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書を捨てよ、町へ出よう-【電子書籍】【楽天ブックスならいつでも送料無料】書を捨てよ、町へ出よう改版 [ 寺山修司 ]書を捨てよ、町へ出よう 角川文庫 【文庫】 ■ぶらり 寺山修司が青森県三沢市で暮らしたのは1945年から4年ほど。空襲で焼け出され父親の実家が経営する食堂の2階に身を寄せた。父親は戦死、母親は米軍基地に働きに出た。寺山は小学4年から中学2年の途中まで過ごしただけだが、母との葛藤や、よそ者に対するいじめなどを体験、作品の原風景につながるゆかりの地が点在する。 三沢駅近くにある不動神社で、寺山はよく本を読んだという。映画「田園に死す」のタイトルバックに登場する神社のモデルにもなっている。周囲には通った小学校跡や遊んだ墓地なども残る。当時の面影はないが三沢商業高校の生徒による手作りの案内板が立つ。 駅から車で約20分。小川原湖を望む小高い丘に寺山修司記念館(0176・59・3434)がある。粟津潔がデザインした建物外観だけでなく展示スタイルもユニーク。ずらり並ぶ机の引き出しの中に隠された自筆原稿や手紙などの遺品資料を、観覧者が懐中電灯を照らしながら探す構成になっている。3月29日まで、昨年亡くなった寺山の元妻でプロデューサー、九條今日子を追悼する企画展「きみが歌うクロッカスの歌」を開催中。記念館裏の松林を進むと寺山修司顕彰文学碑もある。映画にも登場し、作品のモチーフとして好まれたブロンズ製の人力飛行機があしらわれている。毎年5月4日の修司忌には記念のイベントも開かれる。入館料530円。 ■見る「書を捨てよ町へ出よう」のDVDはキングレコードから発売中。4104円。本作のほかATGで製作された「田園に死す」(74年)、「さらば箱舟」(84年)をセットにした3枚組「atg寺山修司ブルーレイBOX」も同社から出ている。1万5552円。価格は税込。 ■読む 同名エッセー集が角川文庫から。1967年の初版単行本は横尾忠則の装丁で話題になった。寺山の膨大な著書の多くは文庫化されている。解説、研究本も多いが、没後30年時に出版されたムック本は写真も豊富で寺山ワールドを体感できる。文芸を軸に手堅い構成の別冊太陽「寺山修司 天才か怪物か」(平凡社)、演劇中心の「寺山修司と演劇実験室天井桟敷」(徳間書店)、映画・映像作品に詳しい「寺山修司の迷宮世界」(洋泉社)など。また、寺山が九條に宛てたラブレターなどをまとめた書簡集が角川書店から4月中旬に刊行される予定。装丁は増田セバスチャンさんが担当している。
2015.02.08
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■時を超える寺山ワールド(NIPPON 映画の旅人)青春の衝動が記録された「書を捨てよ町へ出よう」 カラフルでキュートな原宿“カワイイ”カルチャーの伝道師で、歌手きゃりーぱみゅぱみゅの美術を手がけるアートディレクター、増田セバスチャンさん(44)。彼が八方ふさがりの青春時代から抜け出せたのは、すでにこの世にいなかった寺山修司と出会ったおかげだった。 中・高校時代は毎週末、地元の千葉・松戸から原宿へ通い遊んだ。実家は呉服店を営み、経済的には裕福だったが、両親は子育てに無関心で家庭は半ば崩壊。学校にもなじめず、仲間とつるむ原宿の“ホコ天”だけが居場所だった。だが、高校卒業が近づくと遊び仲間は受験や就職を理由に去っていく。残っているのはマルチ商法に勧誘する先輩だけ。このままではまずいと、すべてをリセットするつもりで大阪へ向かった。昭和が終わった春のことだ。 だが、あまりに文化が違う大阪にどうにもなじめなかった。バイト先で「東京もんが何すかしとんねん」とからまれ、すぐやめた。入学するつもりだった語学系の専門学校にも行かず、仕送りに頼りながら、引きこもる生活が1年以上続く。金がかからない暇つぶしとして図書館で本ばかり読んでいた時、美術家、横尾忠則が装丁した派手な表紙にひかれて偶然、手に取ったのが寺山のエッセー集『書を捨てよ、町へ出よう』だった。 「正直、内容は難解でよくわからなかった」と増田さんは笑う。ただ、「外に出て行動を起こせ!」というメッセージだけが心を直撃した。むさぼるように他の著作を読み、何だかわからない衝動にかられ、夜中町を自転車で走り回ったこともある。「世間のレールから外れてしまった」ことに悶々(もんもん)としてきた劣等感から救われた気がした。 「寺山さんになりたい」。東京へ戻り、寺山のような前衛的な演劇を志向する劇団を手伝い、舞台美術などを手がけたことで現代アート、ファッションに至る現在の道が開けた。1990年代のアート界は、黒や白のモノトーンの色彩や機械が人間を侵食していく未来イメージが支配的だったが、増田さんは商店街で育った幼少期の原風景である原色の装飾や駄菓子のイメージに自分の表現を求めた。90年代に物議を醸した1トンの生クリームでつくったケーキに車が突入、炎上させるといったパフォーマンスも、現在の「カワイイ」ムーブメントも、その根底にあるのは、「既成概念を壊せ」という寺山のアジテーションが原点だという。 増田さんは「世界の若者から“カワイイ”が支持されるのも、大人がつくりあげた世界に対する異議申し立てを感じているからなのでは」と言う。自らの原点になった寺山に、「今も冥界から操られているような気がする」とも。 47歳での早世から30年以上を経ても、表現の現場で寺山の影響を公言する作り手は少なくない。特に世間との折り合いに苦悩する青春期に出会ってしまった寺山の言葉は、時代を超えて響く普遍の力を持つようだ。 映画の中、若き日の寺山を思わせる青森なまりで、観客を激しく挑発していた主人公もまたそうだったのか。その人に会うため、寺山が少年期を過ごした青森・三沢市を訪ねた。 (文・山内浩司) ■映写室 「書を捨てよ町へ出よう」(1971年) 歌人、詩人、劇作家、競馬評論家など多彩な分野で活躍した寺山修司(1935~83)が、35歳で監督した長編商業映画デビュー作。キャスト、スタッフとも素人とプロの混成チームで、ATG(日本アート・シアター・ギルド)と共同で製作された。 「映画館の暗闇の中でそうやって腰掛けて待ってたって何も始まらないよ……」。こう主人公が観客をなじる冒頭から、映画の文法にとらわれない自由奔放な物語が始まる。人力飛行機で空を飛ぶことを夢想する貧しき青年の鬱屈(うっくつ)した青春像を軸に、親捨て、家出、性と政治、差別といった多彩なテーマが万華鏡のように提示される。 ぶれまくるカメラ、変調された不穏な色彩、街頭でのゲリラ撮影やフェイクドキュメンタリー的な手法など、現実と虚構が入り乱れた構成は難解だが、見る者の価値観を揺るがすアングラ的な刺激に満ちている。10代の若者たちが書いた詩を、サイケデリックなロックに乗せて叫ぶ音楽映画でもある。キネマ旬報ベストテン9位。第14回サンレモ映画祭(イタリア)ではグランプリを獲得した。寺山修司が同級生たちとかくれんぼをした不動神社。上空には大きな飛行機雲が浮かんでいた=青森県三沢市 「やっぱり詩人って顔してるね」 1968年夏、初対面の寺山修司にこう言われ、19歳の佐々木英明さん(66)は「思わず、ぽっとなった」と笑う。「書を捨てよ町へ出よう」で主役を演じたその人は、3年前から青森・三沢市の寺山修司記念館で館長を務める。寺山は当時32歳。すでに著名な詩歌人、劇作家であり演劇実験室「天井桟敷」を立ち上げた時の人だったが、「偉ぶらない親しみやすさが印象に残る」という。同郷で、県立青森高校の後輩という縁もあり、年の離れた弟のように可愛がられた。 出会いのきっかけは学研の学習雑誌「高3コース」の文芸欄だった。60年代後半に選者を務めていた寺山は優等生的な詩ではなく、世情を反映した思春期の惑いや大人への反逆を赤裸々につづった作品を好んで選んだ。中学のころは立原道造が好きだった佐々木さんも感化され投稿するようになる。詩の同人活動に熱中するあまり、高校の出席日数が足りず卒業延期、大学受験できなかった“文学不良”でもあった。 寺山は優秀な投稿作をまとめ『ハイティーン詩集』として出版。さらに10代の作者を全国から呼び集め、舞台版「書を捨てよ町へ出よう」を上演する。卒業後、上京し働きながら詩を書いていた佐々木さんもそこに加わった。若者が自作の詩を叫び歌う東京・新宿の舞台は、はとバスの観光コースになるほど話題になったという。71年、寺山は初監督となる劇場用映画に「書を捨てよ~」を選ぶ。題名は同じだが内容は異なる。映画のテーマは「28日間だけの家族」。撮影中だけ家族を演じる虚構の関係を通じて、「家族共同体の幻想を暴きたい」と当時の新聞インタビューで語っている。 主役に起用された佐々木さんは、ロケで使った高田馬場の古アパートに祖母、父、妹役の4人で共同生活することを求められた。撮影現場では、台本通りのセリフはなく、毎朝書き換えられていった。「素人がカメラを前に、どう反応するかを撮りたかったんでしょう」 * その最たるものが、長回しで撮影された冒頭と最後のシーンだった。スクリーンの中から佐々木さんが、観客を挑発する計15分以上に及ぶ独白。映画を見る・作る行為の垣根を壊す斬新な場面は当初の予定にはない寺山の思いつきだった。撮影前日に大量のセリフが渡され、「予算が尽きフィルムがないので、撮り直しはできない」と言われた。必死で暗記し迎えた本番、前半部分は何とか乗り切ったが、最後で読み上げるはずのキャスト、スタッフの名前を飛ばしてしまった。映画に関わった全員の顔が音楽と共に、延々と流れる風変わりな終幕は、アクシデントから生まれたものだった。 「誰も見たことがないものを撮ってやろうという気持ちでした」と撮影を担当した写真家、鋤田(すきた)正義さん(76)は振り返る。CM撮影の経験はあるが、映画は初めて。気鋭のファッション広告写真家として登場した日本人離れしたセンスを見抜いた寺山に抜擢(ばってき)された。 映画作りのルールは無視。面白そうなことは何でも試し、寺山も受け入れてくれた。都電の線路を走るシーンは、鋤田さんがカメラを後ろ向きに構えたまま、役者と一緒に一駅分の距離を全力疾走した。サッカーの試合シーンでは、「ボールが見ている情景」を撮ろうと、実際にカメラを放り投げたり、パスしたり。当然画面はぶれまくる。壁や地面に書かれた「ここがロドスだ ここで跳べ」「自由の敵に自由を許すな」といった無数のメッセージ。物語を寸断する奇っ怪な街頭パフォーマンスや偽インタビュー。怒り、欲望、挫折といった青春の衝動のすべてが画面に渦巻いている。「今思えば、あの作品はまさにパンクロックでした」。後にT・レックスやデビッド・ボウイらロッカーの肖像写真で世界的に知られた鋤田さんは言う。 * 「言葉の天才」であり「自分が目指す“絵”が見えていた人」。17歳で家出し天井桟敷に参加した森崎偏陸(へんりっく)さん(65)は語る。「発想がとっぴで、実現のためには手段を選ばない。目標は示すが、そこへの行き方は勝手にしろ――。それが僕らにも刺激的で面白かった」。寺山が書く台本をコピー機のように手書きで書き写すことから始まり、舞台や映画の裏方仕事を17年間こなし、寺山の死去まで家族のように共に過ごした。後年、寺山の母に請われ養子縁組し戸籍上も弟になった。まるで虚実の入り交じった寺山作品のような人生を生きている。 「出会いの偶然性を想像力によって組織する」。これが寺山の演劇論の一つだった。プロ、素人を問わず寺山の下に引き寄せられた人々は、寺山のず抜けた才能との共同作業によって作品を生み出した。見る者も、あらゆる枠組みを壊し、越境する多面的で迷宮のようなその世界に魅了されていった。時を経た現在も、アイドルが演じる寺山の戯曲や、影響を受けた音楽家、アニメ作家、映画監督らの作品や言葉を通じて、現代の若者たちもまた、寺山に出会う。今年は生誕80年、多くの記念イベントから新たな“偶然の出会い”が生まれることだろう。 「思い出されるような奴(やつ)より、忘れられない奴になるべきだ」 生前に語っていた本人の言葉通り、寺山修司は生き続けている。 ■読者へのおみやげ 寺山修司の名言をあしらったバッジ、天井桟敷のクリアファイルなどをセットで10人に差し上げます。はがきに住所・氏名・年齢・「7日」を明記し、〒119・0378晴海郵便局留、朝日新聞be「映画の旅人」係へお送りください。12日の消印まで有効です。【楽天ブックス・送料無料】書を捨てよ町へ出よう ≪HDニューマスター版≫ [ 主演・佐々木英明 ]
2015.02.07
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「寺山修司を歌う・読む・語る」(田中未知 企画)顛末記 イベントレポート が出てましたね。【楽天ブックスならいつでも送料無料】短歌研究 2015年 02月号 [雑誌]
2015.02.03
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