空に関わりの深い人たちが参拝されています。 航空関係専門としては西日本を代表する神社です。 近年は、ロケットや衛星など宇宙事業に関わる方々も参拝されているそうです。 その他にも、パラグライダーをする方、自家用セスナを所有されている方など、一般で航空に関わる人も結構おられるようで、こちらに来られています。 毎年滋賀県彦根市の琵琶湖で行なわれる鳥人間コンテストに参加する人が安全祈願と優勝祈願に訪れることでも有名です。 またこれからフライトアテンダントをめざす若い女性も合格祈願にたくさん訪れています。 なお、現在の社殿、拝殿、資料館は、平成元年に飛行原理発見100周年を記念して、忠八の次男二宮謙次郎により建てかえられたそうです。 ギリシャ神殿を思わせるモダンな洋風の拝殿は、新しいものが好きだった忠八も喜んでいることでしょう。 また昨年には、飛行機模型のコレクターが個人で所有していた大量の模型を寄贈し、マニアには必見です。 二宮忠八の飛行機制作の過程がわかる資料館を見学したい方は有料ですが、どなたも歓迎とのことです。 ところで、こちらの神社で授与されているお守り等は、すべて航空安全のためのものです。 おしゃれな飛行機のタイピンやネックレスは、以前に造幣局で作られた銀製です。 またこの7月より、パスポートとともに持って行きたいお守りとしてカード型が授与されます。 ※参拝時間は、9:00~17:00まで、ただし資料館は16:00まで。 休館日なし。入館料など、詳細は直接お問合わせください。 今日もちょっと京都通。 美しい古都に思いを馳せつつ、おいしいお茶を飲みながら、はんなりとした時間をお過ごしください。 では、次回もよろしくお願いします。 取材協力:飛行神社 京都府八幡市八幡土井44番地 電話 075-982-2329 宇治茶 伊藤 久右衛門
2016.02.17
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3世紀のローマ帝国、皇帝クラウディウス2世は妻子がいると戦意が薄れるという理由で、 結婚禁止令を掲げる。しかし、教会に勤めていたバレンタイン(バレンティウス)は、結婚を願う若者達のためにこっそりと結婚式を執り行っていた。しかし、皇帝に知られてしまい、彼は2月14日に処刑されてしまいます。1世紀後、ローマ法王はこの殉教の日を祭日に定め、バレンティウスを聖人の名に連ねる。 中世になって、2月14日は鳥たちがつがい始める日とされていた。それを人間も真似をしてラブレターを送る日となり「愛の守護聖人の日」とされ現在に至る。 日本では1936年神戸に本拠を置く「モロゾフ」が「バレンタインデーにモロゾフのチョコレートを」という広告を英字新聞に掲載。58年には「メリーチョコレートカムパニー」がデパートに特別贈答用のチョコレートを用意。 当初の反応は鈍かったが、徐々に各社が参入、70年代から80年代にかけて定着していく。 近年、若者たちに幅広く愛されているバレンタインデー、その象徴的存在のチョコ、その発祥の地は「神戸」なのです!!!
2016.02.14
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「ちょっと言いたくなる京都通」として奥深い京都の良さや 京都の人も知らない情報などをおりまぜながら、 わかりやすく紐解いていきたいと思います。 ぜひ身近に京都を感じてください。 今回のテーマは珍しい「長じゅばん」の美術館でもあるモダンな京町屋『紫織庵』をご紹介します。 ・じゅばんの誕生は国際的どすえ。 ・長じゅばんにも流行がおましたんえ。 ・大正ロマンどすなぁ、粋やおへんか。 ■ じゅばんの誕生は国際的どすえ。 京都市の有形文化財として指定されている趣きのある町家「紫織庵」。 建物の価値もさることながら、長じゅばんの美術館としても稀少な資料の宝庫です。 明治時代末期から、昭和初期にかけて、建築、アート、インテリアなど、様々な分野に西洋のセンスが随所に見られ、日本文化に異国情緒が加味され始めました。 その時代に、西洋の薫りと日本の伝統が見事に調和し、日本独自の文化が生み出されました。 文化的な成熟度が高い時代にあって、中でも最も華やかな独自性を生み出したのが「着物の装い」です。とりわけ長じゅばんの資料には、昔の作品だとは思えない遊び心溢れるモチーフや華やかな色使いが残されています。 長じゅばんというと、主役の着物に対して、脇役的なイメージがあるのではないでしょうか。 しかし実際には、着物の下に着るからこそ密かに楽しめるといった、装いとしての歴史的変遷や華麗な流行を確立していました。 長じゅばんの歴史を辿ると、天正時代にさかのぼります。 フランシスコ・ザビエルが鹿児島に渡来して以来、日本ではキリスト教が盛んになりました。 天正10年、キリシタン大名の命を受けて少年使節団がローマに派遣され、8年の滞在の後、インドに立ち寄った際に、宣教師から贈られたのが「ジバオ(gibao)」という衣服。 これが訛って「ジュバン」と変化したのだとか。 ジバオには袖がなかったので、着物風の袖を付けたものが、「南蛮じゅばん」と呼ばれ、御殿女中に好まれました。それが現在の長じゅばんの始まりです。 ■ 長じゅばんにも流行がおましたんえ。 江戸時代、元禄の頃には、着物が豪華になるにつれて、同様に長じゅばんもどんどん贅沢になっていきました。素材も絹やちりめんが用いられるようになり、長じゅばんにも着物と同じような染色技法を取り入れるようになったそうです。 明治時代~昭和初期までは、長じゅばんは内側の隠れた部分のお洒落として、最も華やかに彩られた黄金期でした。 色鮮やかな色調のもの、構図や柄が個性的なものなど、斬新な長じゅばんも数多く誕生します。 生地も型友禅に最適な「錦紗織」「古浜ちりめん」「絽ちりめん」など、新しい素材が生まれました。紅生地の裏地に小紋や刷りの友禅、工夫を凝らした刺しゅうや絞り加工など、次々と豪華な長じゅばんが登場します。 しかし、華麗なる時代は戦争により終焉。 戦争と共に、着物や長じゅばんに使用する染料を制限され、昭和15年には、着物も長じゅばんも作られなくなりました。 戦後も物不足は続き、染料を薄めて使用するようになりぼかし染めが主流に。 長じゅばんから鮮やかな色彩が消えていくのです。 徐々に長じゅばんも大量生産する時代へと変わり、素材も改良が加えられ、現在も使用されている精華パレスや意匠綸子などが生産されます。 今では、染色の技術も進み、手の込んだ友禅染めや多色使いの絞り染めなど、着物と変わらない素材感と色調が楽しめる長じゅばんも豊富になりました。 ただし現在は、見た目の着物が華やかであることが第一に優先される時代。 下着感覚の長じゅばんは薄い色が好まれる傾向に。 それでも昨今の和服ブームもあり、二着目以降の長じゅばんの装いとして、華やかな柄が今でも愛されています。 最近では、長じゅばんの生地で創った小物やバッグが女性に人気です。 また、新しい使われ方としては、長じゅばんの生地を男性の背広の裏地として取り入れる装いも。 ジャケットの裏からさりげなく素敵な絵柄が見え隠れするのは、とても粋だとお洒落な男性の間で話題のようです。 ■ 大正ロマンどすなぁ、粋やおへんか。 大正時代から昭和初期の長じゅばんの本絵や絵摺りはほとんど残っておらず、こちらでは下絵や資料に基づいて伝統的な京友禅技法を駆使し、大正時代そのままに大正友禅の長じゅばんや肩裏を再現しています。 大正時代から昭和初期にかけては、長じゅばんの最も多彩なデザインが輩出された全盛期です。 型友禅よるアールデコや伝統的図柄に加えて、斬新な図案が次々と生まれました。 最近のデザインかと錯覚するほどのモダンさ、小粋さに驚かされます。 モチーフがいわゆるハイカラなものが多く、「ジャズダンス」「トランプ」「フランス人形」「テニスに興じるモガ」など。 男性向けにも「マッチ柄」「ドット柄」など、「遊び」のセンスを効かせた洒脱さは、当時の意匠レベルが非常に高かったことが見受けられます。 また大正時代は、「赤いカラス」や「クモの巣」といった大胆な柄が流行したそうです。 それは、長じゅばんは、見えない所のお洒落だったことから、隠れた部分にこそ、あえて実際にはあり得ない「赤いカラス」の装いを楽しんだり、恋をかなえるために、好きな人の「魂」をとると言われた「クモの巣」を身に付けて願をかけたと言われています。 隠れた部分にお洒落心をしのばせた当時の人は、画一的なファッションで満足している現代人より、数段お洒落上級者だったのではないでしょうか。 ギャラリーでは、江戸末期から大正、昭和初期に流行した華やかな長じゅばんや肩裏をはじめ、復刻刺しゅうを施した半襟と下絵、友禅の資料になった江戸千代紙など、めずらしいものを数多く展示しています。 所蔵コレクションの中にはロスオリンピックや戦争シーンなど、思いがけない図柄もあります。 華やかな長じゅばんが実際に見られる貴重な美術館。ぜひ、一度ゆっくりとご鑑賞ください。
2016.02.11
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今日は節分です、節分とは雑節のひとつで、立春の前日で、旧暦の年の暮れ、年頭にあたります。節分の風習は、新年のよい気を取り入れるための邪気払い。九星気学、中国占星術での年の変わり目は旧暦節分。この日をもって、新年とします。 豆まきは、中国から伝わった「追難(ついな)」の儀式に由来。旧暦大晦日に宮中で行われる「鬼遣(おにやら)い」の儀式として始まりました。これが現代の豆まきの元になった行事です。 「まめ」は魔目。鬼の目をめがけて豆を打ちます。 「焼い嗅がし」は柊の小枝に焼いた鰯の頭を刺した魔除け。鰯の悪臭が鬼を寄せつけないと考えられていました。他には大蒜や葱、焼いた髪の毛を吊るす地方もあります。 節分は冬季か春季かの正解は冬季。しかし、翌日が立春だから、すでに春の匂いの濃い冬季といえる。 この辺の事情をみごとに語っているのが、芝居好きならお馴染みの河竹黙阿(かわたけもくあ)弥(み)(文化13〜明治26〈1816〜92›)快心の歌舞伎狂言『三人吉三(さんにんきちさ)廓(くるわの)初買(はつかい)』序幕の「大川端(おおかわばた)庚申塚(こうしんづか)の場」のお嬢吉三の名科白(めいせりふ)だろう。 月も朧(おぼろ)に白魚の篝(かがり)も霞(かす)む春の空、つめてえ風もほろ酔いに心持(こころもち)よくうかうかと、 浮かれ烏(からす)のたゞ一羽塒(ねぐら)へ帰る川端で、棹(さお)の雫(しずく)か濡(ぬれ)手(て)で泡、思いがけなく手に入る百両。 ほんに今夜は節分か、西の海より川のなか落ちた夜(よ)鷹(たか)は厄落とし、豆(まめ)沢山(だくさん)に一文(いちもん)の銭(ぜに)と 違って金包(かねづつ)み、こいつあ春から延喜(えんぎ)がいヽわえ。 止めの「春から延喜(=縁起)がいゝ」の春は翌朝からとも夜のうちからとも受け取れる。 本来節分とは文字どおり季節の分かれ目の意味で、立春、立夏、立秋、立冬のそれぞれの前日をさし、したがって一年に四回あった。平安後期、摂政藤原道長の栄華を中心に書かれた歴史物語『栄華物語』峰の月に「秋の節分にいと疾(と)く入りぬべければとて、七月(ふみづき)三日内(みかのうち)に帰らせ給(たまふ)」とあります。 旧暦七月三日だから、「秋の節分」とは云うものの、正確には立秋前日すなわち夏の最後の日なのだ。 「三人吉三」のお嬢吉三は直後、登場したお坊吉三にゆすられて女から男に変身、ここには八百屋お七のパロディーということを含めて、冬が春に変身することと重ねた趣向もあるのかもしれません。 この日に「恵方巻き」という巻きずしを食べる習慣が広がっています。種類も増えていて、おすしだけでなくロールケーキなども登場しました。今年はどんな恵方巻きを食べますか? 「恵方」とは、その年の福徳をつかさどる「歳徳神」がいるとされる方角だ。 ちなみに今年の恵法は「南南東」で、そちらに向きながら食べることが良いとされている。 巻きずしには「福を巻き込む」という意味がある。切らずにかぶりつくことで、縁を切らないことや、こん棒に見立てて鬼を追い払うことにもつながる。 そして明日2月4日は「立春」です。 立春大吉(りっしゅんだいきち) 二十四節気の第一。節分の翌日です。暦の上ではこの日が寒さのピークで、立春以降の寒さを残寒、余寒と言います。 立春の日。禅寺では朝一番の若水で墨を招り、半紙に縦書きに「立春大吉」と書いて門に貼ります。 一年間の無病息災、そして開運のおまじないです。
2016.02.03
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