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記入率60%、経過3年1ヶ月で、3万ヒット到達となりました。 おかげさまで。 本来の日記の文字にこだわったブログは、ほとんど自分のためのもので、訪問者への配慮はしていないけど、年間平均1万ヒット1日平均30弱くらい、話半分でも15人は毎日訪問者がいたことになる。 何はともあれ、感謝!
2007.01.30
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1968年10月7日の東京での“さよならコンサート”のCDを楽天ブックスでゲット。 ・・・そうかぁ、もうすぐ40年になるのかぁ・・・ ずっと気になっていた収録曲 「ユエの流れ」 作詞:桐雄二郎 流れは月にきらめき 憶いは波にゆらめく :オモイ 恋しやあの人の胸 くるめく愛の接吻 :クチズケ 黒髪匂いをこめて 唇花より紅く 粧いこらして待てど あの人は来ない :ヨソオイ 遥かにひびく 太鼓の音は 涙をさそう 別離の調べ :ワカレ 母なる順化の流れよ 愛をば守らせ給え :ユエ 火を焚く祭りの夜に 燃え立つ切ない恋よ 梢に月はかたむき 崩れた城跡悲し 涙で星影消えて あの人は来ない 愛しい人は 何故何故来ない わたしは独り 淋しく帰る 10代初めに聞いたヘタクソな歌にやっと再び巡り合えた、というところかな。 LPレコードからカセットテープにダビングして、ノイズの多い歌を繰り返し聞いていたのだろう。 音としての歌はかすれながらも覚えていたが、文字としての歌は覚えていなかった。 カラオケに収録されているわけでもなく、他の誰かの歌で聞けるわけでもなく、この収録曲以外に聞いた覚えは無いが、なぜかずっと覚えている。 この歌に何か特別な思いが重なっているわけでもなく、そのときひとり共鳴して口ずさんでいた歌。 いま再び聞いて、やはり何か気にかかるヘタクソな歌である。
2007.01.29
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人の最高の寿命を120才として、(今の年令+120)÷2を目指して生きる。ふと思いついた考えが気に入って、また書いている。 0才→ 60才~60年 10才→ 65才~55年 20才→ 70才~50年 30才→ 75才~45年 40才→ 80才~40年 50才→ 85才~35年 60才→ 90才~30年 70才→ 95才~25年 80才→100才~20年 90才→105才~15年100才→110才~10年110才→115才~ 5年120才→120才~ 0年何才まで生きるかなんて、あと何年生きるかなんて、決まっちゃいないだろうけど。明日突然、元気な誰かが死んでいることもあるけど。生きている今から、あと最長寿命の半分だけ生きるつもりで、毎日更新して行けばいい。確定した過去と不確定な未来、しかし死は確実に訪れる。現在を指し示すメーターは、いつも残りの半分のところで揺れている。直感的にそんなものかなと納得してしまう。自分の命を遊んでしまうのも面白いものだ。
2007.01.26
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久し振りにみんなと一緒に唄ったら、うまく唄えなかった。 …あれっ(゜_。)? 久し振りにみんなと一緒に唄ったら、なかなかイイ詩だった。 …今もう一度流行らせたいもんだなぁ! ♪~ あなたの愛したこの道も 涙流したあの空も 百年たったら夢になる 甘い甘い思い出に ※百年あるんだ人生は 決して楽ではないけれど 若者よ生きていて欲しい 百まで生きよう 鼻持ちならないあいつは きっと素敵なやつだろう あなたの愛したあの人は 嫌味なやつかも知れない ※ 百まで生きたら何をしよ も一度結婚しようか 子供もたくさん作ろうよ まとめて面倒みてやろう ※ ~♪ 人間の最高の寿命を120才としよう。 そして、(今の年令+120)÷2を目指して生きて行くってのはどうだろう。 30才なら75才目指して 60才なら90才目指して 90才なら105才まで …とすると真ん中は… 40才なら80才目指して、残り40年 80才になったら100才まで20年 100才になったら110才まで10年 110才になったら115才まで5年 いつだって死ぬまで生きて行くんだから、ちょうどいい目標かもね。 …ということは…四捨五入して…50才だから、85才を目指して生きて行くことにしよう。 …あと35年、しっかり元気に楽しく過ごしたいもんだな。
2007.01.24
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昨日に縛られて今日を過ごすのではなく 明日の為に今日を犠牲にするのではなく 限られた時間と空間の中でしか得られないかも知れないけれど あるがままの自分をさらけ出せる自由が欲しい 誰かの為ではなく 何かの為でもなく ただの自分でいられる自由が欲しい あるがままにいられることは多分 幸せなことなのだろう 悲しみを知り 喜びを知り そして あるがままの自分をさらけ出したい時がある
2007.01.23
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別れにはやはりうつむいて さようならと言うしかない 誰が去り誰が残るのか 時間と空間が別々になり 空いた隙間に風が吹く 出会いにはいつもときめき よろしくと目を合わせれば 何が始まり何が起きるのか 言葉と仕草に揺れ動き 昨日と明日の間に夢を見る 出会いは拒まず 別れは追わず ゆらゆらと漂いながら ときめきと切なさと 時の流れに夢を見る 触れ合う歓びと 抱き合う歓びと 今あることの歓びの 今を共に過ごしたい
2007.01.22
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ベッドの中で携帯からメールで日記の更新をするのが、楽になっている。 PCより文字だけに専念できるのかも知れない。 眠くなるまでのひと時に、親指を走らせて妄想を変換して、雑文を記録して行く。 音も無く光の変化も無く、雑念が入らないのがいい。 思えば昔、ルーズリーフのノートに詩や雑文を書き留め、長い手紙をしたためたのも、やはりベッドの上の静けさの中だった。 何も無い時の方が、実は伸びのびと自由でいられるのかも知れない。 物も情報も金も音も光も溢れている中では、人は不自由で創造力も発揮出来ないのかも知れない。 ちょっと見直してみようかな、と思っているところである。
2007.01.21
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最近の報道では、事件や事故の被害者の家族が顔を出して、その生の声を語ることが多くなっているようだ。 それは報道にとって、あるいは社会にとって良いことなのだろうか。 被害者は善であり加害者は悪であり報道者は正義の味方である、という図式に問題は無いのだろうか。 法治主義の社会の中で行なわれる私刑=リンチになっていないのだろうか。 やがて日本でも陪審員制度が導入されると言う。 本当に大丈夫なんだろうか、それとも、それはそれでいいのだろうか。 疑問と不安を感じている私がおかしいのだろうか。
2007.01.19
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マスメディアのレポーター達の大騒ぎ。 正義の味方面した一方的かつ痴呆的な質問。 それを自慢げに映し出すワイドショー。 風評を撒き散らかし、リンチの如き報道の暴力を見せつけ、金になるなら何でもありだけど、権力には逆らわずに上手くやる。 大人社会という環境が子供を育て、その囲われた社会の中での成功者が、またその環境を引き継いで行く。 絶望したなら…閉ざされた時間と空間を飛び出して、別の時空で生きればいい。 醜悪な時空に囚われる必要はないだろう。 パラレルワールドにワープすることは新しい未来への幕開けかもしれない。 いじめだと騒ぎながら自分達のいじめに気付かない人達のことなんて気にすることはない、と思いながらニュースを見ているこの頃である。
2007.01.18
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あれから更に3ヶ月目の定期検診。体重・身長・体温・血圧の簡単な測定と血液検査、そして検査結果に基づく医師の問診。大きな変化無く順調な推移ということで、更にメルカゾール錠の服用を少し減らすことに。2日に5錠を毎日2錠に減らして、3ヵ月後に再検診。次回は母の3回忌を迎える4月に。・・・おそらく発病のきっかけとなったであろう両親の相次ぐ病死に伴うストレスから、ほぼ2年が経過しようとしている。あれから何が変わったのか、何が出来たのか。ストレスをなるべく避けて、怠惰な生活の中で少し太って、少しいい加減になれて、白髪も少し増えて・・・。生前の父が起こした交通事故の示談が成立したと損保会社から報告があった。2度目の脳梗塞から11年の入院後に亡くなった母の3回忌を迎える。2人目の子供も今年で就職が決まり家を出て行く。親から引き継いだ遺伝子の血脈を、取りあえずは子の世代へと引き継ぐ役割は済ませることが出来たのかな。まだ孫の世代への引継ぎは見えて来ないけれど、それはまあ、ここまで来れば子供ら自身で何とかしてくれればいい。見た目には少し老けただけだけれども、気持ちの上では峠を越えて一区切りというところだな。いい加減なオジサンで、チョイワルにでもなって、少し自由に遊べるように、元気に再出発と行きたい年である。その為にも体も心も元気でいなければと、病院の待合室での待ち時間にぼんやり考えていたのだった。
2007.01.13
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【思い付きのメモ】 全ては人間自身が問題 時間は人生が基準…MAX.120 過剰な変化速度には対応できない グローバルスタンダードも人間が基準…誤差は人種差 ヤード、フィート、ガロン、オンスetc公然と通用している=尺間法も存在価値あり メリットとデメリット、陰と陽は必ずある 片方だけしか示さないのは虚偽 100%や0%は精度の低い古いスローガン 芽生え育ち花咲き実を成し枯れる…サイクルが当然 法人国家組織は不老不死を目指す…サイクルを否定 超権力者は永遠の支配を目指す…体制は保持される 認識しないものは存在しない 電磁波は人体をすり抜けている 黒子は存在を認識されない 過密社会では認識しない者は存在しない者としなければ生きて行けない
2007.01.05
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なぜ少子化が悪いのか。 なぜ夕張を助けないのか。 政治も行政も無能だから。 司法もマスメディアも含めて無能だから。 傷口の手当はできても、癌細胞の摘出手術はできないから。 行政は全て破綻しているが構造的リストラは行われないままである。 高給で優遇して集めたという優秀な人材達は、天下りの受け皿作りに懸命である。 人口減少高齢化などは遥か昔から判っていたことで、今更慌てた振りをしても通用しない田舎芝居だろう。 環境破壊や人口爆発については、70年代半ばには既に国際的な認知と提言が為されていたはずだ。 既得権確保とエゴイズムで問題から目をそらし先送りして来た結果が現在であり、更にそれを先送りしようとしているのが現実だろう。 おそらく資本主義も既に破綻しているだろう。 そして未だ新しい指針は示されていない。 改憲論議が後ろ向きの姿勢で行われようとしている。 しかし、 本当にその気があるのならば前向きの姿勢で行なうべきであろう。 世界に誇る平和憲法と讃えて来たのだから、 世界の範となる21世紀の憲法を目指す心意気が必要なのではないか。 修正と拡大解釈による改憲論議などは論ずるに値しないご都合主義ではなかろうか。 過去をきちんと反省し、現実を偏向無く把握し、まともなシミュレーションで未来を予測し、子供らに胸を張って責任の取れるビジョンを示して欲しいものである。
2007.01.04
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ヒトを特別扱いしない地球主義みたいなものができるだろうか? 思想の上では可能でも現実社会に実現できるだろうか? 生態系のサイクルの外で搾取し破壊し自滅の暴走を続けるヒトに それだけの理性があるのだろうか? しかし、その必要も無いのかもしれない。 ウィルスが人口抑制を果たそうとしているかのような気もする。 環境変化が人口抑制を果たそうとしているのかもしれない。 欲望と狂気が戦争を広め、過密とストレスが命の価値を低くし、弱き者は生き残れなくなるのかもしれない。 ヒトの企てに関係無く、自己浄化作用が働いて、地球はそれなりにバランスを保って行くのかもしれない。 広い意味での自然にヒトの社会の営みも含まれているのだから。 急激にヒト社会が変化すればその環境も急激に変化して行くだろう。 そしてバランスは保たれて行くだろう。 その中で1個体の生命がどうなろうとも、それは大したことじゃない。 変わり行く環境に対応し生き延びる遺伝子が次の時代に繁殖するのだろう。 新年の幕開けは多分いつもの焼き直しに過ぎないだろう。そしてまた今日も、365分の1年だけバランスの振り子が揺れ動いたのだろう。
2007.01.03
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きっと朝が来る 信じている何かがある 動かない大地は しかし動いている 朝が来なくても 生きて行くだろう 信じるものが自分しかなくても 生きているのだから
2007.01.02
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